最後の試食会・料理編⑤~勝負の行方~
2021.8/10 更新分 1/1
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そうして、下りの六の刻――外界ではちょうど太陽が没した頃、ついに投票の刻限である。
俺たちはそれなりの時間を貴き方々の席の前で過ごしていたせいか、本日もあっという間にその時間を迎えたような心地であった。
ここから結果の発表までは半刻ぐらいもかかるので、投票権を持たない人間にとってはまるまる自由時間だ。普段以上に落ち着かない心地を抱きながら、俺はその日もその時間を貴き方々への挨拶にあてることにした。
「フェルメス、お疲れ様です。ひと月にわたって開催されてきた試食会も、これでようやく終了ですね。今日なんかは魚介の料理がひとつもなかったから、すっかりお腹が空いてしまったでしょう?」
ダカルマス殿下の侍女や小姓の耳をはばかって、俺はそのように囁きかけてみせた。
緑と茶色の入り混じったヘーゼル・アイを切なげに輝かせながら、フェルメスも乙女のように可憐な唇を俺の耳もとに寄せてくる。
「毎回毎回僕などのことを気づかってくださり、アスタには感謝しています。……アスタの料理は、とても好評であったようですね」
「そうですね。幸い、たくさんの方々からおほめの言葉をいただくことがかないました」
「それを口にできない僕には確かなことを判ずることもできませんが、きっとアスタはその尽力に見合った栄誉を授かることになるでしょう。陰ながら、見守らせていただきます」
いつになく謙虚なフェルメスに礼を言い置いて、俺はリフレイアやリーハイムたちにも挨拶をさせていただいた。
そうしてさらに進軍すると、ロブロスたちやジェノス侯爵家の席となり――その突き当たりに待ちかまえるは、デルシェア姫だ。
「お疲れ様です、アスタ様。いったいどのような結果になるか、楽しみなところですわね」
おしとやかな口調でそのように言ったきり、デルシェア姫は口をつぐんでしまう。
その顔はいつも通りの笑顔であったが、彼女にしてはずいぶん淡泊な対応だ。このまま引き下がっていいものかどうか、俺がいくぶんまごまごしていると、デルシェア姫はちょっと迷うように小首を傾げてから手招きをしてきた。
「実はさ、昼の一件のせいで、ロデがやたらと心配しちゃってるんだよねー。今日ぐらいは大人しくしておこうと思うから、アスタ様は気にせずに好きなお相手と過ごしてくれる?」
「そ、そうですか。承知しました」
昼の一件とは、もちろんデルシェア姫が俺に対して抱いていた心情についてであろう。それはおつきの武官ともなれば、心配にならないはずがなかった。
そんなわけで、俺は同胞たちの待つ広間のほうへ戻ることにする。その道行きで、デルシェア姫との内緒話をアイ=ファに伝えておこうかと思ったが、先に「不要だ」と言われてしまった。
「あのていどの声であれば、私にも聞き取れる。……あやつにしては、ずいぶん殊勝な物言いであったな」
「うん。ちょっと心配だな」
「……『今日ぐらいは』と言い置いていたのだから、心配には及ぶまい」
と、アイ=ファは横目で俺をねめつけてくる。
ここでデルシェア姫を心配して、しかもアイ=ファに同意を求めるというのは、あまりにデリカシーのない発言であったかなと、俺は反省した。
「あ、アスタにアイ=ファ! 今日はお早いお戻りでしたね!」
広間の一画に寄り集まった森辺の同胞の中から、レイ=マトゥアがぶんぶんと手を振ってくる。投票の列に並んだり貴き方々への挨拶に出向いたりで、その場には彼女とマルフィラ=ナハムとナハムの末妹、それにラヴィッツの長兄の姿しかなかった。なおかつマルフィラ=ナハムは、宿場町と城下町の人々に取り囲まれて、あれこれ質問責めにされている様子だ。
「いったいどのような結果になるのでしょう! わたしには、さっぱり想像がつきません!」
「そうだねえ。やっぱりあれだけ趣の違う料理がそろうと、選ぶほうは大変だろうと思うよ」
「はい! それに、不出来な料理なんてひとつもありませんものね! 特にヴァルカスの料理なんて、口にしてしばらくは考えがまとまらないぐらい驚かされてしまいました!」
「あ、わたしもそのように思いました! しかもギバ肉の料理であったのですから、なおさら驚きです!」
と、ナハムの末妹も元気に声をあげてくる。どこか似た雰囲気を持つこちらの両名も、着々と親睦を深めている様子であった。
「俺はべつだん、町の料理を口にしたいとも思わんが……しかし、ヴァルカスというやつはよほどの料理を出したようだな。どこに出向いても、あやつの話が取り沙汰されていたように思うぞ」
落ち武者ヘアーをすっきりとまとめられたラヴィッツの長兄までもが、そのように言いたてていた。やはりヴァルカスの料理がもたらしたインパクトは絶大であったようだ。
(俺が審査員だったら、どうだろう。やっぱり、ヴァルカスに票を投じていたのかな)
そんな風に考えると、むやみに胸が騒いでしまう。これもまた、これまでの試食会では無縁の緊張と懸念であった。今日の試食会で第1位の座を授かるには、あのヴァルカスのとてつもない料理よりも票を集めなければならないのである。
そうして俺がひとりやきもきしている間に、投票を終えた人々も合流してきた。リミ=ルウはアイ=ファの腕にぶらさがり、ララ=ルウは俺に笑いかけてくる。
「投票したら、もうこっそり話してもいいんだよね? あたしは、アスタに入れさせてもらったよ」
「え、本当かい? ララ=ルウはそれほど、ハンバーグが好みじゃなかったろう?」
「それはほら、すてーきとかと比べたらどっちが好きかってぐらいの話さ。それにあたし、かれーやシャスカや乾酪は大好きだもん」
そう言って、ララ=ルウはにっと白い歯をこぼした。なんとも頼もしい笑顔である。
しばらくすると、挨拶に出向いていたダリ=サウティやレイナ=ルウたちも戻ってきて、気づけば森辺の同胞も勢ぞろいだ。ただしそうすると宿場町や城下町の人々も熱心に語りかけてくるために、けっきょくその場はさまざまな身分にある人々であふれかえることになった。
そうしてじわじわと時間が過ぎていき――ついに、鈴の音が鳴らされた。
「お待たせいたしました。星の集計が終了しましたので、結果を発表いたします」
そのように告げる小姓のかたわらで、ダカルマス殿下はにこにこと笑っている。
俺はいっそう胸を高鳴らせながら、その言葉を聞くことになった。
「本日は、106名の方々が味比べに参加なさいました。これまでと同じように、第1位から第3位までの方々に勲章が授けられますので、そのように思し召しください」
そう言って、小姓は書面に目を落とした。
その口が、いよいよ第1位を獲得した人間の名を告げようとしたとき――ダカルマス殿下が、やおら胴間声を張り上げた。
「その前に、わたくしからひと言だけご挨拶をさせていただきます!」
これは常にない振る舞いであったため、大広間は小さからぬざわめきに包まれた。
俺などは、足払いでも掛けられたような心地である。
「ジェノスにて行われる試食会も、これでついに最後となりますが……今日までの全6回、わたくしは感服の連続でありました! わたくしはもう長きにわたって試食会というものを開催しておりますが、これほど胸の弾む試食会が連続したことは、かつてなかったほどでありましょう! これもひとえに、ジェノスの素晴らしい料理人の方々のおかげであります! あらためて、お礼の言葉を重ねさせていただきたく思いますぞ!」
ダカルマス殿下は、普段以上に元気な声でそのように言いたてた。
「そして本日は、その総まとめとなる最後の試食会であります! 本日料理を準備してくださった9名の方々は、いずれも過去の試食会で勲章を授与されているのですから、その力量に申し分はございません! たとえ本日どのような順位に終わろうとも、9名全員がジェノスで指折りの料理人であることに疑いはございません! わたくしは、今日という素晴らしい日のために尽力してくださった9名の方々すべてに深く感謝するとともに、敬服の念を捧げさせていただきたく思います!」
人々は、焦れたお顔を隠しながら、拍手でダカルマス殿下の言葉に応えた。
あるいは、俺は自分の心情を人々の上に重ねているだけなのだろうか。ダカルマス殿下の配慮を得難いものと感じつつ、俺はほとんど悶えそうなぐらい焦れてしまっていたのだった。
(でも確かに、あれだけ見事な料理ばかりだったのに、誰かは最下位になるわけだもんな。……もしも自分が最下位だったら、ダカルマス殿下の配慮がいっそう胸に響いちゃいそうだ)
俺がそんな風に考えている間に、ダカルマス殿下はかたわらの小姓にうなずきかけた。
「では、本日の結果を発表していただきましょう!」
「かしこまりました。それでは、あらためまして。本日の第1位は――」
拍手もざわめきも断ち切られたように消失し、大広間に静寂が満ちる。
耳が痛いほどの静けさの中、その声は粛然と響きわたった。
「……17の星を獲得した、アスタ様となります」
俺は瞬時、呼吸をすることを忘れ――
そして、凄まじいばかりの歓声と拍手に総身を叩かれることになった。
近くにいたユン=スドラやレイ=マトゥアたちが、「おめでとうございます!」と笑いかけてくる。
ララ=ルウは満足そうな面持ちで手を叩いており、リミ=ルウは「すごいすごーい!」と飛び跳ねていた。
レイナ=ルウは万感の思いを噛みしめているような面持ちで拍手をしており、マルフィラ=ナハムはふにゃふにゃと笑っており、トゥール=ディンはすっかり涙ぐんでしまっており――俺の目に映るすべての人々が、心からの祝福を捧げてくれていた。
そして、アイ=ファは――
アイ=ファもまた、淡く微笑みながら手を叩いてくれていた。
その青い瞳は、とても優しげで幸福そうな光をたたえている。
その眼差しをしっかり心に焼きつけてから、俺はフェイ=ベイムとともにダカルマス殿下のもとを目指した。
その道行きでも、万雷の拍手と歓声が降り注がれてくる。
その勢いにいくぶん魂を飛ばしつつ、ともに歩くフェイ=ベイムのほうに目を向けると――なんと彼女は、ぎゅっと眉をひそめながらぽろぽろと泣いてしまっていた。
「……これもフェイ=ベイムのおかげです。約束通り、喜びを分かち合いましょう」
フェイ=ベイムは涙に曇った目で俺をにらみつけてから、織布で乱暴に涙をぬぐった。
そんなフェイ=ベイムとともに、俺はダカルマス殿下の前に立つ。
「おめでとうございます! これにて、三冠を達成でありますな!」
ダカルマス殿下はころころとした指先で、俺の胸もとに黄色い勲章を授与してくれた。
ダカルマス殿下もまた、心から嬉しそうに笑ってくれている。
いつでも無邪気なダカルマス殿下であるが、そんな彼にしてもとびっきりの笑顔であるように思えてならなかった。
「皆様、静粛に! 第2位の御方を発表いたします!」
小姓が声を張り上げて、広間に渦巻く歓声と拍手を鎮静化させた。
「第2位は、16の星を獲得された、ヴァルカス様です」
新たな歓声が、大広間を揺るがす。
やはり第2位は、ヴァルカスであった。しかも、俺とはわずか1票差だ。それに、投票の総数が106であることを考えれば、相当に票はばらけているのだった。
シリィ=ロウをともなったヴァルカスは、いくぶんふらついた足取りで進み出てくる。決してこの結果にショックを受けたわけではなく、人の熱気に対する限界が近づいているのだろう。
いっぽうシリィ=ロウは、きゅっと表情を引き締めていた。悔しそうなこともなく、嬉しそうなこともなく――無心にこの結果を受け止めている様子であった。
赤の勲章を授かったヴァルカスは、ほとんどよろめくような足取りで俺の隣に立ち並ぶ。
「大丈夫ですか?」と問いかけると、「いえ、あまり」という返事が返ってきた。
「ネイル殿やジーゼ殿がおられると、ついつい退室の機会を逃してしまいます。この後は半刻ほども、王家の方々のお相手をしなければならないのでしたね。……申し訳ないのですが、なるべくわたしが口を開かずに済ませられるように、力を添えていただけませんか?」
やはり、ヴァルカスはヴァルカスであった。
俺は存分に心を和まされながら、「承知しました」と答えてみせる。
そこに、小姓の言葉が重ねられた。
「では、第3位は……13の星を獲得された、《南の大樹亭》様となります」
これまでと遜色のない歓声が爆発した。
しかし今回は、困惑や驚きの声も入り混じっていただろうか。城下町の料理人や森辺のかまど番を差し置いて、ナウディスがその座を獲得したのである。
(でも確かに、あの角煮は素晴らしい出来栄えだったもんな)
今日の料理は、誰が勲章を授かってもおかしくない出来栄えであった。それはつまり、誰が勲章を授かれなくとも不思議はない、という意味でもあるのだ。
そんな思いに至ったのか、ナウディスがダカルマス殿下の前に進み出る頃には、困惑の気配も消え去っていた。俺もまた、心からの拍手でナウディスを祝福することができた。
「いやはや、夢でも見ているような心地でありますな」
俺たちと一緒に並んだナウディスは、まだ実感を持てていない様子で笑いながら、そんな風に言っていた。
「勲章の授与は、以上となります。引き続き、順位を発表いたしますが……このたびは、4位以下の方々も前に出ていただけますでしょうか?」
そのように言い置いて、小姓は書面の順位を読み上げた。
第4位は、12の星を獲得した、レイナ=ルウ。
第5位は、11の星を獲得した、マルフィラ=ナハムとティマロ。
第6位は、10の星を獲得した、ボズル。
第7位は、9の星を獲得した、《キミュスの尻尾亭》。
第8位は、7の星を獲得した、《玄翁亭》。
それが本日の結果であり、それらの人々には勲章ならぬ首飾りが授与されることになった。小さな黄色い石が輝く、銀の鎖の瀟洒な首飾りだ。
「それでは、総評を語らせていただきます! 本日も、1票が順位を分ける大接戦でありましたな! 星を投じる御方がおひとりでも顔ぶれを変えていたならば、これらの順位もくつがえされていたやもしれないのです! そういう意味でも、やはりすべての料理が同じぐらい素晴らしい出来栄えであったということでありましょう!」
大広間のざわめきにも負けない大声で、ダカルマス殿下はそのように語り始めた。
「まず、第1位のアスタ殿と、第2位のヴァルカス殿でありますが……おふたりの料理に対するご感想は、きわめて対極的でありました! 好ましく思える食事という観点からは、アスタ殿が! 驚くべき仕上がりであるという観点からは、ヴァルカス殿が! それぞれ数多くの言葉を寄せられております! 城下町の料理人の中にはぎばかれーというものを初めて口にされた方々も多かったようで、そちらからはアスタ殿の料理も驚嘆に値するというお言葉が届けられておりましたものの……それでもやはり、それ以上に不可思議なヴァルカス殿の料理の前には、そんな思いも霞んでしまうものであるのでしょう! アスタ殿の料理に関しては、ややこしい話を抜きにして、ただ美味である! というお言葉が圧倒的であったように思います!」
それは俺にとって、何よりの言葉であった。
ヴァルカスは茫洋とした面持ちで、頼りなげに上体を揺らしている。後ろに控えたシリィ=ロウは、いつヴァルカスが倒れてしまうかと気が気でない様子であった。
「また、わたくしも皆様とまったく同じ気持ちでございます! わたくしはシムの香草を食べなれない身でありますが、アスタ殿の料理はひたすら美味であったのです! こまかい寸評など述べる気にもなれないほど、ただ美味でありました! 料理とは、たゆみない修練と研究の果てに洗練されていくものと、わたくしはそのように考えておりますが……それは何のためにかと言えば、ただ幸福な気分で腹を満たすためであるのです! 食事とは、人間が生きていくために必須の行いであります! ならばそれは、幸福な心地で為されなければなりません! そんな当たり前のことを、心の奥深い部分で思い知らされたような……わたくしは、そんな心地でございます!」
そう言って、ダカルマス殿下は俺に向かってにっこりと笑いかけてきた。
恐縮しながら、それでもこちらのほうこそ心からありがたく思いつつ、俺は頭を下げてみせる。
ダカルマス殿下はひとつうなずき、あとはいつもの調子で得々と語り始めた。
ナウディスの料理は、城下町の作法と俺の教えをわずか10日足らずで同時に取り入れたことが、調理に携わる人々を驚かせたらしい。その一点が、勲章の行き先を左右することになったのだろうという話であった。
レイナ=ルウの料理は、ぎばかつを知る者にも知らない者にも、のきなみ好評であった。とりたてて、未完成だという意見もなく、それでこれだけの順位になったらしい。むしろ、これが未完成だと聞き及んだ人々は、いっそう驚嘆の思いにとらわれたようだ。
マルフィラ=ナハムの料理も、あらゆる身分にある人々から、分け隔てなく好評であった。俺やレイナ=ルウも同様であるが、香草主体の料理でも、ジャガルの人々から不評ということもなかったらしい。ただ、仕上がりそのものはごくありきたりの煮込み料理であったのが、ナウディスを除く上位3名とのわずかな差になったかもしれないという話であった。
ティマロの料理は、ジェノスで育まれてきた作法のひとつの完成形なのではないかという声が、城下町の貴族および料理人たちからもたらされたそうだ。真なる完成形はヴァルカスであるようにも思えるが、あちらは誰にも真似することのできない突然変異めいた要因もあるため、ティマロのほうこそが正統なる進化の結実と見なされた、ということであろうか。
ボズルはやはり、誰でも素直に美味しいと思える純朴さと、その裏に見え隠れする緻密さや繊細さが評価されていた。が、それはすなわちアスタの料理にも通ずる感想であり、そちらと比較される面が多かったため、多少ばかり星を失ってしまったのだろうという寸評だ。
《キミュスの尻尾亭》も、まったく文句のない出来栄えであった。ただ、マロマロのチット漬けを使った前回のラーメンのほうが、いっそう美味しかったかもしれない――という声がいくつかあったそうである。まわりの料理がのきなみ素晴らしい出来栄えであったため、そういった要素のひとつで大きく順位が下がってしまうのだろう。
《玄翁亭》も、一部の南の民に「辛すぎる」という評価があったぐらいで、決して不評ではなかったらしい。ただ他の料理に比べると、目新しさや驚きという点で弱く、印象が薄かったという評価であったようだ。
だがしかし、《玄翁亭》は最下位でありながら、東の民の票はもっとも数多く獲得していたという。ならばそれは東のお客のために調理を頑張っているネイルにとって、何よりの結果であるのかもしれなかった。
「最初に申し上げました通り、本日料理を準備してくださった方々は、ジェノスで指折りの手腕でありましょう! どうか今後もたゆみなく調理に取り組み、数多くの人々に美味なる料理の喜びを授けていただきたく思います!」
そんな言葉で、ダカルマス殿下の総評は締めくくられた。
勲章を授かった3名は、ダカルマス殿下とともに貴き方々の席に招かれる。ヴァルカスは体調に不安があるためシリィ=ロウが付き添いの了承を得て、俺のもとにはアイ=ファが合流してきた。
「皆様、お疲れ様でございました! お伝えしたいお言葉はさきほどのきなみ語り尽くしたような心地でありますが、もう半刻ばかりおつきあいくだされ!」
そんな風にがなりたててから、ダカルマス殿下は俺のもとに視線を定めた。
「ところで……最初にアスタ殿へとお伝えしたき話がございます! ジェノス侯、よろしいでしょうかな?」
「ええ。それでは本日も族長ダリ=サウティが参席しておりますため、こちらに参じていただきましょう。それに、トゥール=ディンにも聞かせておくべきでしょうな」
小姓のひとりが速やかに動いて、どこからともなくダリ=サウティとトゥール=ディンを連れてきた。
「俺を呼びたてたということは、また何かアスタたちに仕事の依頼であろうか?」
「そうなのですそうなのです! 実は……アスタ殿とトゥール=ディン殿に、祝宴の厨番をお願いしたいのです!」
ダリ=サウティは、「ああ」と鷹揚に微笑んだ。
「あなたがたの送別の祝宴に関しては、ずいぶん前から内々に話は通されている。すでにこちらでも協議を終えて、ジェノス侯に了承の返事をしているのだが――」
「それは心より、ありがたく存じます! ……ただ今回は、それとは別件であるのです!」
「別件?」とダリ=サウティは目を見開き、アイ=ファは逆に目をすがめた。
「別件とは? それ以外に、何か祝宴の予定があるのであろうか?」
「はい! わたくしは、礼賛の祝宴を開催したく思っておるのです!」
大きな期待と熱意をみなぎらせながら、ダカルマス殿下はそのように言いたてた。
ダリ=サウティはあくまで落ち着いた物腰で、「礼賛の祝宴」と繰り返す。
「それは、初めて耳にする祝宴だ。いったい何を目的とした祝宴であるのであろうか?」
「目的は、試食会で第1位を獲得されたアスタ殿とトゥール=ディン殿を祝福することでありますな! 城下町と宿場町と森辺の集落から著名の方々を招待し、その場であらためておふたりの偉業を讃えたく思うのです!」
ダカルマス殿下のそんなお言葉に、トゥール=ディンはたちまち身を縮めてしまう。そちらを力づけるように微笑みかけてから、ダリ=サウティは「ん……?」と眉を寄せた。
「それはありがたい申し出だが……さきほど、アスタとトゥール=ディンに宴料理の準備を願いたいと申していなかったか?」
「はい! 招待客の方々には、アスタ殿とトゥール=ディン殿の見事な手腕を味わっていただきつつ、おふたりを祝福していただくのです! わたくしは南の王都においても大がかりな試食会を開くたびに、そうした礼賛の祝宴というものも開いておるのです!」
「ふたりを祝福する祝宴で、ふたりに宴料理を準備させるのか。それは何とも……俺たちには馴染みのない祝宴であるようだ」
さしものダリ=サウティも、苦笑をこらえきれなかった。
「ともあれ、それがジェノス侯と王子ダカルマスの正式な願い出であるならば、森辺に持ち帰って協議させていただこう。……ちなみにその祝宴には、どれほどの客人を集める予定であるのだろうか?」
「こちらの大広間をすべて開放すれば300名までは収容できるというお話でありましたため、それを目処に検討しようと考えております!」
さしものダリ=サウティも、「さ……」と口ごもってしまう。
もちろん俺とアイ=ファとトゥール=ディンも、それぞれの気質に見合った形で驚きを表明することになった。
「……300名とは、ずいぶん大がかりな祝宴だな。城下町においては、それほどの祝宴も珍しくはないのだろうか?」
「いや。それほどの規模の祝宴を開いたのは、わたしが父から爵位を継いだ継承の祝宴以来となろうな。普通は近在の領地の貴族でも招待しない限り、それだけの人数にはならないのだ」
マルスタインはいつも通りの穏やかな面持ちで、そのように答えた。
「礼賛の祝宴に関しても、かねてより王子殿下から打診を受けていた。ただ、試食会に臨む料理人たちに余計な気負いを与えぬために、今日まで秘することになったのだ。突然の申し出で戸惑う面もあろうが、どうかジェノスとジャガルの絆のために、善処してもらいたい」
「それはまあ、こちらも心して協議する所存だが……しかしアスタやトゥール=ディンも、それだけの祝宴を取り仕切ったことはないはずだ。果たして、可能なのだろうか?」
「手伝いの人間は、何名でもかまいません! また、森辺からも数多くの方々をご招待する心づもりであります! 森辺と城下町と宿場町の絆を深める絶好の機会と思し召し、何卒ご了承をいただけないでしょうか?」
ダカルマス殿下が大砲のような熱意をぶつけてくると、ダリ=サウティはむしろ驚きを静めた様子で「承知した」と微笑んだ。
「ともあれ、三族長およびファとディンの家で協議させていただこう。……アスタたちも、それで了承してもらえるな?」
この場では、「はい」と応ずるしかなかった。
アイ=ファもすべての感情を呑み込んで、ただ首肯している。族長たちであれば、俺たちの気持ちをないがしろにはしないと信じているのだろう。
(でも、300名か……それはなかなか、突拍子もないな)
最後の試食会が終わるなり、この申し出である。やはりダカルマス殿下の熱情というやつは、ことごとく俺の想像の上をいっているようだ。
しかし俺は、森辺に戻って協議が始められるまで、驚きや困惑の思いを眠らせておくことにした。
俺は試食会で力を尽くし、望む通りの結果を得ることができたのだ。少しぐらいは、その余韻を噛みしめてもバチは当たらないだろう。
卓のすぐそばに立ち尽くしたアイ=ファは、きゅっと表情を引き締めてダカルマス殿下の笑顔を見据えている。
ファの家に戻ったら、アイ=ファはどのような顔を見せてくれるだろうか。
そんな楽しみを胸の中に抱きながら、俺は最後の試食会の余韻にひたることにした。