礼賛の祝宴③~開会の儀~
2021.8/25 更新分 1/1
すべての森辺の同胞が控え室に集結してすぐに、また扉が外からノックされた。
「失礼いたします。主賓のアスタ様とトゥール=ディン様、および付添人のアイ=ファ様とゼイ=ディン様は、入場のご準備をお願いいたします」
これは事前に言い渡されていた段取りであったので、俺たちは疑問を抱くことなく小姓の言葉に従った。
石作りの回廊を長々と歩かされたが、その間にもすれ違う人間はいない。ただ何となく、宮殿そのものがわきたっているかのような――頑丈な石の壁の向こう側にはすでに300名もの人間がひしめいているのだぞと示唆されているかのような、そんな気配が感じられてならなかった。
やがて到着したのは、8畳ていどの控えの間である。
部屋のサイズはほどほどであるが、壁には豪奢なタペストリーが飾られており、卓や椅子などの調度もたいそう立派な見かけをしている。入り口の向かいにはまた別の扉が設えられており、右手の壁際には大きな姿見が置かれていた。
「それではこちらで、入場の段取りをご説明させていただきます」
俺たちは、一般の参席者とも貴き方々とも別のルートから大広間に入場するらしい。この小部屋は、その特別な通路へと通ずる控えの間であったのだ。この場所は普段どのような使われ方をしているのかと、俺が好奇心に駆られて訪ねてみると、小姓はつつましやかに微笑みながら答えてくれた。
「普段は婚儀の新郎新婦や、あるいは継承の儀において爵位を授かる方々など、その日の祝宴の主賓となられる方々が、こちらでお控えになられます」
どうりで立派な造りをしているわけである。しかし、よりにもよって新郎新婦の控え室で、このように着飾ったアイ=ファとともに居並ぶというのは――自分で聞いておきながら、俺はひとりで胸を騒がせることになってしまった。
そんな俺の惑乱には気づく様子もなく、小姓は粛々と説明を続けていく。
幸い、それほど複雑な段取りではないようだ。ただ、そこには「主賓の挨拶」というものも組み込まれていたため、俺はトゥール=ディンともども慌てふためくことになってしまった。
「ど、どうしましょう? 300名もの方々を前に、挨拶をしなければならないなんて……」
「う、うん。これはちょっと、俺たちには重荷かなあ」
俺たちふたりにすがるような眼差しを向けられた小姓は、お行儀のいい微笑に内心を隠しながら、「ご心配はいりません」と言った。
「こちらはジェノスにおいて初めて行われる祝宴でありますし、ダカルマス王子殿下からも特別な形式は存在しないというお言葉をいただいておりますので、簡単な謝辞を述べてくださるだけで問題はないかと……」
「しゃ、謝辞とはどのような?」
「え? ですから……本日はこのような祝宴を開いてくださり、とても感謝しております、とでもいうような……」
「ほ、ほんじつはこのようなしゅくえんをひらいてくださり、とてもかんしゃしております!」
トゥール=ディンが上ずった声で復唱すると、小姓もたまりかねた様子でくすりと笑った。
「失礼しました。……こちらはダカルマス王子殿下とジェノスの貴き方々がご準備に尽力された祝宴になりますので、そちらに対する感謝の念と、あとはおふたりが勲章を授かった試食会に対するお気持ちなどを語っていただければ十分であるかと思います」
「わ、わかりました。……ほんじつはこのようなしゅくえんをひらいてくださり、とてもかんしゃしております……」
トゥール=ディンがなおも惑乱していると、無言で見守っていたゼイ=ディンがその小さな肩にそっと手を置いた。
「そのように気を張る必要はない。王子ダカルマスやジェノス侯やオディフィアに対して語りかけるような心持ちで臨めばよかろう」
「え? オディフィアは関係ないでしょう?」
「オディフィアは、客の代表といったところであろうかな。そう考えれば、心が重くなることもあるまい?」
トゥール=ディンは「うん……」と目を伏せて、考え込んでしまった。
俺はもう、まな板の鯉でいくことを決断する。とにかくこのような祝宴を企画してくれた人々とそれに応じて集まってくれた人々に感謝の念を捧げればいいのだと、腹をくくることにした。
「祝宴の始まりは、もう間もなくとなりましょう。どうぞそちらで、お姿をお整えください」
そう言って、小姓は大きな姿見のほうを指し示した。
すると今度はずっと凛然としていたアイ=ファが、わずかに身じろいでしまう。
「……私は遠慮しておこう。アスタは身なりを整えるがいい」
「遠慮って何だよ。鏡なんて、もう見慣れてるだろ」
俺は渋るアイ=ファを引っ張って、ともに姿見の前に立ち並んだ。
遠めに立てば、ふたりの姿をいっぺんに映すことも可能なほど、大きな姿見である。そうして美しく着飾ったアイ=ファと並ぶ自分の姿を目にすると、俺はいっそう胸が高鳴ってしまった。
(……そうか。きっと新郎新婦のために、こんな大きな姿見が準備されてるんだな)
ともに城下町の宴衣装を纏って、たくさんの飾り物をつけられた俺たちは――それこそ、新郎新婦と見まごうばかりの姿であった。
そうして俺がひとりで情動を持て余していると、鏡の中のアイ=ファが顔を赤くする。アイ=ファは颯爽ときびすを返し、さっさと姿見の外に脱出してしまった。
「どうしたんだ、アイ=ファ?」
アイ=ファは無言のまま歩を進めて、ついには向かいの壁にまで到達してしまう。そうしてアイ=ファは壁とお見合いすることで、周囲の人々から赤い顔を隠していた。
「本当にどうしたんだよ? ……もしかして、俺と同じ想念を浮かべちゃったのかな?」
俺がそのように囁きかけると、アイ=ファは羞恥に身をよじりながら俺をねめつけてきた。
「……お前が私と同じ想念に至ることなど、ありえまい。お前は私の親たちを見たこともないのだからな」
「アイ=ファのご両親? そういえば、アイ=ファはお母さんによく似てるって話だったよな」
アイ=ファはいっそう赤くなりながら、噛みつくような勢いで俺の耳もとに口を寄せてきた。
「……そして父ギルは、お前のような黒い髪をしていた。ただそれだけのことだ」
ならばやっぱり、アイ=ファは俺と同じような想念に至っていたのかもしれなかった。
しかしそのような話を告げても、アイ=ファをいっそう惑乱させるだけであろう。というよりも、俺のほうこそが存分に惑乱していたため、これ以上この話題を続けると心臓がもちそうになかった。
「よし、深呼吸しよう。大事な会の前なんだから、心を落ち着けておかないとな」
そうして俺は、アイ=ファと一緒に深呼吸することになった。それを見守る小姓たちをあまり心配させていなければ幸いである。
それからほどなくして、奥側の扉から侍女が現れた。そちらにも、別の人間が待機していたのだ。
「間もなく、ご入場のお時間となります。こちらにどうぞ」
扉の向こうは、3メートルほどの薄暗い通路であった。
その突き当たりには細長い四角の形に光がこぼれており、大広間のざわめきが如実に伝えられてくる。会場の様子を耳で把握するために、すでに扉が半分だけ開かれていたのだ。
小姓の指示でアイ=ファと一緒に先頭に立ち並ぶと、扉の隙間からポルアースの横顔が見えた。またポルアースが進行役を受け持って、開会の挨拶をしているようだった。
「……それでは僕からの挨拶はここまでとして、本日の主賓をお招きしたく思います。試食会の料理の部で優勝を果たされた、森辺の料理人ファの家のアスタ殿です」
侍女が扉を全開にして、俺たちをその場へといざなった。
扉の外は、まばゆい光と熱気であふれかえっている。
俺とアイ=ファが足を踏み出すと、左手の側からものすごい勢いで歓声と拍手がぶつけられてきた。
そこは普段、帳や衝立などで隠蔽されている高い壇の上であり、俺たちはその横合いに設えられた扉から登場した格好であった。
壇の高さは1・5メートルほどもあり、その下に広がる大広間に300名からの参席者たちが群れ集っていた。
壇上にいるのはポルアースと、ダカルマス殿下およびデルシェア姫、そしてそれに付き従う小姓と兵士たちのみだ。
ポルアースは俺たちの登場とともに逆の側へと退き、王族の父娘は壇上の真ん中に立ちはだかっている。俺たちは事前の打ち合わせ通り、しずしずとした足取りでそちらに向かい、まずはダカルマス殿下たちに一礼してから、大広間のほうに向きなおった。
すべての衝立を取っ払って、全容をあらわにした紅鳥宮の大広間である。
300名もの人間が集まっているというのに、ぎゅうぎゅうに押し込まれているという感じではない。かくも広大な大広間であるのだ。
だがしかし、300名の人間の織り成す熱量に変わりはなかった。
しかも参席者の全員が、きらびやかな宴衣装を纏っているのだ。俺はそれこそ新たな異世界にでも迷い込んだような心地で、それらの人々に一礼することになった。
「続きまして、試食会の菓子の部で優勝を果たされた、森辺の料理人トゥール=ディン殿です」
ポルアースの声に従って、トゥール=ディンとゼイ=ディンも入場してきた。
同じだけの歓声と拍手が、トゥール=ディンにも届けられる。その段に至って、俺の胸に大きな感慨がふくれあがった。いっそ一緒に拍手をしたくなるような心地である。
トゥール=ディンとゼイ=ディンもダカルマス殿下たちに一礼し、大広間のほうに向きなおる。トゥール=ディンはその感じやすい頬を真っ赤にしていたが、表情はそれほど焦っていないように感じられた。
「それではダカルマス殿下より、記念の品を贈答していただきます」
俺とアイ=ファは回れ右をして、再びダカルマス殿下たちに向きなおった。
そうしてそちらに近づくと、デルシェア姫がにっこりと微笑みかけてくる。今日ばかりは、彼女も宴衣装の姿であった。
(……これは確かに、れっきとしたお姫様だ)
普段はお団子にまとめられている褐色の髪が、綺麗にカールしながら胸もとまで垂れている。その身に纏っているのはジェノスでもよく見かける、上半身はタイトで下半身はふわりと裾の広がった、美々しい宴衣装であった。
そうまでごてごてと飾り物をさげているわけではないが、もとより顔立ちは可愛らしいデルシェア姫である。それにこうして向かい合ってみると、彼女の白い肌にはしみひとつなくすべすべで、褐色の髪も艶やかにきらめいており、王族に相応しい気品を感じるほどであった。
(着ているものと髪型だけで、こんなに印象が変わるんだな)
デルシェア姫はずっと素顔をさらしていたのだから、急に肌質が変わったわけではないし、べつだん化粧を施している様子もない。ただデルシェア姫の男の子みたいな振る舞いによって、俺の目がくらまされていただけなのだろう。その無邪気で明朗な笑顔はそのままに、デルシェア姫は王族の姫君としての本性をあらわにしていたのだった。
「おめでとうございます、アスタ様。少しだけ屈んでいただけますか?」
デルシェア姫の言葉に従って、俺は腰を屈めてみせた。
侍女から差し出された黄色いマントが、デルシェア姫の手によってふわりと投げかけられる。黄色の濃淡でこまかい紋様が染めぬかれており、裾には金色の糸で刺繍がされた、至極瀟洒なマントであった。とても薄手で、丈は腰ぐらい。形状は、外来の客人の証である朱色の肩掛けと似ているようだ。
留め具の表側には、白銀の盤にはめ込まれた黄色い宝石が輝いている。デルシェア姫は手ずからそれを留めてくれたのだが――その指先だけは、わずかに肌質が違っていた。手首のあたりまでは作り物のようになめらかであるのに、そこから先は艶を失い、指先などは白い角質が目立っているのだ。
これは、水仕事に従事する人間の手である。
どれだけの財力で手入れをしてもおっつかないほど、デルシェア姫は調理の仕事にいそしんでいるのだろう。
庶民の出である俺などは、その一点にこそ大きな魅力を感じてやまなかった。
「さ、もういいですよ。……その身に触れずにお役目を果たすことができました」
と、そばの人間にだけ聞こえる声で、デルシェア姫はそんな風に言っていた。
俺も同じ声量で「ありがとうございます」と応じて、身を起こす。
すると今度は、ダカルマス殿下が小姓から受け取った大きな鞄を頭上に掲げて、大きな声をほとばしらせた。
「こちらはわたくしが南の王都にて厳選した、調理器具の一式と相成ります!」
大広間の人々は、新たな歓声と拍手でそれに応じる。
ダカルマス殿下は満面に笑みをたたえつつ、その手の鞄を俺のほうに差し出してきた。俺がかつてダバッグで買い求めたものよりもひと回り大きな、革製のアタッシュケースめいた四角い鞄だ。
「アスタ殿も立派な調理器具をお持ちでしょうから、こちらは予備としてお使いください!」
「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
俺は両手で鞄を受け取り、ダカルマス殿下に一礼してから、それをアイ=ファに受け渡した。そう振る舞うように、事前に小姓から伝えられていたのだ。
俺たちがもとの場所まで下がると、今度はトゥール=ディンに同じものが贈答される。それを見守るゼイ=ディンはいつも通りの沈着な面持ちであったが、その眼差しだけは果てしなく優しかった。
「それでは最後に、アスタ殿とトゥール=ディン殿から挨拶のお言葉を賜りたく思います」
ポルアースの言葉にうながされて、俺はまた大広間に向きなおることになった。
歓声は静められているが、熱気はむしろ高まっている。そして300名もの人々が、残らず俺に注目しているのだった。
今日もいちおう立食パーティの形式であるが、壇に近い場所には貴き方々のための席がたくさん準備されているし、他にもあちこちに円卓や椅子が設えられていた。立ち食いに興じるもよし、腰を落ち着けて食べるもよしという、ここ最近のジェノスで確立された様式だ。宴料理に関しても、好きなだけ皿を使っていいと申し渡されていた。
しかし今はすべての人々が佇立して、俺の姿に注目している。
貴族の中でも特に身分の高い人々は壇のそばに居揃っていたので、そちらだけは見知った顔を認識することができた。侯爵家と伯爵家の人々に、シェイラにニコラにシフォン=チェルといった侍女の面々、そして南の使節団の人々だ。
あとはもう、誰がどこにいるのかもわからない。
しかしその内の何割かは、俺が確かに見知っている人々であるのだった。
36名に及ぶ森辺の同胞たちに、宿場町の宿屋の関係者、城下町の料理人たち、ドーラのおやっさんを筆頭とするダレイムの人々に、ゲストとして呼ばれた建築屋の面々など――古くから知る相手や、試食会で知遇を得た人々など、さまざまである。
そんな人々に向かって、俺は深く一礼してみせた。
「本日は……このように立派な祝宴を開いていただき、心から感謝しています」
遠慮がちの拍手が、俺の挨拶に応えてくれる。
思っていたより、俺は緊張していなかった。
そしてその代わりに、胸の内側がじんわりと熱くなっていた。
これは喜びの感情か、誇らしさか、あるいは照れくささか――きっとそれらの混合物であるのだろう。いずれにせよ、俺は言葉を飾らずに語ることができた。
「6回にも及ぶ試食会を経て、自分はさまざまなことを学ぶことができました。そして、古くから知る方々とはいっそうご縁を深め、あまりご縁のなかった方々とも交流を持つことがかない――とても充実した時間を過ごすことができました。このように素晴らしい会を企画してくださったダカルマス殿下と、それを実現させるために尽力してくださったたくさんの方々に、感謝の念を捧げさせていただきたく思います」
言葉を区切ると、また温かな拍手が届けられる。
それがまた、俺の胸をいっそう温かくしてくれた。
「自分はまだまだ未熟者の半人前ですが、そんな自分を支えてくれるたくさんの人たちの力添えで、勲章を授かることがかないました。ジェノスにはあれだけ素晴らしい料理人の方々がおられるのに、自分がこのような結果を得られたというのは、本当に光栄なことです。これからも、この勲章に恥じない人間でいられるように力を尽くして、美味しい料理を作り続けたいと思います。今日の宴料理も森辺のみんなと一緒に頑張って作りあげましたので、この日の喜びを分かち合えたら嬉しく思います。……今日はご来場ありがとうございました」
そうして俺が一礼すると、お行儀のよさを取っ払った拍手と歓声が渦を巻いて躍りかかってきた。
俺はその圧力に押し倒されないように、ぐっと足を踏ん張ってみせる。
これだけ大勢の人々が、俺なんかのことを祝福してくれているのだ。
中にはおたがい、まったく見知らぬ相手も多いことだろう。初めて祝宴をご一緒する貴族の方々だとか、宿場町やダレイムやトゥランにおいて名士と分類される人々などが、この場にはどっさりと集められているのだ。そもそも俺には300名もの知人はいないのだから、100名や150名ぐらいは完全無欠の初対面なのだろうと思われた。
しかしそんな人々も、この祝宴によって俺の料理を食べることになる。
たとえこの日に挨拶することもできず、おたがいに見知らぬまま終わることになったとしても――それは、ひとつのご縁であるはずだった。
俺は300名もの人々と、ご縁を結び、ご縁を深めることができるのだ。
そのように考えると、俺の胸にはいっそうの感慨がふくらんでやまなかった。
俺はポルアースに急かされないうちに後ずさって、アイ=ファのもとに舞い戻る。
両手で調理器具の鞄をさげたアイ=ファは、とても情感のこもった眼差しで俺を見つめていた。
涙を浮かべたりはしていないし、その顔も静かな無表情のままだ。
ただその青い瞳には、アイ=ファにしてもちょっと珍しいぐらい、さまざまな感情がうねりをあげているようだった。
「それでは続いてトゥール=ディン殿、よろしくお願いいたします」
大歓声の中、トゥール=ディンがちょこちょこと進み出る。
俺は斜め後方からそれを見守る格好であるが、わずかに垣間見えるトゥール=ディンの横顔は、とても晴れがましい表情を浮かべており――そしてその目に涙をにじませているようだった。
「……今日はこのように立派な祝宴を開いていただき、心より感謝しています」
トゥール=ディンの声は、まったく上ずっていなかった。
抑制された拍手が鳴り響き、それが静まるのを待ってから、トゥール=ディンは言葉を重ねる。
「わたしこそ、このように若年で未熟者のかまど番です。でも……わたしが自分を卑下すれば、それは試食会で腕を競ったすべての人々をも卑下することになってしまうのでしょう。わたしはみなさんがどれだけ素晴らしいかまど番であるかを思い知ることになりましたし……そんな中で、自分などが勲章を授かることになったのが、今でも信じられない心地です」
トゥール=ディンの目から光るものが流れ落ち、頬を伝って床に滴った。
トゥール=ディンは懐から取り出した織布で涙をぬぐい、「申し訳ありません」と頭を下げる。
「だけどわたしは自分を卑下することなく、この勲章を誇りとして押し抱きたく思います。そしてアスタと同じように、この勲章に相応しいかまど番を目指したく思います。わたしなどにこのような誇りを与えてくださったみなさんと、試食会という場を作ってくださったみなさんに、心から感謝しています。……どうもありがとうございました」
人々は、さきほどに負けない勢いの歓声と拍手でトゥール=ディンを祝福してくれた。
壇のすぐそばにいるオディフィアは、ぽろぽろと涙をこぼしながらぺちぺちと小さな手を叩いている。トゥール=ディンはそちらに優しい微笑を投げかけてから、父親のもとに引き下がった。
「アスタ殿、トゥール=ディン殿、ありがとうございました。……それではダカルマス殿下より、開会のご挨拶を賜りたく思います」
「はいっ! もはや言葉は不要でありましょう! この場に参じてくださったすべての方々と、アスタ殿とトゥール=ディン殿の心尽くしをいただくという喜びを分かち合いたく思います! ……どうぞ皆様、祝杯をお掲げください!」
俺たちのもとにも、硝子の酒杯が回されてきた。中には緋色の液体がたたえられており、アロウの香りが漂っている。俺とトゥール=ディンが酒をたしなまないことは事前に告げてあるので、冷たいアロウのお茶を準備してくれたのだ。
「アスタ殿とトゥール=ディン殿の成し遂げた偉業と、光り輝く行く末に、祝福を!」
森辺の祝宴のように「祝福を!」という声が唱和されることはなく、ただ人々はそれぞれの酒杯を高く掲げる。そしてそれに口をつけた後、酒杯を卓に置いて盛大な拍手を打ち鳴らしてくれた。
「では、どうぞこちらに」
石造りの屋根や壁を揺るがしそうな拍手の中、俺たちは壇の下へと導かれる。
そうして案内されたのは、貴き方々のための席だ。そこに顔をそろえていたのは、ジェノス侯爵家と使節団の面々であった。
「アスタにトゥール=ディン、お疲れ様。それに、あらためまして、おめでとう。とても素晴らしい挨拶であったわ」
エウリフィアが、優雅に微笑みかけてくる。そのかたわらで、オディフィアは織布でごしごしと顔をぬぐっていた。
侯爵家はいつもの4名で、使節団はロブロスとフォルタのみだ。本日は使節団の面々も全員参席という話であったので、書記官は他のお仲間と一緒にいるのだろう。
やがてダカルマス殿下とデルシェア姫もやってくると、ようやく一同は着席する。俺とトゥール=ディンは王家の方々の真向かいであり、左右はアイ=ファとゼイ=ディンが固めてくれた。
「ああ、贈答の品はそちらの小姓たちにね。……それにしても、アイ=ファの美しさは祝宴のたびに光を増していくようね。同性のわたくしでもうっとりさせられてしまうわ」
アイ=ファは凛々しい面持ちで、ただ「いたみいる」とエウリフィアに返す。
その間も、トゥール=ディンとオディフィアはそれぞれちょっと赤くなった目でおたがいを見つめていた。
「では、半刻ばかりおつきあいくだされ! その頃には、ひと通りの料理を口にできるでしょうからな!」
ダカルマス殿下が、馬鹿でかい笑い声を響かせる。
それに呼応するかのように、大広間にはこれまで以上の熱気がたちこめ始めているようであった。