最後の試食会・料理編④~自慢の料理~
2021.8/9 更新分 1/1
「レイナ=ルウ殿も新たな道が開けたようで、何よりでありましたな!」
レイナ=ルウとヴァルカスの問答が終了すると、ダカルマス殿下は満足げな笑顔でそのように言いたてた。
レイナ=ルウは気恥ずかしさと誇らしさの入り混じった面持ちでうつむいており、ヴァルカスは茫洋とした無表情を取り戻している。
「それでは最後は、アスタ殿の料理で締めくくらせていただきましょう! いったいどのような料理を準備してくださったのか、期待が高まるばかりですな!」
ダカルマス殿下は元気いっぱいであるし、背後の大広間にも熱気と喧噪が渦巻いている。これだけ見事な料理づくしであれば、参席者の方々も昂揚が収まらないことだろう。
それにしても、今日はデルシェア姫が静かである。
ずっとにこにこしているので、不機嫌なことはないように思うのだが、とにかく極端に口数が少ない。アイ=ファもそんなデルシェア姫のことを、ずっと注意深く検分している様子であった。
しかしとにかく、俺の料理の出番である。
小姓たちが大挙して皿を運んできたので、俺は腰を上げることにした。
「このような顔ぶれで最後の出番を受け持つのは恐縮の限りですが、今日も自分なりに力を振り絞りました。みなさんに喜んでいただけたら幸いです」
小さな皿が、まずは貴き方々のほうから配膳されていく。その段階で、ヴァルカスが俺のほうを見やってきた。
「この香り……ぎばかれーを準備してくださったのですね」
「はい。自慢の料理を準備するべしというお話でしたので」
すると、ダカルマス殿下のほうからも「ほうほう!」という声が飛んできた。
「これが噂の、ぎばかれーなる料理でありますか! アスタ殿が考案された料理の中でも、きわめて革新的な逸品であると評判のようですな!」
「はい。ジャガルの方々には馴染みのない香草主体の料理になってしまって、恐縮です」
「いえいえ! とにかく自慢の料理を準備していただきたいとお願いしたのは、こちらのほうでありますからな!」
そんな風に言ってから、ダカルマス殿下は「ただし!」とつけ加えた。
「こちらのぎばかれーは宿場町の屋台でも好評であり、城下町においても何度となく振る舞われていると聞き及んでおりますぞ! これは目新しさを度外視して、とにかくご自身の得意料理を選ばれたということでありましょうかな?」
「えーと、そういった部分の心情は、半々です。こちらは多くの方々にとって馴染み深い料理であると同時に、多少ながらの目新しさもお届けできるかと考えました」
「多少ながら?」と口をはさんだのは、エウリフィアであった。
「これは、多少なのかしら。こちらの白いのは、シャスカなのでしょう?」
「はい。森辺においてはカレーをシャスカでいただくことも珍しくありません。ですが、屋台ではシャスカをお出ししていませんし、城下町の祝宴などでもなかなか出番がなかったかと思います」
「それに、かれーを掛けられているこれは……ちょっと小さいけれど、はんばーぐという料理なのじゃないかしら?」
「はい。ギバのタン、つまり舌の部位で作りあげたハンバーグとなります。中には乾酪が包まれていますので、火傷をしないようにご注意ください」
ギバ・タンの乾酪バーグをトッピングした、カレー・シャスカ――それが、最後の試食会で俺が準備した料理に他ならなかった。
試食用の料理はごく控えめなサイズに仕上げなければならないため、ハンバーグなどはほとんど肉団子と呼びたくなるような質量である。それを何とか俵状に仕上げて、内側に乾酪を仕込みつつ確かな噛みごたえまで確保するというのが、このたびの苦労のしどころであった。
「ギバ・カレーと同様に、ハンバーグも屋台ではギバ・バーガーとして売りに出されています。ですが、ハンバーグに乾酪を仕込むというのも、カレーをシャスカでいただくというのも、カレーにハンバーグを添えるというのも、森辺においては何ら珍しくはない食べ方でありながら、森辺の外ではほとんど披露されていないような気がして……それが目新しさを生んでくれるのではないかと考えた次第です」
「ええ。これは期待をかきたてられるわね。それに、とても豪奢に感じられるもの」
エウリフィアは楽しげに微笑んでおり、ダカルマス殿下も期待に瞳を輝かせている。
その頃にようやく料理人の卓まで皿が行き渡ったので、試食が始められることになった。
「おお、これは……!」と真っ先に声をあげたのは、ボズルであった。
「確かにぎばかれーもぎばばーがーも食べなれた料理でありますのに、まったく異なる食べ心地でありますな! それに何より、かれーをシャスカでいただくというのが、一番の違いであるのでしょう! わたくしは、ただ一度だけこういった食べ方を披露された覚えがあるのですが……それももう、ずいぶん昔日の話であるはずですな?」
「はい。シャスカを手に入れてから初めての祝宴で出した覚えがあります。となると、一年近く前のことになりそうですね」
「もうそれほどの日が過ぎておりましたか! いやはや、懐かしいわけですな」
感慨深そうに言って、ボズルはにこりと目を細めた。
そうしてその口が閉ざされると、ヴァルカスがすかさず声をあげてくる。
「アスタ殿、こちらは最近の屋台で売られているかれーとも味が異なっていますね?」
ボズルは月に1、2回、宿場町まで出てくる用事があるため、そのたびに屋台の料理をどっさり買い込んでくれるのだ。そのルートで、ヴァルカスも屋台で売られているギバ・カレーの味を知り尽くしているのだった。
「はい。以前に何種かのカレーを味見していただいたでしょう? あれぐらいの時期から、ポイタンでいただくカレーとシャスカでいただくカレーを差別化し始めたのです。こちらのカレーは普段よりもまろやかな味わいを目指しておりますね」
「こちらの味わいは、逆に懐かしく思います。ラマムのすりおろしやパナムの蜜も、再び加えているのですね?」
「そうですそうです。自分が最初に考案したカレーのほうが、こちらの味わいに近いのでしょうね。自分は故郷でもシャスカと似た食材でカレーをいただいていたので、そういった味わいを目指していたのです」
それから俺はシャスカが登場したことにより、カレーの細分化に取り組むことになった。ポイタンで食するカレーはインドカレーの味わい、シャスカで食するカレーは日本風カレーの味わい、といった具合だ。よって、早い段階からギバ・カレーを口にしていたヴァルカスなどは、俺が最初に追い求めた日本風カレーの味わいもわきまえていたのだった。
「ヴァルカスに最初に食べていただいたのは、カレーうどんでしたっけ? あの頃とも多少は味が違っているかと思うのですが、如何でしょう?」
「むろん、違っています。ぎばかれーは味の強い料理ですので、微細な変化を感じ取ることも難しいのですが……これは、明確に違っています。何より、アスタ殿ご自身の調理の腕が向上しているという面が強いのでしょう。……以前にもお聞きしたように思いますが、わたしが初めてお会いしたとき、アスタ殿は何歳でありましたでしょうか?」
「あれは、17歳の頃のはずですね。いまは、19歳となりました」
「17歳から、19歳。それは料理人として、飛躍的に腕が向上して然るべき年代でしょう。アスタ殿は初めてお会いした頃から比類なき力量をお持ちでしたので、ついついそれほどの若年であるということを失念してしまいます」
あくまでもぼんやりとした口調で、ヴァルカスはそう言った。
「それにしても……こちらは、美味でした。ギバの舌という部位は初めて口にしましたが、他の部位よりも噛みごたえが強いようですね。はんばーぐを小さく仕上げると噛みごたえが損なわれるため、舌を使用したということですか」
「ええ、その通りです」
「そして、シャスカとの相性が素晴らしいです。確かにこれは、ポイタンの生地では得られない調和なのでしょう。シャスカの小さな粒のひとつずつにかれーの味わいが絡みつき、シャスカの噛みごたえがかれーの味わいをさらに際立たせ――」
「ヴァルカス」と、ボズルが袖を引っ張った。
「いったん取りやめていただけますか? 王子殿下のご様子が、ちょっと……」
ヴァルカスと楽しく語らっていた俺も、慌ててダカルマス殿下のほうに向きなおることになった。
ダカルマス殿下もすでに試食を終えているらしく、両手を卓の上に放り出している。そうして表情が見えないぐらいうつむきながら、丸っこい肩を小さく震わせていたのだった。
「だ、大丈夫ですか? それほど辛みは強くしていないつもりなのですが……」
「辛くは、ありません。いえ、我々にとっては十分以上の辛さでありますが、そういう問題ではないのです」
低く抑えた声で言いながら、ダカルマス殿下はやおら顔を上げた。
言葉とは裏腹に、その顔は汗だくである。
「ですが、これは……美味であります。辛さなどは関係ありません。むしろ、この辛みこそが食欲を刺激するのでしょう。試食会においてはひとつの料理を少量ずつしか食せないのが、逃れようのない取り決めとなりますが……その取り決めをこれほど呪わしく思ったのは初めてであるやもしれません」
「ほ、本当に大丈夫ですか? ちょっと様子が普通でない気がするのですが……」
ダカルマス殿下は声量を抑えているばかりでなく、そのふくよかな顔からも笑みを消し去っていたのだ。そうすると、もとは厳つい南の民らしい風貌であるから、なかなかの迫力になってしまうのだった。
「……申し訳ありません。想像以上の味わいであったため、心が驚きで強張ってしまったかのようです」
「もう。それでも汗ぐらいおふきになったら?」
と、デルシェア姫がひさびさに声をあげつつ、父君の汗を織布でぬぐった。
そして、いつも通りの朗らかな笑顔を俺のほうに向けてくる。
「父様は感極まると、こうなってしまうのですわ。このようなお姿を見せるのは、数年に1度のことなのですけれどね」
「そ、そうですか」と答えながら、俺はカミュア=ヨシュのことを思い出していた。彼も感極まると、死神のような無表情や泣き顔のような表情など百面相を披露してくれるのだ。
「……とにかく、美味です。美味であることに疑いはありません。こちらの料理はアスタ殿にとって、どのような意味を持っているのでしょう?」
「はい? 意味ですか?」
「ええ。森辺の祝宴においても、わたくしはアスタ殿の手腕を余すところなく体感できたような心地でありました。しかし、こちらの料理は……それをも凌駕する完成度であるように思えるのです」
俺は思わず、言葉に詰まってしまった。
それは、俺にとっての裏テーマであり――たったひとりの相手を除いては、吹聴する気もなかったのだ。
「えーと……ちょっと説明が難しいのですが……こちらは、自分にとって一番の自慢の料理です。自分はこの料理を完成させるにあたって、一番の熱情を注いでいたと思います。それが完成度に影響しているのだとしたら、心から嬉しく思います」
「そうですか!」と、ダカルマス殿下がいきなり大声を張り上げた。
「やはりアスタ殿にとっても、こちらは特別な料理であったのですな! いやいや、それで腑に落ちました! こちらの料理は、素晴らしい完成度です! 掛け値なしという言葉がこれほど相応しい料理もなかなか存在しないことでしょう! わたくしはアスタ殿にお会いしてからひと月目にして、あらためてその力量を思い知らされた心地でありますぞ!」
「お、おほめにあずかり、光栄です」
俺は胸を撫でおろしつつ、そのように答えてみせた。やはりダカルマス殿下は笑顔で大声を張り上げていてくれないと、こちらは調子を乱されてしまうのだ。
(まさか、俺がこれまで本気を出していなかったんじゃないかとか、そんなことを疑ってたわけじゃないよな?)
そんな想像をかきたてられてしまうぐらい、無表情のダカルマス殿下はおっかなかったのだ。
ともあれ――俺のとっておきの料理もお気に召していただけたようで、何よりであった。
どうしてこの料理を試食会で出そうと考えたのか。それは先刻、語った通りである。この内容であれば、馴染み深さと目新しさの両方からアプローチできて、数多くの人々に喜んでいただけるのではないかと考えたのだ。
だがしかし、それは理由の半分であった。
もう半分の理由は――これも先刻語った通り、これが俺にとって一番の熱情を注いできた、一番の自慢の料理であるためであった。
その理由は、言うまでもないだろう。
乾酪バーグのカレー・シャスカ――それは、アイ=ファにとってもっともお気に入りのメニューのひとつであったのだ。
焼きポイタンでいただくタラパソースの乾酪バーグや、ロコモコを模した料理なども、アイ=ファは同じぐらい気に入っている。その中から、もっとも試食会に相応しい献立はどれかと思案して、乾酪バーグのカレー・シャスカが選ばれたというわけであった。
俺の原動力の源は、アイ=ファであるのだ。
アイ=ファに美味しいと思ってもらえたとき、俺は一番の幸福を授かることができる。だから、アイ=ファにとっての好物は、俺にとってもっとも特別な献立であったのだった。
「それでは、料理の解説はここまでといたしましょう! ずいぶん時間が過ぎてしまいましたが、投票の時間まで試食を進めつつ、ごゆるりとお語らいください!」
そんなダカルマス殿下の宣言によって、俺たちはようやく解放されることになった。
自分のブースを目指しながら、俺はアイ=ファの耳もとにそっと口を寄せる。
「ダカルマス殿下の態度が豹変したときはどうなることかと思ったけど、丸く収まってよかったよ。やっぱりあの料理は、それだけ完成度が違ってるってことなのかな」
アイ=ファは口もとをごにょごにょさせると、歩きながらさりげなく俺のほうに身を寄せて、誰にも気づかれないように配慮しながら、優しく脇腹をつねりあげてきた。
「うわ、痛いってよりくすぐったいよ。……アイ=ファは、複雑そうなお顔だな」
「……まさか、その理由がわからないなどと抜かすつもりはあるまいな?」
アイ=ファは味比べの結果に頓着しないと、心を定めている。
しかしそれでも、自分の大好物が他の人々から不評であったなら――それはやっぱり、面白くないだろう。
「うん、ごめん。でも、どうしても自慢の料理で勝負したくなっちゃったんだよ。乾酪バーグのカレー・シャスカは、俺がこれまでで一番熱心に作りあげた料理のひとつだからさ」
アイ=ファは頬を赤らめて、今度は足を蹴ってきた。
そこでブースに到着すると、ずいぶんな人だかりができている。その中から真っ先に声をあげてきたのは、《ゼリアのつるぎ亭》のご主人であった。
「よう、アスタ! こいつは大した出来栄えだな! 腹いっぱい食えないのがもどかしくてならねえよ!」
すると、他の人々も熱意をみなぎらせながら俺を取り囲んできた。
「本当だよ! こいつは、ギバの舌を使ってるんだって? ギバはそんな部位でも美味いんだな!」
「かれーもはんばーぐも食いなれてるけど、こいつは格別だ! それにやっぱり、シャスカってのは美味いよなあ」
「宿場町では、こちらのかれーという料理も屋台で売りに出されているそうですね。城下町でも大層な出来栄えであるという風聞が流れておりましたが……想像を超える完成度でありました」
宿屋のご主人がたばかりでなく、城下町の料理人も同じぐらいの数だけ集っているようだ。
俺はそれらの人々に挨拶を返しつつ、ようようフェイ=ベイムのもとまで辿り着いた。
「お待たせしました。あとは引き受けますので、フェイ=ベイムも試食を始めてください」
すると、フェイ=ベイムは新たな皿にシャスカをよそいながら、「いえ」と首を横に振った。
「アスタはまだ、ひと通りの料理を1回ずつしか食していないのでしょう? でしたら、すでにふた回り目に入っているわたしのほうが、先を行っているかと思われます」
「え? でも今日は、ずっとこの場を離れられなかったでしょう?」
「ええ。ですから、ユン=スドラやレイ=マトゥアたちがひっきりなしに料理を届けてくれたのです。リミ=ルウやマイムたちとも手分けをして、レイやナハムの方々のもとにも料理を届けてくださっているようですね」
なるほど、これまでの経験を活かして、ユン=スドラたちがそのように取り計らってくれたのだ。さすがは明敏で心優しい森辺の女衆たちである。
「それにわたしは、アスタを手伝うためにこの場に参じているのです。できうれば、最後までこの仕事を果たしたく思います」
「そうですか。でしたら、お言葉に甘えます。……この料理は、盛りつけが大事ですからね。フェイ=ベイムでしたら、心おきなくおまかせできます」
フェイ=ベイムは相変わらずぶすっとした面持ちであったが、その目には意欲の炎が燃えさかっていた。小さき氏族の女衆にとって、シャスカの盛りつけというのはそれほど手慣れた作業ではなく、ここ数ヶ月でようやく身についたものであるのだ。そういう気を抜けない作業こそが、一本気であるフェイ=ベイムの意欲に火をつけたのかもしれなかった。
「……フェイ=ベイムは、どこか私に似ている部分があるやもしれんな」
隣のブースを目指す道行きで、アイ=ファがそんな言葉をつぶやいた。
俺は「え?」と驚いたが、その驚きはすみやかに消え去った。
「ああ……言われてみると、そうかもしれないな。もちろん似てない部分もたくさんあると思うけど……森辺の女衆としてはあまり他に見かけない部分が似ているような気がするよ」
「うむ。私ほど愛想のない女衆など、他には数えるぐらいしかいなかろうしな」
自分で言い出した話のくせに、アイ=ファはつんとそっぽを向いてしまう。
まあ確かに、アイ=ファやフェイ=ベイムほど不愛想な女衆というのは、少数派であろう。ぱっと思いつくのは、ツヴァイ=ルティムやスフィラ=ザザあたりであろうか。
しかしそういった人々は、不愛想で、意固地な面があり、人前では滅多に笑顔を見せることはなく――その実、情が深くて、責任感があり、とても繊細な一面も持っている。俺にはとても好ましく思える人柄であったのだった。
「あー、アイ=ファとアスタだ! やっと会えたね!」
隣のブースで待ち受けていたリミ=ルウが、人目もはばからずにアイ=ファに抱きついた。今日は審査員であるので、とても可愛らしい城下町の装束だ。
「リミ=ルウも、ご苦労であったな。……なにか揉め事か?」
「ううん! ちょっぴりレイナ姉が困っちゃってるだけー!」
見てみると、ブースの裏でレイナ=ルウが何名かの人々に囲まれていた。その顔ぶれは――ロイとシリィ=ロウとユーミであるようだ。
「失礼します。どうかされたのですか?」
俺がそのように声をかけると、シリィ=ロウがむくれた子供のようなお顔で振り返ってきた。彼女は本日もヴァルカスの手伝いをしていたが、先の試食会よりは体力にもゆとりがある様子だ。
そしてそんなシリィ=ロウのかたわらでは、ロイが苦笑を浮かべていた。
「いや、レイナ=ルウが思いも寄らない料理を出してきたもんだから、シリィ=ロウがいきりたっちまったんだよ」
「だって、あれはロイが考案した料理ではないですか! それを参考にするなとは言いませんが、こちらの知らないところで研究を進めるというのは、あまりに不義理なのではないでしょうか?」
「いやいや。俺だって最初はアスタに無断で研究を進めてたわけだし……それにあれはぎばかつに香草を加えるって部分が一緒なだけで、まったく別の料理だろ。たぶん、最終的に目指してる味わいも、まったく別ものなんだろうしな」
「ですが、これだけ顔をあわせる機会があったのですから、ひと言ぐらいあってもよかったのではないでしょうか?」
シリィ=ロウがそのように言いたてると、レイナ=ルウは困り果てた様子で「はあ」と応じた。困りながら、何故かしら羞恥に頬を染めているようだ。
「シリィ=ロウのお怒りは、ごもっともです。ただ、わたしは……もっと納得のいく形に仕上げるまでは、ロイたちに披露するのが気恥ずかしくて……ついつい言いだせなかっただけなのです」
「……あれだけの完成度を見せながら、まだ納得がいっていないと?」
「はい。それは確かです」と、レイナ=ルウもここでは真剣な目つきになる。
それを見て、ロイは「なるほどな」と肩をすくめた。
「だからやっぱり、別ものの料理なんだよ。俺の料理より完成度が高かろうとも、レイナ=ルウの目指す料理としてはまだまだ未完成ってことなんだろ。……俺より後に手をつけてあの完成度ってのは、恐れ入るばかりだけどな」
「うーん。やっぱりあたしにはよくわかんないけど、とにかく仲良くやっていこうよ!」
と、ユーミは左右の腕でもって、レイナ=ルウとシリィ=ロウの肩をそれぞれ抱きかかえた。ユーミはその中でもっとも若年であったが、もっとも長身であったのだ。
「要するにシリィ=ロウは、レイナ=ルウに裏切られたような心地だったんでしょ? ようやく仲良くなれたと思った相手に隠し事をされたのが、悲しいだけだったんだよねー?」
「そ、そんな子供じみた話ではありません! わたしは、義理や信頼の話をしているのであって――!」
「うんうん! 友達の間でも、義理や信頼は大事だもんね! ほらほら、レイナ=ルウも言うことがあるでしょ?」
「……はい。わたしがあの料理のことを打ち明けられなかったのは、たぶん見栄を張っていたからなのです。ロイの料理から着想を得ながら、それよりも粗末なものをお目にかけたくないと、そんな風に考えてしまったのでしょう」
ユーミに肩を抱かれながら、レイナ=ルウはしょぼんとしてしまった。
「これでは、信頼を失ってもしかたがありません。……本当に申し訳ありませんでした、ロイ、シリィ=ロウ」
「いや、俺はどうでもかまわねえんだよ。こいつがひとりで騒いでるだけなんだからさ」
「わ、わたしは、ただ――」とわめきかけたシリィ=ロウは、途中で口をとがらせてしまった。
「……もういいです。そのようにしょげたお顔をされてしまうと、自分の狭量さを思い知らされてしまいます」
「いえ、シリィ=ロウが狭量なのではなく、わたしが不義理であったのです。どうかお許しください、シリィ=ロウ」
「もういいのですってば! ユーミも、いい加減に離してください!」
ユーミの腕を振り払ったシリィ=ロウは、そっぽを向きつつレイナ=ルウをちらりと見た。
「……それで、ヴァルカスはなんと仰っていたのですか? ヴァルカスであれば、あれだけの料理でも満足することはないはずです」
「はい。またとない助言をいただきました。それはロイの料理にも通ずる話であるはずなので、一刻も早くお伝えしたかったのです」
そうして騒ぎが収まると、さっそくの料理談義である。
俺はほっと胸を撫でおろしつつ、レイナ=ルウのスパイシーなギバ・カツをいただくことにした。
「うん、俺もヴァルカスに賛成かな。後掛けの調味液っていうのは、きっと食感にも関わってくるだろうしね」
俺がそのように言葉を掛けると、ユーミを除く3名がものすごい勢いで振り返ってきた。
「食感とは? もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」
「あ、うん。普通のギバ・カツっていうのは、ウスターソースやシールの果汁や、時にはシィマのすりおろしやサルファルなんかでいただくだろう? そういうものの水気ってのも、意外に大事な気がするんだよね」
「水気……ですがぎばかつは、この衣の食感が大事な魅力なのではないでしょうか? 水気を与えると、それが損なわれてしまうはずです」
「それじゃあレイナ=ルウは、ウスターソースを掛けたときの水気が、ギバ・カツの食感を損なっていると思っていたのかな?」
「あ、いえ。うすたーそーすもシールの果汁もそれほどたくさん掛けるわけではないので、まったく気になったことはありませんが……でも、シィマのすりおろしはきちんと水気を切らないと、ぎばかつの食感を損なうように思います」
「うん、確かにね。でも、ウスターソースやシールの果汁ぐらいの水気ぐらいなら、むしろ食感をよくしてくれるんじゃないかな。食感をよくするっていうか、水気を含んだ部分と含んでいない部分で差が出て、それがいい効果を生んでるような気がするんだよね」
レイナ=ルウらはギバ・カツの食感を思い出そうとするかのように、考え込んでしまった。
「あと、もう一点。たとえばウスターソースを卵にまぜて衣に使っても、あまり美味しくはならなそうだよね。だから、香草や調味料を内側に仕込むか後掛けにするかってのは、かなり重要なんじゃないかな」
「ああ。俺の料理も、けっきょくは後掛けの調味液を掛けることになったしな。……レイナ=ルウはなまじ腕がいいから、すべての味を内側にぶちこんでもあれだけの調和を求められたってことか」
「いえ。わたしはロイが後掛けの調味液に移行したことを見知っていたのに、自分ではその考えに至りませんでした。きっと内側に味を詰め込むことに心をとらわれて、発想が貧しくなっていたのでしょう」
ロイとレイナ=ルウは、熱のこもった言葉を交わし合う。
そこで俺はもうひとつ、自分の思いつきを伝えておくことにした。
「あと、さらに話を進めるならね。カツ丼やカツ・カレーのことを思い出してほしいんだ。あれもそれぞれ、普通のカツとは違う食感で、なおかつ上等な仕上がりだろう? そのあたりのことも考慮に入れながら、どんな調味液にするかを模索してみたらいいんじゃないのかな」
「待て待て。かつかれーってのは、何なんだ? はんばーぐだけじゃなく、ぎばかつまでかれーにぶちこもうっていうのかよ?」
「あれ? ロイたちはもう俺の料理を食べてくれたんですか? ヴァルカスやボズルが戻るまで、ずっと働いていたのでしょう?」
「タートゥマイが、運んできてくれたんだよ。いいから、話を聞かせろって」
ロイに急かされて、俺は「はい」とうなずいてみせる。
「それも森辺では、珍しくない食べ方です。いや、実際にどれぐらい食べられているかは知りませんけれど、シャスカを手に入れた時点で、俺はその食べ方を森辺のみんなに伝えています」
「ははあ……かれーってのはあれだけ味が強いからこそ、そんなに色んな料理と調和するのかねえ。お前の今日の料理にも、俺はちょいと驚かされちまったよ」
「そうですか。いい意味での驚きだったら嬉しいのですが」
「悪い驚きのわけはねえだろう。食べ飽きるってほどじゃあねえが、俺たちだってかれーやはんばーぐはさんざん口にしてきたんだ。それを組み合わせるだけで、あんな上等な料理に仕上げられるってのは……なんか、不意打ちを食った気分だよ。ここでシャスカを持ち出すってのも、小憎たらしいよな」
ロイたちも、昔日の祝宴でカレー・シャスカを口にしたことがあるはずなのだ。ただし彼もボズルの調理助手であるために、投票権は有していない。投票権を持つ人間の中で、カレー・シャスカを味わったことがあるのは――森辺の民を除くと、もしかしたらユーミとテリア=マスぐらいなのかもしれなかった。
「ま、そのやり口がどう転ぶかだな。今日という今日こそ、俺には味比べの結果が見えねえよ。お前なんか、第1位になっても最下位になってもおかしくねえだろうな」
「それは、不安と期待が高まりますね」
しかし俺はどのような結果でも、厳粛に受け止める所存であった。
負けず嫌いの本性を持つ俺であるからして、最下位にでもなってしまったら相当にガックリきてしまいそうなところだが――きっとそういうリスクを負わない限り、勝負ごとで喜びや達成感を得ることはかなわないのだ。
俺はこれまでの試食会で2回も勲章を授かっていたが、それほど大きな喜びは授かっていなかった。むしろ、恐縮する思いのほうが強かったぐらいかもしれない。
それはきっと、俺が勝負の土俵に上がっていなかったからなのだろう。負けても悔しくない代わりに、勝っても嬉しくはない。俺はけっこう意図的に、自分の意識をそんな場所に立たせていたのである。
だから今日は、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。
たとえ余興であろうとも、勝負ごとというのはそういうものであるのだ。
よって、もしも負けてしまったならば――その悔しさをバネにして、いっそう尽力するしかないのだろう。きっとアイ=ファや森辺の狩人たちは、そういう思いで収穫祭の力比べに臨んでいるのだ。
俺はこれまでの試食会でも、十分に向上心をかきたてられることになった。味比べの余興とは関係ない部分で、さまざまな料理人たちと語り合い、その料理を口にして、見知らぬ調理法を習うことで、たくさんの刺激を受けることがかなったのだ。
それに加えて、今日は味比べの余興までもが、俺を刺激してくれている。
その勝負に勝とうとも負けようとも、俺はすべてを糧にしてみせる――そんな思いで、俺は投票の時間を待つことができたのだった。