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異世界料理道  作者: EDA
第六十章 大地の国の使者
1035/1679

城下町の試食会⑤~交流~

2021.4/23 更新分 1/1

 料理の供されるブースは、いずれも壁際に設置されている。

 まあ本当の壁は衝立によって隠されており、その裏側には貴き方々を守る兵士がずらりと居並んでいるはずであるのだが、とにかく大広間の外周に大きな卓やワゴンが置かれて、そこで料理が配られているのだ。


 俺とアイ=ファが森辺のかまど番のブースに戻ってみると、そちらはまだ仕事のさなかで、たくさんの人々が群がっていた。こちらでも料理は半人前ずつ配るように言いつけられていたので、おおよその人々はまずひと通りの料理を食してから2度目の料理を受け取りに来ているのだろう。


「あ、アスタ。どうもお疲れ様でした。もうお役目は果たせたのでしょうか?」


 調理着姿のユン=スドラが笑顔で呼びかけてきたので、俺も「うん」と笑顔を返してみせた。


「あとは料理を食べてくれた人たちと意見交換をすべし、だってさ。そっちも何も問題はなかったかな?」


「はい。いずれの料理も好評のようです。色々と質問を投げかけられたので、答えられる範囲でお答えしておきました」


 調理助手は3名いるので、それぞれ1種ずつの料理を担当してもらっている。ユン=スドラがシャスカ料理、マルフィラ=ナハムが野菜料理、レイ=マトゥアが肉料理の担当だ。


「それじゃあ仕事を代わるから、ユン=スドラたちもひとりずつ試食をしておいでよ。まだ何の料理も食べていないんだろう?」


「あ、いえ。レイナ=ルウやリッドの女衆が、いくつか料理を運んできてくださいました。あちらは人手も不要ですので」


 俺たちがそんな言葉を交わしていると、リミ=ルウとトゥール=ディンがちょこちょこと近づいてきた。


「そっちのみんなも、料理を食べておいでよ! リミたちが代わってあげるー!」


「ああ、ありがとう。それじゃあ、ユン=スドラたちもひと通りの料理を食べたら、いったん戻ってきてもらえるかな?」


「承知しました。リミ=ルウ、トゥール=ディン、ありがとうございます」


 ということで、ユン=スドラとマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアは嬉々として大広間の人混みに乗り込んでいった。

 俺は野菜料理、トゥール=ディンはシャスカ料理、リミ=ルウは肉料理のブースにつく。すると、衝立を背に取っていたジザ=ルウが俺のもとに歩み寄ってきた。


「ご苦労だったな。何も危ういことはなかっただろうか?」


「はい。王家の方々にも、ずいぶん喜んでいただけたようです。……その喜ばれかたが、いささか想定以上であったぐらいでしょうかね」


「ふむ。では、今後も何かと仕事を申しつけられる可能性がある、ということだな」


 それだけ言って、ジザ=ルウはもとのポジションに戻っていった。

 ルド=ルウは、レイナ=ルウとともに他のブースを巡っているようだ。帯刀は許されず、試食の料理も準備されていない代わりに、森辺の狩人らは行動の自由を許されているのだった。


「アスタ。ようやくご挨拶ができます」


 と、長身の人影が俺の正面に立つ。

 誰かと思えば、《黒の風切り羽》のククルエルである。しかもその左右には、プラティカとアリシュナが居並んでいた。


「ああ、どうも。みなさん、ご一緒だったのですね」


「はい。この会場で、東方神の子は我々だけですので」


 行商人として大陸中を駆け巡るククルエルに、故郷を追放されてジェノスの客分となったアリシュナ、そしてゲルドの出身であるプラティカ――ずいぶん境遇の異なる3名であるが、それでも同じ東の民であるのだ。俺はこの3名から、それぞれ異なる魅力を感じていた。


 それに彼らは貴族でも何でもない身分であったが、この絢爛なる大広間の様相にしっくり馴染んでいた。東の民というのは財産を宝石や銀の飾り物にして持ち歩く習わしであるため、平時から輝かしい身なりであるのだ。ククルエルやプラティカもフードつきマントを外せばそれらの装飾品があらわになり、アリシュナに至ってはもともと城下町で暮らしているため、普段通りの格好でまったく遜色がなかった。


「プラティカはともかく、ククルエルとアリシュナはご苦労様でしたね。居心地が悪いことはないですか?」


「ええ。ときおり見かける南の兵士たちは、さすがに大きな警戒心を抱いている様子ですが……我々は、招待を受けた身でありますからね。気負うことなく、この会を楽しませていただいています」


 そういえば、ククルエルもそれなりに美味なる料理を愛するお人柄であられたのだ。また、かつてはシュミラル=リリンやヴィナ・ルウ=リリンとともに、《銀星堂》で会食を果たした間柄であった。


「もうひと通りの料理を口にされたのですか? ご感想は、如何でした?」


「そうですね。いずれもわずか5日間で仕上げたとは思えぬほどの仕上がりであったかと思います。南の王都の食材の物珍しさもさることながら、料理人の方々の手腕に感服いたしました」


 ククルエルは頭も切れるし、誠実な人物だ。その人柄を如実に示すようなコメントであった。


「では、アリシュナは如何です?」


「はい。ククルエル、同感です。……ただ、南の民への遠慮、生じているのでしょうか? 香草、あまり使われていなかった、思います」


「そうですか。それは遠慮というよりも、たった5日間ではあまりあれこれ香草を配合できなかったということだと思いますよ」


「そうですか。……私、不満を述べられる立場、ありませんが……いささか、『ギバ・カレー』、恋しくなりました」


「あはは。明日は『ギバ・カレー』の日取りですので、またアリシュナのもとまで届けていただきますよ」


 静謐な表情をしたアリシュナが、瞳の輝きだけで喜びをあらわにした。

 その結果に満足しながら、俺はプラティカに向きなおる。


「プラティカは、如何でしたか? ヴァルカスやダイアの料理を口にするのは、ひさびさだったでしょう?」


「はい。ですが、試食品の域、超えていなかった、思います。それでも、ダイアとボズル、1種ずつ、素晴らしい料理、ありましたが……ヴァルカス、本来の力、示せていなかった、思います」


「ああ、確かに。ヴァルカスの腕を知っているから、こちらも期待度が高まってしまうのでしょうね」


「はい。ですが、アスタ、期待、裏切りませんでした。いずれも、素晴らしい料理だった、思います」


 と、プラティカが紫色の瞳を鋭くきらめかせた。

 俺は「はて?」と小首を傾げてみせる。


「南の王家の方々も、俺の料理をいたく気にいってくださったようなのですが……でも、他の方々と比べて、そうまで差のある出来だったでしょうか?」


「はい。香草、ほとんど使われていない料理、私の好み、合致しませんが……ただし、完成度の高さ、理解できます。他の方々、未完成の品、多かったですが、アスタの料理、完成していました。また、素材の味、活かす手腕、見事でした。アルヴァッハ様、口にされたなら、賞賛の言葉、止まらなかったことでしょう」


 そうしてプラティカは、挑むような光とすがるような光の入り混じった眼差しで、俺とアイ=ファの姿を見比べた。


「私、ファの家、ひさしく訪れていませんでした。近日中、来訪、許されるでしょうか?」


「うむ? 連日でなければ、べつだんかまわぬが……そうまでアスタの料理に心を動かされたのであろうか?」


「はい。簡素な料理、あるゆえに、アスタの力量、あらためて思い知らされました」


「……やはり如何なるかまど番であっても、お前の力量には感服させられるようだな」


 と、アイ=ファはいくぶん複雑そうな心情をにじませつつ、俺を見やってきた。

 俺は「あはは」と笑ってごまかしつつ、目の前の3名に向きなおる。


「では、料理は如何でしょう? もう2食分をお食べになりましたか?」


「いえ。それをいただきに参ったところであったのです。……さきほどは言いそびれましたが、あのシャスカ料理というものには驚かされました。シャスカなどは誰よりも食べ慣れているはずなのに、あれこそがもっとも目新しい食材であると思えたほどです」


「ああ、あれはカレーにも合うのですよ。いずれみなさんにも食べていただきたいところですね」


 そうしてククルエルたちは3種の料理をそれぞれ受け取って、円卓のほうに向かっていった。

 それからすぐ、見慣れた人物がひょこひょこと近づいてくる。それは、《南の大樹亭》のナウディスであった。


「どうもどうも。ご苦労様でしたな、アスタ。いずれの料理も、きわめて興味深かったですぞ」


「お疲れ様です。とても素敵なお召し物ですね」


「いやはや。どのていど着飾ればよいものか、加減がわからずに苦労いたしました」


 ナウディスは朱色の肩掛けの下に、とても立派なジャガル風の装束を纏っていた。そうまで華美な作りではないのだが、襟などはぴんと耳のあたりまで立っており、袖口や襟などには瀟洒な刺繍が為されている。普段から城下町に出入りしている鉄具屋のグランナルやハリアスなどにも見劣りしない、上品で貫禄のある姿であった。


「料理に関しては、他の方々にも色々とおうかがいいたしました。いずれも素晴らしい食材ばかりで、自分で取り扱う日が待ち遠しいところでありますな」


「そうですか。何か特に気に入った食材などはありましたか?」


「そうですな。やはり魚介の食材というのは、前々からお客様の要望が多かったところでありますし……ノ・ギーゴやマトラやリッケというのも、興味深かったですな。最近は、特に伴侶が甘い菓子を作りあげることに熱中しておりますので」


「ああ、そうなのですね。トゥール=ディンとリミ=ルウの菓子は、素晴らしい出来栄えであったでしょう?」


「はいはい。どちらの菓子も、舌がとろけそうな心地でありましたな。あれこそ、伴侶に食べさせてやりたかったほどですぞ」


 と、ナウディスは俺の左右で働くトゥール=ディンとリミ=ルウにも和やかな笑みを送り届けた。


「もしもあれらが屋台で売られるようならば、わたしの伴侶が駆けつけるところでありましょう。その予定はおありなのでしょうかな?」


「うーん、ルウ家の屋台ではお菓子を売ってないんだよねー。でもでも、トゥール=ディンだったら同じお菓子を作れるよね!」


「は、はい。あとは、食材の値段次第だと思います。南の王都の食材は、まだ値段が定められていませんので……」


 しかしあれらは、ゲルドの食材と引き換えに持ち帰られるのだ。ならば、ゲルドの食材よりも値段が跳ね上がる道理はないはずであった。


「食材の値段は、確かに気になるところでありますな。ホボイやラマンパの油なども、わたしは買いつけさせていただきたく思っておりますぞ」


「では、ボナの根などは如何でしょうか?」


「ボナの根ですか。あれも確かに目新しい味わいではありましたが……ただ、わたしはまだゲルドの香草も満足に使いこなせておりませんからな」


「そうですか。でも、ジャガルの王都や南部では、ボナの根が大きな流行を生んでいるそうですからね。南のお客さんの口に合う可能性は高いのではないでしょうか?」


「なるほど! ならば、ゲルドの香草よりも先んじて取り組む甲斐があるやもしれませんな。いや、ありがたい話を聞かせていただきました。さっそく今一度、ボナの根の味わいを確かめさせていただきましょう」


 そうしてナウディスも、料理の皿を手に立ち去っていった。

 リミ=ルウはにこにこと笑いながら、俺のほうに向きなおってくる。


「思ったほど、あれこれ質問されないねー。こっちに残ってた女衆が、あれこれ答えてくれたのかなあ?」


「どうやら、そうみたいだね。どういう感想があったのか、聞くのが楽しみだね」


 何せこの場には、城下町の料理人と宿場町の宿屋の関係者が、それぞれ30名ぐらいずつ居揃っているのだ。ユン=スドラたちのもとには、さぞかしたくさんの感想が届けられているものと思われた。


(ただ、親しくさせてもらってる人たちには、直接感想を聞かせていただきたいところだよな)


 俺がそんな風に考えたとき、トゥール=ディンが「わ」と小さく声をあげた。

 その視線を追った俺も、思わず「うわ」と声をあげてしまう。

 何か、とてつもないものが、こちらに向かってずかずかと近づいてきていた。

 色とりどりのフリルとリボンに彩られた、巨大な女性の姿である。


「ふん。ようやく戻ってきたんだね」


 その存在は、トゥール=ディンが働くシャスカ料理のブースの前に立ちはだかった。

《アロウのつぼみ亭》の女主人、レマ=ゲイトである。

 レマ=ゲイトは貴族にも負けない絢爛な衣装に身を包み、その大きな顔にもこの世界では珍しい極彩色のお化粧を施していた。たるんだまぶたは紫色、ぼってりとした頬はオレンジ色、分厚い唇は真紅という、なかなかのド迫力だ。もとより彼女は、鯨を連想させる大きな図体の持ち主なのである。


「あんたのあの菓子、ノ・ギーゴとかいう野菜を使ってるんだってね。あいつは砂糖もほとんど使われてないって聞いたけど、そいつは本当の話なのかい?」


「は、はい。ノ・ギーゴはじっくり熱を通すととても甘くなるので、砂糖はほとんど必要ありませんでした」


「ふん……なかなか上等な食材みたいだね。宿場町で売られる日が楽しみだよ」


 レマ=ゲイトはでっぷりとした腕を組みながら、トゥール=ディンの姿を睥睨した。彼女も朱色の肩掛けを纏っているのだが、その身とフリルの質量におされて、ほとんど背中の側に追いやられてしまっている。


「で、あっちの娘の使っていた果実がマトラ、他の料理人どもの使っていた果実がリッケだったね。妙にねちゃねちゃした食べ心地だったけど、あれは最初からそういう代物なのかい?」


「は、はい。それらの果実は、干された状態になっていて……アスタが言うには、甘さを司る糖分という滋養がああいう食感をもたらすのだそうです」


「煮立てた砂糖が粘つくのと同じことかい。そういえば、ラマムやミンミなんかも、煮立てると粘つくね。……最初から粘ついてるとなると、使い道も限られるか」


「そ、そうですね。でも、リッケというのは小さな豆のような形をしていて、最初はアロウのような皮に包まれています。ですから、そのままの形でポイタンやフワノの生地に練り込むこともできるかと思います」


「ふうん。やっぱり実物を見ないことには、なんとも言えないね。味見をさせるなら実物も準備しておけばいいのに、気のきかないことだよ」


 やたらと高圧的な態度であるが、俺は温かい気持ちで両名の交流を見守ることができた。なにせレマ=ゲイトは、いまだに森辺の民となれ合う気はないと公言してはばらからない身であるのだ。それでも宿屋の寄り合いを重ねることで、トゥール=ディンとの間にはひそやかなご縁が紡がれていたのだった。


「だいたいさ、元の味を知らなけりゃあ、買うか買わないかの判断もつかないだろうよ。城下町の連中は、最初に素の味を確かめてるんだろう? あたしらを城下町に呼びつけようってんなら、そういう細かい配慮ってやつを――」


「あ、あ、レマ=ゲイト。城下町の方々がいらっしゃいました」


 トゥール=ディンが慌てて言いたてると、レマ=ゲイトはぴたりと口を閉ざして後方に向きなおった。

 そちらから近づいてきたのは、なんとエウリフィアとオディフィアの母娘である。若き武官を1名だけ引き連れたエウリフィアは、トゥール=ディンの眼前に立ちはだかるレマ=ゲイトににこりと微笑みかけた。


「失礼いたします。わたくしたちも、ご一緒させていただいてよろしいかしら?」


 エウリフィアたちの身分は明かされていないが、ずっと貴族の席についていたのだから、平民でないことは明白である。レマ=ゲイトが巨鯨のごとき身を折ろうとすると、エウリフィアは「いいのよ」と笑顔で制した。


「特別な礼儀作法は不要と、最初に説明されたでしょう? それを嫌がる貴族はきっと席を立たないでしょうから、どうか楽に過ごされてね」


「……寛大なお言葉に感謝いたします」と、レマ=ゲイトは感情を殺した声で応じた。

 相手の身分がわからないというのは、さぞかし気疲れすることだろう。そのように考えて、俺が橋渡しの役を担うことにした。


「お疲れ様です、エウリフィアにオディフィア。こちらは《アロウのつぼみ亭》という宿屋のご主人で、レマ=ゲイトという御方です。……レマ=ゲイト、こちらはジェノス侯爵家の第一子息夫人のエウリフィアと、そのご息女のオディフィア姫です」


 ジェノス侯爵家という身分を聞いて、レマ=ゲイトの顔がいっそう引き締まった。けばけばしい化粧と相まって、いっそうの迫力だ。

 が、エウリフィアはいつも通り優雅で朗らかな微笑をたたえており、オディフィアは無表情のまま、ただ目をぱちくりとさせていた。


「レマ=ゲイトと仰るのね。宿場町については、あまり存じあげないのだけれど……そちらも森辺の方々と懇意にされているのでしょうね」


「はい。宿屋の寄り合いで、ご縁を紡がせていただきました」


 ただしレマ=ゲイトは、いまだに森辺の民に反感を抱いている――などという余計な情報は、耳に入れる必要もないだろう。なおかつレマ=ゲイトは森辺の民に強い対抗心を抱いてはいるものの、決して敵視しているわけではないように思えた。


「わたくしたちは、とりわけトゥール=ディンと懇意にさせていただいているの。お話の最中に申し訳ないけれど、わたくしたちもご一緒させていただけるかしら?」


「……どうぞ、ご存分に。こちらはもう、用事も済みましたので」


 レマ=ゲイトは巨体を屈めるように一礼して、後ずさろうとした。

 とたんに、トゥール=ディンが弾かれたような勢いで発言する。


「あ、あの、《アロウのつぼみ亭》では、とても素晴らしい菓子を売っているのです。宿場町では一番の出来栄えではないかと、わたしは前々から心をひかれていました」


 レマ=ゲイトはぎょっとした様子で立ちすくみ、エウリフィアは「まあ」と微笑んだ。


「そうなのね。そちらの宿では、あなたが厨に立っているのかしら?」


「い、いえ。うちの宿には、古くから厨をまかせている人間がおりますもので……」


「なるほど……そういえば、宿場町にもなかなか優れた料理人がいるようだと、ポルアースが以前からそのように語らっていたわね。あなたの宿の料理人も、そのうちのひとりということなのかしら」


 優雅な微笑みをたたえつつ、エウリフィアがトゥール=ディンに向きなおる。


「何にせよ、トゥール=ディンがそうまで心をひかれるというのなら、きっと素晴らしい菓子なのでしょうね」


「は、はい。いつかオディフィアにも食べていただくことはできないものかと、ずっと以前からそのように考えていました」


「そう。だったら今度、人をやって買わせていただきましょう。あなたの宿は、屋台で菓子を売っているのかしら?」


「え、ええ。10日に1度は、休みをいただいておりますが……」


「では近いうちに、買わせていただくわ。オディフィアも、楽しみにしていらっしゃい」


 オディフィアは「うん」とうなずいてから、レマ=ゲイトの巨体を振り仰いだ。


「どんなおかしか、すごくたのしみ。ありがとう、レマ=ゲイト」


「と、とんでもございません」と、レマ=ゲイトは目を白黒とさせていた。

 そしてこれは何かの陰謀なのではないかと疑るように、トゥール=ディンのほうをねめつける。トゥール=ディンは、あどけない笑顔でその視線を受け止めた。


「勝手に話を持ち出してしまって、どうも申し訳ありません。でも《アロウのつぼみ亭》の菓子は、本当に素晴らしい出来栄えであったので……どうにかオディフィアにも食べていただくすべはないものかと、ずっと念じていたのです」


 レマ=ゲイトは曖昧にうなずいてから、今度こそ人混みのほうに立ち去っていった。

 それを尻目に、オディフィアはちょこちょことトゥール=ディンに近づく。


「あのひとのおかし、すごくおいしいの?」


「はい。きっとオディフィアも気に入ると思います」


「すごくたのしみ。トゥール=ディン、ありがとう」


 オディフィアは灰色の瞳をきらきらと輝かせながら、トゥール=ディンを見つめている。エウリフィアは満足そうに微笑みながら、そんな愛娘の淡い色合いをした髪を撫でた。


「トゥール=ディンから菓子を届けられるのは3日に1度のことなので、それ以外の日はあちこちの料理店から菓子を届けさせたりもしているのだけれどね。なかなかオディフィアの好みに合う菓子はないようなのよ」


「それは毎日のように、ダイアの素晴らしい菓子を食べていたわけですから……なかなか難しいのではないでしょうか?」


「そうね。城下町の料理人の作法では、ダイアの上をいくことは難しいのかもしれないわ。それにそもそも、オディフィアは城下町の作法で作られた菓子が口に合わないからこそ、トゥール=ディンの菓子に魅了されたのでしょうしね」


 オディフィアがいくぶん申し訳なさそうに母親のほうを振り返ると、エウリフィアはそれをなだめるように口もとをほころばせた。


「でも、宿場町はトゥラン伯爵家にまつわる騒動が落ち着くまで砂糖を扱うこともできなかったから、菓子そのものが存在しなかったのよね。このように短い時間でそんなに立派な菓子を作れる人間が現れるとは、驚きだわ」


「はい。《アロウのつぼみ亭》の菓子は、本当に美味しいです。城下町の菓子とも森辺の菓子とも、少し雰囲気が違っているように思います」


「そう。とても楽しみね、オディフィア」


「うん。すごくたのしみ。……いちばんたのしみなのは、トゥール=ディンのおかしだけど」


「ありがとうございます」と、トゥール=ディンは大人びた表情で微笑んだ。


「わたしとリミ=ルウの菓子は、あちらで配られています。よろしければ、召しあがってください」


「ええ。ひとり2個までは、食べることが許されているのよね。それじゃあ、さっそくいただいてきましょうか」


 エウリフィアがそのようにうながすと、オディフィアは無表情のままもじもじとした。


「トゥール=ディンのおかし、たべたいけど……こっちにもってきてもいい?」


「はい? どこで食べようとも、それはオディフィアの自由だと思いますけれど……」


「じゃあ、もってくる。トゥール=ディンのおかしは、どこでたべてもおいしいけど……トゥール=ディンといっしょだと、もっとおいしくかんじるの」


 なんだか俺は、トゥール=ディンの代わりに涙でもこぼしてしまいそうな心地であった。

 トゥール=ディン自身は、慈母のような笑顔でオディフィアの姿を見つめ返している。


「わたしもオディフィアが自分の菓子を食べてくださっている姿を見守っていると、とても幸福な心地です」


 料理を供するための作業台をはさんで、トゥール=ディンとオディフィアはおたがいの姿を見つめ合っている。

 これもまた、美味なる菓子が繋いだ絆であった。

 トゥール=ディンとオディフィアほどの絆を望むのは、あまりに難しいことかもしれないが――俺もダカルマス殿下やデルシェア姫と、和やかな関係性を構築させていただきたいところであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一言 デルシェア姫「アスタ殿の料理で美味しかったモノはなんですか?」 「やはり、ギバカツであろう」 「ギババーガーかな」 「俺はミャームー焼きが好きだ」 「はんばーぐ」 「らーめんっての…
[良い点] オディフィアはかわいいなあ
[一言] トゥール=ディンがオディフィアに勧めるお菓子なら気に入る事は間違いないですね。 料理人としての繊細な味覚を持つトゥール=ディンと恐らく同じ味覚を持つオディフィア(凄い!)二人の絆は強い。
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