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異世界料理道  作者: EDA
第六十一章 楽しき騒乱
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高貴なる客人③~晩餐~

2021.5/14 更新分 1/1

 勉強会を終えたならば、60名からの兵士を引き連れて、ファの家に帰還する。

 それに同行することになったのは、レイナ=ルウとリミ=ルウ、ジザ=ルウとガズラン=ルティムの4名であった。本日の晩餐は、近在の氏族ではなくレイナ=ルウたちに手伝いをお願いしていたためである。


 どうしてレイナ=ルウらに手伝いを願うことになったかというと、それはジザ=ルウが同席を望んだためであった。ジザ=ルウを客人として迎えるためにルウの女衆に手伝いを願うという、逆説的な筋道であったのだ。

 なおかつそこにガズラン=ルティムまでもが加えられたのは、フェルメスが同席する関係からであった。フェルメスを相手取るにはガズラン=ルティムが適任であるという認識が、森辺の内には存在したのだ。


 ともあれ、見届け人としてこれほど心強い組み合わせは、他になかなかないことだろう。何日か前にこの顔ぶれが決定されたとき、アイ=ファも心から安堵していた様子であった。


 そんなアイ=ファが狩人の仕事から戻ったのは、晩餐の支度を始めてから半刻ほどが過ぎてからとなる。ファの家の周囲を固めた兵士たちのざわめきが、俺たちにそれを知らせてくれた。


「おかえり、アイ=ファ。……ああ、今日もすごい大物だな」


「うむ」とうなずくアイ=ファの背には、アイ=ファの倍ぐらいは体重のありそうなギバが抱えられている。その姿に、兵士たちは驚きの声をあげていたのだった。


「うわー、すごいすごい! ギバってそんなに大きいんだねー!」


 と、俺に続いてかまどの間を出てきたデルシェア姫が、はしゃいだ声をほとばしらせる。

 アイ=ファは鋭くすがめた目で、目礼をした。


「それに、よくそんな大物を背負えるね! もしかして、毛がもさもさしてるだけで身はちっちゃいとか?」


「ギバの毛がどのていどの長さをしているかは、我々の纏った狩人の衣で判別できるかと思うが。……ともあれ、ギバの処置があるので失礼する」


 100キロ以上のギバを背負っているのだから、アイ=ファの秀麗な顔は汗を浮かべている。が、アイ=ファは厳しい表情を崩すことなく、解体部屋へと消えていった。


「ふーん。あのアイ=ファ様ってお人も、森辺の装束だとあんなに色っぽいんだね! 危険な狩りの仕事なんて、殿方に任せておけばいいのに!」


 かまどの間へと引き返しながら、デルシェア姫はそのように言っていた。

 とうてい軽々しく答えられる話題ではなかったし、デルシェア姫を相手にアイ=ファの覚悟や信念を語らっても詮無きことであるので、俺は口をつぐんでおくことにする。

 ただし、別の疑問が持ち上がったので、それを口にしてみることにした。


「あの、デルシェア姫は貴族の方々の目がない場でも、自分たちなんかに敬称をつけてくださるのですね」


「んー? だって呼び方がごっちゃになったらまずいじゃん! 公の場で失敗しないように、呼び方だけは統一してるんだよ」


 それはわからなくもなかったが、これだけフランクな口調であるのにすべての人間に「様」という敬称をつけるのは、なかなかに珍妙なものであった。

 ともあれ、晩餐の準備を再開である。

 かまどの間には、それぞれ刀を預けたジザ=ルウとロデが目を光らせている。ガズラン=ルティムは、母屋でフェルメスとポルアースのお相手だ。ガズラン=ルティムはルウの本家でも同席していたそうだが、ポルアースたちとじっくり語らうのもかなりひさびさのことであったので、話は尽きないのであろうと思われた。


 そうしてさらに半刻ほどの時間が過ぎて、日没である。

 ギバの処置をしていたアイ=ファも、俺たちが料理を運び込んでいる間に、なんとか作業を終わらせることができた。内臓を洗うには水場まで出向かなくてはならないため、けっこうな手間であるのだ。


 あらためて、デルシェア姫をファの家の母屋に招待する。

 ここでも同席するのは、ロデだ。自らも強靭な狩人であるゲルドの貴人らとは異なり、さすがに姫君を単身で家に入らせることはできなかったのだろう。フェルメスとてジェムドを同行させているのだから、こちらとしても異存はなかった。


「うわあ、けっこう立派な家なのですね! 木造りの家の様式についてはあまりわきまえていないのですけれど、こちらはジャガルの人間が手掛けた家なのでしょう? なんだかわたくしにも、とても居心地がよいように感じられます!」


 履物を脱いで広間にあがったデルシェア姫は、ここでもはしゃいだ声をあげていた。口調が変容しているのは、ポルアースらが同じ場に控えているためだ。

 きょろきょろと視線をさまよわせたデルシェア姫は、やがて壁際の棚に駆け寄る。そこに飾られた硝子の食器や飾り物の輝きに目を引かれたのだろう。


「こちらは、シムの硝子細工ですね! あ、こちらの人形は――」


「さわるな!」と、アイ=ファが鋭い声を発した。

 デルシェア姫はびくりと小さな肩をすくめて、かたわらのロデが険悪な眼光をアイ=ファに突きつける。


「……アイ=ファとやら。ジャガルの王女たるデルシェア姫に対して、無礼であろう」


「礼を欠いていたなら、詫びよう。ただし、この場ではファの家の流儀に従ってもらいたく思う」


 アイ=ファの表情に変化はなかったが、その青い瞳はロデよりも遥かに強い光を浮かべていた。

 その眼光の凄まじさに、ロデはじっとりと冷や汗を浮かべながら、剣もさげていない腰をまさぐる。ポルアースもさすがに慌てた顔をしており、ガズラン=ルティムはわずかに腰を浮かせていた。


「……ごめんなさい。こちらはあなたにとって、よほど大切な物だったのですね」


 棚にのばしかけていた指を引っ込めながら、デルシェア姫はそう言った。

 その指先が触れようとしていたのは、リコから贈られたティアの人形であったのだ。


「とても可愛らしい人形であったので、ついつい触れてみたくなってしまったのです。もう勝手な真似はいたしませんので、どうかお許し願えますか?」


「ひ、姫。さすがにそうまでへりくだる必要は――」


「いえ。わたくしたちは、無理を言ってこちらにお招きをいただいた立場であるのです。このようなことで悶着を起こしたら、わたくしが父様に叱られてしまうことでしょう」


 そう言って、デルシェア姫はアイ=ファに笑いかけた。

 いつもの無邪気な笑みではなく、ちょっと申し訳なさそうな笑顔である。


「誰にだって、大切な物はありますもの。わたくしだって、自分の大切な物に勝手にさわられそうになったら、我を失ってしまうことでしょう。あなたをご不快な気持ちにさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした」


「いや……こちらも荒い態度を取ってしまったことを、詫びさせてもらいたく思う」


 アイ=ファは怒りの眼光を消し去って、また目礼をした。

 糸のように細い目でそれらの姿を見届けたジザ=ルウが、声をあげる。


「諍いが未然に防がれたことを、喜ばしく思う。アスタよ、晩餐を始めるべきではないだろうか?」


「は、はい。みなさん、どうぞお座りください」


 ほっと息をつくポルアースの隣に、デルシェア姫はちょこんと腰を下ろした。

 ロデがその背後に控えようとすると、デルシェア姫は笑顔でそちらに向きなおる。


「どうしてそのように、後ろに引っ込んでいるのです? 今日はあなたの分も晩餐を準備してくださったというお話であったでしょう?」


「いえ、ですが、警護の任務中に腹を満たすわけには……」


「アスタ様の厚意を受け入れたのはわたくしなのですから、食事に手をつけないことこそが非礼になってしまいます。さ、こちらにお座りなさい」


 そのように語るデルシェア姫の声には、もう元来の活力が蘇っていた。それで広間に漂っていた気まずい空気の残滓も、完全に払拭されたようである。


 すべての料理が配膳されて、すべての人間が腰を落ち着けた。

 デルシェア姫にロデ、ポルアースにフェルメス、従者のジェムド――そして、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム、レイナ=ルウ、リミ=ルウで、本日の客人は9名だ。


「……この日は、ジャガルにおいて王女という身分にあるデルシェアを客人として迎えることに相成った。ファの家には貴き身分にある客人を迎える準備もないが、どうかくつろいだ気持ちで過ごしてもらいたい」


「はい。くつろぎすぎて礼を失してしまわないように心がけますわ」


 デルシェア姫は、にっこりとアイ=ファに笑いかけた。

 アイ=ファは感情を殺した目でそちらを見やってから、まぶたを閉ざす。


「では、客人たちはそれぞれの習わしに従って晩餐を始めてもらいたい。……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたアスタ、レイナ=ルウ、リミ=ルウに礼をほどこし、今宵の生命を得る」


 森辺の民は、アイ=ファの言葉を復唱した。

 デルシェア姫らもそれぞれの流儀で挨拶をして、晩餐の開始である。


「それにしても、立派な晩餐ですね! どれから手をつけるか、迷ってしまいますわ!」


 デルシェア姫が、うきうきと弾んだ声を響かせる。

 デルシェア姫から献立のリクエストはなかったので、俺は俺なりに頭をひねって本日の献立を決定していた。


 それに本日は、獣肉を食せないフェルメスも同席しているのだ。本人は自分のことなど考えなくていいと言っているが、さすがにそういうわけにもいかないだろう。せめて何点かは、フェルメスの食せる料理を準備しなければならなかった。


 そんなわけで、本日も中華風に寄せた献立となる。

 かつてアルヴァッハたちを招いたときも、似たような日があったことだろう。フェルメスのことを考慮すると、やはり中華風の献立が採用されやすいということだ。


 主菜や副菜という分け方ではなく、何点かの料理を同程度のボリュームで準備している。

 その中核を担うのは、『麻婆チャン』と『水餃子』と『マロールの中華炒め』であった。


『麻婆チャン』は、デルシェア姫にギバ肉の麻婆料理を味わっていただくために準備した献立だ。ズッキーニに似たチャンをナスのように扱い、ギバの挽き肉をふんだんに使っている。魚醤や山椒に似たココリも使って、さらなる完成度を求めたひと品であった。


『水餃子』は、ギバとマロールの2種を準備している。共通の具材は、ティノとユラル・パのみじん切り、そして大葉に似たミャンであった。水で戻したミャンをそのまま餃子の皮で具材とともにくるんだ、なかなか贅沢な料理であろう。

 なおかつつけダレは、梅干しに似た干しキキをほぐして、タウ油とホボイ油と白ママリア酢に溶いたものとなる。大葉に似たミャンを手に入れたことで、干しキキもいっそう使い勝手がよくなったのだった。


 そして『マロールの中華炒め』は、ニンジンに似たネェノン、白菜に似たティンファ、小松菜に似たファーナ、そしてキクラゲモドキを使っている。味付けはタウ油と魚醤、ミャームーとケルの根とホボイ油が主体であるので、ジャガルの方々のお口にも合うのではないかと期待をかけていた。


 主食はチャーハンで、こちらもギバ・チャーシューとマロールの2種を準備している。生鮮の魚が使えない以上、フェルメスに対してはマロール尽くしになってしまうのも否めなかった。

 汁物料理はシンプルな、中華風の卵スープとさせていただいた。具材はアリアとネェノンのみで、キミュスの骨ガラでじっくり出汁を取っている。おかずに油分が多い日にはこういう簡素なスープが相応しいものと、俺はそのように念じていた。


 あとは本日のささやかな成果として、ブロッコリーに似たレミロムのマヨネーズ和えもそっと添えている。ボナの根はまだ研究用の分しか確保していないため、マヨネーズに添加したのはマロマロのチット漬けとミソとタウ油のブレンドだ。


 品数としては、これで十分なところであろう。

 ただし、森辺の民の基準では、ややギバ肉が不足している。フェルメスのためにマロール料理を準備したため、そのぶんギバ肉の使用量が減ってしまったのだ。

 また、『麻婆チャン』も『水餃子』もギバ肉をミンチとして使っているため、ジザ=ルウあたりには狩人に相応しからぬ献立と見なされてしまう恐れもあろう。


 そこで俺は、チャーハンの具材とは別に、ギバ・チャーシューをどっさり準備していた。

 厚切りのチャーシューに軽く熱を通したティノを添えて、タウ油とミャームーとホボイ油を主体にしたタレを掛ける。主菜としては工夫が少なく、副菜としてはずいぶん重いこのひと品が、今日の献立にはマッチするのではないかと思われた。


 晩餐の内容は、以上となる。

 王家の姫君を迎えるにあたって、俺は俺なりに恥ずかしくないラインナップを準備したつもりであった。


「アスタには、毎回苦労をかけてしまいますね。この恩義にどう報いるべきか、僕はずっと思い悩んでいるのですが……なかなか上手い手立てが見つかりません」


 と、何点かのマロール料理を食してから、フェルメスがそのように発言した。


「恩義だなんて、とんでもない。自分の好きでやっていることですので、どうかお気になさらないでください」


「それでは僕の気が済みません。いずれ何らかの形で、アスタの厚意に報いたいと思います」


 そう言って、フェルメスは可憐な少女のように微笑んだ。

 失礼きわまりない話だが、ありがた迷惑な事態にならないようにと祈ってしまう俺である。


(そういえば、フェルメスは試食会でもちょっと肩身がせまそうだったもんな。座席も王家の方々からずいぶん離されてたし……偏食家ということで、不興を買っちゃったんだろうか)


 そんな風に念じながら、俺はデルシェア姫のほうに視線を転じた。

 デルシェア姫は、黙々と料理を食している。もうひと通りの料理は口にしたように思うのに、感想のひとつも述べようとしない。ただそのエメラルドグリーンの瞳は、かつてないほど爛々と輝いているように思えた。


「ええと……デルシェア姫には、ご満足いただけたでしょうか?」


 俺がそのように呼びかけると、デルシェア姫は溜め込んでいた何かを解き放つかのように「うん、もちろん!」と元気いっぱいの声を発した。

 それからすぐに「あっ」と口もとを手で隠し、ポルアースたちに向きなおる。


「貴き方々の前で失礼いたしました! どうか今のはしたない姿はお忘れくださいね?」


「いえいえ。デルシェア姫はこの場でもっとも高貴な身分にあられるのですから、言葉づかいを気にされる必要などありませんでしょう」


 ポルアースは社交的な笑みを振りまきながら、そのように応じた。


「どうか我々のことなど気になさらず、お好きなようにお喋りください。決してダカルマス殿下に告げ口したりはいたしませんので」


 デルシェア姫はジェノスの侍女や兵士たちの前でもあけっぴろげな姿を見せているのだから、いい加減にその行状はポルアースたちにも伝わっているのだろう。

 それはそれとして――ポルアースはより高い身分であるダカルマス殿下に、隠し事をしてくれるなどと言いたてている。それは善意や厚意などではなく、デルシェア姫の懐に入ろうという社交術なのかもしれなかった。


「……本当に、父様に内緒にしていただけるのでしょうか?」


 デルシェア姫が珍しくも、探るような目つきでポルアースを見やる。

 ポルアースは虫も殺さない笑顔で「もちろん」と応じた。


「僕がデルシェア姫を陥れる理由はありません。もしもこの話がダカルマス殿下に露見してしまったときは、僕もデルシェア姫と一緒にお叱りを受けましょう」


「……わかりましたわ。ポルアース様のありがたいお言葉をつつしんでお受けいたします」


 そんな風に述べてから、デルシェア姫はくりんとこちらに向きなおってきた。


「というわけで、ポルアース様の前ではいつも通りに語らせてもらうからね! あんたたちも、父様に告げ口したりしないでよ?」


 これは俺などが軽率に答えていい話ではないように思えたので、ジザ=ルウに視線で責任をパスしてみせる。

 ジザ=ルウは、落ち着いた面持ちでデルシェア姫を見返した。


「我々は、虚言を罪としている。しかし、このような話を自ら吹聴する理由はどこにもないだろう」


「うん、それでかまわないよ! フェルメス様も、どうぞよろしくお願いいたしますね!」


 フェルメスも普段通りの優美な微笑で「承知いたしました」と快諾した。

 だいたい、言葉づかいがどうであろうと、デルシェア姫の元気さに変わりはないのだ。そのようなものを気にしているのは、当人と父君だけなのだろうと思われた。


(なんか、ディアルのときと同じようなパターンだな。高貴な方々が同席する場では下々の人間にも丁寧な言葉で接するっていうのが、ジャガルの習わしなんだろうか)


 俺がそんなことを考えている間に、デルシェア姫は堰をきったように語り始めた。


「で、晩餐の出来栄えについてだったよね! そんなの、満足してるに決まってるじゃん! まずこの、まーぼーちゃんとかいうやつ! これを食べて、ようやくわかったよ! やっぱりあの最初の日に食べさせられた魚料理は、即興の域だったんだなってね! あれはあれで見事な出来栄えだったけど、やっぱりどこかしらに甘さがあったんだと思う! 熱の入れ方か、具材に対する調味料の配合か、そこまでこまかいことはわかんないけど、こっちの料理は文句のつけようもなく美味しいもん! 辛くて辛くて汗が止まらないけど、これこそがココリやマロマロのチット漬けの本領なんだろうね! あたしもこれに負けない料理を作りたいって、心の底から思い知らされちゃったよ!」


「そ、そうですか。過分なお言葉、ありがとうございます」


「過分じゃないってば! それにこの、すいぎょーざってやつね! ギバ肉のもマロールのも、もう最高! フワノを茹でるなんて不思議なことするなーって思ったけど、この食感は面白いね! それにやっぱり、ミャンの香草! これってクセのある香りだからどう使うのが正しいのかってずっと思い悩んでたけど、干しキキの実とこんなに合うんだね! 干しキキだったらジャガルにもあるから、あたしも色々と試してみなきゃって思ったよ! ……あ、このマロールの炒め物も美味しいね! これは南の民だったら、絶対に文句のない味わいだよ! そこに魚醤やファーナっていうゲルドの食材がこんなに合うなんてね! まあファーナなんてのはクセがないから大抵の料理に合うんだろうし、魚醤はタウ油と相性がいいんだろうけどさ! それにしたって、ジャガルとゲルドの食材がこんなに調和するってのが面白いよね! これでこそ、ゲルドの食材を買いつける甲斐があるってもんだよ!」


 なんだか、アルヴァッハにも負けない長広舌である。

 それに内容に関しても、まったく的外れではないように思えた。


「シャスカ料理は、驚かされちゃったなー! ジェノスの貴族のお人らは、こういうシャスカ料理をご存じだったわけだよね? それじゃあ試食会で星を取れなかったのも納得さ! あのノ・ギーゴを使ったシャスカ料理も文句なく美味しかったけど、これは比べ物にならないほど豪華だもん! 手間をかけて仕込んだシャスカをさらに油で炒めるなんて、ほんとに凝ってるよねー! で、油の被膜がシャスカのひと粒ずつを包むから、こんな食感になるわけでしょ? ついでにホボイ油や具材の風味もシャスカのひと粒ずつに行き渡ってるから、すごく美味しいし、すごく不思議な感じ! これはフワノじゃ、代用がきかないね! 危うく買いそびれることにならなくて、ほんとによかったよー! ……あ、あと、このどっしりとしたギバ肉ね! ギバ肉はこまかく刻んでも美味しいけど、やっぱり本来の美味しさを求めるにはこういう料理が最適だよね! そう思ったから、アスタ様もこの料理を献立に加えたんでしょ?」


「あ、はい。こまかく刻んだギバ肉の料理ばかりでは、森辺の民に相応しくないという風潮もありますので……」


「ふーん? その風潮はよくわかんないけど、肉をかじる食感ってのは食の楽しみのひとつだからね! そういうアスタ様の配慮が、この日の晩餐の素晴らしさを際立たせてるってことさ! 汁物料理やレミロムのまよねーず和えってやつが、他の料理を引き立ててくれるし、舌を休ませてくれるもんね! これが昼間に言ってた、凝った料理と簡素な料理の組み合わせってやつでしょ? アスタ様はただ自分の技量をひけらかすんじゃなく、きちんと食べる相手のことを一番に考えてるから、試食会でも勲章をもらうことができたんだよ! 騎士だって、ただ剣の腕が立つだけじゃ半人前だもんね! その技量に見合った精神性があってこそ、初めて立派な騎士と認められるのさ! アスタ様はそんなに若いのに、技量も心も申し分なく磨かれてて、ほんとに凄いと思うよ! ジャガルの王都にだって、こんなに立派な料理人はそうそういないんじゃないかな!」


 そこまで言い切ったデルシェア姫は大きく息をついてから、にっこりと俺に笑いかけてきた。


「あとは、食事の後でいいかなあ? いつまでも喋ってたら、せっかくの料理が冷めちゃうしね!」


「え? いえいえ、これだけのお言葉をいただけたら、俺なんかはもう十分ですし……」


「何を言ってるのさ! まだ伝えたいことの半分も口にしてないよ! 料理を食べ終える頃には、また語りたいことも増えちゃうだろうしね!」


 そうしてデルシェア姫はにこにこと笑いながら、食事を再開させた。

 デルシェア姫の寸評を笑顔で聞いていたポルアースが、その隙に発言する。


「デルシェア姫こそまだそのお若さであられるのに、目を見張るような含蓄であられますね。ジェノスの民たるアスタ殿の料理や人柄をそうまでおほめいただけるのは、光栄の限りであります」


 デルシェア姫は口の中身を呑みくだしてから、「わたくしなんて、まだまだですわ」と笑った。さすがに貴族を相手にぞんざいな口をきく気はないようだ。


「それに、料理に対する熱情というものにも感服させられてしまいます。デルシェア姫はそれほどの熱情をお持ちだからこそ、あれほどの技量を身につけることがかなったのですね」


「わたくしは、恵まれた環境でしたもの。物心ついたときには、試食会の席につかされていましたからね」


 では、南の王都における試食会というのは、十数年も前から敢行されていたということだ。俺はそちらのほうにこそ驚嘆させられてしまった。


「……サイクレウスも、美食というものに心をとらわれていた。同じものに心をとらわれながら、こうまで異なる道筋を辿るものであるのだな」


 と、ジザ=ルウがふいにそのようなことを言い出した。

 それに応じたのは、フェルメスである。


「サイクレウスは、己自身の欲望を満たそうとしていたに過ぎません。己の愛するものを独占しようとするか、多くの人々と分かち合おうとするか、その差が出ているということなのでしょう」


「そのような差が出てしまうのは、やはり人柄の差というものなのだろうか」


「人柄と、環境でしょうかね。サイクレウスは長きにわたって、シルエルの存在に脅かされていたと証言しています。大きく傷つき疲弊しきった心を癒やすのに必死で、余人に目を向けるゆとりもなかったのでしょう。サイクレウスは美食に溺れることで、現実の苦悶から逃げようとしていたのだと思われます」


 そう言って、フェルメスは優雅に微笑んだ。


「逆に言えば、料理にはそれだけの力があるということです。人間にとって、食とは生きるために欠かせない存在でありますからね。人間の中には美味なる料理を求める本能というものが、強く宿されているはずなのですよ」


「では……我々は長らく、その本能を見失っていたということか」


 ジザ=ルウが静かに反問すると、フェルメスはふっと遠くを見るような眼差しになった。


「いえ……美味であろうがそうでなかろうが、必要な滋養さえ摂取できればいいというのも、ひとつの本能でありましょう。いや、むしろ本能と呼ぶのはそちらのほうが相応しく……そこに美味という付加価値を求めるのは、人間が後から獲得した文明の産物に過ぎない、ということでしょうか」


「文明。……文明とは、何なのだろうな」


「文明とは、人と獣を分かつ叡智です。どれほど賢い獣でも、火を扱ったり畑を耕したりすることはできません。そうした叡智で世を支配した人間だけが、美味なる食事という悦楽を追い求めることがかなうのでしょう」


 フェルメスのヘーゼル・アイが、神秘的な輝きを宿している。

 数ヶ月前の俺であったら、魂を吸い込まれるような心地を抱かされていたことだろう。


「だから……森辺の民は本能を見失っていたのではなく、むしろ獣としての本能が強く発露していたのかもしれません。腹が満たされ、すこやかに眠れて、子を生すことさえできれば、それで充足しているという……人間よりも、獣に近い存在になりかけていたのやもしれませんね」


「しかし我々は、収獲を銅貨に換えなければ生きていくことができませんでした。獣としても人間としても不十分な状態にあり、それが町の人々との不和を生み出していた、ということなのでしょうか」


 ガズラン=ルティムがひさかたぶりに口を開くと、フェルメスはあどけなくも見える顔で微笑んだ。


「そう、きっとそういうことなのです。ガズラン=ルティムの聡明さには、いつも感服させられてしまいます」


「いえ。私などは、フェルメスの考えをなぞったに過ぎませんので」


 すると、しばらく食事に専念していたデルシェア姫が、きょとんとした面持ちでフェルメスらを見回した。


「あのー、皆様はいつもそのように小難しいことを語らいながら食事をしておられるのですか? それでは何だか、胃にもたれてしまいそうです」


「これは失礼いたしました。晩餐の場に相応しい話題ではなかったようですね」


 フェルメスは如才なく対応し、ずっといい子にしているリミ=ルウのほうに視線を飛ばした。


「デルシェア姫をお招きした晩餐には、もっと楽しい話題こそが相応しいことでしょう。リミ=ルウ、何か話題を提供していただけませんか?」


「えー? リミはジャガルの王都のお話とか聞かせてほしいんだけど……」


 リミ=ルウがもじもじしながら言うと、デルシェア姫は朗らかに笑いつつ、隣のロデの腕を肘でつついた。


「王都のお話だってよ! わたしは食べるのに忙しいから、あんたがお願いね!」


「は……南の王都の、何を語らえばよろしいのでしょうか?」


「なんでもいいの! 最長老のジバ婆が、遠くの土地のお話を知りたがってるから!」


 リミ=ルウの無邪気さが、厳粛になりかけていた空気を木っ端微塵にしてくれたようだった。

 そしてそのきっかけとなったのは、他ならぬデルシェア姫だ。やっぱり彼女の奔放さは、貴族よりも森辺の民と相性がいいのだろうと思われた。


(想像してたよりも、平和な展開なんじゃないのかな)


 これならば、ディアルや町の人々をお招きした日とそう変わらないように思える。

 アイ=ファはどのように考えているだろうかと、こっそり隣をうかがってみると――アイ=ファは何とも曖昧な面持ちで、ロデの語るジャガルの王都の話に耳を傾けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] この姫様と相性がいいのはアルヴァッハしかいないでしょ。
[一言]  デルシェア姫は悪い人ではないと思う。しかし、王族がこんなフランクなのは問題があるような気がするのだが……  今回の晩餐に関してはとりあえず無事に終わりそうでよかったのだけれど、この後の展開…
[一言] やっぱり、このキャラ被り女は好きになれそうにないわね
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