試食会・森辺のかまど番編⑤~交流(下)~
2021.6/25 更新分 1/1 ・7/3 文章を一部修正
次に待ち受けていたのはマイムのブースで、そこにはレビとテリア=マス、ティマロとダイアとそのお弟子さんという組み合わせの人々が寄り集まっていた。それに、お仕着せ姿のジーダがひっそりと気配を殺しつつ、マイムの働きっぷりを見守っている。
「みなさん、お疲れ様です。ダイアたちには、こちらの方々を紹介させてください」
バランのおやっさんとアルダスが名乗りをあげると、城下町の3名は折り目正しく「よろしくどうぞ」と一礼した。
「あ、テリア=マスとも面識はありませんでしたっけ? こちらは俺がお世話になっている《キミュスの尻尾亭》という宿屋の娘さんです」
「いや、建物の修繕で何度か顔をあわせたことはあるよ。そうか、あんたも森辺の民と懇意にしてたんだな」
アルダスは陽気に笑い、テリア=マスもやわらかい表情でお辞儀をした。
「で、ここの料理は……ああ、ギバの煮込み料理か。うん、こいつは美味かった! こういう料理こそ、腹いっぱい食いたいもんだよ」
「ありがとうございます。この料理はちょっと食材費がかさんでしまいそうなので、ツヴァイ=ルティムからの許しが出たら屋台でもお出しするつもりです」
「ツヴァイ=ルティム? ああ、あのいっつもしかめっ面をしてる娘さんか。なるほど、あの娘さんがルウ家の財布の紐を握ってるわけだな」
すると、喋りたそうにうずうずとしていたティマロが身を乗り出した。
「これだけ見事な出来栄えであれば、商品にしない理由はございませんぞ。どれだけの値段にしようとも、文句をつけるお客はありますまい」
「はあ。でも、屋台で出す料理は高くても赤銅貨2枚までと決めていますので……それであまりに量が少なくなってしまうと、買い手がつかなくなってしまうのですよね」
「赤銅貨2枚……これだけ見事な料理が、赤銅貨2枚?」
ティマロはぽこんとおなかの出た身体をのけぞらせつつ、説明を求めるように俺たちを見回してきた。
ここは俺の出番であろうかと思ったが、それよりも早くアルダスが口を開く。
「俺たちなんかは、屋台で3品ばかりも買ってるからな。3品あわせて赤銅貨5枚か、せいぜい6枚ぐらいに抑えないと、やっていけないのさ」
「な、なるほど。ひと品あたりの分量が、それだけ抑えられているわけですな。それにしても、赤銅貨2枚とは……」
俺の感覚で言うと、赤銅貨1枚は200円に換算される。昼の屋台で赤銅貨5枚や6枚もかけてくれるのは、宿場町においてそれなりに豊かな層であるという印象であった。まあ南の民は食欲が旺盛であるので、どうしたって西の民よりは食費がかさんでしまうものなのだろう。
「では、宿場町の方々もそれぐらい食材費を切り詰めながら、あれだけ見事な料理を出していたわけでございますねぇ。頭の下がる思いでございますよ」
と、柔和に微笑みながら、ダイアもそのように言っていた。やはり宿場町と城下町では、いささかならず金銭感覚が異なっているのだ。
「何にせよ、あなたの料理は見事でございましたよ。娘さんがこれだけ立派な料理人に育って、お父君もお喜びのことでございましょう」
「いえ。父にはいつも、叱られてばかりです。わたしがお調子者ですので、なかなか甘い顔は見せてくれないのです」
そんな風に答えながら、マイムは誇らしそうに微笑んでいた。そしてそんなマイムのことを、ジーダはとても優しげな表情で見守っている。
いっぽうティマロはなよやかな仕草で額に手をあてつつ、嘆息まじりの言葉をもらした。
「たとえ幼き頃から指南を受けていたとしても、やはりそのお若さでこれだけの手腕というのは驚くべき話でありましょう。トゥール=ディン殿といいリミ=ルウ殿といい……まったく、末恐ろしいところでありますな」
「ティマロもダイアも、今日の料理や菓子にご満足いただけましたか?」
俺がそのように口をはさむと、たちまち対抗心に燃える目を向けられてきた。
「これだけ見事な料理を並べられて、文句をつけることはできますまい。アスタ殿に至っては、まだあのような料理を隠し持っておられたのですな」
「いえ、べつだん隠していたわけではないのですが……何か目新しい料理をお披露目したくて、頭をひねり倒したのですよ」
「あれは、素晴らしい細工でございましたねぇ。薄くのばしたシャスカを蒸しあげたということなのでしょうけれど……チャッチもちという菓子ともども、わたくしも何とか見習いたく思っておりますよ」
「ダイアは、チャッチ餅と生春巻きがお気に召したのですか?」
「いえ、仕上がりはどの品もまさりおとりはありませんでしたけれど……具材が透けて見える生地というものに、とても心を動かされてしまうのですねぇ」
味ではなく、見栄えがダイアの琴線に触れたらしい。外見にこだわるダイアらしいなという感慨を噛みしめながら、俺は笑顔を届けてみせた。
「チャッチ餅もシャスカの皮も、ダイアであればすぐに習得できると思いますよ。機会があったら、作業手順をお教えしますね」
「ええっ!? ご自分の考案した調理法を、そんな軽々に打ち明けてしまわれるのですか?」
驚きの声をあげたのは、ティマロである。
そちらに向かって、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「シャスカを粒のまま仕上げる調理法も、以前にお伝えしたでしょう? それと同じことですよ。それにチャッチ餅の作り方なんかは、すでにヤンにもお伝えしています。大事なのは、そこからどのように発展させて独自の料理や菓子に仕上げられるか、ということなんじゃないでしょうか?」
「しかし……それがアスタ殿に、どのような益をもたらすというのでしょう?」
「益ですか? それはまあ……それでみなさんが素晴らしい料理や菓子を作りあげてくれたら、ぜひ食べさせていただきたいところですね」
そう言って、俺はびっくりまなこのティマロに笑いかけてみせた。
「実はさっきもヴァルカスに、いずれシャスカの皮をご自分の料理に取り入れてみたいのだと聞かされて、すごくワクワクしたのですよ。自分のもたらした調理法でみなさんの料理の幅が広がるのなら、とても誇らしく思います」
ティマロは信じ難いものでも見るような目で、俺を見ていた。
すると、しばらく静かにしていたフェイ=ベイムが「あの」と声をあげる。
「もしかしたら、あなたは何か考え違いをされているのではないでしょうか?」
「か、考え違い?」
「はい。そもそもアスタは、シャスカやチャッチもちを商売に使っておりません。ですから、他の誰に真似されようとも、商売上の損になることはないのです」
「シャ、シャスカを商売で使っていない? 何故です?」
「それは、銅貨がかさむからであったはずですね?」
フェイ=ベイムに水を向けられて、俺は「はい」と応じる。
「さきほどもお話ししました通り、宿場町の屋台で商売をするには食材費を切り詰めなければなりません。ポイタンとシャスカではずいぶん値が異なるため、屋台で使うのはちょっと難しいのですよね」
「で、ですが、宿場町の方々もシャスカを宿で出してみようかと思案しておられるようですが……」
それに「ああ」と答えたのは、レビであった。
「それは屋台じゃなく、食堂の話だよ。名目上、屋台で出す簡単な料理より食堂の料理のほうが立派で、代金もかさむってことになってるんでね。屋台よりは、あれこれ高値の食材も使いやすいんだよ。……実際のところ、アスタたちの屋台はたいていの食堂より立派な料理を出してるんだけどさ」
「そうですね。ですから屋台を出していない宿においても、もっともっと立派な料理を出さなければという思いがつのっているご様子です。最近はどの屋台でも立派な料理を出していますので、屋台よりも粗末な料理を出すとお客から文句を言われてしまうのでしょう」
テリア=マスも、そのように補足してくれた。
ティマロは「ううむ」と難しい顔で考え込んでしまう。
「では……アスタ殿はご自分の商売のために目新しい料理を考案しているわけではない、と……そういうことになるのでしょうかな?」
「はい。もちろん食材費に問題がなければ、屋台で使わせていただきますけれども。今日の試食会なんかは、ゲルドの食材の有効利用が主眼でしょう? 俺の屋台で使えなくても、他の方々の参考になるんじゃないかという思いで献立を決めた次第です。……もともと俺は、目新しい食材が登場したら扱い方を考案してほしいと、ジェノスの貴族の方々に依頼を受けていましたからね。それは代価の発生する立派な仕事ですし、今日の試食会もその一環だと考えています」
そうして俺は、この日に生まれた新たな思いも語っておくことにした。
「でも……これまでは城下町の料理をあまり口にする機会がなかったので、その結果に関してはあまり考えていなかったのですよね。これからは、ダイアやティマロがどのような料理に仕上げてくれるのか、それを楽しみにさせてもらいたく思っています」
「なんとかそのご期待に応えたいところでございますねぇ」
ダイアはやわらかく微笑みながら、深々と一礼した。
「アスタ様と巡りあえた幸運を、あらためて西方神に感謝いたしましょう。……それでは刻限も迫ってまいりましたので、失礼いたします」
ダイアとその弟子がきびすを返し、ティマロも慌ててそれを追いかけた。
その背中を見送りながら、アルダスは「ふふん」と鼻を鳴らす。
「ありゃあ何だか、アスタのいないところでアスタのことを語りたおしたいって顔だったな。まったく大したもんだよ、アスタってのは」
「いえいえ。俺なんて、その場その場の思いつきを口にしているだけですよ」
俺がそんな風に答えたとき、いきなり横合いから頭を小突かれた。
振り返ると、アイ=ファが腕を組んでそっぽを向いている。
「えーと、俺はどうして小突かれたのかな?」
「……特に理由はない」
「アイ=ファは、理由もなく家人の頭を小突くのか?」
アイ=ファはそっぽを向いたまま、今度は足を蹴ってきた。
よくわからないが、どちらの殴打にも優しさと情愛が感じられる。我が家長ながら、実に不可思議な感情表現であった。
「しかし確かに、ずいぶん話し込んじまったな。とりあえず、試食を終わらせちまおうぜ」
そんな言葉を残して、レビとテリア=マスも立ち去っていった。
俺たちはマイムとジーダに別れを告げて、次のブースに向かう。お隣はユン=スドラのジャージャー麺で、見慣れた南の民たちの姿があった。
「よう、兄貴。本当にのこのこと出向いてきたんだな」
「やかましいわ。面に似合わん格好をしおって」
おやっさんは仏頂面で、デルスは薄笑いを浮かべながら、愛想のない挨拶を交わす。いっぽうアルダスとワッズは、おたがいに大らかな笑顔であった。
「そっちはずいぶん見違えたな。なんとも立派な装束じゃないか」
「ああ。俺たちはコルネリアを出る前からお達しがあったからよお。王家のお人らに失礼があっちゃならねえってことで、とびきり立派な装束をあつらえたんだあ」
そんな風に応じながら、ワッズは卓の上の料理を指し示した。
「それより、こいつを食いに来たんだろお? これも立派な料理だよなあ」
「ああ、こいつも腹いっぱい食いたいところだけどな」
とりあえず、歓談よりも試食を進めなければならない。ふた口ばかりのジャージャー麵を味わいながら、俺はユン=スドラに声をかけてみた。
「ユン=スドラは、試食は大丈夫かい? そろそろ刻限が迫ってるみたいだけど」
「はい。手の空いた人たちが次々と料理を持ってきてくれましたので、すべて食べ終えることができました」
そんな風に言ってから、ユン=スドラはにこりと微笑んだ。
「やはりこのじゃーじゃーめんも好評のようですが、レビたちのらーめんと比べられる面があるようですね。汁物に仕上げたほうが好みだという声も少なくはないようです」
「あ、そうなんだね。うーん、やっぱりマロマロのチット漬けと挽き肉の組み合わせで、印象がかぶっちゃうのかなぁ」
「はい。ですからいくぶん目新しさに欠けて、星は集められないかもしれません」
「うん、そっか。……それで、ユン=スドラはどうしてそんなに嬉しそうな表情なのかな?」
「え? わたしはそんなゆるんだ顔をしていますか?」
ユン=スドラは、たちまち赤くなった頬に手をあてた。
「も、申し訳ありません。なるべく味比べのことは考えないようにしているのですが……こちらはもともと、アスタの受け持つ予定であった料理でしょう? ですから、もしも味比べで不利な面があるのなら……わたしが受け持ってよかったな、なんて思ってしまって……」
「そのような結果に心をとらわれる必要はない、という話に落ち着いたのではなかったか?」
と、アイ=ファが苦笑をこらえているような面持ちで発言すると、ユン=スドラはいっそう赤くなってしまった。
「そ、そうですよね。本当に至らない人間で、お恥ずかしい限りです」
「いや。それはきっと、ユン=スドラの美点でもあるのだろうからな」
そうしてアイ=ファは優しい眼差しでユン=スドラを見やってから、俺のほうをちらりと見て、またこっそりと足を蹴ってきた。今度の蹴りには、さきほどよりもさらに複雑な感情が込められている様子である。
「……失礼します。我々にも、料理をいただけますか?」
と、そこにククルエルたちがやってきた。同行しているのはプラティカとアリシュナ、それにおそらくは初対面となる2名の東の民だ。
おやっさんたちはじろりとそちらをねめつけてから、卓の前のスペースを空ける。ククルエルは一礼して、ユン=スドラが盛りつけるジャージャー麵の皿を受け取った。
「ええと……プラティカ、ちょっといいですか? こちらの方々を紹介させていただきたいのですが」
ジャージャー麵の皿を手に、プラティカが恐れげもなく近づいてくる。その草原の民とは異なる独特の雰囲気に、アルダスは「ほう」と目を丸くした。
「これが噂の、ゲルドの厨番って娘さんかい。けっきょく昨日も、顔をあわせる機会はなかったよな」
「はい。プラティカ=ゲル=アーマァヤです。あなたがた、建築屋の方々ですね?」
デルスとワッズは以前の来訪時にもちらりと紹介したことがあったので、プラティカの目はおやっさんとアルダスだけを見つめていた。
「私、森辺の屋台、森辺の集落、身を寄せる機会、多いです。あなたがた、遭遇する機会、たびたび生じるかもしれません。西の法、則り、平穏な関係、保ちたい、考えています」
「ああ。こちらこそ、だ。俺たちが諍いを起こしたら、森辺のお人らが板挟みになっちまうだろうからな。普通以上に気をつけることにしよう」
アルダスは笑顔でこそなかったが、とても穏やかな表情であった。
いっぽうおやっさんは仏頂面であるが、こちらはいつものことである。
そうしてプラティカがジャージャー麺に口をつけると、おやっさんがにわかに発言した。
「やはり東の民というやつは、もっと香草のきいた料理を好むのか?」
プラティカは口の中身を呑み下してから、「はい」とうなずいた。
「ただし、こちらの料理、美味です。マロマロのチット漬け、扱い、巧みです。ペレの清涼感、活かしています。……ただ、どうしても、レイナ=ルウやマルフィラ=ナハムの料理、心、引かれます」
「ふん。あちらは存分に辛かったからな」
「……逆、問います。こちらの料理、砂糖、重要です。南の御方、こちらの料理、好みますか?」
「まあ、ひたすら辛い料理よりは、いくぶん心をひかれやすいやもしれんな」
「なるほど。どちらも美味、前提ですね?」
「当たり前だ。この場にひとつでも、粗末と思える料理があったか?」
「ありません。見解、一致です」
プラティカはひとつうなずき、残りのジャージャー麵を口にした。
おやっさんたちへの遠慮からか、ククルエルたちは速やかに退いていく。プラティカはこちらに目礼をしてから、それを追いかけた。
「……なるほどな。確かに東の民というよりは、森辺の民――それも、若い男衆と似た雰囲気を持っておるようだ」
「はい。俺としては、アイ=ファとも似た雰囲気があるように思っているのですよね」
「アイ=ファと? これだけのやりとりでは、そこまでは感じられなかったな」
そう言って、おやっさんは分厚い肩をすくめた。
「まあ、お前さんがたの信頼を得られたのなら、悪い人間ではないのだろう。俺たちのことは気にせず、これまで通りに扱ってやるといい」
「なんだ、アスタの親父でも気取ってるのか?」
デルスが冷やかすと、おやっさんは「やかましいわ」とおっかない顔をした。
そこはかとない満足感を噛みしめながら、俺はユン=スドラに別れを告げて次なるブースを目指す。うかうかしていると、今にも鈴の音が聞こえてきそうであったのだ。
残るは、2種の菓子である。
最初のブースはリミ=ルウで、そこにはちょっと取り止めのないメンバーが寄り集まっていた。
「おお、アイ=ファ殿! 本日も変わりなく凛々しいたたずまいだな!」
「あ、アスタ! どうもお疲れ様です! こちらの菓子は、素晴らしい味わいですね!」
その中から、元気な2名が声をあげてくる。護民兵団の大隊長デヴィアスと、マルフィラ=ナハムの妹であるナハムの末妹である。
さらにそこにはラヴィッツの長兄と、ヤンとニコラ、ナウディスとその助手という顔ぶれが居揃っている。いったい何がどうなったらこのような顔ぶれがそろうのか、ちょっと想像が難しいところであった。
「我々は、ちょうどこの場ですべての試食を終えたのですな。これ以上は場所を動く理由もないのでリミ=ルウと語らっていたら、いつの間にかこのような人数になってしまったのです」
ナウディスがにこにこと微笑みながら、そのように説明してくれた。
そのかたわらでは、ラヴィッツの長兄がにたにたと笑っている。
「俺は料理を口にすることもできん身なので、このデヴィアスなる騎士と語らっていた。……こやつはずいぶんお前に執心しているようだな、ファの家長よ」
「……お前とデヴィアスでいったい何を語らうというのだ、ラヴィッツの長兄よ?」
「主たるは、城下町にて行われた闘技会についてなどだな。森辺の狩人と剣を交えた町の人間など初めてお目にかかったから、たいそう興味深かったぞ」
風貌も気質もまったく異なる両名であるが、どこかで馬が合ったのだろうか。ラヴィッツの長兄の説明を聞きながら、デヴィアスは陽気に笑っていた。
とりあえずおやっさんとアルダスを紹介してから、俺たちもリミ=ルウの菓子をいただく。リミ=ルウもとっくに試食を終えており、最後の菓子を並べていたところにナウディスたちがやってきて、楽しく語らっていたのだそうだ。
「リミ=ルウはまだそんなに幼いのに、本当に優れたかまど番なのですね! わたしもこんな美味しいお菓子を作ってみたいです!」
と、ナハムの末妹はあけっぴろげな笑顔でそのように語っている。ナハムの姉妹というのはいずれも似たところが少なく、彼女はレイ=マトゥアを彷彿とさせるぐらい朗らかで可愛らしい娘さんであった。
「マルフィラ=ナハムはすごいかまど番だけど、あんまりお菓子は作らないんだっけー?」
「そうですね! お菓子に興味がないわけではないようなのですが、それ以上に料理に夢中みたいです!」
「そっかー。マルフィラ=ナハムだったらすごいお菓子を作れそうなのに、残念だねー!」
誰とでも無邪気に語らえるリミ=ルウであるが、やはり相手が快活であるといっそう盛り上がるようだ。
そういえば、ヤンとニコラも菓子作りを得意にしているし、最近はナウディスの伴侶が菓子作りに関心が高いのだと聞いている。ナハムの末妹に同行していたのであろうラヴィッツの長兄と神出鬼没のデヴィアスを除けば、菓子というキーワードで結ばれた集まりなのかもしれなかった。
リミ=ルウはアイ=ファともおしゃべりをしたそうであったが、とりあえず俺たちも試食を終えなければならない。「またのちほど」という言葉を残して、俺たちは最後のブースへと足を向けた。
そこはトゥール=ディンのブースであったため、当然のようにオディフィアとエウリフィアの姿がある。そして、レマ=ゲイトと《アロウのつぼみ亭》の厨番に、《ランドルの長耳亭》のご主人および助手の若者まで居揃っていた。
さらにトゥール=ディンのもとにはゼイ=ディンとゲオル=ザザ、助手であるリッドの女衆、そしてイーア・フォウ=スドラにチム=スドラまで集まっているので、さきほどのブースにも負けない賑わいだ。
さらにさらに、そこには意想外の1名も加わっていた。
誰あろう、エウリフィアの伴侶にしてオディフィアの父である。
「メルフリードもいらしていたのですね。試食会で席を離れるのは初めてではないですか?」
「うむ。ゼイ=ディンに挨拶をしようと思ってな」
いつも通りの冷徹な無表情で、メルフリードはそう言った。料理の解説をしていたときもすぐ近くの席であったのに、彼の声を聞いたのは本日これが初めてのこととなる。
(わざわざ席を立って挨拶に来るぐらい、ゼイ=ディンと親睦が深まったんだな)
そして、両親とディンの父娘に囲まれたオディフィアは、いつも以上に幸福そうに見えた。まあこちらも父親に負けないぐらい無表情であるのだが、その灰色の瞳がお星さまのようにきらきらと輝いているのだ。
そうして俺たちが菓子を受け取るために歩を進めると、トゥール=ディンにぴったり身を寄せていたオディフィアが卓を迂回して、俺のほうにとてとてと近づいてきた。
「お疲れ様です、オディフィア。どうかなさいましたか?」
「うん。あのね、トゥール=ディンがオディフィアのためにおかしをじゅんびしてくれたの」
俺がきょとんとしていると、ゲオル=ザザが笑い声をあげた。
「あんなちっぽけな量では物足りなかろうと思い、試食会の後で口にする分を準備しておいたのだそうだ。まったく、情の深いことだな」
トゥール=ディンは気恥ずかしそうに頬を染め、オディフィアは灰色の瞳をきらめかせている。その姿を見比べてから、ゲオル=ザザは小首を傾げた。
「しかし、オディフィアはどうしてそれをわざわざアスタに告げているのだろうな?」
「え? ……わかんない。ただ、きいてほしかったの」
そんな風に言いながら、オディフィアはじっと俺の顔を見上げている。
俺はなんとも温かい気持ちを授かりながら、オディフィアに笑いかけてみせた。
「それはご丁寧に、ありがとうございます。トゥール=ディンのお菓子をおなかいっぱい食べられて、今日は幸福な日ですね」
「うん」と、オディフィアは大きくうなずいてから、またとてとてとトゥール=ディンのほうに戻っていった。喜びのあまり、幼児化してしまったのだろうか。どこか3歳児のコタ=ルウを思わせる挙動であった。
そんなオディフィアを幸福にさせたトゥール=ディンの菓子を、俺たちも各々いただくことにした。
すると、《ランドルの長耳亭》のご主人がゆったりと笑いかけてくる。
「こちらの菓子は、素晴らしい出来栄えですねぇ。リミ=ルウという御方の菓子も素晴らしかったですが、わたしはこちらの菓子により心をひかれます」
「そうですね。そちらでお出ししている菓子にも、このチョコレートや生クリームは合いそうじゃないですか? それに、メレスのフレークも」
「ほ? このパリパリとした生地を、うちの菓子に?」
「はい。もう少し細かく砕いて、菓子の上に添えるとか……ちょっとした彩りですけど、あのやわらかい食感にこの食感が加わったら、いっそう美味しそうです」
《ランドルの長耳亭》で出されているのは、オレンジ風味のチーズケーキめいた菓子であったのだ。
ご主人は「ほうほう」と目を輝かせた。
「そいつは、思いつきませんでした。なるほどねぇ。森辺の方々は、そうやって料理や菓子に彩りを添えていくのですねぇ」
すると、レマ=ゲイトが控え目な勢いで「ふん」と鼻を鳴らした。貴き方々の耳をはばかってか、小声で悪態をついてくる。
「あんた、森辺の連中の作法をそのまんま自分の菓子に取り入れようってつもりかい? そいつは、見上げた志だね」
「志だけじゃあ銅貨は稼げませんからねぇ。それより何より、わたし自身が上出来に仕上げた菓子を口にしたいんですよ」
レマ=ゲイトよりもひと回り小柄なご主人は、にっこりと笑いながらそう言った。
エウリフィアはチム=スドラやイーア・フォウ=スドラと旧交を温めているようであるし、メルフリードとゼイ=ディンも小声で何やら語らっている。そちらはもはや試食会とは関係のない歓談であるのかもしれないが、何にせよ得難い交流の場であることに間違いはなかった。
おおよその人々は、すでに試食を終えているのだろう。広間に満ちたざわめきが、時間を重ねるごとに高まっているように感じられる。
俺にとって、それはもはや祝宴と同じぐらい有意義で楽しいイベントであると感じられてやまなかったのだった。