最後の試食会・料理編③~今の自分~
2021.8/8 更新分 1/1
「次は、わたしの料理でございますな」
そう言って立ち上がったのは、ボズルであった。
俺たちに供された皿には、可愛らしいサイズの饅頭がのせられている。
「ほうほう! 料理の試食会で饅頭というのは、いささか新鮮に思えてしまいますな!」
「左様でございますか。ジェノスにおいては祝宴において皿を使わない料理を供する習わしでありますため、城下町の料理人はこういった料理もたゆみなく研鑽しているかと思われます」
焦げ目などが見当たらないため、これは蒸し饅頭であるようだった。ひと口サイズで、生地はほんのりと黄色みがかっている。
そうして、お味のほうはというと――掛け値なしに、美味であった。
生地の内側には、細長く切り分けられたギバ肉がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。味の主体はミソとホボイ油であり、砂糖やミャームーやケルの根や、何種かの香草も使われているようだった。
とても力強い味付けで、ティマロの繊細な料理を食した直後であるためか、それが少々乱暴に思えるほどであるが――その反面、粗雑な印象はまったくない。粗雑どころか、甘さと辛さと香ばしさと塩気の配合が絶妙であり、これはまぎれもなくジェノスの城下町で育まれた料理であるのだという優雅ささえ覚えるほどであった。
味は強いが、べたべたと舌に残るような感じではなく、後味にはホボイ油の風味が心地好く残される。これはきっと、南の王都からもたらされた上質なホボイ油であろう。繊細な料理に似つかわしいと思える上質のホボイ油が、この力強い料理で見事に調和を果たしていた。
具材はギバ肉の他に、粗く刻んだマ・プラやティンファ、それに何か果実の甘さも感じられる。考えに考えた末、俺はそれが桃に似たミンミであることに思い至った。甘い果実などはとうてい調和しなそうな味付けであるのに、そのミンミがまたとないアクセントとなっているのだ。それ以外にも、まだまだ俺には馴染みのない手法がいくつも織り込まれていそうなところであった。
「ふむふむ! こちらもまた、ボズル殿らしい料理でありますな! 何の気もなしに食したならば、純朴にして力強いジャガル料理であるのですが、その裏側には数々の細やかな細工が感じられますぞ! ボズル殿はヴァルカス殿のもとで修練を積まれたからこそ、このような料理を手掛けることがかなうのでしょう!」
ダカルマス殿下は昂揚しきった面持ちで、そのように言いたてた。
「それにこちらはシムの香草もふんだんに使われているようですのに、まごうことなきジャガル料理として成立しております! 故郷たるジャガルの味を重んじつつ、なんとか異国の作法を取り入れようというお志が、このような料理を生み出したのでしょう! それがこれほどに美味なる料理であることを得難く思いますぞ、ボズル殿!」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
ボズルは恭しく一礼して、着席した。
ダカルマス殿下はうんうんとうなずきながら、ヴァルカスのほうに視線を転じる。
「ヴァルカス殿も、お弟子たるボズル殿がこれほどの料理を作りあげたのですから、さぞかし誇らしいことでありましょう! あるいは師匠たる身として、これでも物足りなく感じる面などおありなのでしょうかな?」
「いえ、物足りないことはありません。わたし自身の目指す味とは、まったく掛け離れた出来栄えであるのですが……さまざまな味を重ねた上で純朴な味わいを目指すというのも、ひとつの立派な手法であるのでしょう。わたしから学んだ作法を自分なりに昇華させた、これがボズルなりの答えであるのだと判じております」
「ふむふむ! それではこちらの料理にも、不満は持たれてはいないのですな?」
「不満など、持ち得るわけがありません。弟子たるボズルがこれだけ見事な調和を持つ料理を作りあげたのですから、心より誇らしく思っております」
ヴァルカスが茫洋とした面持ちで答えると、ボズルはぎょっとした様子で身をのけぞらせ、そののちにくしゃっと破顔した。
「ありがとうございます、ヴァルカス。あなたにそのように言っていただけたら、こちらこそ誇らしい限りであります」
「そうですか。おたがいに誇らしく、何よりのことですね」
このような際にもヴァルカスは情感を表さないので、傍目には社交辞令でも述べているように見えかねない。が、ボズルの様子を見るに、ヴァルカスもまぎれもなく本心で語っているようであった。
そして次なるは、そのヴァルカスの料理である。
そちらの皿が届けられると、ダカルマス殿下はあらためて瞳を輝かせた。
「以前の試食会では、筆舌に尽くし難い料理をいただくことがかないましたからな! 今度はどのような料理を口にできるのかと、ずっと心待ちにしておりましたぞ!」
「そうですか。ご期待に沿えれば、幸いに存じます」
俺たちの卓にも、ヴァルカスの料理の皿が並べられていく。
こちらの面々はなんとか自制していたが、貴き方々の席からエウリフィアの「まあ」という声が聞こえてきた。
「このたびも、珍妙な見た目をした料理であるのね。味の想像がまったくつかないわ」
「では、城下町の方々にも馴染みのない、新規の料理であるのでしょうかな?」
ダカルマス殿下が勢い込んで尋ねると、ヴァルカスは「いえ」と首を振った。
「まあ、考案したのはここ数ヶ月の話ですので、新規と言えなくはないのでしょうが……店ではすでに、何度となく供しています。侯爵家の方々には、初めてのお目見えになりましょうか」
「そうね。最近はあなたの店まで足を運ぶ機会もなかったし……ただ、以前にいただいた野菜料理に似た部分もあるように思えるわ」
俺もエウリフィアと同じことを考えていた。そしてそれは、レイナ=ルウも同様であったことだろう。レイナ=ルウはこれまで以上に真剣な眼差しで、その皿にのせられた珍妙なる物体を見つめていた。
形は細長く、ころんとした形状をしている。ちょうど俺の人差し指と同じていどの質量であろうか。その謎めいた棒状の何かが、黒い糸のようなものでぐるぐる巻きにされていたのだが――その黒い糸が、ヴァルカスの得意とする野菜料理とよく似た質感をしていたのだった。
「そちらはエウリフィア様の仰る野菜料理を応用した料理となります。食材の制限なく、自慢の料理を供するべしというお言葉でありましたため、そちらを準備いたしました」
「ではこれが、現時点におけるヴァルカス殿のもっとも自慢の料理であるのですな! それは期待が高まるばかりです! ……これはどのように食するべきでありましょうかな?」
「衣を崩さないようにご配慮いただければ、如何様にも。指でつかんでいただいても、まったく支障はございません。……ただできうれば、ひと口で食していただきたく思います。そちらはその分量で内外の味が調和するように計算しておりますので」
ならばと、俺たちは手づかみでその料理を食することになった。
手触りは、かりんとうのように硬くて乾いている。中には何が詰まっているのか、重いとも軽いとも言い難い手応えだ。
そうしてそれを口の中に投じ入れると、まずは懐かしい香りや風味が口から鼻へと吹き過ぎていった。
「香りの爆弾」とも言うべき、ヴァルカスの野菜料理である。そこには甘さと辛さと苦さと酸味が混然一体となって渦巻いており、しかもそれが調味料ではなく野菜と果実と香草だけで構築されているのだった。
その香りの爆弾たる黒い衣を、くしゃりと噛み破ると――思いも寄らない味わいが、口の中に広がった。
ギバ肉の脂と肉汁である。
香りの爆弾の内側には、脂ゆたかなギバのバラ肉が隠されていたのだった。
そしてこのギバ肉にも、さまざまな味付けが施されている。塩に砂糖、タウ油にミソ、ホボイ油にパナムの蜜、カロンの乳に乳脂――それにおそらく、俺にはあまり馴染みのないココナッツミルクのようなものや、ギャマの乳酒など、香草を除くさまざまな食材が配合されて、結果、まったく見知らぬ味わいが構築されているようだった。
その強烈な味わいが、野菜と香草の衣と絡み合い、得も言われぬ味わいを織り成していく。
まったくベクトルの異なる味と香りが、うねりをあげて味覚と嗅覚を蹂躙していくのだ。
「……ギバ肉とは、とてつもない存在感を有した食材となります。シムから届けられるギャマの肉よりも、いっそう力強い味わいでありましょう。ではその存在感はどこまで強い味付けに耐えられるのかと、最初はそれを主題にした肉料理を考案しておりました」
驚きおののく俺たちをよそに、ヴァルカスは淡々と解説し始めた。
「その当時はまだマロマロのチット漬けも流通していなかったため、使用しておりません。それ以外の、調味料と銘打たれたものはのきなみ使用しております。ですが、どれだけ研究を進めても、理想の味を完成させることはかなわず……ひとたびは、研究を断念することになりました。そうしてゲルドの食材が届けられた頃、新たな香草をこれまでの野菜料理に組み入れることは可能かと、新たな研究を開始したとき……天啓のように、思いついたのです。あえて香草を排して研究を進めていた肉料理に、こちらの野菜料理を調和させることはかなわないか、と……むろん、肉料理にも野菜料理にも小さからぬ調整を施すことになりましたが、なんとか新たな理想を形にすることがかないました。それが、こちらの料理となります」
「これは……とてつもない味わいでありますな! まるで口の中が戦場となったかのようです!」
ダカルマス殿下は、驚愕の形相でそのように言いたてた。
「ボズル殿の料理にも、力強さと繊細さが同居していたように感じられましたが……こちらはもう、言葉で言い表すこともままなりませんぞ! 緻密に計算された荒々しさとでも申しましょうか……ううむ、やはり無理なようです! そしてわたくしは、初めて白旗をあげることになるやもしれません!」
「白旗?」
「美味であるかどうか、判ずることができないのです! アスタ殿、あなたはどのようにお考えでしょうかな?」
「え? 自分は……確かに物凄く衝撃的な味でしたが、美味かどうかと問われれば……美味だと、思います」
「いま一瞬、躊躇なさいましたな?」
「は、はい。やっぱりちょっと驚きがまさって、うまく判ずることができません。ただ、決して不味いとは思いませんし、美味であることに間違いはないと思います」
「なるほどなるほど! アスタ殿がそれほどまでに混乱なさるのなら、きっとわたくしも恥じ入る必要はないのでしょう! わたくしはシムの香草にも馴染みが薄いため、余計に判断が難しいように思うのです!」
そうして笑顔を取り戻したダカルマス殿下は、ヴァルカスのほうに視線を戻した。
「ともあれ、これがとてつもない料理であることに疑いはありません! わたくしの抱いていた期待感は、十分以上に報われましたぞ!」
「そうであれば、幸いに存じます」
やはり余人の驚きなどどこ吹く風で、ヴァルカスはずっとぼんやりしていた。
貴き方々の席上でも驚きと困惑の猛威が吹き荒れているし、それは料理人の卓でも同様だ。平静を保っているのは、弟子としてこの料理をすでに知っていたはずのボズルひとりであった。
ティマロはわなわなと肩を震わせており、レビは思考のキャパオーバーを起こした様子できょとんとしている。ナウディスはせわしなく額の汗をぬぐっており、ネイルは両手で口もとの表情を隠してしまっていた。
レイナ=ルウは、空になった皿を食い入るように見据えている。
そして、マルフィラ=ナハムは――俺の視線に気づくと、ふにゃんと微笑んだ。
「や、や、やっぱりヴァルカスはすごいですね。こ、このような料理がこの世に存在するなんて、わたしは想像もしていませんでした」
「うん。たぶんこの大広間にいる全員が、似たような心境なんじゃないのかな」
そうして騒然とした空気の中、新たな料理が届けられる。
あたふたと立ち上がったのは、マルフィラ=ナハムであった。
「こ、こ、こちらはわたしの準備した、ギバの煮込み料理となります。ジェ、ジェノスの貴族の方々はすでに口にされたことがありますので、まったく目新しさはないかと思われますが、わたしは2種しか自分の料理と呼べるものを携えていないため、ど、どうかご容赦をお願いいたします」
「あら、それじゃあゲルドの方々の送別の祝宴で供された料理ということなのかしら? あれは素晴らしい料理だったから、また口にできるのなら嬉しい限りだわ」
エウリフィアがそのように応じると、マルフィラ=ナハムは「きょ、きょ、恐縮です」と腰が直角になるぐらい深々と一礼した。
見ていて気の毒なぐらいの緊張ぶりだが、それこそゲルドの送別会などではアイ=ファに何度となく「落ち着け」と諭されていたマルフィラ=ナハムであるのだ。あの頃と比べれば、格段に度胸がついたと評せるはずであった。
「こちらの料理は、城下町でも大層な評判であったようですな! そうだからこそ、わたくしもマルフィラ=ナハム殿の名を耳にすることになったのですぞ!」
ダカルマス殿下が大声でそのように言いたてると、マルフィラ=ナハムは大きくのけぞってから、その反動を利用したかのようにまた一礼した。
「きょ、きょ、恐縮です。お、お、お口にあえば、幸いに思います」
「では、いただきましょう!」
ダカルマス殿下の号令のもと、俺たちもマルフィラ=ナハムの料理を食することになった。
マルフィラ=ナハムは謝罪していたが、ゲルドの送別会というのは雨季に入ってすぐのことであったから、もう3ヶ月も前のことであるのだ。3ヶ月前にたった1度だけ食べただけの料理であるのだから、エウリフィアたちにとっても目新しさがないことはないはずであった。
また、森辺の同胞たる俺たちにしてみても、日常でマルフィラ=ナハムの料理を食する機会はほとんど存在しない。ここ最近は新しい料理の味見ばかりで、こちらの料理を口にするのはやはり送別会ぶりであったのだ。
3ヶ月ぶりに食べるマルフィラ=ナハムの煮込み料理は、やはり素晴らしい出来栄えであった。
さまざまな食材を使って複雑な味わいに仕上げつつ、それでもギバ肉を真ん中に置いた森辺の民に相応しい料理だ。数々の調味料と、数々の香草と、数々の果実のすりおろしが、甘さと辛さと苦さと酸味の調和を紡いでいた。
「……こちらの料理は、ユラル・パとファーナを加えたのですね」
ヴァルカスがそのようにつぶやくと、マルフィラ=ナハムは「ひゃいっ!」と直立した。
「そ、そ、そうです。ユ、ユラル・パとファーナを新たに加えています。あ、味が壊れることはないかと思ったのですが、何か不備でもあったでしょうか?」
「いえ。ファーナに味を壊すほどの主張はありませんし、ユラル・パの風味も調和の枠内に収められているかと思います。……そして、こちらの料理が3ヶ月前とまったく同じ味わいを保っていることに、感銘を受けました」
「か、か、感銘? お、同じ手順で作れば同じ味になるのが、普通なのではないでしょうか?」
「いえ。食材とて、個々で微細に味が異なっているのです。それに合わせて微調整できるかどうかも、料理人としての手腕でありましょう。やはりあなたは素晴らしい料理人です、マルフィラ=ナハム殿」
「お、お、おほめにあずかり、恐縮です」
すると、ダカルマス殿下も「うむ!」と大声をあげたので、マルフィラ=ナハムはまた飛び上がってしまった。
「確かにこちらも、以前の料理に負けぬ完成度でありますな! わたくしどもにとってはいささか香草がききすぎておりますが、そのように些末なことなど念頭に浮かばないぐらい、美味でありますぞ!」
などと語りながら、ダカルマス殿下はしきりに織布で汗をぬぐっている。南の民の中でも、ダカルマス殿下は汗かきの部類であるのだろう。隣のデルシェア姫などはにこにこと笑いながら、涼しい顔で試食を進めていた。
「なおかつ、ヴァルカス殿の料理で驚きにわなないていた舌が、そっと癒されるような心地でありますな! こちらの料理とて複雑な味わいであることに変わりはないのに、不思議なものであります! マルフィラ=ナハム殿はヴァルカス殿の影響を強く受けておられるという話でありましたが、やはり根本にはアスタ殿の教えが根付いておられるのでしょう!」
「は、は、はい。わ、わたしの師匠は、アスタですので」
と、マルフィラ=ナハムは嬉しそうにふにゃふにゃと微笑んだ。
しかし確かに、ヴァルカスのあの料理の直後で素直に美味しいと思えるのは、それだけマルフィラ=ナハムの料理も力強く、そして完成度が高いということなのだろう。生半可な料理では、ヴァルカスのもたらした衝撃に太刀打ちできないのではないかと思われてならなかった。
エウリフィアも満足そうな面持ちであるし、ティマロは鋭い眼差しでマルフィラ=ナハムの長身をちらちらとうかがっている。ボズルやナウディスは、心から感心しきっている様子だ。
そんな中、新たな料理が届けられた。
きりりと凛々しい面持ちをしたレイナ=ルウが、マルフィラ=ナハムに代わって立ち上がる。
「次は、わたしの料理となります。粗末な面もあるかと思いますが、多少なりとも喜んでいただけたら幸いです」
小姓たちが配膳していくと、また真っ先に声をあげたのはエウリフィアであった。
「あら、これはぎばかつね。ただ……わたしの知っているぎばかつとは、少し色合いが異なっているようだけれど」
「はい。そちらのぎばかつには、さまざまな香草や調味料などを加えています」
そんな風に答えながら、レイナ=ルウはヴァルカスのほうに視線を転じた。
「ヴァルカスやボズルであれば、もうおわかりでしょうね。こちらはロイの料理から着想を得て、わたしがひそかに研究を進めていた料理になります」
「ああ、ロイも森辺にお邪魔することで、だいぶ研究が進んだようだと申しておりましたね。まあまだ完成にはほど遠いようですが」
「はい。それはこちらの料理も同じことだと思います」
「ふむ?」と声をあげたのは、ダカルマス殿下であった。
「ではレイナ=ルウ殿は、いまだ研究のさなかにある料理を供されたということなのでしょうかな?」
「はい。結果的に、そういうことになってしまいました。もしもそれが試食会の主旨に外れている行為であったのなら、お詫びを申し上げたく思います」
そう言って、レイナ=ルウは深々と頭を下げた。
ダカルマス殿下はにこにこと笑いながら、「ふむ!」と繰り返す。
「では、こちらの料理を食する前に、レイナ=ルウ殿のお考えをうかがっておきましょうかな! わたくしはかねてより、森辺においてはレイナ=ルウ殿こそがアスタ殿に次ぐ料理人であるのだとうかがっておりました! マルフィラ=ナハム殿やマイム殿もそれに負けない手腕なれど、自分なりの料理の考案という点では一歩後れを取り、トゥール=ディン殿やリミ=ルウ殿はその興味と才覚が菓子のほうに向いているというお話でありましたからな!」
「わたしがアスタに次ぐ人間だなどとは、恐れ多いばかりです。ただわたしはもっとも古くからアスタに手ほどきしていただいている人間のひとりで、なおかつ屋台の取り仕切り役を任されていたため、そのような風評が流れることになったのでしょう。マルフィラ=ナハムもマイムも、トゥール=ディンも妹のリミ=ルウも、わたしには持ち得ない力を持っていますので……いつも、まぶしく感じていました」
レイナ=ルウはちょっと切なげに微笑み、マルフィラ=ナハムはあたふたと目を泳がせることになった。
ダカルマス殿下は興味深そうに「ふむふむ!」と繰り返す。
「しかしレイナ=ルウ殿は多彩な料理の作り方を体得しておられると、もっぱらの評判でありますな! それでしたら、試食会で出す料理に困ることもないのではないでしょうかな?」
「いえ。わたしの作りあげる料理のほとんどは、アスタから習い覚えたものに過ぎません。それでも自分なりに、いくつかの料理を考案することもできましたが……それらはおおよそ、宿場町の屋台で出してしまっているのです。それでは目新しさもありませんし……味比べという場に立たされるのであれば、過去の自分ではなく現在の自分を評していただきたいと願ったのです」
「ふむふむ! それでこちらの料理を供された、と?」
「はい。わたし自身、まだ完成はしていないと思っている料理なのですが……いったい何が足りなくて、何が余分であるのか、いまの自分では判別することができません。ですが、それは……ヴァルカスを始めとする城下町の方々があれだけ見事な料理を作りあげていると思い知らされているからなのです。きっと1年ぐらい前の自分であれば、この段階で十分に満足できたかと思うのですが、今のわたしには満足がいきません。それで、森辺の民ならぬ方々にはどれだけご満足いただけるのかと、それを知りたいと願うことになりました」
自分の思いを吐露することで、レイナ=ルウはようやく表情がやわらかくなっていた。
ダカルマス殿下は「なるほど!」と膝を打つ。
「レイナ=ルウ殿のお心は、理解できたように思います! あとはこちらの料理を食してから語らせていただきましょう!」
俺たちは、ようやく食器を取り上げることになった。
皿の上には、ひと切れのギバ・カツがちょこんとのせられている。その衣が、なんとも言えない色合いを帯びていた。パン粉の代わりの干しフワノ粉は普段通りのキツネ色であるが、その下のフワノ粉にさまざまな香草のパウダーが加えられているのである。
俺がそれを口にすると、ロイのギバ・カツにも負けない多彩な味わいが口の中に広がった。
俺やマルフィラ=ナハムは森辺の勉強会でも何度か味見をさせてもらっていたが、それはダカルマス殿下たちがやってくるまでのことだ。このひと月は、レイナ=ルウも新たな食材の研究にかかりきりであるかと思っていたのだが、それでもわずかばかりに進化が感じられた。
イラの葉やココリによる辛み、ギギの葉やミャンツによる苦み、シールの果汁やレモングラスのごとき香草による酸味、タウ油やミソによる塩気と風味――さらにそこに、果実の甘みが加えられていた。
「以前に食べたときよりも、甘みが増してるね。シール以外にも果実を増やすことになったのかな?」
俺がこっそり問いかけると、レイナ=ルウは「はい」と小声で答えてくれた。
「ワッチとラマムの果汁を加えています。最初はロイと同じように、ワッチのみを加えてみたのですが、ラマムの甘みも調和を壊さずに組み込めるかと思ったので……」
「うん。少なくとも、前より美味しくなってると思うよ。これで完成って言われても、まったく不思議はないぐらいだけど……」
しかしレイナ=ルウは、まだ満足していない。もとのギバ・カツとは異なる美味しさを体現できていても、これがヴァルカスであればもっと素晴らしい出来栄えに仕上げているはず――という思いがぬぐえないのだそうだ。
レイナ=ルウは物問いたげにヴァルカスの様子をうかがっていたが、それよりも早く口を開いたのはダカルマス殿下であった。
「レイナ=ルウ殿! あなたはこれでも、まだこの料理が完成していないと仰るのでしょうかな?」
「はい。まだまったく十分な仕上がりではないだろうと思っています」
「それは、驚くべき話でありますな! ……侯爵家の方々は、どのようにお考えでありましょうか?」
「わたくしはもう、どこに不備があるのか想像もつきませんわ。初めてぎばかつを口にしたときと同じぐらいの気持ちですもの」
そう言ってエウリフィアが視線をパスすると、本日はメルフリードよりも中央寄りの位置にいたマルスタインが「うむ」と鷹揚に応じた。
「わたしも、同じ気持ちですな。こちらの料理のどこに改善の余地があるというのか、見当もつきかねます。これはもう、料理人らの言葉を聞くしかないのではないでしょうかな」
ダカルマス殿下は、期待に輝く眼差しでヴァルカスを見やった。
ボズルに肘をつつかれたヴァルカスは、ぼんやりとした顔でダカルマス殿下を振り返る。
「こちらの料理は香草や調味料の配合も的確で、見事に調和が取れているかと思われます。そういう意味では、不備もないのでしょう。……ですが、改善の余地はいくらでも残されています。そういう意味では、不満を禁じ得ません」
「いったいどの点がご不満なのでしょう?」と、レイナ=ルウが身を乗り出した。
ヴァルカスは同じ面持ちのまま、そちらに向きなおる。
「あなたやロイは、わたしとアスタ殿の作法を融合せんと目論んでおられるのでしょう? わたしはアスタ殿の作法を自らの作法に取り入れることを断念した身でありますため、有効な助言は難しいように思います」
「ですが、不満を禁じ得ない出来栄えなのでしょう?」
「はい。ぎばかつというのはギバ肉の魅力を最大限に引き出した料理のひとつであるかと思われます。そうして食材のありのままの味わいを活かそうとするのが、アスタ殿の作法でありましょう? そこで無理に味を重ねるのは、やはり無粋で無謀な行いであるように思えてなりません。……ただ……」
「ただ?」
「こちらの料理で、このやり口の限界が見えたように思います。あなたはどこに不備があるのか判別できないと仰っていましたが、おそらくこの手法ではこれ以上の調和も望めないのでしょう。……わたしであれば、いったんすべての細工を外に外します」
「細工を、外に外す? 確かにロイも研究を進めるうちに、後掛けの調味液を使うようになっていましたが……」
「そのように簡便な話ではありません。中途半端に使い方を分けても、混乱が増すばかりでしょう。……ですからそうではなく、ぎばかつを独立したひとつの要素と見なすのです。ぎばかつはこれほど完成された料理なのですから、可能な限り細工は施さないと縛りをつけるのです。そうして後掛けの調味液などでどれだけ工夫を凝らせるか吟味して、そののちに、後掛けでは不可能な細工のみをぎばかつ本体に施してみる……といったところでしょうか」
「それは……ロイやわたしの取り組みを、根底からくつがえすようなお言葉であるようですね」
そのように語りながら、レイナ=ルウの青い瞳は星のようにきらめいていた。
「でも、目の前の霧が晴れたような心地です! ヴァルカス、ありがとうございました!」
「礼には及びません。それは、あなたの料理から得られた答えであるのです。あなたの料理がこの手法における調和を極めていたからこそ、わたしにもこれが限界であると察することがかなったのでしょう」
そう言って、ヴァルカスは――滅多に見せない微笑みを、その口もとにたたえた。
「あなたは素晴らしい料理人ですね、レイナ=ルウ殿。こういった料理を最初に発案したのはロイですのに、すっかり追い抜かれてしまったようです。……これからも、不肖の弟子と切磋琢磨していただきたく思います」
レイナ=ルウは虚を突かれた様子で目を見開き――そして、その大きな目に涙をにじませながら、「はい!」と笑顔でうなずいた。