生誕の日①~賑やかな昼下がり~
2021.5/10 更新分 1/1
・今回は全9話の予定です。
ついに、その日がやってきた。
黄の月の24日――この俺、ファの家のアスタの生誕の日である。
2年前の今日という日に、俺はモルガの森辺でアイ=ファと出会ったのだ。
言うまでもなく、俺にとってはアイ=ファとの出会いがすべての始まりであった。
もしも俺が最初に出会ったのがアイ=ファではなく、他の森辺の狩人であったなら――きっと高い確率で、宿場町に放り出されていたことだろう。下手をすると、狩り場を荒らした罪で処断されていた可能性すら、皆無ではない。
当時の森辺の民というのは閉鎖的で、排他的で、おまけに同胞ならぬ人間を忌避していたのだ。なおかつ俺は、この世界のことを何ひとつ知らぬ存ぜぬといういかがわしさであったのだから、とうてい森辺の民の信頼を得られるとは思えなかった。
しかし、そんな胡散臭い俺のことを、アイ=ファは受け入れてくれたのだ。
もちろん当時はいがみあうこともなくはなかったし、相当じゃけんに扱われていたように思う。が、森辺の民の本来の勇猛さ――そして、当時のアイ=ファの頑なさを考えれば、まだしも優しい扱いであったに違いない。
当時の俺は、とても苦しんでいるように見えたという。故郷も家族も同胞も失ったと言い張る俺は、アイ=ファにとって自分以上に孤独であるように思えた。だからアイ=ファは、俺のことを放っておけなかったのだろうと思う――と、ちょうど1年前の生誕の日に、アイ=ファはそのように打ち明けてくれたのだった。
そんなアイ=ファの優しさこそが、俺という存在を救ってくれた。
ただ家に置いてくれただけではなく、アイ=ファは文字通り、俺に居場所を与えてくれたのだ。
アイ=ファがかたわらにいてくれたからこそ、俺は破滅も絶望もせずに済んだ。
俺にとっては、アイ=ファこそが新たな生きる希望そのものであったのだ。
俺の根幹に刻まれているのは、「アイ=ファを裏切らない」という一点であった。
アイ=ファの優しさに報いるべく、俺もアイ=ファのために生きたい。アイ=ファとともにあり、すべての喜びや苦しみを分かち合いたい、と――俺はいつしか、全身全霊でそのように考えるようになっていたのだった。
そうして、2年もの日が過ぎ去った。
当時17歳であった俺が、ついに19歳になってしまうのだ。
現代日本の暦にあわせれば、俺の肉体はとっくに19歳となっていたのだろう。しかし、そのようなことはもうどうでもよかった。故郷で生命を落としてしまった俺は、この地で――アイ=ファのかたわらで、森辺の民のひとりとして、新たな生を歩んでいるのだ。
アイ=ファと出会った、黄の月の24日。
今の俺にとっては、まぎれもなくその日が生誕の日なのである。
故郷に残してきた父親と幼馴染の存在を、心臓に食い入るような痛みとして残したまま、俺は大きな希望と喜びの気持ちで、その日を迎えることがかなったのだった。
◇
そうしてついにやってきた、黄の24日であるが――
これまでの2年間を象徴するように、その日も俺はきわめて慌ただしい心地で過ごすことになった。
ちなみに前回の生誕の日は、朝から肉の市に出向くという、これまた忘れ難い慌ただしさであった。ギバの生鮮肉がついに正式に商品として認められて、市場で売られることになったのだ。そのさまを見届けるために宿場町までおもむき、その後はルウやフォウの家で文字の読み書きや計算の修練などについて、あれこれ頭を悩ますことになったのだった。
そしてこのたびは、それにも匹敵する騒がしさとなっている。
その騒がしさの根源はもちろんのこと、南の王都からやってきたダカルマス殿下およびデルシェア姫によってもたらされたものであった。
「今度は宿場町の人間が、城下町で料理の腕を披露するんだってよ!」
その話が俺たちに伝えられたのは、前日のこと。メッセンジャーの役割を担ってくれたのは、《西風亭》のユーミである。俺たちが屋台の商売に励んでいる間に、城下町から商会長のタパスにまで使者が届けられ、その内容が宿屋の関係者に周知されたのである。
期日は、黄の月の27日。
宿場町から選抜された宿屋の厨番が、ゲルドの食材を使った料理をひと品ずつ供する。それを、前回の試食会とおよそ同一のメンバーで試食をし、味比べの儀を施行する――という内容であった。
「黄の月の27日なんて、たった数日の猶予しかないじゃん! あいつら、いったい何を考えてるのさ!」
ユーミなどは完全に泡をくってしまっていたが、俺は比較的平静な気持ちでその言葉を聞くことができた。もとよりダカルマス殿下は宿場町の人間にもその腕を披露してもらいたいと宣言していたし、新たな食材ではなくゲルドの食材であるのなら、猶予期間など必要ないという考えであるのだろう。王族たる方々がジェノスに逗留できる期間はごく限られているのであろうから、それをフルに活用してジェノスの食文化を余すところなく満喫しようという考えであるに違いなかった。
まあそんなわけで、今回は森辺の民も審査員役であるのだから、騒がしさの渦中にあるわけではなかった。
しかしまた、完全に他人顔を決め込むこともできなかった。俺の生誕の日である黄の月の24日には臨時で宿屋の寄り合いを開くので、ぜひ参加してもらいたいとタパスや各関係者から熱望されることになったのだ。
「日没までに帰れるのなら」という条件で、俺はその寄り合いに参席させていただくことにした。どのみちこの日はまたアイ=ファがひとりで祝いの料理の準備をしてくれるという話であったので、日没までは家に戻らぬようにと厳命されていたのだ。
「ユーミたちは、大変ですね。……まあ、わたしたちも他人事ではないのでしょうけれど」
レイナ=ルウなどは、そのように言っていた。
レイナ=ルウが森辺でも有数のかまど番であるという事実は、すでにデルシェア姫たちにも露見してしまっていたのだ。そしてこのたびの試食会に関しても、俺とレイナ=ルウとリミ=ルウとトゥール=ディン、それにマルフィラ=ナハムは名指しで招待されてしまっていたのだった。
本当はもう1名、シーラ=ルウも招待されていたのだが、そちらは身重ということで辞退することに相成った。
ではもう3名ほど、森辺でよりすぐりの料理人に参席してもらいたいと通告され――それに選ばれたのは、マイムとユン=スドラとレイ=マトゥアであった。
「ミケルや他の方々を差し置いて、わたしなどが出向いてしまっていいのでしょうか!?」
レイ=マトゥアなどは瞳をきらきらと輝かせながら、そのように言っていたものである。
しかしこれは、俺とレイナ=ルウで厳正に協議した結果であった。ミケルなどは早々に辞退していたので、それに次ぐかまど番は誰かと頭をひねった末、その3名の名が挙げられたのだった。
「ルウの血族のかまど番も、ずいぶん腕をあげてきたように思うのですが……やはりマイムを除くと、ユン=スドラやレイ=マトゥアには及ばないように思います。ルウ家からはわたしやリミも招かれていますので、ここはやっぱり小さき氏族の中から選ぶべきでしょう」
そんなレイナ=ルウの後押しもあって、ユン=スドラとレイ=マトゥアも無事に参席する段と相成ったのだった。
そうして黄の月の24日の、昼下がりである。
屋台の商売を終えた俺たちは、宿屋の寄り合いに参加するべく、《タントの恵み亭》まで出向くことになった。
向かうのは、荷車1台分の定員である、6名。その日はリミ=ルウがおやすみの日取りであったため、俺とレイナ=ルウとマイム、ユン=スドラとマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアという顔ぶれで参ずることにした。
《タントの恵み亭》に到着してみると、食堂はすでに大変な騒ぎになっていた。
宿の人間にギルルと荷車をおあずけして、俺たちもそちらに乗り込んでいくと、たちまち複数のご主人がたが取り囲んできた。
「おう、来てくれたんだな! アスタたちも、意見を聞かせてくれよ!」
「いったいどの宿が、この勝負に挑むべきだと思う? 正直な意見を聞かせてくれ!」
俺たちがきょとんとしていると、《キミュスの尻尾亭》のミラノ=マスが「おいおい」と取りなしてくれた。
「いきなりそんなまくしたてられても、わけがわからんだろう。アスタたちは、事情をわきまえておらんのだろうからな」
「はい。あれから何か、別の話でも持ち上がったのでしょうか?」
「ああ。どの宿の人間に料理を作らせるかは、こっちで決めろと通告されちまったんだよ」
3日後の試食会では、8つの宿屋が料理を供することになるらしい。
それで、どの宿屋に料理を準備させるか、それを自分たちで選定すべしと申しつけられたのだそうだ。
「それはずいぶん、変わったやり口ですね。てっきりあちらから、名指しされるものと思っていました」
何せ王家の方々は、宿場町にまで配下の人間を送り込んで、情勢を調査していたようであるのだ。今こそその成果が発揮されるものと、俺はそのように想像していたのだが、どうも考え違いであったらしい。
「それで、いったい何をもめているのでしょうか?」
「だから、どの宿がその仕事を受け持つか、もめてるんだよ。何せここには、30近い宿の人間が集まっているんだからな」
そのように聞かされても、俺にはいまひとつ理解が及ばなかった。
ということで、ミラノ=マスと同じ卓につかせていただいたのち、こっそり問いかけてみる。
「みなさんは、仕事を受け持つことを望んでおられるのでしょうか? それとも、嫌がっておられるのでしょうか?」
「見ればわかるだろう。おおよその人間は、自分こそが受け持つんだと息巻いているんだよ」
確かに、俺にもそう見える。宿屋のご主人がたは、大きな熱意をもって試食会に出場することを望んでいるように見えた。
「それはちょっと、意外でしたね。もちろんこの仕事を受け持てば、それ相応の褒賞が得られるのでしょうけれど……遠慮や気後れのほうがまさるのかな、なんて思っていました」
「昨日までは、そうだったんだよ。粗末な料理を出しちまったら、どんなお叱りがあるかもわからないからな。……ただ、事情が変わってきたんだ」
「他にも何か、通達が?」
「いや。あちこちの宿で、南の王家の連中の噂が立ってたらしい」
その噂とは、ダカルマス殿下の本国における行状であった。
かの御仁は、以前から自身の邸宅で試食会を開催していた。それも身分の上下を問わず、宮廷料理人から市井の食堂の厨番まで、手当たり次第に呼びつけていたそうである。
そこまでは、俺も本人や周囲の人々から聞かされていた。
今回話題となったのは、その先のこととなる。
いわく――ダカルマス殿下にお墨付きをいただいた料理店や食堂は、王都において一流の店と認められて、たいそう繁盛しているのだそうだ。
「お前さんも、この前の試食会とやらで勲章なんてものをもらい受けたんだろう? その数で、店の格が変わってくるんだとよ。三つの勲章をもらい受けた店なんてのは、王都の外からも客が殺到するんだそうだ」
なんだか、俺の故郷でも聞いたような話である。
ダカルマス殿下の勲章にそれほどの威光が存在しようなどとは、さすがに俺も想像の外であった。
「なるほど……でもここは、南の王都からひと月がかりのジェノスです。俺たちなんて、つい先日までダカルマス殿下のお名前も知らなかったぐらいですし……そんな場所でも、勲章の威光が期待できるのでしょうか?」
「ジェノスには、南の人間も大勢やってくるからな。そういう連中からの口伝てで、相応の評判が呼び込めるって期待してるんだろうさ」
まあ確かに、王族の人間にお墨付きをいただいた店などというのは、それだけで大きな箔になるのだろう。
ただ俺は、ひとつの疑念を抱え込むことになった。
「……そんな噂が、昨日になっていきなり降ってわいたのでしょうか?」
「うん? ああ、いや。噂そのものは、数日前からあったようだ。ただ、勲章なんてものが実際にお披露目されたのは、つい2日前のことだからな。それでどんどん話が結びついて、昨日になって爆発したってこったろう」
「数日前からですか……なるほど」
ならばやっぱり、それはダカルマス殿下の配下が流した風聞なのではないだろうか。
目的は、もちろん宿屋のご主人がたを奮起させるためである。
(だけどまあ、何も確証のある話じゃないし……そもそも、虚言で人をだますようなお人じゃないだろうしな。話そのものは、きっとみんな真実なんだろう)
そんな風に考えて、俺は口をつぐんでおくことにした。
その間も、ご主人がたはヒートアップして論議を続けている。
「では、森辺の方々も到着いたしましたので、あらためて話し合いを始めることにいたしましょう」
《タントの恵み亭》の主人にして商会長たるタパスが、ゆったりとした笑みとともにそのように宣言した。
「試食会に料理を供する宿屋は、8軒。それ以外の方々は、前回と同じく試食の役目を受け持つことになるわけですな。そちらの試食会には南の王家の方々とジェノスの貴き方々、および森辺と城下町の料理人の方々なども集うのですから、我々も心して取り組まなくてはなりません」
「あたしとあんたの宿は、まあ確定だろうね。何せ、宿場町でも一、二を争う大きさの宿なんだからさ」
《アロウのつぼみ亭》の女主人たるレマ=ゲイトがすかさずそのように言いたてると、あちこちから反論の声があげられた。
巨鯨を思わせる風貌のレマ=ゲイトは、「うるさいね」とそれを一蹴する。
「それじゃああんたたちの屋台は、どれだけの稼ぎを叩き出しているんだい? うちと《タントの恵み亭》にかなう宿があるってんなら、名乗り出てみなよ」
レマ=ゲイトの迫力に圧されて、人々は言葉を呑み込んでしまう。
その中で、《ゼリアのつるぎ亭》のご主人がおずおずと発言した。
「稼ぎの額は知らねえけど、《キミュスの尻尾亭》と《南の大樹亭》の屋台は、おんなじぐらい賑わってるよな。この4つの宿は、もう確定でいいんじゃねえのかなあ」
「ふん。《キミュスの尻尾亭》に関しては、森辺の民のおこぼれって可能性もあるだろうけどね」
レマ=ゲイトが意地の悪いことを言うと、ミラノ=マスは「ふん」と鼻息を噴き返した。
「だったら、俺の宿は外してくれ。好きこのんで、そんなもんに参加したいとは思えんからな」
「いえいえ。ジェノスの貴き方々からは、よりすぐりの宿屋に参加させるべしと言い渡されているのです。ここは純粋に、料理の質で決めるべきでありましょう」
悠揚せまらず、タパスはそのように取りなした。
ちなみに《タントの恵み亭》は城下町の料理人たるヤン直伝の料理を供しているため、宿屋の屋台村でも屈指の人気を博しているはずであるのだ。
「僭越ながら、わたしも《ゼリアのつるぎ亭》のご主人に賛同いたします。なおかつそこに、《西風亭》も推挙したいところでありますね。屋台でもっとも稼ぎをあげているのは、それら5つの宿屋でありましょう」
「ふん、うちもかい」と、サムスは不機嫌そうに言った。ユーミはまだ、屋台で働いているさなかであるのだ。
「《アロウのつぼみ亭》、《キミュスの尻尾亭》、《南の大樹亭》、《西風亭》、そして《タントの恵み亭》――これら5軒の宿屋が参加することに異議のある御方はおられますかな? おられましたら挙手をして、その理由を語らっていただきたく思います」
ご主人がたは近くの人間と顔を見合わせつつ、誰も手をあげようとはしなかった。
タパスは満足そうな笑顔で、「よろしい」と首肯する。
「では、残りの枠は3つとなりましたが……ここで注目すべきは、ゲルドの食材を使うべしという要項でありますな。このたびの試食会は、第六王子殿下のご息女たるデルシェア姫がゲルドの食材の扱い方を学ぶという意味合いが込められておりますため、そこを二の次にはできないことでしょう」
「ゲルドの食材か……そいつが、厄介なところなんだよなあ」
と、何名かのご主人がたが頭を抱え込んでいた。ゲルドの食材が売りに出されて、はや4ヶ月になろうとしているが、それをどこまで使いこなせているかは個人差が大きいのであろうと思われた。
「また、屋台を出しておられなくとも、料理の質で知られる宿屋はいくつかありましょう。《ラムリアのとぐろ亭》などは東のお客様の常宿でもあられますし、ゲルドの食材も大いに活用されているというお話ではありませんでしたかな?」
「そうですねえ。草原の方々にはゲルドの香草も珍しいようで、なかなかの人気でございますよ」
《ラムリアのとぐろ亭》の女主人ジーゼが、のんびりとした声音でそのように応じた。
そちらを見やった複数のご主人がたが、観念した面持ちで頭をかいている。
「ジーゼ婆さんの料理の腕は、俺たちもわきまえてるからなあ。しかも、新しい食材が増えるたんびに、評判が高まってるぐらいだしよ」
「ああ。《ラムリアのとぐろ亭》はギバ肉の扱いなんかでも、真っ先に結果を出してたからな」
どうやらジーゼは、宿屋界隈で高名であるようだ。顔馴染みのジーゼが高い評価を受けるというのは、俺にしても喜ばしいところであった。
「あとは、如何なものでしょうねえ……森辺の方々は、何かご意見はありませんでしょうかな?」
「あ、はい。香草の扱いでしたら、《玄翁亭》もかなりの手腕なのではないでしょうか?」
俺の発言に、ご主人がたがざわめいた。
「《玄翁亭》? そりゃあ森辺のお人らは、古くからつきあいがあるんだろうけど……」
「ああ、さすがに宿の規模がなあ。食堂なんて、うちの半分ぐらいしかないんじゃねえのか?」
ネイルは住宅区域において、通常の民家を改装して宿屋に仕立てあげているのだ。確かに俺が知る限り、もっとも規模の小さな宿屋であろう。
「宿の大きさはこの際、関係ありません。確かに《玄翁亭》も東の方々の常宿とされているので、香草の扱いには力を入れていることでしょう。ご主人、ゲルドの香草の扱いに関しては、如何でしょうかな?」
「はい。ミャンツやブケラは、もはや肉料理に欠かせない香草となっています。それに香草ばかりでなく、ユラル・パやドルーといった野菜に魚醤やマロマロのチット漬けなどの調味料、それに香りの強いギャマの乾酪やペルスラの油漬けなども、東のお客様には喜ばれています」
ネイルが東の民ばりの無表情で答えると、タパスは「なるほど」と微笑んだ。
「ゲルドの食材の扱いに、不足はないようでありますね。ただ、無条件で《玄翁亭》にお願いするわけにはまいりませんでしょうなあ」
「そりゃあそうだ。だったらそれこそ、うちの料理と味を比べてもらいたいもんだな!」
ご主人がたの間に、熱気が再燃していく。《ラムリアのとぐろ亭》が決定だとすると、残り2つの枠を巡って壮絶な争奪戦が繰り広げられそうな雰囲気であった。
「では、今日の夜にでも、いわゆる予選試合というものを行ってみましょうか。ゲルドの食材の扱いに自信のある方々で、ひと品ずつ料理を持ち寄っていただくのです。その味を、我々で食べ比べてみることにいたしましょう」
「おお、なんだか闘技会みたいだな! こいつは面白くなってきたじゃねえか!」
タパスはうんうんとうなずきながら、また俺たちのほうを振り返ってきた。
「森辺の方々は、夜までは居残れないという話でありましたな。あとは我々が責任をもって、参加するべき宿を見定めたいと思います」
「はい。それじゃあ俺たちは、もうお役御免でしょうか?」
「いえいえ。ここからが本題であります。我々はこれまで、城下町の方々に料理を振る舞った経験がほとんどありませんからな。城下町ではどのような料理がもてはやされているものか、それをご教示願いたいのです」
すると、レマ=ゲイトがまた勢いよく鼻を鳴らした。
「あんたんとこは、城下町の男前に力を借りてるだろうにさ。あたしらのために、わざわざそんな気を回してくれようってのかい?」
「はい。わたしは宿屋の商会長として、なんとしてでも今回の試食会を成功させなければならないのです。ここで粗末な料理などをお出ししてしまったら、わたしがサトゥラス伯爵家のご当主にお叱りを受けてしまいますからな」
タパスは冗談めかしていたが、それはきっと彼にとって勲章の獲得よりも重要な案件であるのだろう。束ね役というものは、かくも重い責任がつきまとうのである。
「如何でしょう? もちろん試食会は3日後に迫っておりますため、そちらのお言葉を活かせるかどうかは難しいところでありましょうが……」
「そうですね。でも、小細工はいらないと思いますよ。俺もそうまで、宿場町と城下町で料理の質を変えているわけではありませんし……ただ、城下町の方々は多彩な食材が使われていることに大きな価値を見出しておられるようですね」
「ほうほう。多彩な食材」
「はい。ですが、みなさんもご存じの通り、先日の試食会では俺の簡素な料理も人気を博することがかないました。ですから、そうまで重要なわけではないようにも思います」
すると、他のご主人がたが陽気な声を張り上げた。
「そりゃあ、アスタの腕にかかれば簡素もへったくれもないだろうよ。俺は迷わず、野菜料理ってやつに星を入れたんだからな!」
「俺は、シャスカ料理だったな! うちでもシャスカを扱ってみようかと思ったよ。なんなら、菓子に使ってみてもいいし――」
「そうそう、あのだいふくもちってやつも抜群の美味さだったからなあ。もちろん、もう片方の菓子も負けてなかったけどよ!」
タパスは「まあまあ」とばかりにご主人がたを手振りでなだめた。
「では、さきほどのお言葉はどのように解釈するべきでしょう?」
「そうですね。基本的に、小細工はいりません。たとえばいくつか料理の候補があるのなら、食材の数が多いほうを優先するとか。そのていどの心持ちで十分だと思います」
「なるほど。他には何か、ありましょうかな?」
「少なくとも、今からあれこれ手を加える必要はないように思いますよ。城下町の方々は複雑な味付けを好まれているとか、香草が入っていないと物足りなく感じられるとか、揚げ物の料理は流行遅れだとか……俺も色々な話を聞かされましたけれど、最終的に求められているのは料理の完成度だと思います。宿場町で人気を獲得できた献立であるのなら、自信をもってそれをお出しすればいいのではないでしょうか」
そう言って、俺はその場にいるすべての人々に笑いかけてみせた。
「先日の試食会で一番に選ばれたボズルの肉料理も、素晴らしい完成度だったでしょう? 本当に美味しい料理は、誰が食べても美味しいんです。もちろん細かい好みの違いはあるのでしょうけれど、相手が貴族や王族であっても気負う必要はないように思います」
俺に言えるのは、それぐらいのことであった。
そして、城下町の人々が宿場町の料理にどのような感想を述べるのかと、期待感がふつふつと高まってくる。現在出場が確定している宿屋の料理は、どこに出しても恥ずかしくない出来栄えであると、俺はそのように信じていたのだった。
(ダカルマス殿下とデルシェア姫には、ちょっぴり困らされる面もあるけど……ジェノスにとっては、ものすごい起爆剤にもなり得るんじゃないのかな)
俺はそんな心持ちで、生誕の日の賑やかな昼下がりを過ごすことができた。