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異世界料理道  作者: EDA
第六十章 大地の国の使者
1031/1679

城下町の試食会①~下準備~

2021.4/19 更新分 1/1 ・5/25 誤字を修正

・今回は全8話の予定です。

 そうして瞬く間に日は過ぎ去って、黄の月の22日――俺たちがジャガル王家の人々と顔をあわせてから、5日目のことである。

 何事もなく試食会の当日を迎えた俺たちは、中天の少し前に城下町へと向かうことになった。


 俺の調理助手は3名で、リミ=ルウとトゥール=ディンは1名ずつとなる。この人数は、主催者の側から告げられた規約に基づいていた。このたびは調理助手も試食の会に加わることがかなうので、それだけの人数に絞るようにというお達しであったのだ。


 俺が手伝いをお願いしたのはユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアで、トゥール=ディンはリッドの女衆、リミ=ルウはレイナ=ルウという顔ぶれになる。そして護衛役に関しては、アイ=ファとルド=ルウとジザ=ルウの3名が選出されていた。ダリ=サウティらは約定通りに4日間で自分たちの家に戻っていったので、休息の期間にあるルウ家からこの頼もしい兄弟が選ばれたわけであった。


 さすがに屋台の商売は臨時休業日とさせていただいたので、宿場町では宿屋の屋台村がたいそうな賑わいを見せていた。宿屋の関係者も試食会に招かれていたが、そちらはべつだん料理の準備をするわけではないので、昼下がりまでは自由の身であるのだ。試食会の開催は下りの五の刻とされていたため、その一刻半前には城門に集合するようにと言い渡されたという話であった。


「お、お待ちしておりました。紅鳥宮までご案内いたします」


 城門では、本日もガーデルが待ちかまえていた。

 何か物言いたげに俺のほうをちらちらと見やっていたが、ジザ=ルウたちの目を気にしてか、先日のように話しかけてきたりはしなかった。きっとこの数日ばかりで、城下町の一部にはダカルマス殿下とデルシェア姫の人となりもそれなりに知れ渡ったことだろう。繊細な気性をしたガーデルは、それでまた少し心労をつのらせてしまったのかもしれなかった。


「そーいえば、今日はククルエルってやつも呼びつけられてるんだよな?」


 ガーデルの運転するトトス車に揺られながら、ルド=ルウがそのように問いかけてきた。


「うん。ククルエルも正式に招待されたって、ご本人が言ってたよ。あと、ジェノス城の客分であるアリシュナもね」


「王族や貴族の連中に、宿場町の連中に、東の民のククルエルとアリシュナか。こうまで色んな連中が集められると、なんかおもしれーな」


 ルド=ルウがいつもの調子で言いたてると、ジザ=ルウは糸のように細い目でそちらを見やった。


「身分や暮らす場所が異なれば、気性や習わしも異なってくる。そのぶん諍いの種も増えかねないので、決して気を抜くのではないぞ」


「別に気を抜きゃしねーけどよ。森辺の祝宴に色んな人間を呼びつけたときも、大した騒ぎが起きたりはしなかったしなー」


 それは確かにその通りだが、本日の舞台は城下町だ。舞台が変われば、勝手が違ってくることも多いだろう。俺にはジザ=ルウの懸念が理解できるような気がした。


 しかしまた、森辺の民が城下町の会に招かれることも、それほど珍しくはなくなってきた。よって本日、もっとも気を張ることになるのは宿場町から招かれた人々なのであろうと思われた。


(なんだったら、森辺の民が貴族と宿場町の人たちの橋渡しをする場面だって出てくるかもしれないしな。そう考えると、不思議な気分だ)


 俺がそんなことを考えている間に、トトス車は紅鳥宮に到着した。

 俺たちは白鳥宮に招かれることが多かったので、こちらの小宮に案内されるのはひさびさのことだ。赤煉瓦で組みあげられた、白鳥宮よりも規模の大きな宮殿である。


 こちらには男女別に浴堂が設えられているので、俺たちは同時に身を清めることがかなった。そうして控えの間に準備されていたのは、やはり白い調理着と武官のお仕着せだ。さらにその場には、白い革鞘に収められた長剣も準備されていた。


「ふむ。このたびは、刀を持つことも許されるのか」


 ジザ=ルウの問いかけに、着替えの手伝いをしていた小姓が「はい」と応じる。


「刀は試食会の会場に入室される際に、おあずかりすることになります。それまでは、どうぞそちらをお持ちください」


「了承した。……なかなか立派な刀であるようだ」


 鞘をずらして刀身の様子を確認したジザ=ルウは、さらに柄の握り具合や重さなども吟味している。ジザ=ルウにしてみれば、装束などよりも武具のほうがよほど重要であるのだろう。

 ジザ=ルウもまた立派な体格の持ち主であったので、武官の白装束がダリ=サウティに負けないぐらい似合っている。いっぽうルド=ルウもスタイルがいいので、ちょっとやんちゃな騎士さながらだ。今のところ、武官の白装束が似合わない森辺の狩人などは存在しないように思えた。


(いや、ライエルファム=スドラやラヴィッツの長兄なんかは、あまり似合わないかもしれないな。それにジィ=マァムなんかは、さすがにサイズが合わなそうだ)


 そうして回廊に戻ってみると、アイ=ファたちもほどなくして出てきた。それらの姿に、俺は思わず「うわあ」と声をあげてしまう。


「そっか。試食会に参席するから、みんな着替えさせられたんだね。なんだか、壮観だなあ」


 トゥール=ディンとリミ=ルウはメイドさんのようなお仕着せで、それ以外の5名は俺と同じ調理着だ。相変わらず、レイナ=ルウはひとり胸もとが窮屈そうであった。

 見慣れた人々が見慣れぬ格好をしているのは、やはりなかなか楽しいものだ。とりわけマルフィラ=ナハムなどは背が高いため、もう少し姿勢がよければけっこうな貫禄が生まれるのではないかと思われた。


「で……アイ=ファはやっぱり、武官の格好なわけだよな」


 俺が小さく息をつくと、アイ=ファはいささか気分を害した様子で顔を寄せてきた。


「なんだ? 私とて、好きこのんでこのような装束を纏っているわけではないのだぞ?」


「いや、その格好もアイ=ファにはよく似合ってると思うけど――」


 誤解を与えてはまずいと思い、俺は小声で本音を打ち明けることにした。


「アイ=ファの生誕の日からもうけっこう経つのに、なかなか宴衣装を纏う機会がないだろ? 俺の贈った首飾りの装飾はいつ使ってもらえるかなあって、待ち遠しく思ってるんだよ」


 アイ=ファは虚を突かれた様子で身を引くと、ちょっぴり頬を染めながら俺の足を蹴ってきた。

 そんな一幕を経て、厨に移動である。

 こちらの紅鳥宮には複数の厨が存在するとのことで、俺たちが案内された場所には見物人たるプラティカとニコラだけが待ちかまえていた。


「ダイア様はデルシェア姫と、ヴァルカス様はボズル様と同じ厨にて、すでに仕事を始めておられます。森辺の方々は、こちらで準備をお願いいたします」


 そんな言葉を残して、小姓は厨を出ていった。兵士とともに扉の外で控えているので、用向きの際はお声をおかけくださいとのことだ。森辺の狩人は一刻ごとにローテーションするという取り決めで、まずはルド=ルウが扉の外に陣取ることになった。


「プラティカもニコラも、お疲れ様です。今日も見学が許可されて、よかったですね」


「はい。ジャガル王家の方々、寛大です」


 そのように答えるプラティカは、ジャガル王家の方々に晩餐を供するという大仕事を3日前にやりとげていた。奇妙だ奇妙だとはやしたてつつ、デルシェア姫もダカルマス殿下もご満悦であったとのことである。


「きっとプラティカの腕に感心したから、王家の方々もより寛大な心持ちになられたんでしょうね」


「いえ。王家の方々、好奇の念、まさっていたように思います。私の料理、本当に満足いただけたか、確証ありません」


「そうですか? プラティカの腕でしたら、きっとご満足いただけたかと思いますけれど……」


「いえ。きっと今日、本当に満足した顔、見せると思うので、その差異、見極めたい、思っています」


 そのように語りながら、プラティカは紫色の瞳を爛々と燃やしている。俺はあちこちの情報網から「王家の方々は満足そうだった」と聞いているのだが、プラティカ自身はあまり手応えを感じていないのかもしれなかった。


(そういえば、俺もまだあのおふたりが料理の出来に不満そうな顔をするところを見たことがないんだよな。辛い辛い言いながら、俺の料理を完食してくれたけど……実際のところ、どれぐらいの満足度だったんだろう?)


 俺はそのように考えたが、あまり考え込んでいられる状況でもない。俺は気を取り直して、本日の仕事を開始することにした。


「それじゃあ、始めようか。みんな、それぞれ頑張ってね」


 今日はあくまで、俺とリミ=ルウとトゥール=ディンがそれぞれの助手を従える取り仕切り役であるのだ。助手の人数は厳密に取り決められているのだから、手が空いたからといって迂闊に余所の組を手伝うことは控えるべきなのだろうと思われた。


 そんなわけで、俺は3名の助手たちとともに作業に取りかかる。

 ユン=スドラにマルフィラ=ナハムにレイ=マトゥア、これだけの顔ぶれがそろっていれば心強い限りである。新たな食材の取り扱いを俺が受け持てば、あとは何の心配もなかった。


「こ、こ、このボナの根というのは、とても目新しい味わいですよね。わ、わたしも早く自分の家で扱ってみたく思います」


 てきぱきと手を動かしながら、マルフィラ=ナハムがそのように告げてきた。

 すると、仲良しのレイ=マトゥアがすかさず反応する。


「わたしは、ノ・ギーゴが楽しみです! マトラやリッケも美味しいとは思うのですけれど、ノ・ギーゴの甘みがもっとも好みに合うように思うのです!」


「ああ、ちょうどトライプも使えなくなったところですし、ノ・ギーゴというのはありがたいですよね。わたしもどちらかというと、料理よりも菓子で使いたく思っています」


 ユン=スドラも、笑顔でそのように応じていた。最近のレイ=マトゥアはマルフィラ=ナハムのことを姉のように慕っていたが、もとよりユン=スドラとは朗らかな気性の相乗効果で相性がいい。なおかつ、どちらも菓子好きの甘党であった。


 王家の方々を筆頭とする100余名の人間に料理を供するというのに、この場にはいい意味でいつも通りの和やかさが満ちていた。森辺のかまど番にしてみれば、相手が誰であろうと十全の力を尽くすのが当然であるので、余計な気負いが生まれたりもしないのだろう。唯一、気負いがちなレイナ=ルウも、本日は助手の立場であるためかリラックスした面持ちだ。


 数日前にはあわあわしていたトゥール=ディンも、本日は落ち着いた所作で仕事に取り組んでいる。この短い期間で、トゥール=ディンも納得のいく菓子を準備することができたのだ。そして本日はオディフィア姫の参席も決定されていたため、トゥール=ディンは大きな喜びをその内にひそめているはずであった。


 そんな俺たちの仕事っぷりを見守りながら、アイ=ファとジザ=ルウはずっと低い声音で語り合っている。両者がこうまで言葉を交わすのは珍しいようにも思ったが――もしかしたら、ジャガル王家の人々について語らっているのだろうか。外部の人間に対する警戒心は、おそらく森辺でも突出しているアイ=ファとジザ=ルウであるのだ。


(そうやってアイ=ファたちが目を光らせてくれているからこそ、俺たちは心置きなく仕事に集中できるんだろうな)


 そうして俺たちは、数刻ばかりの時間を厨で過ごすことになった。

 リフレイアが挨拶に来てくれたと告げられたのは、下りの四の刻の鐘が鳴ってすぐのことである。


「お忙しい中、ごめんなさいね。準備のほうは順調かしら?」


「ええ。定刻には問題なくお届けできるはずです」


 その場には小姓や衛兵の目があったため、俺も丁寧な言葉で応じてみせる。

 リフレイアは、ムスルとサンジュラとシフォン=チェルの3名を引き連れていた。トルストは多忙の身であるため、おいおいやってくるそうだ。


「シフォン=チェル。貴女とは、以前に南の使節団が来訪した際にも顔をあわせているが……こうして真っ向から言葉を交わすのは初めてのこととなるのだろうな」


 この時間、扉の外に陣取るローテーションであったジザ=ルウが、そのように声をあげてきた。

 シフォン=チェルは、恭しげな仕草で一礼する。


「侍女なる身でご挨拶をさせていたくのは、恐縮の限りでありますけれど……わたくしなどのことを見覚えてくださり、光栄に存じます……」


「俺たちとて貴族ならぬ身であるのだから、立場に上下などは存在しないことだろう。……森辺のルウ家においては、最長老が貴女に強い関心を寄せていた」


「まあ……どうしてわたくしなどに関心を持たれたのでしょう……?」


「我々とて、南から西に神を移した身であるからな。北から南に神を移した貴女がどのような人間であるのか、どのような思いを抱いているのか、そういったものを気にかけているのだろうと思う。機会があれば、ルウ家で最長老と言葉を交わしていただきたい」


「まあ、シフォン=チェルをルウ家にお招きしていただけるの? それは心から得難く思うけれど……お招きしていただけるのは、シフォン=チェルだけなのかしら?」


 リフレイアがすかさず口をはさむと、ジザ=ルウは「ふむ?」と首を傾げた。


「それはもちろんひとりでは心細かろうから、誰なりと供の人間をつけてもらってかまわないが……もしや、貴女自身が森辺に招かれることを望んでいるのであろうか?」


「もちろんよ。アスタだって、わたしたちを森辺にお招きしたいって言ってくれていたわよね?」


 俺はリフレイアとジザ=ルウから、視線で挟撃されることになった。


「え、ええ、そうですね。……貴族を軽々しく森辺にお招きしたいなどと言いたてるのは、つつしむべきだったでしょうか?」


「招きたいという願いを口にすること自体は、何の罪にもなりはしないだろう。俺とてダリ=サウティやグラフ=ザザに了承を得た上で、シフォン=チェルをルウ家に招きたいと語ったわけではないのだからな」


 そう言って、ジザ=ルウはリフレイアに向きなおった。


「ただし、貴族を森辺に招くならば、護衛役の兵士をも同行させることになる。おたがいに、手間が増してしまうのではなかろうかな?」


「そのような手間を惜しんだりはしないわ。ゲルドの方々や王都の外交官殿だって、気ままに森辺を訪れていたじゃない?」


 そんな風に言ってから、リフレイアはいくぶん表情をあらためた。


「ただ、さすがにこの時期は身をつつしむべきでしょうね。無事にジャガル王家の方々を送り出してから、あらためてお話をさせていただきたく思うわ」


「うむ。こちらも、そのように願いたい」


 気心の知れない小姓や兵士も控えているためか、ジザ=ルウもリフレイアも慎重に言葉を選んでいる様子であった。迂闊な真似をすれば、王家の方々も便乗しかねない――と、どちらもそのように思っているのだろう。


「それにまずは、今日の試食会というものをつつがなく終えなければね。宿場町の民が王家の方々に失礼な姿を見せたりはしないかと、一部の貴族たちは戦々恐々よ。もとより王家の方々は王都でも市井の人間をお屋敷に招いているそうだから、何も心配はないように思うけれどね」


「ふむ。やはり王家の人々と宿場町の者たちは、同じ場で料理を食することになるのか」


「ええ。もちろん貴き身分の人間には特別に席が準備されるようだけど……王家の方々にとっては、料理人たちがどのような様子で試食の料理を口にするかを見物するのも大きな楽しみのひとつであるようよ」


 そんな言葉とともに、リフレイアは口をほころばせた。


「わたしもこの数日で多少は交流を深めさせていただいたけれど、きっと心労をつのらせるのはジェノスの貴族たちばかりよ。森辺の方々はもちろん、宿場町の者たちが危うくなることもないと思うから、どうかご安心なさってね」


「ふむ。族長ダリ=サウティも、そのように語らっていたと聞く。ジャガル王家の人々というのは、ジェノスの貴族の流儀に外れた存在であるということだろうか?」


「流儀は、大きく外れているでしょうね。だからやっぱり、流儀に外れているわたしやエウリフィアなんかは、なかなか気が合うようよ」


「なるほど」と、ジザ=ルウは首肯した。


「貴重な言葉を、得難く思う。……そして貴女はアスタへの挨拶におもむいてきたというのに、時間を取らせてしまって申し訳ない」


「いいのよ。森辺のすべての方々のお役に立ちたいというのが、わたしの願いですもの」


 そう言って、リフレイアは俺にも微笑みかけてきた。


「それじゃあね。今日の料理も、楽しみにしているわ」


「はい。ご期待に沿えれば幸いです」


 リフレイアたちは、小宮の奥へと立ち去っていった。きっと会の始まりまで、くつろぐ場所が準備されているのだろう。

 俺と一緒に回廊まで出向いていたアイ=ファは、粛然とした様子でジザ=ルウの長身を見上げた。


「ジバ婆は、あのシフォン=チェルなる者に関心を寄せているのであろうか?」


「うむ。何かおかしいだろうか?」


「いや。……とてもジバ婆らしいように思う」


 と、ほんのり目もとをやわらげてから、アイ=ファはすぐに表情を引き締めた。


「ところで、アスタがリフレイアを森辺に迎えたいと告げた一件だが、あれは気落ちしたリフレイアを力づけるための言葉であったのだ。どうかその点は鑑みてもらいたい」


「うむ? それはべつだん罪にもなるまいと告げたように思うが」


「しかしジザ=ルウは、すべてを正しく知っておくべき立場であろう?」


 アイ=ファの真剣な眼差しを受け止めて、ジザ=ルウはただ「了承した」とだけ答えた。

 そんなジザ=ルウに別れを告げて、俺とアイ=ファは厨に舞い戻る。かまど番の精鋭たちは、変わらぬ姿で仕事に励んでいた。


「それじゃあ俺も、仕事に戻るよ。……ジザ=ルウへのフォロー、ありがとうな」


「……ふぉろー?」


「あ、うん。補うとか支援とかって意味になるのかな」


「……フェルメスの前で、そのような言葉を口走るのではないぞ」


 アイ=ファは優しく俺のこめかみを小突いてから、壁際にたたずむルド=ルウのもとに戻っていった。

 アイ=ファの温もりを側頭部に感じつつ、俺は作業を再開させる。


 試食会の開始まではあと一刻ていどで、料理の準備もラストスパートだ。

 トゥール=ディンの組は、すでに準備も完了とのことである。俺とリミ=ルウは、それぞれ最後の仕上げに取りかかることになった。


 そうしてさらに、半刻ほどが過ぎたとき――

 扉の外のジザ=ルウから、今度はデルシェア姫の来訪が告げられてきたのだった。


「やあ! 調子はどうかな?」


 デルシェア姫は、本性むきだしモードであった。ジェノスの兵士や小姓も控えているのだが、そういった人々の目は気にしない方針であるようだ。

 そして本日は、3名ばかりのジャガルの兵士たちを引き連れている。こちらが帯刀しているためか、兵士たちは少なからず張り詰めた表情であった。


「ど、どうも。わざわざご挨拶に来てくださったのですか?」


「うん! こっちは準備も万端だからね! そっちは? まだ作業中なの?」


「は、はい。なるべく出来立てを召しあがっていただきたい献立もありますので、時間の調節を……」


「ふーん! どんな料理を出してくれるのか、楽しみだなあ! あんたには、一番期待してるんだからね!」


 本日も、デルシェア姫は元気いっぱいであった。当然のこと調理着姿であるので、これが王家の血筋であるなどとは、なかなか信じ難いところであろう。ジザ=ルウも、そんなデルシェア姫の姿を遥かな高みからじっと観察していた。


「んー? あれ? こっちのこのお人は、前のお人と違うんだね! 同じぐらい大きいから、てっきり同じお人かと思っちゃったよ!」


 と、ジザ=ルウの視線に気づいたデルシェア姫が、そちらを仰ぎ見る。両者の身長差は、30センチ以上にも及ぶのだった。


「さっきも言ったけど、あたしが第六王子の第一息女、デルシェアね! あんたは? 森辺の民なんでしょ?」


「……俺は森辺の族長筋ルウ本家の長兄、ジザ=ルウという者だ」


「ふーん。今度は族長のご子息ってことね。よくわかんないけど、どうぞよろしく!」


 そうしてデルシェア姫は、俺とアイ=ファのほうにくりんと向きなおってきた。


「それでさ! リミ=ルウにトゥール=ディンっていう娘さんたちも、こっちで作業してるんでしょ? よかったら、試食会の前に挨拶させてよ!」


「は、はい。承知しました」


 相手が王家の姫君では、逆らいようもない。どうしてジェノスの立場ある人間が同行していないのかと、俺はいささかいぶかしく思うことになった。


(でも、そうか。ポルアースたちはデルシェア姫の本性を知らないんだもんな。この姫様がこうまで奔放に振る舞うとは予測できないってことか)


 そうして厨に足を踏み入れると、デルシェア姫はエメラルドグリーンの瞳を輝かせながら、小さな鼻をひくつかせた。


「いい香り! 料理も菓子も、これは期待できそうだねー!」


 ユン=スドラたちは、きょとんとした顔でデルシェア姫を出迎えていた。

 デルシェア姫は好奇心をみなぎらせた眼差しで、それらの顔をひとりずつ見回していく。


「えーと……わかった! あなたがトゥール=ディンかリミ=ルウのどっちかでしょ?」


「い、いえ。わたしはレイ=マトゥアと申します」


「あれ? 間違っちゃった。でも、他の人たちはみんな幼子ってほどの年齢には見えないし……ねえねえ、トゥール=ディンとリミ=ルウはどこに行っちゃったの?」


「はーい! リミ=ルウはここでーす!」と、リミ=ルウがデルシェア姫に負けない元気さで挙手をした。いっぽうトゥール=ディンは、おずおずとした様子で手をあげる。


「トゥ、トゥール=ディンは、わたしとなります。あ、あなたがジャガルの王家に連なるデルシェア姫という御方でしょうか?」


「うん、そうだけど……え? どうして主人のほうが、侍女のお仕着せなんて着てるの? 普通、逆じゃない?」


「べつにリミたちは、主人じゃないよー! ……あやや、主人じゃないですよー! ただリミたちは身体がちっちゃいから、こういう服しかないみたいです!」


「あー、そういうことなんだ! 調理着ぐらい、特別にあつらえてあげればいいのにねー!」


 デルシェア姫は心から楽しそうに、けらけらと笑いだした。べつだんリミ=ルウたちを馬鹿にしているわけではなく、このシチュエーションがお気に召した様子だ。


「それじゃあ、あらためてよろしくね! あんたたちの菓子も、ずーっと楽しみにしてたんだから! 今日はひとつずつの菓子しか準備してないの?」


「は、はい。わたしたちは、1種ずつで十分と言われていましたので……」


「なーんだ! 準備できるなら、2種でも3種でもよかったのに! マトラとリッケとノ・ギーゴを使った菓子をそれぞれ食べさせてもらいたかったなー!」


 デルシェア姫の猛烈な勢いに、トゥール=ディンはたじたじになってしまっている。いっぽうリミ=ルウは、きょろんと目を見開いて姫君の様子を凝視していた。


「それにしても、森辺の女の子ってみんな可愛いねー! 東の民みたいな色だけど、顔立ちなんかは南の民に近くない? そうでもないのかな? とにかくさ、みんなみーんな可愛いよ! そっちのあんたは、可愛いっていうよりは格好いいって感じだけど!」


 そっちのあんたとは、言うまでもなくアイ=ファのことである。べつだん返事を要求されている様子ではなかったので、アイ=ファは黙然とたたずんだままであった。


「あっ! 男の人もいたんだね! うーん、あんたは可愛いし格好いいなー。森辺の民って、みんなこんなに美形ぞろいなの?」


 さすがのルド=ルウも、いくぶん辟易した様子で「さあ?」と肩をすくめた。あまり多くを語ると失礼な言葉が飛び出てしまうものと自制したのかもしれない。

 そんな人々の当惑もよそに、デルシェア姫はぴょこぴょこと移動する。それに追従している兵士はひとりのみで、おそらくはあのロデという名を持つ若者であった。


「あー、なんか人数が多いと思ったら、トゥール=ディンたちも助手を使ってるんだっけ。やっぱりみんな、森辺では名のある料理人なの?」


「森辺に料理人という肩書きはないのですけれど……この日の仕事を果たすのに十分な力を持つ人間がそろっているはずです」


 取り仕切り役の年長者という立場から、俺がそのように答えてみせた。

「ふーん」と言いながらひとりずつの様子をうかがっていたデルシェア姫が、レイナ=ルウの前でぴたりと足を止める。


「あんた! きっと名のある料理人なんだろうね! あたしの勘って、よく当たるんだー!」


「……いえ。わたしなどは、まだまだ至らないところばかりの未熟者です」


 レイナ=ルウは、お行儀のよい表情で一礼した。

 身長150センチていどの小柄なレイナ=ルウであるが、デルシェア姫はそれよりもさらに2、3センチは低い。

 デルシェア姫は、上から下までレイナ=ルウの姿を眺め回し――そしておもむろに、レイナ=ルウの胸もとにつぷりと指先を突き刺した。


 レイナ=ルウは魂消るような悲鳴をほとばしらせ、その場にへたりこんでしまう。それと同時に、ジザ=ルウと見張りの兵士と2名のジャガル兵が厨に踏み入ってきた。


「あー、ごめんごめん。驚かしちゃった? なんか、すっごく窮屈そうだなあと思ってさー。あんたも身体に合った調理着をあつらえてもらったほうがいいんじゃない?」


「……姫、おたわむれが過ぎますぞ」


 ロデが溜息まじりに呼びかけると、デルシェア姫は「えへへ」と舌を出した。


「それじゃあ、あたしは戻ろっかな! みんな、また後でねー!」


 そうして俺たちの厨に小さからぬ騒乱を巻き起こして、デルシェア姫は立ち去っていった。

 ジザ=ルウはルド=ルウとポジションを交代して、レイナ=ルウに事情を問い質す。こんな話を実の兄に報告しなければならないレイナ=ルウこそ、気の毒の極みであった。


「……あの者は、奔放の度合いが過ぎるのではないだろうか?」


 アイ=ファはいつになく重々しい声音で、そのように言いたてていた。

「そうだなあ」と応じながら、俺はちらりとアイ=ファの武者姿を見やる。レイナ=ルウに劣らぬほどグラマラスなアイ=ファは、きっと胸あてをさらしのようにぎゅうぎゅうと巻きつけているのだろう。力比べで長袖の装束を纏った際にもアイ=ファはそうしていたし、そうでもしなければこの武官のお仕着せを纏うことも難しいのだろうと思われた。


「……何をこそこそと、人の姿を盗み見しておるのだ?」


「いやあ。アイ=ファはその姿でよかったんだろうなあという思いを噛みしめていたんだよ。もしもアイ=ファがあんな目にあってたら……いてててて!」


「私であれば、事前にかわしていた。咄嗟に相手の腕をつかみ、足もとに組み伏せていたやもしれんがな」


 俺の左耳をひねりあげながら、アイ=ファはそのように言い捨てた。

 そうして最後に平穏な時間をかき乱されつつ、俺たちは試食会の開始を迎えることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アイちゃん、相変わらずのクーツンだなw 王族の腕は捻り上げちゃ駄目だぞ?
[一言] 「ところで、アスタがリフレアイを森辺に迎えたいと告げた一件だが、あれは気落ちしたリフレイアを力づけるための言葉であったのだ。どうかその点は鑑みてもらいたい」 「アスタがリフレアイを」 →…
[一言] >「あんた! きっと名のある料理人なんだろうね! あたしの勘って、よく当たるんだー!」 言った相手がマルフィラ=ナハムなら鋭いと思えただろうけど残念な勘だね、レイナ=ルウも貴族に指名される凄…
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