礼賛の祝宴②~下準備~
2021.8/24 更新分 1/1
300名分の宴料理の準備というのは、やはり生半可な仕事ではなかった。
行きがけにナハムの末妹が言っていた通り、今日は10種以上の料理を準備する予定であったのだから、なおさらである。城下町の祝宴では、それぐらいの品数を出すのが通例という話であったのだ。もちろんこちらが品数を減らしたいと願っていたならば、譲歩してもらえたのかもしれないが――俺はなるべく、相手側の意向に沿いたいと考えていた。
「本当に、お前は無理をしているわけではないのだな?」
三族長らとの会合を終えた後も、俺はアイ=ファからそのように再確認されていた。
「うん。ダカルマス殿下が俺ならできると見込んでくれたんなら、その期待に応えたいと思う。義理とか見栄とか、そういう話じゃなくって……俺自身が、自分の力を試してみたいんだ」
俺がそのように答えると、アイ=ファは無言のまま俺の頭をわしわしとかき回していたものであった。
それからほとんど10日がかりですべての段取りを整えた俺は、無事にこの日を迎えることになった。
俺の手伝いを了承してくれた39名の女衆らも、それぞれ熱意をみなぎらせて仕事を進めてくれている。森辺にはこれだけのかまど番が育っていたからこそ、俺もこの大役を引き受けようという覚悟を固めることがかなったのだった。
さすがにこれだけの人数であるのだから、初めて城下町で仕事を果たすという人間も少なくはない。しかしそういった人々も、臆することなく作業に取り組んでくれていた。白い調理着に袖を通して、初めて踏み入る城下町の厨で、懸命に力を尽くしてくれているのだ。
「この中でもっとも経験の足りていないかまど番というのは、きっとわたしたちなのでしょうね」
作業中、そんな風に発言したのは、族長ダリ=サウティの伴侶であるミル・フェイ=サウティだ。そして彼女のかたわらでは、ヴェラの家長の若き伴侶もともに働いている。本日はサウティの血族の代表として、彼女たちが祝宴に参席することになったのだった。
「わたしたちが退けば、他の力ある女衆をあてがうこともできましたのに……アスタには手数をかけさせてしまい、申し訳なく思っています」
「とんでもありません。サウティの方々だって、ルウの眷族から調理の手ほどきをされているのでしょう? 見たところ、まったく遜色はないように思いますよ」
「ですがサウティの血族に限っても、アスタから直接手ほどきを受けた3名はすでにその成果を表しています。わたしたちが力不足という事実に疑いはないのでしょう」
と、凛々しい面立ちで語らっていたミル・フェイ=サウティは、そこでふっと表情をやわらげた。
「でも、祝宴に客として招かれている他の女衆も、すべてアスタやトゥール=ディンの手伝いをするという話であったので……わたしたちだけがのうのうと夕刻にやってくる気にはなれなかったのです。足りない技量の分は気力で補う覚悟ですので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そのように言っていただけると、とても心強いです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そうして会話が一段落すると、同じ厨で働いていたナハムの末妹がこっそりと呼びかけてきた。
「族長の伴侶というのは、やはりあれほどの威厳をお持ちなのですね。なんだか格好よくて、憧れてしまいます」
「あはは。ミル・フェイ=サウティが族長の伴侶っていう身分になったのはここ2年の間なんだから、おおよそは本人の資質なのかもしれないけど……でも、格好いいって意見には心から同意するよ」
こういう際に駆り出されるのは若年の女衆が多いので、20代半ばのミル・フェイ=サウティが飛びぬけて最年長ということになってしまうのだ。しかし彼女の持つ威厳や貫禄というものは、ひそかな心強さを他のメンバーに与えてくれているように思えてならなかった。
「ミル・フェイ=サウティが力不足だなどとは、とうてい思えません。わたしこそ、アスタの迷惑になってしまわないように力を尽くしたく思います」
と、別の側からはクルア=スンがそのように呼びかけてくる。今日はヤミル=レイとリリ=ラヴィッツを除く屋台のメンバーが勢ぞろいしているため、ついに彼女も城下町における仕事を果たすことになったわけである。
クルア=スンやラヴィッツの血族の女衆などは、ずいぶんつつましい気性をしている。しかしそんな彼女たちも、不安や気後れを押し殺して、懸命に働いてくれていた。なおかつ、仕事の前半は肉や野菜を刻む下ごしらえの仕事ばかりであったため、そういう手慣れた作業に没頭しているうちに、彼女たちも普段通りの落ち着きを取り戻せた様子であった。
俺は自分の作業が一段落するたびに、マルフィラ=ナハムたちに留守を任せて、他の厨の様子の確認に出向いていたが、そちらでも作業は滞りなく進められていた。
ユン=スドラの班は小さき氏族、リミ=ルウの班はルウの血族、レイナ=ルウの班はそれらの入り混じった混成部隊という割り振りであるが、頼もしい班長のもとに確かな結束が生まれている様子である。
「うん! これだけの人数をかき集めても、きっちり統制が取れてるね! ほんとに森辺のお人らって、ひとりひとりの技術と意識が高いんだなあ」
見学役のデルシェア姫も、にこにこと笑いながらそのように語らっていた。
ちなみに本日の彼女は4つの厨を等分に見回っており、時には白鳥宮のトゥール=ディンのもとまで足をのばしているためか、これまでほどの存在感は感じられなかった。どことなく、会話を楽しむことよりも作業の見学に集中している様子でもある。彼女と父君の滞在もいい加減に終わりが近いのだろうから、そちらもそちらで気合が入っているのかもしれなかった。
そうして中天を迎えたならば、中休みを入れて昼食をいただく。
どのような昼食を準備するかは、それぞれの班長に任せていた。俺の班は、具材たっぷりのギバ汁と焼きポイタンだ。気軽な炊き出しには豚汁というイメージが、俺の中に根付いているのかもしれなかった。
そしてこの中休みにも、デルシェア姫はじっとしていなかった。あらかじめ、すべての厨でひと口ずつおすそ分けをお願いしたいと提案されていたのだ。それで俺たちの準備したギバ汁をぺろりとたいらげると、元気な姫君は至極満足そうな面持ちで厨を出ていってしまったのだった。
「あやつの相手をせずに済むのは僥倖だが……一緒に引き回されているロデなる者には、同情したくなってしまうな」
同じ料理を口にしていたアイ=ファは、こっそりそのように告げてきた。確かにまあ、ロデの苦労はしのばれるところである。俺としては、気ままな子犬の散歩に振り回される飼い主などをイメージしてしまっていた。
そんなこんなで中休みを終えたら、作業再開だ。
祝宴の開始は下りの五の刻で、参席者には着替えなどの事前準備があったため、遅くともその半刻前には仕事を切り上げてほしいと言い渡されていた。50名中の30名は最後の最後まで居残れるものの、かまど番の熟練者はのきなみ祝宴の参席者に含まれているので、俺としてはそれまでにすべての仕事をやりとげたく思っていた。
「さ、これでこっちの料理は、一段落かな。他の厨の様子を見てくるんで、次の準備をお願いするよ」
「は、は、はい。しょ、承知いたしました」
マルフィラ=ナハムのふにゃんとした笑顔が、とても心強い。2度にわたって試食会で料理を作らされたマルフィラ=ナハムは、いよいよ度胸がついた様子であった。今日などは俺の指示に従えばいいのだから、何も気負うことはない――と、ずいぶんリラックスしているように感じられる。こうしてダカルマス殿下の行いは、多くの人間を成長させているのだった。
「……確かにこれは、お前が祝宴の取り仕切り役を果たしていた頃を思い出すな」
と、他なる厨を目指して回廊を進んでいると、同行していたアイ=ファがそのようにつぶやいた。
「お前が最後に祝宴の取り仕切り役を果たしたのは……最初の合同収穫祭までさかのぼるのだろうか?」
「うん、そうかもしれないな。城下町では厨を任されることも多かったけど、たいていはレイナ=ルウが半分の責任を担ってくれたしさ」
「うむ。お前が自身の力を試してみたいと言っていた意味が、ようやく理解できたように思うぞ」
と、付添人の小姓に気づかれないよう、アイ=ファはこっそりと微笑みかけてきた。
「レイナ=ルウやトゥール=ディンやマルフィラ=ナハムたちは、血族の祝宴でこのようにせわしなく立ち働いていた。それはかつてのお前を想起させる姿で、とても心強く思えたものだが……そうして他のかまど番が育つにつれ、お前が取り仕切り役を担う機会もなくなっていたということだな」
「うん。特にルウ家の祝宴なんて、どんどん客人が増えて大がかりになってきただろう? 俺が取り仕切り役を担っていた頃は、あれほどの人数になることもなかったから……立派に取り仕切り役を果たしているレイナ=ルウはすごいなあって思ってたんだよ」
「しかしレイナ=ルウは、お前を見習ってそれほどの力をつけたのだ。今日は、お前が本来の力を見せる番なのであろう」
「あはは。言っておくけど、俺が100人単位の祝宴を取り仕切るなんて、ガズラン=ルティムたちの婚儀が初挑戦だったんだからな?」
俺は気安くそのように応じてみせたが、アイ=ファの眼差しには思いも寄らないほど真剣で温かい光が宿されていた。
「つまりお前は森辺に来てからも、たゆみなく成長を続けているということだ。私はそれを、もっとも近い場所から見届けてきた。……お前の成長を、私は心から誇らしく思っている」
俺は一瞬で心臓を射抜かれてしまったが、うまい返事を思いつく前に厨へと到着してしまった。
こちらは、レイナ=ルウが班長を務める厨だ。試食会でも助手の役を担っていたレイの女衆を腹心として、レイナ=ルウはてきぱきと指示を下していた。
「ああ、アスタ。こちらの仕上がりも順調です。誰かが鍋でもひっくり返さない限り、ゆとりをもって仕事を終えることができるでしょう」
「そっか。ありがとう。やっぱりレイナ=ルウは、頼りになるね」
レイナ=ルウは腕が立つというだけでなく、城下町の厨における調理にもっとも手馴れているひとりであるし、それに何よりルウの祝宴を取り仕切ったり、サトゥラス伯爵家の依頼を独自に受け持ってきたりという実績を積んでいる。もちろんユン=スドラやリミ=ルウにも頼りないところなどは皆無であるが、それにしてもレイナ=ルウは頭ひとつ抜けているという印象であった。
(それに、気合もばっちりだしな)
今日のレイナ=ルウは、朝からきりりと引き締まった面持ちのままであった。ジェノス中の立場ある人間が集結するこの祝宴で、決して不出来な料理は出せない――という意識であるのだろうか。レイナ=ルウは「喜びを分かち合う」という大前提を損なわないまま、矜持や誇りといったものを原動力にできるタイプであるようなのだ。
「それじゃあ、引き続きよろしくね。何かあったら、すぐに連絡をおくれよ」
「はい。どうぞおまかせください」
その後、ユン=スドラとリミ=ルウの厨も巡ってみたが、そちらでも不測の事態は発生していなかった。
以前にデルシェア姫との会話でもあげられた通り、森辺の民には卓越した気力と体力が備わっているのだ。これだけ長時間に及ぶ仕事でも、途中でめげることもなく、集中力を切らせずにいられる。確かにこれは、料理人として大きな資質なのだろうと思われた。
そして、俺自身についても――たとえばこれが森辺にやってきた当初であったなら、300名分の宴料理を準備したあげく、祝宴の主役として祀りあげられるだなんて、気力や体力が追いつかなかったことだろう。初めて祝宴の取り仕切り役を任されたガズラン=ルティムたちの婚儀において、俺はもう自分の食事を口にするのも億劫なぐらい精魂尽き果てることになってしまったのだ。
この2年間で、俺は確かに成長している。きっと身長だって5センチ以上はのびているし、痩せっぽっちの身体にもけっこう筋肉がついてきているのだ。森辺の男衆に囲まれていると、まったく自慢する気にもなれないのだが――しかし先日アイ=ファから指摘されたことによって、俺は自分が森辺の女衆に負けないぐらいの体力を身につけたことを実感できたのだった。
俺は成長しているし、他のみんなも成長している。初めて体験するこの礼賛の祝宴という大がかりなイベントが、その成長をいっそう実感させてくれるようだった。
◇
そうして着々と時間は流れすぎ――
下りの四の刻を四半刻ほど回ったところで、俺の厨の作業はおおよそ終了した。
「よし。あとは、シャスカを炊きあげるだけだね。量が量なんで大変だろうと思うけど、どうかよろしくお願いするよ」
「はい!」と頬を火照らせながら応じたのは、ベイムの眷族であるダゴラの女衆であった。祝宴の参席者となる人間を外すと、彼女がもっとも経験豊富な実力者となるため、後事を託すことになったのだ。
そうして俺たちが厨を出ると、ちょうど他の厨からも参席者となるメンバーが集まってくるところであった。
その中から、エプロンドレスのリミ=ルウが「わーい!」とアイ=ファに跳びついた。
「あ、デルシェアも着替えとかがあるから、お先に失礼するねーだって! アスタによろしくーって言ってたよ!」
「うん、了解。それじゃあ俺たちも、着替えに行こうか」
トゥール=ディンたちは着替えも白鳥宮で済ませるという話であったので、こちらの総勢はかまど番が16名、狩人が8名となっていた。
小姓の案内で、まずは浴堂へと導かれる。朝から調理では汗だくとなってしまうため、時間にゆとりがあれば再び身を清めるようにと言い渡されていたのである。
浴堂に到着すると、そこではすでに後続の狩人たちが身を清めていた。やはりそちらもギバ狩りの仕事を果たした後であったので、まずは身を清めるべしと申しつけられたのだそうだ。
「ディンやリッドの3人は、白鳥宮とやらに連れていかれたぞ。ザザの血族は、そちらに集められているそうだな」
そのように告げてくれたのは、以前の試食会で護衛役を担っていたガズの長兄であった。彼も後続部隊のひとりであったのだ。
俺たちは簡単に汗を流したのち、ガウンのようなものを着させられて、お召し替えの間へと導かれる。このような待遇を受けるのも、ちょっと懐かしいところであった。
お召し替えの間には仕立て屋と手伝いの小姓がどっさりと待ち受けており、15名にまで膨れ上がった男衆に片っ端から宴衣装を纏わせてくれた。
「これが、城下町の装束ですか。なるほど、なかなか珍妙なものですね」
朗らかな気性だが歯に衣を着せないジョウ=ランが、そのように称していた。彼も何度か城下町には参じているはずだが、宴衣装を着させられるのは初めての体験であったのだ。
本日準備されていたのは、セルヴァ流の宴衣装であった。ふわりとしたワンピースのような長衣の上から、袖なしで丈の長い上衣を羽織り、首飾りや腕飾りなどを装着する様式だ。森辺の民がこれを着用させられるのは、闘技会の祝宴以来であった。今回は大人数で、きっちりとした採寸をする時間もなかったため、サイズ感に幅のあるこちらの宴衣装が採用されたのだろうか。
ちょっとしたデザインやカラーリングなどは異なっているが、全員が同じ様式の宴衣装で、外来の客人の証として朱色の腕章をつけられている。15名もの男衆がこのような宴衣装を纏うというのは、なかなかに壮観であった。森辺の狩人はみんなスタイルがいいので、たいていの衣装がさまになるのだった。
「ふん。まったく窮屈なことはないが、ますます狩人らしからぬ風体になってしまうようだ」
と――皮肉っぽい口調で言いたてたのは、ラヴィッツの長兄であった。本日も、彼とモラ=ナハムはマルフィラ=ナハムの血族として参席を許されたのだ。
彼は容姿が独特であるために、ひとりだけちょっと雰囲気が違ってしまっている。本日も落ち武者めいたざんばら髪が油で綺麗に整えられていたものの――妙にごつごつと骨ばった顔立ちで、背も低く、いつもにやにやと不敵な笑みをたたえているためか、なんとなく成金の悪徳商人みたいに見えてしまった。
「しかしお前は、なかなかの迫力だな。このようにずんべんだらりとした装束を纏っていると、まるで壁のようだぞ」
ラヴィッツの長兄が、そんな言葉でモラ=ナハムをはやしたてる。背丈は180センチをわずかに超えるていどであるが、彼はとにかく骨太のどっしりとした体格をしており、モアイ像のように四角くて厳つい顔をしていたため、確かに独特の迫力が生まれてしまっていた。
ただ、そんな彼らもこうして寄り集まると、決して浮いて見えたりはしなかった。顔立ちや体格の差異などは、森辺の狩人がかもしだす独自の空気に包まれてしまうものなのだ。容姿が端麗でもそうでなくても、体格が大柄でも小柄でも、その内から発せられる野生の生命力には何ら変わりはなかったのだった。
(そんなことを言いだしたら、狩人じゃない俺ひとりが浮いちゃいそうだもんな)
そんな想念を浮かべる俺のもとには、まだ複数の小姓たちが集まって、飾り物の装着にいそしんでいる。なんだかずいぶん念入りだなあと思って視線を自分の身に落とすと、そこには他の男衆よりも華美なる飾り物がきらめいていた。
「あの、俺だけちょっと趣が違いませんか?」
「はい。アスタ様は、本日の主賓でありますので」
そう言われてみると、俺も同じ様式の宴衣装であるのだが、袖口や上衣の刺繍などが、他よりも豪華であるように感じられた。胸もとや手もとに輝く飾り物も、貴婦人のように豪奢であるようだ。
なおかつ俺は、これまでに授かった3つの勲章を持参するように言い渡されており、それもばっちり胸もとに並べられてしまっていた。
(まいったなあ。あんまり華美なのは趣味じゃないんだけど……)
すると、目の前の小姓がふっと面をあげて、俺の髪にそっと手をあててきた。
「アスタ様は、毛先のはねやすい髪をしておられるようですね。油でお整えいたしましょうか?」
「あ、いえ、けっこうです。髪はこのままが気にいっておりますので」
こんな提案をされるのも、ずいぶんひさびさのことであった。しかし俺がリーハイムのように気取った頭をしたところで、失笑を買うだけであろう。
そんなこんなで、ようやく全員の着替えが完了した。
まだ祝宴の開始にはゆとりがあるとのことで、今度は控えの間へと導かれる。今日は大人数であるためか、広間と呼びたくなるほど広々とした部屋であった。
宴衣装を纏った男衆たちは思い思いにくつろいで、歓談に興じている。多少の緊張を見せている者もいなくはないが、それでもやはり屈強の狩人であるからして、宿場町の人々のように浮かれたり心を乱したりはしていなかった。
この場にいるのは、俺を除くと14名――ジザ=ルウ、ルド=ルウ、シン=ルウ、ジーダ、ガズラン=ルティム、ダリ=サウティ、ヴェラの家長、チム=スドラ、ジョウ=ラン、モラ=ナハム、ラッツの家長、そして、ラヴィッツ、ガズ、ベイムの長兄という顔ぶれであった。原則として、族長筋と試食会に関わった氏族から選出された格好である。例外は、ラッツの家長ぐらいであろうか。ラッツはファの家とも関わりが深いし、族長筋に次ぐ大きな氏族であるために、最後の最後で組み込まれたのだという話であった。
しばらくすると扉がノックされたので、女衆の身支度が終わったのかと思いきや、白鳥宮に出向いていたメンバーであった。
こちらはトゥール=ディンとリッドの女衆、ゼイ=ディンとディンの長兄、それにリッドの長兄に加えて、ゲオル=ザザ、スフィラ=ザザ、ディック=ドム、モルン・ルティム=ドムという顔ぶれである。女衆は4名のみであったが、それでもぱあっと室内が明るくなるような華やかさであった。
「おお、アスタもしっかり飾りつけられているな! 男衆がそうまで飾りつけられるというのは、やはり珍妙なものだ!」
ゲオル=ザザが、豪快な笑い声を響かせる。そのかたわらで、トゥール=ディンは気恥ずかしそうにもじもじとしていた。
女衆の宴装束も基本のデザインは男衆と似ているが、やはり刺繍や飾り物のきらびやかさが違っている。その中でも、主賓のトゥール=ディンは特に念入りに飾りつけられていた。そしてその胸もとにきらめくのは、かつてオディフィアから贈られた飾り物と、黄色と赤色の勲章だ。
ただ、一部の男衆はトゥール=ディンではなくスフィラ=ザザのほうに目を吸い寄せられていた。女性用の宴衣装は大きく襟ぐりが開いているために、肢体が発育していると胸の谷間がものすごく強調されてしまうのだ。それにこちらの装束はきわめて薄手の生地を使っているために、これだけゆったりとしたデザインであってもくびれた腰や脚線のシルエットが出やすく、露出は少ないのにやたらと艶めかしく見えてしまうのだった。
リッドの女衆も年頃はスフィラ=ザザと変わらないぐらいであるのだろうが、そちらは実に罪のない可愛らしさになっている。スフィラ=ザザは俺よりも1歳年少であるがとても大人びた容姿をしているし、プロポーションもそれ相応であるために、こうして若い男衆らの胸を騒がせてしまうようだった。
「ふーん。あんたはやっぱり色っぽいな。あんたのほうが大丈夫でも、レイリスのほうが心を乱しちまうんじゃねーの?」
遠慮というものを知らないルド=ルウがそのように言いたてると、姉の代わりにゲオル=ザザが笑い声を響かせた。
「スフィラもレイリスも、おたがいを伴侶に迎えることはあきらめると誓ったのだ! レイリスがその前言をひるがえすような柔弱者であったなら、もういっぺん俺が闘技で叩きのめしてやろう!」
スフィラ=ザザは鋭くすがめた目で、弟の姿をねめつけた。
ゲオル=ザザは勇猛だが意外に端整な顔に陽気な笑みを浮かべたまま、それを見返す。
「なんだ、その目は? あやつがそのような柔弱者でないことは、俺のほうがわきまえている。お前が森辺で大人しくしている間も、俺はたびたびあやつと顔をあわせていたのだからな! あやつはどれだけお前の色香に惑うても、決して前言をひるがえしたりはしないだろう。安心して、色香を振りまいておけ」
「だ、誰も色香など振りまいてはいません!」
「俺は家族だからよくわからんが、お前の色香はなかなかのものであるそうだぞ。とっとと伴侶を見つくろって、レイリスを安心させてやることだな!」
ゲオル=ザザはダン=ルティムのようにガハハと笑いながら、ずかずかと室内に踏み込んできた。わなわなと肩を震わせるスフィラ=ザザをなだめながら、リッドの女衆もそれに続く。
そして、それに続こうとしたゼイ=ディンが、通り過ぎざまに俺に耳打ちしてきた。
「どうもゲオル=ザザは、トゥールのためにこのような祝宴が開かれることを、たいそう喜んでくれているようでな。祝宴の始まりが近づくごとに、心が浮き立ってしまったようなのだ」
「ああ、なるほど……でもきっと、ゼイ=ディンの喜びにはかなわないでしょうにね」
「俺はゲオル=ザザほど、若くはないからな」
そう言って、ゼイ=ディンはきわめて魅力的な微笑をたたえた。それを見上げるトゥール=ディンのほうこそが、涙をこぼしそうになるぐらい幸福そうな面持ちになっている。
そしてその間に、ディック=ドムがルド=ルウへと声をかけてきた。
「ルド=ルウよ。今日はあの花飾りの習わしというものを取りやめたそうだな」
「あー、どうもあれは、森辺の民のために引っ張り出した、古い習わしみたいでよ。そろそろそんな習わしには頼らねーで、ひとりひとりがセツドを持つべきとかいう話になったみたいだなー」
花飾りの習わしというのは、祝宴のパートナーを連れていることや既婚者であることを示す、赤と青の花飾りについてであった。森辺の民が気安く――あるいは真剣に――恋のお誘いなどを受けないようにと、貴族の人々がそんな習わしを引っ張り出してくれたのである。
ただそれでも、余人の伴侶や祝宴のパートナーに色目を使うことは、城下町の祝宴において絶対のタブーであるそうだ。今回取りやめられたのは、それを可視化するための花飾りの装着についてであった。
「ま、気安く色恋の話なんざふっかけられたら、おめーにシュミラル=リリンぐらいの覚悟はあるのかって聞いてやりゃあいい話だしなー。俺は最初っから、花飾りなんざ必要ねーと思ってたよ」
「うむ……まあ、それはそうなのかもしれんな……」
「なんだよ、モルン・ルティム=ドムが誰かにちょっかいを出されるかもとか心配してんのかー? ディック=ドムも、意外に心配性なんだなー」
「べ、べつだんそのようなことを心配していたわけではない」
精悍なる表情はほとんど崩さないまま、ディック=ドムは慌てた声をあげる。そんな伴侶の姿に、モルン・ルティム=ドムはくすりと笑った。
「大丈夫ですよ。祝宴の間はずっとおそばにありますので、おかしなちょっかいをかけられることなどはありません」
「いや、俺のことなどはかまわずに、モルン・ルティムは好きに振る舞うがいい」
「でしたら、やはりおそばにあります。ディックにおかしなちょっかいがかけられたりしないか、わたしのほうが心配になってしまいますもの」
ディック=ドムは羞恥に頬を染めたりはせず、ただ優しい眼差しで伴侶の姿を見下ろした。やはり同い年とはいえど、俺などとは比べ物にならない落ち着きだ。それに、190センチを超える長身で古傷だらけの引き締まった顔をしたディック=ドムは、城下町の優美な宴衣装を纏っていようとも、闘神の休日とでも名付けたいような雄々しくも美々しい様相となっていた。
そしてそこに、再びノックの音が響きわたる。今度こそ、こちら陣営の女衆たちである。
「失礼いたします。お連れ様をご案内いたしました。間もなく祝宴の開始となりますので、もうしばしこの場でお待ちください」
侍女の言葉とともに、16名もの女衆らがしずしずと入室してくる。それこそ、室内が花畑と変じたかのような絢爛さであった。
レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、レイの女衆。ユン=スドラ、イーア・フォウ=スドラ、マルフィラ=ナハム、ナハムの末妹。レイ=マトゥア、ガズの女衆。フェイ=ベイム、ミル・フェイ=サウティ、ヴェラの家長の伴侶、ラッツの女衆――そして、アイ=ファである。
俺の目は、当然のようにアイ=ファへと引きつけられてしまう。
自然に垂らされた金褐色の髪には、俺の贈った髪飾り、襟ぐりの開いた胸もとには、俺の贈った首飾り――城下町の宴衣装でも、それらの飾り物は溜息が出るほど似合っているように感じられた。
それにどうも、他の女衆よりも装束や飾り物が豪奢であるように見受けられる。そこまではっきりとした差異ではないのだが、生地や刺繍の具合だとか、腕飾りの重なり具合だとか――ベースとなる長衣などは光の加減で玉虫色に照り輝き、本当にアイ=ファ自身が光り輝いているのではないかと錯覚してしまうほどであった。
そんな城下町の宴衣装を纏ったアイ=ファは、かつて習い覚えた作法でもって、誰よりも優雅に歩を進めてくる。金褐色の髪や長衣の裾がふわりと揺れて、息を呑むほどの美しさだ。
そうして俺の目の前に立ったアイ=ファは、いつも通りの落ち着いた目で俺を見つめてきた。
「……お前はずいぶん、華美な装束をあつらえられたようだな」
「そ、それはこっちの台詞だよ。前回とは、また違う装束なんだな」
「うむ。お前が主賓という役割であるため、その付添人たる私にも別の装束が準備されたという話だ」
そうしてアイ=ファは軽くのびあがると、俺の耳もとにやわらかい声を注ぎ込んできた。
「これだけ華美な装束でも、この飾り物に問題はないと言われた。……存外に、お前の目は確かであったようだな」
そういえば、俺が新たに贈った首飾りのオプションパーツは、こういった日のために準備したものであったのだ。
瀟洒な白銀の鎖と葉っぱをモチーフにした飾り物は、かつて贈った青い宝石を中心にして、アイ=ファの胸もとに燦然と輝いている。
そして、俺の耳もとから口を離したアイ=ファは、他の誰にも見られないように気をつけながら、それよりも輝かしい笑みを広げたのだった。