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異世界料理道  作者: EDA
第六十一章 楽しき騒乱
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試食会・宿屋編③~見事な手腕~

2021.5/17 更新分 1/1

・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

 レマ=ゲイトとお手伝いの娘さんに別れを告げて、次のブースに向かってみると、そこでは《タントの恵み亭》の料理が配られていた。

 そしてそこに輪を作っていたのはルウ家の3名とロイおよびボズルである。そちらは少人数のチームであるため、ロイたちと行動をともにしているようであった。


「ああ、アスタ。こちらの料理も、素晴らしい出来栄えであるようですよ」


 穏やかに微笑むレイナ=ルウのかたわらでは、リミ=ルウもにこにこと笑いながら料理を食している。試食の権利を持たないジザ=ルウは、そんな妹たちの姿を父親のようにどっしりとした貫禄で見守っていた。


「いや、こいつは本当に大した出来栄えだよ。この宿の厨番は、ダレイム伯爵家の料理長に手ほどきをされてるんだよな? やっぱりあのお人も、なかなかの手腕みてえだな」


 ロイも、そのように語らっている。

 料理の品目は、どうやらカロン肉の煮込み料理だ。本日は皿の必要な料理が多いようだが、あちこちに準備されている円卓はほとんど使われておらず、誰もが立ち食いに興じているようだった。


「最近はヤンも裏方に徹して、ご自分の考案した料理の作り方を手ほどきしているそうですね。《タントの恵み亭》の厨番は、それをきちんと再現できるだけの腕をお持ちなのでしょう」


 そんな風に応じながら、俺もその料理を食してみた。

 こちらの料理で主体となっているのは、マロマロのチット漬けだ。それに具材には、長ネギに似たユラル・パも使われている。

 カロンの肉は、胸肉であろうか。脂がゆたかで、分厚く切られているのに、とてもやわらかい。辛さはほどほどであったが、しかしマロマロのチット漬けだけでは得られない風味と深みが感じられた。


「これはおそらく、それなりの量のミャンツが使われているのでしょうね。それが余計な苦みになってしまわないように、入念に調合したのだろうと思われます」


 レイナ=ルウは、そんな風に言っていた。

 ミャンツとは、セージに似た香草である。


「なるほど。なんの香草かと思ったら、ミャンツが主体になってるのか。さすが香草に関しては、もうレイナ=ルウにかなわないな」


「いえ、わたしはただ腸詰肉に使う香草の配合で、ミャンツの香りが鼻に焼きついてしまっただけですし……」


 レイナ=ルウは、気恥ずかしさと誇らしさの入り混じった面持ちで微笑んだ。

 ボズルは空になった皿を台に返しながら、大らかに笑う。


「レイナ=ルウ殿は、我々よりも早くミャンツの香りを嗅ぎあてておりましたからな。本当に、大した舌と鼻をお持ちです」


「とんでもありません。わたしなど、マイムやマルフィラ=ナハムの足もとにも及ばないことでしょう」


 その言葉には、マイム自身が「いいえ!」と元気に応じる。


「わたしはまだそこまでミャンツという香草を扱っていませんので、ちっとも嗅ぎ分けられませんでした! ここ近年で手にした食材に関しては、レイナ=ルウにまったくかないません!」


 マイムはミケルの方針で、あれこれ食材を多用しないように心がけているのだ。馴染みの深い食材から順番に、じわじわと着実に手を広げていっているのであった。


「そういえば、シリィ=ロウはご一緒ではなかったのですか?」


 トゥール=ディンが問いかけると、ロイは「ああ」と肩をすくめた。


「ヴァルカスたちの姿が見えたんで、そっちに飛んでいっちまったよ。さっきのやりとりで、ボズルのそばにいるのが気まずくなっちまったのかもな」


「ふむ。私は余計な口出しをしてしまっただろうか?」


 アイ=ファの言葉に、ロイは「いやいや」と気安く手を振る。


「そんな気を使ってたら、シリィ=ロウとはつきあっていけねえよ。あいつはあっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら成長していく人間だろうから、遠慮なく口を出してやるのが親切ってもんさ」


「ふむ。話を聞いていると、まるでそちらのほうが兄弟子であるかのようだな」


「調理の腕じゃかなわねえけど、歳をくってるのは俺のほうだからな。世話を焼いたり焼かれたりしながら、ようようやってるよ」


 そう言って、ロイはボズルに向きなおった。


「だからボズルも、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。あいつの気性は、ボズルのほうがよくわきまえてるでしょう? 今はヴァルカスの名誉を回復させることに頭がいっぱいってだけのことです」


「うむ……いっそロイやシリィ=ロウたちも料理を供する役目を負わされていたなら、こちらも気楽であったのだがな」


「弟子の全員がそんな役目を負わされたら、8人中の4人が《銀星堂》の人間になっちまいますよ。……ま、俺より腕の立つ人間がそう何人もいるとは思えませんけどね」


 まんざら冗談でもなさそうに、ロイは白い歯を覗かせていた。

 それで会話もひと区切りとなったので、俺たちは次なるブースに向かうことにする。その道行きで、トゥール=ディンが発言した。


「やはり3日後の試食会で料理をお出しするのは、ヴァルカスとボズルだけなのですね。城下町には、ロイやシリィ=ロウほど素晴らしい料理を作れる人間がどれほど存在するのでしょう」


「さあ、どうだろう? ただ、ロイとシリィ=ロウの料理ほど、俺たちの口には合わないかもしれないね」


 ロイとシリィ=ロウは森辺の勉強会に参加していたし、森辺の民の口に合うような料理も作りたいと念じてくれている。そういう意識がない限り、城下町で流行している複雑な味付けというのは、あまり森辺の民の口には合わないのだ。


「でもまあヴァルカスやダイアの料理は素直にすごいって思えるから、他にもそういう料理と巡りあえるかどうか、期待をかけたいところだね」


 そんな言葉を交わしている間に、次のブースに到着する。

 こちらで働いているのも、見知らぬ人物だ。そこは、《ラムリアのとぐろ亭》のブースであった。


 こちらで出されていたのは、ギバのロースの炒め物であった。いかにもスパイシーな香りで、具材にはユラル・パ、ファーナ、ドルーとゲルドの食材が目白押しである。

 ユラル・パは長ネギ、ファーナは小松菜、ドルーはカブに似た野菜であるので、俺だったらまとめて炒め物に使おうとは思わないラインナップであるが、こちらの出来栄えは見事に尽きた。ルウ家の香味焼きに似た、とても刺激的で完成度の高い料理であったのだ。


 色合いが赤みがかっているのでマロマロのチット漬けを使っているのかと思ったが、これはドルーの色がにじみ出たものであるらしい。感じられるのは、ひたすら香草の風味である。山椒に似たココリとセージに似たミャンツの他に、ジギの香草が何種も調合されているようだった。


「これは美味しいけど、かなりの辛みだね。アリシュナなんかは、お好みなんじゃないですか?」


「はい」とうなずきながら、アリシュナはふたつ目の皿を要求した。どうやら2回分の試食をまとめて済ましてしまおうという考えであるようだ。


「こちら、見事です。私、シムの地、踏んだこと、ありませんが、故郷の料理、食している心地です」


「ああ、こちらの店主のジーゼという御方は、シムの血を引いておられるのですよ。もしかしたら、かなり正統派のシム料理なのかもしれませんね」


 しかしこの料理には、ゲルドの食材がふんだんに使われている。ならばやっぱり、ジーゼがジェノスで完成させた部分も多いのだろう。何にせよ、まったく文句のない味わいであった。


「まいったな。本当に、誰に星を入れるべきか決めかねてしまうよ。トゥール=ディンとマイムはどうかな?」


「は、はい。わたしは……やっぱり《アロウのつぼみ亭》の菓子に心を引かれてしまうのですが……」


「あー、さっきの菓子も美味しかったですね! でも、他の料理も見事でしたし……うーん、やっぱり決められません!」


 俺たちはようやく5つ目の料理を食したところであるのに、すでにこの有り様であった。

 現時点では、どの宿が第1位となってもおかしくないように思える。それと同時に、第1位となれない宿が気の毒でならなかった。


(やっぱり料理の出来に順番を決めるってのは、性に合わないなあ。これだったら、まだ審査される側のほうが気楽そうだ)


 そんな思いを胸に、次のブースに向かってみると――そこでは何やら、騒ぎが起きていた。試食をした人間が番をしていた人間を詰問している様子だ。


「あれ、ヴァルカスじゃないですか。いったいどうされたのです?」


 俺が声をかけると、ヴァルカスが茫洋とした面持ちで振り返った。その袖に取りすがっていたシリィ=ロウは、慌てた面持ちでこちらに向きなおる。


「な、なんでもありません。さ、ヴァルカス。騒ぎを起こすとお叱りを受けてしまいますし、ここはひとまず引き下がって――」


「何も騒ぎなどは起こしていません。この料理の来歴についてうかがっているだけです」


 確かにヴァルカスは大きな声をあげているわけでもないし、乱暴な真似をしようとしているわけでもない。ただ、シリィ=ロウが腕を離したならば、ずかずかとブースの裏側にまで踏み込んでいきそうな勢いであった。

 そしてブースの裏側では、年配の女性が困ったように微笑んでいる。とても人のよさそうな風貌で、白い調理着のせいか、食堂のおばちゃんを彷彿とさせる雰囲気だ。


「困りましたねぇ。あたしは番を頼まれただけなんで、料理については何もわからないんですよぉ」


「ですがあなたも、調理を手伝ったのでしょう? それともこちらのご主人は、ひとりですべての料理を仕上げたのでしょうか?」


「いえいえ、そりゃあ厨でもお手伝いはしましたけれど、あたしは主人の言いつける通りに働いていただけですのでねぇ」


 シリィ=ロウの慌てぶりが気の毒になって、俺は「あの」と割り込むことにした。


「失礼ですが、こちらはどの宿の料理をお出ししているのでしょうか?」


「こちらは、《玄翁亭》の料理ですよぉ」


「なるほど」と、俺は納得した。


「ヴァルカス。こちらの宿のご主人とは、俺も懇意にさせていただいています。何か疑問をもたれたのなら、俺がお答えできるかもしれません」


 ヴァルカスはまたくるりとこちらに向きなおり、シリィ=ロウをからみつかせたまま接近してきた。いちおうの用心か、アイ=ファが俺のかたわらにさりげなく進み出る。


「アスタ殿のお知り合いの宿でしたか。では、こちらの料理もアスタ殿の手ほどきによるものなのでしょうか? ……おそらく、そうではないのだろうと思うのですが」


「それじゃあ先に、俺たちも試食をさせていただきますね」


 こちらで出されているのは、ギバ肉の煮込み料理であった。

 いかにも辛そうな見た目と香りであり、やはりユラル・パやファーナが具材に使われている。その他にも、アリアやマ・プラの姿も見受けられた。


 果たして、その味わいは――ジーゼの料理にも通ずるスパイシーさである。

 こちらには、マロマロのチット漬けも使われているのだろう。しかしそれ以上に、香草の風味が強い。とても辛くて、とても香ばしくて、ほのかに酸味も感じられる。いかにも異国的な味わいであった。


「美味しいですね。でも、俺が手ほどきをした料理ではありません。というか、そもそもこちらのご主人に手ほどきをしたことはないのですが……俺の料理の影響も、それほど感じられないようですね」


「はい。わずかながらに、ぎばかれーの影響は感じなくもありませんが、それ以前にこれは生粋のシム料理であるように思います。ともにシムの地を巡ったタートゥマイも、そのように証言しています」


 タートゥマイもいちおうその場に控えていたのだが、主人の暴走の抑制はシリィ=ロウに一任していたようだ。そしてシリィ=ロウも、ようやく安堵の顔でヴァルカスの腕を解放していた。


「こちらが、生粋のシム料理なのですか。俺はシム料理を知らないので、なんとも言いようがないのですけれど……ただ、こちらのご主人はお若い頃に、シムを放浪していたそうですよ。それできっと、シム料理の作法を学ぶことになったのでしょう」


「やはり、そうでしたか」と、ヴァルカスは視線を巡らせた。


「ご主人は、貴き方々のもとですね? ちょっとそちらにお話をうかがってきます」


「だ、駄目です、ヴァルカス! 今はお役目を果たしているさなかであるのですから、そのような真似をしたら貴き方々にご不興を買ってしまいます!」


 安堵したのも束の間で、シリィ=ロウが飛び上がってしまう。

 すでに足を踏み出しかけていたヴァルカスは、普段通りのぼんやりとした眼差しでシリィ=ロウを見た。


「貴き方々のご不興を買わないように、心がけます。シリィ=ロウとタートゥマイは、こちらでお待ちください」


「だ、だから、駄目ですってば! タートゥマイも、なんとか言ってください」


 タートゥマイはわずかばかりに眉をひそめつつ、どうしたものかとばかりにヴァルカスの姿を見やっている。

 アイ=ファはひとつ息をついてから、ヴァルカスの立派な装束の襟をむんずとつかんだ。


「私もシリィ=ロウの言い分が正しいように思う。まずは水でも飲んで落ち着くがいい」


「私は落ち着いています。どうかその手をお放しください」


「どこが落ち着いているのだ。アスタの料理を口にしたときと同じぐらい心を乱しているではないか」


「ジェノスには東の方々が数多く訪れますが、やはり商人の男性ばかりであるせいか、調理の作法をわきまえておられる御方はほとんどおりません。シムで調理を学んだ御方からお話をうかがえるというのは、きわめて希少な機会であるのです」


「お前が心を乱している理由など聞いておらん。乱れた心を静めよと言っているのだ」


 ヴァルカスの襟首をつかんだまま、アイ=ファは鋭い目でその顔を覗き込んだ。


「お前は、店の主人であろうが? 主人とは、下の人間を導くべき存在であろう。その主人が、導くべき相手に心配をかけてどうする。もうしばらくすれば《玄翁亭》の主人も戻ってくるのであろうから、何も危うい真似をする理由はないはずだ」


 ヴァルカスはアイ=ファの顔をぼんやり見返してから、泣きそうな顔をしているシリィ=ロウと眉を曇らせているタートゥマイの姿を見比べた。


「……わたしはまた、道理に反する行いに及んでしまっていたのでしょうか?」


「うむ。存分にな」


「……それだけの力が、こちらの料理に存在したということなのでしょう」


 ヴァルカスはぼんやりとした顔のまま、ひとつ息をついた。


「承知しました。どうぞこの手をお放しください。……シリィ=ロウ、タートゥマイ、取り乱してしまって申し訳ありませんでした」


 シリィ=ロウは子供のようにぷるぷると首を振り、タートゥマイは落ち着いた声で「いえ」と応じた。

 とりあえず、あちこちに控えた兵士たちが出張ってくるような事態には至らなかったようである。俺も胸を撫でおろしつつ、ヴァルカスに笑いかけることにした。


「ヴァルカスは、そこまでこちらの料理に感服することになったのですね。今日の試食会には期待をかけていないようだという話だったので、そういう意味では喜ばしい限りです」


「いえ。こちらの料理も、決して十全の仕上がりではありませんでした。これだけ数多くの香草を扱うには、まだまだ修練が足りていないのでしょう」


 悪びれた様子もなく、ヴァルカスはそう言った。


「ですが、料理の基盤はできあがっていますし、ゲルドの食材を組み入れながらもジギ風の料理として正しい姿を保っています。その正しさと未熟さの混在が、いっそうわたしの胸を波立たせたのでしょう。このような料理は、あまりにもどかしくてならないのです」


「そうですか。俺には申し分ない出来栄えだと思えましたが……やはり香草の料理に関しては、ヴァルカスもひときわ見る目が厳しいようですね」


「わたしの見る目に変わりはありませんし、動きようのない事実を述べたに過ぎません。……ただし、こちらの料理を口にできたというだけで、いくぶん心を慰められました。城下町にも、これだけのシム料理を作れる人間はそうそう存在しないことでしょう」


「なるほど。他の料理は、ご満足いかなかったのでしょうか?」


 俺の問いかけに、ヴァルカスは少しだけ言いよどんだ。


「もちろん、満足はしていません。ですが……わたしの予想よりは、遥かに料理の水準が高いようです。ただし、本当の意味で完成している料理というものはなかなか存在しないようなので……それらのもどかしさも相まって、わたしは心を乱してしまったのでしょうか?」


「いや、ヴァルカスのお気持ちはわかりませんけれど……ヴァルカスに水準が高いと言っていただけるのは、ありがたいことですね」


 俺がそのように答えたとき、前方からぞろぞろと見慣れた顔が近づいてきた。すでにひとたび遭遇している、ユン=スドラたちの一行である。


「ああ、アスタにヴァルカス。《玄翁亭》の料理を召しあがったのですか? こちらも素晴らしい出来栄えでしたね」


「やあ。そっちはもう一周できたのかな?」


「空いている場所から料理をいただいていったので、あとは《ラムリアのとぐろ亭》のみとなります」


 俺は、ヴァルカスに向きなおった。


「ヴァルカスは、もう《ラムリアのとぐろ亭》の料理を試食しましたか?」


「いえ」と答えたのは、タートゥマイであった。


「すでに5つの料理を食していますが、その宿の料理はまだ口にしていないかと思われます」


「そうですか。そちらの宿のご主人はシムの血をひいており、かなり見事な香草の料理をお出ししていましたよ」


 茫洋としたお顔のまま、ヴァルカスは緑色の瞳を光らせたようだった。


「では、ご主人たちが戻られるのを待つ間、そちらの料理も食しておきましょう。それはどちらで出されているのですか?」


「あ、それじゃあわたしたちがご案内いたします」


 ユン=スドラたちに囲まれて、ヴァルカスが隣のブースに向かっていく。

 その通りすぎざまに、俺はシン=ルウに小声で呼びかけた。


「ヴァルカスは見事な出来栄えの料理を口にすると、心を乱してしまうようなんだ。おかしな騒ぎにならないように、シン=ルウが見守ってあげてくれないかな?」


 シン=ルウは言葉少なく「承知した」と言い置いて、ユン=スドラたちを追いかけていった。

 さらにその後を追おうとしていたシリィ=ロウが、もじもじとしながらアイ=ファに近づいてくる。


「あの……さきほどはお力を添えていただき……どうもありがとうございました」


「大事ない。お前も苦労は尽きぬだろうが、主人のために力を尽くすといい」


 シリィ=ロウもだいぶんめげていたのか、常にないほどしおらしい様子で「はい」と応じて、大事な主人の後を追った。

 俺たちは、逆の方向へと歩を進める。残る料理は、あと2種であった。


 次のブースで働いていたのは、名前は知らないが顔馴染みである《南の大樹亭》の若い従業員である。俺たちの接近に気づいた若者は「どうも」と穏やかに笑いかけてきた。


「ついさきほど、別の森辺の方々も立ち寄っていかれましたよ。そちらは、まだ口にされていませんよね?」


「はい。4人分お願いします」


《南の大樹亭》の料理は、やはりマロマロのチット漬けを使った煮込み料理であった。

 ただし、ミソとタウ油と砂糖もふんだんに使って、甘辛く仕上げている。シム風の辛い料理を立て続けに食していたせいか、そのまろやかな甘みに優しく舌を包まれる心地であった。


 ナウディスは和風の煮込み料理を得意にしているので、そこから発展させた料理なのだろう。マロマロのチット漬けの辛みがアクセントとなって、普段とは異なる魅力も生まれている。具材はやはりギバ肉と、アリアにチャッチにチャムチャムにユラル・パというラインナップであった。


 タマネギに似たアリアと長ネギに似たユラル・パもぶつかることなく、仲良く共存している。ジャガイモに似たチャッチとタケノコに似たチャムチャムの食感も心地好く、ナウディスらしいほっとする味わいであった。


(これも完成度は高いよな。やっぱりなかなか、順番なんてつけられないや)


 そうして俺たちが少量の料理を噛みしめていると、また見知った面々が近づいてきた。今度はヤンとニコラ、プラティカとククルエルの混成軍だ。


「ああ、アリシュナ。お姿が見えないと思ったら、アスタたちとご一緒だったのですね」


 ククルエルの呼びかけに、アリシュナは「はい」と一礼した。


「アスタたち、お世話、なっていました。そちら、平穏でしたか?」


「ええ。前回と同じく、心安らかに料理の味を楽しませてもらっています」


 きっとプラティカを仲介として、この一団が形成されることになったのだろう。

 俺がそんな風に考えていると、ヤンが柔和に微笑みかけてきた。


「今日は素晴らしい料理の目白押しですね。宿場町でもこれだけ調理の技術が上がっていたのかと、いささかならず驚かされました」


「はい。ヤンの伝授した料理も素晴らしい出来栄えでありましたよ」


「ですが、アスタ殿の伝授した《キミュスの尻尾亭》の料理にはかなわないことでしょう。あの完成度には、感服いたしました」


 そう言って、ヤンはいっそうやわらかく目を細めた。


「それに、《タントの恵み亭》と菓子を出している2軒を除けば、すべての宿がギバ肉を使っているようですね。城下町でも現在の流行はギバ料理ですので、カロン料理が星を集めることは難しいでしょう」


「そうですか。ヤンは宿場町でカロンの胴体の肉を流行らせるために、あえてギバ肉の使用を控えているのですから、ちょっと残念なところですね」


「それがわたしの仕事なのですから、何も残念なことはありません。主人のタパス殿も、本日の味比べにはまったく頓着していない様子です」


「ああ、タパスは試食会の成功を一番に考えているようでしたね。そういえば、料理を出す場にも姿が見えなかったようですが」


「他の宿の様子を見て回っているのでしょう。商会長というのは、実に苦労の多いお役目であるようです」


 ヴァルカスの乱に巻き込まれていたせいか、ヤンの落ち着きが心にしみいってくるかのようだった。食しているのがナウディスの料理なものだから、リラックス効果も倍増である。

 すると、同じものを食したククルエルが「なるほど」と声をあげた。


「こちらは、いかにもジャガル風といった料理のようですね。ジャガルの王家の方々の主催であるのにシム風の料理のほうが目立っているような気がして、いささか不思議に思っていました」


「宿場町では、シム風やジャガル風と区別をつける風潮も薄いですからね。ただ、シムやジャガルにご縁のある宿だけが、こうしてそれらしい料理を出しているだけなのだと思います」


「ああ、こちらは《南の大樹亭》の料理なのですね。確かにあの御方は、南の血を引いておられるようでした」


「え? ククルエルは、ナウディスをご存じなのですか?」


「名前まではうかがっていませんが、前々回の復活祭でギバ料理を扱っていた宿屋は、のきなみ巡ったことがあったのです。最初の日などはどこの食堂でもギバ料理が売り切れで、空腹を抱えたまま宿場町をさまようことになりました」


 東の民でなければ微笑みのひとつも浮かべそうな、穏やかな語り口調であった。それもまた、俺の心をじんわりと和ませてくれる。


「そんな昔に、そんなお手間をかけてくれていたのですね。ありがたい限りです」


「それだけ当時から、ギバ料理が評判であったのですよ。そうして1年半ほどが経過した現在は、これだけ数多くの宿屋がギバ料理を扱うことになったということですね。アスタたちの尽力が実を結んだことを、得難く思います」


 確かに、8軒中の5軒がギバ料理を扱ってくれるというのは、光栄の至りであった。しかも、その完成度にまさりおとりがないとあっては、なおさらである。


「ヤン様。そろそろ半刻が経つようです。その前に、ひと通りの料理を口にしておくべきではないでしょうか?」


 と、《南の大樹亭》の料理を食べ終えたニコラが、主人をそのようにせっついた。向上心の豊かなニコラは、本日も大いなる熱情をもってこの試食会に臨んでいるようだった。

 そしてそのかたわらにいたプラティカは、紫色の鋭い瞳でアリシュナを見据える。


「アリシュナも、こちらに同行、如何ですか? 東の民、なるべく身を寄せ合うべき、思います」


「はい。……アスタたち、いささか離れ難いですが」


「私とて、森辺の方々、交流を深めたい、願っています。ですが、遠慮、知るべきでしょう」


 と、アリシュナよりは感情のこぼれやすいプラティカが、ぐっとアリシュナをにらみつける。アリシュナは、観念した様子で俺たちのほうを振り返った。


「では、こちらで失礼いたします。またのちほど、言葉、交わせれば、幸いです」


「はい。会はまだまだ半分も終わっていないのでしょうから、いくらでも機会はあると思いますよ」


 そのとき、銀の鈴が打ち鳴らされた。

 ポルアースから、貴き方々も広間を巡回するという旨が告げられる。ようやくあちらでも、試食の前半戦が終わったということだ。


「トゥール=ディンは、オディフィアにご挨拶をしたいだろうね。その前に、最後の料理を試食しておこうか」


 アリシュナたちに別れを告げて、俺たちは最後のブースを目指す。

 その行き道で、せかせかとした足取りの人物に追い抜かれた。ずいぶん小柄だが、壮年の男性であるようだ。そしてそのずんぐりとした身体には、白い調理着を纏っている。


 その人物は、俺たちが目指していたブースにひと足早く到着した。

 つまりは、この宿の料理の責任者であったのだ。解説役の仕事を終えて、現場に駆けつけてきた、ということなのだろう。


「失礼します。こちらの料理を試食させていただきますね」


 俺がそのように声をかけると、その人物は「はいはい」と愛想よく応じてきた。

 小柄で、ずんぐりとした体形で、酒でも飲んでいるように赤い顔をした人物だ。宿屋の寄り合いで見たような覚えがあるので、きっと宿の主人なのだろう。


「おや、森辺の方々でしたか。どうぞどうぞ、料理ではなく菓子ですが、味を見てやってください」


 ここは俺が唯一名前を知らなかった、《ランドルの長耳亭》という宿のブースであった。

 卓の上にずらりと並べられているのは、平たい三角形に切り分けられた菓子だ。生地は淡いオレンジ色で、天辺だけがほんのり焦げ色であるため、チーズケーキに似た外見である。


(そっか。ミラノ=マスも、この宿は菓子を出してたって言ってたっけ。なんか、ゲルドの食材の扱いが巧みだって話だったよな)


 俺は期待を込めながら、その菓子を味わわさせていただいた。

 そしてトゥール=ディンなどは、それ以上に期待のこもった面持ちで菓子を口にしていたのだが――俺たちは、ほとんど同時に驚嘆の声をあげることになった。


「これは……美味ですね」


「うん。ワッチと乾酪の風味が豊かだね」


 ワッチというのは、夏みかんに似た果実だ。その風味と甘みがぎゅっと濃縮されており、そこに乾酪や乳脂といった乳製品の風味が折り重なっている。見た目ばかりでなく、味わいや食感もチーズケーキに似ているように思われた。


「乾酪を使った菓子というのは、珍しいですね! でも、すごくて甘くて美味しいですし、ワッチの存在もこの上なく調和しているように思います!」


 マイムがそのように言いたてると、《ランドルの長耳亭》のご主人は「ありがとうございます」と笑み崩れた。


「森辺の方々にそうまで言っていただけるのは、ありがたい限りですね。この菓子の作り方を教えてくれた母親も、天の上で喜んでくれていることでしょう」


 その言葉に、トゥール=ディンが「え?」と驚きの声をあげた。


「ちょ、ちょっとお待ちください。宿場町はつい先年まで砂糖も蜜も流通していなかったので、菓子そのものが存在しなかったという話であったはずですが……」


「ああ、わたしはジェノスじゃなく、アブーフの生まれなんですよ。両親を戦でなくしちまった後、流れ流れてこのジェノスまで行きついたってわけです」


 アブーフというのは、マヒュドラとの国境に位置するという北の果ての領地であるはずであった。

 そういえば、このご主人の赤い肌は、かつてトゥランで働かされていた北の民たちに似ているかもしれない。ジェノスの強い日差しによって、彼らは赤銅色の肌になってしまっていたのだ。


「ここだけの話、アブーフには砂糖ばかりじゃなく、ゲルドやマヒュドラの食材ってのも流れてきてまして。母親は、それでこのワッチの菓子を作ってくれてたってわけです」


「そうだったのですか。……あれ? だけどゲルドが西の領地と食材のやりとりをするのは、ジェノスが初めてという話ではありませんでしたか?」


「ですから、戦利品ってやつですよ。ゲルドの食材も、マヒュドラの領地からぶんどってきたんでしょう。わたしが小さい頃なんかは、あのあたりが最前線でしたからねぇ。……アブーフに城塞を築いてからは、北の連中もずいぶん大人しくなったって噂ですが」


 そう言って、ご主人は屈託なく微笑んだ。


「ま、そんなわけで、わたしは最初から菓子作りの知識を持ち合わせてたってわけです。ジェノスで砂糖を買えるようになったときは、嬉し涙が止まりませんでしたよ。実際にこしらえるのは20年ぶりぐらいでしたけど、なかなか悪くない出来栄えでしょう?」


 悪くないどころか、これは《アロウのつぼみ亭》の菓子にも匹敵する出来栄えであるように思えてならなかった。


(まいったな。こいつはとんだダークホースだ)


 8軒の宿屋が供した、料理と菓子。それらはすべてが素晴らしい出来栄えであり――俺はけっきょくこの段に至っても、どれに星を入れるべきかまったく見当もつかなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] アスタがシン=ルウに命令してる…
[一言] ヴァルカス「またわたし何かやっちゃいました?」
[一言] アブーフ。懐かしい名前が出てきてびっくり。 あっちも続きが楽しみだ。
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