試食会・森辺のかまど番編②~心尽くし(上)~
2021.6/22 更新分 1/1
下りの五の刻――の、少し前。俺たちは無事にすべての料理や菓子を作りあげることがかなった。
完成品はワゴンにのせられて、小姓の手で運ばれていく。それに追従するユン=スドラたちは、多少の疲労とそれを上回る充足の思いをあらわにしていた。
会場の入り口に到着すると、他の厨からも続々と他のメンバーが集結する。それらの顔にも、ユン=スドラたちと同じ表情が見て取れた。
たったふたりで100名分以上の料理を作ることなど、たいていの人間にとっては初めての経験であったのだ。それもまた、彼女たちにとっては大きな糧になるのだろうと思われた。
そうしてすべてのメンバーが合流しても、扉はまだ閉ざされたままである。
その向こう側では、おそらくポルアースが開会の挨拶をしているのだろう。
しばらくすると、室内からの合図に従って、2名の侍女が両開きの扉を大きく開け放った。
ほどよく抑制された拍手に迎えられつつ、俺たちは入室する。
料理は壁際のブースに運ばれ、16名のかまど番は貴き方々の面前だ。護衛役でこちらに同行するのはアイ=ファとゲオル=ザザのみで、残りの7名はそれぞれ血族のブースで待機のかまえであった。
「それでは、本日の料理を準備してくださった森辺の方々をご紹介いたします」
ポルアースが、責任者である8名の名前を紹介し始めた。
俺、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア――こうしてみると、平均年齢の低さが顕著である。城下町の料理人などは全員が壮年であったが、こちらは19歳である俺やレイナ=ルウが最年長であるのだった。
なおかつ、リミ=ルウとマイムとトゥール=ディンなどは調理着のサイズが合わないため、侍女のお仕着せでこの場に臨んでいる。トゥール=ディンより2歳おねえさんのレイ=マトゥアも、なんとか調理着は纏えたものの、可愛らしさでは負けていなかった。
「それでは、試食会を開始いたします。責任者の方々は、そちらの卓に」
8名の責任者は貴き方々の前に設えられた卓に陣取り、手伝いの8名はそれぞれのブースに散っていく。アイ=ファとゲオル=ザザは守衛よろしく、卓のそばに立ち並んだ。
「いやあ、ついに今日という日を迎えることがかないましたな! わたくしとしては、最初に森辺の方々の料理を味わわさせていただきたかったぐらいなのですが……もっとも楽しみな料理を最後に回すというのも、それはそれで一興でございましょう! まったくもって、楽しみなところでありますぞ!」
そのように語るダカルマス殿下は、本日も元気いっぱいの様子であった。
貴き方々は席順もほとんど変わっていないようで、俺たちと直接言葉を交わせる位置に陣取っているのはダカルマス殿下とデルシェア姫に、あとはジェノス侯爵家の4名だ。その他の貴き方々の面前には、俺たちの解説を伝言リレーするための小姓らがずらりと並んでいた。
「それで、料理を食する順番を指定させてほしいと、デルシェアにそう願い出たそうですな?」
「はい」と応じたのは、こちらでもっとも格の高い立場となるレイナ=ルウであった。
「それが試食会の習わしにそぐわないということであれば、無理に聞き届けていただく必要はないのですが……もしもお許しをいただけるのでしたら、そのようにお願いいたします」
「ふむ! もうひとたび、その理由をご説明願えますでしょうかな?」
「はい。わたしたちは、似通った料理ばかりにならないようにと、事前に話し合って献立を決めることになりました。この内容ですと、繊細な味をした料理から味わっていただき、食べごたえのある料理を後半に回したほうが、よりご満足いただけるのではないかと……そのように考えた次第です」
「ふむふむ! ジェノスにおいては、6種の料理を順番に食するという作法が存在するそうですな! 森辺の方々も、その作法に感化されたということでありましょうか?」
「いえ。森辺においても、すべての料理を同時に食するのが習わしです。ですが、こうしてひと品ずつ食していくのなら、ジェノスの城下町の作法に似た食べ方が相応しいのではないかと考えました」
「ふむふむ!」と大きくうなずいたのち、ダカルマス殿下はにっこりと破顔した。
「確かにそれは試食会らしからぬ作法でありますが、それでいっそうの満足感が得られるものと判じられたのでしたら、まずはそのお言葉に従いましょう! いったいどのような順番で料理が届けられるものか、楽しみなところでありますな!」
「ありがとうございます」と一礼して、レイナ=ルウは着席した。
このやりとりを聞き届けて、ようやく待機していた小姓や侍女たちが動きだす。料理の順番に関してはすでにデルシェア姫から通達済みであり、あとはダカルマス殿下の許可待ちであったのだろう。
「それにしても、料理の内容を事前に打ち合わせするというのも、意外なお話でありましたな! これは、どなたの発案なのでしょう?」
「自分です」と、今度は俺が起立することになった。
「以前に開かれた日中の食事会において、ともに厨をおずかりしたデルシェア姫がそのようにご提案されていたことを思い出し、自分たちもそれにならうことにいたしました」
「ふむふむ! それぞれがもっとも得意にしている料理を出すのではなく、あくまで全体の均衡を考慮されたと?」
「はい。それに、もう一点。もっとも得意にしている料理というのは、もっとも作りなれている料理になりがちです。そうすると、どうしても屋台でお出ししている料理があてはまってしまうのですね。それでは宿場町の方々にとっては、食べなれた料理ばかりになってしまいますし……ジェノスの貴き方々にとっても、さほど目新しくもない料理ばかりになってしまう恐れがありました。それを回避するために、なるべく目新しい料理をお出ししようと考えたのですが――」
俺の言葉は、ダカルマス殿下の「素晴らしい!」という胴間声によってさえぎられることになった。
「やはりアスタ殿は、試食会の真髄をご理解してらっしゃる! 手慣れた料理でわたくしやデルシェアの歓心を買うよりも、あくまでジェノスの方々のために力を尽くしたというわけでありますな?」
「あ、いえ、決して王家の方々をないがしろにしたわけでは――」
「いいのですいいのです! 我々などにおもねる必要は、一切ないのです! 試食会というものは、料理人同士が切磋琢磨する場であるのですからな! 料理人ならぬ我々は、その余禄にあずかっているだけのことなのです!」
エメラルドグリーンの大きな目をきらきらと輝かせながら、ダカルマス殿下はそのように仰った。
「それに、屋台で出されている料理であれば、わたくしやデルシェアも好きなだけ口にすることがかなうのですからな! アスタ殿たちがこの試食会のためにどのような料理を考案されたのか、心ゆくまで楽しませていただきますぞ!」
いよいよエキサイトしていくダカルマス殿下の隣では、デルシェア姫もにこにこと笑っている。その隣に座したマルスタインは口をはさむタイミングも見出せぬ様子で、ただ鷹揚に微笑んでいた。
そうして俺が着席しようかと考えたところに、小姓たちが舞い戻ってくる。けっきょく俺は、そのまま解説役の仕事を果たすことになった。
「まず最初は、自分の準備した料理となります」
俺がそのように声をあげると、ダカルマス殿下は「なんと!」とのけぞってしまった。楽しいぐらいのオーバーリアクションである。
「最初の品が、アスタ殿なのでしょうかな? アスタ殿であれば、主菜にあたる料理を受け持つものと考えておったのですが!」
「はい。当初はその予定だったのですが――」
「この料理は、まだアスタ様しか作れないそうなのです!」
と、後半の言葉はデルシェア姫に強奪されてしまった。
「わたくしも厨で拝見しましたが、実に不可思議な調理法でした! いったいどのような味わいであるのかと、わたくしもずっと楽しみにしていたのです!」
「ほうほう! それほどに、調理の難しい料理なのでしょうかな!?」
父娘で喋ると、熱量も倍増だ。それに気圧されないように体勢を整えつつ、俺は「いえ」と答えてみせた。
「もう少し日取りにゆとりがあれば、多くのかまど番が習得できたと思います。試食会でお出しするかどうかも、いささか悩むところであったのですが……味見をした森辺のかまど番たちから好評であったため、お出しすることにしました」
「では、アスタ殿にとっても、それほど作り慣れている料理ではないのでしょうかな?」
「はい。故郷でもそれほど数多くは手掛けていませんし、ジェノスで手に入る食材で作りあげたのは、数日前が初めてとなります」
そんな言葉を交わしている間に、俺の料理はすべての人々に行き渡ったようだった。
ダカルマス殿下は大いなる熱意をもって、皿の上にちょこんと置かれた料理を凝視している。
「確かに、これは……いささかならず風変わりな外見をしているようですぞ! これは、如何なる料理であるのでしょうかな?」
「こちらは自分の故郷において、生春巻きと呼ばれていた料理になります」
それが俺の考案した、新たな料理であった。
もともとは、ミャンと干しキキを使った梅しそのごときタレの使い道に頭をひねっていたのだ。ギバしゃぶの温野菜サラダなども候補にあがっていたのだが、それではあまりに面白みがなかろうということで、あれこれ思案して――ついに、この献立が浮かびあがったのだった。
俺としては、とりたてて奇矯な料理ではない。
が、具材をくるむライスペーパーまで自作しなければならないとなると、これは簡単な話ではなかった。経験がないとまでは言わないが、俺は故郷でだってそのようなものは数えるほどしか作ったことがなかったのだ。
ただ幸いなことに、米粉ならぬシャスカ粉の作り方に関しては、すでに考案済みであった。トゥール=ディンたちの菓子作りの幅を広げられればという思いで、けっこうな昔にチャレンジしていたのだ。
米粉に代わる食材があるならば、ライスペーパーの作製にも支障はない。他に必要なのは、片栗粉に代わるチャッチ粉と水のみであった。
しかしこれは、森辺のかまど番にとってあまりに馴染みのない調理法であった。ゆえに、数日ていどでは手ほどきの時間が足りず、俺自身が手掛けることになったわけである。
「この具材をくるんでいる白っぽい皮は、シャスカであるそうなのです! 生のシャスカを三刻や四刻も水にひたして、今度はそれを半日ばかりも乾燥させて、それから念入りにすりつぶすことによって、まずは粉の形に仕上げるのだそうですよ! 下ごしらえだけでそれほどに時間のかかる料理を、わたくしは他に知りません!」
デルシェア姫がシャスカ粉の作製方法を説明すると、ダカルマス殿下は「ほうほう!」と瞳を輝かせた。
「アスタ殿! そうして粉の形に仕上げたシャスカを、どのように調理するのでしょうかな?」
「はい。まずは鉄鍋で湯をわかしながら、その上に濡らした布をかぶせて固定します」
「濡らした布を、鉄鍋に!」
「はい。そうして蒸気で布のほうにも熱が伝わったら、シャスカとチャッチの粉を水で溶いた生地をその上に広げていくのですね」
「布の上に、生地を!」
「はい。あとはそれをできるだけ薄く広げて、鉄鍋に蓋をかぶせます。しばらくして、生地が半透明になったら蒸しあがった合図となりますね」
「なるほどなるほど! 鉄板でフワノの生地を焼くかのように、布の上でシャスカの生地を蒸しあげるわけですか! それは確かに、見たことも聞いたこともない作法でありますな!」
ダカルマス殿下は調理法に大きな興味を持たないという話であったが、このたびばかりはデルシェア姫に負けないぐらい昂揚しているご様子であった。
ともあれ、俺はそういった手順でライスペーパーならぬシャスカペーパーをこしらえたわけである。
しかし、シャスカペーパーをそのまま保存するのはけっこうな手間であったため、厨においては流れ作業で生春巻きを仕上げることになった。シャスカペーパーを仕上げるそばから具材を包み、それを切り分けていくのだ。この地道な作業を手伝ってもらうのに、俺はフェイ=ベイムを抜擢したわけであった。
具材に使ったのは、キュウリのごときペレとニンジンのごときネェノン、ハクサイのごときティンファ、そしてギバのバラ肉となる。ペレとネェノンは生鮮の千切りで、湯がいたティンファとバラ肉で巻く。さらにそれをペーパーシャスカの皮で巻いて切り分ければ、完成であった。
「調理手順は独特ですが、料理そのものに奇抜なところはないかと思います。どうぞお召し上がりください」
「ふむふむ! シャスカをフワノと考えれば、こうした様式も軽食では珍しくないように思いますが……」
ダカルマス殿下は満面に好奇心をあらわにしながら、半分に切られた生春巻きをミャンと干しキキのタレにひたして、口に運んだ。
その目が、くわっと見開かれる。
「この食感! 極限まで薄く仕上げられたシャスカが、他の料理では得られない食感を生み出しておりますな! 粒のまま仕上げたシャスカとも紐のように仕上げたシャスカとも、また趣が異なります! いわんやフワノでは、このような食感を望むべくもないでしょう! そして、熱を通していないペレとネェノンの清涼感! ほどよくやわらかいティンファとギバ肉! ギバ肉は脂の豊かな部位のようですが、茹であげることによって適度に脂が落とされ、肉の風味と絶妙な均衡を保っているようです! それがこの、ミャンを使った調味液の味わいと実に調和しており――」
そこまでひと息に言ってから、ダカルマス殿下は「美味です!」と言い切った。
俺はほっと息をつきながら、「ありがとうございます」と一礼してみせる。
「わたくしも、美味だと思います! きっとこの具材であれば、フワノの皮でも十分に美味しくいただけるのでしょう! でも、ひょっとすると……この調味液には、調和しないのかもしれません! そして父様の仰る通り、フワノの生地では得られない食べ心地が生まれています! とても純朴な美味しさを保ちながら、このシャスカの皮がまたとない目新しさを生み出しているのですわ!」
すべすべの白い頬を火照らせながら、デルシェア姫もそのように言ってくれた。
そして、ジェノス侯爵家の席からはエウリフィアが「そうですわね」と追従する。
「ごくありふれたギバ料理が、この不可思議な皮によって目新しい料理に仕上げられているようですわ。これほどさまざまな形でシャスカを使いこなせる料理人は、城下町にもなかなか存在しないことでしょう」
「やはり、ジェノスの貴族の方々にとっても、これは目新しい料理なのですな! いや、実に素晴らしい! 目新しい上にまぎれもなく美味であるのですから、試食会にこれほど相応しい料理は他にないことでしょう!」
俺が予想していた以上に、生春巻きは貴き方々の口に合ったようであった。
しかしまあ、これはあくまで前菜だ。これから続く7種の料理と菓子では、さらにご満足いただけるはずであった。
「失礼いたします。次なる料理をお持ちいたしました」
と、小姓たちが新たな皿を掲げてやってくる。
その内容を確認してから、レイナ=ルウが決然と立ち上がった。
「次は、わたしの準備した汁物料理となります」
「まあ。本当にジェノスの作法で6種の料理を出されている気分ね。……それに、城下町でも名高いアスタとレイナ=ルウの料理を立て続けに食べられるだなんて、とても贅沢に思えてしまうわ」
やはりこういう際には、エウリフィアの朗らかさがいい感じに場を中和してくれるようだ。王家の父娘は茶で口を清めてから、次なる料理に向かい合った。
「ほうほう! 香草を使った汁物料理でありますな!」
「はい。ゲルドの食材は、マロマロのチット漬け、魚醤、ミャンツ、ココリ、ユラル・パ、ファーナを使っています」
それは、汁物料理を得意にするレイナ=ルウが新たに考案した献立であった。近日中には、屋台でも販売される予定になっている。
「それ以外の食材は、ギバの足肉と肩肉、マロール、ヌニョンパ、貝と海草と魚の乾物、タウ油、ミソ、イラの葉、シシ、ミャームー、ケルの根、タラパ、アリア、ネェノン、プラ、ジャガルのキノコなどを使っています」
「おお! それは、城下町の料理にも負けない絢爛さであるようですな!」
と、ダカルマス殿下は早くも織布で額をぬぐっている。スパイシーな香りだけで、汗腺を刺激されてしまったのだろう。
しかしこれは、単に辛いだけの料理ではなかった。
ギバ肉とマロールで素晴らしい汁物料理を仕上げたレイナ=ルウが、さらにゲルドの食材を使って発展させた料理であるのだ。
コンセプトは、魚介の食材とマロマロのチット漬けの調和である。
アマエビに似たマロール、タコイカに似たヌニョンパの他に、乾物でもぞんぶんに海の幸を使っている。特に、貝の乾物というのは濃厚な出汁が取れるため、それがこの料理の土台を支えているはずであった。
レイナ=ルウいわく、俺が伝授した麻婆料理とマロール・チリから着想を得たという話であったが、原型はあまり留めていないように思う。トマトのごときタラパもけっこう味の中核を担っているためか、俺としては中華料理とイタリア料理の不思議な結合という印象を抱かされていた。
ただ、まぎれもなく美味である。
これまでの汁物料理よりも、絢爛さが増している。ただがむしゃらに食材を増やしたのではなく、すべての食材がきちんと折り重なって、このゴージャスな味わいを生み出しているのだ。
最初に「まあ」と声をあげたのは、エウリフィアであった。
「なんて豪奢な味わい……どこか、サトゥラス伯爵家の料理長を思わせるところがあるようだけれど……レイナ=ルウは、試食会の他でもあの御方の料理を口にしていたのかしら?」
「いえ。先日の試食会で、初めて口にすることになりました。……それほど味が似通っているでしょうか?」
レイナ=ルウは懸命に自制しつつ、ただその青い瞳には隠しようもない気迫をみなぎらせていた。
エウリフィアは何かを迷うように、「いえ……」と思案する。
「とても豪奢な印象が、あの御方の料理を想起させたのだけれど……でも、そうね。これはまぎれもなく森辺の料理人の手による料理なのだと思えるわ。わたしの知っている森辺の料理でありながら、ただ豪奢さが増したような感じであったのよ」
「確かに、わからなくもない。サトゥラス伯爵家の料理長が森辺の作法を学んだならば、このような料理を作りあげるのではないかという思いをかきたてられるな」
と、マルスタインがようやくこの場で口を開いた。
「これはきっと、城下町の民にも宿場町の民にも支持される味わいなのだろうと思える。……我々はそのように感じたのですが、ダカルマス殿下は如何でしたかな?」
「美味です!」と、ダカルマス殿下が吠えたてた。
滝のように流れる汗をぬぐいながら、少量の汁物料理をちびちびとすすっている。
「辛くて辛くて舌が痛いほどなのですが、こちらの料理に溶かし込まれた滋養がわたくしの心をとらえて離しません! わたくしは、むしろヴァルカス殿の料理を想起しましたな!」
「ほう、あの不可思議きわまりない料理を?」
「はい! もちろん味に似たところはないのですが、滋養の塊を食しているような心地であるのです! これはきっと、魚介の食材の恩恵なのでしょうな!」
そう言って、ダカルマス殿下は愛娘に向きなおった。
「我々の故郷にも、魚介の乾物は有り余っておる! デルシェアがこれほど素晴らしい料理を作りあげられるように祈っておるぞ!」
「はい、精進いたします!」と、元気いっぱいに答えてから、デルシェア姫はレイナ=ルウに向きなおった。
「あなたは城下町でも名高い料理人とうかがっていますが、その評価に相応しい手腕です! これほどに辛くてこれほどに美味な料理は、初めて口にしたかもしれません!」
「ありがとうございます」と一礼したレイナ=ルウは窮屈そうな胸もとに手をやって、こらえかねた様子で息をついた。安堵の度合いは、きっと俺の比ではないのだろう。
(これだけ見事な料理を仕上げながら、味比べで最下位になることを不安がってたんだもんな。それだけレイナ=ルウは、理想が高いってことか)
しかしまた、それは他のかまど番たちの手掛ける料理が同じぐらい素晴らしいという事実の裏返しでもあった。
そこでダカルマス殿下が「しかし!」と大きな声を張り上げたので、気の毒なレイナ=ルウはびくんと身を震わせることになった。
「ひとつだけ、解せないことがあるのですが! それをうかがってもよろしくありましょうかな?」
「は、はい。なんでしょう?」
「あなたがたは、繊細な味をした料理を先に出すべきとお考えになられたのでしょう? ふた品目でこれほどに豪奢で辛みの強烈な料理が出てきたことに、驚きを禁じ得ないのです!」
「ああ」と、レイナ=ルウは安堵の微笑みを広げた。
「これは味付けではなく、料理の種類によってふた品目と定められました。食べごたえのある煮込み料理などよりは、先にお出しするべきかと思いましたので……」
「ほうほう! では次は、煮込み料理ということでしょうかな?」
「……いえ。次も、汁物料理となります」
と、レイナ=ルウの表情がまた引き締まる。
次に出されるのは、マルフィラ=ナハムがここ最近で考案した、新たな汁物料理であったのだ。
「辛さだけを比べるのでしたら、こちらの汁物料理のほうがまさっているかもしれません。でも、どちらが強い味付けであるかと考えれば……おそらく、次の汁物料理ということになるでしょう」
「ふむふむ! 辛さに頼らぬ、強い味付けでありますか! それもまた、興味をひかれるところでありますな!」
その興味を満たすべく、小姓たちが次なる皿を運んできた。
マルフィラ=ナハムはダカルマス殿下に負けないぐらい汗をかきながら、起立する。
「つ、つ、つ、次はわたしの料理となります。ア、ア、アスタやレイナ=ルウの後に食されるというのは恐れ多いばかりで、不出来な面ばかりが際立ってしまうかと思いますが……ど、ど、ど、どうぞご容赦ください」
「ふむ。其方は相変わらず謙虚であるな、マルフィラ=ナハムよ」
記憶力に優れたマルスタインは、きちんとマルフィラ=ナハムの名も覚えてくれていた。
しきりに汗をぬぐいながら、ダカルマス殿下は「ふむふむ!」と身を乗り出す。
「マルフィラ=ナハム殿は、かつてゲルドの貴き方々に料理をお出しして、高い評価をいただいたそうですな! あなたの料理も、楽しみにしておりましたぞ!」
「い、い、いえ! わ、わたしは本当に、そんな大層なアレではありませんので……」
こちらは冷や汗を流しながら、マルフィラ=ナハムは四方八方に目を泳がせる。
その間に、彼女の料理は配膳された。その外見に、ダカルマス殿下は「ほう!」と目を丸くする。
「これは、奇妙な色合いでありますな! このように黒い色合いをした汁物料理は、初めて目にしましたぞ!」
「も、も、申し訳ありません」と、マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げた。
そして最後は身を折ったまま、隣の座席に座っていたレイ=マトゥアに囁きかける。
「あ、あ、あの、あとは何をお伝えすればいいのでしたっけ?」
「特に取り決めはないようですけど、レイナ=ルウはどのゲルドの食材が使われていたかをお伝えしていましたね」
「な、な、なるほど! ……え、ええと、そちらの料理にはゲルドの4種の香草と、ギャマの乳酒とワッチ酒と、魚醤とアマンサが使われています」
「乳酒とワッチ酒、それに果実のアマンサでありますか! なかなか味の想像がつかないところでありますな! ……この黒い色合いは、何なのでしょう?」
「そ、そ、それはギギの葉です。そ、そこまで多くは使っていないのですが、ギギの葉というのは色が広がりやすいようで……」
かつてヴァルカスから供されたギギの汁物料理などは、ブラックコーヒーのように真っ黒であったのだ。それに比べれば、こちらの料理は黒褐色というていどの色合いであった。
それに、4種の香草に酒類や果実までぶちこむというのは、まったくもって俺の作法ではない。俺の教えを基盤に置きつつ、ヴァルカスの料理から強い影響を受けた、これはマルフィラ=ナハムの第二のオリジナル料理であったのだ。
ナハムの家は清貧の気風が強く、もともとは祝宴でしか高値の食材を使うことは許されなかった。最近は生活にもゆとりができたため、生誕の日などでも好きに食材を使えるようになったそうであるが、けっきょく本番の一発勝負では試行錯誤もかなわない。それで俺は、勉強会においてマルフィラ=ナハムに好きなだけ食材を扱わせて、その成長に後押しをしていた。その成果が、この料理なのである。
「これは……不思議な味ですね!」
と、真っ先に声をあげたのは、デルシェア姫であった。
「わたくしもどのような味わいであるのかと、ずっと心待ちにしていたのですが……これは、不思議です! レイナ=ルウ様の料理よりも、いっそう城下町の料理に近いように思います! それなのに、すごく食べやすいのが不思議です!」
「ええ、本当に……これこそ、森辺の作法を学んだ城下町の料理であるかのようですわ」
そんな風に応じてから、エウリフィアはにっこり微笑んだ。
「でも、話が逆なのね。きっとあなたがたが城下町の料理を口にしたことで、このような料理が生まれたのでしょう。わたくしは、森辺の料理と城下町の料理から得られる満足感をいっぺんに味わっているような心地だわ」
「か、か、か、過分なお言葉、恐縮です」
「確かに、不可思議な味わいでありますな! わたくしの舌はきわめて複雑な味わいであると判じておるのに、心のほうは純朴なジャガル料理を食しているような思いを抱かされておりますぞ!」
ダカルマス殿下は、そのように評していた。
マルフィラ=ナハムは、確かにヴァルカスから強い影響を受けている。しかし、根底にあるのは「同胞のために」という思いであるのだ。マルフィラ=ナハムは晩餐をともにする家族や宴料理をともにする血族や、ひいては収穫祭をともにする他の氏族の人々のために――つまりは、森辺の同胞のために美味なる料理を作りあげたいと願っているのだった。
しかし実際、この料理の味付けは複雑である。
ギギの葉やミャンツやブケラの苦みに、酒類と果実の酸味、さまざまな香草の辛み、果実や蜜の甘み――それらが城下町の料理にも負けない錯綜した味わいを生み出しているのだ。
だが、主体となっているのはギバ肉であった。
これはあくまで、ギバ肉を際立たせるための味付けであるのだ。
ギバ肉はバラとロースとモモ、それにタンやモツまで使われている。さらにラードをも使うことで、ギバの風味が存分に練り込まれていた。
これはあくまで俺の想像だが、ギバではなくカロンやキミュスの肉を使ったならば、この複雑な味付けはあっという間に調和を失うのではないかと思われた。
それぐらい、ギバ肉の存在が中核を担っているのである。
甘みも苦みも辛みも酸味も、すべてがギバ肉に寄り添っている。これは、そういう料理であるのだった。
「……美味です!」と、ダカルマス殿下がふいに言いたてた。
「正直に申しまして、それを判ずるのにずいぶんな時間がかかってしまいました! 何か、驚きの念がまさってしまったのでしょうな!」
「ええ、わたくしもですわ! 不思議な気持ちが先だって、美味かどうかを判ずるのを忘れてしまっていました! でも、美味です!」
そのように追従してから、デルシェア姫はきらめく瞳で俺たちを見回してきた。俺とレイナ=ルウとマルフィラ=ナハムを、である。
「だけど一番不思議なのは、3種の料理がまったく別なる色彩を放っているかのように感じられることかもしれません! どれも立派なギバ料理で、まったく遜色のない出来栄えであるのに、それぞれ別種の美味しさであるのです!」
「うむ、確かに! これは、すべての方々の師であるアスタ殿が、それだけ多彩な手腕を身につけておられるということなのでしょうかな?」
俺ははっきり、「いえ」と答えてみせた。
「自分には、このような料理を思いつくことはできません。レイナ=ルウやマルフィラ=ナハムは、独自にこれらの料理を考案したのです」
「で、で、でも、アスタの教えがなかったならば、わたしはどのような料理を目指すべきかも判ずることはできませんでした」
と、マルフィラ=ナハムがすかさず声をあげてくる。
「わ、わ、わたしの料理はずいぶん城下町の影響を受けているのでしょうが、根っこにあるのはアスタの教えなのです。骨や血肉はアスタから授かったもので、皮や装束だけが城下町から授かったものなのだと思います」
そのように語るマルフィラ=ナハムは、泳がせていた視線を俺のもとに固定して、ふにゃんとやわらかく微笑んでいた。
それを見て、デルシェア姫が「まあ!」と大きな声をあげる。
「マルフィラ=ナハム様は、とても素敵なお顔で笑えるのですね! あなたとはたびたびお顔をあわせているのに、そんな素敵な笑顔は初めて見ましたわ!」
「と、と、と、とんでもありません」と、マルフィラ=ナハムはたちまち目を泳がせてしまう。
ともあれ――俺はとても温かい気持ちを得ることができたし、試食会の進捗もきわめて順調であるようだった。