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異世界料理道  作者: EDA
第六十二章 騒乱は果てず
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試食会・森辺のかまど番編③~心づくし(下)~

2021.6/23 更新分 1/1

「次は、わたしの準備した料理となります!」


 デルシェア姫にも負けない元気な声で宣言し、レイ=マトゥアがぴょこんと立ち上がった。その顔に浮かぶのは、普段通りの無邪気な笑みである。


「こちらは何の肉も使っていない、えーと……舌休め? の、副菜となりますので! マルフィラ=ナハムの素晴らしい料理でびっくりした舌をお休めください!」


「ほうほう! 舌休めの副菜までをもご準備されていたのですか! まったくもって、試食会らしからぬお気遣いでありますな!」


「はい! それでもきっと、ゲルドの食材の扱いを世に広めるには相応しい献立だという話になりましたので、わたしが受け持つことになりました!」


 レイ=マトゥアの言葉に、エウリフィアが「ふうん?」と優雅に小首を傾げた。


「あなたは、レイ=マトゥアと仰ったわよね。お顔にも見覚えはあるように思うのだけれど……きっとこういった場で料理を供するのは、初めてなのでしょうね」


「はい! わたしはこの中でもっとも未熟なかまど番ですので、独自の料理というものを作りあげることもかないません! ですからこちらも、アスタから習い覚えた料理をそのままお出ししています! でも、アスタの料理をそのまま再現できたという自信はありますので、きっとご満足いただけると思います!」


 小さな身体に白い調理着を纏ったレイ=マトゥアは、何の気負いも感じさせない無邪気な面持ちでそのように言いたてた。

 その間に、料理の配膳は終了している。ダカルマス殿下とデルシェア姫はこれまでと変わりのない熱心さで、その料理の外見を検分した。


「ふむふむ! こちらはチャッチに具材をはさみこんだ料理であるようですな!」


「はい! ゲルドの食材で使っているのはミャンツとブケラ、それにギャマの乾酪とペルスラの油漬けです! えーと、料理の名前は――」


 と、レイ=マトゥアが俺のほうを振り返ってきた。


「名前は別に、なんでもいいんだよ。俺の故郷の料理名を主張する理由はないしね」


「でもでも、面白い名前であったので、わたしは今後もその名前を使いたいと考えています!」


 レイ=マトゥアはまったく緊張していないように見えるが、もしかしたらこの普段以上に元気いっぱいの声が、緊張感の表出であるのかもしれなかった。

 俺が小声で質問に答えると、レイ=マトゥアは「そうでした!」と貴き方々に向きなおる。


「こちらは、はっせるばっくちゃっちという料理です!」


「は、はっせるばっくちゃっち? 確かに、面妖なお名前でありますな!」


 俺の故郷には、ハッセルバック・ポテトという料理が存在した。たしかスウェーデンあたりの発祥で、親父からは「まあ、窯で焼くベイクド・ポテトってところだな」と聞いた覚えがある。

 ただちょっと特殊なのは、ジャガイモを寸断してしまわないように気をつけながら数ミリ間隔で深い切れ込みを入れて、そこに具材をはさみこむという調理手順であった。


 そこに今回は、ゲルドのギャマの乾酪とペルスラの油漬けのペーストを交互にはさみ込んでいる。どちらも独特の香りが強烈な食材であるため、それを中和させるための香草のパウダーが練り込まれており、そこにセージのごときミャンツとヨモギのごときブケラも使われていた。


「森辺のかまど番が手掛けるペルスラの料理というのは、興味深いところだな」


 そのように評しながら、マルスタインは切り分けたハッセルバック・チャッチを口に運んだ。

 その目が、「ほう」と見開かれる。


「この食感は、心地好い。ただチャッチを窯焼きにしたわけではないのだな?」


「はい! 最初に塩とピコの葉をふったチャッチを半刻ぐらい窯焼きにして、その後に溶かした乳脂を塗って、干しフワノ粉をかけて、四半刻ぐらい窯焼きにしたら、最後に具材をはさんで四半刻の半分を窯焼きにしています!」


「干しフワノ粉? というのは、たしか――」


「はい! 前の日に焼いて硬くなったフワノを削って、また粉にしたものとなります! 普段は、ギバカツなどで使っています!」


「なるほど。この香ばしさは、ぎばかつに通ずるものであったか。ペルスラや乾酪の扱いも十全であるようだし……実に、わたし好みの味わいだな」


 たしかマルスタインは、ゲルドの乾酪やペルスラの油漬けを酒の肴として好んでいたのだ。それもまた、ダイアが香草によって食材の強烈な香りを調和させることに成功した証であるはずであった。


 山育ちのギャマの乾酪も、アンチョビをさらに濃厚にしたようなペルスラの油漬けも、その香りは強烈に過ぎて、ジェノスの人間には異臭と感じられるレベルである。しかしそれをかき消してしまうのではなく、香草によって心地好い香りに調和させるというのが、料理人の腕の見せどころであった。


「ゲルドの乾酪やペルスラの油漬けは、森辺でもたまに使われています! でもその使い道は、だいたいぴざやぱすたなどでした! そうすると、決して不出来ではないものの、ギバ肉を使ったほうが好みだという声が多くあげられていたのですね! 生まれた頃からギバ肉を食していたわたしたちは、どうしてもギバ肉を欲してしまいがちなのです! でも、特に魚介の食材というのは独自の滋養があるはずなので、銅貨にゆとりがあればなるべく食べたほうがいいという話にもなっていました!」


 あどけない顔で、大きな声で、レイ=マトゥアはそのように言葉を重ねた。


「それでアスタは、このような料理を考案してくれたのです! 主菜や主食でギバ肉を使うべきという話であるのなら、副菜で使えばいい、というお考えであるわけですね! 確かに森辺の男衆も、このはっせるばっくちゃっちにギバ肉を使ってほしいとは言ってきませんでした! ギバ肉を満足いくまで口にしながら、同時に魚介の食材も食せるようにと、アスタが工夫を凝らしてくれたのです!」


「ではこの料理も、以前から森辺では作られていたのかな?」


「はい! そうでなくては、わたしのように未熟なかまど番が受け持つこともできませんでした! ただ、屋台でも祝宴でも出したことはないので、森辺の民でないみなさんにとっては初めての料理ということになるはずです!」


「なるほど。この試食会には相応しい献立であるようね」


 エウリフィアがそのように口をはさみつつ、王家の方々のほうをちらりと見た。

 ダカルマス殿下とデルシェア姫は――至極満足そうに、にこにこと笑っている。


「わたくしも、同感でありますぞ! 確かにこちらは副菜と見なすべき料理であるようですが、宴料理のひとつとして出されてもまったく遜色はありますまい! まぎれもなく、試食会に相応しき美味なる料理でありますぞ!」


「わたしも、同じ気持ちです! カロンの青乾酪でこの料理を作ったらどのような仕上がりになるのかと、身体がうずうずしてしまいます!」


「おお、確かに! ……ただ一点だけ、指摘しなければならない点がありましょうな!」


 と、ダカルマス殿下は満面の笑みをレイ=マトゥアに差し向けた。


「こちらは味わいが強烈であるばかりでなく、完成度も素晴らしいものでありました! これでは舌や心もまったく休まらないことでありましょう! こちらは舌休めなどという軽々な存在に収まる料理ではないのです!」


「そうでしたか! 不相応な言葉を申し述べてしまい、申し訳ありませんでした!」


 レイ=マトゥアは何かのおもちゃみたいに、ぴょこんと頭を下げた。

 そこでようやく、次なる料理の登場である。


「あ、こちらはわたしの準備した料理です」と、マイムが立ち上がった。

 ダカルマス殿下のエメラルドグリーンをした目が、ぴかりと光る。


「マイム殿! あなたはかつてジェノスの三大料理人と称されていた御方のご息女であられるそうですな! そしてあなたは、幼き頃から父君に調理の手ほどきをされていたと聞き及んでおりますぞ! そのような経歴を持ちながら、ついには森辺の集落へと住まいを移したあなたがどのような手腕をお持ちなのか、わたくしも楽しみにしておったのです!」


「ありがとうございます。ご期待に沿えれば、幸いです」


 マイムこそ、完全に平常心を保って、ただ普段通りの朗らかな笑みを浮かべていた。

 ひと昔前であれば、ジェノスの貴族に気に入られると城下町の民になるように申しつけられてしまうかもしれない――などといった不安に駆られていたところであるが、森辺の民となった現在ではそのような憂苦とも無縁であるのだろう。


「こちらは、ギバの煮込み料理です。ゲルドの食材で使われているのは、マロマロのチット漬けとミャンツ、それに具材ではメレスとドルーになります」


 これもまた、マイムが試食会とは関係なく、最近になって完成させた料理であった。レイナ=ルウの汁物料理ともども、原価率に問題なければ屋台で出す予定であるそうなのだ。


 こちらの料理の主題は、カロン乳とマロマロのチット漬けの調和である。

 水牛の乳めいたカロン乳と、豆板醤めいたマロマロのチット漬けを如何にして調和させるか、そこを出発点にしていた。

 その過程で、セージに似たミャンツを始めとするいくつかの香草が使われている。調味料は塩とピコの葉とミソと乳脂、具材はアリアとチャッチとマ・プラなども使われている。


 レイナ=ルウやマルフィラ=ナハムほど多彩な食材は使っていないが、完成度ではまったく負けていなかった。

 というか、どっしりとした完成度という点では、すべての料理の中で随一であろう。マイムはオリジナル料理の考案に長きの時間をかけるタイプであるため、完成を見た料理はどれも新作とは思えぬ安定感を保有しているのだった。


 こちらの料理もその例に違わず、素晴らしい完成度である。

 クリーミーなカロン乳とコクのあるマロマロのチット漬けが、素晴らしい具合に調和している。マイムは俺よりも遥かにミケルの影響を受けているので、素材の味を活かす方向性でありながら、俺にとってはものすごく新鮮に感じられる出来栄えであった。


 マイムは「くりーむしちゅーの影響も受けているはず」と言っていたが、俺に類似点は見つけられない。洋風でなければ中華風でもエスニック風でもない、俺の知らない味わいだ。それでいて奇抜なところはなく、誰でも気兼ねなく口にできるような、そんな料理であるのだった。


 ギバ肉の部位はロースで、熱の入れ方ももちろん完璧である。ギバ肉の豊かな風味と煮汁の味わいが文句のつけようもなく調和していて、具材の相性もばっちりであった。


「これは、素晴らしい! マイム殿の父君というのはお噂通り、ヴァルカス殿ともダイア殿とも異なる作法を身につけておられるようですな!」


 きらきらと瞳を輝かせながら、ダカルマス殿下はそのように仰った。


「むろん、ヴァルカス殿もダイア殿も素晴らしい料理人であられますが……南の民には、こういった味わいこそを好む人間が多いことでしょう! かくいうわたくしも、深い感銘を受けております! いや、素晴らしい! 実に美味でありますぞ!」


「本当ですわね! 生半可な肉料理では、これまでに出された汁物料理や副菜に負けてしまいそうなところですが、こちらの料理はそれに負けない力強さを感じます! 肉料理とはかくあるべしという、素晴らしい存在感ですわね!」


 子供のようにはしゃぐ父娘のかたわらでは、侯爵家の人々も満足そうな吐息をついていた。


「本当に、いずれも素晴らしい料理ですな。また、アスタたちの定めた順番というのも、まったく正しかったように思います」


「そうですわね。だんだん味が強くなっていく、というわけではないのだけれど……ああ、むしろ、味の強い料理が続かないように、という配慮がされているのかしら。何にせよ、いずれの料理も素晴らしい出来栄えで、とても満足ですわ。ただ困るのは、星を入れる料理を決めかねるということぐらいかしら」


「うむ。まったく趣向の異なる6種の料理を出されて、いずれかに星を入れるべしと持ちかけられたような心地だな」


「ええ、本当に。前菜のような料理と汁物料理は2種ずつだったけれど、そちらの料理もまさり劣りはなかったし――」


 と、そこでエウリフィアは「あら?」と小首を傾げた。


「そういえば、残すところは菓子のみと思っていたのだけれど、まだ5人分の料理しか口にしていなかったのよね。肉料理を口にしたものだから、そんな心地に陥ってしまったのかしら」


「うむ。まだユン=スドラの料理が残されているからな」


 マルスタインの言葉に応じるように、小姓たちが新たな料理を届けに来た。

 ユン=スドラは、いくぶんの緊張感を漂わせながら立ち上がる。


「こちらが、わたしの受け持った料理となります。城下町の作法にならうのならば、フワノ料理にあてはまるのでしょうけれど……皆で話し合った結果、こちらをマイムの煮込み料理の後にお出しすることになりました」


「ああ、ぱすたの料理なのね」


 エウリフィアがゆったり応じると、ユン=スドラは恐縮しながら「いえ」と応じた。


「こちらはぱすたではなく、フワノやポイタンをちゅうかめんというものに仕上げています。先日の試食会で《キミュスの尻尾亭》のラーズたちがお出ししたらーめんと、同じように仕上げられています」


「あら、そうなのね。てっきり、細長いフワノを汁物に仕上げた料理をらーめんと呼ぶのかと思っていたわ」


 こちらの料理は汁物ではなく、肉ミソで仕上げられていたのだ。

 小姓たちが配膳していく中、ユン=スドラは決然とした様子で宣言した。


「こちらは、じゃーじゃーめんという料理になります。本来はアスタが受け持つはずであった料理ですので、きっとご満足いただけるかと思います」


「ふむふむ! ではこれも、アスタ殿が考案された料理なのですな!」


「はい。わたしもレイ=マトゥアと同じく、独自の料理というものは持たない身です。その代わり、アスタから手ほどきされた料理を十全に仕上げられるように力を尽くしました」


 ぐっと背筋をのばしながら、ユン=スドラはそう言った。


「ゲルドの食材で使われているのは、マロマロのチット漬けと魚醤、具材にペレとユラル・パです。それ以外には、砂糖とタウ油とミソ、ミャームーとケルの根、ホボイの油とニャッタの蒸留酒、それにギバ肉とチャムチャムとジャガルのキノコを細かく刻んだものなどが使われています」


「これは以前に食べさせていただいた、まーぼー料理というものに似ているようですわね」


 と、デルシェア姫がにこやかに笑いながら声をあげた。

 ユン=スドラは引き締まった面持ちで、「はい」と応じる。


「食材の種類や分量に多少の差はありますが、大きく分ければ同じ種類の料理と言えるのかもしれません。でもきっと、食べ心地はまったく異なるかと思います」


「ええ、それはきっとそうなのでしょうね」


 デルシェア姫はファの家に招かれた際、ギバのミンチを使った『麻婆チャン』も口にしている。ならばいっそう、似たような料理であると判じられることだろう。しかしその瞳には、これまでと変わらぬ興味と関心の光がたたえられていた。


 確かに麻婆料理とジャージャー麺の肉ミソは、似た部分が多いだろう。こちらにはタケノコのごときチャムチャムとシイタケモドキのみじん切りが使われていたが、それ以外の食材にそれほど大きな差はなかった。

 もっとも大きな差は、山椒のごときココリを使っていないことであろうか。こちらは麻婆料理よりも甘さを強めるために砂糖を使って、ココリは控えていた。

 ただし、マロマロのチット漬けだけでも辛みはそれなりであるので、甘みも塩気もチットの辛みも等分に感じられることだろう。それこそがジャージャー麺の持ち味だと、俺はそのように判じていた。


 そして具材であるペレの千切りとユラル・パの細切りは生鮮のまま、皿の脇に添えられている。それを冷やし中華のようにまぜながら食していただくのが、俺が故郷で学んだ作法であった。


「もしかしたら、この白くて細いものがユラル・パなのだろうか?」


 マルスタインの問いかけに、ユン=スドラは「はい」と力強く応じた。


「それはユラル・パを縦に切ったものとなります。ユラル・パは縦に切ると甘みが出て、横に切ると辛みが出るのだと教わりました」


「ほう。切り方でそのような違いがあるのか。……ああ、プラなども大ぶりに切ると苦みが出にくいなどという話があったな」


「はい。そういった話も、わたしはすべてアスタから教わりました」


 そうして配膳は終了し、試食が始められた。

 真っ先に「ほうほう!」と反応したのは、ダカルマス殿下であった。


「細かく刻んだ肉をマロマロのチット漬けで和えるというのは、《キミュスの尻尾亭》の料理にも通ずる作法であるようですが……やはり、汁物料理とはまったく趣が異なりますな! 煮汁に溶け込む味わいも得難いものでありますが、それを直接口にするというのは、これまた別種の得難さを感じますぞ!」


「はい! 確かにこれは、さきほどの肉料理にも負けない食べごたえですわ!」


「うむ、美味だな!」


「はい、美味です!」


 これにて、ここまでの料理はすべて「美味」というお言葉をいただくことができた。

 王家の方々のそういった行状を共通認識としていたユン=スドラは、ひそかに安堵の息をついている。


「これまでに香草の辛みを存分に味わってきたせいか、こちらの料理は甘く感じるほどね。……これは、オディフィアも好きな味でしょう?」


「うん。すごくおいしかった」


 オディフィアも無表情ながら、少量のジャージャー麺をぺろりとたいらげていた。そして早くも菓子の登場を願っているのか、小さな身体をそわそわと揺すっている。


「うむ。城下町でも細長く仕上げたシャスカや黒フワノの料理が珍しくなくなっているところだが……やはり、森辺の民はこういった料理に手馴れているように感じられる。それにやっぱり、生地そのものの仕上がりが異なっているようだな」


 マルスタインの言葉に、ユン=スドラはまた「はい」と応じた。


「森辺においては、シャスカや黒フワノを細長く仕上げるという作法は、あまり根付いていません。その代わりに、フワノやポイタンを細長く仕上げるぱすたやちゅうかめんはよく食べられているように思います」


「なるほど。ともあれ、立派な料理であった。さきほどのレイ=マトゥアの料理と同じく、アスタの仕上げた料理だと聞かされても疑うことはなかっただろう」


「それはわたしにとって、もっとも光栄なお言葉です」


 と、ユン=スドラはようやく彼女らしい微笑みをたたえた。

 菓子を除く料理の中では最後の出番となってしまったので、そのぶん緊張感も増してしまったのだろう。椅子に着席したユン=スドラは、料理を作り終えたときと同じぐらい充足した面持ちになっていた。


「失礼いたします。6種の料理が終了しましたので、菓子をお持ちいたしました」


 小姓の言葉に、オディフィアがぴょんと背筋をのばした。

 が、最初の菓子はリミ=ルウの作である。リミ=ルウはにこにこと笑いながら、椅子から飛び降りた。


「これは、リミの作ったお菓子でーす! こっちのお菓子のほうがさっぱりしてるから、こっちを先に出すことになりましたのです!」


 リミ=ルウの口調が崩れ気味なのは、単に丁寧な言葉づかいが舌に馴染んでいないゆえであろう。こういう場において、緊張感とは無縁なリミ=ルウであった。


「この前の試食会はだいふくもちだったから、今日はチャッチもちでーす! ゲルドの食材は、ブケラとアマンサを使ってますです!」


「ほうほう! 苦いブケラを、菓子に使ったのでしょうかな?」


「はーい! ブケラの苦みは、菓子に合うのです! シャスカの生地にまぜても美味しいけど、今日はチャッチもちにまぜたのです! あ、チャッチもちっていうのは、チャッチの粉を使ったおもちなのです! この前の試食会でも、ヤンがお菓子に使ってたのです!」


 リミ=ルウの言う通り、ヨモギに似たブケラはこまかく挽いたものを水に溶いた上で、チャッチ粉と混合されていた。半透明のチャッチ餅が、深緑色に照り輝いている。

 いっぽうブルーベリーのごときアマンサは、甘酸っぱいソースとして使われていた。なおかつチャッチ餅には、タウ豆のきなこもまぶされている。苦みのあるブケラと甘酸っぱいアマンサ、それに香ばしいきなこまで加えられた、リミ=ルウの意欲作であった。


 チャッチ餅の作り方を手ほどきしたのは俺であるが、こうまでバリエーションが広げられたのは、すべてリミ=ルウの功績である。特にチャッチ餅に関しては、トゥール=ディンよりもリミ=ルウのほうが多大な情熱を傾けている。それはきっと、それぞれ大事にしている相手の好みによって、方向性が定められたのだろう。リミ=ルウは和風の菓子を好むジバ婆さんのために、トゥール=ディンは洋風の菓子を好むオディフィアのために、それぞれの道を突き進んでいるのだった。


「ほう、これは……城下町で出されても不思議のない味わいであるようだ」


 まずはマルスタインが、そのように評した。


「やはり、甘みや酸味と同じぐらい、苦みや香ばしさが重んじられているゆえなのであろう。やはりオディフィアは、こういう菓子が好みに合わないのだろうかな?」


「ううん。すごくおいしい」と答えつつ、オディフィアは口もとをごにょごにょさせた。でも早くトゥール=ディンの菓子を食べたい、という言葉を呑み込んでいるのだろう。


「確かにマルスタイン殿の仰る通り、苦みや香ばしさといったものが、こちらの菓子に優雅さを与えているのでしょう! 甘さも控えめであるようですし、これは男女や齢の区別なく、誰にも好まれる味わいでありますな! 繊細で、気品があり、城下町の祝宴や晩餐会にも相応しい菓子であるように思いますぞ! 掛け値なしに、美味であります!」


「まったくですわね! それにやっぱりこのチャッチもちというのは、食感が不思議です! チャッチからこのような食感が生まれるだなんて、いまでも信じ難い心地です! そしてその食感だけに頼らず、こうまで素晴らしい味わいを組み上げることができるなんて、リミ=ルウ様の手腕は驚くべき域に達していますわ!」


「ありがとうでーす!」と、リミ=ルウは嬉しそうに応じていた。

 そしてついに大トリの菓子、トゥール=ディンの出番である。


「今日は少量しかお出しできないために、いささか簡素な仕上がりになっています。でも、食材の新しい使い道を広めるには相応しいだろうと思い、こちらの菓子を準備いたしました」


 リミ=ルウに代わって立ち上がったトゥール=ディンが、そのように説明した。

 その顔が途中で幸福そうにほころんだのは、期待に瞳を輝かせるオディフィアの姿が目に入ったためであろう。


「ゲルドの食材で使っているのは、メレスです。雨季の茶会に参席された方々には、すでに披露した作法となりますが……」


「メレス? なるほど! メレスは甘いので、菓子にも適した食材であるというお話でありましたな!」


 そんな風に応じてから、ダカルマス殿下はまじまじと皿の上の菓子を覗き込んだ。


「しかし……どのような形でメレスが使われているのものか、外見からはまったく推し量れないようでありますな!」


「わたくしは、厨で拝見いたしましたわ! 父様がどれだけ驚嘆するかと、心待ちにしていたのです!」


 そのように語るデルシェア姫も、オディフィアに負けないぐらいそわそわとしている。調理手順はわきまえてもいても、実食するのはこの場が初めてであるから期待が高まっていたのだろう。


 トゥール=ディンが準備したのはコーンのようなメレスを使った、フレークであった。そして今回は、それをチョコフレークに仕上げている。5センチ四方の小さなクレープ生地にチョコフレークを積み、そこにカロン乳の生クリームをちょこんと添えた、簡易版のクレープであった。


 確かに簡素な仕上がりであろうが、メレスのフレークは雨季の茶会でしかお披露目していない。メレスにはこのような使い道があるのかと、多くの人々を驚かせるはずであった。

 なおかつそれが、ジェノスではまだまったく一般的ではないチョコレートにくるまれているのだから、美味しさも驚きも倍増であろう。それでもトゥール=ディンは決して慢心することなく、クレープの生地と生クリームまで添えて、最善の仕上がりを目指したのだった。


「おお、これは――!」と、ダカルマス殿下が大きな声をほとばしらせる。

 しかしその間も、俺はオディフィアに注目していた。オディフィアがどれだけ幸福そうな姿を見せるかと、俺もひそかに楽しみにしていたのである。


 オディフィアはなんとか小分けにできないものかと、しばらく突き匙で菓子をつついていたが、やがて観念した様子で生地の下に突き匙を差し込み、小さな菓子をひと口で頬ばった。

 きっとその小さな口の中で、チョコに覆われたフレークがくしゃりと崩落したことだろう。その小気味よい食感とチョコの甘さと、それに生クリームおよびクレープ生地からもたらされる美味しさのハーモニーに、オディフィアの灰色の瞳がいっそう輝きを増していった。


 その顔は筋ひとつ動かさないのに、どうしてオディフィアはこうまで喜びの情感を表すことができるのだろう。オディフィアはただ黙然と咀嚼しているだけなのに、俺はうっとりと微笑む天使のような姿に感じられてしまった。


「――とにかく、素晴らしい出来栄えであります! この絶妙な噛みごたえと、香ばしさ! フワノの生地をこのように仕上げることは、何者にもかなわないことでありましょう! これはメレスにさまざまな工夫を凝らすことで、初めて得られる味わいであるということですな! そしてこのちょこれーとなるものの味わいたるや、筆舌に尽くし難い領域でありますぞ! この菓子は、美味です! 美味である上に、まだまだ無限の可能性を感じてやみません!」


 前半部分は聞き逃してしまったが、それでもダカルマス殿下の熱意は十分に伝わってきた。

 いっぽうデルシェア姫などは、卓にがっくりと突っ伏してしまっている。


「本当に……なんと美味なのでしょう……もしかしたら、わたくしがこれまで口にしてきた菓子の中で、もっとも美味であるかもしれないと……そのような想念にとらわれてしまいます……」


「うむ! リミ=ルウ殿の菓子もトゥール=ディン殿の菓子も、食感からして他に類を見ないのだからな! これでは、いままで口にしてきた菓子との比較も難しいし……これよりも美味なる菓子というものは、なかなか思い出すことができん!」


 そうしてダカルマス殿下は、巨大な卓が動いてしまいかねない勢いで身を乗り出した。


「そして、トゥール=ディン殿! この素晴らしい菓子をして、簡素な仕上がりと申されるのでしょうかな!?」


「あ、いえ、これはこれで完成しているかもしれませんが……もっと大きく作れれば、果実やチャッチもちなども加えることがかないます。それに比べると、簡素な仕上がりなのではないかと……」


「この菓子に、さきほどのチャッチもちという菓子を!? それで確かな調和が得られるのでしょうかな!?」


「は、はい。ちょこを使わないふれーくでしたら、調和することも確かめられましたし……ちょこはさまざまな具材と調和しますので、どうにかやりようはあるかと思います」


「……なるほど! 無限の可能性を感じるなどと言いながら、わたくしの粗末な頭ではそこまで想像できていなかったようです! わたくしはもう、感涙にむせんでしまいそうな心地でありますぞ!」


 と、言葉とは裏腹に、ダカルマス殿下は満面の笑みである。


「とにかくこちらは、素晴らしい8種の品の締めくくりに相応しい菓子でありました! わたくしは、今日ほど星の行方に迷ったことはないでしょう! アスタ殿、レイナ=ルウ殿、マルフィラ=ナハム殿、レイ=マトゥア殿、マイム殿、ユン=スドラ殿、リミ=ルウ殿、トゥール=ディン殿! 素晴らしい料理と菓子を、ありがとうございました! 誰が勲章を得ようとも、あなたがたはいずれも素晴らしい料理人であります! どうぞ今後もたゆみなく、素晴らしい料理をお作りになってください!」


 ダカルマス殿下のそんな熱烈なお言葉によって、試食会の前半戦は幕を閉じることになった。

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