礼賛の祝宴④~宴料理~
2021.8/26 更新分 1/1 ・11/29 誤字を修正
しばらくすると、大きなお盆を掲げた小姓の一団がこちらの席に近づいてきた。
「失礼いたします。最初の料理をお持ちいたしました」
俺たちの前に、小さな皿が3枚ずつ並べられていく。この卓には12名もの人間が陣取っているため、それだけでも皿の数は大層なことになってしまうのだった。
ダカルマス殿下と、デルシェア姫。使節団長ロブロスと、戦士長フォルタ。
ジェノス侯爵家のマルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィア。
俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディン。
人々は、それぞれの気性に見合った面持ちで皿が並べられていくさまを見守っていた。
「ふむふむ! こちらのふた品には、見覚えがありますぞ!」
小姓たちが引き下がると、ダカルマス殿下が勢い込んで言いたてた。
「はい。ジョラの揚げ焼き団子に、ハッセルバック・チャッチですね。目新しさに欠けていて、申し訳ありません」
「いえいえ、まったくかまいませんぞ! こちらの会場には、これらの料理を初めて口にする方々のほうが多いはずなのですからな!」
そう言って、ダカルマス殿下はいよいよ朗らかににこーっと笑った。
「それに、アスタ殿の料理は一度きりで飽きてしまうような仕上がりではありません! 再びこれらの料理を口にできることを、心より嬉しく思っております!」
「ええ、本当に。……それに、こちらの汁物料理は初のお目見えですものね?」
デルシェア姫が笑顔で加わってきたので、俺は「はい」と応じてみせる。
「そちらはノ・ギーゴを主体にした汁物料理です。かなり簡素な作りですが、ノ・ギーゴの美味しさが前面に出ているかと思います」
それは、サツマイモのごときノ・ギーゴのポタージュであった。
ノ・ギーゴとアリアのみじん切りを乳脂で炒めたのち、キミュスの骨ガラの出汁を加えて、じっくり煮込む。そうしてノ・ギーゴの甘さを引き出して、アリアも十分にやわらかくなったならば、いったん粗熱を取り、すりこぎで入念にすりつぶしつつ攪拌するのだ。
コーンに似たメレスではどうしても粒が残ってしまうのだが、ノ・ギーゴであればこのやり方でもとろとろに仕上げることができた。あとはカロン乳を加えてひと煮立ちさせ、塩とピコの葉で味を調えれば、完成である。本日は、そこに黒フワノを揚げ焼きにしたものをクルトンの代用として添加していた。
「アスタが黒いフワノを使うのは、ちょっと珍しく感じられるわね。この軽やかな食感が、とても心地好いわ」
そのように語らうエウリフィアのかたわらでは、オディフィアが身を揺すっている。俺と目が合うと、幼き姫君は灰色の瞳をきらきらと輝かせながら「すごくおいしい」と言ってくれた。
「うむ! 確かにこれは、菓子と見まごう甘さとまろやかさでありますな! ノ・ギーゴを知らぬ方々であれば、砂糖が使われていないことに驚嘆なさることでしょう! アスタ殿の仰る通り、ノ・ギーゴの魅力を最大限に活かした仕上がりであり、きわめて美味でありますぞ!」
「ええ、本当に」と相槌を打ったのは、珍しくもフォルタであった。
「確かに簡素は簡素なのでしょうが、ノ・ギーゴをただ煮込むだけでは得られない味わいなのでしょうな。それでいて、ほっとするような純朴な味わいであります」
「フォルタにそのように言っていただけると、心から嬉しく思います」
俺がそのように応じると、フォルタは慇懃な面持ちのまま、目だけで微笑んでくれた。ここ2回の試食会では席が遠かったので判然としなかったが、やはり以前よりはずいぶんリラックスできているようだ。
いっぽうロブロスも仏頂面に見えかねない面持ちであるが、ジョラの揚げ焼き団子を口にすると俺のほうに目を向けてきた。
「こちらも、大層な出来栄えでありますな。ジョラの料理は細工を凝らさぬほうが元来の味を活かせると、かつての吟味の会ではそのように語られていたように思いますが……こちらの料理は、存分に細工が凝らされているようです」
ダカルマス殿下の前であるためか、ロブロスも丁寧な言葉づかいである。
ともあれ、俺は俺なりの見解を示すことにした。
「確かにそちらは、後掛けの調味液で細工を凝らしておりますね。でも、団子の本体は塩とピコの葉を加えたぐらいです。これだけ強い味付けでも、ジョラそのものの美味しさはかすまないと考えた次第です」
「うむ! アスタ殿の仰る通りですな! それに調味液のほうもさまざまな細工を凝らしながら、まったく複雑な味わいではないように思いますぞ!」
ジョラの揚げ焼き団子に使っているのは、タウ油ベースの甘辛いタレと、ワサビのごときボナ入りマヨネーズである。俺としてはそこまで細工を凝らしたという意識もないが、そもそもマヨネーズを目新しいと思う方々には、凝った料理だと感じられるのだろう。
ジョラの油煮漬けはツナフレークに似た食材で、これはそれを揚げ焼きの団子に仕上げた料理であるが、あるていどの強い味付けに耐えうることはすでに研究済みである。少なくとも後掛けの調味液である限り、ジョラの味わいはそうそう損なわれなかったのだった。
「そして、こちらの――ええと、はっせるばっくちゃっちでありましたな! こちらも以前の通りの味わいでありますぞ! レイ=マトゥア殿は、まさしくアスタ殿の料理を完全に正しく再現していたわけでありますな!」
切れ目を入れたチャッチにゲルドの乾酪やペルスラのペーストなどを詰め込んで窯焼きにするのが、ハッセルバック・チャッチである。この料理は以前の試食会で、レイ=マトゥアが供していたのだった。
「わたしはやはり、こちらの料理が口に合うようだ。……果実酒を」
マルスタインの声に応じて、小姓が酒杯に赤のママリア酒を注いだ。
他の人々もおおよそはそれぞれ酒類をたしなんでいたが、王家の父娘はどちらもお茶である。森辺の祝宴で判明したことだが、ダカルマス殿下はひと通りの料理を口にするまでは酒類を口にせず、デルシェア姫に関しては完全に下戸であるという話であった。
そうして3種の料理があらかた片付いたところで、また小姓たちがやってくる。その配膳を見守りつつ、俺はふっと思い浮かんだ疑念をマルスタインに告げてみることにした。
「そういえば、これほど大きな祝宴となると、またかなりの量の皿を新調することになってしまったのではないですか?」
「うむ。ゲルドの貴人や使節団の方々にまつわる会食や祝宴でも、多くの皿を買い足していたはずだな。このたびは、さらにその倍の数を買い足したものと聞き及んでいる。……それこそ、城下町の商店からすべての小皿を買い占めるような騒ぎであったようだ」
そう言って、マルスタインは鷹揚に微笑んだ。
「それらの皿を無駄にしないよう、今後はこういった形式の祝宴が増えることだろう。それがどれだけ素晴らしいものであるかは、アスタたちが証明してくれたからな」
「そうですか。なんだかちょっと、恐縮してしまいます」
「大事ない。祝宴に皿を使わずというのは、ジェノス独自の習わしであったようだからな。古き習わしの改善に努めるのは、今を生きる人間の役割であろう。……それもまた、森辺の民に教えられたという面が強かろうな」
「ええ。森辺の方々だって、きっと数々の習わしを見直すことで、わたくしたちと絆を深めてくださっているのでしょうしね」
と、エウリフィアが優雅に微笑みつつそう言った。
「森辺の方々が城下町の宴衣装で祝宴に参席してくれるなんて、ひと昔前には考えられなかったことですもの。……でも、その甲斐はあったでしょう、アスタ? アイ=ファのその姿は森辺の宴衣装にも負けないぐらい素敵ですものね」
「え、ええまあ、そうですね」
俺はいくぶんへどもどしながら、アイ=ファのほうを横目でうかがった。
アイ=ファは平静な表情を取りつくろっていたが、卓の陰で俺の足を蹴ってくる。こういう際にどうして俺が蹴られるのかは、永遠の謎である。
そうしてそんな会話にかまけている間に、配膳の仕事は完了されていた。
今回も、3種の料理が届けられている。これらの料理を出す順番は、あらかじめ俺のほうから指定させてもらっていたのだ。
「次は、肉料理とフワノ料理と汁物料理ですね。野菜と魚介の滋養をとっていただくために、こちらの汁物料理を準備いたしました」
汁物料理は、俺が得意とするタラパスープである。アマエビに似たマロール、イカタコに似たヌニョンパ、それに名も知れぬホタテガイに似た食材で出汁を取り、具材としても使っている。さらに、トビウオに似たアネイラや海草の出汁もあわせて使っているので、魚介の風味はこれ以上もなく凝縮されていた。
さらに野菜は、調和を壊さないと見なしたものをのきなみぶちこんでいる。アリア、ネェノン、チャッチは言うに及ばず、ティノ、マ・プラ、チャン、ロヒョイ、オンダ、レミロム、ティンファ、ファーナ、そしてマ・ティノといったところだ。キノコ類は、マッシュルームモドキにキクラゲモドキを使わせていただいた。
「ほう、これは――!」と目を剥いたダカルマス殿下の額に、ぶわっと汗がにじみ出た。
「これは素晴らしく、豪奢な味わいでありますな! 少なからず辛みもきいているようですが……ううむ、美味ですぞ!」
「わたくしも、同じ気持ちでございます。ただ、これだけ力強く豪奢な味わいでありながら、まったく複雑なことはございませんな」
と、またフォルタが声をあげてくれた。そちらもなかなか汗かきのようで、しきりに額の汗をぬぐっている。
「これだけの具材を使っていれば、豪奢になるのが当然なのやもしれませんが……しかし、前面に出ているのはタラパの味わいでございましょう。それでいて、タラパのみではとうてい望むべくもないような深みがあり……ううむ、美食などとは無縁なわたくしでは、なかなかこの驚きを口で語ることも難しいようです」
「アスタ様はタラパの味わいを活かすために、さまざまな細工を凝らしておられるのですわ。細かく刻んだアリアに、赤いママリアの酒、レテンの油、すりおろしたミャームー、ピコの葉やチットの実を始めとするいくつかの香草――そういったものがタラパとともに、さまざまな魚介の出汁で煮込まれているのです」
父君の汗を横から拭いてあげながら、デルシェア姫がそのように応じた。
「そのように考えると、やはりアスタ様とヴァルカス様は対極的な料理人であられるのでしょう。たとえ同じだけの食材を使って、同じだけの細工を凝らしても、その仕上がりはまったく正反対のものになるのだろうと思います」
「確かにデルシェア姫の仰る通りですわね。アスタとヴァルカスの料理には同じぐらい驚嘆させられるけれど、その驚きもまったく正反対であるように感じられますもの」
と、エウリフィアも話題に加わってくる。
「ヴァルカスの料理は元の食材の見当もつかなくて、いったいどのようにしたらこんな味わいが生み出せるのかと、心から驚かされてしまうのだけれど……アスタの場合は、タラパやノ・ギーゴがこんなに美味しく仕上げられるなんて! という驚きに見舞われてしまうのですわ」
「なるほど、確かに! さきほどのノ・ギーゴの料理などはこちらとまったく掛け離れた仕上がりでありましたが、胸に去来する思いは同一であるように感じられますな!」
本日は、フォルタが饒舌であった。
もしかしたら、ここ最近は――つまり、森辺の祝宴を経てからは、ずっとこのような感じであったのだろうか。おそらく彼は王家の方々そのものではなく、ロブロスの気苦労を心配していたようなので、ロブロスの心情が落ち着いたならば、それに同調できるはずなのだ。
そうしてロブロス本人はというと、黙々と食事を進めている。王家の方々の前で気安く振る舞う気持ちは皆無であるようだが、不機嫌そうにはまったく見えなかった。
(まあ何にせよ、ロブロスが心穏やかに過ごせているなら何よりだ)
俺がそんな風に考えていると、またダカルマス殿下が「おおう!」と大きな声を張り上げた。
「こちらのフワノ料理も、美味ですな! 間にはさまれていたのは、ぎばかつであったのですか!」
「はい。ギバ・カツサンドといって、ずいぶん昔には屋台でも出していました。ひとつぐらいは皿を使わない料理をお出ししようかと考えた次第です」
「こちらの料理も屋台で出されていたのですか! 宿場町の方々は、さぞかし幸福な心地でありましたでしょうな!」
しかしそれも、ずいぶん懐かしい話である。あの頃はまだ屋台でも皿を使うことができなかったため、作り置きの商品を数量限定で販売していたのだ。のちに青空食堂が開設されて、もっと手軽なギバの揚げ焼きを考案してからは、すっかりお蔵入りしていた商品であった。
(それでもギバ・カツサンドは人気がすごかったから、けっきょくくじ引きで当たった人にだけ買ってもらうことになったんだよな。我ながら、試行錯誤してたもんだ)
しかしギバ・カツというのは森辺でも大好評であったため、俺はなんとか宿場町の人々にも味わっていただくべく、そのようなやり口を考案することになったのだった。
「ううむ! 揚げ物料理というのは揚げたてこそが至高と存じますが……こうして冷めきった揚げ物料理というのも、何やら独特の趣が生じるものですな!」
「ええ。それに、辛い料理と熱い料理では、舌が痛むばかりですものね。アスタ様もそのようなお考えで、このような組み合わせにされたのでしょう?」
デルシェア姫が笑顔で問うてきたので、俺も「はい」と笑顔を返してみせた。
「そちらの肉料理も常温ですので、舌が疲れることはないかと思います。ただ、ボナを少々使っておりますけれど」
「ほう! こちらでも、ボナを! ……ほうほう! こちらは最初の試食会にて供された、ギバの蒸し焼きでありますな! ただ、表面に衣のようなものが見受けられますが!」
「はい、そちらはギバの皮つき肉で仕上げました。本来、ギバの毛皮は大事な商品ですので、森辺においても食べられる機会の少ない料理となります」
その肉料理は、皮をパリパリに仕上げたクリスピー・ロースト・ギバであった。その調味液に、ワサビに似たボナを使っているのだ。
俺が昔から得意にしていた、タラパスープ。
屋台で大好評であった、ギバ・カツサンド。
そして、去りし日の収穫祭において、勇者に捧げる宴料理として供した皮つき肉のロースト・ギバ。
俺は新旧の別を問わず、自分にとっての自慢の料理を取りそろえたつもりであった。
これにて6種の料理がお披露目されて、ようやく折り返しとなる。
次に運ばれてきたのは、回鍋肉、焼きうどん、チャッチサラダというラインナップであった。
「こちらは、肉料理、フワノ料理、野菜料理という区分になりますね。この肉料理は屋台でも人気の商品となりますが、今回は南の王都のホボイ油とラマンパ油で味の向上を目指したものをお出ししました」
「うむ! こちらも掛け値なしに美味ですぞ! ホボイ油とラマンパ油の風味は言うに及ばず、タウ油とマロマロのチット漬けの配分が秀逸でありますな!」
「こちらは細長く仕上げたフワノの生地を軽く茹でたのち、具材や調味液とともに炒めた料理となります」
「ほうほう! 茹でた上で、炒める! それがこの素晴らしい食感を生み出しているわけですな! こちらも簡素でありながら力強く、らーめんにも負けない味わいであるようですぞ!」
「こちらはチャッチを主体にして、アリアやネェノンやペレなどの具材をマヨネーズで和えた野菜料理になります」
「ふむふむ! ペレの清涼さも相まって、舌休めには最適でありますな! それでいて、いくらでも食べてしまいたいほど美味でありますぞ!」
いずれの料理に関しても、ダカルマス殿下は大いなる熱意でもって賛辞を述べてくれていた。
たとえ意に沿わない料理であっても決して不満な顔は見せないダカルマス殿下であるが、今日の笑顔はどの試食会よりも明るく朗らかで、俺はその心中を疑う気になれなかった。
それにダカルマス殿下以外の人々も、とても満足そうな顔で俺の料理を食べてくれている。そんな人々の様子を見ているだけで、俺はほとんど1日がかりであった大仕事の疲れも溶かされていくような心地であった。
そんな中、最後の3品が届けられる。
それは、タルタルソースでいただくギバの竜田揚げと、4種の生春巻き、そして乾酪バーグのカレー・シャスカというラインナップであった。
「ああ、これは……いつかの祝宴でも出された、たつああげという料理よね? こちらの料理をまた口にできる日を心待ちにしていたのよ」
エウリフィアは嬉しそうな笑顔で、そのように言っていた。あくまで俺の印象だが、ギバの竜田揚げはわりあいターニングポイントとなる祝宴で出していたように記憶していたので、この記念すべき礼賛の祝宴でもお出しするべきかと考えた次第であった。
あとのふた品は、試食会で優勝を果たした際の料理を供するべしと言い渡された結果である。最初の試食会は文字通りの試食品であったため除外となり、こちらのふた品を準備するようにと言い渡されていたのだ。
この生春巻きを300名分準備するというのは、なかなかに難儀な話であった。が、シャスカペーパーさえ準備しておけば当日の苦労はさほどでもないので、昨日の内に苦労を前倒しした次第である。完成したシャスカペーパーはそのまま重ねると生地同士がひっついてしまうため、作るそばからホボイ油を薄く塗って保存していくという、工場か何かを思わせる流れ作業が展開されていたのだった。
ともあれ、俺の準備した宴料理はこれですべてだ。
初めて口にする竜田揚げにも、ダカルマス殿下やデルシェア姫はご満悦の表情であった。
そしてアイ=ファは、とても満ち足りた面持ちで乾酪バーグのカレー・シャスカを口にしている。
俺たちは4班に分かれて3品ずつの料理を仕上げていたが、もちろん乾酪バーグのカレー・シャスカは俺の班の担当とさせていただいたのだ。護衛の役を果たしていたアイ=ファも、その姿をしっかり見届けてくれていたのだった。
「いやあ、素晴らしい! 合計で、12品! どこにもつけ入る隙のない布陣でありましたぞ、アスタ殿! 礼賛の祝宴でこれだけ見事な結果を示すことができた料理人は……わたくしの記憶の中でも、数えるほどしか存在いたしません!」
「それはきっと、力を貸してくれた森辺のかまど番たちの功績です。彼女たちなしでは、とうていやりとげられなかった大仕事ですので」
「わたくしも、そう思います」と声をあげてから、デルシェア姫はにこりと笑った。
「もちろん、アスタ様が素晴らしい料理人であるというのは大前提として、その指示を一糸の乱れもなく遂行できる方々が39名も居揃っているだなんて、他にはなかなか考えられませんもの。個人の力と団結の力、両方の意味でアスタ様と森辺の方々は卓越しておられるのですわ」
「うむ、確かに! ……仮にヴァルカス殿が優勝されていたら、とうていこのような祝宴は望めなかったであろうというお話でありましたな?」
ダカルマス殿下が水を向けたのは、マルスタインだ。マルスタインは優雅に酒杯を揺らしながら、「ええ」と応じた。
「ヴァルカスは卓越した料理人でありますが、その手足となって働けるのは弟子たる4名のみでしょう。たとえ名のある料理人たちに手伝いを求めても、ヴァルカスの望む仕上がりにはならないのだろうと思われます」
「それはもっともなお話でありますな! それはそれで、ヴァルカス殿が傑出した料理人であられるという証でもあるのでしょう! ……しかしまた、礼賛の祝宴の規模をそうまで縮小するというのはあまりに物寂しい話でありますため、わたくしはアスタ殿が優勝されたことをすべての神々に感謝したいほどでありますぞ!」
ダカルマス殿下の喜びの念が、熱波のごとき勢いで俺に届けられてきた。
俺は心を込めて、「恐縮です」と一礼してみせる。
そこにまた、小姓たちがやってきた。
俺の料理が完了したならば、お次はトゥール=ディンの出番であるのだ。オディフィアはぴょこんと背筋をのばし、透明の尻尾をぶんぶんと振りながら小姓たちの配膳を待ち受けた。
「お待たせいたしました。こちらの菓子は数多くの種類が取りそろえられておりますため、大皿でお持ちいたしました」
卓の真ん中に大皿が置かれると、王家の父娘とエウリフィアとフォルタが歓声をほとばしらせた。
そこに積み重ねられていたのは、色とりどりのロールケーキである。
「なんとなんと! こちらは何種が準備されているのでしょうかな?」
「はい。ラマンパ、ちょこ、アロウ、ミンミ、ラマム、アマンサ、ワッチ、リッケで、8種類となります」
ダカルマス殿下の質問に応じつつ、トゥール=ディンの視線はオディフィアのほうに吸い寄せられてしまっている。それはもちろんトゥール=ディンとしては、この瞬間のオディフィアの姿を見逃せはしなかったのだろう。オディフィアは完全無欠の無表情ながら、灰色の瞳を星のようにきらめかせていた。
それにつけても、8種のロールケーキというのは壮観である。菓子だけで満腹になってしまわないように、それらは食感の損なわれないぎりぎりの小ささで仕上げられていたものの、12名分であるので途方もない数になってしまっていた。
その断面から覗くクリームが色とりどりであるのが、実に絢爛な様相だ。ラマンパのライトブラウン、チョコのダークブラウン、アロウの赤、アマンサの青紫、ワッチの朱、リッケの淡い紫色、ミンミとラマムはプレーンの白――これは、ダイアの菓子にも負けない華やかさであるかもしれなかった。
「1度に食べるとおなかがふくれてしまうので、お好みの分をお食べください。この後にも、まだ別の菓子が控えておりますので……」
「そうですな! それではわたくしは、ちょことラマンパとリッケをいただきましょう!」
「わたくしは、ちょことワッチとリッケをお願いいたしますわ」
貴き方々の要請に従って、小姓がロールケーキを取り分けていく。俺は、ミンミとリッケをいただくことにした。
ミンミは桃、リッケはレーズンのごとき果実となる。どちらも生クリームに果汁と果肉が練り込まれており、生地はすべてプレーンのスポンジケーキであった。
ミンミの果汁は透明なので、生クリームも元来の白だ。しかしそれを口にすると、ミンミのふくよかな甘さと風味がこれでもかとばかりに広がった。
俺は自分の故郷においても、ピーチ味の生クリームというものを食したことはない。だからこれは正真正銘、トゥール=ディンの好みとセンスで完成された味わいであった。
果肉のほうはごく小さく刻まれているが、それでもその瑞々しい食感も大切なアクセントだ。砂糖などは必要最低限しか使われていないはずであるので、とても上品な仕上がりであるように感じられた。
そしてリッケのほうもまた、申し分ない味わいである。レーズン入りの生クリームであれば、俺も何度か口にしたことがあるような気がしなくもないが――さらにこちらは、果汁まで使われている。レーズンのようなリッケ風味の生クリームというのが俺にとってはとても新鮮で、やはりトゥール=ディンの調理センスに感服する思いであった。
「どの菓子も素晴らしい味わいね。オディフィアも満足でしょう?」
「うん」とうなずくオディフィアの小皿には、すべての種類が山積みにされている。しかし幼き姫君はそれを乱暴に食い散らかすことなく、ひとつずつ大事に大事に頬張っていた。
そんなオディフィアの幸福そうな姿を、トゥール=ディンばかりでなくゼイ=ディンやメルフリードもとてもやわらかい眼差しで見守っている。
もともと穏やかな気性をしているゼイ=ディンはともかくとして、冷徹無比な印象の強いメルフリードがこのような眼差しを人前でさらすのは、やはりトゥール=ディンが体調を崩したオディフィアのお見舞いをして以降なのだろうと思われた。
「いやあ、本当に素晴らしい! このちょこくりーむというものも、風評に違わぬ味わいでありますな! わたくしはまだ3種しか口にしておりませんが、8種すべてがこの出来栄えであるとしたら、舌を巻く思いであります! そもそもトゥール=ディン殿の菓子はフワノの生地の出来栄えからして秀逸でありますし、文句のつけようもなく美味でありますな!」
多くを語らぬオディフィアの代わりとばかりに、ダカルマス殿下はそのように言いたてた。
「そして、この上にまだ別なる菓子も準備してくださったというお話でありましたな?」
「は、はい。焼き菓子ばかりでは飽きてしまうかと思い、チャッチ餅もいくつか……あと、ラマンパの焼き菓子ももうひとつご準備しました」
「ほうほう! そういえば、ラマンパくりーむの本格的な使い道が考案されるのはこれからであると、アスタ殿はそのように仰っていたそうですな!」
俺がそれを告げたのはデルシェア姫にであるが、やはり父君にも筒抜けであったようだ。
期待に胸をふくらませる人々の前に、その新作の菓子と何種かのチャッチ餅が届けられた。
「ふむふむ! これは……ずいぶんささやかな大きさに切り分けておられるのですな!」
「はい。こちらは味が強いので、小分けにいたしました。量は十分に準備しましたので、お口にあったらまたお召し上がりください」
こういった祝宴で余った料理は、小姓や侍女たちの晩餐に回されるという。それを事前に聞かされていた俺とトゥール=ディンは、なるべく多めに料理や菓子を準備していたのだった。
それはともかくとしても、新作の菓子は確かにささやかなサイズであった。何せ1辺が2センチていどの立方体なのである。
色合いはラマンパクリームのライトブラウン一色で、生地の質感はいくぶんしっとりとしている。
「これはまるで、目を描く前の賽のようですな。味の想像が、まったくつきませんぞ」
フォルタも目を皿のようにして、その菓子をしげしげと検分していた。
ロブロスのほうは感じ入った様子もなく、突き匙を取り上げる。
「いくら見つめていても、味はわかるまい。まあラマンパの菓子であるというのだから、おおよその想像は――」
と、その菓子を口に放り入れたロブロスは、ぎょっとした様子で目を剥いた。
フォルタは心配そうな顔になって、「どうなされました?」と耳打ちする。
「あ、いや、これは確かにラマンパの味わいだが……そ、其方も口にしてみるがよいぞ」
「はあ」と応じつつその菓子を食したフォルタは、ロブロスと同じように目を剥いた。
そしてダカルマス殿下とデルシェア姫は、もう大騒ぎである。
「こ、これはまぎれもなく、ラマンパの菓子ですな! ラマンパの実も油も、ふんだんに使っておられるのでしょう! しかし、これは……他に類を見ないほどに、濃厚でありますな!」
「はい! 濃厚で、とても甘いです! リミ=ルウ様や《ランドルの長耳亭》の菓子にも負けぬ甘さでしょう! ラマンパの味わいと砂糖の甘みが、このように小さな菓子の中に凝縮されているようです!」
俺はすでに、この菓子も森辺で試食させてもらっている。これはトゥール=ディンがガトーショコラを土台にして完成させた、ラマンパの菓子であったのだった。
ラマンパのペーストをチョコレートの代用として使い、他の食材や調理法はほとんどガトーショコラと同一であるらしい。そうしてガトーショコラと同じぐらい濃厚な、ガトーラマンパが出来上がったわけであった。
「こちらはマトラを使っているリミ=ルウのげっぺいと違って、あまり食べすぎると胸やけしてしまうと思います。それもあって、小さく切り分けることにしました」
そんな風に説明しながら、トゥール=ディンの視線はオディフィアのもとで固定されている。
オディフィアは無表情のまま、とろりと溶けてしまいそうな様相であった。
「トゥール=ディン、すごくおいしい。オディフィア、トゥール=ディンのつくるラマンパのおかしがだいすき」
貴き方々の手前であるためか、トゥール=ディンは「ありがとうございます」とだけ答える。しかしその瞳には、オディフィアに負けないぐらい幸福そうな光が灯されていた。
「ああもう……わたくしはトゥール=ディン様の菓子を食べるたびに、これが今までで一番美味な菓子ではないかしらという心地にさせられてしまいますわ」
デルシェア姫も、妙にしみじみとした調子でそのように言いたてていた。
ダカルマス殿下は感極まった様子でまぶたを閉ざし、「うむ!」と大きくうなずく。
「もとよりラマンパを主体にした菓子というものも、わたくしはトゥール=ディン殿に出会うまで口にしたことがございませんでした! ろーるけーきも、この菓子も、至高の味わいであります! トゥール=ディン殿、素晴らしい菓子の数々をありがとうございました!」
「いえ。お気に召したのでしたら、心から嬉しく思います」
オディフィアとの幸せ空間から呼び戻されたトゥール=ディンは、我に返った様子で安堵の息をついた。
そしてそのはずみに、涙がひと粒だけ頬を伝う。これにはトゥール=ディン自身が一番驚いた様子で、「あ、あれ?」と声をあげていた。
「緊張の糸が切れたのであろう。お前は自分の仕事をやりとげたのだ、トゥールよ」
ゼイ=ディンが、すぐそばにいる俺たちにも辛うじて聞こえるぐらいの小声で、そのように呼びかけた。
トゥール=ディンは新たに浮かんだ涙に瞳を潤ませながら、それでも笑顔で「うん」とうなずいた。
そんなトゥール=ディンたちの姿に俺が感慨を噛みしめていると、また卓の下で足を蹴られる。
アイ=ファのほうを振り向くと、その艶やかな唇が俺の耳もとに寄せられてきた。
「お前もだぞ、アスタよ。この祝宴を終えるまでは、仕事を果たしたことにはならないのやもしれないが……宴料理の準備という面に関しては、お前は見事にやりとげてみせたのだ」
そう言って、アイ=ファはとても澄みわたった瞳で俺を見つめてくれたのだった。