南の使節団の再来⑦~試食会に向けて~
2021.4/4 更新分 1/1
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ジャガル王家の人々の登場によって、森辺の集落にはそれなりの波紋がもたらされることになった。
が、それ以上の騒乱を迎えることになったのは、宿場町である。吟味の会が行われた翌日には、宿屋の商会長たるタパスを通じて試食会の案件が伝えられることになったのだ。
「あたしらが城下町に招かれるって、ほんとなの!? まさかジャガルの王族とかいう連中が、あたしらをからかってるんじゃないだろうね!?」
俺の周囲でもっとも騒がしくしていたのは、やはりユーミであった。中天を半分ばかりも過ぎてから俺たちの屋台を訪れたユーミは、開口一番そのようにわめきたてていたものである。
「いや、冗談でそんなことを言い出したりはしないと思うよ。俺も目の前で、同じ話を聞かされてるしね」
「うわー、それじゃあほんとなんだ!? どうしよう! なんか、立派な装束をあつらえないと!」
「うん? 試食会に、立派な装束が必要なのかい?」
「だってタパスの家族とかが城下町に招かれるときなんかは、いっつも立派な装束を着込んでるよー? こんな格好で城下町に出向いたりしたら、なんか文句でもつけられちゃうんじゃないの?」
ユーミの言うこんな格好とは、森辺の女衆さながらの胸あてと腰巻きだ。そういえば、宿場町でもこういう装いはそれほど一般的ではないし、しかもこれはシムをルーツとするファッションであるはずだった。
「うーん。そういえば俺たちも、格式ばった場所では着替えをさせられてるしなあ。それこそタパスにでも相談したほうがいいような気がするね。……あれ? だけどたしか、招待されるのは主だった宿屋から1名ずつって話だったよね。《西風亭》からは、サムスやシルじゃなくユーミが出向くことになるのかな?」
「かまどを預かってるのはあたしや母さんだし、母さんは城下町なんて行きたがるわけないもん! 親父だって、母さんをひとりでそんな場所に向かわせるはずないしさ!」
それは仲睦まじいことで、何よりである。
「そっか。まあユーミだったら、森辺の祝宴で貴族の方々と面識もあるもんね。そんなに気を張らずに済むのかな」
「気は張るよ! でも、城下町でアスタの料理を食べられるなんて、こんな贅沢な話はないよねー!」
そう言って、ユーミはにっと白い歯を見せた。
そのタイミングで、屋台の裏をぶらついていたルド=ルウがにゅっと顔を出す。
「あれ、ユーミじゃん。そっちも屋台の仕事なんじゃねーのか?」
「中天が過ぎたから、アスタたちの料理を買いに来たんだよ。ルド=ルウこそ、宿場町に顔を見せるのはひさびさじゃん」
「んー、いまは休息の期間だからな。南の王族とかいう連中も、ちっと気になるしよ」
そう、ドンダ=ルウはアイ=ファからの願い出によって、血族の狩人を護衛役として駆り出してくれたのだ。万が一、十万が一に備えての用心である。
「ふーん? 南の王族の連中って、そんな厄介そうなやつらなの? 貴族よりお偉い王族なんて、あたしには想像もつかないんだけど」
「それは俺だって一緒だよ。自分の目で見てみねーとわかんねーな」
「そうだよねー。ま、あたしらを城下町に呼びつけようなんて、なかなか愉快な連中じゃん! お顔を拝むのが楽しみなところだね!」
そうしてユーミはともに働くルイアの分も軽食を買いつけて、自分の屋台に戻っていった。自分たちも屋台を出しているのにわざわざこちらで購入してくれようとは、ありがたい限りである。
「やっぱ、宿場町の連中は大騒ぎみてーだなー。俺たちだってしょっちゅう城下町に呼びつけられてるんだから、騒ぐような話じゃねーようにも思えるけどな」
「宿場町の人たちはよっぽど貴族とのご縁がない限り、城下町に足を踏み入れる機会もないみたいだからね。これはきっと、ジェノス始まって以来の椿事なんじゃないのかな」
「ふーん。そんな話がまかり通るってことは、やっぱ王族の力ってやつが飛びぬけてるってことか。悪い騒ぎにならねーんなら、どーでもいいけどよ」
悪い騒ぎでは、ないのだろう。しかしまた、試食会の期日はすでに4日後に迫っている。この唐突さが、人々をいっそう惑乱させているのだろうと思われた。
そして俺たちのかたわらでは、プラティカがひとり紫色の瞳を燃やしている。
彼女にも本日、試食会への招待とともに、王族の方々へと晩餐を供する依頼が届けられたのだ。その期日は、なんと明日であるということであった。
「プラティカなんて、ひとりでその仕事に取り組むわけですもんね。森辺のかまど番が手伝えればよかったんですけど……」
しかし、プラティカの調理助手は城下町で準備すると言い渡されていた。森辺のかまど番が入り混じるとプラティカ個人の力量をはかるのが難しくなるため、それはまかりならんというお達しであったのだ。
「心配、ご無用です。ゲルドの名、穢さぬよう、総身の力、振り絞ります。このような試練、与えてくれたこと、東方神、感謝しています」
「どっちかっていうと、試練を与えたのは南とか西とかの神なんじゃねーの?」
「であれば、南方神、西方神、すべての神々、感謝を捧げます」
とにかく真面目で熱情的なプラティカであるので、その意欲といったら燃えさかる炎さながらであった。
しかしプラティカの力量は、俺だってしっかりわきまえているつもりだ。あとはもう、ゲルド風の料理が王家の人々の口にあうかどうかという問題のみであろう。ヴァルカスやダイアの料理に大喜びしていた人々であるので、きっと大丈夫であろうとは思うのだが――俺としても、プラティカの熱意が報われることを祈るばかりであった。
「ん? 知り合いの娘っ子が来たみたいだぜー」
目ざといルド=ルウが、新たな客人の到来を教えてくれた。誰かと思えば、ヤンの弟子たるニコラである。
屋台の裏から回り込んできたニコラは、俺たちに一礼してからプラティカに向きなおった。
「プラティカ様。ジャガル王家の方々に晩餐を供する一件ですが……わたしにもお手伝いをさせていただけませんでしょうか?」
「……ニコラ、助力、願えるのでしょうか?」
「はい。ポルアース様からは、了承を取りつけることがかないました。もしもプラティカ様のご迷惑でなければ――」
プラティカは、猫のような俊敏さでニコラの手をつかみ取った。
その勢いに、仏頂面であったニコラは「ひゃうっ」と可愛らしい悲鳴をあげる。
「ありがとうございます。ニコラ、助力、願えるのなら、とても心強いです」
「わ、わたしなどはむしろ足を引っ張るぐらいでしょうが、ひとりぐらいは気心の知れた人間がいたほうが、心の休まることもあるかと思って……」
「心、休まります。そして、技量も、申し分ありません。深く、感謝しています」
「わ、わかりましたから、お手をお放しくださいませんか? これは、あまりに大仰です」
「大仰、ありません。深く、感謝しています」
無表情なれども、プラティカの所作には熱情があふれかえっている。結果、ニコラは顔を赤くしながら目を白黒とさせていた。
「な、な、なんだかみなさん、大変そうですね。トゥ、トゥール=ディンやリミ=ルウなども、けっきょく名指しで呼びつけられてしまいましたし」
と、隣の屋台で働いていたマルフィラ=ナハムが、こっそりそのように呼びかけてきた。今日の朝方に、こちらにもジェノス城の使者からそんな言葉がもたらされたのだ。しかもトゥール=ディンとリミ=ルウに対しては、俺とは別に試食会で菓子を準備するようにと言い渡されてしまったのだった。
「うん。さすがにマルフィラ=ナハムの評判までは、王家の方々に届いてなかったみたいだね。そうでなかったら、きっとマルフィラ=ナハムも名指しで呼びつけられてたんだろうと思うよ」
「ええ? そ、そ、そんなことはないように思うのですが……」
「いや。それぐらい、あのお人たちは美味なる料理に関心が強いみたいなんだよ」
しかし、ロブロスたちがジェノスに滞在していた頃、マルフィラ=ナハムのオリジナル料理はまだ完成されていなかった。彼女の料理はアルヴァッハやヴァルカスたちをもうならせていたのだから、そんな評判が耳に入ればあの父娘も黙ってはいないように思われた。
(だけどまあ……今のところは、平和の範疇だよな)
宿場町の宿屋界隈には激震が走ってしまっているものの、それも期待半分不安半分といったところであろう。ダカルマス殿下としては宿場町の人々にも新たな食材の魅力を知ってもらいたいという思いであるのだから、こちらとしては喜ばしい話であるはずなのだ。
(問題は、試食会を終えてからか。リフレイアが言ってたみたいに、森辺の祝宴に招待することになったりするのかなあ。……まさか、ファの家に押しかけてきたりはしないよなあ)
俺がそんな風に考え込んでいると、ルド=ルウがまた「ん?」と声をあげた。
「誰かと思ったら、あいつらか。今日は客人の多い日だな」
ニコラはいくつかの料理を買いつけて、プラティカとともに青空食堂へと立ち去った。それと入れ替わりで、新たな人影が屋台の裏に回り込んできたのだ。
今度はフードつきマントを纏った、大小ふたつの人影である。襟巻きで口もとまで隠しているその姿は、俺にもすでにお馴染みであった。
「どうも、お疲れ様です。昨日の今日で、わざわざ宿場町まで出向いてくださったのですか?」
「ええ。森辺の方々も、色々と心労がつのっているのではないかと思いましたので」
美しいチェロの音色めいた声が、襟巻きごしに伝えられてくる。フードの陰にヘーゼル・アイをきらめかせる、それは王都の外交官フェルメスであった。
「それに昨日は王家の方々の手前、なかなかアスタと語らう機会も得られませんでした。半分はその心残りを晴らすためですので、どうぞお気遣いなく」
「はあ、それは恐縮です。……でも、王家の方々のお相手はよろしいのですか? フェルメスとしては、やはり入念にお相手をする必要があるのでしょう?」
「シッ。どうか名前を呼ぶことはお控えください。あちらに、使節団に連なる方々がおられますので」
「え?」と俺は視線を巡らせたが、何も気になる存在は発見できなかった。
ただ、街道の端で立ち話をしながら軽食を食している南の民が、2名ほどいる。ごく簡素な身なりをした、壮年の男性たちだ。
「あの2名は、使節団を護衛する兵士の方々です。昨日、ジェノス城でお見かけしました」
「そうなのですか……俺たちの動向を見張っているのでしょうか?」
「おそらくは、料理の出来栄えと屋台の繁盛具合を確認するように申しつけられたのでしょう。本来であればご自身で確かめたいところでしょうが、さすがに滞在3日目では時期尚早であると考えたのやもしれませんね」
そう言って、フェルメスはくすくすと忍び笑いをもらした。
「すでに聞き及んでいるやもしれませんが、あの方々はとりわけアスタに関心を寄せているようです。もとより市井の料理人を屋敷に招くようなお人柄であるため、恵まれぬ境遇で力量を身につけた人間というものに関心が高いのでしょうね」
「恵まれぬ環境ですか……俺は十分に恵まれているように思うのですが。使える食材だって、城下町と変わりはありませんしね」
「貴族や王族の人間にとっては、木造りの家に住まっているというだけで、十分に恵まれぬ環境ととらえられてしまうものなのですよ。使える食材に差はなくとも、調理の器具や設備には大きな差があるのでしょうしね」
そうしてフェルメスは、不可思議な色合いにきらめく瞳で俺を見つめてきた。
「ですが、アスタの特殊な身の上には、とりたてて関心もないようです。やはりジャガルの方々は、シムで生まれた《星無き民》という概念を忌避しておられるようですね。僕としても、喜ばしく思います」
「はあ。喜ばしいのですか?」
「ええ。《星無き民》に執着する人間など、僕ひとりで十分です。アスタだって、これ以上は厄介者に近づかれたくないでしょう?」
そんな言葉を吐くときは、どこか甘えるような口調になるフェルメスである。
どちらかというと、フェルメスのそういった気質のほうが厄介なのではないだろうか。
「べつにフェルメスを厄介者だなんて風には思っていませんけれども……でもそれなら、あの方々はあくまで腕のいい料理人にご執心ということですね?」
「ええ。なおかつヴァルカスとダイアはジェノス流の複雑な味付けでありますし、城下町という恵まれた環境に身を置いています。あの方々は、それよりもアスタやボズルに関心をかきたてられるのでしょうね。……ああ、あとはプラティカですか。彼女のゲルド料理というものも、あの方々は心待ちにされているようです。それに《黒の風切り羽》のククルエルという御方も、試食会に招待されることになりましたよ」
「ええ? どうして、ククルエルが?」
「その御方はゲルドではなくジギの生まれであるようですが、東の民であることに変わりはありません。東の民に南の王都の食材は美味だと感じられるのか、その意見を聞いてみたいという仰せでした」
さすがにククルエルと使節団の間にご縁が生じる隙はないだろうと考えていたのだが――そんな俺の常識論など、ダカルマス殿下の奔放さの前には何の力も持ち得ないようであった。
「それでも東の民が招かれるなんて、驚きですね。南の王都の、しかも王族という身分にあられる方々なら、もっと東の民を忌避するものかと思っていました」
「ジギもゲルドと同様に、南と東の争乱には加担していません。やはり南の方々が深甚な恨みを抱いているのは、ラオリムの一族と――あとは、ドゥラの海賊のみなのでしょう。ドゥラも争乱には加担していないのですが、無法者の海賊たちが時おりジャガルの船を襲うのだと聞き及んでいます」
ドゥラというのは海辺の領地であり、俺たちはマロマロのチット漬けやペルスラの油漬けなどの恩恵にあずかっている。が、遠き海ではそのように物騒な話が渦巻いているわけであった。
「とにかくあの方々は美味なる料理に執念を燃やすのと同時に、王都の食材に対する誇りが尋常でないようです。心底から、4日後の試食会を楽しみにしておられるようですよ」
「そうですか。あまりに粗末な料理を出してしまったら、さすがに不興を買ってしまいそうですね」
「アスタに限って、その心配はないでしょう。……昨日の食材に関しても、また故郷で似た食材を扱っていたのではないですか?」
と――フェルメスの瞳が、ゆらりと妖しくきらめいた。
しかし、俺はもうそれで魂を吸い込まれるような心地を味わわされたりはしない。《ギャムレイの一座》のナチャラによる心理療法のおかげである。
「フェルメス、目の色が変わっておられますよ。やっぱり俺の故郷の話がからむと、好奇心をかきたてられてしまうようですね」
「これは失礼いたしました。でも、僕が魅了されているのはアスタの故郷ではなく、アスタご自身の存在ですよ」
そう言って、フェルメスは襟巻きの下で微笑んだようだった。
「ですが、こんな話ばかりをしていたら、またアイ=ファに嫌われてしまいそうですね。……僕は、アイ=ファを筆頭とする森辺の方々の心労をやわらげたく思って出向いてきたのです。あの方々が深刻な騒動を巻き起こす危険はきわめて少ないように思いますので、どうかご安心ください。あの方々は……本当に、心底から、美味なる料理というものを愛しておられるだけのようです」
「そうですか。……それで、腕のいい料理人を我が物としよう、なんていう考えに至るお人たちでもないのですよね?」
「はい。あの方々は、自国に強い誇りを持っておられるのです。西に腕のいい料理人があるならば、南の料理人はその上を目指さなくてはならない、というお考えであるようですね」
そこでフェルメスは、くすりと悪戯な精霊のように笑った。
「ですからジェノスに滞在している期間で、アスタたちから可能な限りの技術を学ぼうとするでしょう。それにあたって、色々とアスタの手間は増えるかもしれませんが……たぶん気分を害するのは、アイ=ファだけなのではないでしょうか?」
「そのような意地悪を言われると、俺としても楽しくはないのですが」
「意地悪ではありません。アイ=ファはそれだけ、アスタの身を思いやっているということです。アスタの苦労がつのるというだけで、アイ=ファは心を痛めてしまうのでしょう? それだけ強い気持ちでひとりの人間を愛することができるというのは、素晴らしいことだと思います」
やはり、弁舌ではフェルメスにかないそうもない。それでも俺は羞恥心をこらえながら、なんとか反論してみせた。
「きっとフェルメスにだって、いつかそういうお相手が現れますよ。そうしたら、俺に対する興味なんてどこかに飛んでいってしまうのではないでしょうかね」
「探究心をなくした僕などには、一片の価値もなさそうですね。何より僕自身が、そんな自分を憎悪してしまいそうです」
そんな風に言ってから、フェルメスは楽しそうに目を細めた。
「今のは、皮肉の応酬ということになるのでしょうか? アスタと本音で語らえているようで、とても心地好いです」
「それでしたら、俺も幸いです」
俺のほうは、どっと疲れてしまった。客足はずいぶんまばらになっていたものの、俺は働きながらフェルメスのお相手をしているのである。
「お忙しい中、失礼いたしました。僕もそろそろ城下町に戻ろうかと思います。……何か新しい動きでもあれば、またこっそりお伝えいたしますよ」
「ありがとうございます。帰り道もお気をつけて」
そうしてフェルメスたちが立ち去ると、遠からぬ場所で聞き耳をたてていたルド=ルウが「ふーん」と声をあげた。
「なんか余計な話が長かったみたいだけど、あいつはあいつなりにアスタのことを気づかってたみたいだなー。ちっとは絆を深められたんじゃねーのか?」
「うん、まあ、本音で語らえるようにはなったしね。出会った頃に比べれば、格段の進歩だと思うよ」
「リフレイアも、アスタのことをずいぶん気づかってたんだろ? あいつだって、最初は敵だったのにな」
そんな風に語るルド=ルウは、屈託のない笑顔であった。
「こんだけ大勢の人間がアスタのことを気づかってるんだから、心配はいらねーだろ。アイ=ファにも、そう言っとけよ。アイ=ファはアスタの話になると、すぐに目の色が変わっちまうからなー。見てるこっちは、アイ=ファのほうが心配になっちまうんだよ」
「うん。俺はアイ=ファを気づかってくれるルド=ルウのことも、ありがたく思ってるよ」
「うっせーぞ」と、ルド=ルウは俺を蹴っ飛ばすふりをした。
ともあれ、フェルメスのおかげでまた王家の人々への理解が深まったようである。あれだけ知恵の回るフェルメスが心配無用と言いきってくれるのは、実に頼もしい話であった。
(でも……ファの家に押しかけられるぐらいの覚悟は固めておいたほうがいいのかもな)
そんな思いを胸に、俺はその後も屋台の仕事に取り組むことになった。
◇
屋台の商売を終えたならば、森辺の集落で勉強会だ。
もちろん議題は、4日後の試食会に備えた新食材の取り扱いである。本来であればファの家で近在の女衆とともに勉強会を行う日取りであったが、試食会にはリミ=ルウも招かれてしまったので、本日もルウ家で新食材の研究に取り組むことと相成った。
そんな中、もっともあわあわしていたのは、トゥール=ディンである。
トゥール=ディンもまた、こんな短期間で新たな食材を使った菓子を供するようにと言いつけられてしまったのだ。それは責任の重圧もひとかたならぬものであろう。
「だけどまあ、短い期間でかなう限りの結果を見せるのが趣旨だって話だからね。何も気負わず、これまで作ってきた菓子に新しい食材を盛り込めれば、それで十分なんじゃないのかな」
「うんうん! 一緒にがんばろー!」
リミ=ルウのほうは、臆するところなく元気いっぱいだ。そういえばリミ=ルウは、昼の軽食でロブロスたちに料理と菓子を供するという試練を乗り越えた経験を持っているのだった。
「あれもいきなりの申し出だったし、しかも手伝ったのはジョウ=ランひとりだったもんね。リミ=ルウは、本当に大したものだよ」
「えへへ。でも、作ったのはくりーむしちゅーとちゃっちもちだったからねー。今回のほうが、きっと大変だよ! リミたちはどうしたらいいのかなあ?」
「まずは、マトラとリッケのどちらを使うかだね。リッケのほうが、馴染みのある菓子に転用はききそうだけど……マトラでも面白い使い道がありそうだし、ノ・ギーゴをトライプの代用として使ってみるってのも有効なんじゃないのかな」
俺としては、自分の持つささやかな知識で幼きかまど番たちにアイディアを託するのみである。いったん道筋さえ見出せば、持ち前のセンスでたちまち素晴らしい菓子に仕立てあげてしまう両名であるのだ。
なおかつ、俺は俺で新たな料理を考案しなければならない。
が、実のところ、それほど大きく悩むことはなかった。青乾酪を除く食材は、まったく使い勝手も悪くないのだ。俺としては、自分の知る食材との差異を考慮して、いかに微調整を施すかという一点に注力するだけで済む話であった。
「これらの食材は、早く屋台でも使ってみたいものだね。このマ・ティノなんかは、『ギバ・バーガー』や『ギバの香味焼き』にもうってつけだと思うよ」
「やはり、ティノの代わりに使うということですよね? でも、ティノとマ・ティノではずいぶん食感も異なるようですが、それほど速やかに転用できるものなのでしょうか?」
言うまでもなく、レイナ=ルウは意欲に燃えさかっていた。試食会など関係なく、新たな食材の登場に逸っているのだ。
また、シーラ=ルウの退陣とともに、屋台の商売の献立に関してはレイナ=ルウがひとりで責任を担っていくこととなる。もちろんマイムやリミ=ルウなども大きな支えになるだろうが、それでも実直なレイナ=ルウであれば取り仕切り役という肩書きに大きな責任を抱いているはずであった。
「ティノは固めの食感だから千切りにしてたけど、マ・ティノはやわらかいから切り方を変えるべきだろうね。たぶん適当な大きさにちぎるだけで、『ギバ・バーガー』なんかには十分だと思うよ」
「なるほど。ノ・ギーゴをもつなべなどに転用するのは、やっぱり難しいでしょうか?」
「そうだねえ。あの甘みがミソやタウ油の汁物に調和するかどうか……試してみないと確かなことは言えないけど、チャッチやマ・ギーゴのほうが無難な感じはするよね」
「そうですね。トライプももつなべにはあまり調和しなかったので、ノ・ギーゴを使うならばそれに相応しい味付けを考えるべきなのかもしれません」
そんな風に言ってから、レイナ=ルウはわずかに頬を赤らめた。
「あ、今はそれより試食会に備えるべきでしたね。余計な話でお時間を取らせてしまって、申し訳ありません」
「別にかまわないさ。こういう話から、何か思わぬ考えがひらめくかもしれないしね」
木箱の食材を作業台の上に並べながら、俺はそのように答えてみせた。
「それにきっと、いずれはレイナ=ルウも名指しで何かを申しつけられるだろうしね。まあ、レイナ=ルウなら何の心配もいらないだろうけどさ」
「とんでもありません。……でも、わたしなどに声をかけられることがありえるのでしょうか?」
「十分にありえると思うよ。とにかく向こうは、腕の立つ料理人にご執心って話だからさ」
レイナ=ルウはすでに、個人でサトゥラス伯爵家からの依頼を受けるような立場であるのだ。そういった逸話が王家の人々の耳に入れば、すぐさまリストアップされてしまいそうなところであった。
「ただ今回の食材に関しては、俺もちょっと心もとない部分があってさ。試食会に関しては、なんの心配もないんだけど……ゆくゆくは、レイナ=ルウたちを頼らせてもらいたいかなあ」
「ええ? そ、それはどういうことでしょう? アスタがそのような弱音を吐くことなど、初めてではありませんか?」
「うん。俺はこれまで、故郷でつちかった知識を武器にしてきたけどさ。今回は、逆にそういった知識が足かせになっちゃいそうなんだよ」
このたびジェノスにもたらされた目新しい食材は、8種となる。
サツマイモに似たノ・ギーゴに、レタスに似たマ・ティノ。
干し柿に似たマトラに、レーズンに似たリッケ。
ワサビに似たボナの根に、ピーナッツオイルに似たラマンパ油。
ツナフレークに似たジョラの油煮漬けに、ゴルゴンゾーラチーズに似た青乾酪。
以上の品目となる。
ひとつひとつの品は、いずれも素晴らしいものであろう。青乾酪ばかりは少々てこずりそうだが、その他の食材は使い道に困ることもないように思う。
ただ、これで目新しい料理をどっさり準備できるかというと――それは、はなはだ心もとないように思えてしまうのだった。
「たとえばボナの根なんて、俺にとってはものすごくありがたい食材なんだけどね。いざ料理に使おうと思うと、すごく限られた使い道しか思いつかないんだ。ノ・ギーゴもマ・ティノもジョラの油煮漬けも、そんな感じかな。だから、そういう既成概念にとらわれないレイナ=ルウたちの力をお借りしたいんだよ」
「きせいがいねん……というのは、よくわかりませんけれど……アスタの故郷では、それらの食材もあまり幅広く使われていなかったということなのでしょうか?」
「俺の知らないところでは、大いに使われていたかもしれないけどね。とにかく俺はゲルドの食材のときほど、手持ちの知識がないんだよ」
そう言って、俺は心配そうな顔をするレイナ=ルウに笑いかけてみせた。
「それで俺個人が王家の方々にガッカリされるのは、まったくかまわないんだけどさ。それでも俺たちは、これらの食材をジェノスで普及させられるように尽力してほしいって願われてるわけだから……俺が不甲斐ない分は、レイナ=ルウたちに頑張ってほしいわけだよ」
「ア、アスタが不甲斐ないなどとは、これっぽっちも思いませんが……でも、そうですね。わたしたちは、王家の者たちに賞賛されたくて尽力しているわけではないですものね」
「うん。森辺の同胞や宿場町の人たちに喜ばれるような料理を、作りあげたいんだ。俺も俺で発想を広げる努力をするつもりだから、レイナ=ルウたちもどうかよろしくね」
「わかりました。アスタがそのように頼ってくださることを、心より誇らしく思います」
そうしてレイナ=ルウは、輝くような笑みを広げてくれた。
すると、真剣な面持ちでこれらの会話を聞いていたトゥール=ディンが、俺のTシャツの袖をきゅっとつかんでくる。
「わ、わたしはいつもアスタを頼ってばかりなのに、さきほどは弱気をさらしてしまって申し訳ありませんでした。わたしも何とかお力になれるように頑張ります」
「トゥール=ディンは、いつも俺を支えてくれてるじゃないか。それに、俺がちょっと手ほどきしただけで、すぐにそれを上回る発想で素晴らしい菓子を作りあげてたしね」
「と、とんでもありません」と、トゥール=ディンは顔を赤くしてうつむいてしまう。まだその小さな手が俺の袖をつかんでいるのが、昨日のコタ=ルウを連想させて、俺を温かい気持ちにしてくれた。
「まずは、俺がありったけの知識をお披露目するからね。みんなもどんどん、自由に発想を広げてほしい。……だからまあ、いつも通りと言えばいつも通りというわけだよ。気負わずに、いつも通り頑張っていこうね」
そんな言葉で、俺は打ち合わせの場を締めくくることにした。
レイナ=ルウたちは、いっそうの意欲をたたえて俺のことを取り囲んでいる。トゥール=ディンにユン=スドラ、マルフィラ=ナハムにレイ=マトゥア、リミ=ルウにララ=ルウ、ミケルにマイム――これ以上ないぐらい、心強いメンバーだ。
レイナ=ルウが言っていた通り、俺たちは王家の方々のために頑張っているわけではない。美味なる料理を作りあげることが同胞の喜びやジェノスの発展に繋がるのだと信じて、力を尽くしているのである。4日後に控えた試食会も、その一環であることに違いはなかった。
(そうやって俺たちが頑張ることで、王家の人たちにも喜んでもらえるなら……まあ、喜びを分かち合ってるってことになるんじゃないのかな)
俺はそんな心持ちで、試食会に対するモチベーションを高めることができた。




