城下町の試食会⑧~味比べ~
2021.4/26 更新分 1/1
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かくして、試食会の場においては味比べの余興が開始されることになった。
壁際に複数の小姓が立ち並び、人々がそこに列を作る。まだ料理を完食していない人々は慌てて目当てのブースに向かったが、それほど慌てる必要はないように思われた。小姓たちはいずれも大きな帳面を携えており、投票者から本日の感想まで聴取しているようなのだ。
ちなみに、料理を準備した4名はもちろん、その手伝いをした者たちにも投票権は存在しない。よって俺たちは、最後に残されたデルシェア姫の料理をのんびり味わいながら、それらの騒ぎを眺める格好となった。
「アスタ、お疲れ様です」
と、そこにユン=スドラたちが合流してくる。人々がブースに殺到したため、俺たちが戻るよりも早く料理の配布が終了してしまったのだ。
「今日は、味比べの余興というものもあったのですね。アスタはご存じだったのですか?」
「いや、完全に初耳だよ。俺たちだけじゃなく、料理を準備した全員が聞かされてなかったみたいだね」
「そうですか。奇妙な趣向ですね」
小首を傾げるユン=スドラの脇から、レイ=マトゥアがぴょんっと進み出てきた。
「あの! 味比べとは、何なのですか? 貴族が行う余興であると聞いたのですが」
「味比べっていうのは、要するに料理人の力比べだよ。今日の料理の中で、どれが一番の人気であったかを決めるわけだね」
「料理人の力比べですか! では、勝って誇りになることはあっても、負けて恥になることはないわけですね!」
それはその通りなのかもしれないが、俺はあんまり楽しい心地ではなかった。そもそも料理の出来に順番をつけるというのが、俺の流儀ではなかったのだ。
(それに、中には結果を気にする人だっているだろうし……シリィ=ロウなんかは大丈夫かなあ)
俺がそんな風に考えていると、人混みをかき分けてユーミとテリア=マスがやってきた。
「やあ。アスタたちは、この余興のことを知らされてなかったんだってね。シリィ=ロウなんか、あっちでぷんぷんしてたよー」
「そっか。……ユーミたちは、もう投票を終えたのかい?」
「うん! めんどくさいから、一番乗りで答えてきたよ。今日の会はどうだったかって、根掘り葉掘り聞かれちゃった。全員があんな風に聞きほじられるなら、ずいぶん時間がかかるだろうね」
そんな風に言ってから、ユーミはにっと白い歯を見せた。
「それでもって、自分がどの料理を選んだかは会が終わるまで他のやつに喋るなって話だったけど、ま、義理だの何だのを持ち出すまでもなく、一番ご縁の深い人間に入れておいたからさ!」
「それはどうもありがとう」と俺が苦笑してしまうと、ユーミがけげんそうに顔を寄せてきた。
「どうしたの? なんか、アスタは浮かない顔だね」
「いや、こういう余興はあんまり趣味に合わないんでね。勝ってもそれほど栄誉になるとは思えないし、負けたら負けたで楽しくはないだろうしさ」
「えー? こんなの、アスタが勝つに決まってるじゃん! ……あ、だけど、あのボズルってお人のカロン料理も捨てがたかったんだよなあ」
「わたしは、ダイアというお人のギバ料理が気になりました。ギバ肉を使って花の形にこしらえるなんて驚きですし……これまで食べたこともないような味わいでしたしね」
俺たちがそんな風に語らっていると、アイ=ファが「おい」と呼びかけてきた。
「料理を食べ終えたならば、ジザ=ルウらと合流すべきであろう。そろそろこの会も終わりが近いのだろうしな」
「えっ」と悲しげな声をあげたのは、トゥール=ディンであった。本日はまだ、ごくささやかな時間しかオディフィアとおしゃべりできていないのだ。
「だったら先に、ロブロスたちに挨拶をしておかないか? けっきょくまだ、今日はひと言も言葉を交わしてないからさ」
アイ=ファは一瞬迷ったようだが、トゥール=ディンの様子をちらりと見てから、「そうだな」と了承してくれた。
「あー、だったら、あたしらも後ろから覗かせてもらっていい? 恐れ多くて、貴族の席なんてちっとも近づけなかったからさあ」
ユーミがそのように申し出てきたので、ともに貴族の席を目指すことになった。
大半の人々が投票に向かっているため、貴族の席の周囲は閑散としている。それでもおおよその貴族たちは自分の席に戻っており、ただ右端の4つの席だけががらんと空いていた。
(ダカルマス殿下やデルシェア姫は、まだ戻ってないのか)
そういえば、広間を巡っている間も王家の方々と出くわすことはなかった。俺やアイ=ファが心配していたほど、べったりまとわりつこうという気はなかったようである。
(俺たちが試食をしている間、ずっと他の料理人や宿屋のお人らに声をかけてたのかな。だとしたら、それもそれですごい熱意だ)
そんな風に考えながら、俺たちはロブロスたちの席を目指した。
席順は最初の通りであったので、ロブロスたちはジェノス侯爵家の横合いに陣取っている。トゥール=ディンの接近に気づくと、椅子の上で足をぷらぷらさせていたオディフィアがぴょこんと頭をもたげた。
「あら、わざわざ挨拶に来てくれたのかしら?」
エウリフィアが、にこりと微笑みかけてくる。一同を代表して、俺が「はい」と答えてみせた。
「使節団の方々にも、ご挨拶をする時間がなかったもので……ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません」
どっかりと椅子に座ったロブロスは、不機嫌そうに俺たちを見やってきた。戦士長のフォルタや書記官らは、曖昧な表情で目礼をしてくる。
「其方たちか。……本日は、大儀であったな」
「はーい! 色んな人の料理を食べることができて、楽しかったでーす!」
と、こちらからはリミ=ルウが元気いっぱいに返答する。その姿に、ロブロスはふっと目もとを和ませた。
「其方の菓子は、大層な出来栄えであったな。以前よりも、さらに質が高くなったように感じたぞ」
「ほんとー? 嬉しいな! ……あやや、嬉しいです!」
そうして俺たちが順番に挨拶をしていると、逆の側からルウ家の一団が近づいてきた。ジザ=ルウ、ルド=ルウ、レイナ=ルウの3名で、リッドの女衆もついてきている。森辺の民は、これにて勢ぞろいである。
「使節団長ロブロスよ。無事な姿で再会できたことを喜ばしく思う」
「うむ。其方は……ルウ本家の第一子息、ジザ=ルウであったな。森辺にも、変わりはないと聞いている。……邪神教団にまつわる騒動は、いささか驚かされることになったが」
「我々にとっても、あれは未曾有の出来事であった。ジャガルにおいても、邪神教団が騒ぎを起こすことはままあるのであろうか?」
そうしてジザ=ルウたちが真剣な面持ちで語らっている間隙に、トゥール=ディンとリッドの女衆はジェノス侯爵家の人々と親睦を深めることになった。
また、レイナ=ルウはルド=ルウを引き連れてルイドロスのもとまで挨拶に出向き、レイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムはリフレイアのもとに向かった。ユーミとテリア=マスもレイ=マトゥアたちに便乗し、俺のもとに残されたのはアイ=ファとリミ=ルウとユン=スドラの3名だ。
「――とまあ、王都の近在で邪神教団による騒ぎが起きた試しはない。あの忌まわしきものどもは、山野に近ければ近いほど力を得るとされておるからな。ジェノスよりの報せを受けて、ジャガルにおいても辺遇の地の警備を強化しているさなかとなる」
「うむ。あのものどもがジェノスを抜けて、西に向かおうとしていたのか南に向かおうとしていたのか……もしも進路が南であったのなら、ジャガルの領土に本拠が存在する可能性もあろう。俺ごときが口を出すのは不遜に過ぎるであろうが、十分な用心を願いたいと思っていた」
ジザ=ルウは、そのようなことにまで頭を回していたのだ。
族長の跡取りというのはつくづく大変な責任を担っているのだなあと、ひそかに感服してしまう俺である。
そんな中、その場にたちこめた厳粛なる空気を叩き壊す存在が出現した。
すなわち、デルシェア姫である。
「あ、アスタ様! ずっとお姿を見かけないと思っていたら、こちらにいらしていたのですね! これがカロンの足もと知らずというものでしょうか!」
そのような格言は、過分にして存じあげない。
ともあれ、俺は恐縮しながら一礼し、アイ=ファはひそかに眼光を鋭くすることに相成った。
「よろしければ、こちらにどうぞ! 味比べの結果が出るまで、試食会のご感想をお聞かせください!」
こうまではっきり招待されては、こちらも断りようがない。
ジザ=ルウとリミ=ルウはまだロブロスと語りたそうであったので、俺はアイ=ファとユン=スドラだけを引き連れて、デルシェア姫の席に向かうことになった。その際に、ロブロスがとても申し訳なさそうな眼差しになっていたのは、きっと気のせいではないのだろう。
デルシェア姫の席は、貴族の卓の右端だ。ダカルマス殿下とマルスタインおよびメルフリードが不在のため、みっつほど空席が生じている。自分の席にちょこんと収まったデルシェア姫はにこにこ笑いながら俺たちに手招きをしてきた。
「みなさま、どうぞこちらに……そうそう、そうやってあたしを囲んでくれれば、他の連中には聞こえないだろうからさ」
俺とアイ=ファとユン=スドラが壁となって、デルシェア姫の私的な空間が構築されることになった。
調理着姿のデルシェア姫は、変わらぬ笑顔で俺たちを見回してくる。
「いきなりの味比べで、びっくりした? あたしらの家の試食会では毎度のことだったから、ついつい通達し忘れてたんだよねえ。でもまあ別に、こんな余興があろうとなかろうと、あんたたちは力を尽くしてくれたでしょ? だったら別に、問題ないよね?」
「はあ。とりたてて問題はないかと思いますが……これは、どういった趣旨の余興なのでしょう?」
「どういった趣旨って? 味比べは味比べでしょ。勝った人間も負けた人間も同じぐらい励みになるだろうから、やらないほうが損ってもんさ!」
邪気の欠片もない顔で、デルシェア姫はにっこり微笑んだ。
「ただ、今日の条件だと、どうしたってあたしは参加できないからさあ。次は、対等の条件で勝負しようよ! うわー、考えただけでわくわくしちゃうなあ!」
「次……が、あるのですか?」
「あったりまえじゃん! ただ、そんなすぐではないのかな? 他の連中にも出番をあげなきゃだしね!」
そう言って、デルシェア姫はエメラルドグリーンの瞳をいっそう明るくきらめかせた。
「だからその間に、わたしは森辺にお邪魔させてもらおうと思ってるよ! あんたたちがどんな場所でどんな風に修練を積んでるのか、ずーっと気になってたんだあ! ゲルドの貴人や料理番を招いてたんだから、まさか断ったりしないよね?」
「それはまあ……族長たちのお許しさえあれば……」
「わかってるわかってる! 明日にでも、使者を出してもらうからさ! 1日おいて、明後日にでもお邪魔しようと思ってるよ!」
アイ=ファの肩が、ぴくりと揺れた。
そしてその口が開かれる前に、俺は「いえ」と答えてみせる。
「申し訳ありませんが、明後日だけは都合がつかないのです。どうか明後日以降にしていただけませんか?」
デルシェア姫は、きょとんと俺を見返してきた。
「えーと……わたしが森辺にお邪魔するだけだから、屋台の商売を休んだりする必要はないんだよ?」
「はい。それとは別の用事があるのです」
「王家の人間を招待するより、大事な用事?」
俺はいささか迷ったが、「はい」と答える他なかった。
とたんに、デルシェア姫はにこーっと微笑む。
「やっぱあんたは、率直だね! 普通は王家の人間の願い出を、そんな簡単に退けたりできないもんだよ?」
「申し訳ありません。失礼は重々承知しているのですが……」
「ほめてるんだから、謝らないでよ! あたしを誰だと思ってるの? 率直さを旨とするジャガルの王族の端くれだよ? だいたい西の連中ってのは、みんなにこにこ笑ってるのに、率直さとは無縁だよねー。あんたたちが率直なのは、やっぱり南の血筋なのかなあ?」
「どうでしょう。俺などは、ジャガルから移り住んできた身ではありませんので……」
「そんなのわかってるけど、2年も同じ場所で暮らしてるなら、同じことでしょ。人間ってのは、周りの人間に感化されて出来上がるもんなんだからさ!」
同じ笑みをたたえたまま、デルシェア姫はそのように言いつのった。
「あんただけじゃなく、森辺の民はみんな率直そうだもんね! あたしは森辺の民、大好きだよ! そっちにも好いてもらえたら嬉しいなあ」
俺は「そ、そうですね」と間抜けな言葉を返すことしかできなかった。
何にせよ、明後日の強襲はご勘弁願えたようなので、ほっと安堵の息をつく。その日だけは、なんとしてでも行動の自由を確保しなければならない重大な理由があったのだ。
「……ところで、ダカルマス王子の姿が長らく見えないようだが」
と、アイ=ファが感情を殺した声で発言した。
デルシェア姫は、笑顔でくりんとそちらに向きなおる。
「父様は別室で、小姓から届けられる帳面を確認中だよ! 今の内から取り組んでおかないと、みんなが待ちぼうけになっちゃうからさ!」
「帳面とは? いずれの料理が優れていたかを数えるだけではないのか?」
「そんなのは、小姓の仕事でしょ! 星を入れる際にあれこれ感想を聞いてるから、それも帳面に書き留めてるんだよ! 広間をぐるーっと一周するぐらいじゃあ、全員の感想を聞けやしないからね!」
そう言って、デルシェア姫はいよいよ楽しげに笑みくずれる。
「でも、ざっと聞いて回っただけでも、やっぱりあんたたちの評価は際立ってたね! 菓子のほうで味比べをしてたら、あたしなんかは3番手だったんだろうなあ。あんただけじゃなく、リミ=ルウもトゥール=ディンも大した料理人だね!」
「ええ。あのふたりは、大した腕だと思います」
「それに、レイナ=ルウとシーラ=ルウとマルフィラ=ナハムだっけ? なんか、城下町でも評判になってるみたいじゃん。いずれはその娘たちの腕も拝見させてもらわないとなあ」
ついに、それらの情報もデルシェア姫のアンテナに引っかかってしまったようである。
まあ、いつまでも隠し通せるものではないのだろう。身重のシーラ=ルウだけはご容赦を願い、レイナ=ルウとマルフィラ=ナハムにも奮起してもらうしかないようであった。
そうしてしばらくすると、マルスタインとメルフリードが戻ってくる。どうやら貴族はわざわざ別室までおもむき、投票とアンケートを取られているようだ。そしてその両名が戻ってきたことで、貴族の投票は終了したようだった。
その後はマルスタインたちも含めて歓談し、さらに四半刻ほどが経過した頃――また大広間に鈴の根が鳴らされた。
「星の集計が完了いたしました。結果を発表いたしますので、皆様そのままお聞きください」
今回はポルアースではなく、南の民の少年が声を張り上げていた。どうやらダカルマス殿下が王都から引き連れてきた小姓のひとりであるらしい。そのかたわらには、笑顔のダカルマス殿下ご本人も立ちはだかっていた。
「本日、味比べの対象となったのは、ダイア様、ヴァルカス様、ボズル様、アスタ様の4名が準備された、3種ずつの料理となります。その中で、いずれの料理がもっとも美味であったものか、85名の参席者の方々にひとつずつ星を投じていただきました」
料理を準備した24名を除いても、それだけの参席者が存在するのだ。
そして、たったひとつの料理にしか票を投じられないというのは、なんともシビアな話である。俺が投票者であったなら、死ぬほど思い悩んでしまいそうなところであった。
「それでは、結果を発表させていただきたく思いますが……その前に、ひとつだけ前置きをさせていただきます。このたびの味比べには合計で12種の料理が準備されましたが、星を与えられた料理は6種のみとなります。どうぞそのように思し召しください」
静まりかえった大広間に、ざわめきの波紋が広がった。
それが消え去るのを待ってから、小姓がまた口を開く。
「それでは、発表いたします。本日、もっとも多くの星を獲得されたのは……19票で、ボズル様の肉料理と相成ります」
一瞬の沈黙の後、さきほどとは比べ物にならないほどのざわめきが噴出した。
それから厳かに、祝福の拍手が届けられる。こちらの卓では、マルスタインが「ほう」と息をついていた。
「ヴァルカスの弟子であるボズルが、第1位となったのか。確かにあの肉料理は、見事な出来栄えであったが……しかしまさか、第1位とはな」
俺もそのように思ったが、どの料理が選ばれても同じような心地だったのかもしれない。また、自分の料理が第1位でなかったことを不服に思うほど、厚かましい気性はしていないつもりであった。
「続きまして、第2位は……18票で、ダイア様の肉料理と相成ります」
第1位とは、わずかに1票差だ。
そしてさらに驚くべき結果が、小姓の口から告げられた。
「第3位は17票で、アスタ様の肉料理です。第4位は15票で、アスタ様のシャスカ料理です。第5位は14票で、アスタ様の野菜料理です。第6位は2票で、ボズル様の汁物料理です」
ざわめきが、いっそうの熱を帯びていく。
もうそれが静まりかえることはないと思ってか、小姓は背筋をのばして大きな声を張り上げた。
「以上の結果をもちまして、料理人の獲得した星の数は……第1位、アスタ様が46票。第2位、ボズル様が21票。第3位、ダイア様が18票と相成ります!」
「なるほどねー」という囁き声が、いきなり耳もとに吹き込まれた。
仰天して振り返ると、デルシェア姫が超至近距離でにこにこと笑っている。
「あんたは全部の料理が見事な出来栄えだったから、票がばらけちゃったわけだ。ボズル様が第1位って聞いたときはびっくりしちゃったけど、これなら納得だね」
「はあ……恐縮です」
「いいから、胸を張っておきなって! 85名の参席者の内、半分以上があんたに星を入れたんだよ? 今日の勝者は、まぎれもなくあんたってことさ!」
俺はべつだん、勝利などは望んでいなかった。
それよりも、ヴァルカスがひとつの星も獲得していないという無情な結果に、心を痛めるばかりである。これではシリィ=ロウでなくとも、無念に思わないはずがなかった。
「では、個別の料理で第1位を獲得されたボズル様と、合計で第1位を獲得されたアスタ様は、こちらにどうぞ! ジャガルの第六王子ダカルマス殿下より、祝福の勲章が授与されます!」
盛大な拍手が吹き荒れる中、俺はダカルマス殿下の御前に参ずることとなった。
人混みの中からも、ボズルが複雑そうに笑いながら進み出てくる。ヴァルカスの弟子であるボズルなどは、俺以上に錯綜した心地であることだろう。
「ボズル殿とアスタ殿に、祝福の勲章を授与いたします! これを励みに、さらなる飛躍を期待しておりますぞ!」
ダカルマス殿下がごつい指先で、手ずから勲章を授与してくれた。親指の爪ぐらいの大きさをした黄色の石が中央にはめ込まれた、銀のブローチのような勲章だ。
それを胸もとに授けられたボズルは、決然とした様子で「王子殿下」と声をあげた。
が、ダカルマス殿下は満面の笑みで「しばしお待ちを!」と押し留める。
「おふたりにはのちほどたっぷり語らっていただきたく思いますが、その前に総評を済ませなければなりませんからな! どうぞもとの場所でお待ちくだされ!」
ボズルはいくぶん切なげな笑みを俺に送ってから、人混みの向こうに消えていった。
俺は俺で、仏頂面をしたアイ=ファのもとに舞い戻る。
「それでは、本日の総評を発表させていただきますぞ! 皆様のお言葉は簡便ながらも帳面に記載させていただきましたが、まことに興味深いお言葉ばかりでありました! ……まず、宿場町から参じられた方々は、アスタ殿のギバ料理に食べなれていたという側面があったため、やや新鮮味に欠けたようでありますな! 中には、屋台で売られている焼きたての肉のほうが美味である、などという意見も見受けられました! そういった事情から、個別の味比べでは第3位に甘んじることとなったのでしょう! ただし、ボズル殿とダイア殿の肉料理もそれぞれ見事な出来栄えであったのですから、これは順当な結果と申せますでしょうし……どのみち、第1位から第3位までは1票ずつの差しか存在しなかったのです! あれらの肉料理はいずれもまさり劣りのない、素晴らしい出来栄えであったということでありますな!」
大広間がどれだけざわめいていても、ダカルマス殿下の胴間声は楽々とそれを突破できるようだった。
「また、ダイア殿とボズル殿の料理は、城下町で料理人として働く方々にとっても、きわめて目新しかったようです! おふたりは料理店を開いておられるわけでもないため、それが道理なのでありましょう! その反面、ジェノスの貴族の方々は、おふたりの料理を口にする機会にも事欠かぬので、そういった内情が星の数に表れているようですな! とりわけダイア殿のギバ肉料理というのはジェノス城の祝宴における定番であるようですので、貴族の方々は目新しさを覚えることもなく、ほとんど星を授ける御方もおられませんでした! それでも第2位の座を確保できたのは、城下町の料理人および宿場町の方々から等しく星を授けられたためであるのでしょう!」
そんな調子で、ダカルマス殿下はつらつらと味比べの内情をまくしたてていった。
いわく、貴族の面々は俺に票を投じる人間が多かったが、シャスカ料理はもっと豪奢な献立をすでに味わっているため、他の2種に票が流れただとか――そのぶん、シャスカ料理に馴染みのない宿場町の面々は票を投じる人間が多かった、だとか――ダイアとボズルのジョラ料理、およびダイアの菓子については、どうしてもデルシェア姫の作と比較をされてしまい、星を授かることができなかったようだ、とか――俺にしてみても、合点のいく話ばかりであったように思う。
「そして、ヴァルカス殿の料理についてですが……これはもう、ヴァルカス殿の作法は短期間で結果を出すことが難しい、というひと言に尽きるのでしょう! ヴァルカス殿はジェノスにおいてもっとも複雑怪奇な料理を考案する御方と名高いため、5日間ではまったく時間が足りなかったということでありますな! ヴァルカス殿は最初からこの試食会に乗り気ではありませんでしたし、本日も粗末な料理しか出せないことをお許し願いたいと申されておりました! わたくしのほうこそ、無理を申して試食会に参加していただいたことを、ヴァルカス殿にお詫びしなければなりますまい!」
と、ダカルマス殿下はついにヴァルカスについてまで言及し始めた。
「本日初めてヴァルカス殿の料理を口にされた方々は、とんだ評判倒れとお思いになられたやもしれません! ですがこれは、ヴァルカス殿の本領ではないのです! そして、わたくし自身も、いまだヴァルカス殿の本領を知らぬ身となります! わたくしも皆様も、これからヴァルカス殿の本領を知らなければなりません! わたくしがその場をご準備するということをこの場でお約束いたしますので、皆様はどうかその日まで、ヴァルカス殿への評価をお待ちいただきたく思います!」
俺は思わず、ロブロスのほうを振り返ってしまった。
当然のように、ロブロスは苦い顔をしている。
が、俺が驚かされるのは、ここからが本番であったのだった。
「そして、もう一点! ジェノスにおいては宿場町にも、きわめて優れた料理人が存在するものと聞き及んでおります! また、本日の試食会によって、わたくしもそれが真実なのであろうと確信するに至りました! 宿場町の方々から寄せられたお言葉の数々は、いずれも腑に落ちる内容であり、しっかりと筋が通っているように見受けられます! では、宿場町の方々がどれだけ見事な料理を作りあげられるものか……それを披露する場も設けたく思っておりますので、どうかふるってご参加をお願いしたく思いますぞ!」
俺が驚かされた以上に、宿場町の面々は困惑の坩堝に叩き込まれたようだった。
ダカルマス殿下は城下町の料理人や森辺のかまど番ばかりでなく、宿場町の宿屋の関係者にも注目していたのである。
(だからこそ、今日も宿場町の人たちを紹介してたわけか……このお人の情熱やら執念やらは、俺の想像を遥かに上回ってるみたいだな)
しかしまあ、重い荷物は担ぎ手が増えるほどに苦労が分散されるものであろう。
一緒に頑張っていきましょうねと、俺は宿場町の面々にこっそりエールを送っておくことにした。
「総括は、以上となります! もう半刻ほど意見交換の時間を楽しんでいただきたく思いますので、各々ご自由にお過ごしくだされ!」
大広間の人々を騒がすだけ騒がせて、ダカルマス殿下は意気揚々と貴族の席に戻ってきた。
デルシェア姫の隣に腰を落ち着けたダカルマス殿下は、俺に向かってにっこりと笑いかけてくる。
「アスタ殿も、お疲れ様でありましたな! ボズル殿が参りましたら、もう半刻ばかりおつきあいをお願いいたしますぞ!」
「はい。承知いたしました」
それではその前に気力を充電させていただこうと、俺は壁際まで引っ込むことにした。
森辺のみんなも気をきかせてくれたのか、アイ=ファだけが後をついてくる。
「なんだか、大変な騒ぎになっちゃったな。こいつはジェノス中の人間が巻き込まれちゃいそうだぞ」
「すでに全員が巻き込まれているのであろう。ただ、想像以上に穴が深かったというだけのことだ」
凛然とした調子でそのように答えてから、アイ=ファがふいに口もとをごにょごにょさせた。
その愛くるしい仕草に心を癒やされながら、俺は「ああ」と笑ってみせる。
「さっきはちょっと、危機一髪だったな。デルシェア姫が聞き分けてくれて助かったよ」
「うむ……お前が即時に対応していなければ、私が余計な口を出してしまっていたやもしれん」
「ああ。明後日だけは、誰のお邪魔も容認できないからな」
明後日――黄の月の24日は、俺の生誕の日なのである。
その日の自由が守られたことに安堵しつつ、俺はついついくすりと笑ってしまった。
「だけど俺は、自分で自分の誕生日のために、必死に言いつのったってことになるんだな。端から見たら、ものすごく間抜けな構図なんじゃなかろうか?」
「……それを笑う人間がいたならば、私が叩きのめしてくれよう」
そうしてアイ=ファは騒擾のさなかにある大広間に背を向けつつ、こっそり俺に微笑みかけてきた。
「また、お前は家長たる私の心情を代弁したも同然であるのだ。よって、何も恥じることはあるまい」
「ありがとう。アイ=ファが同じ気持ちでいてくれたなら、嬉しいよ」
「そこで気持ちが違える道理は、どこにもあるまい」
首から下は雄々しい武者姿のまま、アイ=ファは甘えるようにそう言った。
俺はついに、森辺で丸2年を過ごすことになるのだ。
アイ=ファと出会ってから、2年が経過することになる。閏月のことを考えれば、もう700日近くは経っているはずであろう。
まさかこれほどの騒ぎの中で、生誕の日を迎えることになるとは思わなかった。
だけど俺は、大丈夫だ。森辺の民である限り、アイ=ファがそばにいてくれる限り――これからも、この世界の人間として清く正しく生きていけるはずであった。