城下町の試食会⑥~厚情~
2021.4/24 更新分 1/1
トゥール=ディンとじっくり歓談したのち、オディフィアとエウリフィアが立ち去ると、そのタイミングでレイナ=ルウとルド=ルウがやってきてくれた。
なおかつそのかたわらに、サトゥラス伯爵家の第一子息たるリーハイムとその従兄弟であるレイリスがくっついている。白装束のレイリスは、どうやら護衛役の武官として参じているようだった。
「アスタ、お疲れ様です。よろしければ、仕事を代わりましょうか?」
「いや。俺はもうひと通りの料理を食べ終えているからね。ユン=スドラたちが戻ってきたら2食目をいただきに出向くつもりだから、どうぞお気遣いなく」
親切なレイナ=ルウに笑顔で答えてから、俺はサトゥラス伯爵家のおふたりに向きなおった。
「さきほどはご挨拶もせずに失礼いたしました。レイリスもいらっしゃっていたのですね」
「ええ。これだけの料理に取り囲まれながら口にできないというのは、なかなか過酷な任務です」
いかにも貴公子らしい優雅な微笑をたたえながら、レイリスはそう言った。いっぽう、別の意味で貴族らしい風貌をしたリーハイムは「ふふん」と鼻を鳴らしながら、油で整えられた髪を撫でつける。
「今日はあくまで試食の会なんだから、そうまで残念がることはねえさ。もっと日を置けば、もっと立派な料理をいくらでも口にできるだろうからな」
「やはり、ご満足のいく仕上がりではありませんでしたか?」
俺がそのように問いかけると、リーハイムではなくレイナ=ルウがにこりと笑った。
「ここまでの道中で、森辺のかまど番の料理だけは群を抜いていると、リーハイムはそのように仰っていました。アスタの料理ばかりでなく、リミとトゥール=ディンの菓子もたいそうお気に召したそうです」
「ああ。お前らの料理も簡素な出来栄えだったけど、なんていうか……完成はしてたと思うんだよな。ヴァルカスのやつなんざ、まるで作りかけの料理だったろう? あれじゃあ本人も渋るのが当然だ」
サトゥラス伯爵家もちょいちょい高名な料理人を屋敷に呼びつけているという話であったので、リーハイムもなかなかに舌が肥えているようだった。
「あれだったら、弟子のボズルとかいうやつのほうが、断然マシだな。焼物と汁物の料理なんかは、文句のない仕上がりだったしよ。ダイアに関しては……ギバ肉の料理はいつも通りの出来栄えで、菓子はまあまあ、魚料理はいまひとつって感じだったな」
「リーハイムは、さきほどもそのように仰っていましたよね。わたしは、少なからず驚かされてしまいました」
レイナ=ルウが口をはさむと、意気揚々と語らっていたリーハイムがとたんに不安そうな顔になった。
「俺はなんか、おかしなことを言っちまったか? そりゃあまあ、俺は料理人でも何でもないんだから、何も偉そうなことは言えねえけど……」
「いえ、そうではありません。リーハイムのお言葉は、わたしの感想とことごとく合致していたのです」
レイナ=ルウは明るく微笑みながら、そのように言いたてた。
「ヴァルカスの料理が物足りなかったことも、ボズルの2種の料理が素晴らしかったことも、ダイアの料理と菓子に関しても……ついでに言うのなら、アスタの料理が簡素でありながらとても素晴らしい味わいであったという点も、完全に合致しています。リーハイムはわたしと味の好みが似ているからこそ、わたしのことを取りたててくださったのかもしれませんね」
「そ、そうか? 俺なんて、好き勝手にくっちゃべってるだけだけどな」
リーハイムは、いくぶん気恥ずかしそうに口をほころばせる。レイナ=ルウと正しく絆を結びなおして以来、ようやく見せるようになった素直な表情だ。
すると、壁際でこちらの様子をうかがっていたジザ=ルウが、また近づいてきた。
「リーハイムにレイリス、息災そうで何よりだ。ルイドロスは一緒ではなかったのだろうか?」
「ああ、ジザ=ルウ。親父はたぶん、もとの席に座ったまんまだよ。宿屋の商会長が目ぼしい人間に挨拶をさせるためにやってくるだろうから、それを待ってやるのが貴族の務めとか考えてるんだろ」
「なるほど。それがジェノスの貴族の流儀ということか。……古きよりの習わしを重んずるのは、大切なことであろうからな」
「そうだな。古臭いしきたりなんざ肩が凝るばっかりだけど、そいつをすべてないがしろにしたら、貴族なんざ一歩も立ち行かねえからなあ」
そこでリーハイムは左右を見回してから、声を低めた。
「ここだけの話、王家の連中は好き勝手をやりすぎだよ。ま、ジェノス侯だったら譲れない部分は譲らないだろうけど……苦労がかかるのは、周りの連中だ。そのあたり、森辺の民は大丈夫なのか?」
「大丈夫……とは、どういう意味であろうか?」
「お前らも、苦労をかけられてる筆頭だろ。今日だって、屋台の商売を休む羽目になっちまったんだろ? ま、今日の仕事では屋台の売り上げよりも上等な褒賞が支払われるんだろうけど、客の信用は銅貨じゃ買えねえからな」
ジザ=ルウはリーハイムの顔をじっと見つめてから、「うむ」とうなずいた。
「今のところ、森辺のかまど番たちも大きな迷惑は被っていないという話だったが、我々もマルスタインと同じように、譲れるものと譲れないものの境を入念に見定める必要があるのだろう」
「ああ。それで譲れない部分にずれがあったりしたら、ジェノスの貴族と森辺の民の間に悶着が起きちまうだろうからな。調停役のメルフリードやポルアースなんかとは、これまで以上に連絡を密にするこった。……あいつらが忙しいってんなら、サトゥラス伯爵家が渡りをつけてやるからよ」
リフレイアやフェルメスに続いて、リーハイムまでもが森辺の民の心配をしてくれていたのだ。ジザ=ルウの内心はいまひとつ読めなかったが、アイ=ファなどはなかなか感心した様子でリーハイムのことを見やっていた。
「リーハイムの助言を、得難く思う。その言葉は、族長らに正しく伝えさせていただこう」
「ん、まあ、俺なんかは何の役にも立てねえけどさ。俺にできるのは……レイナ=ルウを家に招くことを我慢することぐらいだ」
皮肉っぽく笑いながら、リーハイムはそう言った。
「本当は、そろそろレイナ=ルウに晩餐の準備をお願いしようと考えてたんだけどよ。そうしたら、あいつらがしゃしゃり出てくることは目に見えてるもんな。あいつらがジャガルに戻ったら、どうぞよろしくお願いするよ」
「はい。サトゥラス伯爵家からの使者を心待ちにしています」
レイナ=ルウも嬉しそうな顔で、そのように答えていた。
そこにずかずかと、大柄な人影が寄ってくる。その姿に、アイ=ファがこっそり溜息をついていた。
「おお、アイ=ファ殿! 今日はまた凛々しい装いだな! それはそれでアイ=ファ殿の美しさをいっそう際立たせているように思うぞ!」
なんとそれは、護民兵団の大隊長たるデヴィアスであった。しかも武官の白装束ではなく、リーハイムと同じような略式の礼装めいた装いだ。
「んー? あんたは護衛役じゃなく、客なのか?」
こっそりリミ=ルウと語らっていたルド=ルウが横から呼びかけると、デヴィアスは元気いっぱいに「うむ!」とうなずいた。
「ジャガルの戦士長たるフォルタ殿のつてを辿って、潜り込むことに成功したのだ! アスタ殿、森辺の料理はいずれも美味であったように思ったぞ!」
「そ、それはありがとうございます。まさかこの場でデヴィアスにお会いできるとは思いませんでした」
「森辺の方々と絆を深める、希少な機会だからな! 必死に頼み込んで、なんとか了承を取りつけたのだ! こうしてアイ=ファ殿の美しき姿も目にできて、心より喜ばしく思うぞ!」
アイ=ファが仏頂面で黙り込んでいると、親切なレイリスが苦笑まじりに掣肘してくれた。
「デヴィアス殿、以前にも申し上げましたが、森辺の女人の外見を褒めそやすのは……」
「おお、そうだった! アイ=ファ殿の美しさを目の当たりにすると、どうにも我慢がきかなくなってしまうな! 心よりのお詫びを申し上げるぞ、アイ=ファ殿!」
「……顔をあわせるたびに謝罪を受ける関係性というものは、どうにか改善してもらいたく思う」
アイ=ファが溜息まじりに応じると、レイリスの隣でリーハイムも苦笑した。
「貴族ばかりが寄り集まると、宿場町の連中が近づき難くなっちまうだろうな。俺たちは、料理をいただいて退散するか」
そうしてリーハイムとレイリスは、ルウ家の姉弟ともども立ち去っていった。
残されたのは、デヴィアスただひとりである。デヴィアスはにこにこと笑いながら、俺たちの前から去る様子もなかった。
「王家の方々も、アスタ殿らの料理に心から満足されている様子であったな! ……ところで、森辺のお歴々にお伝えしたい話があるのだが、しばしお時間をいただけるだろうか?」
「……森辺のお歴々とは、誰を指しての言葉であろうか?」
「それはもちろんアスタ殿とアイ=ファ殿だが、ルウ家の立場ある御方にも同席を願えたら、いっそう望ましかろうな」
まだその場に留まっていたジザ=ルウは、糸のように細い目でデヴィアスを見返した。
「いったいどういった話であろうか? よければ、聞かせていただきたい」
「うむ! それでは今少し、そちらに近づかせていただくぞ!」
と、デヴィアスは作業台を回り込んで、ブースの裏側にまでやってきた。
「実はだな。ここ数日、ジャガルの兵士たちが身分を隠して、酒場や食堂などに出没しているようなのだ」
「ジャガルの兵士たちとは、使節団を護衛する兵士たちのことであろうか?」
「現在のジェノスに、それ以外のジャガル兵はいなかろう。ただし、装束は平服にあらためて、身分も隠しているらしい。俺の友人である近衛兵団の小隊長が、どこかの酒場で出くわしたらしくてな。そやつらはそうやって他の客たちや店の人間と懇意になり、ジェノスにおける料理や料理人について情報を収集しているようなのだ」
「なるほど。しかしまあ、王家の者たちというのは美味なる料理に執心しているのだから、それほど驚くには値しないように思うが」
ジザ=ルウがそのように応じると、デヴィアスはにんまり微笑んだ。
「俺も、最初はそう思った。しかしどうやら、その規模というのが想像以上でな。俺の見込みによると、そうした任務に従事している兵士の数は50名にも及び、城下町ばかりでなく宿場町にまで出没しておるようなのだ」
さすがのジザ=ルウも、いくぶん意表を突かれた様子で口をつぐんだ。
すると横から、アイ=ファがデヴィアスに詰め寄る。
「どうしてあなたが、そのような事情に通じているのだ? 宿場町の様子など、あなたには知るすべもあるまい?」
「いやいや、俺の部下には宿場町で暮らす者も少なくないのだよ。最初に話を聞いてから、俺はすぐさま部下たちに網を張らせたのだ。そうしたら、面白いぐらいに引っかかってな。そこから50名ていどという人数まで割り出せたわけだ」
そう言って、デヴィアスはいっそう愉快げに微笑んだ。
「で、戦士長のフォルタ殿にお尋ねしたところ、100名から成る護衛役の兵士たちの半数は王子殿下の指揮下にあり、フォルタ殿にも日頃の行動は把握できていないという話であったのだ。こうまで話が符号しておるのだから、50名という人数にもまず間違いはなかろうと思うぞ」
「連日、50名もの人間が手分けをして、宿場町や城下町で話を探っているということか」
「うむ。そしてやっぱりそやつらは、とりわけアスタ殿に強い関心を抱いておるようだ」
アイ=ファはいよいよ鋭い目つきになりながら、俺のほうに向きなおってきた。
「……あやつらはすでに、お前の屋台にまで出向いてきていたという話であったな?」
「うん。王家の方々は、そうやって情報を収集してるってことだな。これはロブロスたちも、隠し事なんてできないわけだ」
「……そのようにこそこそと嗅ぎまわるのが、王家の人間のやり口ということなのだろうか?」
アイ=ファの言葉に「いやいや」と反応したのは、デヴィアスであった。
「きっと王家の方々は、真実を知りたいだけなのであろう。貴族などというものは、正直さよりも損得勘定を重んじるものであるからな。実際、ジェノス侯らは森辺の料理人に関心が集まると面倒そうなので、王家の方々には何も情報を与えていなかったご様子だ。森辺の料理人というのはどれほどの存在であるのか、その真実を探るためにあれこれ手を回しておるのだろうよ」
「……その結果、こそこそ嗅ぎまわることになったというわけだな」
アイ=ファはどんどん不機嫌そうな顔になっていくが、デヴィアスは朗らかな表情のままであった。
「まあ正直さを美徳とする森辺のお歴々には釈然としないやもしれんが、それはあちらも同じことであろう。ダカルマス殿下やデルシェア姫というのは、まったく裏表のない気性であられるようだからな。それでも周囲の人間が正直な話を語ってくれないがゆえに、そうして手を尽くすしかなかったということなのであろうよ」
「あなたは、王家の者たちに肩入れをする立場なのであろうか?」
「肩入れなどはしておらんよ。俺もいちおう騎士階級とはいえ貴族の端くれだが、貴族らしい立ち居振る舞いなどは身につかなかったので、正直さを美徳とする森辺の民や南の民を好ましく思うばかりだ」
そう言って、デヴィアスはいっそう屈託なく笑った。
「王家の方々に目をかけられるというのは難儀な面もあろうが、あの方々が正直さを美徳としていることに疑いはなかろう。両者の間に正しき絆が結ばれることを、俺は心より願っているぞ」
「……それで貴方は、わざわざ部下を使ってまで王家の者たちの行状を確認してくれたということだな」
そのように応じたのは、ジザ=ルウであった。
「貴方の親切には、感謝する。我々も心して、王家の者たちの真情を見定めたく思う」
「真情は、おそらく見たままだと思うぞ。あとは、好みに合うかどうかだな」
あくまでも陽気に言いたてて、デヴィアスは「さて」と身を引いた。
「俺の用件は、ここまでだ。それではまた、機会があれば」
「え? もう行かれてしまうのですか?」
「うむ。アスタ殿らの料理は、もう2食分をいただいてしまったしな。俺などが居座っても邪魔にしかならんだろうから、今日のところは失礼する。今日の名残惜しさは、また別の機会に晴らさせていただきたく存ずるぞ!」
それだけ言って、デヴィアスはあっさり立ち去ってしまった。
アイ=ファはうろんげに眉を寄せつつ、俺のほうに向きなおってくる。
「つまり、あやつは……今の話を我々に聞かせるためだけに、わざわざこのような会に出向いてきたということなのであろうか?」
「きっとそういうことなんだろうな。根っこは、親切なお人だろうしさ」
「……つくづく、扱いに困る男だな」
アイ=ファは額に手をあてながら、深々と溜息をついていた。
アイ=ファの複雑な心境はさておくとして、デヴィアスの親切はありがたい限りであろう。
(なんていうか……メルフリードやポルアースが動けないぶん、他のみんながそれぞれ世話を焼いてくれてる感じだよな)
俺としては、そんな心地を抱くことができた。
リフレイアやフェルメスやリーハイムに続いて、デヴィアスまでもが森辺の民の心情を思いやってくれていたのだ。そういえば、デヴィアスの部下であるガーデルもまた、俺個人の行く末を心配してくれていたのだった。
(本当に、ありがたい限りじゃないか。……アイ=ファの心労はつのるばっかりみたいだけど)
俺がそんな風に考えたとき、森辺の仲良しトリオが舞い戻ってきた。ユン=スドラとマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアである。
「やあ、早かったね。もうひと通りの料理を口にできたのかな?」
「はい。料理によっては、2食目も口にすることがかないました。アスタたちも、どうぞ料理をお食べください」
「ありがとう。その前に、みんなの感想を聞かせてもらいたいかな」
俺の言葉に、レイ=マトゥアが熱っぽく身を乗り出してきた。
「わたしは、ボズルのカロン料理が素晴らしいと思いました! ギバ肉でないのにあれほど美味と思ったのは初めてかもしれません!」
「わたしはそれと、ダイアのギバ料理が心に残りました。あとは……デルシェア姫の料理は、いずれも素晴らしい出来栄えでしたね」
「わ、わ、わたしもデルシェア姫の料理が気になりました。あ、あちらもギバ料理ではなかったので、心から満足することはできませんでしたが……あ、新たな食材の魅力というものを、あらためて思い知らされた心地です」
「あ、わたしもデルシェア姫の菓子は美味だと思いました! ラマンパの油というのは、とても菓子に合いそうですね!」
「あとは、ヴァルカスの料理ですけれど……あまり食べにくさがなかったぶん、ちょっと印象が薄いように思います。決して不出来とは思わないのですが……他の方々の料理が素晴らしかったため、ちょっと霞んでしまうのかもしれませんね」
「で、で、でもきっと、ヴァルカスであればいずれ物凄い料理を作りあげるのでしょう。そ、そういった期待感をむやみにかきたてられてしまいました」
3名ともに、大いに刺激を受けた様子である。これだけで、この試食会に参加させてもらった甲斐もあったというものであった。
(ちょっと強引なやり口ではあったけど、この試食会そのものはすごく有意義なことだよな)
そんな風に結論づけて、俺はユン=スドラたちに仕事を代わってもらうことにした。
リミ=ルウとトゥール=ディンも解放されたので、ともに試食の2回戦目である。やはり同行するのはアイ=ファで、ジザ=ルウは守護神の石像のようにユン=スドラたちのことを見守ってくれていた。
そうして俺たちは、4名連れで大広間を巡ることになったわけであるが――そろそろひと通りの料理を完食した人間も出てきているのだろう。広間を巡らずに、あちこちで立ち話に興じている人影も少なくはない。そうしていずれの場所にあっても、そこには料理にたずさわる人々の熱気と活力が渦巻いているように思えた。
「とりあえず、近場から順番に巡っていこうか。それで一周したら、俺たちも完食したことになるわけだからね」
「うん! ぜんぶ食べたら、おなかいっぱいになりそうだねー!」
リミ=ルウは、うきうきとした様子で歩いている。あらためて、侍女のお仕着せが可愛らしい。となりのトゥール=ディンがきょろきょろと視線を巡らせているのは、オディフィアの姿を捜し求めているのかもしれなかった。
やがて、もっとも手近なブースに辿り着くと、そちらも料理を受け取りに来る人間はずいぶんまばらになっていた。
そしてその場で歓談していたのは、ダイアとティマロである。ここはダイアの料理のブースであったのだ。
「おや、みなさま、おそろいで。わたくしの料理を味見に来てくださったのでしょうか?」
ダイアはにこやかに微笑みつつ、ティマロは不満顔でこちらに向きなおってくる。ティマロはダイアを敬愛している様子なので、心楽しく歓談に励んでいたのだろう。
が、その目がトゥール=ディンとリミ=ルウをとらえると、たちまち真摯な眼差しと成り果てた。
「トゥール=ディン殿に、リミ=ルウ殿! お会いできるのを心待ちにしておりましたぞ! おふたりの菓子は、素晴らしい出来栄えでありましたな!」
言葉の内容は好意的だが、その眼差しには若干以上の対抗心も燃やされている。トゥール=ディンはおずおずと頭を下げ、リミ=ルウはにこりと微笑んだ。
「ありがとー! マトラって、面白い果実だよねー! みんながどんなお菓子を作るのか、楽しみだなあ」
「マトラというのはもっとも使い勝手が難しそうであったのに、リミ=ルウ様は見事な菓子に仕上げておりましたねえ。わたくしも、見習いたく思います」
ダイアが穏やかに応じると、ティマロはいっそういきりたった。
「ダイア殿の菓子とて、大きな可能性を秘めておりましたぞ! 今日のところは、未完成の域を出なかったやもしれませぬが……森辺の方々は、きっと対等な立場ではなかったのでしょうからな」
「うん! アスタがマトラの使い方を教えてくれたの! アスタの故郷に、同じような果実があったんだってー!」
リミ=ルウの無邪気さに、ティマロもいくぶん毒気を抜かれた様子であった。
ひとつ咳払いをして気持ちを落ち着けると、今度はトゥール=ディンに向きなおる。
「トゥール=ディン殿の菓子は簡素にして、きわめて高い完成度でありましたな。あちらの食材の配合は、やはりご自分で取り決めたのでしょうか?」
「あ、はい。もともとトライプで同じような菓子を作っていたので……食材の分量を決めることが、仕事のほとんどでした」
「わずか5日間で正しき答えに辿り着いたのですから、見事な手際でありましょう。あれは本当に……素晴らしい出来栄えでありました」
そう言って、次には俺を見据えてくる。
「簡素といえば、アスタ殿の料理も簡素なものが多かったようですな。あれでは城下町で人気を博することは難しいように思いますが、しかし食材の素晴らしさは誰よりも強く伝えられたかに思います。とりわけ宿場町の方々などは、感服されていることでしょう」
「はい。それでしたら、何よりです」
「……対して、ヴァルカス殿は不甲斐ない結果に終わったようですな。王族の方々のご指名とあっては、お断りすることも難しかったのやもしれませんが……あれではご本人も、忸怩たる思いであることでしょう」
ヴァルカスの失敗を喜ぶというよりも、むしろ不本意に感じているような面持ちで、ティマロはそのように言いたてた。
その言葉に、俺は小首を傾げてみせる。
「確かにヴァルカスであれば、もっと素晴らしい料理に仕上げることができるのでしょう。でも、そこまで不甲斐ない出来栄えであったでしょうか?」
「それはそうでしょう。何か、ご不満でも?」
「いえ。ティマロばかりではなく、みんなヴァルカスへの評価が低すぎるような気がしてしまって……」
すると、ダイアが穏やかな笑顔のまま声をあげた。
「わたくしも、ずっとそのように思っておりました。わたくしの弟子たちも、懇意にさせていただいている料理人の方々も、のきなみ同じような評価でありましたので」
「そうですよね。もちろん俺も、物足りないという思いはありましたけれど……でも、そこまで悪い出来だとは思いませんでした」
「わたくしも、同感です。もしかしたら、それは食べる順番によってもたらされた差異なのかもしれませんねえ」
「食べる順番?」
「ええ。わたくしどもは、最初にヴァルカス様の料理を食べさせていただいたでしょう? でも、他の方々はそうとは限りません。もしもアスタ様やボズル様やデルシェア姫の料理を先に食べていたのなら、ヴァルカス様の料理がいっそう物足りなく感じられてしまうのではないでしょうか?」
俺はしばし、黙考することになった。
ヴァルカスの料理は、決してそうまで不出来ではなかった。ただ、決して調和を乱すまいとして、ヴァルカスの持つ強烈な個性を発揮できていなかったように思う。そうすると――ボズルのカロン料理やダイアのギバ料理のように、強く訴えかけてくるものが生まれないのかもしれなかった。
「そう……ですね。想像するしかありませんけど……そういう面は、あるのかもしれません」
「はい。ヴァルカス様は、吟味に吟味を重ねることで、素晴らしい料理を作りあげることがかなうのでしょう。5日間で新たな料理を作りあげるという条件が、ヴァルカス様にとっては誰よりも重い枷になったのだろうと思いますねえ」
そう言って、ダイアはつやつやとした顔に笑い皺を刻んだ。
「きっとひと月やふた月の後には、ヴァルカス様こそがもっとも驚くべき料理を作りあげていることでしょう。わたくしは、それを楽しみにしたいと思います」
「……わたしはそれでも、ダイア殿の料理のほうが素晴らしい出来栄えであると信じておりますぞ」
と、ティマロが唇を尖らせながら、そのように言いたてた。アイ=ファのような愛くるしさは求めるべくもないが、人間らしい素直な表情だ。彼も出会った頃には、決して俺たちにこのような顔を見せることはなかった。
「それに何より、本日は食材の素晴らしさを広めるための会であったのです。ヴァルカス様の料理はきちんとその役目を果たしていたでしょうから、何も気を落とす理由はないように思いますねえ」
「そうですな。よくよく考えれば、あの御方が余人の感想に一喜一憂することはないのでしょう。忸怩たる思いという発言は、撤回いたします」
そんな風に言ってから、ティマロはまた俺たちのほうを見据えてきた。
「皆様のおかげで、新たな食材の素晴らしさをより痛感することがかないました。わたしも力を尽くして、美味なる料理を作りあげてみせますぞ」
「はい。楽しみにしています」
やはりここにも、料理人たちの熱い思いが渦巻いている。
ダイアにティマロという対照的な料理人たちと相対しながら、俺はそんな心地を抱くことができた。