歓迎の祝宴①~下準備~
2021.7/13 更新分 1/1
とても充実した宿屋の寄り合いから、2日後――緑の月の9日である。
その日、森辺のルウの集落において、南の王家の方々と使節団を歓待する祝宴が開催される運びとなった。
この日がそれと定められたのは、言うまでもなく屋台の休業日であったためである。ジャガルのご一行をめいっぱい歓待するために、俺たちは中天から調理を始める段取りを組んでいた。
「前回の休業日は試食会で、今回は祝宴か。これではかまど番たちも、身を休めるいとまがなかろう」
ルウの集落へと向かう道中で、ギルルの手綱をあやつりながら、アイ=ファは感情を殺した声でそのように言いたてた。
御者台のすぐ後ろに身を寄せていた俺は、「そうでもないさ」と答えてみせる。
「最近は休業日でも、朝から晩まで勉強会だったりしたからな。それほど労力に変わりはないだろうと思うよ」
「しかし相手が王家の者とあっては、気苦労もつのろう。ただかまどに立つだけでは済まない話なのだからな」
俺はべつだんそれを大きな苦労とは思っていないし、苦労を上回るほどの充実感を授かっている。
しかしそれを頑強に言い張っても詮無いような気がしたので、俺は「ありがとう」と返してみせた。
「アイ=ファがそんな風に気づかってくれるのは、ありがたいよ。アイ=ファもアイ=ファで気苦労が絶えないだろうけど、一緒に頑張っていこうな」
アイ=ファは片手に手綱をまとめると、空いた手を御者台の後ろにまでのばして俺の頭をわしわしとかき回してきた。視線は前方に向けたままで、器用なものである。
そして同じ荷台では、ユン=スドラやレイ=マトゥアたちが歓談していた。族長たちの協議の結果、この日は試食会に関わった16名のかまど番が全員集められることになったのである。こちらから出向くのはルウの血族を除く10名であったので、荷車は2台が使われていた。
祝宴の会場はルウの広場であるが、これはルウだけが責任を担う話ではない。王家の方々を、誠心誠意もてなすべし――という、君主筋たるマルスタインの懇請に、森辺の民が一丸となって応じなければならないのだ。それで選出されたのが、この10名というわけであった。
しばらくしてルウの集落に到着すると、そちらでは早くもかまどの煙がたちのぼっている。本格的な調理の開始はこれからのはずであるが、本日は『ギバ骨ラーメン』も宴料理のラインナップに加えられていたため、骨ガラを煮込んでいるのだろう。
2台の荷車が広場に踏み入っていくと、本家の母屋から小さな人影がてけてけと駆けてくる。アイ=ファが御者台を降りると、その人影が素晴らしい跳躍力で胸もとに跳びついた。
「わーい! ルウの家にようこそ! 最近はアイ=ファにいっぱい会えて、嬉しいなあ!」
当然のこと、それはリミ=ルウであった。アイ=ファは優しい眼差しになりながら、その赤茶けた髪をくしゃくしゃと撫でる。
「今日も1日、世話になる。ドンダ=ルウらは、もう森であろうか?」
「ううん! お客に挨拶してからだってー! あ、ちょうど来たんじゃない?」
森辺の道に面した樹木の隙間から、巨大なトトス車の姿が垣間見えた。その台数は5台にも及び、しかもトトスにまたがった騎兵もわんさかと引き連れている。
俺たちがトトスと荷車を片付けている間に、そちらの一団も広場に踏み込んできた。時を同じくして、あちこちの家からルウの狩人たちがわらわらと姿を現す。
「来やがったか」と最後に本家から出てきたのは、ドンダ=ルウであった。
こちらが挨拶をするより早く、トトス車からポルアースが降りてくる。
「どうもどうも。このような刻限から騒がしくしてしまって、申し訳ありません。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
「うむ。今日は外交官フェルメスは同行していないのか?」
「はい。フェルメス殿は、他の方々とご一緒に参ずることになりました。ではさっそく、兵士を配置させていただきますね」
60名からの兵士たちが、集落の周囲へと散っていく。
本日もデルシェア姫がかまど仕事の見学を願ったため、前回と同じ警備体制が取られているのだ。その隙に、ポルアースが俺へと笑いかけてきた。
「アスタ殿も、お疲れ様だね。立て続けの仕事で申し訳ないけれど、どうかよろしくお願いするよ」
「はい。ポルアースこそ、大変ですね。今日はこのまま夜の祝宴にも参席するのでしょう?」
「うん。さすがにデルシェア姫をおひとりで森辺に送りつけることはできないんでね」
すると、ドンダ=ルウがうろんげに声をあげた。
「我々は普段通りに過ごせばよいと言われているので、男衆はこれから森に出る手はずになっている。そちらはどのようにして夜までを過ごす心づもりであるのだ?」
「僕はまあ、最長老にご挨拶をさせてもらったり、折を見て調理の見学にも加わらせていただこうかと考えておりますよ。デルシェア姫も、もう僕を忌避する理由はないでしょうからね」
「忌避?」
「ああ、デルシェア姫は貴族の前で気安い口をきかないようにと父君から厳命されているのですが、僕やフェルメス殿の前でご遠慮はいらないという話に落ち着いたのです。ならば、僕が同席してもお嫌な顔をされることはないでしょう」
ポルアースがそのように答えたとき、護衛部隊の長と思しき人物が配置の完了を告げてきた。
満を持して、デルシェア姫が降車してくる。それに付き従っているのは、以前と同じく2名の兵士たちであった。
「再びお目にかかれて光栄ですわ、族長ドンダ=ルウ様! 父様も、ドンダ=ルウ様とお会いできる今日という日を心待ちにしておりましたの!」
デルシェア姫は悪びれた様子もなく、今日もにこにこと笑っている。当然のように、男の子めいた身軽な格好である。
ドンダ=ルウはそちらに目礼を返してから、ポルアースに向きなおった。
「では、我々は狩りの仕事を始めさせてもらう。あとのことは伴侶のミーア・レイと弟のリャダに託しているので、そのように取り計らってもらいたい」
「承知いたしました。無事なお戻りを祈っておりますよ」
ドンダ=ルウはひとつうなずき、勇猛なる狩人と数頭の猟犬を引き連れて、集落の広場を後にした。
それと入れ替わりで、3名の人物が進み出る。ミーア・レイ母さんとリャダ=ルウ、それにララ=ルウという顔ぶれだ。
「今日はこのララ=ルウを、案内役としてつけさせていただきますよ」
ミーア・レイ母さんの言葉に、デルシェア姫は「え?」と目を丸くした。
「あなたは先日の試食会で、リミ=ルウ様の手伝いをなさっていた姉君ですわよね? そのような御方が案内役だなんて、なんだか恐縮してしまいますわ。宴料理の準備はよろしいのかしら?」
「今日はあちこちの氏族や眷族からも人手をかき集めたんで、何も問題はありゃしませんよ」
ミーア・レイ母さんにうながされて、ララ=ルウは黙然と一礼した。
「そうですか!」と、デルシェア姫は屈託なく笑う。
「それではあらためて、どうぞよろしくお願いいたしますね! どうかわたくしのことはお気になさらず、祝宴の準備をお進めください!」
「ええ。あたしは本家のかまど小屋にいますんで、何かあったら遠慮なく声をかけてくださいな」
そんなミーア・レイ母さんの返事を合図に、その場の人々は散開することになった。ポルアースはひとまずリャダ=ルウの案内で本家へと導かれ、ルウの血族ならぬ10名のかまど番は、シン=ルウ家のかまど小屋へ移動だ。
「それじゃあみんな、また後でねー!」
リミ=ルウは最後にアイ=ファの腰をぎゅっと抱きすくめてから、ミーア・レイ母さんとともに本家のかまど小屋に向かった。
デルシェア姫は2名の兵士とララ=ルウを引き連れて、俺たちの後をついてくる。兵士の片方は、やはりロデという若者であった。
「さーて、それじゃあ存分に見学させてもらおうかな! まずは、アスタ様の厨からね!」
「承知しました。……ところで、ポルアースの前では気安い口をきくのも許されたのですよね?」
「ああ、さっきの挨拶のこと? 最初の挨拶ぐらいはきちんとしないと、森辺の人らに失礼でしょ! ここから夜までは好きに喋らせてもらうから、心配はご無用だよ!」
そんな風に言ってから、デルシェア姫はくりんとララ=ルウに向きなおった。
「あんたも丁寧な言葉づかいは苦手って言ってたけど、父様がいない場所ならどうでもいいから! 堅苦しくしないで、好きに喋ってね!」
「そう言ってもらえるのは、助かるね」と、ララ=ルウはすました顔で肩をすくめた。ララ=ルウも先日の試食会で厨の見学をされたはずであるから、その場でいくらかの交流を結ぶことがかなったのだろう。
シン=ルウ家のかまど小屋を目指して歩きながら、デルシェア姫はかまど番たちの姿を検分していく。その末に、「なるほど!」と大きな声をあげた。
「この場にいるのは、みんな試食会で料理を準備してたお人らってわけね! アスタ様が、このお人らの指揮を取るってこと?」
「はい。料理の責任者は自分で、菓子の責任者はトゥール=ディンになります」
「ふんふん! 16名中の10名しかいないってのは……ああ、あとの6名はルウの血族なんだっけ?」
「はい。ちょうどいい人数なんで、この10名で組になることになりました」
ルウの血族を除いた10名。すなわち、俺、フェイ=ベイム、ユン=スドラ、イーア・フォウ=スドラ、トゥール=ディン、リッドの女衆、マルフィラ=ナハム、ナハムの末妹、レイ=マトゥア、ガズの女衆という顔ぶれである。
その中で、ナハムの末妹はもっとも昂揚した顔を見せていた。ガズの女衆は屋台の古株メンバーで、これまでにもこういった祝宴にいくつか参席していたが、ナハムの末妹は正真正銘これが初の参加となるのだ。そもそも、血族ならぬ家のかまどで料理を手掛けることも、先日の試食会を除けばこれが初めてであるはずであった。
(そういえば、イーア・フォウ=スドラも余所の祝宴に参席する機会はあまりなかったかな)
しかし彼女は城下町の祝宴に参席した経験があったし、その際にもそれほど物怖じしていなかった。ナハムの末妹とは2、3歳しか変わらなそうで、きわめて柔和な気性であるが、きっと沈着の気質でもあるのだろう。
ともあれ、なかなかバラエティにとんだ顔ぶれである。こんな顔ぶれで祝宴をともにできるというのは、俺としても喜ばしい限りであった。
「やあ、来たね」
シン=ルウ家のかまど小屋に到着すると、そこには大柄な女衆が待ち受けていた。誰かと思えば、バルシャである。
「あたしは今日、見回りの仕事ってやつを受け持つことになったからさ。あちこちで顔をあわせることになると思うけど、どうぞよろしくお願いいたしますね、お姫様」
「ふーん? 女性のあんたが、見回りの仕事?」
「ご覧の通り、あたしはかまど仕事より荒事のほうが得意なんでね」
すると、護衛役のロデが警戒心をあらわにして進み出た。
「王女の身分たるデルシェア姫に名も名乗らずに声をかけるとは、無礼であろう。其方は、何者か?」
「そいつは失礼しましたね。あたしはルウの分家の家人で、バルシャってもんですよ」
「バルシャ? ああ、もともと盗賊団だったってお人かあ」
デルシェア姫が無邪気に声をあげると、ロデはいっそう気色ばんだ。
「盗賊団とは? そのようなお話は、うかがっておりませんぞ」
「んー? たしかあのマイムって娘さんと一緒に暮らしてるのが、もともと盗賊団だった親子だって聞いてるんだよねー。えーと、《赤髭党》とかいう盗賊団だったっけ?」
「盗賊だったのはあたしだけで、息子のジーダに罪はありゃしませんよ。……ま、ジーダの父親がその《赤髭党》の党首だったわけですけどね」
豪胆なるバルシャはいつも通りの大らかな笑顔で、そのように言いたてた。
「そんな身分の人間がお姫様の前に出るのは、不遜でしたかね? だったら、リャダ=ルウと役目を代わってもらいましょう」
「いいよいいよ! あんたはその罪が許されたから、こうして森辺で暮らしてるんでしょ? だったら、かまうことないって!」
「ひ、姫様! このような輩をおそばに近づけるのは、あまりに危険ではないかと――」
ロデの言葉に、デルシェア姫はたちまち眉を吊り上げた。
「輩って? 言葉に気をつけなよ、ロデ! 西の罪人が西の法で許されたんなら、あたしたちが口出しする筋合いじゃないでしょ? だいたいこのバルシャってお人が危険な相手なら、ポルアース様がそう忠告してくれるはずじゃん! あんた、二重三重で失礼な口を叩いちゃってるよ!」
「いえ、ですが……」
「ですがじゃないの! ……ごめんなさいね、バルシャ様。従者の非礼は、主人たるわたくしが代わってお詫びを申し上げますわ」
「とんでもない」と、バルシャは笑った。
「あたしがぞんざいな人間だから、そっちのお人も心配になっちまったんでしょうよ。どうかそのお人を叱らないでやってくださいな」
「あなたがそのように仰ってくれるのでしたら、不問といたしますわ。……もー! あんたがあたしに堅苦しい真似をさせるって、どういうことさ! あんまり聞き分けが悪いと、他の兵士と役目を代わってもらうからね!」
デルシェア姫が頬をふくらませると、ロデはしおれて「申し訳ありません」と頭を垂れた。
そんなデルシェア姫たちのやりとりを、アイ=ファやララ=ルウは鋭い検分の眼差しで見守っている。アイ=ファはもちろんララ=ルウも、王家の人間というのものがどういう存在であるのか、それをしっかり見定めようとしている様子であった。
「じゃ、厨の見学をさせてもらうね! えーと、厨に入る人間だけ、刀を預けるんだっけ?」
「うん。外で待つ人間に預けてくれれば、それでいいよ。本当は家で預かるのが習わしだけど、あちこち動き回るんならあまりに手間だろうからね」
ララ=ルウの言葉に従って、ロデは相棒に長剣を受け渡した。
それでようやく、かまどの間に入室である。10名のかまど番の後にデルシェア姫とロデ、アイ=ファとララ=ルウが続き、バルシャはどこへともなく立ち去っていった。もしかしたら、今の一幕をミーア・レイ母さんやポルアースに報告するのだろうか。
「それじゃあ、二手に分かれて下ごしらえだね。ユン=スドラ、そっちの班はよろしく」
「はい。おまかせください」
と、作業の下準備を開始するなり、デルシェア姫が「へー!」と大きな声をあげてきた。
「取り仕切り役を任されるのは、あんたなんだね! それだけアスタ様の信頼が厚いってわけかー!」
「いえ、もちろん調理の手際でしたら、トゥール=ディンやマルフィラ=ナハムのほうが巧みなのですが――」
「ううん! 確かにあんたは試食会の厨でも、すっごくてきぱき働いてたもんねー! 調理の手際そのものは、誰にも負けてなかったと思うよ!」
にこにこと笑いながら、デルシェア姫はそのように言いたてた。
「森辺の料理人って、本当に質が高いよねー! たった2年ていどでこれだけの腕を身につけられるなんて、すごいことだよ! どうして料理に興味のなかった一族の集落に、こんな才能の持ち主が寄り集まってるんだろうね?」
「それはきっと料理の才能だけじゃなく、努力を惜しまない資質というものが関わっているのだと思いますよ。あとは、その努力を継続できるだけの体力でしょうかね」
俺がそんな風に答えると、デルシェア姫はたちまち身を乗り出してきた。
「それ、どういう意味? もうちょっと詳しくお願い!」
「え? ですから……森辺のかまど番が調理に情熱を傾けているのは、同胞に喜びを与えたいという思いと、豊かな暮らしをしたいという思いのためになります。それを実現させるのに多大な努力が必要だったわけですが、俺は今のところ、そこで努力を惜しむような女衆に出会ったことがありません。同胞のためならどのような苦労も惜しまないのが森辺の民であり、その苦労が実を結んで料理の才能を開花させたのだと思います」
「じゃあ、体力ってのは? 森辺の狩人がみんな凄腕の剣士ってことは聞いてるけど!」
「そんな狩人たちを父に持っているわけですから、森辺の女衆もみんな体力や腕力がすごいんです。俺なんて、同世代の女の子に勝てるかどうかってぐらいですからね」
「えっ」と声をあげたのは、ユン=スドラであった。
「アスタがそうまで腕力で劣るとは思えません。この場には、アスタより年少の人間しかいないようですが……それでもアスタにかなうのは、せいぜいマルフィラ=ナハムぐらいでしょう?」
「ああ、マルフィラ=ナハムは力持ちだもんねえ。でも、俺なんかはレイナ=ルウといい勝負ぐらいじゃないかな?」
「それはないですよー!」と、笑いながら応じたのはレイ=マトゥアであった。
「レイナ=ルウもルウの血なのか、わたしたちよりはうんと力が強そうですけど、それでもアスタにかなうわけがありません! だって背丈も、頭ひとつぶんぐらい違うじゃないですか!」
「うん。でも俺の印象だと、レイナ=ルウと互角ぐらいなんだよね」
かまどの間のあちこちから、好奇に満ちた眼差しが飛ばされてきた。俺が冗談を言っているのだろうかと、探っているようにも感じられる眼差しである。
そんな中、トゥール=ディンが「あ、あの」とひかえめに声をあげた。
「それはきっと、アスタが森辺の生活で成長したということなのではないでしょうか? 確かにわたしが初めてアスタに出会ったとき……アスタはいかにも町の人間らしい雰囲気で、大人の女衆より力が弱いように感じられました」
「えーっ、本当ですかー? ……あっ! 狩人のアイ=ファだったら、アスタの力を正しく見定められるのではないでしょうか?」
デルシェア姫やロデの目をはばかって気配を殺していたアイ=ファが、感情の読めない面持ちで「うむ」と応じた。
「確かに以前のアスタは、レイナ=ルウと同程度の腕力であったのであろうな。しかし今は……マルフィラ=ナハムやヴィナ・ルウ=リリンをわずかに上回るていどであろう」
「え、本当か? ヴィナ・ルウ=リリンって、女衆としてはすごく力持ちだろう? まだトトスや荷車がなかった頃、ものすごい量の荷物を平気な顔で担いでたしさ」
「今のお前なら、同程度の荷物を運ぶこともかなおう。……それでようやく女衆を
上回るていどの腕力だというのに、お前は何を驚いておるのだ?」
「いやあ、もともと俺は女衆の腕力に驚かされてた身だからさあ。それに追いつけたんなら、なんだか感慨深いよ」
俺が笑顔を届けると、アイ=ファは口もとをごにょごにょさせた末、押し黙ってしまった。その青い瞳は、「いきなり無防備な笑顔を見せるな」と語っているように見えなくもない。
「……なるほど! 腕力や体力ってのが、そこまで調理に関わってくるのかー!」
と、デルシェア姫がいきなり大声を張り上げた。すっかりほったらかしにしてしまっていたが、そういえば話の発端はこの姫君であったのだ。
「言われてみれば、城下町や宿場町のお人らは貧弱だなーって印象だもん! 特に、城下町のお人らね! 鉄鍋ひとつ運ぶのに大汗かいちゃって、ヴァルカス様のお弟子なんかは今にも倒れちゃいそうな顔色じゃなかった? それでも集中を切らさなかったのは立派だけど、そもそも体力がなさすぎるよね!」
「ああ、南の方々は西の民より腕力に秀でている印象ですね。復活祭ではこんな大きな樽を、片手で担いだりしてましたし」
「樽ぐらい、男だったら片手で担げるでしょ! ……ああ、そっか。それが西の民との違いってわけね! なるほどなるほど。それは面白い話だなあ」
何がそんなに面白いのだろうと思っていると、デルシェア姫はにぱっと笑った。
「いや、体力や腕力が調理に関わってくるなんて、今まで考えたこともなかったんだよねー! でも確かに、普通は体力が尽きたら集中も切れちゃうもんね! 腕力がなければ、肉や野菜を刻んでるだけで疲れちゃうしさ! 体力も腕力も、料理人にとっては大事な資質のひとつってことかー!」
「そういう観点だと、南の民や森辺の民は西の民より一歩有利ということになりますね」
「うん! 城下町のお人らなんて、試食会でたったひと品を作るのでへろへろになってたもん! あれはきっと、普段は大勢の弟子だか助手だかに仕事を割り振ってるんだろうねー! あの日は助手もひとりまでしか認められてなかったから、その分くたびれ果てちゃったんじゃない?」
そう言って、デルシェア姫は悪戯小僧のような表情を浮かべる。
「でもきっと、料理の出来に影響が出るほどではなかったと思うよ! だから、あの場で出された料理があのお人らの実力ってわけだね! ま、腕力や体力だって実力の内だから、それで出来栄えが変わるなら当人の責任だけどさ!」
「デルシェア姫は、やっぱり城下町で出されるような複雑な味付けを好まれないのでしょうか?」
俺がそのように問いかけると、デルシェア姫は何かを誤魔化すようににこーっと微笑んだ。
「どうして? 試食会で出された料理はみんな素晴らしい出来栄えだったし、あたしも父様もみんなにそう伝えてるよ!」
「はい。ただそれは、どんなにご自分の好みに合わなくとも、客観的な視点で完成度を見定めようというお気持ちの表れなのかと思いまして」
あまりに踏み込んだ質問だったかなと思ったが、デルシェア姫はにこにこと笑うばかりであった。
「そりゃああたしや父様にだって、好みの味ってものはあるからね! でも、好みに合わなくったってその料理の工夫に感心させられることはあるでしょ? 少なくとも、試食会で出された料理に不満を持ったことはないね!」
「そうですか。立ち入ったことをお尋ねしてしまって、申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ! ……でも、アスタ様って油断ならないなあ。あたしや父様のこと、そんな風に見てたんだあ?」
そんな風に語りながら、デルシェア姫はむしろ楽しげにエメラルドグリーンの瞳をきらめかせた。
「ただ言っておくと、森辺の料理はすごく好みの味だから! 今日の料理も、ものすごく楽しみにしてるよ!」
「はい。期待外れにならないよう、力を尽くします」
そんな言葉を交わしている間に、料理の下準備は整えられた。
ここからが、調理の本番である。デルシェア姫を筆頭とする貴き客人たちにご満足いただけるよう、俺たちは力を振り絞ることになったのだった。