⑤五日目~前半戦~
2014.10/9 更新分 1/1
2014.10/10 サブタイトルを改題。一部文字を修正。
2015.10/3 誤字を修正
営業日、5日目。
予定通り、俺は屋台をふたつに増設していた。
しかし、ララ=ルウとシーラ=ルウは、まだ姿を現していない。
彼女たちは、ルウの集落から直接この宿場町までやってくる段取りになっていた。
「遅いわねぇ……早く来ないと、また大騒ぎになっちゃうんじゃなぁい……?」
屋台の周囲は、昨日と同じくシムとジャガルのお客様たちですでに埋めつくされてしまっていた。
いや、人数においては、昨日以上か。
槍を携えた衛兵2名とミラノ=マスも健在だ。
「大丈夫ですよ。……でも、なるべくゆっくり準備しましょうね?」
『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』は、同時に販売開始するのが望ましい。
しかし、ララ=ルウたちが鉄鍋を持ってきてくれるまで、『ミャームー焼き』を販売することはかなわないのである。
この段取りも、俺が頭をひねった結果だった。
『ギバ・バーガー』に関しては、あらかじめ鉄鍋にタラパソースとパテを仕込まなくてはならない。
しかし、『ミャームー焼き』のほうはただ鉄鍋を運んでくればいいだけなのだから、わざわざファの家の鉄鍋を使わなくてもいいではないか、と思い至ったのだ。
鉄鍋は、シーラ=ルウの家から借り受けることにした。
その貸出料として、シーラ=ルウには1・5倍の代価を支払うことになっている。ギバの角と牙を3本分、赤銅貨9枚分の代価である。
どうしてそのような処置を取ったかというと。ミーア・レイ母さんが俺からの仕事に対して「仕事内容」よりも「拘束時間」を重んじているということが判明したからだ。
ヴィナ=ルウは、行きも帰りもファの家に立ち寄らなくてはならないため、その移動時間に2時間を使っている。
ララ=ルウたちがファの家に立ち寄らないならば、その2時間を他の仕事に費やしてもよい、むしろそうしなければ代価に釣り合わない、というお言葉がいただけたので、その時間を使って別の仕事に従事してもらうことになったのだった。
ララ=ルウに頼んだのは、薪の採取作業。
シーラ=ルウに頼んだのは、焼きポイタンの作成である。
それらの仕事を分担することによって、1日における料理の生産量を飛躍的にアップさせることができた。
本日準備した『ギバ・バーガー』用のパテは、60個。
『ミャームー焼き』の肉も、同数だ。
合わせて、120食分である。
いくら何でも、これを完売させることは難しいだろう。
だけどこれで、ようやく時間いっぱいまで宿場町に居座ることができるはずだ。
70食を準備した昨日においても、およそ2時間半しかもたなかったが、本来俺が設定した営業時間は、5時間強。
売り上げはこの朝一番に集中するとしても、昨日の倍ていどの時間を費やしたら、120食のうち何食が売れるのか。考えただけで、武者震いを禁じ得なかった。
「……それが全部売れちゃったら、銅貨240枚分……ギバの角や牙だったら、いったい何頭分になるのかしらぁ……?」
「成獣の角と牙なら、ちょうど20頭分ですね。……ただし、諸経費を差っ引くと銅貨150枚分ぐらいで、およそ13頭分ぐらいになると思います」
いちおうそのあたりのことは、計算済みである。
逆に考えれば、1食として売れなかったら、ギバ7頭分の損害を被る、という話でもあるのだから。事前に計算しないわけにもいかないのだ。
「たった1日でギバ13頭分……何だか、気の遠くなるような数字ねぇ……?」
「いや、さすがに完売は難しいでしょう。そこまで高望みはしておりませんよ」
「そうかしらぁ……何だかわたしには売れ残るほうが想像できないんだけどぉ……」
そんな会話を交わしながら、ゆっくり丁寧に作業を進めていると、「どいてどいて!」という元気のいい声が人垣の向こうから聞こえてきた。
援軍のご到着である。
「お待たせ! 約束通りの時間に着いたつもりなんだけど、まさか遅かった?」
ルウ本家の三女、ララ=ルウだ。
真っ赤な髪をポニーテールみたいに結った少女に「大丈夫だよ」と、俺は笑顔を返す。
「たぶん俺たちが早めに着きすぎちゃったんだ。明日からは、宿屋の裏で待ち合わせをしよう」
「そっか。わかった。……あーあ、重かった。鉄鍋はここに置けばいいの?」
「そうそう。どうもありがとう。シーラ=ルウも、お疲れ様です」
「いえ。これぐらいなら、わたしでも大丈夫です」と、分家のシーラ=ルウが穏やかに微笑む。
黒褐色の髪を後ろで束ねた、森辺の女衆にしてはちょっとはかなげな雰囲気を有する娘さんである。
焼いたポイタンは布に包まれて鍋の中。そしてララ=ルウが2時間がかりで集めた薪は、2人で分配して背負ってきてくれた。
シーラ=ルウはいくぶん体力に難がある、という話であったのだが。これだけの大荷物を運搬できるなら、俺の知る「か弱い女性」には当てはまらない。あくまでも頑健なる森辺の女衆としては力のあるほうではない、ということなのだろう。
ちなみにふたりともヴェールとショールを巻いた宿場町スタイルで、それがまた新鮮かつ非常によく似合っていた。
特にはかなげで清楚な容姿を持つシーラ=ルウには、足首まである綺麗な色合いの巻きスカートがとても似合っている。
「よし。手順は昨日説明した通りなんで。まずはヴィナ=ルウとシーラ=ルウがこっちの『ギバ・バーガー』を、ララ=ルウは俺と一緒に『ミャームー焼き』をお願いします」
「はぁい」「はーい」「はい」と素直なお返事が返ってくる。
これだけ大勢の人間に取り囲まれながら、初参加のララ=ルウにもシーラ=ルウにも臆した様子は見られない。
町の人間から目線をあびることなど、森辺の民にとっては慣れっこである、ということか。
昨日は営業後にルウの集落まで出向いてあれこれ事前説明しておいたので、新参のふたりの動きにもよどみはなかった。
鉄鍋が温まるのを待ちながら、俺とシーラ=ルウがそれぞれの屋台で野菜を刻む。
「とりあえずこっちの調理は俺が担当するから。ララ=ルウは、焼きあがった後の作り方を覚えてね」
「うん。ヴィナ姉でもできるんなら、楽勝だよ」
なかなか返しの難しいコメントである。
ただ、ヴィナ=ルウの名誉のためにも言っておくならば、べつだん彼女はそこまでぶきっちょなわけではない。かつてのかまど番の仕事においては、焼き料理などをまかせると肉を焦がすこともままあったが、この宿場町に下りてからはミスらしいミスもしていないのだから。
「それにしても、すっごい人だねー。これなら1日に銅貨を何百枚も稼げるわけだ」
と、ララ=ルウが怖れ気もなく数十人にも及ぶお客様がたの姿を見回した。
営業3日目は20名弱、4日目の昨日は30名強、そして5日目の本日は――およそ40名強、といったところか。
それらのすべてが、シムとジャガルの民である。
シム人はひたすら静かにたたずんでおり、ジャガル人はわいわいと騒いでいる。
何も知らずに通りかかる旅人でもいれば、それこそ敵対関係にあるシムとジャガルが禁を破って争い始めたとでも思ってしまうかもしれない。
「よし。そろそろ良さそうだな」
温まってきた鉄鍋に、俺はスライスしたアリアをぶちこんだ。
およそ15名分、7個強のアリアである。
それだけでもジャガルの民たちのざわめきは高まったが、しばらくして、3キロ弱のギバ肉を投じると、その声はもはや歓声の域にまで達してしまっていた。
「うわ、いい匂い――これがミャームーってやつなの?」
「そうだよ。そこまで高い食材でもないから、良かったらルウの家でも購入してみたら?」
大量の肉とアリアが焦げつかないように木べらを奮いつつ、俺はララ=ルウに笑いかける。
ララ=ルウは、海のように青い瞳をぱちくりとさせていた。
「アスタ……何だか、めちゃくちゃ楽しそうだね?」
「え? そ、そうかな?」
「うん。料理を作ってるときのアスタはいっつも楽しそうだけど、そこまで楽しそうにしてる顔を見るのは初めてかもしれない」
そんなことを言いながら、ララ=ルウ自身も楽しそうに白い歯を見せて笑っていた。
感受性の強さに洞察力の強さが比例しているような印象のララ=ルウにそのようなことを言われてしまうと、何だか気恥ずかしい心地になってしまう。
営業5日目にして、俺にもようやくこの状況を楽しめるゆとりが出てきたのであろうか。
昨日などは、何とか騒ぎにならぬようにという気持ちが強くて、楽しさよりも緊張がまさっていた気もする。
そんなことを考えながら、とどめの漬け汁を投じると、ミャームーと果実酒の芳香が爆発し、ジャガルの民たちにいっそうの歓喜の声をあげさせることになった。
「お、おい、いいかげんにしろ! 料理はまだ完成しないのか?」
と、ミラノ=マスが泡を食った様子で駆け寄ってくる。
「はい。もう一息です。そろそろ並んでもらってもいいと思います」
ミラノ=マスは慌てていたが、俺は不安感をかきたてられることもなかった。
確かに大はしゃぎのジャガル人たちであったが、べつだんそこまで羽目を外しているわけでもなかったし、シム人にちょっかいを出そうとする者もいない。何となく、彼らのそのたたずまいからは、ある種の統率みたいなものすら、感じ取れるような気がした。
2日前の大騒ぎは、料理が品切れになってしまったから――しかも目の前でシム人の集団に先を越されてしまったものだから、不満が爆発してしまったのだろう。
直情的な感のあるジャガルの民ではあるが、今はただひたすら楽しそうに顔を輝かせている。
けっこう年配の人間が多いようなのに、みんなとっても無邪気そうに笑ってくれていた。
(こんなお顔を見せられたら、そりゃあこっちだって楽しくなってきちゃうよなあ)とか考えながら、俺は『ギバ・バーガー』の屋台を振り返った。
「ヴィナ=ルウ、そちらは大丈夫ですか?」
「うん、ばっちりよぉ……」
「よし。それでは販売を開始します! ご注文は5名様ずつお願いします!」
ミラノ=マスに怒られないていどの声量で告げると、まずはジャガルの民がずらりと横並びになった。
「ララ=ルウ。銅貨と引き換えに商品を渡していってね?」
「はーい」
刻んだティノと炒めた肉を焼きポイタンで包みこみ、次から次へとララ=ルウに引き渡していく。
お次の5名は、シム人だった。
そのお次は、またジャガル人。
で、あっというまに15名分の肉が尽きてしまう。
「すみません! 少々お待ちくださいませ!」
火にかけたままの鉄鍋に、新たなアリアと肉を投じていく。
そいつを炒めながら隣りの屋台を確認してみると、ちょうどヴィナ=ルウが「ごめんなさぁい。ちょっと待っててくださいねぇ……」と楽しそうな声をあげているところだった。
もう20食をさばいてしまったのか。
こちらと合わせれば、35食。
その割に――あまり人垣が薄くなったように感じられないのだが。
「シーラ=ルウ、大丈夫ですか?」
「はい。今のところは……」
最初の20個が尽きてしまったら、火鉢に薪を追加して、あらかじめ切っておいたタラパと、炒めたアリアのみじん切り&果実酒を投入。
見た感じ、手順に間違いはないようだ。
その間にこちらの肉が仕上がったので、俺はそいつを木皿に移してから、「ヴィナ=ルウ、交代してください」と呼びかけた。
『ミャームー焼き』の作製をヴィナ=ルウに託し、俺は『ギバ・バーガー』の屋台へと移る。
「お疲れ様です。うん、大丈夫そうですね」
真っ赤なタラパソースがこぽこぽといい感じに煮えたっている。
そいつに砕いた岩塩とピコの葉を投じていると、お客さんに「おい」と低い声で呼びかけられた。
ちょっと若めのジャガル人だ。
たぶん、3日前から毎日通ってくれている、建築屋のメンバーのひとりであろう。
「まだ出来ないのか? ここまできて焦らすなんて、ひどいじゃないか?」
「申し訳ありません! あともう少しですので!」
やはり人手を増やしても、この待ち時間がネックである。
ここまで混雑するのは朝一番だけなので、このためだけに人手を増やす決断はまだできないのだが――しかし、理想を述べるならば、この時間帯だけでも販売用とは別に火元を用意して、販売するかたわらで追加分の調理を進めたいところだ。
(だけど、鉄鍋を運ぶだけでもう2人分の人手が必要になるからなあ。朝だけ人手と鉄鍋を借りることができればベストなんだけど……これもちょっと考えを詰めておかないとな)
そんなことを考えている間にタラパソースがいい感じに煮詰まってきたので、最後の味見をしてから、追加分のパテを投じる。
「すごいですね……話には聞いていましたが、ここまでの賑わいだとは思っていませんでした」
と、シーラ=ルウが小さな声でそう語りかけてきた。
「そして、このような仕事を与えてくれて、アスタにはとても感謝しています。これでわたしが銅貨を稼げれば、シン=ルウの負担を減らすこともできるでしょうから」
「いえいえ。シーラ=ルウを選んでくれたのはミーア・レイ=ルウとドンダ=ルウですよ。俺は、かまど番の得意な女衆を貸していただきたい、とお願いしただけです」
お世辞でも何でもなく、シーラ=ルウの調理スキルは、ルウの集落でも指折りだと思う。彼女の横に並びうるのは、きっとレイナ=ルウとミーア・レイ=ルウぐらいだろう。
彼女が参戦してくれたことによって、俺はこっそりひとつの野心を抱くまでに至っていた。
いずれこの先、屋台の管理をひとつぶん、丸ごとルウ家にまかせることはできないものだろうか――という、野心をだ。
もちろん、俺という存在を介さなければ、ミラノ=マスとの契約ひとつでも難渋してしまうかもしれないが。そういった面倒事を俺が引き受ければ、決して不可能ではないように思える。
『ギバ・バーガー』でも『ミャームー焼き』でも、シーラ=ルウだったらすぐにそれなりのレベルで調理することが可能になるだろう。
あるいは、この後に予定している、ステーキか焼き肉料理のほうでもいい。
それらの調理の、下ごしらえまでひっくるめてまかせることができるのならば、その屋台における売り上げを丸ごと手にする資格を得ることができる。その売り上げから諸経費を捻出して、ルウ家の女衆だけで屋台を経営してもらうのだ。
(もちろん、そこまでするには数ヶ月単位で様子を見なくちゃいけないかもしれないけど)
こんなことを思いついてしまうのは、やっぱり俺の中で、いつか自分が前触れもなしに消え失せてしまったら、この商売も成立しなくなってしまう――とかいう潜在的な危機感をぬぐえないからなのだろうか。
だけど、そればかりが理由なわけでもない。
ヴィナ=ルウと2人きりのときには思わなかったことだが、今回シーラ=ルウとララ=ルウを借り受けることになり、そして、薪の採取と焼きポイタンの作成を任せるに至って、俺の中にちょっとした後ろめたさみたいなものが生じてきてしまったのだ。
仕事を分担しているのに、ずいぶん富の分配に偏りが生じてしまうな、という後ろめたさである。
仮に本日100食ほどの料理が売れたとしたら、ファの家は純利で赤銅貨100枚以上の富を得ることができる。
それに対して、彼女たちに支払われる代価は、銅貨6枚から9枚だ。
この差が何かと言えば、それはたぶん「責任の大きさ」だろう。
もしもルウ家にこの責任をともに負う気持ちがあるならば――「協力」ではなく「共闘」の関係を築くこともできるのではないか、と思ったのだ。
(まあ、あくまで将来の話だけどな)
そんなこんなでパテにも十分に火が通ったようなので、俺は「よし」と、再びヴィナ=ルウに呼びかけた。
「ヴィナ=ルウ、こちらをお願いします! ……販売を再開します。お待たせしました!」
『ミャームー焼き』の屋台に戻ると、すでに追加分の肉も残りわずかになってしまっていた。
人垣は――ようやく薄くなり始めたようだ。
「ララ=ルウ、料理の作製と販売をおまかせしても大丈夫かな?」
「うん、もう大丈夫。たぶんヴィナ姉よりあたしのほうが上手だね」
容赦もへったくれもない妹御である。
しかし、頼もしいこと、この上ない。
「それじゃあ、そっちはまかせるよ。俺は追加分を作っちゃうから」
ざっと見た感じ、こちらのお客は残り10名ていどだった。
ただ、購入済みのお客さんがたもそのすぐ後ろで舌鼓を打っておられるので、賑やかさに変化はない。
(それでも、朝一番で30食オーバーか……ちょっと勢いが良すぎるんじゃないかなあ)
『ギバ・バーガー』のほうが追加分の調理に時間がかかってしまうため、待ちきれなくなったお客さんが『ミャームー焼き』に流れてしまった、という面はあるのだろう。
しかし、30食といえば、用意した分のちょうど半数である。
『ギバ・バーガー』のほうも、いま追加した20食で並んでいるお客さんたちはさばけるだろうが、けっこうな量を消費しそうな勢いである。
こんな調子で――本当に残り5時間も持つのだろうか?
そう考えたら、背中がぞくぞくとしてしまった。
俺は、新たに焼きあげた肉を木皿に移し、煮詰めた汁をその上に降りかけた。
「アスタおにいちゃん! ふたつください!」と、そこでターラの登場である。
シム人とジャガル人にはさまれながら、小さな頭がひょこりとのぞいている。
「やあ、毎日ありがとう。今日はふたつでいいんだね?」
「うん! 布屋と鍋屋のおじさんたちのぶん! ターラはぎばばーがーを食べるから!」
「ドーラの親父さんも『ギバ・バーガー』かい?」
まずは先んじていたシムとジャガルのお客様の分をこさえながら俺が問うと、ターラの眉が少し悲しげに下がってしまった。
「父さんは、今日は食べたくないんだって。何だか朝から元気がないの」
「え? 体調が悪いのかな?」
「わかんない。たぶん明日には大丈夫になるって言ってるけど……」
しょんぼりうつむくその鼻先に、ララ=ルウができたての『ミャームー焼き』を突きつける。
「はい、ふたつで銅貨4枚ね」
「ありがとう! ……あ、初めまして!」
「え? ああ、うん? 初めまして……」
目を白黒させるララ=ルウに、ターラはにこりと笑いかける。
ターラの中でも、だいぶん森辺の民に対する恐怖心も緩和されてきたようだ。
昨日はターラがミダ=スンに遭遇しなくて良かったと、心の奥底から痛切に思う。
「ターラ。店が終わったらまた野菜を買いに行くからさ。ドーラの親父さんによろしく伝えておいてね」
「うん! それじゃあまたね!」
ターラが、ぱたぱたと駆けていく。
その次に現れたのは、建築屋のアルダス氏だった。
「よお。今日はちょいと寝坊しちまったよ。……へえ、こいつが新しい商品か」
「あ、どうも! 毎度ありがとうございます。ご試食なさいますか?」
そういえば、みんな『ミャームー焼き』のほうも無条件に購入してくれていたので、試食用の木皿を出すことさえ忘れてしまっていた。
「俺はいいよ。でも、こっちの連中には用意してやってくれ」と、アルダス氏がその大きな身体を横に傾けると、4名ほどのジャガル人たちが仏頂面で進み出てきた。
毎日大勢のお客さんが来てくれるため、なかなか顔は覚えきれないのだが――その先頭に立っている小柄で年配のジャガル人には、はっきりと見覚えがあった。
建築屋の束ね役、「おやっさん」だ。
営業2日目に、『ギバ・バーガー』を全否定してくださった御仁である。
「……来ていただけたんですね! ありがとうございます!」
「ふん。アルダスがどうしてもと拝みこむから、しかたなく来てやっただけだ。どんな味付けをしてもギバ肉はギバ肉だろうが? どうしてわざわざ不愉快な思いをするためにこんなところまで足を運ばなければならないのだ。まったくいい迷惑だ」
機関銃のごとき舌鋒も相変わらずのようである。
そうしておやっさんは、険悪に光る緑色の目で周囲を見回した。
「世の中にはこんなに味のわからない大馬鹿どもがいるのだな。そんなにギバ肉がお気に召したのなら、どいつもこいつも森の中でギバを追い回していればいいのだ。そうすれば西の田畑の被害も減るだろう。おい、俺は死ぬほど腹が減っているんだからな。こんな茶番はとっとと終わりにして、俺にカロンを食いに行かせろ」
「はい! 少々お待ちくださいませ!」
俺は袋の中から試食用の木皿を引っ張り出し、まだ湯気のたっている焼きたての肉を少しだけ移し、4本分の爪楊枝を添えて差し出した。
「ふん」と鼻息をふいて、おやっさんがまず手をのばす。
それを横目で見やりつつ、俺はアルダス氏のための『ミャームー焼き』をこしらえた。
何も事情のわかっていないララ=ルウは、けげんそうにおやっさんたちの姿を眺めやっている。
おやっさんが、肉片を口に放りこんだ。
残りの3名も、義務感まるだしの顔つきでそれに倣う。
「うわ、こいつも美味いな!」と、アルダス氏が喜びの声をあげてくれた。
「匂いからしてたまらなかったが、こいつは絶品だ! あのタラパのやつより美味い料理なんて出せないだろうと思っていたんだが、こいつはおみそれした。明日からも、俺はこっちを買わせてもらおう」
「ありがとうございます!」
彼らの背後にはまだシム人のお客様も控えていたので、俺は手を止めることができなかった。
内心では相当やきもきしながらおやっさんの表情を盗み見ているのだが。入念に肉を咀嚼しながら、おやっさんの表情は不機嫌そうなままである。
「……駄目だよ、こりゃ」と、そのかたわらに立っていた若めのジャガル人が低い声でつぶやいた。
俺の心臓が、はねあがる。
「ああ、駄目だな」と、年配のジャガル人も首を横に振る。
やっぱり――駄目なのか。
あれから3日、彼ら以外に面と向かって不満をもらすジャガル人には、ついに出会うこともなかったのだが。やっぱり、駄目なものは駄目であるらしい。
しかし、それでも、彼らに駄目を出されたおかげで、俺は「強い味付け」というものに着目することができたのだ。
たぶん、ギバ肉に抵抗を持っている西の民をお客さんとして迎えるにあたり、この『ミャームー焼き』は有効な料理になりうると思う。
おやっさんたちに喜んでもらうことができなかったのは残念だが、これ以上固執しても、きっといい結果を導きだすことは難しいだろう。
悔しさというよりはちょっとした寂しさのようなものを感じながら、俺は「すみません」と言おうとした。
が、アルダス氏の「何が駄目なんだ? 無茶苦茶に美味いじゃないか?」という笑いを含んだ大声にかき消されてしまった。
『ミャームー焼き』をかじりながら、そちらはもう至極ご満悦のお顔つきである。
すると、それまで無言でいたもうひとりの年配の男が、苦笑いを浮かべながら、おやっさんの肩をぽんと叩いた。
「おやっさん、もうあきらめようぜ。こいつは、駄目だ」
それでもおやっさんは無言である。
というか、いつまで咀嚼しているのだろう。
こんな肉は固くて噛みきれない、というアピールなのだろうか。
もしもまた具体的な不満点を教えてもらえるなら、とてもありがたいのだが――と、俺がちょっとだけ身を乗り出そうとしたとき。
最初に「駄目だよ、こりゃ」と、つぶやいた若めのジャガル人が屋台に寄ってきた。
そして。
赤い銅貨が、差し出される。
「あのぐちゃぐちゃとした肉は気に入らなかったが、こいつは美味かった。俺にもひとつ売ってくれ」
「え? ……あ、は、はい!」
俺は慌てて焼きポイタンをつかみ取る。
すると、もうひとりのジャガル人も銅貨を差し出してきた。
「俺もな、あのときは美味くないとか言っちまったが、本当は、もともとタラパが嫌いなだけだったんだよ。ギバの肉自体は、べつだん悪くないと思う」
「あ、ありがとうございます」
新たな『ミャームー焼き』を作製しつつ、俺は再びおやっさんを盗み見る。
おやっさんの肩を叩いていたジャガル人が、苦笑いを浮かべたまま、太い指で頭をかいた。
「俺はあの肉の匂いが好きになれなかったんだけどな。いま食った肉は全然匂いも気にならなかった。おい、そいつも本当にギバの肉なのか?」
「はい。部位や味付けは違いますけど、ギバの肉です」
「そうか。まあ確かにカロンでもなければキミュスでもなさそうだもんな。こいつは駄目だ。降参だ。……おい、俺にもひとつ売ってくれ」
「ありがとうございます」と言おうとした。
その声は、おやっさんの「ふざけるな!」という怒声にかき消されてしまった。
そうしておやっさんはずかずかと近づいてきて、だんっと屋台の台に手の平を打ちつける。
「おい、こいつはいったい、どういうことなんだ!?」
「な、何がでしょうか……?」
「……味も匂いも歯触りも、何もかもが全然別物じゃないか。これが同じギバの肉だなんて、そんな馬鹿げたことが信じられるか」
すぐにおやっさんの声はいつも通りのボリュームに戻ったが、それでも無茶苦茶に不機嫌そうで、不満そうだった。
「えーと……この前の料理は、肉を刻んでから丸めなおした料理でしたので、食感が違うのはそのためですね。味や匂いに関しては、ギバ肉の強いクセを抑えられるように、果実酒やミャームーで漬けこんでから焼いてみたのです」
銅貨を差し出された3名様分をこしらえながら、俺はそんな風に答えてみせた。
「この甘さは果実酒の甘さなのか。なるほどな。そういえば、ジェノスでは塩よりも砂糖のほうがいっそう貴重品なんだっけか」と応じてくれたのは、おやっさんではない年配のジャガル人だった。
「ジェノスでは塩辛い味付けが多いからな。この甘がらい味付けを喜ぶやつは多いだろう。……少なくとも、俺は大好きだ」
「あ、ありがとうございます」
おやっさんを除く3名は、何だか気恥ずかしそうに笑っていた。
こんな小僧に1本取られちまったなあという顔つきだ。
そして、おやっさんは――屋台の真ん前に陣取りながら、まだ不満の塊みたいな顔をしている。
「……おやっさん。何をそんなに不満そうにしているのかは知らないが、いつまでもそんなところに突っ立ってると、商売の邪魔になっちまうぞ?」
「あ、今はまだ大丈夫です。ちょうどお客さんも途切れたようですので」
まだおやっさんに何かご意見があるのならば、それは是非とも聞いておきたかった。
これ以上献立を増やすのは難しいが、改善の余地があるならば改善はしたい。
その間に、ララ=ルウの手から3人のジャガル人に『ミャームー焼き』が手渡されていく。
「ああ、美味いな、本当に!」
「そうだな。こいつは本当に美味い」
「ギバの肉がこんなに美味いなんてなあ。故郷に帰ってみんなに話しても、誰も信じてくれないだろうなあ」
3人のジャガル人たちは、かつての同胞たちと同じように、実に満足そうな笑顔を浮かべてくれていた。
すると。
その言葉を受けて、ついにおやっさんがその口を開いた。
「……これがギバの肉だと証明できるのか、お前は?」
「え?」
俺は、きょとんとしてしまった。
「お前は目の前でギバをさばいてみせたわけじゃない。これが本当にギバの肉だと証明することなどできないではないか?」
「何だかまたおかしなことを言いだしたな。少なくともこいつはキミュスやカロンの肉ではないだろう?」
アルダス氏が苦笑気味に取りなしても、おやっさんは譲らない。
「モルガの山にはギバだけじゃなく、ギーズやムントだっているのだろうが? この肉がギバだとは限らない」
すると、今度はおやっさんの後ろで『ミャームー焼き』をかじっていたメンバーが、「飯の最中にそんな名前を聞かせないでくれよ」と文句を言った。
「そうだぜ、おやっさん。こんな場所でそんな名前を出すもんじゃない。あんな連中の肉が食えるもんか」
「だったら、マダラマの大蛇やヴァルブの狼だっている!」
「あのなあ……人間をも喰らうっていうそんな連中の肉がこんなに美味かったら、ギバの肉が美味いことより不思議だろうが? あんたの言ってることは無茶苦茶だよ、おやっさん」
呆れ返ったように、アルダス氏はそう言った。
すると、「……そうか」と、つぶやくおやっさんの声から、いきなり力感が消失してしまった。
緑色の大きな瞳が、悄然とした様子で俺を見る。
「それじゃあ、これは本当にギバの肉なんだな……?」
「はい。この前の肉も今日の肉も、すべて残らずギバの肉ですが」
おやっさんの心情はまったく読み取れぬままに、俺はうなずいてみせる。
親父さんは、深々と溜息をついた。
「……俺が間違っていた」
「はい?」
「ギバの肉を不味いと言った俺の言葉が間違っていた。この前の肉を不味いと思ったのは本当のことだが、今日の肉は死ぬほど美味かった。この前の肉が不味かったのは、ギバの肉ではなくお前の腕が悪かったのだ」
それはその通りなのかもしれないが。
おやっさんがこんなに打ち沈んでしまっている理由が、さっぱりわからない。
「俺は、カロンの足肉は薄く切り分けたものしか好かん」
「え? あ、ああ、はい」
「キミュスの茹でた肉などは論外だ。キミュスは、焼くのが1番美味い」
「はい……」
「ギバの肉にも、美味い食べ方とそうでない食べ方があるという、ただそれだけの話だったのか」
と、おやっさんはまたこの世の終わりみたいな溜息をついた。
「それなのに、俺はギバの肉などに食べる価値はないなどと馬鹿げたことを言ってしまった。……自分の馬鹿さ加減が恥ずかしい」
「そ、そんなことをお気になさらないでください、お客さん!」
感情豊かなジャガルの民は、落ち込むとこんな具合になってしまうのか。
俺は、大いに慌てふためいてしまう。
「あのですね、ああいう風変わりな料理なら、宿場町の皆さんの興味をひけるかなという考えだったんですが、きっと、初めてギバの肉を口にする方々には相応しくない、という一面もあったんだと思うんです。……お客さんがそれをはっきり口に出してくださったからこそ、俺はそういう自分の至らなさに気づくことができたんですよ」
「しかし……」
「味付けに関しても、同じことです。お客さんの他にははっきりと不満を口にしてくれる方はいなかったので、俺にとっては、助言をいただけたようなものです」
こんな風に自分の心情をさらけだすのが正しいことなのかはわからなかったが、俺は言わずにはいられなかった。
「不味いと言われてしまったときは、とても悔しく感じてしまいましたが。そのおかげで、もっと頭をひねらねばという気持ちになれたんです。お客さんには、とても感謝しています」
「……そうか」と、おやっさんは低くつぶやいた。
「おかげさんで、今度は俺が悔しい思いをすることになったわけだな」
「あ……いやその、申し訳ありません……」
「謝るようなことではないだろう。俺だって、自分が間違っていたことは認めるが、お前なんぞに頭を下げる気はないぞ?」
そう言って、今度は軽めに台を叩いた。
そうして、おやっさんが手を下ろすと。
そこには、赤の銅貨が2枚、置かれていた。
「こんな美味い料理だったら銅貨を払ってやる。この後はすぐ仕事なんだから、とっとと作ってくれ」
そんな風に言いながら、ようやく元のふてぶてしさを取り戻した顔で、おやっさんは笑ってくれた。