試食会・城下町の料理人編①~開会~
2021.6/1 更新分 1/1
そうしてやってきた、黄の月の30日――城下町の料理人による試食会の、当日である。
前回の試食会で装束を準備してもらった俺たちは、それを着込んで城門を目指すことになった。
城門は、3日前よりもさらに賑わっている。前回は8組の宿屋が料理を作るお役目であったため、この時間にはもう厨で仕事に励んでいたのだ。
俺たちが荷車から降りて、通行証をもらう列に加わろうとしたところで、ユーミが「あー、来た来た! こっちだよー!」と呼びかけてきた。
「みんな、お疲れさん! 今日はこっちもそっちも料理をいただくだけだから、気楽なもんだねー!」
そのように語るユーミの周囲には、見知った人々が集っている。その顔ぶれを見て、俺は「あれ?」と小首を傾げることになった。
「テリア=マスだけじゃなく、レビにルイアまで……今日はふたりずつ招かれているのかな?」
「あー、この前の試食会で料理を出した8つの宿だけは、ふたりで来ていいっていうお達しだったんだよ! 宿の主人だけじゃなく、厨番にも料理を味わわせてやろうって考えらしいね!」
「なるほど。でも、主人のサムスじゃなくルイアなんだね」
「あ、はい。わたしなんて、屋台を手伝っているだけなんですが……この前の仕事の褒美だと言って、サムスが譲ってくれました」
「ふふーん。そんなしょっちゅう母さんに留守番をさせてたら、親父が怖い目にあうわけだからね! ま、親父はそもそも城下町なんかに興味はないんだろうしさ!」
にこにこと笑いながら、ユーミはルイアの肩を抱いた。ユーミよりは質素でテリア=マスよりは華美な装束を纏ったルイアははにかむように微笑んでから、おずおずと俺たちの姿を見回してくる。
「そういえば、今日はその……シン=ルウはご一緒ではないのですか?」
「ああ、うん。こんなに頻繁に城下町に招かれるなら、護衛役の顔ぶれも変えていこうって話になったらしいね」
とはいえ、アイ=ファとジザ=ルウは固定のメンバーである。新たに加わった第三のメンバーは、ガズラン=ルティムに他ならなかった。
「そうですか……」とルイアが肩を落とすと、まだその身にひっついていたユーミがけらけらと笑う。
「あんた、シン=ルウのことはもう諦めたんでしょー? だったら、胸を騒がせるだけ損じゃない?」
「う、うるさいなあ。ユーミだって、ジョウ=ランが来ないことを残念がってたくせに」
「ざ、残念がってなんかないよ! あんな珍妙な白装束は、見られなくて幸いさ!」
かくも微笑ましい、宿場町の娘さんたちである。
ともあれ、俺たちも手続きを済ませて、通行証をいただくことにした。
その後は3日前と同じように、トトスと荷車を預けて、迎えのトトス車に乗り込む。これほど頻繁に城下町に招かれるのはかつてなかったことなので、すっかりその手順もお馴染みになってしまった。
「今日はいよいよ、ヴァルカスってお人の本気の料理を食べられるわけだもんね! いったいどんな素っ頓狂な料理を食べさせてもらえるのか、楽しみだなあ!」
トトス車の中でも、ユーミははしゃいだ声をあげていた。やはり、前回の試食会で勲章をもらえなかったことなど、毛ほども気にしていない様子だ。
やがて紅鳥宮に到着したならば、またシェイラとシフォン=チェルの案内で別室へと招かれる。俺たちは試食会用の装束を着込んでいたが、護衛役の面々は借り物の装束に着替えなければならないのだ。
「あの、先日デルスという御方と宿場町でご挨拶をさせてもらったのですけれど……」
着替えの間に向かう道中で俺が語りかけると、シフォン=チェルは「はい……」と気恥ずかしそうに目を伏せた。
「昨日の昼下がり、その御方が兄エレオの手紙を届けてくださいました……まだ別れてからどれほどの日も経っていないのに、ついつい涙などこぼしてしまって……リフレイア様を困らせてしまいました……」
「いえいえ。きっと困るより、嬉しい気持ちのほうがまさっていたはずですよ。俺だって、自分のことのように胸を弾ませてしまいましたしね」
「そのようなお言葉を聞かされてしまうと……また涙をこぼしてしまいそうです……」
蜂蜜色の睫毛で紫色の瞳を隠したまま、シフォン=チェルはやわらかく微笑んだ。
シフォン=チェルのこんな表情を見られただけで、デルスにまたお礼を言いたいぐらいである。
そうして着替えを済ませたならば、いざ大広間に出陣だ。
大広間は、本日もたいそう賑わっていた。デルスや東の民が招かれた分、人数も増えているはずなのだ。
(それに、宿場町から招かれる人数も増えたわけだし……あ、でも、城下町の料理人が厨に引っ込む分で、それは相殺されるのかな)
何にせよ、前回以上の熱気であることは確かであるようだった。
俺たちが大広間の端に歩を進めると、せかせかとした足取りで見慣れた人物が近づいてくる。
「どうも。いささかご無沙汰でありましたな、森辺の皆様方」
「ああ、ハリアス。やはりそちらも招かれていたのですね」
それは、里帰りをしたディアルの代わりに鉄具屋の仕事を受け持っている、ハリアスであった。ディアルの父親であるグランナルの右腕であるという、壮年の男性だ。もちろんハリアスも、ジャガル風の立派な装束を纏っていた。
「今日は南の鉄具屋からも1名お招きされると聞いていましたので、きっとハリアスのことなのだろうなと思っていました」
「ええ。お嬢さんが不在な分、わたしが王家の方々とつづがなくご縁を紡がせていただかなければなりませんからな。正直に申しまして、鉄具を売る仕事よりも胃が重くなる心地であります」
「南の方々は、きっと自分たちよりも気が張ってしまうのでしょうね。でもきっと、料理の吟味をおざなりにしなければ、王家の方々のご不興を買うことにはならないと思いますよ」
「そうですな。心して、本日の会に臨みたく思います」
それだけ言って、ハリアスはまたせかせかと立ち去っていった。彼は豪放さよりも質実さがまさるタイプであるようなので、緊張感もひとしおであるのだろう。
周囲では、宿屋の面々や城下町の料理人たちが、熱心に語らっている。
しかしそれも前回よりは、混然としているように感じられた。朱色の肩掛けを羽織った宿場町の人々も、同業者ばかりでなく城下町の方々と大いに語らっているようなのだ。遠目には、ナウディスとその助手である若者が料理人たちに囲まれている姿もうかがえた。
(城下町の人たちも、宿場町の調理レベルの高さに驚かされたってことなんだろうな。こうして自然に距離が縮まっていくのは、確かに素晴らしいことなんだろう)
昨日のライエルファム=スドラとの会話を思い起こしながら、俺はそのように考えた。
するとそこに、また見慣れた人々が近づいてくる。しかしその一団には、やや意想外な人物もまぎれこんでいた。
「お疲れ様です、森辺のみなさん。宿場町よりも城下町で顔をあわせる機会が増えるというのは、奇異なことですね」
その一団の代表として、ネイルがそのように挨拶をしてきた。
ネイルも前回の試食会で手伝いをしていた年配の女性を引き連れており、そのかたわらにはジーゼと助手の男性が控えている。ネイルとジーゼは交流が深いようなので、そこまでは何の不思議もなかったのだが――さらにそこには、ヴァルカスの弟子たるタートゥマイまでもが加わっていたのだった。
「どうも、お疲れ様です。タートゥマイとご一緒だったのですか。……というか、タートゥマイはヴァルカスの手伝いではなかったのですね」
「ええ。助手は1名までという取り決めであったため、その役目はシリィ=ロウが負うこととなりました。ロイは、ボズルの助手となります」
では、ヴァルカスの弟子の中で、タートゥマイだけが審査役を受け持つということだ。
「それでネイルたちとご一緒することになったわけですか。昔からよく知るみなさんの絆が深まって、とても喜ばしく思います」
「はい。こちらのおふたかたからシム料理について詳細を聞いておくべしと、師たるヴァルカスに言いつけられておりますので」
まったく内心の読めない無表情で、タートゥマイはそう言った。
タートゥマイは東の血をひく西の民で、表情を動かさないという習わしに身を置いている。同じ立場であるジーゼはその習わしを重んじておらず、東の血筋ではないネイルはその習わしを重んじるという、なかなか錯綜した様相であった。
「ですが、わたしもジーゼもつい先年までは、チットの実ぐらいしか扱うこともかないませんでした。それほどヴァルカスのお役には立てないように思います」
ネイルがそのように言いたてると、ジーゼも「そうですねぇ」と穏やかに微笑む。
「時には懇意にしている東の方々が、こっそり香草を分けてくださることもありましたけれど……それしきの量では、きちんと使いこなすことも難しかったのでねぇ。以前から自由に香草を扱えた城下町の方々とは、比べるべくもございませんでしょう」
「いえ。それでもジギ料理の作法を学んだ御方というのは、このジェノスにおいて希少です。また実際、おふたかたはあれほど見事な料理を供しておられたのですから、ヴァルカスも見過ごすことはかなわないでしょう」
「はあ。わたしは片手の指では足りないほど、不出来な部分を指摘されたのですが」
「あたしも、そうでございますねぇ」
ネイルは無表情に、ジーゼは柔和に微笑みながら、そのように反論する。
タートゥマイは苦笑をこらえるようにぐっと口もとを引き締めつつ、さらに言いつのった。
「おふたかたの料理は完全な調和が目の前であった分、ヴァルカスも口を出さずにはいられなかったのでしょう。微細な話をあれこれ指摘されるのはご不快であったでしょうが、決してヴァルカスに悪気はありませんので――」
「それは、理解しているつもりです。また、たとえ微細であろうとも、ヴァルカスのご指摘はすべて正しかったように思います」
「あたしも、同じ気持ちでございますよぉ。これでいっそう立派な料理をこしらえられるようになれれば、お客様にも喜んでいただけますのでねぇ。あの御方には、感謝しておりますよぉ」
「……そう言っていただけると、幸いです」
寡黙なタートゥマイがヴァルカスのフォローを受け持つというのは、とても大変そうに思えてしまう。が、こうしてネイルやジーゼと語らう機会が生まれたことは、喜ばしい限りだ。
その後はレイナ=ルウやマルフィラ=ナハムも加わって、香草談義が開始されることになった。
「きっと今日は、香草の料理が多いのでしょうね。どのような料理が供されるのか、とても楽しみにしていました」
やがてレイナ=ルウがそのように語らうと、タートゥマイが感情の読めない眼差しを送った。
「過度な期待は、失望を生むだけやもしれません。ヴァルカスが城下町の料理人たちに失望していることは、あなたがたもご存じでありませんでしたか?」
「ええ、それはわきまえていますけれど……でも、ヴァルカスやダイアだって、城下町の料理人でしょう?」
「あの方々は、特別です。同じ城下町で暮らしていても、あの方々には異なる風景が見えているのでしょう」
タートゥマイがそのように答えたとき、銀の鈴が鳴らされた。
「貴き方々のご入場です。拍手などは不要ですので、皆様はそのままお待ちください」
3日前と同じように、横合いの扉から貴き方々が姿を現す。そちらの顔ぶれには、いっさい変更もないようだった。
司会役のポルアースによって開会の挨拶が為されたならば、ついに本日の料理と料理人の登場だ。
料理はそれぞれのブースに運ばれ、料理人たちは貴き方々の面前に集められる。さすがにそれらの人々は貴族と接する機会が多いためか、緊張をあらわにしている人間も見当たらなかった。
「では、本日の料理を準備してくださった料理人の方々をご紹介いたします」
ジェノス城の料理長たるダイアと、その助手である若者。
サトゥラス伯爵家の料理長と、その助手。
ダレイム伯爵家の料理長ヤンと、その助手であるニコラ。
《銀星堂》の店主ヴァルカスと、助手のシリィ=ロウ。
ヴァルカスの弟子であるボズルと、助手のロイ。
《セルヴァの矛槍亭》の店主ティマロと、その助手。
俺が知るのはその6組までで、残る2組は《ヴァイラスの兜亭》と《四翼堂》なる料理店の店主とその助手たちであった。
そちらの方々とサトゥラス伯爵家の料理長は名も知らぬ相手であったが、城下町における食材の吟味の会などで顔をあわせた覚えがある。いずれ城下町では高名なる料理人たちであるのだろう。
「以上、8組の方々が1種ずつの料理を準備してくださいました。3日前と同じように、一刻の後に味比べの儀を開始いたしますので、それを目処に試食をお進めください」
そうしてついに、本日の試食会が開始された。
俺たちは、また3つのグループに分かれることにする。なおかつ、リミ=ルウの提案で3日前と異なる組み合わせになり、俺とアイ=ファが最初に同行するのはユン=スドラおよびマルフィラ=ナハムと相成った。
リミ=ルウはレイ=マトゥアにトゥール=ディンという年少組で、レイナ=ルウはマイムとの強力なペアだ。護衛役は、ガズラン=ルティムがリミ=ルウの組、ジザ=ルウがレイナ=ルウの組と同行することに決定される。
「それじゃあ、手近なところから料理をいただこうか。どんな料理が待ちかまえているのか、楽しみなところだね」
「は、は、はい。み、見知らぬ料理人たちがどのような手腕を持っておられるのか、とても期待をかきたてられます」
俺たちが手近なブースに足を向けると、そこには異質な集団が寄り集まっていた。フードつきのマントを脱いで、きらびやかな装飾品をあらわにした、東の民の一団である。
「ああ、アスタ。今日は早々にご挨拶ができましたね」
まるでその一団のリーダーであるような貫禄で、ククルエルが語りかけてくる。プラティカとアリシュナも控えており、さらに3名の男性が増えている。本日から試食会に参席することになった、東の商団の責任者たちだ。
「こちらは、ダレイム伯爵家の料理長が手掛けたものであるそうです。アスタたちも、そちらの御方とは懇意にされているそうですね」
「あ、はい。城下町の料理人の中では、もっとも古くからのおつきあいとなりますね」
ただし料理長のヤンは、貴き方々の席で解説の役を担っている。よって、その場で料理を提供しているのは、助手のニコラであった。
「ニコラ、お疲れ様です。俺たちにも3名分、お願いできますか?」
「はい。こちらは菓子になりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ。1巡目は、片っ端から試食をさせていただこうと思います」
「では、お好きな皿をどうぞ」
皿には、ちょっと奇妙な菓子がのせられていた。黄色みを帯びた生地が半透明の何かでコーティングされた、焼き菓子のようである。
「ああ、ニコラも以前にこれと似た菓子を作ってくださいましたよね。ではこれも、チャッチ餅でくるまれているわけですか」
「はい。ヤン様が新たに考案された味付けとなります」
こちらは細長い形で仕上げたものを、ひと口サイズに切り分けたのだろう。丸みがかった上部にだけ、チャッチ餅のコーティングがされている。
「あ、よく見ると、チャッチもちも少し色がついていますね」
ユン=スドラがそのように言い出したので、俺もその菓子をシャンデリアの光に透かしてみた。
確かに、半透明のチャッチ餅がわずかに朱色がかっている。その下の生地がくっきりと黄色みがかっているため、ぱっと見にはわからなかったのだ。
さらに、生地のほうにはもっと鮮烈な色合いをした朱色の粒が練り込まれている。本日もゲルドの食材を使うべしというお達しであったので、きっとこれは夏みかんに似たワッチであろう。ただ、本来のワッチが持つ瑞々しさは感じられず、その実も色合いもぎゅっと濃縮されていた。
(ワッチを、わざわざ干して使ったのかな?)
そんな風に考えながら、俺はワッチの菓子を口に放り入れた。
ワッチの清涼な香りと甘酸っぱさが、まずはチャッチの膜から伝えられてくる。それを生地ごと噛みしめると、さらに濃密なワッチの味わいが口に広がり――同時に、同じぐらいの濃厚さで乾酪の風味が広がった。
「え? これはワッチだけじゃなく、乾酪まで使われているのですか?」
「はい。もちろん先日の試食会で着想を得たわけではなく、ヤン様は前々からこちらの菓子の考案に頭をひねっておられたのです」
先日の試食会では《ランドルの長耳亭》がチーズケーキに似た菓子を出しており、そこにもワッチが使われていた。もちろんそれを参考にして新たな菓子を考案する時間などはなかったことだろう。
それにこれは、《ランドルの長耳亭》の菓子とまったく趣が異なっていた。ワッチと乾酪が主体であるということが一致しているだけで、その味わいも食感もまったく異なっていたのだ。
しっとりと甘く仕上げられたフワノの生地は、パウンドケーキを彷彿とさせる。そこに干し固めたワッチの実と、ワッチの果汁を使ったチャッチ餅が加えられているのだ。干したワッチの実はレーズンのように粘り気のある噛みごたえで、チャッチ餅はほのかな弾力を有しており、それがしっとりとした焼き菓子の生地と楽しい食感の三重奏を織り成しているのだった。
それにやっぱり乾酪も使われているために、生地もけっこうどっしりとしている。ただ、チーズケーキよりは軽妙な食感で、それが噛むごとになめらかさを増していくような心地であった。
「と、と、とても不思議な食感です。溶かした乾酪を生地に練り込んだら、もっと重たい食感になるかと思うのですが……それを避けるために入念に攪拌して、生地に空気を取り込んでいるのでしょうか?」
マルフィラ=ナハムの言葉に「はい」と応じつつ、ニコラはわずかに目を見開いていた。
「わずかひと口で、それを察することがかなうのですね。森辺の方々の鋭敏さには感服いたします」
「と、と、とんでもありません。な、何にせよ、味も食感も素晴らしいと思います」
「わたしも、同じ気持ちです」と同意の声をあげたユン=スドラは、うっとりとまぶたを閉ざしていた。ユン=スドラは、なかなかの甘党であるのだ。
「決して弱くはない味付けであるのに、とても繊細で、とても優しげで……ヤンのお人柄が、そのまま表れているかのようですね。わたしは、とても好ましく思います」
「……森辺の方々にそう言っていただければ、心強い限りです」
口では殊勝な言葉を吐き、その表情は仏頂面で、そして安堵の息をつく。ニコラらしい、入り組んだ感情表現であった。
そしてそこに、鋭い眼差しをしたプラティカも声をあげる。
「本当に、素晴らしい出来栄え、思います。《ランドルの長耳亭》や《アロウのつぼみ亭》の菓子、負けていませんし、なおかつ、味わい、高貴です。味の組み立て、繊細ゆえに、この典雅な味わい、生まれるのでしょう」
「ありがとうございます。……でも、どうしてそのような目でわたしをにらむのでしょうか?」
「にらんでいません。ただ私、ゲルドの民でありながら、ワッチ、これほど使いこなせていないので、悔しさ、感じています。ヤン、素晴らしい料理人です」
「はい。最後のお言葉には、わたしも同意いたします」
そんな両名のやりとりを見届けて、ククルエルは身を引いた。
「では、次の料理をいただきに参りましょう。時間は、限られていますので」
「はい、承知しました。……ニコラ、同行、如何ですか?」
「え? いえ、わたしは番をしなければなりませんし……」
「菓子の補充、ときおり行えば、番、不要でしょう。ヤン、戻るまで、ニコラも試食、進めておくべき、思います」
普段から行動をともにすることの多いプラティカは、ニコラを気づかっているのだろう。かくしてニコラは東の民たちに囲まれるようにして、ブースを離れることになった。
俺たちは、逆回りで次のブースを目指すことにする。
奇しくも、次のブースにも菓子の皿が並べられていた。こちらは番をしている人間もおらず、ずらりと並べられた皿の半分ぐらいがすでに空となっている。
「ああ、これはきっと、ダイアの菓子だね」
その菓子は、青紫の色合いが宇宙のようにきらめいていた。これほど美しい菓子を作ることができるのは、ジェノス広しといえどもダイアのみであろう。
こちらは丸くて平べったい生地の上に、青紫色のゼリーめいたものがのせられている。それが宇宙を連想させたのは、そのゼリーめいたものの内部に細かい粒が点々と光り輝いているからに他ならなかった。
その菓子を口にすると、ブルーベリーに似たアマンサの味わいが口内に広がる。
俺は以前にこれと似た菓子を口にした経験があったが、それとは若干味わいが異なっていた。アマンサの味わいには何か口の中が涼しくなるほどの清涼感が含まれており、生地のほうもただ甘いだけでなく、苦み寸前の豊かな香ばしさが感じられたのだった。
そしてその菓子を噛みしめるごとに、何か小さな気泡のようなものが潰れて、たまらない甘さが追加される。それがきっと、星々のようにきらめく何かであったのだろう。いまだ正体は不明であったが、ただ、パナムの蜜の風味だけは感じ取ることができた。
「こ、こ、こちらは薄い生地を何重にも重ねて、それを窯焼きにしたようですね。そ、そしてその生地と生地の間に、ギギのちょこれーとに似たものがはさまれているのではないでしょうか?」
「うん、きっとそうだね。それで、アマンサのほうには……たぶん、ユラルが使われているのかな」
「ユラル?」と、ユン=スドラが小首を傾げた。
「ユラルというのは、ユラル・パに似ているという食材ですよね。それがどういった食材であったか、わたしはいまひとつ思い出せないのですが……」
「ユラルは、硬い木の枝みたいな食材だね。ユラル・パと似ているのは外見だけで、こういう清涼な香りが強いんだ。俺もトゥール=ディンもまったく使わないから、森辺でも買いつけている人は少ないんじゃないのかな」
有り体に言って、ユラルの香りはミントに似ていた。これほど口の中が涼しく感じられるということは、そのユラルをかなり大量に使っているのだろう。
「ユ、ユ、ユラルとギギの風味が重なって、とても不思議な心地ですね。そ、それに、この星空みたいな見た目のせいなのか、なんだか……屋根のない場所で、夜の空を見上げているような心地です」
ユン=スドラがきょとんとした顔で振り返ると、マルフィラ=ナハムは慌てた様子で目を泳がせた。
「お、お、おかしなことを言ってしまって、申し訳ありません。そ、そんな話は、菓子の味に関係ないですよね」
「いや。ダイアはきっと、そういう思いを込めて、この味と見た目を考案したんじゃないのかな。マルフィラ=ナハムは、ダイアと似た感受性を持っているのかもしれないね」
「かんじゅせいというのは、よくわかりませんけれど……わたしはちょっと、この味わいは苦手かもしれません」
と、ユン=スドラは申し訳なさそうにそう言った。
まあこれは、ミントに似たユラルとカカオに似たギギがふんだんに使われているようなのだ。俺の故郷においても、チョコミントの菓子というのはずいぶん好みが分かれるはずであった。
「俺は素晴らしい出来栄えだと思うけど、でも、好みなのはヤンのほうかな。こちらの菓子こそ物凄く高貴な味わいで、貴き方々には相応しいのかもしれないけどね」
「はい。きっと城下町では喜ばれるのだろうなと思います。それで……オディフィアがあまりダイアの菓子を好まれないというのが、少しわかるような気がしました」
申し訳なさそうな顔をしたまま、ユン=スドラはそう言った。
俺としても、根っこの部分で異論はない。ダイアは自分の持つ幻想的なイメージを料理や菓子の味に盛り込むという、とてつもないことをやってのけているように思うのだが――いまだ7歳のオディフィアには、あまりに難解なのであろうと思えてしまうのだ。
(宿場町の人たちだって、きっとそれは同じことだよな。ダイアが今日の味比べで勝つのは難しいかもしれない)
だがきっと、ダイアにとってはこれこそが自分の追い求めている味わいであるのだ。
味比べのために、自分を曲げたりはしない。そういうダイアの心意気に、俺はむしろ敬服の念を抱かされることになったのだった。