試食会・宿屋編②~開会~
2021.5/16 更新分 1/1
「本日も無事に試食会を開催できたことを、喜ばしく思います」
いったん席に着いたポルアースがすぐに立ち上がって、開会の挨拶を始めた。
横並びの席に着いたのは、前回とまったく同じ顔ぶれだ。右端から、ダカルマス殿下とデルシェア姫、ジェノス侯爵家のマルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィア、使節団の団長たるロブロス、フォルタ、書記官、ダレイム伯爵家のポルアース、メリム、外交官のフェルメス、ジェノスの外務官とその伴侶、サトゥラス伯爵家のルイドロス、リーハイム、そしてトゥラン伯爵家のリフレイア、トルストという並びになる。
「まずは、本日の料理とそれを手掛けてくださった方々をお迎えいたしましょう。扉から壁際までの道を空けて、お待ちください」
扉の付近にたたずんでいた人々が慌てて移動をすると、小姓の手によって扉が開かれた。
料理をのせたワゴンとそれを押す小姓や侍女たち、それに白装束を纏った宿屋の人々が入室してくる。5日前には、俺たちがこうして入場を見守られる立場であったのだった。
料理を手掛けた宿屋の人々は、さすがに緊張気味であるようだ。自分たちの料理を王族や貴族の方々に食されて、しかも味比べまでされてしまうのだから、緊張するなというほうが無理な話であろう。
ワゴンは壁際のブースまで運ばれ、宿屋の人々は貴き方々の並んだ席のほうにまで案内をされる。その全員が集合したところで、ポルアースが宿屋の厨番たちを紹介し始めた。
《キミュスの尻尾亭》のレビとラーズ、《南の大樹亭》のナウディス、《玄翁亭》のネイル、《西風亭》のユーミと手伝いのルイア、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼ――俺が名前を知るのはそこまでで、《タントの恵み亭》、《アロウのつぼみ亭》、《ランドルの長耳亭》は見知らぬ人々だ。その全員が、助手となる人間とペアになっている。
ただし、主人ならぬ人間が厨番をつとめている宿屋に関しては、主人かその代理人が同行していた。そこで名を知るのは、テリア=マスとサムスとタパスとレマ=ゲイトの4名だ。調理に関わるのは2名までという取り決めであったため、それらの人々は調理着ならぬ立派な格好をしていた。
「以上、8つの宿屋の方々が、本日の料理を準備してくださいました。我々は5日前と同じようにそれを試食させていただき、味比べの儀を行うことになるわけでありますね」
人々はお行儀よく口をつぐんで、ポルアースの言葉を聞いている。
今回は、貴き方々が19名、城下町の料理人が38名、宿屋の関係者が21名、森辺のかまど番が8名、その他の客人が7名で、合計は93名という話であった。
ただし、料理を供する人々も投票権はないが試食をする権利はあるので、あと20余名分は料理が必要になる。作る料理はそれぞれ1種ずつであったものの、なかなかの労力であったことだろう。
「そういえば、ロイたちも参席を許されて何よりでしたね。他の料理店の方々は、店主だけがいらしているのでしょう?」
俺がこっそり呼びかけると、ロイも小声で「ああ」と応じてきた。
「王家の方々が、どこかで俺たちの評判を聞いたらしくてな。《銀星堂》だけは、弟子の参席が認められたんだ」
さすがはダカルマス殿下の情報網である。
そうして俺が感心している間に、ポルアースの挨拶も終わりに近づいていた。
「それでは、試食会を開始いたします。一刻の後に味比べの儀を開始いたしますので、それを目処に試食をお進めください」
5日前と同じように、責任者の8名だけが貴き方々の席に居残り、助手と店主たちはそれぞれのブースに移動した。
大広間の人々は、慌てず騒がず手近なブースに列を作る。それを見やりながら、俺はまた新たな感慨を噛みしめていた。
(そうか、レビたちも貴き方々の目の前で試食をしながら、自分の料理の解説をすることになるのか。俺が言うのも何だけど……これはなかなかの大仕事だな)
ともあれ、俺たちも自分の役目を果たさなければならなかった。
レイナ=ルウやロイたちに別れを告げて、空いていそうなブースを探す。俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとマイム、それにアリシュナという愉快な顔ぶれである。俺のかたわらにぴったりと寄り添ったアイ=ファは、しずしずとした足取りで追従するアリシュナを横目で見やった。
「……会が始まったのだから、プラティカやククルエルも来場したのではないだろうか?」
「はい。ですが、この人混みの中、探すこと、難しいですし、アスタやアイ=ファ、ともにあれること、喜びを抱いています」
そう言って、アリシュナは優雅なシャム猫のように小首を傾げた。
「アイ=ファ、私、忌避していますか? 私、アイ=ファ、好ましく思っていますので、悲しく思います」
「いや、べつだん忌避しているわけではないが……」と、アイ=ファは言葉を濁らせる。もともとアイ=ファとアリシュナは、それほど相性がよくなかったのだ。
だが、邪神教団に平穏を脅かされた際には、ともに手を取り合った仲である。また、アリシュナは気の毒な境遇にあったチル=リムにたいそう心を砕いていたので、アイ=ファも少なからず彼女の優しさに胸を打たれたはずであった。
(だけどやっぱり、苦手意識は払拭しきれないのかな。アリシュナは、ちょっと独特のお人柄だからなあ)
そんな思いを胸に、俺たちも行列に並ぶことにした。
8つのブースに対して、広間を自由に行き来している参席者の数は70名強だ。ただし小姓や侍女たちが貴き方々のために料理を運んでいるので、そのぶん列は長くなる。
しばらくして、俺たちが料理を受け取る番になると――そこは、《キミュスの尻尾亭》のブースであった。料理を配っているのは白装束のラーズで、そのかたわらに不安そうな顔をしたテリア=マスが控えている。
「いらっしゃい。さっそく食べに来てくださったんですかい?」
「あ、はい。貴き方々のところには、レビが居残ったのですか」
「ええ。あっしみたいな人間が貴き方々の前で語るなんて、あまりに恐れ多くってねえ」
ラーズはとても柔和な親父さんであるが、もともとは賭博で身を持ち崩した貧民窟の住民であったのだ。さらには賭場でイカサマがバレて、右手の指を2本奪われてしまったのだった。
「アスタたちには食べ飽きた料理でしょうが、どうぞ食っていっておくんなさい」
「いえいえ。そんなにしょっちゅう食べさせていただいているわけではありませんからね。ひさびさのラーメンを楽しみにしておりましたよ」
「それじゃあ、ちょいとお待ちを」
ちょうど作り置きがなくなったところであったので、新たな麺が茹でられることになった。本日は、現場で料理を仕上げることが許されたのだ。普段の城下町の会ではありえない所業であるが、宿場町の屋台には現場で仕上げる献立が多いという面が鑑みられたのだろう。
間もなく1年のつきあいとなるラーズが、城下町の宮殿でラーメンをこしらえている。これもなかなかに、非日常的な光景であった。
しかもラーズは、白い調理着の姿である。それは俺の想像よりも遥かに似合っており、本当にラーメン屋の店主そのままの姿であった。
「テリア=マス、大丈夫ですか? ずいぶん不安そうな面持ちのようですけれど……」
と、トゥール=ディンがラーズのかたわらにたたずむテリア=マスへと声をかける。前回と同じくワンピースのような装束を纏ったテリア=マスは、心もとなげに「はい」と答えた。
「レビが貴き方々にお叱りを受けたりしないか、心配で……アスタ、本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫ですよ。ダカルマス殿下やデルシェア姫の大らかさは、テリア=マスもご存じでしょう? 俺だって礼儀作法なんて何もわきまえていませんが、お叱りを受けることはありませんでした」
「そうですか……」と、テリア=マスは嘆息をこぼす。レビを憎からず思うテリア=マスであれば、誰よりも心配になってしまうのだろう。
そうして俺たちが語らっていると、後ろに並んでいた人々が立ち去ってしまった。まだしばらく料理は供されないと見て、他のブースに向かってしまったのだろう。
そこに、新たな人影が近づいてくる。
それは、ダイアとティマロと見慣れない若者であった。ダイアと伯爵家の料理人は弟子を連れることを許されているはずなので、きっとダイアの弟子なのだろう。
「おや、ようやくお目にかかれましたねえ。お疲れ様でございます、森辺の皆様方」
まずはダイアがにこやかに挨拶をしてくれる。それに続いて、ティマロが「どうも」と厳しい眼差しを向けてきた。
「これほど頻繁にお会いできるのは、かつてなかったことですな。大変喜ばしく思いますぞ」
「こちらこそです。……でも、ティマロはあまりご機嫌がよろしくないようですね」
「そのようなことはありません。ただ……」
そこまで言いかけて、ティマロはぶすっと口をつぐんでしまった。
すると、それに代わってダイアが説明してくれる。
「わたくしどもはあちらで別の料理をいただいてきたところなのですが、その出来栄えが素晴らしかったものですから、たいそう驚かされてしまったのでございますよ」
「あ、もう別の料理を口にされたのですか。どこの宿屋の料理でしょう?」
その回答は、《南の大樹亭》であった。
俺が「なるほど」と納得すると、ティマロがぐぐっと顔を寄せてくる。
「アスタ殿。もしやその宿屋の方々には、アスタ殿が手ほどきをされたのでしょうかな? どこか、アスタ殿と相通ずる作法であるように思いましたぞ」
「いえ。あちらのご主人は、もともと調理を得意にされていたようです。ただ、以前にけっこう長い期間、俺の料理を売り渡していましたので……多少はその影響が出ているのかもしれませんね」
そのように答えながら、俺はブースで働くラーズのほうを指し示してみせた。
「俺が料理の手ほどきをしたのは、こちらの《キミュスの尻尾亭》という宿屋です。でも、こちらの料理の味を完成させたのは、宿の方々ですよ」
ティマロは厳しい面持ちのまま、ラーズのほうに向きなおった。
ちょうど麺の湯切りをしていたラーズは、それを器に取り分けながら、にこりと微笑む。
「もうすぐ仕上がりますんで、ちっとばっかりお待ちください」
スープにひたされた麺の上に、熱を通されたオンダとナナール、それにマロマロのチット漬けのトッピングがのせられる。もともと屋台で売られているミニラーメンのさらに半分ていどのサイズで、ギバ・チャーシューは添えられていなかった。
「お待たせいたしやした。お代は……おっと、いつものクセが出ちまいやしたね」
本日は、城下町で準備された陶磁の器にラーメンが盛られている。こちらの4名とティマロたちがそれを取り上げても、台にはまだ3つの器が残されていた。
「放っておいたら、冷めちまいやすね。お嬢さん、申し訳ねえんですが、そのあたりのお人に声をかけちゃくださいませんか?」
「あ、はい。承知いたしました」
テリア=マスの声かけで、近くを歩いていた人々もこちらに寄ってきた。
その間に、俺たちは出来立てのラーメンを食させていただく。
ラーズのラーメンを食べるのはひさびさのことであったが、相変わらずの美味しさであった。
マロマロのチット漬けのトッピングには、ギバのミンチがふんだんに練り込まれている。このサイズなら、チャーシューの不在を物足りなく感じることもないだろう。俺が開発した担々麺と似て異なる、一種独特の美味しさだ。
「これはまた、さきほどの料理に負けない美味しさでございますねえ」
ダイアは満足そうに息をついており、ティマロと若者は驚嘆の表情であった。
「このような料理が……宿場町の屋台で売られているのですか?」
ティマロの呆然とした問いかけに、新たな麺を茹で始めていたラーズが「へい」と応じる。
「次の白の月で、おおよそ1年ってとこですか。あっしみたいな素人がいっぱしの料理を作れるようになったのも、みんなアスタのおかげでございやすよ」
「……失礼ですが、ご主人は以前から料理人を?」
「ご主人なんて、とんでもない。あっしは《キミュスの尻尾亭》の末席に居座らせていただいてる新参者です。アスタに手ほどきを受けるまでは、手前の食うものをこしらえてたぐらいでやすよ」
ティマロはいっそう愕然とした様子で、俺に向きなおってきた。
早々に完食してしまった俺は、補足説明をさせていただく。
「手ほどきと言っても、俺は数日おつきあいしただけです。あとはご本人たちの努力の賜物ですよ。ついでに言うと、マロマロのチット漬けに関しては通りいっぺんの扱い方しかお伝えしていませんしね」
「驚くべき話です……いったい城下町に、マロマロのチット漬けをこうまで見事に扱える人間が、何人いるでしょう」
ティマロは意外になよやかな指先を、いくぶん広くなりかけている額にあてがった。
「それに、この煮汁の味わいです。これは、キミュスの出汁ですね? よほど手間をかけなければ、これだけしっかりとした出汁は取れないことでしょう。それがマロマロのチット漬けやミソの風味と相まって、この上ない味わいを完成させております。まさか宿場町で、これほどの料理が売られているなどとは……!」
「みんな、アスタのおかげでございやすよ」
「いえいえ。ラーメンなんて、一朝一夕でここまで仕上げられる料理ではありません。ラーズとレビの努力が実を結んだのです」
確かに俺は、ラーメンのレシピをラーズたちに伝授した。少なくとも、ラーズたちだけでは中華麺を考案することさえ不可能だっただろう。
しかしまた、俺が手ほどきをしたのはほんの数日限りのことであるのだ。料理人でもない人間が、麵打ちから出汁の取り方まで一から学んで、これだけの完成度をものにするには、とほうもない熱情が必要となるはずであった。
「わたくしも宿場町では森辺の方々の屋台でしか料理を口にしておりませんので、心から驚かされてしまいましたねえ。まだふた品しか口にしていないのに、もうどなたに星を入れるべきか決めかねてしまいます」
ダイアは、そのように語っていた。
ダイアはもちろん、ティマロだって城下町では屈指の料理人であるはずだ。その両名からここまでのお言葉をいただけるというのは、心強い限りであった。
「3日後には、わたくしどもが料理を供するお役目を賜りました。これはよほど力を尽くさなければ、宿場町の方々に失望されてしまいそうでございますねえ」
「ダイア殿に限って、そのようなことは! ……しかし、力を尽くす必要はありましょうな」
ティマロは、爛々と双眸を燃やしている。すると、ずっと静かにしていたトゥール=ディンが声をあげた。
「あの、3日後の試食会では、ティマロも料理を供するのでしょうか?」
「無論です! 8名もの人間が選出されたというのに、わたしが外される道理はありませんぞ!」
「そ、そうですか。……ティマロの料理を口にできるのは本当にひさびさのことですので、3日後を楽しみにしています」
トゥール=ディンがおずおずと微笑みかけると、ティマロも気を取り直した様子で咳払いをした。
「その次には、森辺の方々で試食会が開かれるのですな? わたしもトゥール=ディン殿の菓子を楽しみにしております」
「はい。がっかりさせてしまわないように、わたしも力を尽くします」
そういえば、ティマロはかつてトゥール=ディンに「ダイアの菓子を口にするべき」と助言を与えた立場であったのだ。それが今では、こうしてダイアとともに語らいの場を持っている。それも俺たちが過ごしてきた時間の長さを再確認させられる事実であった。
そうしてついには、ティマロやダイアがラーズと知遇を得ることになったのだ。ダカルマス殿下の素っ頓狂な行いが、このように数奇な運命をもたらしてくれたのだった。
「それじゃあ俺たちも、次の料理の試食に向かいます。またのちほど、時間があったら意見交換をお願いいたしますね」
そんな言葉を告げて、俺たちは次なるブースに向かうことにした。
その道中で、アリシュナにも声をかけてみる。
「アリシュナは、ラーメンを食べたことはありましたっけ? 少なくとも、マロマロのチット漬けを使ったラーメンは初めてですよね」
「はい。美味でした。城下町、あれほど美味な料理、多くない、思います」
「ラーズたちのらーめんは、本当に美味しいですものね! わたしも、大好きです!」
にこにこと笑いながら、マイムも会話に加わってきた。
「それにさっきの方々は、他の宿の料理もそれに負けていないと仰っていましたね。他の宿の料理を口にするのは復活祭以来ですので、とても楽しみです!」
「うん。そっちの屋台に通ってるプラティカやニコラも、かなりの出来栄えだって評価してるもんね。俺もけっこうひさびさだから、楽しみだよ」
そうして次なるブースに到着すると、そちらではさきほど別れたばかりのユン=スドラたちが列を作っていた。同行している護衛役は、シン=ルウだ。
「やあ、さっそく出くわしちゃったね。料理の完成待ちかな?」
「はい。こちらは《西風亭》の屋台ですよ」
屋台で働くのは、ユーミの友人であるルイアである。ごく普通の宿場町の少女であるルイアが、城下町の調理着で調理に励んでいる。これもまた、なかなか奇異なる光景だ。
そしてそのかたわらには、腕を組んだサムスがふんぞり返っていた。
「なんだ、また森辺の連中か。いま焼き始めたところだから、しばらく待ってな」
サムスも立派な装束に身を包んでいたが、かつては荒くれものであったという強面であるため、どこか山賊の首領めいた貫禄だ。
ちなみに《西風亭》の食堂においては、もともとユーミとシルが調理を受け持っている。それでどうしてシルではなくルイアが引っ張り出されたかというと――サムスが自分抜きで伴侶を城下町にやることを嫌がったためと、家族3名が同時に宿を空ける事態を避けたためであった。
いっそユーミを主人の代理人に仕立ててしまえば、サムスが来場する必要もなかったのだが。今回ばかりは、娘に一任する気にはなれなかったらしい。もしも娘が危うい目にあうようならば、相手が貴族だろうが王族だろうがただではおかない――とでも言いたげな気迫が感じられてならなかった。
(こう見えて、サムスは情に厚いお人だもんなあ)
俺がひとりで納得していると、ルイアが「熱っ!」と声をあげた。どうやらうっかり、熱い鉄板に触れてしまったらしい。
「おいおい、大丈夫か? お前さんの指を焼いても食えやしねえぞ」
「だ、大丈夫です。ちょっとよそ見をしていたもので……」
そのように答えるルイアは、頬を赤く染めている。そしてその目は、シン=ルウのことをちらちら見やっているようであった。
ユーミの助言によってシン=ルウへのほのかな恋心は封印したはずのルイアであったが、この凛々しい武者姿にはついつい目を引かれてしまうのだろう。かくも罪作りなシン=ルウの器量であった。
「お、お待たせしました。料理をどうぞ」
やがて完成した料理が、皿にのせられていく。
《西風亭》が供しているのは、新作のお好み焼きであった。ギバ肉ばかりでなく、アマエビに似たマロールやイカタコに似たヌニョンパまで使った、いわゆるミックス仕立てのお好み焼きだ。
何ヶ月か前、俺の故郷にはそんなお好み焼きもあったんだよと教えると、ユーミが面白がってこの献立を完成させたのである。《西風亭》では値の張る料理も買い手がつきにくいという話であるのだが、ときたま賭博などで大勝ちをした人間が豪華な料理を求めることもある。それに備えて、店の看板になるような目玉の料理を考案したのだという話であった。
さらにこちらのお好み焼きでは、生地に海草の出汁やギーゴや卵までもが使われており、おまけにギャマの乾酪が練り込まれている。
さらにさらに、味付けには魚醤とマロマロのチット漬けを添加した、ピリ辛のソースが掛けられていた。雨季でティノが使えない間、《西風亭》ではチヂミ風のお好み焼きを出しており、そちらでこのピリ辛ソースが使われているのだ。それが本年は、ゲルドの食材でグレードアップされていたのだった。
同時に通常通りのマヨネーズも添えられていたが、こちらもピリ辛ソースといい具合に調和している。きっと俺たちのようにあれこれ頭をひねることもなく、とにかくゴージャスに仕上げようという心意気が、この結果を生み出したのだろう。実にユーミらしい手際であり、そして素晴らしい仕上がりであった。
「うわあ、これは初めて食べました! こんなに色々な食材を使っているのに、味がぶつかっていないのはすごいですね!」
マイムがそのように評すると、トゥール=ディンも「そうですね」と同意した。
「レイナ=ルウもギバ肉とマロールを使って、見事な汁物料理を考案していましたけれど……さらにヌニョンパまで同時に使えるなんて、すごいと思います。まよねーずとそーすの強い味が、それらの食材を調和してくれるのでしょうか?」
「そうだねえ。城下町の方々は、こういう料理をどう思うんだろう?」
俺の問いかけに、新しい生地の準備をしていたルイアがにこりと微笑む。
「さっき、城下町の方々が立ち話をしているのが聞こえてきたのですけれど……こんなに乱暴な料理は見たことがない、と驚いているようでした」
「ああ、生地にこれだけの具材を混ぜ込んで焼きあげるっていうのは、やっぱり乱暴に感じられちゃうのかな」
「はい。でも、非難している様子ではありませんでした」
では、こんなに乱暴な料理であるのに美味である、と驚いていたのだろうか。
城下町の料理人たちにもマヨネーズの有用性を理解してもらえたら、幸いなところであった。
「……おい、ユーミのやつはちっとも戻ってこねえじゃねえか。貴族どもに難癖をつけられてるんじゃねえだろうな?」
と、サムスが俺に呼びかけてくる。
娘思いのサムスのために、俺が安心をさせてあげなければならなかった。
「あちらでは、8種類の料理の解説をしながら試食を進めているのです。半刻はかからずに戻ってくると思いますよ」
「ふん。戻ってきたとき、首と胴体が生き別れになってないことを祈るばかりだな」
そこに新たな人々が押し寄せてきたので、俺たちも退却を余儀なくされた。
こちらはこちらで8種の料理を2回に分けて味わわなければならないのだ。一刻という制限時間の中でそのお役目を果たせるように、次なるブースに向かうことにした。
現場で料理を仕上げる人間が少なくないために、大広間にはさまざまな香りがたちこめてしまっている。
しかし次のブースには、それを圧するほどの甘い香りがたちこめていた。
そしてその場には働く人間の姿もなく、その代わりにけばけばしい衣装を纏ったレマ=ゲイトが小山のように立ちはだかっている。こちらは、《アロウのつぼみ亭》のブースであったのだ。
「あ、お疲れ様です、レマ=ゲイト。やっぱり《アロウのつぼみ亭》では、菓子をお出ししているのですね」
俺よりも早く、トゥール=ディンがレマ=ゲイトに声をかけた。
本日も原色のお化粧をほどこしたレマ=ゲイトは、あぐらをかいた鼻から「ふん!」と豪快に鼻息を噴出させる。
「そりゃあうちで評判なのは菓子なんだからね。もちろん普通の料理だって負けやしないけど、他の宿に手加減をしてやる筋合いなんてないだろうさ」
「はい。《アロウのつぼみ亭》の菓子を口にできるのなら、オディフィアも喜ぶと思います。……そういえば、屋台のほうにジェノス城のお人は来られたのでしょうか?」
「そんなもんは、来やしないよ。どうせ貴族流の社交辞令だったんだろうさ」
「そうですか……もしかしたら、今日の試食会のことを聞かされて、それまで我慢しようと考えたのかもしれませんね。味比べの儀に臨むには、この場で初めて食べるほうが望ましいのでしょうから」
そんな風に語らいながら、トゥール=ディンはあどけなく微笑んだ。
「何にせよ、きっとオディフィアは喜んでくれるはずです。今頃は、もうあちらで口にされているかもしれませんね」
そのとき、アイ=ファがさりげなく後方を振り返った。盆を抱えた侍女ならぬ娘さんが、ひょこひょことこちらに近づいていたのだ。
「次の料理を持ってきたよ。まったく、これぐらいは自分の足で取りにいってほしいもんだよねぇ」
「やかましいね。下働きの人間が、主人に文句を抜かすんじゃないよ」
「はいはい」と気安く応じながら、その娘さんは色っぽく肩をすくめた。
誰かと思えば、普段から《アロウのつぼみ亭》の屋台で働いている娘さんである。彼女も調理着の姿であったため、さきほどの紹介の際には見落としてしまっていたようだ。
背が高くて色気たっぷりの娘さんは、俺たちの存在に気づいて「あら」とあだっぽく微笑んだ。
「誰かと思えば、森辺のお人らかい。そっちの男前さんは、ちょいとひさびさだね」
この場に男性は、俺しかいない。右頬にアイ=ファの視線を感じつつ、俺は「どうも」と頭を下げてみせた。
「おひさしぶりです。あなたもいらしていたのですね」
「ああ。心ない主人にコキ使われてるよ。うちの菓子は、もう食べたのかい?」
「いえ、これからいただくところでした」
こちらのブースには、菓子ののせられた皿がずらりと並べられている。ときおりそれを補充してやれば、つきっきりで番をする必要もないということだ。
そこに準備された菓子は、ほんのり青紫色をした饅頭であった。本日はゲルドの食材を使うべしというお達しであったので、ブルーベリーに似たアマンサの菓子であるのだろう。5日前にリミ=ルウが準備した大福餅と同じく、とても可愛らしいサイズだ。
「美味しいです!」と真っ先に声をあげたのは、マイムであった。
トゥール=ディンは《アロウのつぼみ亭》の屋台で新作が売りに出されるたびに買い求めているので、こちらの菓子もすでに見知っていたのだろう。至極満足そうな表情で、アマンサ饅頭の味を噛みしめている。
俺がこちらを口にするのは、初めてのことだ。
相応の期待をもってその饅頭を口に放り入れると、青紫色の生地は溶けるように崩れ去って、その内側の餡の甘さが口内に駆け抜けていった。
かつて復活祭で口にしたアロウの菓子と同じく、濃厚で甘い菓子である。元来の酸味は隠し味のように引っ込んで、ひたすら甘みが強調されている。そして口当たりがクリームのようにやわらかく、食べる人間を陶然とさせるのだった。
「いやあ、これは美味しいですね。城下町の方々にも、きっとご満足いただけるはずですよ」
「ふん。あんたたちの菓子や料理がもてはやされてるなら、あたしらだけ文句をつけられるいわれはないね」
「ですが、本当に、美味です」と、アリシュナも静かな声でそのように言いたてた。
そちらをちらりと見たレマ=ゲイトは、「あん?」と眉をひそめる。
「あんた……あのゲルドの娘っ子かと思ったら、まったくの別人じゃないか。東の民が、どうしてこんな場所にまぎれこんでるんだい?」
「私、前回から、招待されていました。占星師、アリシュナ、申します」
アリシュナはふわりと一礼し、さらに言葉を重ねる。
「私、料理人ならぬ身ですが、こちらの菓子、素晴らしい、思います。城下町において、これほどの美味なる菓子、稀です」
「……あんた、城下町に住まってるのかい?」
「はい。2年半ほど、ジェノス侯、お世話になっています」
「ふん。それだけ長らく住まってる人間の言葉なら、確かだね」
レマ=ゲイトは、満足そうに小鼻を広げた。
アリシュナとレマ=ゲイトの邂逅というのも、俺にとってはなかなかの椿事である。
(まあ、そんな話をしだしたらキリがないんだろうけどな)
城下町と宿場町と森辺の人間が、入り乱れて同じ料理を食している。それが如何に数奇でかけがえのない出来事であるか、俺はまたしみじみと思い知らされた心地であった。