試食会・森辺のかまど番編①~下ごしらえ~
2021.6/21 更新分 1/1
・今回の更新は全8話です。
バランのおやっさん率いる建築屋の面々と再会を果たしてから、2日後――緑の月の3日である。
俺たちは、ついに試食会の当日を迎えることになった。
ダカルマス殿下の主催する試食会も、これで4度目の実施となる。
最初はダカルマス殿下のご指名による6名で、南の王都の食材を使った試食会。2度目は宿場町の宿屋の関係者、3度目は城下町の料理人が、それぞれゲルドの食材を使った料理をお披露目することになった。そうしてついに、森辺のかまど番にまで出番が巡ってきたわけである。
ダレイムやトゥランには素朴な家庭料理が根付いているばかりという話であったので、ダカルマス殿下とデルシェア姫はこれでジェノスの食文化をおおよそ網羅したということになるのだろう。その飽くなき執念には、今さらながらに舌を巻く思いである。
しかしまた、試食会というものは実にハイペースに開催されていたので、王家の方々が来訪してから、いまだ半月ていどしか経過していなかった。その半月ばかりで、どれだけジェノスはひっかき回されることになったか――ジェノス城で直接お相手をしている貴族の面々の苦労を思うと、同情を禁じ得ないところだ。
だが、俺自身はダカルマス殿下の行いに大きな意味や価値を見出していた。
さまざまな身分の人々が一堂に会するというだけで、それは大いに有意義であっただろうし、それにまた、料理に携わる人々はそれ以上に大きなものを得ているはずであるのだ。
もちろん俺を含む森辺のかまど番たちも、これまでの試食会で大きな刺激を受けていた。
だから今回は、俺たちがそのお返しをするという面もあるだろう。
味比べの儀などというものが存在したために、当初は何やかんやと胸を騒がせたメンバーも存在したものの、事ここに至っては誰もが平穏な気持ちで、ただ力を尽くそうと念じている。
俺たちの料理を、美味しいと思ってもらえるように――料理に携わる人々には、小さからぬ意味や価値を見出してもらえるように――そんな思いを胸に抱いて、俺たちは城下町に向かうことになったのだった。
◇
「ついに、この日が来てしまいましたね」
同じ荷車に揺られながら、そのようにつぶやいたのはユン=スドラであった。
荷車の運転はアイ=ファが担ってくれたので、俺は荷台でくつろぎながら「そうだねえ」と応じてみせる。
「でも、ユン=スドラだったら心配いらないよ。気負わずに、いつもと同じ感じで頑張ってね」
「はい。……ただ、ふたりきりでこれだけの料理を準備するというのは、初めてのことですので……やっぱり多少は不安が残されてしまいます」
本日、料理を準備する俺たちを除外すると、試食会に参席する総勢は111名であるという。前回の総勢は102名であったはずなので、ずいぶんとまた人数が膨れあがってしまったものだ。
その中で、初めての参席となるのはバランのおやっさんとアルダス、それに数合わせで招かれた2名の東の民のみとなる。あとは城下町の料理人が料理を作る側から試食する側に回ったため、参席を許される弟子たちの分だけ人数がかさんでしまったという顛末であった。
「でも、ユン=スドラに限らず、森辺のかまど番は体力も精神力も申し分ないからね。慌てず確実に、平常心で臨めばきっと大丈夫だよ」
「そうですよ」と声をあげたのは、ユン=スドラの助手を務めるイーア・フォウ=スドラであった。ジェノスの貴族と多少ながらにご縁を持つということで、このたびは彼女が抜擢されたのだ。
「これだけ時間がたっぷりあれば、宴料理をこしらえるのと変わりはありません。わたしも力を尽くしますので、一緒に頑張りましょう」
「はい」と、ユン=スドラははにかむように微笑んだ。
こういうとき、やはり血族というものは心強いのだろう。もとはフォウの生まれであったイーア・フォウ=スドラも、婚儀をあげてから間もなく1年が経過するのだった。
ちなみに本日は、8名の責任者がそれぞれ助手を連れているばかりでなく、護衛役の狩人もそれに準じて増員されていた。
これはべつだん王家の方々を警戒しているわけではなく、大事な血族がそのような大役を担うならば各氏族からも見届け人を出したいという声があげられたためであった。
もちろん貴き方々からは、事前に了承をもらっている。試食会の参席者はダカルマス殿下によって厳正に選び抜かれていたが、料理を口にしない見届け人であれば何人増えようともかまわないという、ありがたい言葉をいただくことができたのだ。
そんなわけで、本日は総勢25名というなかなかの人数に膨れあがることになった。
8名の責任者に助手と見届け人が1名ずつなら24名であるが、さらにゲオル=ザザまでもが名乗りをあげてきたのだ。これまでは休息の期間にあったルウ家に一任していたが、彼は前々からトゥール=ディンに同行したいと言い張っていたそうなのである。それでまあ、1名ぐらいの増員は問題あるまいということで、ようやく族長たちの許しを得られたのだった。
俺の助手はフェイ=ベイムで、見届け人はアイ=ファ。
ユン=スドラの助手はイーア・フォウ=スドラで、見届け人はチム=スドラ。
トゥール=ディンの助手はリッドの女衆で、見届け人はゼイ=ディン。
レイ=マトゥアの助手はガズの女衆で、見届け人はガズの長兄。
マルフィラ=ナハムの助手はナハムの末妹で、見届け人はラヴィッツの長兄。
レイナ=ルウの助手はレイの女衆で、見届け人はジザ=ルウ。
リミ=ルウの助手はララ=ルウで、見届け人はルド=ルウ。
マイムの助手はルティムの女衆で、見届け人はジーダ。
これにゲオル=ザザを加えて、25名という顔ぶれである。
「……本当に、アスタのお手伝いをするのがわたしなどでよろしかったのでしょうか?」
と、フェイ=ベイムがいつもの仏頂面で問うてきた。
俺は「もちろんです」と笑顔を返してみせる。
「というか、俺は掛け値なしに実力でフェイ=ベイムを選んだつもりですよ。何せ今日の料理は、けっこう手間がかかってしまいますからね」
「はあ……それは確かに、名だたるかまど番がのきなみ責任者の役を担うことになってしまったので、アスタとしても苦肉の策だったのでしょうが……」
「そんなことはありませんってば。フェイ=ベイムだって、屋台の古株ではないですか」
フェイ=ベイムと同じぐらいのキャリアを持つのは、ラッツとダゴラの女衆のみだ。その中から、俺はフェイ=ベイムを選び抜いたのだった。
「フェイ=ベイムであれば、安心して仕事をおまかせすることができます。どうぞ今日はよろしくお願いいたしますね」
そんな言葉を交わしている間に、荷車は宿場町へと到着した。
往来は、いつも通り賑わっている。時刻は、中天の半刻前ていどであろう。
俺たちも本当は屋台の営業日であったのだが、明日の休業日を1日くりあげることにした。さすがにこれだけのメンバーが不在では、あとを任される人間の負担が大きかろうという配慮だ。
俺たちが屋台を休んだ分、宿屋の屋台村は凄まじいばかりの賑わいを見せている。休業日に宿場町まで下りることは滅多にないので、その勢いにはなかなか驚かされることになった。
(おかげさまで、ギバ肉の売上も好調だしな)
宿屋の屋台村とて、その多くはギバ肉を使ってくれている。森辺の民にとって、彼らは屋台の商売敵である前に、ギバ肉の大事な顧客であるのだ。いずれの屋台が賑わおうとも、そこにギバ肉が使われる限り、森辺の民にとってはありがたい話であるのだった。
そうして宿場町を抜けたのちは、すみやかに城門を目指す。
そこには3台のトトス車が準備されており、御者の中には馴染みのガーデルも含まれていた。
「どうも、お疲れ様です。今日もよろしくお願いいたしますね」
「は、はい。……今日はまた、アスタ殿が王家の方々に料理を供するのですね」
と、ガーデルは半月前と同じように眉を曇らせていた。
どうやら彼は、いまだに俺がジャガルに連れ去られてしまうのではないかと危惧しているようなのだ。それは何か根拠のある不安ではなく、彼がひたすら心配性で、なおかつ俺の行く末をたいそう気にかけてくれているゆえなのだろうと思われた。
「どうか、くれぐれもお気をつけて……アスタ殿が無事にお戻りになることを、西方神に祈っております」
「はい、ありがとうございます」
ガーデルたちの運転で、俺たちは紅鳥宮を目指す。
こちらのトトス車ではゲオル=ザザと同乗し、その満足そうな笑顔を拝見することになった。
「城下町に顔を出すのも、ひさびさのことだ! 最近では、ゼイ=ディンのほうが出番が多いぐらいではないか?」
「いや、俺もそうまで城下町に出向いた覚えはないのだが」
ゼイ=ディンは、落ち着き払った面持ちでゲオル=ザザに応対している。それにはさまれたトゥール=ディンは、いくぶん気恥ずかしそうな面持ちであった。
しかしこうして見ると、やはりトゥール=ディンは落ち着いている。彼女はたびたび茶会に招かれて味比べの余興も経験済みであったし、最初の試食会でも特別枠で菓子を作らされていたので、もはや臆するところもないのだろう。ある意味では、レイナ=ルウよりも落ち着いているようだ。その成長っぷりに、俺はしみじみとした感慨を噛みしめることになった。
紅鳥宮に到着したならば、まずは浴堂だ。
食べる側では身を清める必要もなかったので、この行いも半月ぶりのことであった。
ブケラのような香りのする蒸気で身を清めたならば、白い調理着にお召し替えをする。他の男衆らは、全員が武官のお仕着せだ。ここで声をあげたのは、ラヴィッツの長兄であった。
「ふふん。これが噂の、お仕着せか。確かにずいぶんと窮屈そうな装束だな」
ラヴィッツの長兄は忘れた頃にひょこりと朝の仕事を覗きに来たりしていたので、俺にとってはそれほどひさびさという感じではない。が、こうしてともに城下町までやってきたのは、ずいぶんひさびさのことであった。
それでもって、彼は小柄で猫背でやたらと骨ばった顔立ちをしており、額が後退していて落ち武者のようなざんばら髪という、ちょっと独特の風貌をしている。そんな彼が軍人の礼装めいたお仕着せを纏うと――なかなかコメントに困るぐらい、アンバランスな様子になってしまった。
「あの……よろしければ、おぐしをお整えいたしましょうか?」
と、無言で着替えを見守っていた小姓が、ラヴィッツの長兄にそんな言葉をかけてきた。
お仕着せの襟もとを窮屈そうにいじくっていたラヴィッツの長兄が、落ちくぼんだ目ですくいあげるようにそちらを見やる。べつだん小姓を威嚇しているわけではなく、彼は誰が相手でもこういう仕草で人を見やるのだ。
「おぐしとは、髪のことか? 俺にだけそのような言葉をかけるということは、やはりよっぽど珍妙だということなのだろうな」
「いえ。武官の御方でもおぐしが肩まで届く場合は、おおよそ油や紐で整えるものであるのです。もちろん森辺の御方に城下町の習わしを強要するいわれはないのですが……」
「ふふん。それがそちらの習わしだというなら、ひとつまかせてみるか」
と、厳つい外見とは裏腹に好奇心の旺盛な彼は、そう言って小姓に身をゆだねた。
小姓は整髪用の油を長兄の髪に塗りたくり、左右の毛束を後ろ側にまとめあげていく。そうして飾り紐で髪がくくられると、だいぶんすっきりとした印象になった。
「おお、何やらドムの家人ドッドを思い出させるな。存外に似合っているようだぞ、ラヴィッツの長兄よ」
ゲオル=ザザがそのようにはやしたてると、ラヴィッツの長兄はまんざらでもない様子で「ふふん」と骨ばった下顎を撫でさすった。
それにしても、8名もの男衆が武官のお仕着せを纏うというのは、なかなかの壮観である。
ジーダやチム=スドラも小柄でシャープな体形だが、意外にお仕着せが似合っている。それにやっぱり誰もが狩人としての研ぎ澄まされた雰囲気や生命力を発散させているためか、凛々しいお仕着せがマッチするのかもしれなかった。
そうして回廊で待ち受けていると、隣室から女衆らも姿を現した。
こちらはアイ=ファを除く15名が、調理着およびエプロンドレスだ。初めてそのような格好をさせられた女衆は、ちょっぴり恥ずかしそうな顔をしていた。
「城下町までおもむくと、思いも寄らない装束を着させられてしまいますね。おかしなことはないですか?」
イーア・フォウ=スドラの言葉に、伴侶たるチム=スドラは穏やかな面持ちで「うむ」と応じた。
「まったくおかしなところはない。俺のほうこそ、珍妙な姿であろう?」
「いえ、チムもよくお似合いです。……夫婦でこのような姿をするというのも、不思議なものですね」
「あー、お前らは夫婦なんだっけ。どっちも若いから、ついつい忘れちまうんだよなー」
と、ルド=ルウが気安く会話に割り込んだ。もともとチム=スドラとは顔馴染みであるし、イーア・フォウ=スドラともトトスの早駆け大会の祝賀会をともにしているのだ。
「そういえば、婚儀をあげた女衆が城下町に出向くのって、珍しいんじゃねーの? ダリ=サウティの伴侶と、あとはヴィナ姉ぐらいしか覚えがねーな」
「きっとそうなのでしょうね。でも、メリムやエウリフィアといった方々にご挨拶できるのは嬉しく思います」
「あー、きっとむこうも楽しみにしてるだろーぜ」
今日はあちこちの氏族から家人が集まっているため、この場だけでも同窓会めいた空気が形成されていた。それに、いまや同じ家の家人であるジーダとマイムがおたがい気恥ずかしそうにしながら声をかけあっている姿も、なかなかに微笑ましい。
が、いつまでも歓談を楽しんではいられない。俺たちは、これから大きな仕事を果たさなければならないのだ。
「では、それぞれの厨にご案内いたします。4つの厨を2名様ずつで使っていただくことになりますので、どうぞご了承ください」
その割り振りは、すでに城下町の側で定められていた。俺とユン=スドラ、レイナ=ルウとリミ=ルウ、トゥール=ディンとマイム、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアという組み合わせだそうだ。
「それじゃあみんな、頑張って。気負いすぎずに、平常心でね」
俺たちは小姓や侍女の案内で、それぞれの厨に向かうことになった。
時刻は中天を少し過ぎたぐらいであろうから、5時間強は調理時間を確保している。もっとも手間のかかる料理でも、それだけの時間があれば問題なかろうという判断だ。
「ヴァルカスやシリィ=ロウは、夜明けと同時に仕事を開始したという話でしたよね。ほとんど丸一日をかまど仕事に費やすなんて、ちょっと想像できません」
厨に向かう道中で、ユン=スドラはそのように言っていた。
「そうだねえ。俺たちの収穫祭では間に力比べをはさんでるから、丸一日ってことにはならないもんね。俺が一番時間を使ったのは……ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀かな」
「それは、アスタが森辺にやってきて間もない頃のお話ですよね? そのように長い時間、かまど仕事を果たすことになったのですか?」
「うん。途中で休憩をはさんだりしてたけど、ほとんど一日がかりだったね。あの頃はまだ手ほどきも進んでなかったから、俺自身があちこち駆け回らないといけなかったんだよ」
「そうですか……そういった経験があるからこそ、アスタはそれほどの手腕を身につけることがかなったのでしょうね」
ユン=スドラはあどけなく微笑みながら、まぶしいものでも見るように俺を見つめてきた。
そしてそんなユン=スドラには、イーア・フォウ=スドラが横合いから微笑みかける。
「そのアスタの技をもっとも間近から学んできたのは、ユンです。そんなユンを手伝えることを、光栄に思っています」
「こ、光栄? いつも晩餐の準備をともにしているではないですか」
「でも、アスタが屋台の留守を任せられるのは、ユンだけでしょう? それに下ごしらえの仕事に関しても、フォウやランの女衆が育つまでは、ユンとトゥール=ディンが担ってきたのだと聞きました。そうしてトゥール=ディンは自らの仕事を果たすためにアスタのもとから離れたので、今ではユンこそがもっともアスタの間近にあるかまど番なのだと思います」
とても穏やかな微笑みをたたえながら、イーア・フォウ=スドラはそう言った。
「祝宴の準備などでも、ユンはいつも取り仕切り役などを担ってくれていますし……ユンがアスタを尊敬するように、多くの女衆はユンを尊敬しているのですよ」
「わ、わたしなんて、そんな大層なものではありません。……でも、もっとも長い期間、もっとも間近な場所でアスタから学んできたのは、わたしということになってしまうのかもしれませんね」
わずかに頬を赤らめつつ、ユン=スドラは決然とした様子で言った。
「そんなアスタの名を汚さないように、今日も力を尽くそうと思います。朝から色々と弱気なことを言ってしまいましたが、どうぞおまかせください、アスタ」
「うん。俺の名前なんてどうでもいいけど、俺は最初から心配してなかったよ。みんなに喜んでもらえるように、頑張ろうね」
といったところで、厨に到着した。
作業台には、どっさりと食材が準備されている。
そして――その作業台の向こう側では、お団子ヘアーのちんまりとしたお姫様がにっこり笑っていたのだった。
「待ってたよ、アスタ様! 今日はひさびさに、あんたの仕事っぷりをじっくり拝見させてもらうからね!」
俺のかたわらで、アイ=ファが溜息を噛み殺している。想定の範囲内であったものの、当たって嬉しい想定ではなかったのだろう。
「お疲れ様です、デルシェア姫。こちらで調理の見学をなさるということですね?」
「あったりまえじゃん! この試食会は、あたしがゲルドの食材の扱いを学ぶための会でもあるんだからね!」
デルシェア姫は、満面の笑みでそのように語らっていた。
まあ、宿屋の面々や城下町の料理人たちも、こうして試食会の当日は厨の見学をされていたそうなのだ。それで森辺のかまど番の日にだけ、デルシェア姫が我慢をする理由はないのだろう。それにしても、調理前からスタンバイをしているとは、ずいぶんな意気込みであった。
デルシェア姫はこれまでの試食会と同じように、男の子のような身軽な格好をしている。すぐそばに付き添っているのはロデなる若き武官だけで、あとは厨の外に3名ばかりの武官が立ち並んでいた。
チム=スドラは「イーア・フォウを頼む」とアイ=ファに囁きかけてから、自主的に扉の外に出た。
アイ=ファは壁際に下がりつつ、感情を殺した視線をデルシェア姫に向ける。
「ジャガルの姫よ、プラティカやニコラは厨の見学を断られたと聞いているのだが」
「ああ、そうそう! 最初の日には許可を出したけど、やっぱ味比べに参加する人間は公平に扱わないといけないって話になったみたいね! 他の参席者は、厨の見学なんてしてないわけだからさ!」
「……しかし、そちらは見学にいそしむのだな」
「うん! 不公平って思うなら、あたしは星を入れるのをやめよっか? あたしにとっては、味比べより厨の見学のほうがよっぽど大事だからね!」
アイ=ファは無言のまま首を横に振り、最後の抵抗をあきらめたようだった。
いっぽうロデは、鋭い眼差しでアイ=ファの姿を見据えている。かつてファの家ではアイ=ファがデルシェア姫を怒鳴りつける一幕があったため、警戒心を抱いてしまっているのだろう。
ともあれ、こちらは作業開始だ。
俺はフェイ=ベイムと、ユン=スドラはイーア・フォウ=スドラと、それぞれ仕事に取りかかることにした。
「あたしのことは、なんにも気にしないでいいからね! ……ただ、調理で気になることがあったら質問させてもらうから、作業に支障のない範囲で答えてもらえる?」
「はい。承知しました」
「いやー、楽しみだなあ! これまでのお人らの手際も興味深かったけど、やっぱあたしにとってはアスタ様たちの手際が一番参考になりそうなんだよねー! これって、アスタ様の故郷の作法がジャガルの作法に近いってことなのかなあ?」
「さて、どうなのでしょうね。何せ自分は、ジャガル料理の作法というものをわきまえていないもので。……ただ、タウ油やミソを使った料理というのは、自分にとって馴染み深いものになりますが」
「ミソなんて、あたしにとっては未知の食材だったけどね! でもこれからはたっぷり王都に持ち帰らせていただくから、今後が楽しみだよー!」
そんな風に言いたててから、デルシェア姫はふっと小首を傾げた。
「ね、あたし邪魔かなあ?」
「え? な、なんでしょうか?」
「いや、質問があったらさせてもらうとか言いながら、調理と関係ない話までまくしたてちゃってるからさ! あたしって声も大きいから、アスタ様たちの邪魔になっちゃってない?」
「邪魔です」と答えたならば、いったいどのような反応が返ってくるのだろうか。
一抹の好奇心をかきたてられなくもなかったが、実際のところは邪魔でも何でもなかったので、俺は「いえ」と答えることにした。
「自分はいつもおしゃべりを楽しみながら調理していますので、邪魔と感じたりはしません。お気遣いありがとうございます」
「そっかー! それなら、よかったよ! この前の試食会では、あんまりアスタ様と話せなかったからさー! 喋りたい欲求がたまっちゃってるんだよねー!」
「そ、それはどうも。……他のみんなとも絆を深めていただけたら、ありがたく思います」
ありがた迷惑かもしれなかったが、俺は俺以外の森辺の民も王家の方々と絆を深められるように願っていた。
デルシェア姫はきょろんと目を丸くしながら、黙然と働くかまど番たちを見回していく。
「あー、そういえば、手伝いのふたりは知らない顔だね。アスタ様は他に血族もいないって話だったけど、どこから手伝いの人間を引っ張ってきたの?」
「古くから屋台の仕事を手伝ってもらっている、ベイムの家からお借りしました。彼女はベイムの末妹で、フェイ=ベイムという御方です」
フェイ=ベイムは仏頂面のまま、ぺこりと一礼した。彼女はいくぶん厳つい顔立ちをしているためか、白い調理着を着込んでいるとなかなかの貫禄である。
話の流れで、ユン=スドラもイーア・フォウ=スドラを紹介すると、デルシェア姫は「よろしくねー」と微笑んだ。
「会う人全部の名前までは覚えきれないけど、顔だけは忘れないから! ……ねえねえ、あんたたちって2年前までは、料理の味なんて気にもとめてなかったんでしょ? たった2年でそれだけの手際を身につけるって、よっぽど努力したのかなあ? それとも、アスタ様の教えが素晴らしかったのかなあ?」
「はい。わたしたちも力を尽くしてきたつもりですし、それ以上に、アスタが素晴らしい師であったのだと思います」
ユン=スドラが迷う素振りもなく答えると、デルシェア姫はにぱっと笑みを広げた。
「うん、いい答えだね! やっぱり森辺のお人らって気持ちいいなあ! 変におどおどしないし、言いたいことをはっきり言ってくれるよね!」
「森辺では虚言が罪とされていますので、正直さを美徳とするジャガルの方々とは気風が合うのかもしれません」
「うんうん! 気持ちをごまかすのって、よくないもんね! まあ、あたしみたいな立場の人間が好き勝手やると、周りの人らは大変だろうけどさ!」
デルシェア姫は、あくまで屈託がない。
彼女がこうまで身分の高い人間でなければ、森辺の民の過半数はすみやかに打ち解けられたのかもしれなかった。
(それでもまあ、アイ=ファやフェイ=ベイムは苦手なタイプだったんだろうけどな)
そんなこんなで、調理は賑やかに進められていった。
デルシェア姫がようやく腰を上げたのは、一刻ばかりが経過したのちである。しかしそれも見学を終了したわけではなく、別の厨を巡り始めたのだ。デルシェア姫が「また後でねー!」と厨を出ていくと、アイ=ファはこらえにこらえていた溜息をこぼした。
「あやつはほとんど、喋り通しであったな。あのように喋り続けて、口が疲れないものなのだろうか?」
「楽しければ、疲れも感じないんじゃないのかな。デルシェア姫は、心から楽しそうだしね」
「そうですね」と、イーア・フォウ=スドラもゆったりと微笑みながらそう言った。
「わたしはもっと、傲岸な人間を想像していました。あれだけ楽しそうにされると、こちらも楽しい気分になってきますね」
「そうでしょうか? わたしはいささか、疲れてしまいます」
フェイ=ベイムは、仏頂面でそのように応じた。
「ただ……きっと悪人ではなかろうという族長らの意見には、賛同いたします。あれは悪人ではなく……無邪気に過ぎる子供のようなお人なのでしょうね」
「ええ、俺も異存はありません。ついでに言うと、父君のダカルマス殿下もそっくり同じ気性のようですよ」
「……それは、いっそう疲れてしまいそうです」
アイ=ファに続いてフェイ=ベイムも嘆息をこぼすと、スドラの2名がひかえめに笑い声をあげた。デルシェア姫に罪はなけれども、やはり同胞だけになると得難い気安さが生まれるものである。
デルシェア姫の退室を機に、アイ=ファはチム=スドラとポジションを交代する。やはりチム=スドラも、伴侶たるイーア・フォウ=スドラの身を案じていたのだろう。それを安心させるために、俺たちは言葉を尽くすことになった。
デルシェア姫は賑やかであったが、作業は順調に進められている。
それからさらに一刻ほどが過ぎると、俺の最初の下ごしらえは完了してしまった。俺の料理はここからが本番であるのだが、さすがにあと三刻もかかるほどではない。ちょっと長めの休憩を取って、英気を養うことにした。
いっぽうユン=スドラとイーア・フォウ=スドラは、働き詰めだ。
調理の手間には格差があったが、ユン=スドラの引き受けた料理はそれなり以上に手間がかかる献立であったのだった。
「こういうときに手伝えないのが、ちょっと歯がゆいね。本当なら、それは俺が受け持とうとしていた料理だったわけだし……」
「いえ。手間はかかりますが、決して手順が難しいわけではありません。約束の刻限には間に合うはずですので、どうぞ心配なさらないでください」
力強い表情で微笑みながら、ユン=スドラはそう言っていた。
「アスタが新たに考案した料理は、とても不可思議でとても美味だと思います。そして、それを作りあげることができるのはアスタおひとりなのですから、どうぞ力をお尽くしください」
「うん。もうちょっと手ほどきする時間があれば、ユン=スドラだって作れるようになったはずだけどね」
俺たちはこれまでにも、ゲルドの食材を使った料理をさんざん手掛けてきた。それでこの試食会を迎えるにあたって、なるべく目新しい料理をお披露目しようと頭をひねることになったのだ。
そうして俺は、ちょっとした思いつきでひとつの料理を考案してみせたのだが――それはいささか特殊な調理手順であったため、数日ばかりでは余人に手ほどきすることもかなわなかったのだった。
「さて。それじゃあ、俺たちもそろそろ――」
と、俺が休憩を切り上げようとしたところで、デルシェア姫の再来が告げられた。
こちらの厨を出ていって、一刻半ほどが経過した頃合いだ。他に3つの厨があることを思えば、お早いお帰りであった。
「やあ、頑張ってるー? ……あれれ? アスタ様は休憩だったの?」
「ええ。ちょうど作業を再開しようと思っていたところです。デルシェア姫にもご覧にかけたかったので、幸いでした」
「えー、なになに? 何を始めるの?」
デルシェア姫は尻尾を振る子犬のように接近してきた。
半刻ほど前にまたポジションを入れ替えていたアイ=ファは、感情を殺した眼差しでそれを見守っている。そちらをなだめるために笑いかけてから、俺はデルシェア姫に向きなおった。
「ちょっと口では説明しにくい作業手順だったので、実際に見ていただきたかったのです。お気に召すかどうかはわかりませんが、どうぞご覧ください」
そうして俺は、故郷においてもそれほど数は手掛けていない調理に取り組むことになった。
それを見守るうちに、デルシェア姫の目はどんどん丸くなっていく。
「何これ! 変なの! こんな調理、初めて見たよ!」
「はい。料理そのものはまったく奇抜ではないと思いますので、期待外れになってしまうかもしれませんが」
「あはは。これで美味しくなかったら、無駄な手間になっちゃうね!」
そんな風に言いながら、デルシェア姫はにこーっと笑った。
「でも、アスタ様がそんな粗末な料理を出すわけないって、信じてるから! めいっぱい期待させていただくよー!」
「期待にそえれば、幸いです」
そうして俺の料理は、着々と完成に近づいていった。
本当に、仕上がりそのものはまったく奇抜なところもないように思うのだが――それだけに、さまざまな立場にある人々がどのような感想を抱くのか、いささか楽しみなところであった。