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異世界料理道  作者: EDA
第六十一章 楽しき騒乱
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試食会・宿屋編①~来場~

2021.5/15 更新分 1/1

 デルシェア姫をお迎えした黄の月の25日は、それなりの騒がしさとそれなりの平穏さがヤジロベーのように均衡を保ちつつ、無事に終わりを迎えることになった。


 その2日後には、もう宿屋の関係者による試食会である。その展開の早さこそが、俺にはもっとも慌ただしく感じられてしまった。

 とはいえ、このたびの俺たちは試食をする側に過ぎない。屋台の商売はきっちりこなして、いったん森辺に戻ってひと息ついてから、のんびり城下町に向かうことができた。


 城下町に向かうのは、11名。審査員として試食会に参席するかまど番が8名と、見届け人という名目の護衛役が3名だ。アイ=ファとジザ=ルウは引き続きその役目を負うことになったが、ルド=ルウはシン=ルウと交代することに相成った。理由は前回の試食会において、レイリスやデヴィアスなどからシン=ルウとの再会を望む声があげられたためである。


 集合時間は、下りの三の刻の半とされている。俺たちが2台の荷車に分かれて、ゆとりをもって城下町の城門を目指してみると――そこにはすでに、大勢の人々が集っていた。俺たちと同じく審査員の役目を担う、宿屋の関係者の人々である。


「よう、来たな。アスタたちも、お疲れさん」


 そんな風に挨拶をしてくれたのは、《ゼリアのつるぎ亭》のご主人であった。本日、名前を知るぐらい親しくしている人々は、おおよそ料理を供する側に回されていたのだ。


「ここに並んで、まずは通行証ってやつを受け取るんだよ。……って、こんな話は森辺のお人らのほうがよっぽどわきまえてるよな」


「いえいえ。俺たちも自分の手で通行証を受け取る機会は、あまりないのですよね」


 城門のすぐ内側に設置された受付の小屋には、20名ばかりの人々が列を成している。なおかつ、受付を済ませた人間はすぐさま迎えの武官の案内で、立派なトトス車へと導かれているようであった。

 俺たちも無事に受付を済ませて、自前のトトスと荷車をお預けした上で、トトス車に乗車させていただく。人数の都合で二手に分かれたため、こちらでも《ゼリアのつるぎ亭》のご主人とご一緒することになった。


「あれ? そういえば、アスタたちは普段通りの格好なんだな。それで文句は言われないのかい?」


「いえ。懇意にしている貴族の方に相談をしたら、適当に準備をしていただけることになったのです。もちろん銅貨はお支払いしますけれど、どのような装束を購入すればいいのか見当もつかなかったもので……」


 参加メンバーの何名かは、城下町の宴装束というものを所持している。が、本日は祝宴ならぬ試食会であるので、宴衣装は不相応であるという話であったのだ。それでいて、城下町の規範に沿った上等な装束と言われても、俺たちにはさっぱり理解が及ばなかったのだった。


「装束で思い悩んだのはこっちも同じだけど、そっちはいっぺんに8人だもんなあ。まったく、こんな装束は窮屈でしかたねえよ」


 と、ジャガル風の立派な襟もとに手をやって、《ゼリアのつるぎ亭》のご主人はそう言った。言葉とは裏腹に、まんざらでもなさそうな面持ちである。宿場町の男性というものは、森辺の男衆に劣らずに着飾る機会が少ないようなのだ。


「ま、料理を出す役目を負わされた連中は、あの白装束を着させられるんだろうしな。アスタや森辺の娘さんたちなんかはよく似合ってたけど、あんな格好こそ俺らには不相応だろ」


「そうでしょうか? みなさん、けっこう似合いそうですけれど。ご主人だって、貫禄が出そうですよ」


「よしてくれよ。どっちみち、うちの宿なんざに出番は回ってこねえさ。せいぜい食べる側で楽しませていただくよ」


 こうもひっきりなしに呼びつけられるのはそれなりの手間であるはずだが、その点に関してもご主人に不満はなさそうだった。審査員として参席するだけでも手間賃はいただけるそうであるし、それにやっぱりこれまでご縁のなかった城下町に足を踏み入れられるという昂揚がまさるのだろう。また、これで2度目という気安さもあってか、他のご主人がたも遠足に出向く児童のようにはしゃいでいるように感じられた。


 やがて到着したのは、5日ぶりの紅鳥宮だ。

 こちらの入り口も武官に管理されており、通行証をあらためられながら、何名かずつの組となって案内をされていく。

 ここで森辺の一同は、シフォン=チェルとシェイラに迎えられることになった。


「お待ちしていました、森辺の皆様方。わたくしどもが、お召し替えのお手伝いをさせていただきます」


 シェイラがこの役目を担うのはいつものことであるが、シフォン=チェルまで顔をそろえているのが驚きだ。俺が喜びの気持ちをもってその理由を尋ねると、シフォン=チェルはやわらかく微笑みながら説明してくれた。


「こちらのシェイラがこのお役目を任されていると聞いたリフレイア様が、わたくしにもそのお手伝いをするように申しつけてくださったのです……侍女は侍女同士で交流を持つものなのよと仰って……」


 きっとリフレイアであれば、ずっとシフォン=チェルを手もとに置いておきたいと願うことだろう。しかしそれではシフォン=チェルの交流が広がらないので、そのように申しつけたのだ。リフレイアがシフォン=チェルのことをどれだけ大事に思っているか、俺はあらためて思い知らされた心地であった。


 そうして俺たちは、浴堂をスルーしてお召し替えの間へと案内される。本日は厨に入らないし、宴衣装を纏う祝宴でもないので、身を清める必要もないのだ。

 俺とジザ=ルウとシン=ルウはその部屋の前で小姓にバトンタッチをされて、それぞれ着替えることと相成った。見届け人の両名は相変わらず武官の白装束であったが、俺に準備されていたのはジャガル風の上等な装束であった。


 そこまで豪奢なわけではないが、とにかく生地は上等そうだし、襟などはぴんと頬のあたりまで立っている。細身のズボンである脚衣も俺には着慣れた様式であるので、窮屈なことはまったくない。背丈がのびてから採寸もしなおされて、サイズも申し分なかった。


「あ、この首飾りはつけたままで問題ないでしょうか?」


 俺がアイ=ファから贈られた首飾りを指し示しながら問いかけると、小姓の少年は折り目正しく微笑んだ。


「立派な飾り物でございますね。石がよく見えるように、襟もとをお直しいたしましょう」


 こちらの首飾りは紐の部分も瀟洒な銀色の鎖であったためか、着用が許された。

 もしかしたら、アイ=ファはそこまで見越して、この首飾りを選んでくれたのだろうか。俺がアイ=ファに贈った首飾りは、城下町の祝宴で着用するのにわざわざ紐を付け替える必要に迫られて、それで俺があの鎖の飾り物を追加でプレゼントすることになったのだ。


(アイ=ファが最初に城下町に乗り込んだときは着用が許されなくて、こっそり懐に忍ばせてたって話だったもんなあ)


 俺がじんわりとした幸福感を噛みしめている間に、お召し替えは完了した。

 ジザ=ルウたちとともに回廊で待ち受けていると、やがてアイ=ファたちも隣の部屋から姿を現す。アイ=ファは武官の白装束で、他の面々は――いずれも可愛らしいワンピースのような装束であった。


 ドレスというほど華美ではないが、普段着としては上等に過ぎる、というぐらいのデザインである。襟もとや袖の刺繍などは宴衣装に負けないぐらい凝っており、派手になりすぎないていどのフリルなどが胸もとや裾などにそよいでいる。


 なおかつ、7名それぞれで色合いもデザインも異なっていたので、華やかなことこの上なかった。髪は結ったままであるが、首や手首にはさりげなく飾り物も準備されており、森辺の民としての野性味が都会的な洒脱さといい具合にブレンドされている。マルフィラ=ナハムなどはたいそう居心地の悪そうな面持ちであったが、まったく似合っていないことはなかった。


 ちなみに俺たちが相談した貴族というのはポルアースであり、これらの装束を見つくろってくれたのは母君のリッティアに他ならなかった。人の宴衣装をあつらえるのが趣味であるというリッティアは、やはり卓越したファッションセンスを備えているのであろうと思われた。


「では、会場のほうにご案内いたします」


 シェイラとシフォン=チェルの案内で、再び回廊を突き進む。

 案内されたのは、前回と同じ大広間だ。

 最初の受付から紅鳥宮までの移動、そしてお召し替えを経て、そろそろ一刻ぐらいは経過しているのかもしれない。その場には、貴き方々を除く参席者がおおよそ居揃っているようだった。


 大広間の入り口で朱色の肩掛けを受け取った俺たちは、それを羽織りながら入室する。すると、大広間の片隅に陣取っていた一団がわらわらと近づいてきた。


「よう。こんな形で同席するのは、なかなか珍しい話だよな」


 それは、ヴァルカスの弟子たち――ロイとボズルとシリィ=ロウの3名であった。彼らもまた、ゲルドの貴人の送別会で着ていたような略式の礼装めいた姿である。


「どうも、お疲れ様です。確かにこの顔ぶれでよそ様の料理を食べるだけというのは、初めてのことなのでしょうね」


「ああ。しかもそれが、宿場町の食堂の料理とはな。……ま、それほど馬鹿にしたもんじゃないって噂だから、心して食べさせてもらうつもりだけどよ」


「ええ。ユーミなんかは、すごく気合が入ってましたよ。シリィ=ロウたちに自分の料理を食べてもらえる、貴重な機会ですからね」


 俺がそのように語りかけると、シリィ=ロウは表情の選択に困った様子で口もとをごにょごにょさせた。彼女はこういう場でも、ディアルに似た男性風の装束である。


「そういえば、ヴァルカスとタートゥマイはご一緒ではないのですか?」


「ああ。ヴァルカスなんかは、人混みが苦手だからよ。会が始まるまでは、控えの間だ。タートゥマイは、その付き添いだな」


 そう言って、ロイは肩をすくめた。


「あのお人は、どうして見も知らぬ相手の粗末な料理を口にしなきゃいけないんだって、悄然としてるよ。宿屋の連中はお前らの屋台と人気を二分してるんだって話しても、聞きゃしねえんだ。あのお人の目を覚まさせるような料理に、ご登場を願いたいもんだな」


「ヴァルカスは理想が高いでしょうから、なかなか難しいかもしれませんけど……でも、そこまで失望させることにはならないと思いますよ」


 俺がそんな風に答えたとき、レイナ=ルウが「アスタ」と呼びかけてきた。


「こちらもこの人数ですと動きにくいので、3組ほどに分かれてはどうかとジザ兄が言っています」


「ああ、そのほうが色々な相手と交流を結べそうだしね。もちろん、異存はないよ」


 その言葉を耳にするなり、マイムがトゥール=ディンの腕を抱きすくめた。


「でしたら、わたしはトゥール=ディンとご一緒したいです! よろしいですか、トゥール=ディン?」


「え? あ、はい。もちろん」


 トゥール=ディンは、くすぐったそうな顔で微笑みをたたえる。同い年である両名は、ひそかに交流を深めているのである。

 そうすると、小さき氏族のユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア。ルウ家の姉妹のレイナ=ルウとリミ=ルウで、自然に組となる。あとは、俺がどの組にお邪魔するかであった。


「あのさ、最初はマイムたちの組とご一緒させてもらってもいいかな?」


 俺がそのように問いかけたのは、マイム本人ではなくリミ=ルウであった。アイ=ファは俺に同行してくれるであろうから、リミ=ルウもこちらとの同行を望むだろうと予想したのだ。


「うん、わかったー! ……でも、あとでこっちにも来てくれる?」


「うん。ジザ=ルウが許してくれるならね」


 もちろんジザ=ルウは、妹たちとの同行を望むだろう。しかし俺たちがリミ=ルウに同行するとなると、ジザ=ルウにはマイムとトゥール=ディンの護衛をお願いしなければならなくなるのだ。

 リミ=ルウは、無邪気な笑顔で「大丈夫だよー」と保証してくれた。


「アイ=ファの強さは、ジザ兄だって知ってるからね! ……あと、アイ=ファがどんなに優しいかもね!」


 アイ=ファは苦笑しながら、リミ=ルウの髪が乱れないていどに頭を撫で回した。

 ともあれ、別行動となるのは会が始められてからだ。まだ料理を供されていない状態で離ればなれになる理由はなかったので、しばらくはロイたちと交流を深めさせてもらうことにした。


「でもよ、城下町の料理人だったら、ヴァルカスみたいな考えのやつも少なくないと思うんだよな。実際問題、宿場町の料理ってのはどうなんだ?」


「俺は、かなりの水準に達していると思いますよ。城下町のように複雑な味付けが流行しているわけではないので、簡素と思われる面はあるかもしれませんが……でも、これだけ食材が増えてくると、そういう面も緩和されるんじゃないでしょうか」


「確かに」と同意してくれたのは、ジャガル風の立派な装束を纏ったボズルであった。


「少なくとも、扱える食材の種類は、城下町と宿場町で差もないわけですからな。それでもって、アスタ殿らが目新しい食材の扱い方を手ほどきしておられるなら、何も不自由はないでしょう」


「はい。ただし、城下町ほど高価な食材をふんだんに使えるわけではないですからね。シャスカなんかが、いい例です。こちらの商売は薄利多売の考えが基本にあるので、食材の費用はけっこう厳しく絞らなくてはならないのですよ」


「しかし、そうであるからこそ、独自の創意工夫が為されているやもしれません。何にせよ、わたしは期待しておりますぞ」


 そんな風に言ってから、ボズルは「おや」と目を丸くした。それと同時に、アイ=ファが背後を振り返る。


「なんだ、お前か。我々に、何か用か?」


 それは、占星師のアリシュナであった。夜の湖めいた眼差しをした東の少女は、静謐な表情で一礼する。


「歓談のさなか、失礼いたします。輪の中、まぎれること、許していただけるでしょうか?」


「うむ? 何故に我々の輪に加わりたいと願うのだ?」


「私、この場、孤立しています。見知った方々、まだ来場していないのです」


 プラティカは昨晩もダレイム伯爵家の世話になるという話であったので、のちほどニコラたちとともにやってくるのだろう。あとはククルエルも、まだ来場していないようだった。


「お前は城下町で暮らしているのであろう? それなのに、他に知人はおらぬのか?」


「はい。私、懇意にしている、貴族の方々です。城下町の料理人、接点、ないのです」


 言われてみれば、ジェノス領主の客分であるアリシュナと城下町の料理人に接点などは生まれそうになかった。宿場町の宿屋の方々などは、言わずもがなである。

 アイ=ファがうろんげにしているので、俺はこっそり耳打ちすることにした。


「これはダカルマス殿下の主催だし、あちこちにジャガルの兵士も立ち並んでるから、東の民のアリシュナとしてはちょっと心細いんじゃないのかな?」


「そう……なのであろうかな」


 アイ=ファは、ますますうろんげな顔になってしまった。目の前にたたずむアリシュナは高貴なシャム猫のように取りすましており、俺にしてみても内心は計り知れなかったのだ。


「まあよかろう。お前自身が騒ぎを起こすのではないぞ」


「はい。ありがとうございます。アイ=ファの親切、感謝いたします」


 そこに、レイナ=ルウの「ええ!?」という声が響きわたった。

 俺たちが振り返ると、レイナ=ルウは口もとをおさえて頭を下げる。


「お、大きな声をあげてしまって、申し訳ありません。ちょっと驚かされてしまったもので……」


「ふうん? いったい何に驚かされたのかな?」


 レイナ=ルウが語っていた相手は、ロイとシリィ=ロウだ。その説明をしてくれたのは、厳しい面持ちをしたシリィ=ロウのほうであった。


「3日後には、城下町の料理人が試食会の料理を準備することになります。そちらには、まだ通達されていなかったのですね」


「城下町の料理人で、試食会? ヴァルカスなんかも、料理を作ることになるわけですか?」


「もちろんです! ヴァルカス抜きで、そのような会が成立するとお思いですか?」


「あ、いえ。そういう意味ではなく、ヴァルカスたちは5日前にも試食会で料理を供したばかりでしたし……」


「あの日にダカルマス殿下が、ヴァルカスの力量を示す場を準備すると言ってくださったでしょう? そのお約束が、早々に果たされることになったのです」


 俺は思わず、レイナ=ルウと顔を見合わせてしまった。

 俺たちは先日、ポルアースから新情報を獲得していたのである。デルシェア姫がかまど仕事を見学している間、ポルアースがこっそりドンダ=ルウらに打ち明けてくれたのだった。


「えーと……実はですね、俺たちも近々、試食会を申しつけられることになりそうなのです。今度は森辺のかまど番だけが料理を作り、それをみなさんに試食していただくという話だったのですよね」


 ダカルマス殿下はすぐにでもそれを開催したいという意気込みであったが、森辺の民にも屋台の商売などがあるために、もう少し猶予をいただけないか――と、ポルアースたちがやんわりたしなめてくれたそうなのである。かつてリフレイアも言っていた通り、ポルアースたちも唯々諾々とダカルマス殿下の申し入れを受諾しているわけではなかったのだった。


「なるほど。3日後には城下町の料理人、その次が森辺の方々というわけですか。ダカルマス殿下は本当に、ジェノスにおける料理人の腕を余さずつまびらかにしようというお考えであるようですね」


 厳しいお顔をしたまま、シリィ=ロウはそう言った。


「森辺の方々の料理を口にできるのなら、それを心待ちにいたします。しかしまずは、ヴァルカスの本当の力量というものを、みなさんに味わっていただきたく思います」


「いや、俺たちはもうとっくにそれを思い知らされていますけれど……でも、宿場町の方々にも味わっていただけるなら、何よりでしたね」


「ええ。これで王家の方々をお恨みせずに済みそうです」


 シリィ=ロウは、よほど先日の試食会を不本意に思っていたのだろう。ロイはまたこっそり肩をすくめており、そしてボズルは――ちょっと困ったような笑顔であった。


「もしかしたら、ボズルはまたヴァルカスとは別枠で料理をお出しするのでしょうか?」


「ええ、そういうことになってしまいました。わたしとしては、あまりに荷が勝ちすぎているのですが……」


「何を仰っているのですか。ボズルは先日にも、栄誉ある勲章を授与されていた身ではないですか」


 そのように答えたのは、俺ではなくシリィ=ロウであった。


「ですが今度は、対等な条件による味比べです。わたしもヴァルカスの弟子として、力を振り絞る所存です」


「だから、シリィ=ロウにそんな目で見られるのも心苦しい話なんだよ」


 気安い言葉を返しつつ、ボズルは本当に心苦しそうな面持ちになっていた。

 それを見て、アイ=ファが「ふむ」と声をあげる。


「味比べというものが料理人の力比べであるというのなら、そうまで重荷に感ずる必要はあるまい。ただ己の力を正しく示せばいいのではなかろうかな」


「ええ、それはそうなのでしょうが……」


「わかっている。同輩にこのような目を向けられては、心苦しくもなろう」


 そう言って、アイ=ファはシリィ=ロウに向きなおった。


「シリィ=ロウよ。お前にとって、このボズルは大事な同輩なのであろう? それとも、師たるヴァルカスを脅かす敵だとでも念じているのか?」


「敵? まさか、そのようなことは考えておりませんけれど……でも、弟子たるボズルに再び負けるようなことがあれば、それはヴァルカスの名折れになってしまうのです!」


「では、お前は師を越えることを目指しているわけではないのか? 森辺において、親は子が自分を越えることを何より望んでいるという話だが」


 シリィ=ロウは、虚を突かれた様子で身をのけぞらせた。


「それはもちろん……わたしだって、ヴァルカスに追いつくことを生涯の目標にしていますけれど……」


「それはボズルとて、同じことであろう。それを敵と見なすのは、あまりに狭量なのではなかろうかな」


「で、ですから、敵と見なしているわけではなく……」


 と、シリィ=ロウは口ごもってしまう。

 そこで、ロイが苦笑まじりに発言した。


「シリィ=ロウは、目先のことしか頭が回らない質なんだよ。べつだんボズルを敵視してるわけじゃなく、今は師匠の名誉を回復させることで頭がいっぱいになっちまってるだけさ」


「な、なんですか! まるで人を子供のように!」


「だったら、まずは頭を冷やせよ。そもそも試食会ってのは、宿場町の連中が30人ばかりも参加するんだぜ? だったら、ヴァルカスが勝てるとも限らねえだろ」


 シリィ=ロウは、愕然とした様子でロイを見据えた。


「な、何故です? どうして宿場町の人間が加わると、ヴァルカスが負けることになってしまうのです?」


「だって宿場町では、複雑な味付けなんざ流行してないって話なんだからな。だったら、ヴァルカスの料理が好みから外れる公算だって高いだろ。この前の試食会で第1位になったボズルの料理も、複雑さからはかけ離れてたしな」


 シリィ=ロウは、かなりの衝撃を受けている様子であった。

 それを力づけるように、ロイは不敵に笑う。


「だから、こんな話に一喜一憂したって仕方ねえだろ。他の誰が何と言おうと、俺たちは師匠の手際に心酔してるんだ。大事なのは、その一点なんじゃねえのか?」


「ええ、わたしもそのように思います。たとえヴァルカスが味比べで第1位にならなくとも、わたしの感服の思いに変わりはありません。ヴァルカスは、あれほどに素晴らしい料理人なのですから」


 レイナ=ルウも、穏やかな笑顔でそのように声をあげた。


「勝つことが誇りになっても、負けることが恥にはならない。それが、森辺の狩人の力比べです。やはりこの試食会の味比べというものも、似た部分があるのでしょう。勝利を収めたアスタやボズルは誇りにするべきだと思いますが、それ以外の人間が恥じる必要はないのだと思います」


「でも……」と、シリィ=ロウは身をよじってしまう。

 すると今度は、マルフィラ=ナハムが発言した。


「わ、わ、わたしもレイナ=ルウと同じ気持ちです。そ、それに、たとえヴァルカスの料理が第1位を逃したとしても、ヴァルカスの物凄さは伝わるはずです。ヴァ、ヴァルカスの料理が好みに合わなくとも、あれほどの料理を食べさせられたら、誰だって驚愕に打ちのめされてしまうのでしょうから」


 そう言って、マルフィラ=ナハムはふにゃんと微笑んだ。


「しゅ、しゅ、宿場町の方々がヴァルカスの料理を口にされたら、いったいどれだけの驚きに見舞われるのか、わたしはひそかに楽しみにしていました。で、ですからシリィ=ロウも、ヴァルカスのために力を尽くしていただきたく思います」


 シリィ=ロウは、なんだか迷子の子供めいた眼差しで、レイナ=ルウとマルフィラ=ナハムの笑顔を見比べた。

 そこに、小姓の声が響きわたる。


「貴き方々の入場です。拍手などは不要ですので、皆様はそのままお待ちください」


 ついに、下りの五の刻が近づいてきたようだ。

 歓談にふけっていた人々も、口をつぐんで正面に向きなおる。貴き方々は、俺たちとは別の入り口からぞろぞろと姿を現した。

 祝宴のように、いちいち名前や身分が明かされたりはしない。貴き方々は、粛然とした様子で横一列の席に着いた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ヴァルカスの料理が好みに合わなくとも、あれほどの料理を食べさせられたら、誰だって驚愕に打ちのめされてしまうのでしょうから なぜここで「食べさせられたら」なんて言葉が出てくるのか不思議…
[一言] ジャガルの王族は結構な頻度で試食会を他国で開催していますが、それに伴う対価とかは払っているのでしょうか? 交易が始まる事が対価としても、これだけ好き勝手に自国の人間を付き合わされるのは割に合…
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