城下町の試食会④~森辺のかまど番~
2021.4/22 更新分 1/1
小姓や侍女たちの手によって、俺の準備した3種の料理がすべての貴き方々のもとまで届けられた。
ダカルマス殿下とデルシェア姫は、もはや期待感の塊と化して皿の中身をうかがっているように見受けられる。そこはかとないプレッシャーを心の片隅に感じつつ、俺は解説役の仕事を果たすことにした。
「自分が準備しましたのは、ジョラの油煮漬けとマ・ティノを使った野菜料理、ボナの根を使った肉料理、そしてノ・ギーゴを使ったシャスカ料理となります」
「シャスカ料理! これが噂の、シャスカ料理なのですな! なるほど、これまで見たこともない珍奇な外見をしておるようです!」
ダカルマス殿下は明らかに一段階、熱意のギアが上げられていた。
そして隣のデルシェア姫は、それ以上の熱意をエメラルドグリーンの瞳にきらめかせている。自分の料理を供することに関して気後れなどとは無縁な俺であるのだが、これにはいささか重圧を感じることになってしまった。
「しかしまずは、野菜料理からいただくべきでありましょうな! いや、いったいどのような味わいであるのか、こちらも楽しみなところであります!」
「あ、そちらの料理は――」
俺の言葉は、ダカルマス殿下の「美味い!」という胴間声にさえぎられることになった。
「これは見事にジョナの美点を引き出しているように思いますぞ! ジョラの中に混ぜ込まれているこの清涼な野菜は――うむ! ゲルドの食材たるペレでありますな! なるほど、ペレにはこういった使い道も存在するのですか!」
「父様、こちらはマ・ティノとも素晴らしく合っているように思いますわ。。マ・ティノもペレも生鮮のまま使われているというのに……とても新鮮な食べ心地です!」
とりあえず、最初のひと品は王家の方々の口に合ったようで何よりであった。
俺が準備した野菜料理というのは、いわゆるツナマヨサラダを模した料理である。ツナフレークに似たジョラの油煮漬けにマヨネーズを和えて、キュウリに似たペレのせん切りを混ぜ込んでいる。そしてその下には適当な大きさにちぎったマ・ティノを敷きつめて、レモンに似たシールとレテンの油を基調にしたドレッシングをかけていた。シンプルといえば、この上なくシンプルな料理であろう。
「しかしこちらのジョラには、いったいどのような味付けが為されているのでしょう? 酸味はママリアの酢で、油分はレテンの油であるかと思うのですが……それだけでは生まれ得ないまろやかさを感じますぞ!」
「そちらには、マヨネーズという調味料を使っています。マヨネーズの原材料は、白いママリア酢とレテンの油と、あとはキミュスの卵の卵黄に塩を少々ですね」
「ふむ!? わずか4種の食材しか使われておらんのでしょうかな? そうとは思えぬほどのまろやかさを感じるのですが……」
「それらの食材を混ぜ合わせると、そういうまろやかさが生まれるのです。本来は混ざり合わない水と油を無理やり混ぜ合わせることで、乳化という現象が起きるようですね」
「にゅうか……まよねーず……ううむ……ジェノスの方々は、誰もがこういった調味料の作製法をわきまえておられるのでしょうかな?」
「はい。白ママリア酢というのはバナームという土地から買いつけられている食材で、その際にもジェノスの貴き方々から使い道を考案してほしいというご依頼を受けました。そのときに、マヨネーズの作り方は宿場町にも城下町にもお伝えしているはずですね」
「なるほど! では、誰もがジョラの油煮漬けでもって、これほど美味なる料理を作りあげることがかなうわけでありますな! いや、これは心強い限りであります!」
そうしてダカルマス殿下がようやく矛先を収めると、今度はデルシェア姫が勢い込んで声をあげてきた。
「アスタ様は本当に、生鮮の野菜を扱うのに長けておられるのですね! それに、ジョラの油煮漬けにも熱を入れていないわけですから……こちらの料理では、いっさい火を使っていないということなのでしょう?」
「ええ。そういうことになりますね」
「それでこれだけの料理を作りあげられるだなんて、本当に素晴らしい手腕だと思います! この野菜料理は、掛け値なしに美味ですもの!」
ただマヨネーズとドレッシングを使っただけの生野菜サラダにそうまで熱情のこもった感想を届けられてしまうと、俺も恐縮の限りであった。
「では次は、いよいよシャスカ料理というものをいただいてみましょう!」
ダカルマス殿下は、うきうきとした顔でシャスカ料理の皿を取り上げた。
すでにそちらを食していたエウリフィアが、笑顔で俺に呼びかけてくる。
「こちらにも、まったくギバ肉を使っていないのね。外交官殿のためにお気を使ったということなのかしら?」
「え? いえいえ、そういうつもりはありませんでした。こちらの料理にはギバ肉も不要かと思っただけのことです」
「そうなのね。ギバ肉を使わないアスタの料理というのが、なんだか新鮮だわ。それにこちらは、甘い味が主体になっているので……なんとなく、菓子を食べているような心地よ」
この世界の人々には、やはりそのように思われてしまうのだろうか。俺が準備したシャスカ料理は、サツマイモごはんを模した『ノ・ギーゴ・シャスカ』であったのだ。
こちらも、極めてシンプルな仕上がりである。水にさらしたノ・ギーゴを、シャスカと一緒に炊き込んだだけのことだ。炊くときの水に少量の塩とニャッタの蒸留酒を添加したぐらいで、他には何の細工もない。あとは後掛けでホボイの実を散らしたぐらいであった。
じっくり熱を通されたためか、ほくほくのノ・ギーゴはとても甘く仕上げられている。森辺で試食品をこしらえた際も、甘党の女衆はみんな大喜びしていたものだ。そしてやっぱり、料理というよりも菓子に近い印象だという意見が数多く寄せられていたのだった。
「……これが、シャスカ料理ですか!」
と、少量の料理を入念に味わった上で、ダカルマス殿下がまた大声を張り上げた。
「こちらの料理が甘いのは、すべてノ・ギーゴの恩恵なのですな? シャスカ自体はフワノと同様に、強い風味も存在しないのですな?」
「はい。そうだからこそ、さまざまな料理と調和するのだと思います」
「素晴らしい! ジェノス侯、やはり我々もゲルドのシャスカというものを買いつけさせていただきたく思いますぞ! フワノの代わりに食されている食材ならば、あえて買いつける必要はないかという思いもあったのですが、それは完全にわたくしの考え違いでありました! これは、素晴らしき食材であります!」
「はい。城下町においても、シャスカは独自の人気を得ております。フワノとは、まったく異なる食べ心地でありますからな」
「ふむ? 宿場町では、さしたる人気も得ていないということでしょうかな?」
「ええ。宿場町ではポイタンを食するのが主流となっておりますため、フワノよりも高値のシャスカはあまり買い手がつかないのだと聞いております」
「なるほど! ……では、アスタ殿はどのような意図でもって、この日にシャスカ料理を準備されたのでしょうかな?」
「はい。宿場町の方々には目新しい美味しさを伝えるために、城下町の方々にはノ・ギーゴの簡単な使い方を伝えるために、という考えでこの献立を採用しました。これを機に、宿場町の方々にもシャスカの美味しさを伝えられたらなと思いまして……もちろん主題は、ノ・ギーゴのほうなのですが」
「素晴らしい!」と、ダカルマス殿下は繰り返した。
「アスタ殿は、試食会の本質をわきまえておられる! しかもこれほど美味なる料理に仕上げておられるのですから、何もそのように不安げなお顔をされる必要はありませんぞ! いや、素晴らしい手腕でありました!」
「本当ですわ。わたくしも、一刻も早くシャスカ料理を手掛けてみたく思います」
そう言って、デルシェア姫がまた熱い眼差しを俺に向けてきた。
「それに、甘くないシャスカ料理の手本というものも、アスタ様に示していただきたく思います。次の機会には、どうぞよろしくお願いいたしますわね?」
「ああ、はい……機会がありましたら」
俺のかたわらで、アイ=ファがこっそり息をついていた。
そんな中、最後の料理の試食が始められる。ボナの根を使った、ギバ料理だ。
「こちらは蒸し焼きにしたギバ肉に、ボナの根を基調にした調味液を掛けています。調味液の内容は、ボナの根、タウ油、ホボイの油、ニャッタの蒸留酒、それにアネイラという魚の乾物の出汁を煮たてたものになりますね」
冷めても美味しく食べられるようにと、肉はローストで仕上げている。そこにワサビに似たボナの根のソースを掛けた次第だ。以前にレイナ=ルウたちに告げた通り、俺はワサビに似たボナの根の使い道もごくわずかしか持ち合わせていなかったので、もっとも手の込んだレシピをお披露目したつもりであった。
「これは……美味ですな!」
と、ダカルマス殿下がそのように言いたてた。
これで、三連続で「美味」というお言葉をいただいたことになる。
「ボナの根はキミュスよりもカロンの肉に合うように思っておりましたが、ギバ肉はそれ以上なのやもしれません! ボナの根とギバ肉が、おたがいの魅力を際立たせているように感じられますぞ!」
「はい。自分もボナの根はとてもギバ肉に合うように思いました。ボナの根はタウ油で溶くだけでも美味ですし、なんなら焼いた肉にそのままつけても美味しくいただけるかと思います」
「うむ! そしてボナの根は、これだけの調味料と混合しても負けない風味を有しております! それをこうまで調和させることがかなうのは、さすがの手腕でありますな!」
「恐縮です。……でもこれは、自分の知っている使い道の応用に過ぎませんので――」
「なんのなんの! アスタ殿であれば、きっとさまざまな使い道を考案してくださることでしょう! いやはや、新たな食材の使い道を考案する手腕に関しては、アスタ殿にまさる者はなしと聞いておりましたが、これは期待を遥かに上回る結果でありましたぞ!」
そんな話が、いったいどこからダカルマス殿下の耳に流れ込んだのだろう。やはり、独自の情報網から入手したのだろうか。
俺がそんな想念にとらわれていると、満足そうに吐息をついていたデルシェア姫も輝くような笑顔を向けてきた。
「先日の食事会にて出された、アスタ様の魚料理……あれも大変素晴らしい出来栄えでしたけれど、やはり即興ゆえの不具合というものが存在したのでしょうか。こちらのボナを使った肉料理とは、完成度が異なっているように思います」
「そうですか。不出来なものをお出ししてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえ! お詫びのお言葉なんて、不要ですわ! 事前の連絡もなく調理をお願いしたのは、こちらなのですから! わたくしは、今日こそアスタ様の手腕を十全に理解できたように思います!」
そうしてデルシェア姫は、恒星のように輝く眼差しをぐいぐいと俺のほうに突きつけてきた。
「それで……先日の料理はギバ肉がなかったために、魚を具材として使ったのですよね? あちらの料理も、本来はギバ肉を具材としているのですよね?」
「ああ、はい。これまでは、細かく刻んだギバ肉を具材にしておりましたけれど……」
「あちらの料理も、香草や調味料の使い方は不可思議でありつつ秀逸であったのです! アスタ様が十全な形であちらの料理を仕上げたら、いったいどれほどに美味であるのか! 想像しただけで、心臓が跳ね回ってしまいますわ!」
デルシェア姫からもたらされる期待感の波動に、俺はひっくり返ってしまいそうなほどであった。
これはもう、いずれギバ肉を使った麻婆料理をお披露目しなければ収まらないのだろう。俺はようやく本日の大仕事を終えようとしているところであるのに、次から次へと新たな課題を持ちかけられている心地であった。
「料理人のお歴々は、如何でありましたかな? わたくしどもは、心から満足しておるのですが!」
と、ダカルマス殿下はやおら他の料理人たちへと水を向けた。そういえば、さきほどからずっとダカルマス殿下が騒ぎたてていたために、俺はそちらのご感想をまったく聞けていなかったのだった。
「いずれも素晴らしい出来栄えでございましたねぇ。こちらの肉料理などは何の文句もない美味しさでしたし……前のふた品に関しては、簡素でありながら食材の素晴らしさを十全に活かしていたように思いました」
ダイアがそのように声をあげると、ボズルも「まったくですな」と笑顔で同意した。
「やはりアスタ殿は、素材の味を活かすという作法に長けておられるのでしょう。ジョラの油煮漬けはそのままでも十分に美味であると知りながら、我々などはどうしても熱を入れたり細工を凝らしたりしてしまうのですが……アスタ殿は、もともと考案されていたまよねーずという調味料を加えるだけで、あれほど立派な料理に仕上げてしまいました。あれはそのままフワノの生地にのせても、立派な軽食になり得るのではないでしょうかな?」
「あ、はい。自分の故郷でも、そんな食べ方は存在しました。今日はシャスカ料理も供するので、野菜料理としてお出しした次第です」
「なるほど。それに、シャスカ料理に関しても……まったく、してやられたという心地です。あれはもう、シャスカとノ・ギーゴの味だけで勝負しているようなものですからな。それでいて、細工を凝らした料理に負けないほどの味に仕上げられております。我が師ヴァルカスとの作法の違いを、あらためて思い知らされた心地でありますな」
そう言って、ボズルは師匠のほうに視線を転じた。
ぼけっと虚空を見やっていたヴァルカスは、夢から覚めたような様子で「ええ」と応じる。
「あちらのシャスカ料理などは、きわめて退屈な仕上がりであるように思いました。ですが……調和は、完全に成されているのです。シャスカの食感と、ノ・ギーゴの甘みと、ジャガルの蒸留酒の風味と、わずかばかりの塩気と、なんの細工もないホボイの風味および食感……それが、見事に調和していました。わたしの頭は退屈だと感じているのに、舌や身体は喜んでいるような……なんとも複雑な心地でありました。やはりアスタ殿の作法というのは、わたしとはまったく相容れない存在であると同時に、わたしの心を打ち震えさせてやまないのです」
ヴァルカスの表情は相変わらずぼんやりとしていたが、その長々とした言葉に心中の熱情が込められているようだった。
「料理人の方々も、存分に刺激を与え合ったご様子でありますな! それでこそ、試食会を開いていただいた甲斐があったというものです!」
ダカルマス殿下が、満足そうに大声を張り上げた。
「この後は、あちらで試食を果たした方々とも存分に意見交換をしていただきたく思いますが……その前に、菓子の試食をいたしましょう!」
まるでその大声に招かれたようなタイミングで、トゥール=ディンとリミ=ルウがやってきた。たちまち、ずっと静かにしていたオディフィアがぴょこんと背筋をのばす。
「お待たせしましたー! リミとトゥール=ディンが作ったお菓子ですー!」
その菓子は、後からついてきた侍女たちがお盆にのせている。そちらの皿が供されると、デルシェア姫が真っ先に快哉の声をほとばしらせた。
「ようやくリミ=ルウ様とトゥール=ディン様の菓子ですね! 心待ちにしておりました!」
「は、はい。お気に召したら、幸いです」
おずおずと答えつつ、トゥール=ディンもさりげなくオディフィアのほうに会釈をする。オディフィアはもう、透明の尻尾をぱたぱたと振りやりながら一心にトゥール=ディンを見つめていた。
「これは、どういった菓子であるのかしら? 解説をお願いできます?」
「はーい! リミは、マトラを使っただいふくもちでーす!」
「わ、わたしはノ・ギーゴを生地に使った菓子で……アスタの故郷では、すいーとぽてとと呼ばれていたそうです」
トゥール=ディンは以前、カボチャに似たトライプを使って、スイートポテトさながらの菓子を作りあげていた。その応用で、より本物のスイートポテトに近い菓子を作りあげたわけである。
いっぽうリミ=ルウは、干し柿に似たマトラの果肉を大福餅のこしあんに練り込んでいた。けっきょく、もっとも使い勝手のよさそうなリッケは使わぬまま、それぞれ素晴らしい菓子を作りあげることがかなったのだ。
どちらも試食用で、しかも半人前ずつ供するという取り決めであったため、ほとんどひと口で食べられそうなサイズをしている。つまりはそれぞれ200個ずつ準備することになったのだから、トゥール=ディンたちの苦労もかなりのものであるはずであった。
スイートポテトならぬ『スイート・ノ・ギーゴ』を届けられたオディフィアは、小さな菓子をさらに小さく切り分けて、大事そうに口に運んだ。
フランス人形のような顔の中で、口もとだけがもにゅもにゅと動き――そのひと噛みごとに、灰色の瞳が明るくきらめいていく。そのさまを見て、トゥール=ディンも幸福そうに微笑んでいた。
そこに「美味です!」と、いきなり馬鹿でかい声が響きわたって、俺は思わずぎょっとしてしまう。振り返ると、デルシェア姫がほっそりとした肩をわなわなと震わせていた。
「こちらは本当に、ノ・ギーゴだけを生地に使っているのですね! フワノなどは、いっさい使っていないのですね!」
「は、はい。ノ・ギーゴはそのままでも形を作れましたし、味の面でもフワノは不要かと考えたのですが……」
「それ以外に加えているのは、きっとカロンの乳と乳脂と砂糖と……あとはキミュスの卵ぐらいですよね! それを窯焼きにしたのですよね? それだけで、これほど美味に仕上げられるのでしょうか?」
「え、ええと、それ以外に生くりーむと塩も少しだけ使っていて……」
「生くりーむ? 生くりーむとは何でしょうか? それに、菓子に塩を使っているのですか? 塩気などは、まったく感じないように思うのですが!」
トゥール=ディンは一瞬だけ、自分よりも小さなリミ=ルウの背後に隠れたそうな素振りを見せたが――ぐっとこらえて、デルシェア姫の猛攻に応戦した。
「な、生くりーむというのは、カロンの乳と乳脂を使って作る食材です。乳も乳脂もそのまま使っているのですが、そこに生くりーむも加えると、いっそう美味しくなるように思ったので……使いました」
「では、塩は? 甘い菓子に、塩など不要でしょう?」
「し、塩はほんの少しだけ加えると、甘みがさらに際立つのだと、アスタに習いました。ノ・ギーゴはとても甘いので、砂糖はほとんど使っていません」
「なるほど……生くりーむというものは、いまひとつ正体が知れませんが……でもけっきょく、乳と乳脂だけで作れるものなのですよね? 確かにこちらの菓子には、それ以外の風味が入り混じっているわけではありません。ノ・ギーゴそのままの味と、乳や乳脂や卵の風味……何の変哲もない組み合わせであるのに、でも、すごく美味しいです! それはもう、トゥール=ディン様の技量が際立っているという証に他なりません!」
デルシェア姫の勢いに、トゥール=ディンはまたたじたじになってしまう。
すると、となりのダカルマス殿下が「ふむ!」と鼻息を噴いた。
「デルシェアよ! 確かにトゥール=ディン嬢の菓子の完成度も図抜けておるが、リミ=ルウ嬢の菓子はまったく異なる方向に図抜けておるようだぞ!」
デルシェア姫は、いまだリミ=ルウの大福餅を食していなかったのだ。
姫君はその内の昂揚をなだめるように杯の水で口を潤してから、突き匙を大福餅に突き刺した。
とたんに、その目が驚きに見開かれる。
「なんでしょう? なんだか、馴染みのないやわらかさであるようです」
「うむ! 実に不可思議な食べ心地であるのだ! 其方も即刻、この不可思議さを噛みしめるがよいぞ!」
デルシェア姫はひとつうなずくと、小さな大福餅を丸ごと口に放り入れた。
さきほどのオディフィアよろしく、ひと噛みごとにその目が輝いていく。そちらもまた、デルシェア姫の琴線に触れたようだった。
「不可思議です! このような噛み心地は、これまで味わったこともありません! さきほどのシャスカ料理に、さらなる弾力を与えたかのような――!」
「あ、それも生地はシャスカでできてるの! ……です!」
リミ=ルウはにこにこと笑いながら、そのように解説した。
「シャスカを炊いたあとにぺったんぺったんするとやわらかくなるから、それを生地に使ってるの! です! ゲルドの人たちもおいしーって言ってくれたから、作り方を教えてあげたの! です!」
「不可思議です……不可思議だけど、とても美味です! マトラの他にも、何か食材を使っていますよね? これも、見知らぬ風味であるようです!」
「それは、ブレの実のあんこ、です! いつもはあんこに砂糖をいっぱい入れてるけど、マトラがとっても甘いから、今回はあんまり砂糖も使ってない、です!」
丁寧な言葉に馴染みのないリミ=ルウは、デルシェア姫に負けないぐらい力んだ口調になってしまっていた。
それはそれとして、このマトラの大福餅も素晴らしい出来栄えである。干し柿に似たマトラを大福餅の具材にしてみてはと提案したのは俺自身であるのだが、やはりリミ=ルウは俺の想像を凌駕する菓子を完成させてくれたのだった。
「まったく奇抜なところのないトゥール=ディン嬢の菓子も、何から何まで不可思議なリミ=ルウ嬢の菓子も、まさり劣りなく美味でありましたぞ! 正直に言って、デルシェアよりも幼い身でこれだけの腕を持つ料理人と相まみえたのは、これが初めてのこととなります! まったく、将来が楽しみなところでありますな!」
リミ=ルウは満面の笑みで、トゥール=ディンは恐縮しきった様子で、それぞれぺこりと一礼した。
ダカルマス殿下はうんうんとうなずきながら、マルスタインに向きなおる。
「では、最初の味見はここまでとなりますな! あとは取り決め通り、他なる料理人たちのご感想を聞かせていただきましょう!」
「承知いたしました。……ポルアース、よろしくお願いする」
「承知いたしました」と復唱し、ポルアースはかしこまった面持ちで立ち上がった。
すると、かたわらに控えていたシェイラが小さいのによく響く銀色の鈴を打ち鳴らす。たちまち大広間のあちこちからも同じ音色が響きわたり、その場の人々を押し黙らせた。
「それではこれより、貴き方々も大広間を巡ります。何も特別な礼儀作法などは必要ありませんので、各人、失礼のないように取り計らいをお願いいたします」
どうやらそれは事前に通達されていた事項であったらしく、驚きの声をあげる者はいなかった。
ただし、ざわめきの度合いが倍増して舞い戻ってくる。貴族や王族の人々が、いよいよ市井の人々の間に闖入しようというのだ。話を聞かされていなかった俺のほうが、内心で驚かされてしまった。
「では、そちらの料理人の方々も、あちらにお戻りくだされ! おおよその方々は、ひと通りの料理と菓子を食べ終えておられるでしょうからな! 大いに意見を交わし合って、それぞれの糧にしていただきたく思いますぞ!」
ダカルマス殿下のお言葉によって、俺たちも解放されることになった。
俺がこっそり息をついていると、ボズルが巨体を屈めて囁きかけてくる。
「いや、なかなかに気の張る一幕でありましたな。しかしやっぱりアスタ殿の手腕は際立っていたように思いますぞ」
「いえいえ、ボズルの肉料理も素晴らしい出来栄えでありましたよ。目の覚めるような美味しさでした」
「目を覚まされたのは、わたしのほうです。……わたしもロイやシリィ=ロウのように、森辺の勉強会というものに参加させてもらわねばなりませんな」
そんな言葉と大らかな笑みを残して、ボズルは人混みの向こうに立ち去っていった。
いっぽうヴァルカスは、マルスタインに休憩の許しを求めている。どうやら大勢の人間からもたらされる熱気に、肉体の限界が来てしまったようだ。ヴァルカスはふわふわとした足取りで、案内役の小姓とともに大広間の出口を目指した。
「おい。こちらもかまど番たちのもとに戻るぞ」
と、俺はアイ=ファにせっつかれて、人混みの中に足を踏み入れることになった。
厳しい表情をしたアイ=ファに、俺は「どうしたんだ?」と問うてみる。
「どうしたもこうしたもない。うかうかしていると、またあの姫君にまとわりつかれそうな気配だったではないか。自由を得た後まで、あやつらとともにいる理由はあるまい」
「うん、まあ、そうか。どうせ放っておいても、向こうから近づいてきそうだもんな。まずは、顔馴染みの方々のご意見を聞かせてもらおうか」
ちらりと後方を見やってみると、デルシェア姫たちもちょうど席を立つところであった。
貴き方々が大広間を巡るというのは強制でないらしく、一部の人々は席についたまま小姓たちに茶を運ばせている。ざっと見た限り、ロブロスや書記官、マルスタインやトルストやルイドロスなどは、ひとまずその場に留まるかまえであるようだった。
「ロブロスなんかは席が遠くて、まったく言葉も交わせなかったな。あとでご挨拶をさせてもらいたいんだけど、どうだろう?」
「かまわんぞ。ロブロスらとは、絆を深めるべきであろう」
「王家の方々とは、絆を深める心持ちになれないのかな?」
アイ=ファは苦虫を噛み潰しながら、俺の耳もとに口を寄せてきた。
「お前も言っていた通り、あやつらは放っておいても近づいてこよう。正しく絆を深める必要はあろうが、べったりとまとわりつかれるのは避けるべきであるように思う」
「うん。まったく異存はないよ。俺の料理も、ずいぶんお気に召したみたいだしな」
「……あの姫君などは、まるで恋焦がれるようにお前のことを見やっていたな」
アイ=ファの瞳が至近距離から、俺のことをじっとりと見つめてくる。
しかしまあ、それも致し方のないことだろう。たとえば異国の王子様などがアイ=ファの剣技に惚れこんで、あのように熱い眼差しを送ってきたならば――俺だって、同じような目つきになってしまうのかもしれなかった。
(あの姫君もプラティカぐらい、アイ=ファと相性がよければいいんだけど……それはさすがに、望み薄だもんな)
そんな思いを胸に、俺は森辺の同胞のもとを目指すことになった。