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異世界料理道  作者: EDA
第六十三章 大地の礼賛
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最後の試食会・菓子編②~甘き戦い~

2021.8/4 更新分 1/1 ・11/29 誤字を修正

 料理人たちの紹介を終えたならば、大広間では実食の開始であった。

 その場に集まった人々は逸る気持ちを抑えつつ、それぞれのブースに列を成す。俺とアイ=ファもそれに続こうとすると、シリィ=ロウの腕をつかんだユーミが後をついてきた。


「ねえねえ、よかったら一緒に回らない? 森辺と宿場町と城下町の人間がいそろってたら、色んな感想を聞けそうだからさ!」


「うん。俺はかまわないけど……ルイアやロイは別行動なのかな?」


「ルイアは、テリア=マスたちと一緒に回るってさ。……レビが料理に夢中になって、テリア=マスをないがしろにしちゃってるんじゃないかって心配なんだろうね。あたしは心配いらないと思うんだけどなあ」


 いつもの調子で朗らかに笑いながら、ユーミはそう言った。


「で、ロイはレイナ=ルウたちに押しつけてきちゃった! ロイが一緒だと、シリィ=ロウはすーぐその後ろに隠れちゃうからさぁ」


「わ、わたしがこのような場でロイを頼る理由はありませんよ!」


 何にせよ、今日はブースも6つしかないのだから、行く先々で見知った相手と出くわすことだろう。というか、これだけ試食会の回数を重ねていれば、おおよその相手は見知った顔となるのだ。

 それを証明するかのように、俺たちが手近な列に足を向けると、その最後尾にはナウディスの姿があった。それと言葉を交わしているのは――城下町の料理店、《四翼堂》のご主人だ。


「おや、そちらは……たしか、ヴァルカス殿のお弟子であられましたな」


《四翼堂》のご主人がやたらとかしこまった調子で呼びかけると、シリィ=ロウはユーミの腕を振り払い、「どうも」と一礼した。


「あなたは菓子作りの手腕において、師たるヴァルカス殿をも超える技量であると聞き及んでおりますぞ。それでしたら、本来は菓子を準備する側に選ばれるべきお人なのでしょうな」


 シリィ=ロウは言葉少なく、「いえ」としか答えなかった。

《四翼堂》のご主人は気取った仕草で肩をすくめて、ナウディスとの会話を再開させる。この様子を見て、ユーミがシリィ=ロウに耳打ちした。


「なんか、微妙に感じ悪いね。なんかあのお人と悪いご縁でもあるの?」


 シリィ=ロウは、隣にたたずむ俺にもぎりぎり聞こえるぐらいの声で「いえ」と応じた。


「ただ、城下町の料理人の多くは、ヴァルカスに対抗心を抱いています。その弟子である人間にも甘い顔は見せられない、ということなのでしょう」


「ふーん。気位が高いんだねー」


「そうですね。……ですから、その人物があのように宿場町の御方と熱心に語らっているのは、少々意外に思います」


 確かに《四翼堂》のご主人は、それなりの熱意をもってナウディスに語りかけている様子であった。切れ切れに聞こえてくる会話の断片から察するに、ジャガル料理について談義しているようだ。


「《南の大樹亭》のナウディスも、勲章を授かるような手腕だからねー。あんたのお師匠がジーゼ婆さんとかにまとわりつくのと同じようなもんかー」


「……まとわりつくという表現は、いささか釈然としないのですが」


「だって、べったりまとわりついてたじゃん。まるで、ジーゼ婆さんを口説いてるみたいにさ。……あはは、うそうそ! こーんな軽口にむくれるなってば!」


「む、むくれてなどいません!」


 ユーミとシリィ=ロウがそんな微笑ましいやりとりをしている間に、ブースの卓が眼前に迫ってきた。卓に置かれた菓子の皿を取り上げるだけのことなので、どれだけ列がのびようともさして時間はかからないのだ。


「どうぞ。お好きな皿をお取りください」


 見覚えのある若者が、笑顔で卓の上を指し示してくる。白い調理着に朱色の肩掛けを羽織ったこの人物は、《ランドルの長耳亭》の従業員であった。


「あー、あんたのとこの菓子だったのかあ。今日の菓子も、美味そうだね!」


「はい。主人自慢の菓子となります」


 俺たちはひとつずつ皿を取り上げて、速やかに横合いへと引っ込んだ。

 ひと足先にその菓子をかじっていたナウディスが、「おお!」と感嘆の声をあげている。


「これもまた、見事な出来栄えでありますな! 舌がとろけそうな心地でありますぞ!」


 どれどれと、俺もその菓子を検分させていただいた。

 見た目は、どうということもない焼き菓子である。丸くて厚みのある形状で、中央のくぼみから赤いジャムのようなものがこんもりと盛り上がっている。ただ、俺がトゥール=ディンらに伝授した果実のジャムよりは不透明で、いかにもねっとりとしていそうな質感であった。


「うわー、甘いね! ちょっとこれは、甘すぎるかも!」


 そのように騒ぐユーミのかたわらで、シリィ=ロウはきわめて真剣な眼差しになっている。


「しかし、この菓子は……また何か、特別な細工が凝らされているように感じられます」


「特別? そうかなあ? この前の菓子ほど、特別な感じはしなかったけど」


「それはあなたが、森辺の菓子を食べ慣れているゆえでしょう。少なくとも、ジェノスの城下町にこのような菓子は存在いたしません」


 ますます好奇心をかきたてられながら、俺もその菓子を食させていただいた。

 すると――予想通りの味わいと予想外の味わいが、混然一体となって舌の上に広がっていく。

 予想通りであったのは、果実の味わいだ。赤い色合いから予測できた通り、主体となっているのはキイチゴに似たアロウであろう。ただし、アロウだけでは得られない風味もぞんぶんに織り込まれていたので、リンゴに似たラマムやブルーベリーに似たアマンサも使われているように察せられた。


 それで、予想外であったのは、乾酪の風味である。こちらの宿では前回の試食会でもチーズケーキに似た菓子を供していたのだが、それにも負けないぐらい乾酪の風味が強かった。

 なおかつ、とてつもなく甘いのは、蜜や砂糖もどっさり使われているためだ。乾酪の練り込まれた生地はどっしりと重く、赤いジャムは外見通りにねっとりとしており、そうそう容易くは呑み込めないために、濃密な甘さがいっそう際立って感じられるのかもしれなかった。


「うん。アイ=ファだったらちょっと嫌がりそうなぐらいの甘さだね。ユーミも苦手な感じなのかな?」


「いやー、苦手ってほどではないんだけどさあ。あたしちょっと、怖い噂を聞いちゃったんだよねー」


「怖い噂?」


「うん。甘い菓子は太りやすいから、城下町の貴婦人は舞踏の練習とかトトス乗りに励んでるんだーとか、リフレイアがそんな風に言ってたんだよ。……それって、ほんとなの?」


「ああ、そういう一面はあるだろうね。こういう菓子は糖分も脂質も豊富で、フワノやポイタンを土台にしてるわけだしさ」


「わー、おっかない! あたし、肉がつきやすいからさあ。それを聞いて以来、あまーい菓子を食べるのがちょっと怖くなっちゃったんだよねー」


「あはは。食べた分は動けば、心配いらないんじゃないかな」


 俺とユーミが呑気に語らっていると、シリィ=ロウが真剣な面持ちで身を乗り出してきた。


「それよりも、この菓子の出来栄えです。アスタは何も、特別なものを感じないのですか? もしやあなたは、こういった菓子の作り方もわきまえておられるのですか?」


「特別なもの、ですか? そうですね。ちょっと食感は独特なように感じますけれど……」


「そう、食感です。これにはきっと、乳脂や乾酪が大量に使われているのでしょう。果実はアロウとラマムとアマンサで、砂糖とパナムの蜜も使われており……あとは何か香ばしい風味もしたので、ラマンパの実が使われているのかもしれません」


「なるほど。食材の組み合わせは、それほど奇抜ではないようですね。乾酪がちょっと珍しいぐらいですか」


「はい。ですが、この食感は独特です。大量の食材をぎゅっと凝縮したような……それこそ、滋養の塊を食しているような心地であるのです」


 俺が「ああ」と声をこぼすと、小柄なシリィ=ロウは背伸びをするようにして詰め寄ってきた。


「なんでしょう? 何か、心当たりでも?」


「あ、いや、調理法とかそういう話ではないのですけれど……こちらのご主人は、アブーフ育ちと仰っていましたよね。それでアブーフというのはマヒュドラとの境にある北国なのでしょう? そういう環境だからこういう菓子が生まれたのかな、という気がしたんです」


「どうして寒さの厳しい土地だと、このような菓子が生まれるというのでしょうか?」


「寒いと体力を奪われるので、滋養が必要になりますよね。手っ取り早く滋養を摂取するために、食材を凝縮するような手法が育まれたのではないでしょうか?」


 俺の鼻先に詰め寄ったまま、シリィ=ロウはうろんげに眉を寄せた。


「……寒いと、体力を奪われるのですか? それはまあ、雨季には病魔に気をつけるべしと言われていますけれど……」


「あ、そうか。このあたりはそんなに寒くなりませんもんね。ゲルドやマヒュドラは毛皮の装束が必要なぐらい寒さが厳しいという話でしたから、たぶん温暖な地で暮らす俺たちよりも滋養が必要なのだと思いますよ」


「なるほど……そういった土地であるからこそ、生み出された菓子というわけですか……では、料理のほうでも独特の調理法などが存在するかどうか、確認しなければなりませんね」


 そうしてシリィ=ロウが思案顔になると、黙って様子を見ていたアイ=ファが「おい」と低く声をあげた。


「言葉を交わすのに、それほど身を寄せる必要はなかろう。そのようなところまで師匠を真似るべきではあるまい」


 シリィ=ロウはけげんそうにアイ=ファを見てから、顔を真っ赤にして俺から飛び離れた。


「わ、わたしはただ、アスタのお言葉を興味深く聞いていただけです! じゃ、邪推はおやめください!」


「邪推などしておらん。ただ身を寄せすぎだと忠言したままだ」


「そーそー! 異性にはさわっちゃいけないって森辺の習わしがあるんだから、あんたも気をつけないとね!」


 ユーミは陽気に笑いながら、シリィ=ロウの肩を抱く。

 横目でねめつけてくるアイ=ファに苦笑を返しつつ、俺は「さて」と声をあげてみせる。


「まあこれ以上の議論は後回しにして、ひと通りの菓子を食べちゃおうか。今日はいつもより時間も短く制限されてるんだからね」


 というわけで、俺たちは第2のブースに向かうことにした。

 そちらには、さきほど別れたばかりの同胞たちが集っている。顔ぶれは、ユン=スドラとレイ=マトゥアとフェイ=ベイムというものであった。


「ああ、アスタ。こちらは《アロウのつぼみ亭》のようですよ」


 ユン=スドラに言われるまでもなく、そちらのブースの向こう側にはレマ=ゲイトの巨体がうかがえた。調理にたずさわらない彼女は、投票権のない参席者として来場を認められていたのだ。


「お疲れ様です、レマ=ゲイト。今日の菓子は……団子ですか」


「ふん。また団子か、とでも言いたげだね」


 本日もけばけばしい原色のお化粧と豪奢な装束に包まれて、レマ=ゲイトはなかなかの迫力だ。お手伝いである娘さんの姿は見あたらず、卓の上の菓子は8割がたがなくなっていた。

 そこに準備されていた菓子は、淡い紫色をした団子である。《アロウのつぼみ亭》は前回の試食会でも、青紫色をしたアマンサの団子を出していたのだ。


(それで今回は、この色合いか。つまりこれは――)


 俺がその菓子を口にすると、また予想通りの味わいと予想外の味わいが広がった。その生地にはレーズンのごときリッケの果汁や果肉が練り込まれており、その内側には干し柿のごときマトラの餡が隠されていたのだった。

 マトラは丁寧に潰した上で、カロン乳や乳脂などが添加されているらしい。生地のほうは溶けるようなやわらかさであったが、粘り気の強いマトラの餡は《ランドルの長耳亭》の焼き菓子に負けないぐらいねっとりとした食感であった。


「へー、南の王都の果実をふたつとも使ってるのかー。たったの数日で、大したもんだね!」


 ユーミがそのように声をあげると、レマ=ゲイトは大きな鼻から「ふん!」と息を噴いた。


「うちの厨番にかかれば、造作もないことさ。団子の出来栄えなら、どこにも負けないよ!」


「確かにこちらの宿の団子は、独特の食感をしています。……もしや、こちらの厨番である御方も、ジェノスではない余所の地のお生まれなのでしょうか?」


 シリィ=ロウが勢い込んで尋ねると、レマ=ゲイトはふてぶてしい顔つきでそれを迎え撃った。


「うちの厨番は、生粋のジェノスっ子さね。ただ抜群に腕がいいってだけのことさ」


「そうですか。近年まで菓子の存在しなかった宿場町に、これほど素晴らしい菓子を手がけられる御方が何故存在するのかと、かねてより疑問に思っていたのですが――ならばきっとこちらの菓子は、もともと料理で使っていた手法の応用であるわけですね。それなら、納得がいくように思います」


 レマ=ゲイトはたちまちうろんげな顔になって、シリィ=ロウをねめつけた。


「なんだい、能書きの多い娘っ子だね。うちの菓子に何か文句でもあるってのかい?」


「文句などは言っていません。何か誤解を与えるような言葉でもあったでしょうか?」


 シリィ=ロウがむっとした様子で言い返すと、ユーミが「まあまあ!」と取りなした。


「レマ=ゲイトは誰に対してもこういう物言いなんだから、ムキになることないって! レマ=ゲイトもさ、自分の子供ぐらいの娘さんにつっかかるんじゃないよ」


「ふん。あたしの子供だったら、こんな小生意気そうな娘に育てるもんかね」


 すると、両手に皿を掲げて戻ってきた手伝いの娘さんが、「何を騒いでるのさ?」と声をかけてきた。


「ああ、また森辺のお人らかい。これだけ顔を突き合わせてるのに、成長しない主人だねえ」


「ところがどっこい、今日の相手は城下町のお人だったんだなあ。あんな立派な装束を着てる日ぐらい、おしとやかにしてほしいもんだよねぇ」


 ユーミと手伝いの娘さんは、どこか似たような顔つきで笑みを交わし合った。ユーミのほうがずいぶん若年であるものの、あだっぽい色気の持ち主という意味ではよく似た両名であるのだ。屋台村で顔をあわせる機会が多いなら、ひそかに親睦が深まっていそうなところであった。


「なんだ、あたしひとりに働かせて、菓子を並べてもくれなかったのかい? まったく、尽くし甲斐のない主人だよ」


「やかましいよ。そいつは、あんたの仕事だろ」


 レマ=ゲイトは娘さんから皿をふんだくって、そこにのせられていた菓子を大きな口で頬張った。

 とたんに、その顔が渋い表情を浮かべる。


「……こいつもまた、ずいぶん風変わりな菓子だね」


「ああ、どこの菓子も大した出来栄えさ。これじゃあ勲章なんて望めやしないねえ」


「やかましいよ! とっとと働きな!」


 どうも今日のレマ=ゲイトは普段以上に気が張っているようであったので、俺たちも早々に退散することにした。

 ユン=スドラたちは逆回りであったので、その場でお別れである。次のブースに向かいながら、シリィ=ロウはまだ収まりがつかない様子であった。


「いまだ2種の菓子しか口にしていませんが、《アロウのつぼみ亭》が勲章を授かることはないでしょう。あちらの菓子は、以前の菓子ほどの完成度ではありませんでした」


「え、そうかなあ? あたしは同じぐらい美味しいなと思ったけど」


「……アスタは、どのようにお思いですか?」


「そうですね。俺も美味しいと思いましたけど、リッケとマトラはそれほど相性がよくないのかなと思いました」


「その通りです。リッケとマトラそれぞれの扱いに問題は見られませんでしたが、それを組み合わせるべきではありませんでした。また、あちらの饅頭は独特の食感を有していますが、先の試食会でもそれは披露されています。完成度が低い上に目新しさも希薄なのですから、星を集めることはかなわないでしょう」


「うわー、厳しいね! これじゃあうちなんかも、勲章をもらえなかったわけだ」


 ユーミがそのように言いたてると、シリィ=ロウはたちまち慌てた面持ちになった。


「あ、あなたはあえて作りなれていない料理を供したのでしょう? そこでわずかに完成度が削がれてしまいましたが、決して他の料理に見劣りはしていなかったように思います」


「そんな、慌てて取りつくろうことないって! あたしは別に、順位とか気にしてないんだから! ……あんた、そういうところは可愛いよねえ」


「ちょ、ちょっと! べたべたくっつかないでください!」


 もともと仲良しの両名も、試食会を重ねることでいっそう親睦が深まったようだ。

 それを微笑ましく思っている間に、次のブースに到着した。そこで待ち受けていた東の民の一団が、それぞれ無表情に一礼してくる。


「アスタ、お疲れ様です。本日も、森辺の方々は素晴らしい菓子を供しておりましたね」


 まずそのように声をあげてきたのは、《黒の風切り羽》の団長ククルエルであった。目つきは鋭いが物腰のやわらかい、壮年の東の民である。

 そしてその左右には、今日もプラティカとアリシュナが控えている。他の東の民たちはくっついたり離れたりであるが、この3名は常に行動をともにしているのだ。素性もバラバラの3名であるが、どこか馬の合うところがあったのだろうか。


「しかし、他の方々の菓子も素晴らしい出来栄えでありますため、また味比べでは大いに悩むことになりそうです。つくづくジェノスには、腕のいい料理人が集まっているのですね」


「そうですか。さまざまな土地を巡っているククルエルにそんな風に言ってもらえるのは、誇らしい限りです」


「ええ。2年も前には、及びもつかなかった考えです。あの頃は城下町においても宿場町においても、心から満足できる料理や菓子を見出すのは、きわめて難しかったので。……もっとも、祖国では味わえないような料理というだけで、わたしには十分に刺激的なのですが」


 東の民でなければ、微笑のひとつでもこぼしそうな場面である。

 そしてそのかたわらでは、プラティカが紫色の瞳を爛々と燃やしていた。


「……プラティカも、大いに刺激を受けておられるようですね」


「はい。自らの未熟、思い知らされています。私、料理の修練、優先していますが、菓子も、二の次にできない、痛感させられました」


 プラティカも最近は城下町で過ごす日が増えてきていたので、トゥール=ディンとリミ=ルウが本日準備した菓子を口にするのも初めてであったのだ。それらの菓子は、確かに俺にしてみても素晴らしいとしか言いようのない出来栄えであったのだった。


「とりあえず、こちらの菓子をいただきましょうか。いったいどなたの作でしょうね」


「隣、ダイアでした。よって、ヤンでしょう」


 プラティカの言う通り、先客たちがブースの前からいなくなると、そこにニコラの仏頂面が現れた。


「ニコラ、ようやく会えました。試食、進んでいますか?」


「ええ。両隣の菓子はいただきました。最初の時間は皿の減りも早いので、あまり足をのばせないのです」


 今日は手軽な菓子であるので、回転率が高いのだろう。減った分の菓子を並べるだけの仕事でも、それなりの慌ただしさであったようだ。

 そんなニコラの仕事の成果として、卓には隙間なく菓子の皿が並べられている。俺たちもつつしんで、それを味わわさせていただくことにした。


 ヤンもまた、焼き菓子である。やはり城下町においては、焼き菓子が主流であるのだろう。

 菓子は四角く切り分けられており、断面にはミルフィーユのように何重もの層が覗いている。生地と交互に重ねられた具材はやわらかい黄色で、見るからに甘そうな色合いであった。


「……何か、光っています」


 と、皿を持ち上げたアリシュナが優雅なシャム猫のように小首を傾げつつ、そう言った。

 確かに生地と具材の隙間から半透明の何かがわずかにこぼれて、それがシャンデリアの光を反射させていた。とろりとした液体のような質感だが、こぼれかけた形でしっかり凝固しているようだ。


「これはもしかして、チャッチ餅ですか?」


「はい。生地と具材の間にチャッチもちをはさみこんでいます」


「へえ。それを窯焼きにしたら、チャッチ餅が溶けてぐちゃぐちゃになっちゃいそうだけど、きちんと形が保たれていますね」


 俺がそのように言葉を重ねると、ニコラはぶすっとした顔のままもじもじと身をよじった。


「わたしは弟子の身に過ぎませんので、師たるヤン様の考案された手法をこの場で口にしていいものか、判断できかねます。……そもそもチャッチもちというのはアスタ様から習い覚えたものであるのですから、ヤン様も決して包み隠したりはしないように思うのですが……」


「ああ、困らせてしまってすみません。気になったらヤンに直接おうかがいしますので、どうか気になさらないでください」


 そうしてその菓子を口にしてみると、黄色い具材の正体はサツマイモのごときノ・ギーゴであった。カロン乳や乳脂などが添加されて、わずかにもったりとした甘いノ・ギーゴのペーストが、チャッチ餅とともにフワノの薄い生地ではさまれていたのである。


 おそらくノ・ギーゴは、素材の甘さを活かしているのだろう。生地のほうもシナモンのような風味が豊かではあったが、砂糖などはほとんど使われていないように思えた。とても上品で、かつ純朴な味わいだ。

 そして、ぷるぷるとしたチャッチ餅の食感が、楽しいアクセントになっている。チャッチ餅が表面ではなく内側に仕込まれたことによって、具材や生地とのまざり具合がこれまでとまったく異なっていた。


「……ノ・ギーゴの扱いは、十全です。生地にはさしたる工夫もありませんが、ノ・ギーゴの味わいとチャッチもちの食感を活かすには、最前の手法でありましょう。また、チャッチもちの作り方は吟味の会でもつまびらかにされたため、いまや誰もが扱えるようになったわけですが……それを先んじて習得されたヤンという御方は、やはり扱い方が洗練されているようです」


 どこか感情を殺しているような声音で、シリィ=ロウはそう言った。

 そのかたわらにたたずんだユーミは、朗らかに「そうだねー!」と同意する。


「これ、すっごく美味しいよ! 今のところは、一番かも! あー、あたしもノ・ギーゴを色々使ってみたいなー。うちの宿って酒飲みの客が多いから、菓子があんまり売れないんだよねー」


「でしたら、屋台、いかがでしょう? 《西風亭》、どのような菓子、作りあげるか、興味深いです」


 プラティカが鋭く言葉をはさむと、ユーミはにぱっと子供のように笑った。


「それ、いいかも! 菓子は厨で作りあげちゃえば、おこのみやきの屋台で一緒に売れるもんね! ……って、うちの話はどうでもいいか。とにかくこの菓子、すっごく美味しいよ!」


「ありがとうございます」と、ニコラは仏頂面でお行儀よく一礼する。

 ククルエルとアリシュナは無言であったが、それらの黒い瞳にも満足そうな輝きがたたえられていた。


「本当に、どの菓子も素晴らしい出来栄えですね。……では、またのちほど」


 東の一団に別れを告げて、俺たちは次なるブースを目指す。さきほどプラティカが述べていた通り、お次はダイアの菓子である。その場には、レビやテリア=マスやルイアや《ゼリアのつるぎ亭》のご主人などが群れ集い、さらに城下町の人々も複数名いりまじっていた。


「なんか、すごい人出だね。……レビ、何かあったのかな?」


「ああ、アスタ。いや、なんだか食べるのがもったいねえような有り様でさ」


 その場の人々はブースの卓を取り囲んだまま、ただひたすら外観を観賞していたのである。これでは人が溜まるわけであった。

 それで俺たちも、卓の上を覗かせてもらったわけであるが――確かにそれは、驚嘆に値する光景であった。卓の上には、色とりどりの花が飾られていたのである。


「どの菓子も味に変わりはありませんので、どうぞお好きな皿をお取りください」


 その場に控えた助手の若者も、困っていると同時にとても誇らしそうな面持ちであった。

 花のごとき菓子というのはダイアの得意技であるし、一番最初の試食会でもお披露目されている。ただ今回は、それとも絢爛さが異なっていた。


 花のひとつひとつは、とても小さい。おそらくは、直径5センチほどの平たい生地の上で、何らかの具材が花の模様にデコレイトされているのだ。

 だがしかし、それらの花は色合いばかりでなく、形状までもが異なっていた。ガーベラのように細長い花弁を開いていたり、アジサイのように小さな花弁が折り重なっていたり、アサガオのように大きな花弁が広げられていたり――少なく見積もっても、10種ぐらいの種類が取りそろえられているようだった。


 なおかつ、それらがのせられている皿は、いずれも深い緑色をしている。それがいっそう、花畑のような様相を演出しているのだ。

 もちろん花の形状は異なっていても大きさは均一であるため、本物と見まごうというような感じではない。形状の異なる花がいずれも同じ大きさであるというのは、あまりに不自然であるのだ。しかしそれがまた、花畑を可愛らしくデフォルメした芸術作品のような雰囲気を生み出しているようだった。


「ほへー。こりゃあ確かに、食べるのがもったいないぐらいだね! ……でも、食べないと始まらないからなあ」


 と、ユーミが人垣から手をのばして、一枚の皿を取り上げた。

 空いたスペースには、助手の若者がうやうやしい手つきで新たな皿を置く。


 俺とシリィ=ロウもユーミを見習い、人垣から脱出を果たした。それで人々も本分に思い至ったのか、ひとりずつ皿を手にし始めたようだった。


「うーん、食べ物ってより、飾り物みたいだね! でも、肝心なのは味だからなあ」


「ごもっともだね。でも、ダイアだったら味のほうも申し分ないはずさ」


 俺たちは3人同時に、その菓子を口にした。

 とたんに、甘やかな芳香が鼻に抜けていく。それはまるで、本物の花みたいにふくよかで清涼な香りであった。

 花弁を形づくっていた具材はクリームのような食感で、すぐさまとろけていく。その下の生地もきわめてやわらかく、歯を使う前からくしゃりと砕け散った。

 そうすると、花のような香りと甘さがいっそう強く口の中に広がった。

 これは、どういった食材が使われているのだろう。いくつかの果実と蜜の味が感じ取れなくもないのだが、それらは複雑に絡み合って、まったく覚えのない香りと甘さを織り成している。結果、「本物の花のような」という感想しか浮かばないのだった。


「うわー……ねえねえ、アスタやシリィ=ロウは、花って食べたことある?」


「え? いや、ないと思うけど」


「わたしも、ありません。シムには食用の花が存在すると聞き及んでいますが、ジェノスには流通していないはずです」


「あたし、ちっちゃいときに花をかじったことがあるんだよねー。こんなにいい匂いなんだから美味しいに違いないって思い込んじゃってさ! ……でも、舌がちぢむような渋さで、すごくガッカリしちゃったんだあ」


 そう言って、ユーミは少し照れくさそうな顔で笑った。


「あのときの花がこんな味だったら、ちっちゃいあたしも大喜びしてただろうなあって、なんかそんな風に思っちゃった」


「うん。きっとダイアはそういう思いで、この菓子を作りあげたんじゃないかな」


 そう考えると、このデフォルメされた花の様相も、子供のお絵描きめいた風情が感じられる。もしかしたら、この菓子のテーマは「童心」なのかもしれなかった。


(本当に、ダイアはすごい人だなあ。……いや、ヤンや他の人たちだって、十分にすごいんだけどさ)


 そして俺は、この先に待つトゥール=ディンとリミ=ルウの菓子がどれだけすごいかも、すでに知っている。

 そのすごさを再確認するために、俺は歩を進めることにした。

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