高貴なる客人②~勉強会~
2021.5/13 更新分 1/1
「へー! これが森辺の厨かあ!」
かまどの間に一歩足を踏み入れるなり、デルシェア姫は好奇の視線を巡らせた。
「うんうん! 木造りってのは物珍しいけど、思ってたよりも立派な厨だね! 調理器具も、けっこういっぱしなのがそろってるじゃん!」
「ええ。ジャガルの鉄具屋と懇意にさせてもらっていますので」
「あ、それってジェノスに腰を据えてるゼランドの連中のこと? ハリアスとかいうお人が、いっぺん挨拶に来させられてたよ!」
「はい。そちらの方々です。本来の責任者である御方は、ちょうど里帰りのさなかなのですよね」
この場の取り仕切り役は俺であるため、自然とデルシェア姫の応対も俺が引き受けることになる。その間に、初対面となるミーア・レイ母さんやララ=ルウはデルシェア姫の挙動をじっと見守っている様子であった。
デルシェア姫とともにかまどの間に足を踏み入れたのは、若き兵士ロデのみとなる。その相棒はロデの長剣をあずかりつつ、入り口のすぐ外で待機のかまえだ。デルシェア姫もロデも行商人めいた平服であるため――そしてデルシェア姫がひたすら無邪気であるため、貴き客人を迎えたという雰囲気は皆無であった。
「さて、それでは今日の勉強会を始めたく思いますが……どのような内容にするべきか、デルシェア姫は何かご希望などありますか?」
「えー? ゲルドの貴人なんかを招いたときも、ありのままを見せてたんでしょ? あたしのことはかまわずに、いつも通りの姿を見せてよ!」
俺のすぐ横に陣取ったデルシェア姫は、にこにこと笑いながらそう言った。お団子にまとめられた褐色の髪が、尻尾のようにぴょこぴょこと揺れている。
「そうですか。とはいえ、自分たちの勉強会は毎回こうして当日に内容を決めているのですよね」
「ふうん? 勉強会って、毎日やってるんでしょ? 毎回そんなに、行き当たりばったりなの?」
「普段は勉強会に参加する人たちから希望を聞いているのですが、今日は3日に1度の俺個人の修練の日だったのですね。この日は俺が個人的に気になる題材に取り組むという内容になっています」
デルシェア姫は同じ表情をしたままのびあがって、俺の顔を覗き込んできた。
「つまり、それ以外の日は周囲の人間のための勉強会で、3日に1度だけ自分のために時間を作ってるってこと?」
「はい。そういうことになります」
「なるほどねー! だから森辺には、そんなに優れた料理人がぽこぽこ生まれることになったのかー! 自分よりも他人のために時間を使うなんて、あんたはやっぱり立派な人間だね!」
こんな笑顔でそんな言葉を叩きつけられてしまうと、俺もいくぶんたじたじになってしまった。
「まあ何にせよ、あんたの好きにしてくれていいよ! あんたが今、何に一番注力してるのかってのも気になるところだしねー!」
「自分が一番注力しているのは、やっぱり南の王都から届けられた新しい食材に関してですが――」
と、そこで俺はつい先ごろ抱いた疑問を思い出すことになった。
「あの、デルシェア姫。ボナの根について、ひとつおうかがいしたいことがあるのですが……赤子を身ごもった女性や、赤子に乳をやる女性でも、ボナの根は問題なく口にできるのでしょうか?」
「赤子? あー、なるほどなるほど! ミャームーなんかは食べすぎると、乳の味が変わっちゃうってやつね! うん、ボナの根にそういう影響はないはずだよ!」
とたんに、ルウ家の3姉妹が同時に「えっ!」と声をあげた。
その中から代表として、レイナ=ルウが進み出る。
「あ、あの、それは真実なのでしょうか? ボナの根も他の香草やミャームーなどに負けないぐらい、辛みと風味が強いように思うのですが……」
「うん。あたしは、そう聞いてるけど?」
レイナ=ルウは、大いなる熱意を込めて俺のほうに向きなおってきた。
俺は、笑顔で答えてみせる。
「ボナの根は辛みも風味も強いけど、他の香草みたいに後を引かないだろう? だから、乳にも影響が出ないんじゃないかって思ったんだよね」
「そうなのですね……」としみじみ息をつくレイナ=ルウのかたわらで、その妹たちは笑顔を見交わしている。その姿に、デルシェア姫はきょとんと小首を傾げた。
「何をそんなに喜んでるの? もしかしたら、身内に子供を産んだお人がいるとか?」
「あ、はい。長兄ジザの伴侶が子を生したばかりですので、香草の料理をあまり口にできないのです。でも、ボナの根であれば、口にすることが許されるのですね」
レイナ=ルウも、心から嬉しそうな様子であった。
そしてそれは、俺も同じことである。
「それじゃあ今日は、ボナの根に焦点を当ててみようかな。ボナの根は、シャスカと相性がいいように思うんだよね」
「そうなのですか? それなら、サティ・レイもいっそう喜びます!」
そうしてその日は、ボナの根の研究が進められることになった。
レイナ=ルウたちが手分けをして食材の準備をしてくれている間に、デルシェア姫が俺のTシャツの裾を引っ張ってくる。俺が腰を屈めると、デルシェア姫は笑いを含んだ声を耳の中に注ぎ込んできた。
「こういう日にまで、あんたは他人の世話を焼こうっていうんだね。そういう優しさは、すごく好ましく思うよ」
「いえ、俺にとってもサティ・レイ=ルウというのは大事なお相手ですので……それに、どうせ新しい食材の研究を進めたいと思っていたところです。その順番をつけるのに、理由をもらったようなものですよ」
俺がそのように応じると、デルシェア姫はにんまりと笑って、また口を寄せてきた。
「そういう謙虚な部分は、西の民っぽいね。でもまあ、こういう際なら嫌いじゃないよ」
「そうですか」と、俺は曖昧に笑うしかなかった。
調理の下準備が進められる中、クルア=スンは心配そうに俺たちのことを見やっている。また俺が何かの苦労を担わされているものと案じているのだろうか。
(別に苦労じゃないんだけど、デルシェア姫のあけすけな物言いにちょっと面くらっちゃうんだよな)
デルシェア姫に比べれば、ディアルのほうがまだしも恥じらいというものを備えていることだろう。やはり王女という立場の強さからか、デルシェア姫は自分の真情をぶちまけることに一切のためらいがないように見受けられるのだった。
(あ、だけど、こういうやりとりを余人に聞かせないようにっていう配慮はあるのか。恥じらいとは、またちょっと違うように思えるけど……)
ともあれ、調理の準備は整った。
ララ=ルウとリミ=ルウがシャスカを炊いてくれている間に、俺は講釈を開始する。
「前回は、ボナの根の清涼な風味が脂のくどさとか臭みとかを緩和してくれるって話に焦点を当てたよね。俺たちはギバの脂や風味を忌避していないし、むしろ好ましいと思ってるぐらいだけど、ボナの根を使うとまた目新しい美味しさを追求できると思うんだ」
「はい! それにやっぱり、時にはさっぱりしたものが食べたい日だってありますものね!」
いつも元気なレイ=マトゥアが、そんな風に応じてくれた。
「そうそう。それで、チットの実なんかも清涼な面はあるかもしれないけど、それよりも辛みのほうが際立ってると思うんだよね」
「そうですねー。さっぱりしたものを食べたい日に、チットの実を使おうとは思いません!」
「うん。そういうときに、このボナの根が有効だと思うんだ」
すると今度はマルフィラ=ナハムが「で、で、でも」と発言した。
「ア、アスタの仰る通り、さっぱりとしたものが食べたい日には、ボナの根が合うように思います。で、でもそれは、ギバ肉の脂や風味を緩和してくれるからなのですよね? もともと風味も強くないシャスカに使うと、どのような効果が生まれるのでしょう?」
「シャスカに限らず、風味の弱い料理に使えば、ボナの根こそが刺激の面を担うことになるわけだね。風味の強い料理には清涼感を与えて、風味の弱い料理には刺激を与えてくれるっていう、そういう特性が他の香草よりも強いってことなんじゃないのかな」
「な、な、なるほど。だ、だから他の香草をあまり口にできない人間には、その刺激がありがたいわけですね」
「うん。サティ・レイ=ルウばかりじゃなく、乳飲み子を抱える女衆のみんなに喜んでもらえるような料理を考案したいところだね。……そういえば、スドラの赤ちゃんたちはまだ乳離れしていないのかな?」
「はい。すでに煮汁やふやかしたポイタンも与えてはいますが、まだしばらくは乳をあげるはずです」
「そっか。リィ=スドラにも喜んでもらえるように、頑張らないとね」
ユン=スドラはさきほどのレイナ=ルウたちにも負けない笑顔で、「はい」とうなずいた。
それを見届けてから、いよいよ実践に移行する。
「シャスカが炊けるまで、あれこれ思いつきを試してみようかな。まずは、マヨネーズとの相性を確かめてみたいんだよね」
「え? まよねーずにボナの根を加えるのですか? あまり味の想像がつかないのですが……」
「俺もそんなに経験はないんだけど、ボナの根に似た食材をタルタルソースに使ったら、けっこう悪くなかったんだよね。誰か、キミュスの卵も茹でておいてもらえるかな?」
「はーい!」と、レイ=マトゥアが空いているかまどに向かった。
そしてマルフィラ=ナハムは、俺がお願いする前からマヨネーズに必要な食材の準備をしてくれている。その姿に、デルシェア姫がエメラルドグリーンの瞳をきらめかせた。
「あの野菜料理で使われてた、まよねーずって調味料を作るんだね! うわー、楽しみだなー!」
「はい。城下町では、まだマヨネーズを使った料理を口にされていないのでしょうか?」
「そうなの! たいていの料理人は作り方をわきまえてるって話なのに、実際に手掛けている人間はほとんどいないみたいなんだよ!」
「ああ、なるほど……調味料の組み合わせというのは料理人の腕の見せどころらしいので、余人の作り方を真似るのはよろしくない、という風潮があるようですね」
俺は白ママリア酢の使い道としてマヨネーズやドレッシングの作り方を公開したのだが、それを活用しているのは主に宿場町の面々であったのだった。
「なんだか、残念な話だよねー! ただ真似るのが悔しいなら、それをさらに改良すればいいだけの話なのにさ! 城下町の料理人は、自尊心の置きどころを考えなおしたほうがいいんじゃない? これじゃあボズル様が心配するのも当然だよ!」
「はい? ボズルがどうかしましたか?」
「このままだと、城下町より宿場町のほうが立派な料理を出せるなんて事態になりかねない、とか言ってたんでしょ? そんなことになったら、それこそ料理人の名折れだろうにねー!」
「ああ、確かにボズルはそんなようなことを言ってましたね。でも、その場にデルシェア姫はおられなかったような気が……」
マヨネーズを作製するマルフィラ=ナハムの手もとをうかがっていたデルシェア姫は、俺のほうをちろりと見ながら口もとをほころばせた。
「たまたま通りかかったうちの侍女が、小耳にはさんだんだよ。うちの侍女や小姓なんかはああいう場で、ずっと聞き耳をたててるからさ! もしも聞かれたくない話があるんなら、こっそりするべきだろうねー!」
「……なるほど。承知いたしました」
そんな言葉を交わしている間に、マヨネーズは完成した。
デルシェア姫は、今にも俺の胸に取りすがってきそうな勢いで身を乗り出してくる。
「味見! ボナの根を入れる前に、味見させてくれない!?」
「ど、どうぞどうぞ。今、取り分けますので」
匙で小さくマヨネーズを取り分けてもらうと、デルシェア姫は満面の笑みでそれを受け取った。
そうして小指の爪ほどの分量を口に含んだデルシェア姫は、まぶたを閉ざして入念に味を見る。
「うん……酢と油ははっきり感じるんだけど……やっぱり卵の風味ってのは、そんなに感じないよね。酢の味が強いからかな……? いやでも、酢や油だけじゃ得られない風味も感じるし……すべての食材が合わさることで、この風味が生まれるのか……」
そうしてぱちりとまぶたを開けたデルシェア姫は、食い入るように俺を見つめてきた。
「それにやっぱり、このなめらかな口当たりが不思議だよ! にゅうか、だったっけ? 食材をただ混ぜるだけで食感まで変わるっていうのが、すごく不思議!」
「乳脂なんかを作るときにも、カロン乳をおもいきり攪拌するでしょう? あれも水分と油分を強引に結びつけた上で、余剰の水分を分離させるということなのだと思います」
「ああ、だから乳脂も、とろーってしてるのかあ。乳脂なんて、自分で作ったこともなかったなあ。今度、挑戦してみよっと!」
そう言って、デルシェア姫はにっと白い歯をこぼした。
さまざまな笑顔を持つデルシェア姫であったが、俺にとってはこの笑い方がもっとも心を和ませてくれた。
そんな一幕を経て、マヨネーズとボナの根の相性を探る研究である。
慎重に、少量ずつボナの根を加えていく。そのたびに味を確かめてみたが、どれだけボナの根を加えても物足りなさは否めなかった。やはりどんなに似ていても、ボナの根とワサビでは多少の違いが出てしまうようだ。
「どうも、ひと味足りないな。タルタルソースは他にも食材を使ってるから、それが隙間を埋めてくれるっていう面もあるのかな」
「そ、そ、そうですね。た、確かにまよねーずとボナの根の間に、ぽっかり隙間が空いているように思います」
マルフィラ=ナハムを筆頭に、誰もが同じ思いであるようだった。
ちなみにデルシェア姫は、珍しくぴたりと口をつぐんでいる。ここは自分が口出しをする場面ではないと心がけているかのようだ。
「その隙間を埋めるのは……やっぱり、タウ油かな。マヨネーズだって、タウ油とは相性がいいわけだしね」
この発想は、当たりであった。タウ油がマヨネーズとボナの根の両方に結びつき、その隙間を埋めてくれたようだった。
「こうなると、魚醤やめんつゆとの相性も確かめたくなっちゃうな。ちょっと手間だけど、めんつゆも作ってみようか」
こうして手間を惜しまずに発想を広げていくことこそが、勉強会の醍醐味である。
結果、魚醤との相性はいまひとつで、めんつゆとの相性がばっちりであるという結論が得られた。
「美味しいね! これにジョラとペレを混ぜ込んだら、試食会のときより美味しくなるんじゃない?」
ひさかたぶりに、デルシェア姫が発言をする。
「そうですね」と応じつつ、俺は作業台の片隅にひっそりと準備されていたペレを取りあげた。
「ちなみに、ペレ単体でもこれは相性がいいと思います。よかったら、味見してみてください」
俺は水で清めたペレを人差し指ほどの長さに切り分けて、ボナの根とめんつゆを加えたマヨネーズを添えてみせた。
「ペレを、このままかじれってこと?」
「はい。ペレの食感を最大限に活かす食べ方かと思われますよ」
ペレというのは、キュウリに似た野菜であるのだ。せん切りや薄切りでも申し分ないが、丸かじりには丸かじりならではの美味しさが存在するはずだった。
果たして、ペレをかじったデルシェア姫はいっそう瞳を輝かせることになった。
「美味しい! なんだ、ペレってこんなに簡単に美味しくできるのかー。あれこれ頭を悩ませてた自分が馬鹿みたい!」
「いえいえ。頭を悩ませて無駄なことはないでしょう。人間は、そうやって食文化を発展させてきたのでしょうから。……ただ、こういう簡素な料理は舌休めに最適だと思います」
「うんうん! 野菜料理でこれを出したら、鼻で笑われちゃいそうだもんね! でも、添え物として出したら、すごく喜ばれそう! 味の強い料理ばっかりじゃ、舌が疲れちゃうもんねー!」
「はい。ペレなんかは、塩をもみこむだけで十分に美味しいですしね。肉だって、塩をふって焼くだけで立派な料理だと思います。ただそれだけだと物足りなく感じてしまうので、簡素な料理と凝った料理を組み合わせるのが、一番効果的だと思います」
俺がそのように語らうと、デルシェア姫はいきなりにこーっと微笑んだ。
「アスタと話すのは楽しいな! これだけで、森辺に招いてもらった甲斐があったよ!」
「そ、それはどうも。……ああ、そろそろ卵が仕上がりますね。今度はタルタルソースというものを召しあがってみてください」
マヨネーズ単体と魚醤はいまひとつであったが、タルタルソースでは結果が変わる可能性もあるので、ひと通りのパターンを試してみる。タウ油、魚醤、めんつゆと、さらにそれらをブレンドさせたさまざまな組み合わせだ。
が、こちらでも、さしたる変化は見られなかった。もっとも適しているのはめんつゆ単体で、次点がめんつゆとタウ油のブレンドであった。
「あ、あ、あの、アスタ。も、もしよかったら、ひとつ試していただきたい食材があるのですが……」
と、マルフィラ=ナハムがおずおずと発言する。
「うん、何だろう? なんでも遠慮なく言ってみておくれよ」
「は、は、はい。ミ、ミソを加えたらどのような味になるのか、少し気になってしまったのですが……」
それはまた、いささか意表を突いた提案であった。
が、タウ油との相性がいいのだから、ミソに期待をかけて悪いことはないだろう。
まずはマヨネーズ単体に、ミソを加えてみると――マルフィラ=ナハムの発想に間違いのないことが証明された。
「うん、普通に美味しいね。それじゃあ、ボナの根との相性はどうだろう」
それも、まったく悪いことはなかった。
さらに、タルタルソースでも試してみると――めんつゆにも負けない美味しさである。
では、めんつゆとミソのブレンドはどうかというと、こちらはちょっといまひとつであった。ブレンドさせるならタウ油が一番で、魚醤もやっぱり微妙なクセが悪い感じに出てしまうようだ。
「ミ、ミ、ミソやタウ油には砂糖がよく合いますよね。こ、こちらの組み合わせではどうなるのでしょう?」
「ボナ入りのタルタルソースに、ミソと砂糖かい? それはなかなか、意欲的だね!」
これは、いささか失敗であるようだった。
が、食材を見つめるマルフィラ=ナハムの瞳は、真剣そのものである。
「タ、タ、タルタルソースに加えたアリアのみじん切りが、砂糖とぶつかっているように思います。マ、マヨネーズに砂糖と味噌なら、調和も壊れないのではないでしょうか?」
それは、マルフィラ=ナハムの言う通りであった。
レイ=マトゥアは「すごいですー!」とマルフィラ=ナハムの細長い腕にからみつき、レイナ=ルウは感服しきった様子で息をつく。
「わたしはなんだかさきほどから、ヴァルカスの研究を覗いているような心地です。実際にヴァルカスがどのような形で食材の研究を進めているのかは存じませんが……このような形でさまざまな食材を組み合わせているのではないでしょうか?」
「そうなのかな。いつか聞いてみたいところだよね」
そんな言葉を交わす俺たちの姿を、デルシェア姫は輝きを増した瞳で見据えていた。
「マルフィラ=ナハム! やっぱりあんたは、評判通りの料理人みたいだね! あんたの料理を口にできる日を楽しみにしてるよ!」
「え、ええ? そ、そ、そんな、わたしは大したあれではないので……」
マルフィラ=ナハムを救うべく、俺は新たな提案を供してみせる。
「こうなると、マロマロのチット漬けの相性も確かめておきたいところだよね。これもミソに通じる発酵食品だから、近い部分があるんじゃないのかな」
マロマロのチット漬けは、マヨネーズと調和した。が、ボナの根は辛みも風味もかき消されてしまい、まったく調和しなかった。ついでに、タルタルソースとの相性もいまひとつであるようだ。
「え、ええと、ちょっと待ってくださいね。色んなことを試しすぎて、最初のほうの結果を忘れちゃいそうです」
レイ=マトゥアがそのように言いたてたので、これまでの結果を帳面に書き留めておくことにした。
ボナの根を加えたマヨネーズおよびタルタルソースには、めんつゆやミソが合う。タウ油もまったく悪いことはないし、めんつゆとタウ油、ミソとタウ油をブレンドさせるのもよしである。
ミソと砂糖の組み合わせは、マヨネーズに合うがタルタルソースには合わない。ただし、アリアのみじん切りを加えなければ、悪いことはない。
マロマロのチット漬けは、ボナの根との併用は難しい。またボナを根を抜いても、マヨネーズには合うがタルタルソースには合わない。こちらはアリアのみじん切りを加えなくとも、同様である。
さらにその後の検証によって、マロマロのチット漬けとミソとタウ油のブレンドが、マヨネーズにたいそう調和することが判明した。もはやボナの根との相性は関係ない、副産物的な発見である。
「そっか。マヨネーズはチットの実とも相性がいいからね。マロマロのチット漬けとの相性には、もっと早くから気づくべきだったなあ」
あとはこれらの調味料が、どういった料理と調和するかだ。生野菜にはおおよそ調和するだろうが、それではあまりに使い道が限られてしまうのだった。
「その相性を確かめるのは、また次回だね。今日の主題は、あくまでボナの根だからさ」
といったところで、ようやくシャスカが炊きあがった。
ほかほかの白いシャスカを前に、デルシェア姫は「うわあ」と顔を輝かせる。
「別に香りが強いわけじゃないのに、なんだか胃袋を刺激されちゃうね!」
「シャスカに馴染みのないデルシェア姫にも、そう感じられますか。人間に必要な滋養が豊かである証拠なのかもしれませんね」
そうして俺は、自分の持つささやかな知識を披露することになった。
白米にワサビときて、俺が真っ先に思いつくのはお茶漬けだ。しかし海苔に代わる食材は見当たらないし、わざわざあられをこしらえるのも手間である。さしあたっては、干しキキとミャンを梅しその代用として、そこに燻製魚や海草の出汁をかけてみることにした。
「うん。土台としては悪くないと思うんだけど、どうだろう?」
すでに雑炊やリゾットを知っている森辺の女衆は、あくまで土台としてならという条件づきで賛同してくれた。
「これは、魚と相性がいいように思うんだよね。試しに、ジョラの油煮漬けを使ってみようか」
入念に油を切ったジョラを加えてみると、なかなかのお味であった。
デルシェア姫も、ご満悦の表情でひと口分の料理を噛みしめている。
「まったく不出来なことはないけど、もっと彩りが欲しいところだね! たとえば――あ、いや、なんでもない!」
どうやらデルシェア姫は、あくまで助言はつつしむというスタンスであるようだった。
俺は「ふむ」と考え込む。
「野菜やキノコとの相性も気になるところだけど、それは時間がかかるから次の機会にしようか。体調の優れない日なんかはこういった料理も食べやすいと思うんだけど、どうだろう?」
「はい。サティ・レイが力を落としていた頃であれば、きっと喜んでもらえたことでしょう。それなら別の女衆が力を失ったときに、喜ばれると思います」
「うんうん! さっぱりしてるけど辛みもあって、面白い感じだよね! サティ・レイはシャスカが好きだから、元気な今でも喜んでくれるんじゃない?」
リミ=ルウも、天使のような笑顔になっていた。比較的静かなミーア・レイ母さんやララ=ルウも、満足そうな表情でうなずいている。
では、次なる献立である。
さきほど出汁を取った燻製魚の身をほぐし、タウ油とボナの根を添加する。そうしてキミュスの卵と薄切りのユラル・パとともにシャスカにのせれば、ちょっと豪華な卵かけごはんの完成だ。
これはデルシェア姫と一部の女衆から、絶賛されることになった。
さらに試行錯誤の末、タウ油と魚醤のブレンドは相性がよく、めんつゆはいまひとつであることが判明した。やはり、料理によって調味料の使いどころというのはまったく異なってくるのだ。
お次はさらにお手軽な、とろろごはんならぬ『ギーゴ・シャスカ』だ。
ヤマイモに似たギーゴをすりおろして、タウ油とボナの根を加えて、シャスカに掛けるのみである。簡素であるがゆえに、こちらは失敗のしようもなかった。
そして最後は、肉そぼろ丼となる。
ギバのミンチを炒めたのち、タウ油に砂糖にニャッタの蒸留酒という和風料理の定番調味料を加えて、ひと煮立ちさせる。ボナの根のすりおろしは生鮮のまま、後掛けだ。
お味のほどは、申し分ない。以前に作った『ギバ丼』の簡易版のようなものなので、おおよその女衆も賛同してくれたが、ただ野菜も欲しいという声が数多く寄せられた。肉とシャスカだけではいささか物足りない、ということのようだ。
実のところ、俺はこちらの料理も出汁を掛けて食することを念頭に置いていた。イメージとしては、ウナギの蒲焼きのひつまぶしあたりであろうか。出発点が「赤子を抱えた女衆のために」というものであったため、食べやすさを考慮していたのだ。
そうすると、アリアなどの野菜は不適当であるように思える。もっとも適するのは、やはり刻んだユラル・パであるように思えた。
「出汁を加えないなら、アリアでもプラでもマ・プラでも調和するだろうからね。出汁を加えるときは刻みユラル・パに留めておく、というのを今日のところの結論にしておこうかな」
それらの試食品の総評を済ませたところで、勉強会は終わりの刻限と相成った。
デルシェア姫の感想は、「楽しかったー!」である。その小さな顔には、言葉の通りの表情が浮かべられていた。
「あんたはボナの使い道なんてあまり思いつかないとか言ってたのに、今日1日ですごい成果じゃん! あれもジェノス流の謙虚さだったの?」
「いえ、本心です。ボナに熱を入れる使い道はほとんど知識にありませんし、生鮮の使い道に関しても、これでもうほとんどすっからかんですね」
「十分に凄いと思うけどなー! 今日の料理だって、試食品としては十分以上の出来栄えだったもん!」
そう言って、デルシェア姫はいっそう楽しそうに笑った。
「だけどやっぱり、試食品は試食品だもんね! 晩餐ではどんな料理を食べさせてもらえるか、楽しみだなー! 父様に自慢するんだから、腕によりをかけてよね!」
俺は思わず「はいはい」と返事をしそうになり、慌てて口をつぐむことになった。あまりにデルシェア姫が気安い態度であるため、うっかりディアルを相手にしているような心地になってしまったのである。
しかしそれは、俺の中の警戒心がようやくやわらいだという証なのかもしれなかった。