歓迎の祝宴④~かまど巡り~
2021.7/16 更新分 1/1
10分ほどの時間を本家の母屋で過ごした俺たちは、再び貴き方々の待つ敷物に戻ることになった。
珍しくも、アイ=ファが同行したいと言い出したのである。王家の方々がジバ婆さんに対してどのような態度を取るものか、それを見届けたいと考えたようだった。
「それじゃあアイ=ファが、ジバ婆を連れてってくれよ。その間に、俺は分家の家長どもを集めてくるからさ」
そのように言い残して、ルド=ルウは賑やかな広場に突入していく。
ジバ婆さんが自分の足で歩きたいと申し出たので、アイ=ファがその手を取って誘導することになった。俺は反対の側に回り、壁の役割を担うことにする。
敷物には、最前までと変わらぬ熱気が渦巻いていた。フェルメスの相手をしていたガズラン=ルティムも中央に寄って、使節団のお相手をしている。そして、ダカルマス殿下と一緒になって高らかに笑い声をあげているのは、レイの若き家長たるラウ=レイであった。
「なるほど! 自分の家で試食会というものを開くために、それほどのかまどを家に設えることになったのか! 俺たちもアスタのおかげで美味なる食事というものの大事さを知ることができたが、それにしても度の過ぎた熱情だな!」
「いやはや、返す言葉もございませんぞ! すべての厨に料理人を招いたときなどはあちこちの窓から白い煙があがるものですから、火災でも起きたのではないかと見回りの衛兵が駆け込んでくる始末でありましたな!」
どうやらルウの血族でも指折りで直情的なラウ=レイは、すっかり王家の方々と意気投合してしまったようだった。これでダン=ルティムも招かれていたならば、どれほどの騒ぎになっていたことだろう。
しかしまあ、ロブロスがひとり渋い面持ちであることを除けば、おおむね平穏な雰囲気である。そしてそちらには、ガズラン=ルティムやギラン=リリンがしきりに声をかけている様子であった。
「……失礼する。ルド=ルウに代わって、最長老ジバ=ルウをお連れしたのだが」
アイ=ファがそのように声をかけると、真っ先にラウ=レイが振り返った。
「おお、最長老もひさかたぶりだな! それに、アイ=ファ! 間近で見ると、やはりとてつもない美しさだな!」
「おい。客人らが森辺の習わしを重んじてくれているというのに、立場ある貴様がそれを踏みにじるんじゃねえ」
ドンダ=ルウが重々しい声でたしなめると、ラウ=レイはすました顔で「失礼した」と頭を下げる。
「では、俺たちの挨拶もここまでか! ジャガルの王子ダカルマスよ、またのちほど語らえたら嬉しく思うぞ!」
「ええ、是非とも!」
ダカルマス殿下はにこにこと笑いながら、ラウ=レイたちの退く姿を見送った。
ジバ婆さんはアイ=ファの手伝いで履物を脱ぎ、王家の方々の正面にちょこんと膝をそろえる。アイ=ファは履物をはいたままその背後に片膝をついたので、俺もその隣で同じ姿勢を取ることにした。
「……これなるは、ルウ家の最長老ジバ=ルウとなる。間もなく分家の家長たちもやってこようから、その前に挨拶だけでもさせてもらいたい」
ドンダ=ルウがそのように声をあげると、ダカルマス殿下は「ほう!」と目を丸くした。
「最長老! なるほど、かなりのご高齢であられるようですな! 失礼ですが、いかほどの齢であられるのでしょう?」
「あたしは、87の齢を数えることになりましたねえ……」
「87歳! それは、驚異的ですな! 南の王都においても、それほどの齢を重ねた人間は多くないはずですぞ!」
ダカルマス殿下がしきりに感心していると、ロブロスが真剣な面持ちで身を乗り出した。
「森辺の民は、80余年の昔にこのモルガの森に移住を果たしたのだと聞いております。もしやそちらは、ジャガルの黒き森にて生を受けたのでありましょうかな?」
「ええ……あたしがモルガにやってきたのは、たしか5歳になった年だと思いますねえ……」
「5歳……では、黒き森で過ごされたご記憶が?」
「まあ……多少はねえ……」
俺の位置からは、ジバ婆さんの表情まではうかがえない。ただその声音にはしみじみとした感慨が込められており、ロブロスのほうも何やら真剣な眼差しになっていた。
「ロブロス殿は、如何されたのであろうかな? 黒き森なる場所が、何か?」
「いえ、べつだん」と、ロブロスは口をつぐんでしまった。
ダカルマス殿下は何を気にした風でもなく、ジバ婆さんへと向きなおる。
「そういえば失念しておりましたが、森辺の方々は南から西に住まいを移されたという話であったのですな! 80余年の昔には同じ王国の民であったとは、何やら不思議な心地でありますぞ!」
「ええ……あたしらは外の人間と絆を結ぼうとしなかったので、同胞と呼ぶには不相応だったでしょうけれどねえ……」
「ともあれ、森辺の方々が東ではなく西に向かわれたことを、心より得難く思いますぞ! でなければ、こうして祝宴をともにすることもできませんでしたからな!」
やはりダカルマス殿下は、誰が相手であってもまったく態度が変わらないようであった。気さくで、朗らかで、決して余人を見下すところのない、快活な物腰だ。
そうこうする内に、ルド=ルウが分家の家長たちを引き連れてやってくる。ダルム=ルウ、シン=ルウ、ディグド=ルウ、ジーダなど、とりわけ精悍なるルウの狩人たちだ。
そのタイミングで、アイ=ファは腰を上げることになった。このような場で見届け人を気取るのは不遜であると判じたのだろう。たとえアイ=ファとジバ婆さんがひとかたならぬご縁で繋がれた友であろうとも、最長老の身を案じるのは血族の役割であるのだった。
「俺たちはまた後でお世話役を申しつけられるだろうから、今の内にかまどを巡りながら、他の人たちに挨拶をさせてもらおうか?」
俺がそのように提案すると、アイ=ファは静かに「うむ」と応じた。
そうしてアイ=ファとふたりで広場を歩いていると、こらえようもない幸福感がじわじわとせりあがってくる。周りにこれだけ大勢の人々がひしめいていても、やはりふたりで歩いているだけで親密な時間を過ごせているような心地が得られるのだ。そして、森辺の祝宴にアイ=ファの宴衣装という非日常的な要素が、俺の心臓をいっそう高鳴らせてしまうのだった。
「あ、アスタにアイ=ファ! もう王家の方々のお相手はよろしいのですか?」
まず俺の料理を配っている簡易かまどを訪ねてみると、ナハムの末妹がそのように声をあげてきた。ひときわ若い彼女も、もちろん宴衣装の姿だ。
「うん。今は他の家長たちがご挨拶をしているので、いったんお開きになったよ。きっとまた後で呼び出されちゃうだろうけどね」
「でしたら今の内に、祝宴をお楽しみください! こちらはわたしたちだけで十分ですので! ね、マルフィラ姉?」
「は、は、はい。ど、どうかアスタたちは、おくつろぎください」
隣で生春巻きの盛りつけをしていたマルフィラ=ナハムも、ふにゃんと笑いかけてくる。さらにその向こう側では、レイ=マトゥアとガズの女衆がピラフの取り分けを受け持っていた。
「ユン=スドラたちは、まだ料理を配っているのかな?」
「はい! ただ、料理を配るのはついでで、行く先々で人々と語らっていると思います! 交代でそのようにしようと取り決めましたので!」
「そっか。みんなに仕事を押しつけちゃって、申し訳ないね。君なんかは、すごくこの祝宴を楽しみにしてたんだろうしさ」
「何を仰っているのですか! 王家の方々のお相手をするのも大事な仕事ですし、それはアスタにしか務まらない役割でしょう?」
瞳をきらきらと輝かせながら、ナハムの末妹はそう言った。
「それにわたしは、この場にいられるだけでとても楽しいです! 血族が四人しかいない祝宴なんて、初めてのことですので!」
「うん。君は復活祭でも合同の収穫祭でも、とても楽しそうにしてたもんね」
「はい! アスタや家長や族長たちのおかげで、このような楽しさを知ることができたのです!」
ナハムの末妹を見ていると、俺もものすごく胸が温かくなった。
俺たちがやってきたことは、間違いではなかったのだ――と、そんな思いをしみじみと再認識させられるような心地であるのだ。
「そういえば、モラ=ナハムたちは一緒じゃないのかな?」
「はい! モラ兄たちも広場を巡って、時おり他の料理を持ってきてくれています! わたしたちの働く姿ばかりでなく、祝宴のすべてを見届けなくてはなりませんからね!」
俺たちがそんな風に語らっていると、木皿を掲げた人影がいくつか近づいてきた。噂をすれば影かと思いきや、さきほどまで同じ敷物に座していたトゥール=ディンとゼイ=ディンである。
「お待たせしました。これがリミ=ルウの考案した、ノ・ギーゴのくりーむしちゅーです」
「うわあ、ありがとうございます! ほらほら、マルフィラ姉! すごく美味しそうだよ!」
「う、う、うん。わ、わたしは勉強会で味見をさせてもらってるから」
と、マルフィラ=ナハムは妹にもやわらかい笑顔を向ける。
それを横目に、俺はトゥール=ディンに声をかけることにした。
「やあ。トゥール=ディンはさっそく働いているのかな?」
「あ、いえ。菓子をいつ出すかリミ=ルウと相談したかったので、ついでに料理を運んできただけです」
そのように答えるトゥール=ディンも、とても可愛らしい宴衣装の姿だ。その胸もとには、かつてオディフィアに贈られた飾り物がきらきらと輝いていた。
「オディフィアの喜ぶ姿が楽しみなところだね。ゼイ=ディンも、どうもお疲れ様です」
「俺はトゥールの後をついて回っているだけなので、何も苦労はない。リッドの家長も、ぞんぶんに祝宴を楽しんでいるようだ」
そういえば、本日はラッド=リッドも参席していたのだ。ダン=ルティムがいないのは残念なところであったが、ダカルマス殿下と出くわせばまたたいそうな賑やかさになりそうなところであった。
ゼイ=ディンは穏やかな面持ちであるし、つい先刻までオディフィアと語らっていたトゥール=ディンも幸せそうだ。誰もがこの夜の祝宴を楽しんでいるようで、俺としてもひと安心であった。
「レイ=マトゥアもお疲れ様。何も問題はなかったかな?」
「はい! どの料理も、すごく評判がいいようですよ! これだけ美味であれば、当然なのでしょうけど!」
「そっか。ゲオル=ザザなんかは、常温の生春巻きがいまひとつだったみたいだね」
「あ、そうなのですか! でも、他の料理はだいたい温かいのですから、わたしはひとつやふたつぐらいこういう料理があってもいいと思います!」
レイ=マトゥアは、ナハムの末妹に劣らず元気いっぱいである。というよりも、ナハムの末妹のほうこそが、ちょっとレイ=マトゥアに似ているところがあるなという印象であったのだ。マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアの相性がいいのもそのあたりに理由があるのではないかと、復活祭ではそんな話も取り沙汰されていたのだった。
レイ=マトゥアの相方であるガズの女衆も、とても充足した面持ちで仕事に励んでいる。いくつかの祝宴の経験者である彼女も、やはり数ヶ月ぶりの祝宴に大きく浮き立っている様子であった。
そんな人々としばらく歓談を楽しんでから、俺とアイ=ファはあらためて広場を巡る。
すぐ隣の簡易かまどに向かってみると、そこではマイムやミケルが働いていた。今日は中天からルウの集落を訪れていたのに、こちらの父娘と挨拶を交わすのはこれが初めてだ。
「お疲れ様です、ミケル。俺たちにも料理をいただけますか?」
「ふん。それを拒む理由はあるまい」
相変わらずの仏頂面で、ミケルは鉄鍋の料理を木皿によそってくれた。
これは以前の収穫祭でも出されていた、カロン乳仕立ての汁物料理である。ギバ肉ばかりでなく魚介の食材もふんだんに使われており、そして、俺の考案する料理とは一風異なるミケル流の独特さが感じられる。
「うーん、やっぱり美味しいですね。ミケルの料理は、どうしてこのように独特なのでしょう?」
「……これは俺ではなく、マイムの作りあげた料理だぞ」
「でもそのマイムは、ミケルの作法を受け継いでいるわけでしょう? 俺たちはここ最近で立て続けに城下町の料理を食することになりましたが、ミケルと似た料理とはまったく巡りあえなかったのですよね」
鍋の中身を攪拌しながら、ミケルはまた「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺が城下町を離れて、何年が過ぎていると思っているのだ。しかもその後に、誰もが自由に好きな食材を扱えるようになったのだからな。それではますます掛け離れた料理になるばかりであろうよ」
「うん! このまえ城下町で教わった下ごしらえの作法も、父さんの知らない話ばかりだったもんねー!」
と、宴衣装のマイムがにこにこと笑いながらそう言った。
「でも逆に、父さんから教わった下ごしらえの作法なんかは、誰も知らないみたいだったよ! アスタは、それを不思議がってるんじゃない?」
「俺のやり口は城下町の流行にそぐわなかったので、誰も真似ようとしなかっただけのことだ。……俺の偏屈さに辟易して、長く居座る弟子連中もいなかったしな」
それでいて、ミケルは三大料理人と称されるほどの存在に成り上がったのだ。やはりヴァルカスやダイアとはまったく異なるベクトルで、ミケルも独自性の強い料理人であったのだろう。
「おや、アイ=ファにアスタじゃないか。お疲れさん」
と、背後からバルシャの声が聞こえてくる。
振り返ると、バルシャとジーダがそれぞれ木皿を掲げて近づいてくるところであった。さきほどのディン父娘を彷彿とさせる姿だ。
「おやまあ、アイ=ファは相変わらずの美しさだね! ……って、こんな言葉を聞かされても仏頂面になるばかりなんだろうけどさ」
「……それがわかっているのなら、口をつつしんでもらいたく思う」
「思わず口をついちまうぐらい、とんでもない美しさってこったよ。まったく、アスタは果報者だねえ」
バルシャは陽気に笑い、俺はアイ=ファと一緒に顔を赤くすることになった。
それよりも赤い髪をしたジーダは俺たちに目礼をしてから、卓の端に木皿を並べる。それを見て、マイムは「ありがとう」と微笑んだ。
「でも、わたしたちばかりにかまわずに、ジーダたちも祝宴を楽しんでくださいね? ついさっきまで、王家の方々への挨拶に出向いていたのでしょう?」
「十分に楽しんでいる」と、ジーダはぶっきらぼうに答えた。すなわち、こうしてマイムたちの世話を焼くことが、何よりの楽しみであるのだろう。他者との交流を深めるのも大切なことであるが、家族との絆を重んじる姿勢を否定する気にはなれなかった。
「……アイ=ファはなかなか気が晴れないみたいだねえ。王家のお人らと離れている間ぐらいは、気をゆるめてもいいんじゃないのかい?」
と、バルシャがふいにそのようなことを言い出した。
「それにやっぱりあのお人らは、心底から善良な人間みたいだからねえ。昼間のやりとりは、あんたも聞いてたろ? 普通は王族ともなると、盗賊だった人間にああまで公正に振る舞えないだろうと思うよ」
「うむ。それは重々承知しているのだが……」
「まあ、善良なら善良で気苦労が増えることもあるってわけかい。あんな無邪気な娘さんになつかれたら、アスタだってそうそうじゃけんにはできないだろうしねえ」
「え? 俺がなんです?」
「なんでもないよ。自分で考えな」
俺は小首を傾げつつ、マイムたちに別れを告げて、次なるかまどに向かうことにした。
その道行きで、考える。俺になついた娘さんが善良かつ無邪気であると、どうしてアイ=ファの気苦労が増してしまうのか――
「……ああ、そうか。もしもアイ=ファが異国の王子様か何かになつかれて、そのお人が申し分なく善良で無邪気だったら、俺としても複雑な心地に――」
俺がすべてを言い終える前に、アイ=ファは強い力で俺の頭をかき回してきた。
「ご、ごめんごめん。だけどほら、俺としてもアイ=ファの心情を正しく理解しておきたかったし……」
「それを口に出す理由があるか?」
「痛い痛い! いちおうの確認だってば! だけど俺は――」
「だから、いちいち口に出す必要はない」
アイ=ファは俺の頭頂部をわしづかみにしたまま、頬を染めた顔を鼻先に近づけてきた。
「……私は決して、お前の心情を疑っているわけではない。それだけは忘れるなよ」
「忘れるもんか」と、俺は笑顔を返してみせた。
おたがいの心情を確かめ合った生誕の日から、まだ幾日も経っていないのだ。それでアイ=ファの気持ちを見誤るほど、俺は迂闊ではないつもりであった。
(俺が逆の立場でも、アイ=ファが無邪気な王子様にチヤホヤされたら心が騒いじゃうからな。アイ=ファの心変わりを疑ってなくても、そんな話は別問題なんだ)
そんな思いを込めて、俺はアイ=ファを見つめ返した。
アイ=ファは赤い顔のまま口もとをごにょごにょさせて、「ふん!」とそっぽを向いてしまう。ふわりとたなびく玉虫色のヴェールと金褐色の髪が、息を呑むほど美しかった。
そうして次なるかまどに到着すると、そこではルウの眷族たる女衆らが立ち働いている。そのうちのひとりはヤミル=レイであり、そのかたわらには当然のようにラウ=レイの姿もあった。
「おお、アスタにアイ=ファ! ……お前たち、そこで接吻をしていたのか?」
「せっ……! だ、誰がそのような真似をするか!」
「違ったか。ずいぶん顔を近づけていたので、そのように見えてしまったのだ。人の目がある場所では気をつけるがいいぞ」
俺とアイ=ファを赤面させながら、ラウ=レイは平気な顔で鉄鍋を指し示した。
「ともあれ、腹を満たすがいい! ヤミルの準備した宴料理は、ひときわ美味いぞ!」
「わたしは言われた通りに働いただけで、これはレイナ=ルウたちの料理よ」
そっけなく言い捨てながら、ヤミル=レイは木皿に料理を取り分けてくれた。内容は、ミソ仕立ての煮込み料理である。
「ありがとうございます。これは美味しそうですね」
やはり相手がジャガルの人々ということで、レイナ=ルウは得意の香草料理を控えめにしていたのだ。こちらは『ギバの角煮』から発展させた料理であり、部位はバラ肉が使われている。じっくり煮込まれたバラ肉は噛む必要がないぐらいやわらかく、ぷるぷるの脂身がたまらなかった。
「うーん、王家の方々の騒ぐ姿が目に浮かぶようです。……あ、ヤミル=レイは初めてお目にかかるのですよね」
「べつだん、お近づきになりたいとは思わないわね。貴き客人のお相手なんて、あなたがたにお任せするわよ」
たとえ祝宴のさなかにあっても、クールなヤミル=レイである。
すると、その隣に立ったラウ=レイがヤミル=レイのほうを指し示しながら「どうだ?」と問いかけてきた。
「うん? だから、ものすごく美味しいと思うけど」
「料理ではなく、ヤミルの話だ!」
ヤミル=レイがどうしたのだろうと、俺はそちらに視線を転じた。
ヤミル=レイも未婚であるので、もちろん宴衣装である。もともと彼女はヴィナ・ルウ=リリンに匹敵するほどのプロポーションであるし、妖艶な魅力もたっぷり備え持っている。それが数々の飾り物や玉虫色のヴェールで飾られているのだから、とてつもなく魅力的であった。
「えーと……ヤミル=レイが、どうかしたのかな?」
「どうかしたとは、なんたる言い草だ! ヤミルが、宴衣装を纏っているのだぞ?」
「うん。だけど、異性の容姿を褒めそやすのは習わしに反するだろう?」
「しかし俺は、思わずアイ=ファの美しさを褒めそやしてしまったからな! ならばアスタにヤミルを褒めそやしてもらわんと、釣り合いが取れんように思うのだ!」
俺がぽかんとしている間に、ヤミル=レイが家長の頭を引っぱたいてくれた。
「あなたは何を口走っているのよ。自分の奔放さに余所の人間を巻き込むのはお控えなさい」
「だって、俺ばかりがアイ=ファに目を奪われていたら、ヤミルが負けてしまったようで悔しいではないか!」
「だから、何もかもがあなたひとりの問題でしょうに。……ごめんなさいね。祝宴の日は、どうしても果実酒が過ぎてしまうのよ」
確かにラウ=レイは、褐色の頬や目もとに血の気をのぼらせていた。女衆のように繊細な顔立ちで、武官のお仕着せでも纏えば貴公子にしか見えなそうな容姿であるのに、中身はやんちゃに過ぎるラウ=レイであるのだ。
「まったく、レイの家長は相変わらずだな。そのようにへべれけで、余興の力比べがつとまるのか?」
と、笑いを含んだ声が後ろから響きわたってくる。いつの間に接近していたのか、ディグド=ルウが俺たちと同じ料理を口にしていた。
「おお、ディグド=ルウか! これしきの酒など、関係ないぞ! お前ともひさびさにやりあえるので、楽しみにしていたのだ!」
「ひさびさと言っても、せいぜい10日やそこいらであろうが。その前には、何年も空いていたのだぞ」
そう言って、ディグド=ルウは古傷まみれの顔で笑った。
そして、光の強い目をアイ=ファに向けてくる。
「俺としては、ファの家長に手合わせを願いたかったのだがな。その姿から察するに、今日は暴れるつもりもないわけか」
「文句は、族長らに言うがよい。宴衣装を纏うように命じたのは、族長らなのだからな」
「ふん。別に文句を言うほどのことでもないが……」
と、ディグド=ルウは上から下までアイ=ファの姿を眺め回した。
「……しかしそのような姿を見せつけられると、自分が敗れたのが悪い夢だったのではないかと思えてしまうな。驚くべき化けっぷりだ」
アイ=ファが口をへの字にしたので、俺が代わりに声をあげることにした。
「今日は余興の力比べも行うのですね。それもジェノス城からの要請なのでしょうか?」
「ああ。狩人の力比べに、女衆の舞だな。城下町でもそういう余興を行うのが常なのだろう?」
「ああ、剣技の試し合いに舞踏といった余興がありますね。森辺のそれとは、ずいぶん趣が違うように思いますけれど」
「なんでもかまわんさ。こちらはこちらで楽しむだけだ」
そんな風に言ってから、ディグド=ルウは古傷で引き攣った顔にふてぶてしい笑みをたたえた。
「それにしても、王家の連中とはずいぶんな変わり種であるようだな。貴き身分にある人間は堅苦しいと聞いていたのに、まるで逆の気質ではないか」
「そうですね。大らかなのは南の方々の美点だと思いますけれど……貴き身分の方々としては、きっと変わり種なのだろうと思います」
「反面、他の連中はすっかり心情を隠してしまっているようだしな。全員があのような有り様であったなら、いったい森辺まで何をしに来たのかと胡乱に思っていたところだ」
他の連中とは――やはり、ロブロスを筆頭とする使節団の面々のことであろうか。そういえば、俺はまだロブロスと腹を割って語らう機会を得ていなかったのだ。
(ダカルマス殿下たちはご満悦みたいだから、ロブロスをなんとかしてあげたいな。……やっぱり、ガズラン=ルティムが言ってた通りってことか)
そのとき、本家の母屋がある方向から、ドンダ=ルウの重々しい声が聞こえてきた。
「これより、客人らも自由に広場を巡る! 礼を失することなく、迎えるがいい!」
ようやく、ロブロスと語らうチャンスであろうか。
アイ=ファは着替えのためにガズラン=ルティムの懸念も耳にしていないはずであったが、俺の耳もとに口を寄せて、「ロブロスらと語らうか」と告げてきた。