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異世界料理道  作者: EDA
第六十二章 騒乱は果てず
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試食会・森辺のかまど番編⑥~味比べ~

2021.6/26 更新分 1/1

 しばらくして、味比べの投票が開始された。

 投票権を持たない俺たちは、その間に貴き方々への挨拶を済ませることにする。貴き方々は数名ずつ別室に招かれて感想を聴取されていたので、誰かしらは席に残されていたのだ。


「フェルメス、お疲れ様です。今日は口にできる料理が少なくなってしまって、申し訳ありません」


 俺がそのように声をかけると、ひとりでひっそりと席についていたフェルメスは「いえ」と静かに微笑んだ。


「僕のような人間がこの場に居座っていること自体が不相応なのですから、アスタたちが気になさる必要はありません。ですが、毎回そうして気にかけてくださることを、心から嬉しく思っています」


 フェルメスは、どこか元気がないように感じられた。

 俺と同じように思ったのか、アイ=ファは「うむ?」と目をすがめる。


「どうしたのだ、フェルメスよ? また病魔にでも見舞われてしまったのであろうか?」


「いえ、そのようなことはありません。ただ……いささか鬱屈してしまっているのでしょう」


「鬱屈? あなたが?」


 と、アイ=ファはびっくりしたように目を見開いた。

 確かにそれは、驚くべき発言であろう。


「どうしてフェルメスが、鬱屈してしまっているのです? ……王家の方々と、何か関係あるのでしょうか?」


 俺が小声で問いかけると、フェルメスも「はい」と囁き声を返してきた。


「ご存じの通り、僕は獣肉を口にできないという偏食家です。それゆえに、ダカルマス殿下のご不興を買ってしまったのですね」


「ご不興……何か叱責のお言葉でも?」


「いえいえ。ダカルマス殿下はああいう御方ですから、余人を叱責したりはなさいません。ましてや僕は、西の王都の貴族であるのですからね。……ですが、ダカルマス殿下が僕のことを疎んじているのは明白です。そして試食会というのは料理の味から得られる喜びを分かち合うための会なのですから、本当は僕のような人間には参席してほしくないのでしょう」


「ふむ」と、アイ=ファも小声のやりとりに加わってきた。


「確かにこれまでの試食会においても、あなたはずいぶん静かであるように感じられていた。それらもすべて、無用の反感を買わないための所作であったわけか」


「はい。ですが外交官という職務上、僕がこの場に立ちあわないわけにはいきません。ですからこうしてダカルマス殿下のお気にさわらないように、息をひそめているのです」


「ふむ……あなたには、そのような一面もあったのだな。いささかならず、意外の念にとらわれた」


「意外? そうでしょうか?」


「うむ。あなたは誰に疎まれようとも、鬱屈したりはしないのではないかと考えていた。決して悪い意味ではなく、それだけ心の強い人間だと思っていたのだ」


「ああ」と、フェルメスは彼本来の無邪気で優雅な微笑みをたたえた。


「僕はべつだん、ダカルマス殿下に疎まれたこと自体に鬱屈しているわけではありません。西の王都においても僕を疎む人間などいくらでもいたのですから、そのような話は慣れっこであるのです」


「では、何故にそのように力を落としているのだ?」


「それはもちろん、アスタと語らいたいという気持ちをも自制しなければならないためです」


 そう言って、フェルメスは甘えるような眼差しを俺に向けてきた。


「ダカルマス殿下はことの外、アスタの存在をお気に召しておられます。料理の試食もしていない僕がこのような場でアスタに語りかけることは、きっとご不快でならないでしょう。ですから、自制せざるを得ないのですが……こうして同じ場にありながらアスタとの交流を控えるというのは、僕にとって苦痛でしかないのです。まるで、道ならぬ恋に落ちたペリラ姫さながらの心境であるのですよ」


「……ペリラ姫?」


「『ペリラの悲恋』は、傀儡使いの演目に入っていなかったでしょうか? 許嫁がありながら余所の貴族に恋心を抱いてしまったペリラ姫は、祝宴においても想い人を遠くに見やることしかできず、悲しみに心をふさぐことになるのです」


「……そのたとえはよくわからんが、やっぱりあなたは私が思っていた通りの人柄であるようだ」


 アイ=ファは仏頂面になり、俺はフェルメスに苦笑を投げかけることになった。


「でもきっと、試食会はこれで打ち止めでしょう。フェルメスの苦労も終わるのではないでしょうか?」


「いえ。ダカルマス殿下は森辺の祝宴への参席を望んでおられますし、最後には送別の祝宴というものも控えています。そのたびに、僕はペリラ姫と同じ苦悩をかき抱くことになるのですね」


 神秘的なヘーゼル・アイに甘えるような光をたたえたまま、フェルメスはそう言った。

 俺としては、返答に困るばかりである。


「ですが、すべての責任は僕にあるのですから、致し方ありません。僕のことはお気になさらず、アスタたちはおくつろぎください。……こうして僕と語らっていることも、ダカルマス殿下の侍女や小姓たちによって報告されてしまうのでしょうしね」


 そんな言葉を最後に、俺たちはフェルメスのもとを離れることになった。

 次の席へと歩を進めながら、俺はアイ=ファに囁きかける。


「フェルメスは、人の心情を汲むのが苦手とか言ってたのにな。本当にダカルマス殿下は、フェルメスのことを疎んでるのかなあ?」


「あの者が確証もなしに、自らの欲求を抑えることはあるまい。それに、あやつほど明敏な人間が、余人の心情を汲めぬことはなかろう」


「でも、『滅落の日』に、自分でそう言ってたよな?」


「あれは……自分の大事に思う相手にどのように振る舞うべきかが判然としない、という意味だったのではないか?」


 そう言って、アイ=ファは横目で俺をねめつけてきた。


「むしろあやつは、人の心情を見透かすことに長けているように思える。そうであるにも関わらず、自分の大事に思う相手を傷つけてしまったからこそ、あれほど打ちひしがれていたのではなかろうかな」


「うん、まあ、それはそうなのかもしれないけど……自分の大事に思う相手って言い回しが、ちょっとむずがゆいな」


「ならば、想い人とでも言い換えるか?」


「やめてくれってば。誰にどう思われようとも、俺の想い人は――」


 アイ=ファが赤い顔をして俺の頭をかき回してきたので、俺もそれ以上は気恥ずかしい言葉を口にしないで済んだ。

 そして行く先では、無邪気に微笑む娘さんたちが待ち受けている。ひさびさに再会を果たした、メリムとスドラの若き夫妻である。


「ああ、アスタにアイ=ファ。今日は素晴らしい料理をありがとうございました」


 ポルアースの伴侶であるメリムは、本日も可憐な姿であった。トトスの早駆け大会の祝賀会で面識を得たチム=スドラとイーア・フォウ=スドラも、穏やかな心地でメリムと語らっていた様子である。


「まもなく味比べの結果が明かされますね。森辺の方々は味比べにご興味がないというお話でしたが、わたくしはむやみに胸が弾んでしまいます」


「そうですか。森辺の民は味比べの余興というものをどんな風に楽しむべきか、ちょっとつかみかねているのですよね」


 俺がそのように答えると、メリムは「うーん」と可愛らしく下顎に指先をそえた。


「わたくしは、闘技会やトトスの早駆け大会と同じような気持ちで見守っています。順番をつけるのが無粋だというご意見もわからなくはないのですが……競うからこそ大きな喜びが得られるという面もあるのではないでしょうか?」


「はい。余所の競技を楽しんだり応援したりというのは、俺にもできるのですけれどね。ただ、料理というのは個人の好みで善し悪しが分かれるので、多数決を取ることにどれだけの意味があるのだろうと思ってしまうのかもしれません」


 そんな風に答えつつ、俺はメリムに笑いかけてみせた。


「ただ、自分たちは最初から競うつもりもなかったので、味比べの結果にも頓着しないように心がけようという話に落ち着きました。どのような結果になろうとも、そのまま受け入れる所存です」


「そうですか。でも、今日はこれまで以上に素晴らしい料理ばかりであったので、わたくし自身も順番のつけようがないというのが正直なところです」


 メリムがそのように応じたとき、美しい鈴の音が響きわたった。別室で全参席者の感想をまとめていたダカルマス殿下が舞い戻ってきたのだ。

 人々は、厳粛な面持ちでダカルマス殿下を迎え入れる。ダカルマス殿下はにこにこと笑っており、そのかたわらからころころとした体格の小姓が進み出た。


「お待たせいたしました。味比べの結果が出ましたので、発表させていただきます」


 森辺の民は、この余興を重んじることはないという結論に落ち着いた。しかし、他の参席者たちは存分に緊迫した様子で小姓の言葉を聞いているようだった。


「本日は、111名の方々が味比べに参加なさいました。これまでと同じように、第1位から第3位までの方々に勲章が授けられますので、そのように思し召しください」


 俺はアイ=ファのほうをうかがってみたが、そちらにも平静な表情しか見て取ることはできなかった。

 小姓は澄みわたった声で、言葉を重ねる。


「それでは、発表いたします。第1位は……16の星を獲得した、アスタ様となります」


 いささかならず緊迫していた空気が、熱い歓声によって叩き壊された。

 メリムや近場にいた人々が笑顔で俺のほうを向きながら、温かい拍手を送り届けてくれる。俺はそちらの人々に会釈を返しつつ、フェイ=ベイムとともにダカルマス殿下のもとを目指すことになった。


(俺が1位とは、意外だな。でも、16票ってことはかなりの接戦だったわけだ)


 俺が到着すると、満面に笑みをたたえたダカルマス殿下が待ちかまえている。

 俺の胸には、再び黄色い勲章が飾られることになった。


 広間のほうに向きなおると、誰もが感嘆や喜びの表情で手を打ち鳴らしている。

 味比べの結果には、何のこだわりもなかったが――ユン=スドラやユーミなどが我がことのように喜んでくれているのは、やはりありがたく思えてならなかった。


 俺はそちらの人々にも礼を返して、ダカルマス殿下たちの脇に引き下がった。

 歓声と拍手がやむのを待って、小姓の少年はその手の帳面に目を落とす。


「続きまして、第2位は……15の星を獲得した、レイナ=ルウ様とマルフィラ=ナハム様です」


 なんと、汁物料理を供したふたりが同率で2位であった。

 レイナ=ルウは張り詰めた面持ちで、マルフィラ=ナハムはこれ以上ないぐらいへどもどしながら、それぞれ進み出てくる。それに追従するレイの女衆やナハムの末妹のほうが、よほど純然たる喜びをあらわにしていた。


「続きまして、第3位は……14の星を獲得した、リミ=ルウ様とトゥール=ディン様です」


 今度の歓声には、驚きのざわめきも含まれていた。

 またもや、同じ菓子を供したふたりが同率となったのだ。

 しかもここまで、各順位の差は1票ずつである。なかなか不思議な偶然もあったものであった。

 そしてその偶然は、いまだ終わっていなかったのだった。


「勲章を捧げられる入賞者は、以上となります。惜しくも入賞を逃された方々は……13の星を獲得されたマイム様が第4位、12の星を獲得されたユン=スドラ様とレイ=マトゥア様が第5位と相成ります」


 広間には、さらなるどよめきがわきたった。

 けっきょくは、最上位から最下位までがすべて1票差であったのだ。

 会場内のどよめきがわずかに静まってから、ダカルマス殿下が胴間声を張り上げた。


「今回は、実に興味深い結果と相成りましたな! 宿場町の方々による試食会においても大変な接戦の様相を呈しておりましたが、このたびはそれ以上の大接戦であります! すべての星が1票差で、しかも3組が同率というのは、わたくしの記憶にある限り初めての椿事でございましょう! わたくしは、なんだか……料理の出来に順番をつける無粋さを、天上の神々にたしなめられたような心地でございます!」


 ダカルマス殿下が語り始めたことによって、広間は静まりかえることになった。

 そんな中、ダカルマス殿下の野太い声が朗々と響きわたる。


「なおかつこのたびの試食会において、森辺の方々に競い合う気持ちは皆無であったと聞き及んでおります! アスタ殿を筆頭とする森辺の方々は、味比べの余興など歯牙にもかけず、ただご自分たちの為すべきことを――ゲルドの食材の目新しい使い道を披露するという、その一点に注力したわけでありますな! なおかつ、似通った料理ばかりにならないようにと腐心して、すべての方々に喜んでいただけるようにと、あれだけの料理を準備してくださったのです! その清廉なるお心の持ちように、わたくしは感銘を禁じ得ません! 心より、森辺の方々に感謝の気持ちをお伝えさせていただきたく思います!」


 ダカルマス殿下が元気いっぱいであるのはいつものことだが、それにしても今回は熱が入っているように感じられた。


「そして、総評となりますが……こちらもまた、大変興味深い結果と相成りました! まず大前提として、票の内訳に大きな差はございません! さまざまな立場にあられる方々が、ほぼ均等にそれぞれの料理に星を投じたため、このような結果に相成ったのです! その中で、あえて特筆するならば……第1位のアスタ殿には城下町の料理人の方々から、第2位のレイナ=ルウ殿とマルフィラ=ナハム殿には東の方々から、わずかに票が多く投じられたように思います! アスタ殿は前菜や副菜といった類いの料理でありましたが、その不可思議なシャスカの扱い方によって、城下町の料理人の方々を驚嘆せしめたのでありましょう! いっぽう第2位の方々は、やはり香草の扱いの巧みさから、東の方々の支持を得たわけでですな!」


 自身を除いた110名分の感想を聞き届けたダカルマス殿下は、そうして本日も細かい内訳についてを語り始めた。

 いわく――微差ではあるが、トゥール=ディンの菓子には宿場町からの、リミ=ルウの菓子には城下町からの支持が多かったらしい。トゥール=ディンのメレスの扱いは不可思議で独自性にとんでいたが、味わいそのものは強烈な純朴さともいうべき仕上がりであったため、リミ=ルウの菓子は繊細で優雅な面が際立っていたため、そういった結果に落ち着いたのだろうという話だ。


 マイムの料理は、それこそ平均的であったという。あらゆる身分にある人々から等しく票を集めて、この結果であるのだそうだ。

 東の民から香草が物足りないと思われることもなく、南の民から辛いと文句を言われることもなく、城下町の民から豪奢さに欠けると思われることもなく、宿場町の民から珍妙な料理だと思われることもなく――とにかく、万人から支持を集めていたらしい。それで入賞できなかったのは、むしろ突出した部分がなかったために、城下町の評が俺に、東の民の評がレイナ=ルウたちに流れた結果であろうと、ダカルマス殿下は判じていた。


 ユン=スドラの料理はきわめて素晴らしい出来栄えであったが、やはり《キミュスの尻尾亭》のラーメンとの類似性が、わずかに足を引っ張ったらしい。美味いには美味いが、自分にはラーメンのほうが好みかも――という層が、星を入れるのを躊躇したという面があったようだ。

 いっぽうレイ=マトゥアは肉類もフワノの生地も使わない完全無欠の副菜であったものの、扱いの難しいペルスラの油漬けとゲルドの乾酪を見事に使いこなしており、しかも物足りないことがまったくなかった。むしろ、副菜でこれだけ満足感のある料理に仕上げられるのかと、そういった感銘を覚えた人々が票を投じたようだった。


 しかし何にせよ、票差は1票ずつであったのだ。

 東の民がもうひとり多かったら、レイナ=ルウかマルフィラ=ナハムも1位になっていたかもしれない。菓子好きの人間があとふたり多かったら、トゥール=ディンかリミ=ルウも1位になっていたかもしれない。《キミュスの尻尾亭》のラーメンが先に披露されていなかったら、ユン=スドラが1位になっていたかもしれない。そんな「もしも」を想起せずにはいられないぐらいの大接戦だったわけである。


「わたくしは、心より満足しております! 料理に順番をつけることなく、8名全員に勲章を捧げたい心地でございます! それはきっと森辺の方々の8名全員が一丸となって、今日という日の喜びを作りあげてくださったゆえなのでありましょう! 競い合う理由のない森辺の方々を試食会の場に引っ張り出してしまったことに、小さからぬ慚愧の念を抱くほどでありますぞ!」


 そこでダカルマス殿下は、いきなり広間の人々に向かってピースサインを繰り出した。

 これはいったい何の合図だろうと思っていると、ダカルマス殿下は「2回!」という声をほとばしらせる。


「ただあと2回だけ、わたくしの我が儘につきあっていただきたく思います! わたくしが美食に傾倒するのは道楽以外の何ものでもありませんが、しかし! この行いはジェノスの繁栄に少なからず寄与することができているであろうという思いもございます! どうかあと2回だけ、この試食会におつきあいを願えないでしょうか?」


 俺は周囲のレイナ=ルウたちと顔を見合わせることになった。

 これ以上、どのようなテーマで試食会を行うつもりなのか、さっぱり見当がつかなかったのである。


「本来は、あと1回の開催を検討していたのです! ですが、皆様の調理の手腕が想像以上であったため、1回では足りぬと判じることになってしまいました! 次なる試食会では、これまでに勲章を授かった城下町の方々と、宿場町の方々と、森辺の方々によって、腕を競い合っていただきたく思います! そして、それを料理の部と菓子の部に分けさせていただきたいのです!」


 これまで以上のどよめきが、広間を席巻することになった。

 もちろん俺たちも、それに負けないぐらい驚かされてしまっている。


「料理の部は、森辺の集落からアスタ殿、レイナ=ルウ殿、マルフィラ=ナハム殿! 宿場町から、《キミュスの尻尾亭》殿、《南の大樹亭》殿、《玄翁亭》殿!  城下町から、ヴァルカス殿、ボズル殿、ティマロ殿! 菓子の部は、森辺の集落からトゥール=ディン殿、リミ=ルウ殿! 宿場町から、《アロウのつぼみ亭》殿、《ランドルの長耳亭》殿! 城下町から、ヤン殿、ダイア殿! ……ダイア殿のみは勲章を授与されておりませんが、その結果は2票差の第4位であり、手腕のほうに疑いを持つ御方もおられないことでしょう! それらの試食会によって、わたくしの道楽も打ち止めとさせていただきたく思います!」


 広間のどよめきにも負けない大声で、ダカルマス殿下はそのように宣言した。


「ただし、これまで3日置きに試食会を開催しておりましたため、皆様もいささか疲弊しておられることでしょう! また、あまりに立て続けに試食会を行っても、その内容を吟味する時間が取れなければ甲斐もありません! 少なくとも、10日以上は日を空けて、皆様にも英気を養っていただきたく思います!」


 では少なくとも、あと10日以上はジェノスに滞在する心づもりであるということだ。トータルすれば、けっきょくひと月以上の滞在になってしまいそうだった。


「わたくしからは、以上となります! あと半刻ばかりは意見交換の時間とさせていただきますので、どうぞ有意義な時間をお過ごしください!」


 人々の困惑などどこ吹く風で、ダカルマス殿下は悠然と自分の席に戻っていった。

 呆然と立ち尽くす俺たちのもとには、小姓のひとりがそっと呼びかけてくる。


「では、勲章を授与された5名様はこちらに」


 俺たちがダカルマス殿下のもとに向かうと、途中でアイ=ファとジザ=ルウが合流した。

 ダカルマス殿下は、変わらぬ笑顔で俺たちを待ち受けている。


「皆様、お疲れ様でした! お手数ですが、もうしばしわたくしどもにおつきあいを願いたく思いますぞ!」


 ダカルマス殿下の隣では、デルシェア姫もにこにこと笑っている。

 そしてさらにその隣では、マルスタインが俺たちをなだめるような微笑みをたたえていた。


「ジザ=ルウも同行してくれたのなら、ちょうどいい。ダカルマス殿下、例の件もこちらでお伝えしては如何でしょうかな?」


「そうですな! ジェノス侯におまかせしてもよろしくありましょうかな?」


「承知いたしました。……次なる試食会は10日以上の猶予を空けることと相成ったが、その前に森辺の集落において歓迎の祝宴を開いてもらいたく思うのだ」


 それはすでに内々に懇請されていた案件であった。ダカルマス殿下とデルシェア姫、それに使節団のロブロスたちを森辺に招いて、祝宴を開いてほしいと願われていたのだ。


「それに関しては、すでに族長らが了承の返事をしていたと思うが……日取りなどが決定したのなら、承ろう」


「日取りに関しては、そちらの都合を優先していただきたい。5日後以降、10日以内といったところでどうであろうかな?」


「承った。族長たちには、そのように伝えよう」


 ジザ=ルウはひとつうなずき、レイナ=ルウの席の後ろに引きさがろうとした。

 マルスタインは「ああ」と声をあげて、それを呼び止める。


「それに、もう一件。これはアスタに対する依頼であるのだが、最終的には族長らの許しが必要な話であろうから、それもあわせてお伝え願いたい」


「うむ。いかなる話であろうか?」


「新たな食材の取り扱いを、ジェノスに周知する仕事についてとなる。アスタはすでに南の王都から届けられた食材の扱いに関しても随一であるはずなので、それをまたジェノスの民たちに手ほどきしてもらいたいのだ」


「ふむ。宿場町においては近日中に宿屋の寄り合いが開かれるので、その場で手ほどきすることになるのではないかと聞いていたのだが」


「アスタには、城下町の料理人にも手ほどきしてもらいたく思っている。ならば、同じ日にまとめて行ったほうが労力も少なかろう。それで、城下町の貴賓館において吟味の会を開き、そこに宿場町と城下町の人間を集めてはどうかという話に落ち着いたのだ」


 ジザ=ルウは糸のように細い目で、マルスタインの笑顔をじっと見つめ返した。


「それもまた、この10日以内に行うべしという話であろうか?」


「うむ。南の王都の食材は売り値も決定したため、吟味の会はなるべく早い日取りで執り行ってもらいたく願っている」


 マルスタインはゆったりと微笑んだままであったが、その瞳にはジザ=ルウをなだめるような光が宿されているように感じられた。

 俺は森辺の祝宴でもかまどを預かるように願われていたし、菓子の試食会でも審査員として参席することになるのだろう。そこに料理の試食会と吟味の会を加えるとなると――10日余りで4つのイベントに参加させられるということになるのだった。


 俺は苦笑をこらえつつ、アイ=ファのほうに目をやった。

 アイ=ファはその青い瞳に憤懣の光をたたえつつ、しかたなさそうに首肯する。それを見届けて、俺はジザ=ルウに目配せをした。


(それらがジェノスのためになるのなら、俺も微力を尽くしますよ)


 ジザ=ルウは目の動きが読めないため、俺の目配せが届いたかどうかも判然としない。

 ただジザ=ルウはタイミングよくうなずいて、マルスタインへと言葉を返した。


「すべてを決するのは、族長らとなる。明日中には返事をできるように、ザザとサウティに使者を出すことを約束しよう」


「うむ。よき返事を待っているぞ」


 マルスタインは同じ微笑をたたえたまま、さりげなく俺のほうに目礼をしてきた。俺がジザ=ルウに目配せを送ったことに気づいていたのだろう。

 そうして話が終わったと見るや、ダカルマス殿下が身を乗り出してくる。


「では、今日の試食会について語らせていただきたく思いますぞ! 本日は、心より満足のいく一日でありました!」


 ダカルマス殿下は、あくまで無邪気である。

 まあきっと、俺たちがどれだけの苦労を背負おうとも、それに見合った成果が得られるに違いないと信じているのだろう。森辺の祝宴に関しては、ただひたすら自分の欲求に従っているだけかもしれないが――ただ本人が美味なる料理を欲しているだけならば、試食会という形を取る必要などないはずであるのだ。


(ま、苦労に見合った成果を手にできるかどうかは、俺たち次第なんだろうしな)


 広間の喧噪を背中で感じながら、俺はそのように考えた。

 少なくとも、これまでの試食会は料理にたずさわる人間に大きな影響をもたらしてきた。それだけは、疑う余地もなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 他国の外交官を嫌うわ人の都合も考えずに好き勝手に他国で道楽を満喫しまくって迷惑をかけるわよくもまあこんなのを送り出したものだなあ
[気になる点] 殿下は食べ物でもアレルギーやアナフィラキシーで死ぬことがあるってことは知らなそう。だからこそ、旨い食べ物なのに食べられないなんておかしいって思ってそう。 あとは、フェルメスよりも優れ…
[一言] 狗さん > どこが3組同率なのですか? > 第2位は……15の星を獲得した、レイナ=ルウ様とマルフィラ=ナハム様 >第3位は……14の星を獲得した、リミ=ルウ様とトゥール=ディン様です」 …
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