序~温かな晩餐~
2021.8/2 更新分 1/1 ・11/29 誤字を修正
・今回は全9話の予定です。
王家の方々を森辺に招いた歓迎の祝宴から、3日後――緑の月の12日である。
その日、ファの家とその近在の氏族の家に、ジャガルの建築屋の面々をお招きすることに相成った。
建築屋の面々はジェノスにやってきた初日の夜にも森辺にお招きされていたが、あれはルウ家の主導であったので、今度はファの家とその近在の氏族の家に招待することになったのだ。
俺の屋台の手伝いをしてくれている氏族の人々はのきなみ昨年の送別会に参席していたし、その後の復活祭でも建築屋の面々とはそれなりにご縁を紡いでいる。そういった人々がもっとご縁を深めたいと申し出てくれたため、このようなイベントが実現したのだった。
このたび会場に選ばれたのは、ファ、ガズ、マトゥア、ラッツ、アウロ、ベイム、ダゴラの7氏族となる。20名から成る建築屋の面々を、それらの家に2、3名ずつ招待しようという試みだ。今回選ばれなかった氏族に関しては、また後日のお楽しみということで話は落ち着いた。
ファの家にお招きするのは、もちろんおやっさんとアルダスとメイトンの3名である。
そしてこういう際には、近在の氏族からかまど番をお借りして、晩餐をともにするのが常であったが――今回はそこに、新たな工夫が加えられた。近在の氏族ではなく、サウティの血族を招待することになったのだ。
そんな話が持ち上がったのは、3日前の祝宴がきっかけであった。その場に参じていたダリ=サウティが、そろそろまたファの家に逗留させてもらえないかと打診してきたのだ。
サウティの血族はアイ=ファとギバ狩りの仕事をともにすることで、新たな狩りの作法が確立できないものかと模索している。しかしあまりに長逗留となるとおたがいに都合が悪いため、数日逗留したら数日期間を空けることにしようと取り決められたのだが――前回の逗留期間に王家の方々がジェノスにやってきてしまったため、それ以降は保留の形になってしまっていたのだった。
「どうもあの者たちは、まだしばらくジェノスに居座ろうという目論見であるようだからな。ファの家の負担になるようであればすぐに切り上げるので、とりあえず了承をもらえないだろうか?」
ルウ家の祝宴においてダリ=サウティがそのように申し出て、アイ=ファがそれを了承した格好であった。
それならば、いっそサウティの方々が逗留している期間に建築屋の面々を招待してみてはどうかと、俺が打診したわけである。どうせスドラやディンの家などは次の機会に建築屋の面々をお招きすることになるので、これまでご縁の薄かったサウティの人々をおやっさんたちに引き合わせたいと考えた次第であった。
そんなさまざまな出来事を経た上での、当日である。
俺はサウティからやってきた3名の女衆とともに、その日の晩餐を作りあげることに相成った。
「このような日にご一緒できることを、光栄に思います! ……だけど、客人のための晩餐を手掛けるのに、わたしたちでは力不足ではないでしょうか?」
屋台の商売を終えた後の、ファの家のかまどの間において、そんな風に言いたてたのはサウティ分家の末妹であった。先日の祝宴にもダリ=サウティのお供として参じていた、若くて可愛らしい娘さんだ。
「そんなことはないよ。君たちだって、下ごしらえの手際は立派なものだからね。なおかつ君たちにも新しい料理の作り方を手ほどきできるから、一石二鳥さ」
「アスタはしょっちゅう城下町に呼びつけられて、とても大変な時期ですのに、心苦しい限りです。……でもまたファの家で過ごすことができて、とても嬉しく思います!」
他の2名――姉御肌であるダダの長姉も13歳であるドーンの末妹も、にこにこと笑いながら同意の声をあげた。彼女たちがやってきたのは昨日の朝で、それからほとんどずっと行動をともにしているのに、まだまだ瑞々しい喜びにわきたっているようだった。
「前回逗留させていただいたときから、間もなくひと月になるのですよね。ということは、ジャガルの王族という者たちがやってきてからも、それだけの日が経つわけですか」
「うん。今日が緑の月の12日だから――あと4日でちょうどひと月ってことになるのかな」
黄の月の16日、ジャガルの使節団は大量の食材と南方神の洗礼を終えたシフォン=チェルと、そして王家の方々をともなって、ジェノスにやってきた。
俺が王家の方々とお目見えしたのは、その翌日だ。ダカルマス殿下とデルシェア姫は城下町で行われた吟味の会に参席し、そしてその場で昼の食事の準備を申しつけてきたのだった。
そしてその5日後、俺たちは初めての試食会というものに取り組むことになった。選出されたのは、前回の食事会と同じ顔ぶれ――俺とダイア、ヴァルカスとボズルの4名だ。そこにトゥール=ディンとリミ=ルウを加えて、南の王都の食材を使った料理と菓子を準備するべしと言い渡されたわけである。
その翌日は俺の生誕の日であり、さらに翌日にはデルシェア姫をファの家の晩餐に招待することになった。
そしてその2日後は、宿場町の宿屋の方々による試食会の開催だ。
さらに3日後は城下町の料理人による試食会で、その2日後には森辺のかまど番による試食会が開催された。
その2日後が再び城下町における吟味の会で、その2日後が宿屋の寄り合いでティマロとヤンに手ほどきを受け、その2日後が森辺の祝宴で――と、実に多忙な日々を過ごしていた俺たちである。
そして多忙な日々というのは、まだまだ終わっていなかった。
明後日にはこれまでの試食会で好成績を収めた人々による菓子の試食会が、さらにその2日後には料理の試食会が開催されることに決められたのだった。
奇しくも、最後の試食会の日取りが、ちょうど王家の方々がジェノスにやってきてからひと月目となる、緑の月の16日であった。
わずかひと月でこれだけの猛威をふるったのだから、王家の方々のバイタリティというのは筆舌に尽くし難いものであろう。
「でも、おかげで俺たちは色々な人たちと交流を深めることができたし、城下町の調理法を学ぶこともできたしね。本当に有意義な一ヶ月だったと思うよ」
「ええ。試食会というものに関わった女衆らも、口をそろえてそのように仰っていました。数日置きに城下町まで招かれるなんて、わたしにはなかなか想像もつかないのですが……」
「それでわたしたちは何の苦労もなく、こうしてアスタから新しい技術を学ぶことができてしまうので、やっぱりちょっぴり心苦しいです」
そんな風に言ったのは、まだ幼さの残る顔をしたドーンの末妹であった。
「そんなことはないさ」と、俺はそちらに笑いかけてみせる。
「俺の第一の目的は、森辺のみんなに美味しい料理を食べてもらうことなんだからね。心苦しいなんて言わずに、集落で待つ家族のために腕を磨いていっておくれよ」
ドーンの末妹はたちまち花開くような笑顔となって、「はい!」と元気な声をあげた。彼女もつつましやかでありながら、明るく朗らかなサウティの血族であるのだ。
そうして日が傾いてくると、まずは森に出ていたアイ=ファたちが帰還した。
さらに日没が迫ってくると、あちこちの氏族から男衆が集まってくる。建築屋の面々は自前の荷車でファの家までやってくるので、それを各自の家まで案内するのである。
「よう! すっかり遅くなっちまったな!」
そうして建築屋の面々がやってきたのは、太陽がほとんど西の果てに沈みかけ、黄昏刻の宵闇があたりを包み始めた頃合いであった。そちらもそちらで、朝から晩まで仕事に取り組んでいる身なのである。
「おお、ファの家も立派に建ってるな! 木材が日に焼けて、いい風合いになってきたじゃねえか」
ファの家に集合した建築屋の面々は、やいやい騒ぎながらファの家の母屋を取り囲んだ。言うまでもなく、《アムスホルンの寝返り》で倒壊したファの家を再建してくれたのは彼らなのである。
「そら、騒いでないで、とっととそれぞれの家に案内してもらいな。家族のみなさんが、腹を空かして待ってくれてるんだからよ」
アルダスの指示で、人々はまた荷車に乗り込んでいく。帰りはもっとも南方であるダゴラの家に集合して、そちらの狩人の警護のもとに《南の大樹亭》に戻る手はずになっていた。
「やれやれ。どいつもこいつも浮かれやがってるな。……ま、それは俺たちも同じことなんだけどよ」
と、メイトンが俺やアイ=ファに笑いかけてくる。
「今日もお世話になるぜ、アスタにアイ=ファ。えーと、そちらさんたちがサウティって氏族のお人らかい?」
「うむ。俺は復活祭でも挨拶をさせてもらったな。サウティの家長で三族長のひとり、ダリ=サウティという者だ」
ダリ=サウティは鷹揚に微笑みながら、薄暗がりにたたずむ母屋のほうを指し示した。
「しかしそのような挨拶は、腰を落ち着けてからにすべきであろう。……と、アイ=ファを差し置いて、俺がそのように言いたてるのは不相応だったな」
「族長たる身が、そうまでへりくだる必要はあるまい」
そのように応じるアイ=ファは、穏やかな面持ちだ。ダリ=サウティらの逗留もこれで3度目となるので、人見知りのアイ=ファもサウティの血族とはずいぶん打ち解けているはずであった。
そんなわけで、おやっさんたちはアイ=ファの案内で母屋に向かい、俺たちはかまどの間で保温されていた料理を運び込む。
本日は、建築屋の面々が3名、サウティの血族が6名で、客人の総勢は9名だ。これだけの客人を招くこともだんだん珍しくなくなってきた、昨今のファの家であった。
俺とアイ=ファが上座に陣取り、対面が建築屋の面々、左右がサウティの血族という布陣になる。アイ=ファがそれらの人々の素性を紹介している間、広間の片隅で丸くなった黒猫のサチは素知らぬ顔であくびをしていた。
「では、晩餐を始めようと思う。客人の数は多いが、いまさら仰々しい挨拶を述べる必要はあるまい。かまど番たちの心尽くしを味わいつつ、心安らかに過ごしてもらいたい」
そうして食前の文言とともに、晩餐が開始されることになった。
ヴェラの若き家長とドーンの長兄は、目を輝かせながら敷物の料理を見回していく。
「今日はひときわ立派な晩餐だな! まるで見たこともない料理もまざっているようだぞ!」
のんびり屋で大らかなドーンの長兄も、いささかならず昂揚していた。その姿に、メイトンが「へえ」と声をあげる。
「森辺のお人でも初めて見る料理なのか。そんなに物珍しい料理を準備してくれたのかい?」
「ええ。せっかくですので、南の王都の食材をふんだんに使ってみました。そちらの料理なんかは、例の試食会でお出しした料理ですよ」
試食会で出した料理、すなわち生春巻きである。本日はフェルメスもいないので、片方は湯通ししたギバのバラ肉、もう片方はマロマロのチット漬けでピリ辛に仕上げた肉ダネを主体にしていた。
主菜はロースの厚切りステーキで、ワサビに似たボナ入りのグレービーソースを掛けている。
主食はガーリックライスならぬ、ミャームー・シャスカだ。おやっさんたちはなかなかシャスカを食する機会がないはずなので、森辺にお招きした際には優先してお出ししたいと考えていた。
汁物料理はコーンに似たメレスをたっぷり使ったクリームシチューで、副菜はマ・ティノやペレも使った生野菜サラダ、ジョラの揚げ焼き団子、サツマイモに似たノ・ギーゴのクリーム煮。そこに2種の生春巻きも加えれば、実に堂々たるラインナップであろう。
「おお! この肉は、また格別の美味さだな!」
と、まずはロースのステーキにかぶりついたアルダスが、はしゃいだ声でそのように言ってくれた。
「意外にこういう、ただ焼いただけのギバ肉ってのは口にする機会が少ないからな! こうやって食うと、ギバ肉の美味さをしみじみと思い知らされるよ!」
「ははん。初めてギバ肉を口にした南の民の中には、この強い風味を嫌がったりするやつもいるからなあ。そうすると、やっぱり屋台の商売では細工を凝らす必要が出てきちまうんじゃないか?」
軽口を叩くメイトンを、おやっさんがじろりとにらみつける。出会った当初のおやっさんは『ギバ・バーガー』のパテのやわらかさやギバ肉の風味を嫌がっていたため、それで俺も『ミャームー焼き』を考案することになったのである。
「でもきっと、そいつは思い込みってやつが大きく関わってくるんじゃないのかね。ギバなんてまともな人間の食うものじゃないなんて風聞が流れていたら、風味の強さを悪い風に感じ取っちまうこともあるだろうさ」
アルダスは笑いながらそう言って、俺のほうに向きなおってきた。
「たとえば、復活祭で出してるギバの丸焼きだよ。あれに文句を言う人間なんて、いやしないだろ? これだけギバ肉の美味さが知れ渡れば、おかしな思い込みでギバ肉の風味を嫌がるやつもいなくなるさ」
「……おかしな思い込みを抱いていて、悪かったな」
「いや、別におやっさんをくさしてるわけじゃねえって。メイトンはどうだか知らねえけどよ」
「俺はただ、そんなこともあったなあと懐かしく思ってただけさ!」
メイトンとアルダスは大いに笑い、おやっさんはますます仏頂面になってしまう。おやっさんには申し訳ないが、俺にはこんな一幕も微笑ましいものに感じられてしまった。
「……しかしこのギバ肉は、普段と異なっているように感じられるぞ」
おやっさんがそんな風につぶやくと、メイトンが「うん?」と小首を傾げた。
「普段と違うって、何がだい? そりゃあ馴染みのない味もするけど、こいつが噂の新しい食材ってやつなんだろう?」
「ええ。南の王都から届けられた、ボナという香草を使っていますね」
「味付け云々ではなく、ギバ肉そのものの味のことだ。どうもただ焼いただけの肉とは思えないのだが……これは何か、特別な部位でも使っているのか?」
俺は内心で嬉しく思いながら、「いえ」と答えてみせた。
「実はこのギバ肉は、酢漬けにした肉を使っているのです。城下町の方々から習い覚えた、下ごしらえの作法ですね」
「酢漬けだと? ふむ。酢などに漬けたら酸っぱくてたまらなくなりそうなもんだが、そういうわけでもないのだな」
「はい。酢は洗い落とすと、酸味も残りません。その代わりに味が引き締まって、肉質がやわらかくなるという効果があるのですね」
そんな風に説明しながら、俺はおやっさんに笑いかけてみせた。
「素のギバ肉なんてあまり口にする機会もないでしょうに、そんなすぐさま違いに気づくなんてすごいと思います。おやっさんは舌が鋭敏だからこそ、昔は馴染みのないギバ肉の風味を嫌がることになってしまったのではないでしょうか?
「やかましいわ」と、おやっさんは顔をしかめてしまう。おやっさんもアイ=ファと同様に、他者から褒めそやされることを苦手としているのだ。
そんな中、メイトンが別なる皿を取り上げて、また元気いっぱいの声をあげた。
「それでこいつが、ジャガルの王子様に勲章を授かったっていう料理か! ……うん、こいつは美味いや! 美味いし、面白い食べ心地だな!」
「そちらは、シャスカで作られた皮なのですよ。まったく見知らぬ作り方であったので、わたしもびっくりしてしまいました」
と、サウティ分家の末妹が物怖じする様子もなく、メイトンに呼びかける。この場には初対面の人間も多いはずであったが、そうとは思えないほど和やかな空気が最初から形成されていた。
「うむ。試食会とやらでも、こいつは立派な料理だと思わされたが……やはり料理は、家で食べてこそだな」
おやっさんが気を取り直した様子でそのように述べたてると、アルダスが「まったくだな」と同意した。
「あの日に出された料理はどれも文句なしの出来栄えだったけど、ひと口ずつしか食えないし、おまけに立ちん坊だからなあ。なんだか、晩餐を食ったって気になれなかったよ」
「うむ。あれはあくまで料理の味を吟味する場であり、腹を満たすための場ではないのだろうな」
ダリ=サウティがそのように応じると、アルダスが笑顔でそちらを振り返った。
「あんたも、あの日にいたのかい? おたがいに動き回ってたんで、挨拶できなかったお人もいたように思うんだよな」
「いや。俺が同行したのは、最初の試食会のみとなる。機会があれば、もうひとたびぐらいは参じたいものだな」
「へえ。だけど狩人のお人らは、あの場で料理を食うこともできないんだろう?」
「うむ。しかし、さまざまな人間と語らうことができるので、俺たちにとっても有意であるように思えるのだ」
「なるほどねえ」と、メイトンが相槌を打つ。
「試食会ってのは、あと2回も残されてるんだっけ? アスタたちには、なかなかの手間だよな!」
「いえ。俺が料理を準備するのはそのうちの1回だけですので、気軽なものです。まだ何を出すべきか考えあぐねているのですが……おやっさんやアルダスにも喜んでもらえるように、頑張りますね」
「俺たちのことなんざ、気にしないでいいさ。また味比べで勲章ってやつを授かれるように、頑張ってくれよ。アスタたちはそんなもんに興味はないって話だけど、俺たちにしてみりゃ自慢の種だからさ」
「違いない。どうやら南の王都では、その勲章ってのがすげえ効力を持ってるみたいだしなあ」
アルダスやメイトンはそのように語らっていたが、べつだんそうまで勲章に重きを置いているわけではないのだろう。実に罪のない笑顔であった。
「俺はどうも、その味比べというやつがよくわからないのだが」
と、ヴェラの若き家長も声をあげてくる。
「それはつまり、森辺の狩人が町の闘技会というものに参加するようなものなのだろうか?」
「うーん、どうでしょう? まあ、町の習わしに従って腕を競うという意味では、同じようなものなのかもしれませんね」
「そうか。やはり町の習わしというのは、俺たちに馴染まない部分も多いのだろうな」
ヴェラの家長のそんな言葉に、ダリ=サウティが「ほう?」と目を向ける。
「これまで味比べなどというものを取り沙汰する機会はなかったが、お前はあの余興を快く思っていないのか?」
「余興であるのだから、べつだん重きを置く必要はないのだろう。ただ俺は、自分の家人がその役割を負わずに済んで、ありがたく思っている」
「それは、何故であろうか?」
ダリ=サウティは、それなりの好奇心をあらわにしている。いっぽうヴェラの家長は生真面目そうな面持ちで、それと相対した。
「狩人の力比べや町の闘技会ならば、勝敗をつけることも難しくないだろう。どのような取り決めで勝負するかが異なるだけで、けっきょくは強い者が勝つのだろうからな。しかし、料理の腕に強いも弱いもあるのだろうか? それを競うなら、同じ料理を作って食べ比べるべきであろうし……それでもなお、すべての人間が同じ料理を上出来だと認めるかどうかは、知れたものではないように思える」
「ふむ。それでお前は、自分の家人にその役目を負わせたくないと考えるのか?」
「うむ。どれだけ上等な料理を作りあげても、勝敗をつけられてしまうのであろう? それで敗者と見なされるのは、ひたすら口惜しいばかりではないか」
そう言って、ヴェラの家長はアイ=ファへと視線を転じた。
「アイ=ファは、そうは思わぬのか? いまのところはアスタも勝利を収めているようだが、次回もそうだとは限るまい?」
「うむ。私も最初は、いささかならず苦々しく思っていた。しかし、誰がどのように判じようとも、アスタの腕をもっともわきまえているのは、私だ。ならば、余興の結果などに心を乱す必要はないのだと思い至った」
「そうか。やはりアイ=ファは、立派な家長だな。俺がアイ=ファの立場であったなら、そこまで思い至るのにずいぶん時間が必要になってしまいそうだ」
「お前は伴侶に甘いからなあ」とドーンの長兄が言いたてると、ヴェラの家長はたちまち顔を赤くした。
「あ、甘いだの甘くないだの、そういう話ではあるまい! お前とて、伴侶となるべき女衆がそのような役割を負わされたら、黙ってはおられまい?」
「さて、どうだかなあ。俺は自分が美味いと思えればそれで満足なので、べつだん思い悩んだりもしなそうだ」
かたや家長でかたや長兄だが、年齢は後者のほうが上なのである。また、年齢とは関係なく、ドーンの長兄はひたすら大らかであった。
「やっぱり森辺でも、色々な考えのお人がいるんだな。俺はどっちの気持ちもわかるような気がするよ」
と、メイトンが笑顔で仲裁した。
「確かにそっちのお人が言う通り、料理の出来栄えに順番をつけるなんて、おかしな話だよな。たとえば今日のこの晩餐だって、どの料理が一番好みに合うかなんて人それぞれなんだ。そんなもん、比べるほうが失礼なように思えちまうよ」
「う、うむ。俺もそのように言いたかったのだ」
「だからまあ、そいつを踏まえた上での余興ってことなんじゃないのかね。勲章を授かったら光栄に思えばいいし、たとえ授かれなくても気にする必要はないんだよ」
そう言って、メイトンはにこやかな表情をアイ=ファのほうに転じた。
「アイ=ファだって、アスタが勲章を授かったら誇らしいだろう? だったらきっと、悪いばかりの話じゃないはずさ」
アイ=ファは虚を突かれた様子で目を見開き、広間の片隅に鎮座する棚のほうに目をやった。そこにはダカルマス殿下から授かったふたつの勲章が、ひっそりと飾られているのだ。
「そう……だな。アスタが第1位の座を授かったことは、誇らしく思う」
「だろう? 俺だって、存分に誇らしいさ。勝てば勝ったで誇らしいし、負けたら負けたで気にする必要もねえんだ。だったら、いいこと尽くしって言えるんじゃないのかね」
「俺も、その言葉に賛成だな。しょせん余興なのだから、ただ楽しめばいいのだろうと思うぞ」
ドーンの長兄も笑いながら、手もとにあった果実酒の土瓶を掲げた。おやっさんたちが手土産で持ってきてくれた果実酒である。メイトンは同じ果実酒を注がれた木皿を持ち上げて、乾杯をするようにその中身を飲み干した。
「……お前の考えも、決して間違ってはいないのだろうと思う。他のかまど番には、試食会で料理を作る役割を重く感じていた人間もいたのだという話だからな」
ダリ=サウティはゆったりとした笑顔で、ヴェラの家長へとそのように呼びかけた。たまに子供っぽい顔を見せるヴェラの家長は「はあ」と応じつつ、口をへの字にしてしまっている。
「ともあれ、試食会はあと2回と定められたのだ。苦労は大きかろうが、お前は自身が最善と思える形でその役目を全うしてもらいたく思うぞ、アスタよ」
「はい。頑張ります。……おやっさんも、楽しみにしていてくださいね」
ジョラの揚げ焼きをかじっていたおやっさんは、それを呑みくだしてから「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺たちのことは気にせんでいいと、アルダスも言っておったろうが? 俺たちはこれほど立派な晩餐を準備してもらえたのだから、もう十分だ」
「ああ。試食会ってやつであんまり上出来な料理を出されちまうと、腹いっぱい食えないのが口惜しくなっちまうからな」
「はん、贅沢なことを言ってらあ。せいぜいアルダスたちを悔しがらせてやれよ、アスタ」
メイトンが陽気に言いたてると、お行儀よく食事を進めていた女衆らもくすくすと笑った。もともと和やかであった空気が、時間を重ねるごとにいっそう和んでいくかのようだ。
アイ=ファはやっぱり寡黙であるが、その表情はやわらかい。
気の置けない人々とのんびり親交を深めることのできる、それはとても温かな一夜であった。
そして――この日の晩餐を経たことで、俺はようやく試食会で出す料理のイメージをつかむことがかなったのだった。