試食会・城下町の料理人編④~正しき運命~
2021.6/4 更新分 1/1
そうして、しばらくののち――
ついに本日の味比べの結果が発表されることになった。
「本日は、102名の方々が味比べの儀に参加いたしました。前回と同じく、第1位から第3位までの方々に勲章が授けられますので、そのように思し召しください」
ジャガルの小姓の可愛らしい声を、俺たちは厳粛なる気持ちで聞いていた。今日は貴き方々への挨拶を早めに済ませて、大広間の人混みにまぎれている。俺の周囲には森辺の同胞と、ユーミにルイア、レビにテリア=マスという顔ぶれが居揃っていた。
「さー、誰が勲章を授かるのかな。ひとごとながら、ちょっと胸が騒いじゃうね!」
ユーミは、うきうきした顔でそのように言っている。
他の面々も、おおよそは気楽な表情だ。厳粛な気持ちというのはあくまで料理を供してくれた人々への敬意であり、実際のところは味比べの結果を重んじているわけではないのである。
ただし、トゥール=ディンやユン=スドラなど、その気性の優しさが表に出やすいメンバーは、少なからず不安げな面持ちになっていた。またヴァルカスが思わしくない結果になってしまったら、シリィ=ロウがどれほどガッカリするかと心配しているのだろう。
俺自身は迷いに迷った末、ヴァルカスに星を投じていた。
ヤンの菓子とボズルの料理も素晴らしい出来栄えであったが、ヴァルカスの料理には心の底から驚かされてしまったので、そのインパクトを重んずることにしたのだ。
それにあれは、まぎれもなく美味なる料理であった。決してひいき目ではなく、俺は自分の心に従って、ヴァルカスに星を入れさせてもらったのだった。
「それでは、発表いたします」
静まりかえった大広間に、小姓のよく通る声が響きわたる。
「第1位は……53の星を獲得した、《銀星堂》の店主ヴァルカス様の料理となります」
しばしの静寂の後、怒涛の勢いで歓声が巻き起こった。
俺もいくぶん、呆気に取られてしまう。自分自身も票を投じたとはいえ、半数以上の票を集める圧倒的勝利になろうとは、まったく予想していなかったのだ。
大歓声と拍手の中、ヴァルカスとシリィ=ロウが進み出る。
ヴァルカスは普段通りの茫洋とした面持ちで、足取りは少しふらついている。ネイルたちと語らいために無理をして居残っていたため、身体が限界に近づいているのだろう。
いっぽう、シリィ=ロウは――そんなヴァルカスの装束の裾をつかみながら、織布で目もとを押さえてしまっていた。まるで幼子のような様相であるが、涙のせいで前が見えないのだろう。このような余興に一切の関心を持たない師匠に代わって、シリィ=ロウが喜びをあらわにしているのだ。
俺もまた、味比べの儀に重きを置かない立場であったものの、シリィ=ロウの苦労や無念が晴らされたことには、心からの拍手を届けさせていただいた。
(それにしても、53票か……これは、すごい結果だな)
胸もとに黄色の勲章を授かったヴァルカスが、ダカルマス殿下の横合いに引き下がる。
歓声が静まるのを待って、小姓は再び声を張り上げた。
「続きまして、第2位は……12の星を獲得した、ボズル様の料理となります」
今度は温かい歓声と拍手が、ボズルのためにあげられる。
ボズルはどこかほっとしたような表情で、青い勲章を授かった。
そうして横合いに引き下がったならば、ロイがすかさずシリィ=ロウへと囁きかける。いったいどういった言葉をかけたのか、シリィ=ロウは何度も大きくうなずいてから、最終的にロイの腕に取りすがった。
「第3位は、同率で2組の方々となります。……それぞれ10の星を獲得した、ダレイム伯爵家の料理長ヤン様と、《セルヴァの矛槍亭》の店主ティマロ様です」
こちらでは、また驚きのどよめきがあげられた。
もしかしたら、ダイアが入賞しなかったことに驚いているのだろうか。彼女はヴァルカスと並んで、ジェノスの双璧と称される立場であったのだ。
以下は、ダイアが8票で第4位、サトゥラス伯爵家の料理長が4票で第5位、《四翼堂》と《ヴァイラスの兜亭》が2票ずつで第6位である。
すべての結果が発表されたのち、通例通りにダカルマス殿下の総括が語られた。
「このたびも、実に興味深い結果と相成りましたな! まずは何と申しましても、驚くべき票数で第1位を獲得されたヴァルカス殿でありましょう! 以前の試食会では発揮することのかなわなかったヴァルカス殿の本領を存分に思い知ることになり、わたくしも感無量でございますぞ! あの料理は……とにかく、驚くべき仕上がりでありました! 美味であることに間違いはないのですが、それ以上に、不可思議さにおいて唯一無二であったことでしょう! この会場に、同じ驚嘆を抱かなかった御方は皆無であると、わたくしはそのように念じております!」
普段から元気いっぱいのダカルマス殿下であるが、本日はそれに拍車がかけられている様子であった。
「なおかつ興味深いのは、53票という票数の内訳でありましょう! この会場にはさまざまな身分の方々をお招きしておりますが、それらの方々がごく均等にヴァルカス殿へと票を投じておられたのです! ジェノスの貴族、城下町の料理人、宿場町の宿屋の関係者、森辺の民、ジャガルの民、シムの民――それらの方々のおおよそ半数がヴァルカス殿に星を投じたため、この結果となったのです! あの驚くべき料理は、身分の別を問わずに大きな衝撃をもたらしたという証なのでありましょうな!」
それは確かに、驚くべき話であった。
ただ、森辺のかまど番に関しては、それが真実であるとすでに判明している。投票を終えた者同士であれば打ち明け合ってもかまわないという話であったので、俺たちはこっそり密談していたのだ。その結果、森辺のかまど番の半数――俺とレイナ=ルウ、マイムとマルフィラ=ナハムの4名が、ヴァルカスに星を投じていたのだった。
「宿場町や森辺の方々におきましては、ものすごい出来栄えであったものの、ご自分の調理の参考にはまったくならないというお言葉が数多く届けられておりました! しかし! そういった方々の中からも、ヴァルカス殿に星が投じられていたのです! たとえご自分とは無縁の料理と判じても、星を入れずにはいられない心持ちを得ることになったのでありましょう! そのお気持ちは、痛いほどに理解できますぞ! わたくしはもう長きにわたって美食というものを追い求めておりますが、今日ほど驚かされた日はなかなかありませんでした! 心より、ヴァルカス殿に祝福を捧げたく思います!」
これだけ熱烈な言葉を投げかけられながら、やはりヴァルカスはぼんやりとした無表情だ。しかしその分まで、シリィ=ロウが涙を流しているようだった。
その後もダカルマス殿下は、大いなる熱意をもって語っていく。
第2位から第3位までの3名も、おおよそは均等に票が入っていたのだそうだ。東や南の民は人数が少ないので除外するとして、ジェノスに住まうさまざまな身分の人々がまんべんなく星を投じていたのだという話であった。
いっぽうダイアの8票は、そのほとんどが貴族か城下町の料理人であったという。ダイアの菓子は胃袋とは異なる部分をも刺激する、これまた唯一無二の存在であるかと思うが、素直な美味しさというものを求める人々からは支持を集めることができなかったようだ――というのが、ダカルマス殿下の評であった。
そして残りの3名に関しては、ヴァルカスがもともと有している個性との類似性が、仇になったという。
要するに、ヴァルカスと似ているが完成度の面で劣っているため、複雑かつ刺激的な味わいを求める人間は、こぞってヴァルカスに票を投じてしまったということなのだろう。第2位以下は、ヴァルカスとの類似性が低いほどに順位が高い、という結果に落ち着いたようだ。
そうなると、ヴァルカスの弟子たるボズルが第2位というのは、いささか不思議なところなのだが――ボズルの料理はまったくヴァルカスと似ていなかったので、不思議がる必要もない。ボズルはヴァルカスの模倣をしているのではなく、ヴァルカスの作法を自らのジャガル料理に応用しているのだ。その志の高さと、たゆみなき努力の結晶に関して、ダカルマス殿下は長々と語らっていたものであった。
そうしてこれまで以上に時間をかけた総括が終わったならば、半刻ほどのおしゃべりタイムとなる。
ダカルマス殿下のもとには本日の入賞者たちが招かれたため、俺たちはまた気ままに過ごすことが許された。
「……皆様、お疲れ様でした」
と、プラティカが暗殺者のような静けさで俺に近づいてくる。一歩遅れて、ククルエルとアリシュナもやってきた。他の3名は試食会の雰囲気に慣れてきたところで、別行動としたのだそうだ。
「どうもお疲れ様でした。第1位は、ヴァルカスでしたね」
「はい。当然の結果、思います。私、ヴァルカス、星を入れました」
「そうでしょうか?」と、アリシュナが優雅なシャム猫のように小首を傾げる。
「確かに、驚くべき料理でしたが、私の好み、異なります。私、ボズルという御方、投票しました」
「私とて、目指すべき料理、異なっています。ですが、この感銘、抑えること、できなかったのです」
「ま、そいつは人それぞれってことでしょ! あたしもヴァルカスに入れたけど、ボズルの料理とさんざん悩んだしねー!」
プラティカとも顔見知りであるユーミは、気安い調子で口をはさんだ。
すると、無言でたたずんでいたククルエルがそちらに目を向ける。
「あなたは、《西風堂》のご主人の代理人ですね。先日もご挨拶をさせていただこうかと考えていたのですが、なかなか機会が得られませんでした」
「んー? どこかで会ったっけ?」
「ええ。前々回の復活祭にて、そちらの宿で料理を注文させていただきました」
「そんな昔のこと、覚えてないよ! うちの宿には、東の民も大勢くるからさ!」
ユーミはけらけらと笑い、ククルエルも穏やかな感じに目を細めた。
その間も、プラティカは爛々と紫色の瞳を燃やしている。
「前回、引き続き、意欲、かきたてられました。そして、3日後、森辺の方々による、試食会ですね。いっそう、意欲、かきたてられてしまいます」
「ああ、そういえばそうでしたね。まあ、気負わずに美味しい料理をお届けしたく思っています」
「ええ。それで、十分です」
そしてその後は、レイナ=ルウたちも交えての大討論会であった。
やはり目玉となるのはヴァルカスの料理だが、ボズルやヤン、ティマロやダイアについても言及される。意外なことに、レビやルイアなどはティマロに票を投じていたのだった。
「なんていうか、俺はティマロの料理に一番心を動かされちまったんだよな。ボズルの料理も文句なく美味かったんだけど、アスタたちの料理ともそんなにかけ離れてない感じがして……驚きっていうのは、あんまりなかったんだ。でもティマロの料理ってのは正真正銘、俺が知らない味だったからさ」
「わ、わたしもなんとなく、あの料理に心をひかれてしまいました。ダイアというお人の菓子もそうですけれど、とても優雅な感じがして……」
「なるほど。やっぱり生まれや育ちだけで、人間をひとくくりにすることはできないってことだね」
もちろんそれは当たり前の話なのだが、それを実感できる場というものは得難いはずだ。
しばらくすると、席から立ったエウリフィアとオディフィア、それにリフレイアとシフォン=チェルもこちらにやってきた。リフレイアいわく、「語り足りないから」だそうだ。もちろん俺たちは、もろ手をあげて彼女たちを迎え入れた。
さらには城下町の料理人たちまでもが、対話を求めてくる。森辺のかまど番や宿場町の厨番に、本日の感想をうかがいたいとのことである。
彼らにとっては、下位の3名の料理こそが、これまでの王道であったのだろう。しかし結果はこの通りであるし、下位の3名はトータルでも8名の人間からしか票をもらっていないのだ。投票権を持つ城下町の料理人は25名ばかりも参じていたのだから、彼らも過半数は別の人間に星を投じたということであった。
「現在、城下町の料理の流行というものは、大きく動きつつあるさなかなのでしょう。我々も力を尽くさなければ、時代に置いていかれてしまうということです」
料理人のひとりは、そのように語らっていた。
リフレイアとのおしゃべりを楽しんでいたユーミが、そこでこちらに向きなおってくる。
「でもさ、そっちはどうして流行りが変わることになったの? 宿場町はアスタたちのおかげで色々とはかどったけど、そっちはそれほどの影響もなかったんでしょ?」
「それは……」と、城下町の料理人は口をつぐんでしまう。
すると、リフレイアが肩をすくめつつ発言した。
「その顔色で、察したわ。つまりは、わたしの父様が原因ということね」
「リフレイアの親父さん? どうしてそんなもんがからんでくるの?」
「わたしの父様は食材の流通を牛耳って、懇意にしている家や料理店にしか希少な食材を受け渡していなかったの。だから城下町においては、いかに父様と懇意にしているか――いかに多彩な食材を使いこなせるかということが、料理人の格というものを決めていたのよ」
確かにそんな言葉は、遥かなる昔日にロイから聞かされた覚えがあった。ならばきっと、城下町の料理人にとってはまぎれもない共通認識であったのだろう。
「でも、父様が失脚したことによって、ほとんどの食材は誰もが好きに扱えるようになったわ。当初は城下町の料理人たちも、喜び勇んでいたでしょうね。これで誰もが素晴らしい料理を作りあげられる、さまざまな食材を思うぞんぶん使いたおしてやろうってね」
「……はい。これで我々もヴァルカス殿やダイア殿の域を目指せるものと……分不相応な思いを抱いておりました」
「それは、大いなる欺瞞でしょうね。きっとあなたがたは、目的と手段を取り違えてしまったのよ」
「目的と手段?」と、ユーミが小首を傾げた。
リフレイアは「そうよ」と薄く笑う。
「ヴァルカスやダイアは、立派な料理を作るために多彩な食材を使っている。でも、それ以外の料理人たちは、多彩な食材が使われた料理こそが立派である、という考え違いを起こしてしまったの」
「ああ、アスタも寄り合いでそんな風に話してたらしいね。でも、やたらめったら食材を放り込んだって、立派な料理はできあがらないでしょ?」
「だからさっきも言った通り、父様のせいでそういう流れができてしまっていたのよ。父様と懇意にしている人間だけが多彩な食材を扱えて、多彩な食材を扱える料理人こそが一流であるってね。……たとえば当時はダレイム伯爵家にだってすべての食材は渡されていなかったから、あのヤンというお人も二流の料理人という扱いであったはずよ」
「へー、あのお人が? ていうか、伯爵家にすら、食材を渡してなかったの?」
「きっとあちらのご当主が、何か父様の気にさわることでもしでかしてしまったのでしょうね。それで食材の受け渡しを止められてしまったから、いっそう父様に逆らえなくなってしまったのよ」
リフレイアは決して心を乱すことなく、穏やかな声音でそのように言いつのった。
「ともあれ、父様は失脚して、誰もが自由に食材を扱えるようになったわ。でも、どういう運命の悪戯なのかしらね。それ以降、ジェノスで扱える食材がどんどん増えてしまったのよ。その皮切りは……たしか、あなたがただったのではないかしら?」
リフレイアが目を向けたのは、ククルエルであった。
悠揚せまらず、ククルエルはひとつうなずく。
「それはもしや、バルド地区の食材について仰っているのでしょうか?」
「そう、それよ。あれはたしか……王都の監査官たちがやってくる前ぐらいだったから、もう1年ていどは経つのかしら?」
「まさしく、昨年の黄の月であったかと思われます」
「そう。それと同じ頃合いに、城下町でもギバの肉が扱えるようになったはずね。それから今日までの1年ていどで、ゲルドと南の王都の食材まで扱えるようになって……ああ、それにミソや、さらに前にはバナームの黒いフワノに白いママリア酢なんてものもあったわね。そういった食材が増えるたびに、城下町でも吟味の会というものを行っていたのじゃなかったかしら?」
「リフレイア姫の仰る通りにございます」
「わたしは料理人じゃないからわからないけれど、父様の失脚でいきなりさまざまな食材があふれかえったとたん、さらにそれだけの食材が新たに登場したのよ。これじゃあ多少の混乱が起きてもしかたないのじゃないかしらね」
「ふうん。でも、それは宿場町も同じことだよね? あたしらだって、けっこう目の回るような思いだったしさ!」
ユーミの言葉に、リフレイアは「そうね」と微笑んだ。
「でも、あなたの宿では不要な食材など買いつけていないのでしょう? ヌニョンパだって、この前の料理でしか使っていないという話だったわよね」
「そりゃー使い道のない食材なんて買う必要ないっしょ。そもそも目新しい食材ってのは、けっこう値が張るもんなんだからさ!」
「そう。だけど、城下町の料理人というものは、多彩な食材を使えなければ一流ではないという思い込みにとらわれてしまっているの。なまじ豊かな暮らしであるために、どれだけの銅貨を費やしてでも多彩な食材を使って立派な料理を仕上げなければならない、という思い込みから脱することができなかったのよ、きっと」
「……それでああいう、けばけばしい料理ができあがったってわけですか」
そのように声をあげたのは、レビであった。
リフレイアは「たぶんね」と、だいぶん長くなってきた栗色の髪をすくいあげる。
「わたし自身、ああいう料理こそが素晴らしいのだと思い込んでいたもの。今だって、決して不出来な料理だとは思わないしね。……でも、アスタをさらったことによって、それとはまったく違う美味しさが存在するって知ることができたの」
「あはは。そんな自分のアヤマチまで引っ張り出さなくていいんじゃない?」
ユーミは呑気に笑っていたが、レビは真剣な面持ちであった。
「でも、姫様。ヴァルカスやダイアってお人ばかりじゃなく、俺はティマロやヤンってお人らの料理や菓子もすげえって思いましたよ」
「ああ、そうね。トゥラン伯爵家の副料理長で、希少な食材も好きなように扱えていたティマロと、わずかな食材だけで苦労をしていたヤン……まったく異なる道を歩いていたあのおふたりも、それぞれ自分の味というものを見出したように見受けられるわ。あなたがたが指針とするべきは、ヴァルカスやダイアではなく、あのおふたりなのではないかしら? ヴァルカスやダイアというのはあまりに作法が独特すぎて、見習いようがないように思えてしまうもの」
城下町の料理人たちは、思い詰めた面持ちで顔を見合わせていた。
そして、その内のひとりが意を決したように発言する。
「まことにもって、その通りであるかと存じます。そして、ヤン殿は宿場町にて目新しい食材を流通させるという仕事を担ったために、城下町の外に目を向けることになり……そうしてあのような手腕を身につけるに至ったと聞き及びました。よって我々も、宿場町の方々からお話をうかがいたく思っているのですが……」
「もちろん、それを邪魔立てするつもりなんてなかったわ。わたしはただ、ユーミの疑問に答えたかっただけよ」
「え、あたし? あたし、なんか言ったっけ?」
「どうして城下町での流行が移ろいつつあるのかって、あなたが疑問を呈したのでしょう? 人をこれだけ喋らせておいて、呑気なものね」
「あー、そうだったそうだった! でも、あんたも楽しそうに語らってたじゃん! ……あ、さすがにあんたはまずかったかな?」
「今日のところは、お目こぼししてあげるわ」
そうしてようやく、城下町の料理人を交えた談義が開始されることになった。
そちらの会話に加わりつつ、俺はリフレイアから聞かされた言葉を噛みしめる。確かに城下町の料理人たちは、サイクレウスからある種の呪いをかけられていたのかもしれなかった。
(でも、ヴァルカスやダイアはさまざまな食材を扱って、素晴らしい料理を考案し続けた。あのおふたりがなまじ成功したもんだから、余計に拍車がかけられたって面もあるのかな)
そして、ミケルだ。
これもどういう運命の悪戯か、食材の元来の味を活かそうという作法のミケルが、サイクレウスによって料理人として生きる道を絶たれてしまった。もしもミケルがサイクレウスに屈して、その庇護のもとに自分の料理を作り続けていたのなら――城下町にも、また異なる流行が生まれていたのかもしれなかった。
すでに魂を返したサイクレウスを、今さら恨むつもりはない。
しかし、その存在によって歪められてしまった運命があるのなら、それは正さなければならないはずであった。
(……それを気づかせてくれたのが、ダカルマス殿下の破天荒な振る舞いってことか)
俺がそんな風に考えたとき、涼やかなる鈴の音色が鳴らされた。
「それではこれにて、本日の試食会を終了させていただきます。本日語り尽くせなかった分は、また3日後ということで。……皆様、お疲れ様でした」
ポルアースの声が、そのように告げてくる。至極あっさりとした閉会の挨拶であるが、格式張らないのがこの試食会の特性であるのだ。
まずは貴き方々が横合いの扉から消えていき、それを見送ってから俺たちも解散となる。これも回廊が混雑しないように、まずは城下町の住人たちが退室し、最後に宿場町と森辺の民が大広間を出るのが常であった。
なおかつこちらは護衛役の面々が着替えをしなければならないため、いったん別室に案内をされる。それを待つ間も、森辺のかまど番たちは熱っぽく料理談義を続けていた。
そうしてようやく紅鳥宮の前庭に出ると、もちろん辺りは真っ暗である。試食会の開始は下りの五の刻であるので、ちょうど投票を開始するぐらいで日没に達するのだった。
前庭は、まだ大勢の人間でわきかえっている。いずれの住まいであろうとも、まずは送迎用のトトス車に乗り込むことになるので、これだけの人数だとどうしたって時間がかかってしまうのだ。
その賑わいを見やりながら、俺がぼんやりたたずんでいると、アイ=ファが「どうしたのだ?」と唇を寄せてきた。
「何やら、呆けている様子だな。さすがに疲弊が溜まってきたか?」
「ああ、いや。ちょっと考え事をしてただけだよ。……昨日の、ライエルファム=スドラの言葉なんかをな」
「ふむ。この行いも、ジェノスに正しい運命をもたらすであろうという、あれか?」
「うん。城下町と宿場町の人たちがお近づきになって、どんな風に運命が変わるのかって、あまり具体的な考えは浮かばなかったんだけど……今日はちょっぴり、実感できたかな」
「そうか」と、アイ=ファは少し意外そうな顔をした。
「お前であれば、懇意にしている者たち同士が絆を深められるだけで、喜ばしく思うのだろうと考えていたのだが」
「うん。もちろんそれだけでも、俺は十分に有意義だと思ってるよ。自分自身、これだけ頻繁に城下町の人たちと語らえる機会はなかったからな」
かがり火に照らされる夜の宮殿の前庭で、宿場町の人々が熱っぽく語らいながらトトス車に乗り込んでいる。こんな常ならぬ光景を眺められるのも、この試食会の楽しい余禄であった。
「……それで? お前の抱いた実感というのは、胸に秘めたままであるのか?」
と、アイ=ファの声がわずかにすねたような響きを帯びる。
俺は「いやいや」と慌ててなだめてみせた。
「話せば長くなるし、俺もまだあんまり整理できてないからさ。家に戻ったら、ゆっくり聞いてもらおうと思うよ」
「家に戻ると言っても――」
と、そこでリミ=ルウがアイ=ファの腕に飛びついてきた。
「やっと森辺に帰れるねー! アイ=ファたちは、おなかが空いちゃったでしょー? ララたちは、どんな晩餐を準備してくれてるかなー?」
そう、護衛役の面々は試食の資格を有していないため、森辺に戻ってから晩餐を食するのである。そしてファの家では他に晩餐を準備してくれる家人もないため、毎回ルウ家でご相伴にあずかっているのだった。
アイ=ファは優しい眼差しで、リミ=ルウの赤茶けた髪をかき回す。
そのとき、ようやくトトス車の準備ができたという旨が告げられてきた。
ジザ=ルウに呼ばれたリミ=ルウはてけてけと駆けていき、俺とアイ=ファもすみやかにそれを追いかける。その道中で、俺はアイ=ファに囁きかけてみせた。
「確かに家に戻るまではまだまだかかるけど、その間に話す内容を整理しておくよ」
「うむ。それはそれでかまわんが――」
と、アイ=ファは素早く周囲に視線を巡らせてから、可愛らしく唇をとがらせた。
「……この試食会という日は、お前の料理を口にできないばかりでなく、ともに晩餐を口にすることもできん。この憤懣をくつがえすほどの、正しき運命とやらを手中にしたいものだな」
「うん。そうであることを願おう」
俺は精一杯の思いを込めて、アイ=ファに笑いかけてみせた。
するとアイ=ファも唇を引っ込めて、やわらかく微笑んでくれた。
そうして俺にとって3度目となる黄の月は、最後の最後まで賑やかなまま、終わりを迎えることになったのだった。