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異世界料理道  作者: EDA
第六十一章 楽しき騒乱
1041/1683

高貴なる客人①~来訪~

2021.5/12 更新分 1/1

 翌日――黄の月の25日である。

 俺たちが屋台を借りるために《キミュスの尻尾亭》を訪れると、仏頂面のミラノ=マスに出迎えられることになった。


「例の試食会とやらだがな、けっきょく《玄翁亭》と《ランドルの長耳亭》が料理の準備を受け持つことになったぞ」


「《ランドルの長耳亭》? それは聞き覚えのない宿屋であるようですね」


「ああ。あの宿は、森辺の民に手ほどきを願ったりもしてなかったしな。あそこの主人はゲルドの食材を扱うのが巧みなようで、ずいぶんと見事な菓子を出していた」


「そうですか。どのような菓子であるのか、試食会が楽しみです」


 俺がそのように答えると、ミラノ=マスは深々と溜息をついた。


「どうして好きこのんで、あんな会に出たいと思うんだかな。俺もようやく、お前さんがたの苦労をわずかばかり理解できたように思うよ」


「あはは。でも、そんなに心配はいらないと思いますよ。貴族や王族の方々だって、そうまで傲岸なわけではありませんしね。きっと《キミュスの尻尾亭》の料理も気に入っていただけますよ」


「ふん。そうであることを願うばかりだ」


 そうして屋台を借り受けて、露店区域を目指していると、今度はレビが熱っぽく語りかけてきた。


「なあ、2日後の試食会ってやつだけどな! けっきょく《キミュスの尻尾亭》からは、俺たちのらーめんを出すことになったんだよ!」


「あ、それじゃあ当日はレビとラーズが城下町に出向くんだね。ミラノ=マスが浮かない顔をしていたから、てっきりご自分で出向くのかと思ったよ」


 俺がそのように言いたてると、杖をついてひょこひょこと歩いていたラーズが柔和な笑みを向けてきた。


「きっとご主人は、あっしらが貴き方々にご不興を買ったりはしないかと心配してくださっているんでやしょう。ご主人は、お優しいですからねえ」


「ふふん。アスタ直伝のらーめんなんだから、不興なんて買うもんかよ。《キミュスの尻尾亭》の人間として出場するからには、いいところを見せて御恩を返さないとな!」


 レビは、大いに発奮している様子である。俺としても、彼らのラーメンがどのような評価を受けるのか楽しみなところであった。


(確かに基本のレシピを教えたのは俺だけど、今の味を完成させたのはラーズたちだもんな。マロマロのチット漬けのトッピングなんて、完全にオリジナルなわけだし……きっといい結果を出せるさ)


 露店区域に到着したならば、いつも通りに屋台の営業である。

 デルシェア姫たちは店じまいである下りの二の刻にやってくるはずなので、俺たちは普段通りに仕事に励むことができた。


(今日は、黄の月の25日か……俺は2年前のこの日に、初めてアイ=ファに料理をふるまったわけだな)


 と、ともすれば俺の想念はあらぬ方向に飛んでしまう。昨晩の幸福な時間が、いまだ俺の心の一部分を陶然とさせていたのだった。


(あの日には、川でマダラマに襲われたりもしたんだっけ。アイ=ファを助けるために、うっかり裸身を目にしちゃったりもして……ああ、いかんいかん! 煩悩が!)


 俺はこっそり首もとの黒い石に手を置いて、気持ちを静めることにした。

 屋台は、変わらずに盛況である。宿屋の屋台村も同じぐらい盛況であるはずなのに、こちらの売り上げが落ちる気配もない。それはもう、宿場町への来訪者がこれまで以上に増大しているという何よりの証であった。


 宿場町はいつでも賑やかなので、そうまで大きな変化は感じられないのだが――やはり2年前などと比べれば、格段に通行人も増えているのだろう。ジェノスでしか味わえないギバ料理というものがその一助になっているのなら、光栄の限りであった。


「アスタ、お疲れ様です」


 と、朝一番のピークを終えたところで、《黒の風切り羽》のククルエルがやってきた。昨日と一昨日は姿が見えなかったので、試食会以来の再会だ。


「どうも。先日はお疲れ様でした」


「はい。のちほど、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 俺が了承すると、ククルエルは礼を述べつつ屋台の料理を買ってくれた。

 そうして四半刻もすると、早々に屋台の裏側に回り込んでくる。


「2日後には、またもや試食会となりますね。わたしやアリシュナも、再び招かれることとなってしまいました」


「ああ、やっぱりそうだったのですか。でも、前回は南の王都の食材の感想を聞くために、という名目であったのですよね。今回は、どういった名目なんです?」


「それが、いまひとつ判然としません。わたしはさまざまな土地を巡っているので料理に関しても造詣が深いだろうと、そのようなお言葉をいただいたのですが……それではアリシュナを招く理由もありませんでしょう」


「なるほど。なんとなく、顔ぶれをなるべく変えたくないという気持ちはあるみたいですよね。3日前の試食会と不公平にならないように、という考えなのかもしれません」


「そうですか。試食会というのは興味深い催しでありますので、わたしも招待されることを苦にしているわけではないのですが……何せ相手がジャガルの王家の方々であられるため、いささか気にかかるところです」


 そのように語りながら、ククルエルは落ち着いた眼差しだ。多少の懸念はあろうとも、臆するところはないのだろう。前回の試食会でもジャガルの人々から非礼な振る舞いをされることは皆無であったと、プラティカからはそのように聞いている。


「宿場町でも、ずいぶん料理の質が上がったようですね。以前に訪れたときなどは、まだちぐはぐな料理を出す屋台も少なくなかったように思いますが……わずか1年ばかりで、見違えるほど美味なる料理が増えたように思います」


「ええ。みなさん、頑張っておられますからね。きっと試食会でも、ご満足いただけると思いますよ」


「それは楽しみです」という言葉を残して、ククルエルは立ち去っていった。

 それと入れ替わりで屋台にやってきてくれたのは、ドーラの親父さんとターラである。


「やあ、お疲れさん! 今日の料理も、美味そうだね!」


 真っ先に俺の屋台の前に立ってくれたドーラの親父さんは、満面に笑みをたたえていた。


「毎度ありがとうございます。……今日はいつにも増して、ご機嫌の様子ですね。何かいいことでもあったのですか?」


「うん? ああ、まあね。実は今朝、サトゥラス伯爵家から使者のお人がやってきてさ。おほめのお言葉をあずかることになったんだよ」


「おほめのお言葉?」


「ああ。ダレイムの野菜は質がいいって、南の王家のお人らがたいそうお喜びみたいでね。ダレイムで畑を取り仕切ってる家に、おほめのお言葉と心づけが届けられたってわけさ」


 そう言って、親父さんはいっそう笑み崩れた。


「まあ心づけなんてもんは、みんなで分け合ったら大した額じゃなかったがね。手塩に掛けて育てた野菜がほめられるってのは、やっぱり気分がいいもんさ」


「なるほど。俺なんかは余所の畑と比べようもないので、ついついありがたみを忘れがちですけれど、やっぱりダレイムの野菜というのは質が高いのですね。美食家で知られる王家の方々におほめいただけるなんて、きっとすごいことなのだろうと思います」


「ああ。なかなか気のいいお人らじゃないか。今日はアスタの家に、お姫さんのほうをお招きするんだっけ? 俺たちの野菜で、美味しい料理を作ってあげておくれよ」


 ドーラの親父さんが心から晴れがましい様子であるためか、ターラも嬉しそうににこにこと笑っている。

 そうして仲良し父娘が青空食堂に引っ込んでいくと、俺の手伝いをしてくれていたクルア=スンが小さな声で「なるほど」とつぶやいた。


「うん? 何がなるほどなのかな?」


「え? あ、申し訳ありません! うっかり声に出してしまいました!」


 クルア=スンは沈着な気性をしているが、ときおり年齢相応の可愛らしさを発露させる。今がまさにそのときであった。神秘的な銀灰色の瞳で、末はヴィナ・ルウ=リリンかヤミル=レイかという秀麗な面立ちをしたクルア=スンが恥ずかしそうに頬を染めるさまは、なんとも魅力的であるのだ。


「いや、謝る必要はないけどさ。よかったら、何に納得したのか教えてもらえないかな?」


「は、はい……南の王家の方々というのは、ずいぶんジェノスを騒がせてやまない存在であるかと思うのですが……直接顔をあわせる機会のない人間にとっては、ずいぶん好ましく思えるのではないかと……そんな風に思ったのです」


「ふうん? ドーラの親父さんの他にも、誰かそういう御方がおられたのかな?」


「はい。わたしの家族を始めとする、スンの家人たちです」


 赤くなった頬をさすりながら、クルア=スンはそのように言葉を重ねた。


「南の王家の方々は、まったく身分に頓着していないように見受けられます。森辺のかまど番のみならず、宿場町の民までをも城下町に招いて、さまざまな人々の縁を繋ぐ役割を果たしておりますし……その態度も、きわめて公正であると聞き及びます。わたしの父などは、王家の方々のおかげでまたジェノスが暮らしやすい土地になるのではないかと、ずいぶん期待をかけている様子でした」


「なるほどね。確かに、そういう面はあると思うよ」


「はい。ですが……実際に顔をあわせたアスタたちや宿場町の方々からお話をうかがうと、ずいぶん人騒がせであるという印象が否めません。ですからこれは、ジェノスの発展のためにアスタを始めとする一部の方々が大変な苦労を担っているのではないかと……そんな風に感じてしまいました」


「そっかそっか。だけどまあ、一番苦労をしているのはずっとおそばにいるジェノスの貴族の方々なんじゃないかな」


 そんな風に言って、俺はクルア=スンに笑いかけてみせた。


「これでジェノスが発展するなら、苦労のし甲斐もあるってもんさ。この先も、王家の方々とはうまくつきあっていきたいものだよね」


「はい。アスタやトゥール=ディンにばかり苦労を担っていただくのは申し訳ない限りなのですが……」


「そんなことはないさ。今回はけっこう、苦労も分散してると思うよ」


 とはいえ、本日はファの家でデルシェア姫と晩餐をともにする約束になっている。アイ=ファの抱えた気苦労も含めて、俺たちがほどほどの苦労を担っていることに間違いはなかった。


 そんなこんなで時間は過ぎて、下りの二の刻が近づくと――ついに城下町から、デルシェア姫の一団がやってきた。

 10名は乗車できる立派なトトス車が、5台である。なおかつ、トトスにまたがったジャガルの騎兵が20名ばかりも同行していたものだから、往来の人々も騒然とすることになった。


 が、その一団は屋台の前を通りすぎて、粛々と南下していく。

 彼らは町と森の狭間で待機をして、そこで合流する手はずになっていたのだ。アルヴァッハたちなどはそれほど大勢の護衛も連れずに屋台を訪れていたものであるが、そこは流儀が異なるのだろう。


 ちなみに今回、ダカルマス殿下は同行していない。あの御方は美味なる料理に果てしない熱情を抱いているものの、調理の過程には一切興味がないようなのだ。

 ただその代わり、使節団が帰国するまでには、森辺の祝宴に招待を――と、マルスタインにおねだりをしているらしい。すでに内々では森辺の族長たちにも通達がいっており、いったいどのような祝宴にするべきかと協議が進められているさなかであった。


(だからまあ、やっぱり苦労はそれなりに分散されてるよな)


 俺がそんな風に考えていると、背後から「アスタ」と呼びかけられた。いちおうの護衛役として宿場町に下りていたルウ家の狩人、ジーダである。


「裏手から、南の民が3名ほど近づいてきている。もしやあれは、ジャガルの姫君というものなのではないだろうか?」


「え? デルシェア姫は、いまの車に乗ってると思うけど」


「そうか。ならばあやつらは、何者なのであろうな」


 なんとなく落ち着かないものを感じながら、俺はジーダの視線を辿った。

 青空食堂と屋台を迂回して、裏からこちらに回り込んでくる人影が、4つ。ひとりは同じく護衛役のルド=ルウ、2名は行商人のような身なりをしたジャガルの男性、そして最後のひとりは――フードつきマントで人相を隠した、とても小柄な人物であった。


「や、お疲れさん。宿場町の屋台って、こんな風になってるんだねえ」


 その人物が、フードの陰からにっこりと笑いかけてきた。

 エメラルドグリーンの瞳と褐色の髪を持つ、ちんまりとした可愛らしい娘さん――まぎれもなく、デルシェア姫その人である。


「デ、デル――」


「あ、馬鹿。名前は呼ばないでよ。せっかく人目を忍んでるんだからさ」


「ど、どうしてあなたがここにいるんです? さっきの一団は何だったのですか?」


「だからさ、ああやって仰々しい姿を見せておけば、あたしがこんな風にひょこひょこ出歩いてるとは気づかれないでしょ? でもまあ宿屋のお人らには顔が割れてるから、いちおうこうやって頭巾をかぶってるわけさ」


 それはもちろん王家の姫君がたったふたりの護衛だけを引き連れて宿場町をうろついているなどとは、誰も想像しないことだろう。

 呆れる俺の眼前で、デルシェア姫はにこーっと微笑んだ。


「森辺でもたっぷり試食させてもらうつもりだけどさ。晩餐までにはまだまだ時間があるから、ここで昼の軽食を楽しませてもらおうと思ったんだぁ。これから表に回るから、おかしな風に騒がないでよ?」


 それだけ言って、デルシェア姫と2名の男性はさっさと歩み去ってしまった。

 クルア=スンは、同情に堪えないといった眼差しで俺を見つめてくる。


「今のが、王家の姫君であったのですね。……やはりアスタは、人一倍の苦労を担っているように思います」


「うん、まあ、その可能性も無きにしも非ずだね」


 終業時間が近いので、すでに屋台も半分がたは料理を売り切っている。後に残されていたのは、俺の担当である『回鍋肉』と、ユン=スドラの担当である『ギバまん』、そしてルウ家の担当である『ミソ仕立てのモツ鍋』ぐらいであった。


「あー、トゥール=ディンの菓子は売りきれちゃったのかぁ。ま、いいや。とりあえず、全部の料理を3人前ずつね」


「承知しました。でもその量ですと、デル――女性はけっこうおなかが膨れてしまうかもしれませんよ」


「大丈夫だって! わたしは男の人と同じぐらい胃袋が大きいから!」


 デルシェア姫は、邪気のない顔でけらけらと笑っている。マントの下に着ているのはやはり行商人めいた平服であるため、彼女が王家の姫君だなどとは誰も思わないことだろう。先日の復活祭で、ジェノスの人々もだいぶんジャガルの女性というものに見慣れたはずであった。


 そうしてデルシェア姫らが青空食堂に向かってすぐに、こちらの料理も売り切れと相成った。

 クルア=スンとともに屋台を片付けて、青空食堂のほうに向かってみると、またおひさまのような笑顔に出迎えられる。


「どの料理も、文句のない美味しさだね! それに、タウ油だとかミソだとか南の調味料が主体だから、すごく食べやすいよ!」


「そうですね。たまたまですが、クセの少ない料理が残っていたように思います」


「そっかぁ。クセの強い料理も楽しみだなぁ。汗をかく覚悟はしてきたから、何も遠慮はいらないからね!」


 2名の男性陣は、黙々と料理を食している。その片割れは髭のない、ロデという名の若き兵士であった。


「なんか、ずいぶん騒がしい娘さんだな。俺はてっきり、鉄具屋の娘さんが早々に戻ってきたのかと思っちまったよ」


 と、先に青空食堂を手伝っていたレビが、のちほどそのように声をかけてきた。

 現時点では隠匿しておくべきだろうと思い、俺は「そうだね」と答えておく。明日にでも真相を打ち明けたならば、さぞかし仰天することだろう。


(でも、レビたちのラーメンが売り切れててよかったのかもな。どうせなら、他のみんなと同じ場で初めて食べてもらいたいもんな)


 俺としては、そんな想念で心を慰めるばかりであった。

 それから四半刻ほどで下りの二の刻に至り、青空食堂を埋め尽くしていたお客たちものきなみ立ち去っていった。

 デルシェア姫もまた、「じゃあね」とひと声残して、街道の南に消えていく。俺たちに先んじて、さきほどの一団と合流するのだろう。

 そうして初っ端からささやかなサプライズを味わわされつつ、デルシェア姫を森辺に迎える儀は開始されたのだった。


                 ◇


《キミュスの尻尾亭》で屋台を返却したのち、俺たちはデルシェア姫の一団とともに森辺を目指した。

 最初に向かうべきは、ルウの集落となる。ルウの血族はいまだ休息の期間であるため、集落の広場はたいそう賑わっていた。


「おお、戻ってきたな!」


 と、真っ先に俺たちを出迎えてくれたのは、なんとラウ=レイであった。

 何故にラウ=レイがルウの集落に、と思っていると、さらにガズラン=ルティムとギラン=リリンまでもが近づいてくる。この日はデルシェア姫を迎えるために、眷族の家長が勢ぞろいしているのだという話であった。


「王家の人間というものにどういった形で礼を尽くすべきか判然としなかったため、そのように取り計らうことになりました。まあ、ちょうど休息の期間でありましたしね」


 ガズラン=ルティムは、いつもの沈着さで微笑んでいる。何も危険なことはなかろうが、俺としては頼もしい限りであった。


 そうして5台のトトス車と20名の騎兵が到着する頃には、本家からドンダ=ルウたちも姿を現す。ジザ=ルウはもちろん、分家の家長たるダルム=ルウ、シン=ルウ、ディグド=ルウに、ミンやムファやマァムの家長も顔をそろえていた。


「やあ、どうもどうも、盛大なお出迎え、恐縮の限りであります」


 と、トトス車から現れたポルアースが、ドンダ=ルウたちに一礼した。

 そちらに目礼を返してから、ドンダ=ルウは鋭い視線を巡らせる。ポルアースとともに車を降りてきたのは、いずれも白革の甲冑を纏ったジェノスの武官ばかりであった。


「今日は、メルフリードは同行しないという話だったな」


「はい。メルフリード殿はジェノス城にて、第六王子ダカルマス殿下のお相手をされています。晩餐に同席する人間はなるべく少ないほうが、アスタ殿の負担も減りましょう?」


 そうしてポルアースは背後のトトス車を気にしつつ、ドンダ=ルウに囁きかけた。


「なおかつデルシェア姫は厨の仕事を見学する際、僕にも席を外してほしいと仰っています。貴族がそばにいると気が張ってしまって、見学に集中できないのだとか……その代わりにジャガルの方々が何名か同行されますので、そのように取り計らっていただけますか?」


「それはまったくかまわんが、そちらはその間どのように過ごすつもりであるのだ?」


「よろしければ、ドンダ=ルウ殿とお話を。……こちらとしても、王家の方々の耳を気にせずに語れる、貴重な機会ですので」


「了承した」と、ドンダ=ルウは重々しく答えた。


「それで、また兵士たちを集落の周囲に配置するのだな? 今日はまた、いつも以上の人数であるようだが」


「はい。ジャガルとジェノスの兵士がそれぞれ30名ずつとなります。さっそく配置させていただいてもよろしいでしょうか?」


 ドンダ=ルウの了承を得て、兵士たちが動き出す。

 それを横目に、ポルアースが俺にも笑いかけてきた。


「ああ、アスタ殿。3日前にも顔をあわせたばかりなのに、ずいぶんひさびさな気がしてしまうよ」


「はい。ポルアースはさぞかし多忙な日々を送られていたのでしょうね」


「うん、まあ、僕は外務官と調停官の補佐役だからねぇ。ゲルドの貴人をお迎えしたときと同じく、双方の立場からあれこれお役目を果たすことになってしまったよ」


 ポルアースはわずかに疲れをにじませていたが、それでも笑みを絶やさなかった。


「アスタ殿ともなかなか腹を割って語らう機会がなかったから、色々と心配をかけてしまったかもしれないね。僕もメルフリード殿も力を尽くしているので、どうか憂いなく仕事に励んでいただきたく思うよ」


「はい。ポルアースも、どうか無理をなさらないようにお気をつけくださいね」


 ポルアースたちは、王家の方々にどのような印象を抱いているのか――と、尋ねてみたい気持ちはあったが、どうせこの後はドンダ=ルウらと語らう予定であるのだ。今はそれほどの猶予も残されていないようだし、それはのちほど人づでで拝聴することにした。


 やがて兵士の配置が完了すると、満を持してデルシェア姫が降車してくる。

 フードつきマントを外しただけで、身なりは先刻に見たままだ。ロデともうひとりの兵士もそれは同様で、ただ腰には立派な長剣をさげている。そして、それと一緒に姿を現したのは、外交官のフェルメスと従者のジェムドであった。


「はじめまして。あなたが森辺の族長様でしょうか?」


 ドンダ=ルウや周囲の狩人たちの威容に怯んだ様子もなく、デルシェア姫はにっこりと微笑んだ。


「わたくしがジャガルの第六王子ダカルマスの第一息女、デルシェアと申します。どうかお見知りおきくださいね」


「……俺は森辺の族長ドンダ=ルウで、こちらの6名は眷族の家長たち、こちらは分家の家長たちとなる」


「まあ、逞しき殿方たちですこと」


 デルシェア姫はにこにこ笑っているが、ロデなどはもう緊迫しきった面持ちであった。ルウの血族の家長たちを初めて眼前に迎えれば、それも当然のことであろう。特に全身が古傷まみれのディグド=ルウは、誰が見たって迫力満点のはずであった。


「本日は、こちらのルウの集落で勉強会というものを行うそうですね。森辺の平穏を乱さないことをお約束しますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 ドンダ=ルウは探るような眼光をデルシェア姫の笑顔に突きつけつつ、ただ無言でうなずいた。

 すると、こちらは優雅な微笑をたたえたフェルメスが進み出る。


「おひさしぶりですね、ドンダ=ルウ。それに、ガズラン=ルティムや他の方々も。……僕も厨仕事の間は席を外すことになりますので、ひさびさに交流を深めることがかないましたら幸いです」


 そのように語りつつ、フェルメスはいくぶん切なげに俺のほうを見やってきた。そういえば先日の試食会では、フェルメスと語らう時間もほとんど得られなかったのだ。


(だけどまあ、フェルメスも今日の晩餐に参席するんだからな。それまでは我慢していただこう)


 フェルメスとポルアースは本家の母屋に、デルシェア姫は本家のかまど小屋へと案内をされる。その行き道で、ポルアースたちが玄関の向こうに消える姿を見届けてから、デルシェア姫はにぱっと笑った。


「あー、ようやく解放されたよ! 貴族の同行なんて不要って言ったのにさあ。どうしてもついてくるって言い張るんだもん!」


「それはまあ、デルシェア姫にもしものことがあったら、ジェノスの貴族の方々が大変な責任を負ってしまうのでしょうしね」


「もしものことって? 60人も兵士がいたら、おかしな人間なんて近づきようがないでしょ! まったく、融通がきかないんだから!」


 そんな風に言いたてながら、デルシェア姫はぐるりと視線を巡らせた。


「でも、すごいね! 噂には聞いてたけど、こんなに深い森の中なんだ! なんか、わくわくしちゃうなあ!」


「ええ。俺も最初の頃は、デルシェア姫と同じ心地だったと思います」


「だよねー! 空気も澄み渡ってるみたい! 風が気持ちいいなあ!」


 デルシェア姫は、子供のようにはしゃいでしまっていた。

 やがてかまど小屋に到着すると、先回りしていたメンバーが入り口の前にずらりと立ち並んでいた。ルウ家からはミーア・レイ母さんと本家の3姉妹、それ以外はトゥール=ディン、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハム、クルア=スンという顔ぶれだ。


「ルウの家にようこそ。あたしは族長ドンダ=ルウの伴侶でルウの女衆を束ねている、ミーア・レイ=ルウと申しますよ」


 普段よりはいくぶん丁寧な言葉づかいで、ミーア・レイ母さんがそのように挨拶をした。

 そちらに「よろしくね!」と応じてから、デルシェア姫は好奇に満ちた目で若き女衆らを見回した。


「それにしてもあんたたち、そろいもそろってすごい格好だね! 宿場町では織物をかぶってたけど、おなかも足も丸出しじゃん!」


「ええ。婚儀をあげていない女衆は、こういった装束を纏うのが習わしなもんでしてねえ」


「ふーん! ほら、南の民って日差しに弱いからさ! どんなに暑くっても、そうそう肌をさらしたりはしないもんなんだよ。家族以外のおへそを見たのって、初めてかも!」


 デルシェア姫がなおも熱い視線を送り続けると、レイナ=ルウはそっと胸もとを隠しながら後ずさった。先日の試食会における忌まわしき記憶が蘇ってしまったのだろう。


「まあ、とにかくよろしくね! まだ挨拶をさせてもらってないのは……あんたとあんたかな?」


「あたしはルウ本家の三女で、ララ=ルウ。レイナ姉の妹で、リミの姉だよ」


「わたしはスンの末妹で、クルア=スンと申します。もっとも新参で未熟なかまど番ですが、こういった勉強会にはいつも参加させてもらっています」


「うんうん! 修練を重ねないと、いつまで経っても未熟なままだからね! わたしも今日は、めいっぱい学ばせてもらうつもりだよ!」


 身長150センチ足らずのデルシェア姫は、本日も小さな身体に活力をみなぎらせていた。

 そうしてデルシェア姫を迎えた本日の勉強会が、ついに開始されたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分が王族であるっていうことを一切理解しようとしないんだな その身分に付随する権利だけは大いに利用しつくしているのに
[一言] デルシェア姫の行動に気を取られがちでしたが、この回を改めて見ると貴族側がいろいろと対応し始めている描写に気付きました。 ポルアースなんかは状況を見て硬軟使い分けて、しっかり絆を深めてお互い…
[良い点] > 俺の手伝いをしてくれていたクルア=スンが小さな声で「なるほど」とつぶやいた。 クルア=スンは機微に聡いキャラクターなのかな、と思いました。
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