南の使節団の再来⑥~食事会を終えて~
2021.4/3 更新分 1/1
「なんというか……王子殿下もそのご息女も、きわめて個性的な方々でありましたね」
食事会を終えたのち、俺たちは貴賓館の一室でくつろいでいた。
ヴァルカスやダイアたちは、すでに帰路についている。俺たちはリフレイアからお茶の続きをと願われていたため、この場で待機しているのだった。
「きっと悪人ではないのでしょうし、言葉の内容もそれほど的外れではないように思うのですけれども……ただ、周囲の方々は大変そうですね」
「そうだな」と答えるダリ=サウティは、すでに森辺の装束に身をあらためている。アイ=ファは隣室にて、シェイラの手伝いでお着替えのさなかであった。
「俺もべつだん、あの両名から悪人の気配は感じなかった。どちらかというと……貴族の流儀から外れているために、マルスタインらを困惑させている様子だったな」
「はい。エウリフィアなんかは、気が合うのかもしれません。ポルアースあたりは……もっと気心が知れれば、絆を深められるかもしれませんね」
俺がそんな風に答えたとき、アイ=ファが隣室から戻ってきた。
シェイラは入室せずに、主人のもとに戻っていく。貴き方々は、まだ食堂で食後のお茶を楽しんでいるはずであるのだ。
「アイ=ファも、お疲れ様。王家の方々の印象は、どうだった?」
「……私は、いまだ判じかねている。そうまで忌避する理由はないように思うが……やはりアスタは、多大な苦労をかけられてしまっているしな」
アイ=ファはぶすっとした面持ちで、備えつけの椅子に腰を下ろした。
「あの娘などは、どこかディアルに似ている部分がある。私がディアルと確かな絆を結ぶには長きの時間がかかったので、あやつとは絆を深める猶予もなかろう」
「うん。ディアルがジェノスにいたら、あの姫様とも仲良くなれたのかな」
「どうだかな。似たもの同士で反発し合う可能性も否めまい」
それは想像すると、なかなかに剣呑な構図であった。
しかしまあ、ディアルは今ごろ故郷でくつろいでいるさなかだ。使節団がどれだけ長逗留しようとも、さすがにディアルが戻ってくる青の月まで居座ることはないだろう。
「まあとにかく、今は5日後の試食会だな。あんまり不出来な結果にならないように、力を尽くすことにするよ」
「そちらは、心配していない。……他の者たちが苦痛の涙を流している中、お前はひとりで満足そうに微笑んでいたことだしな」
「あはは。やっぱりアイ=ファには気づかれてたか。うん、ボナの根はそこまで幅広く使える食材ではないだろうけど、他では替えのきかない味わいだからな。早く個人的に買いつけさせてもらいたいもんだよ」
そうして俺たちが四半刻ばかりも語らっていると、ようやく扉がノックされた。
が――それに応じて扉を開いたアイ=ファは、「うむ?」とうろんげな声をあげる。
「あなたであったか。我々に、何かご用事であろうか?」
「うむ。とりあえず、入室の許しを願いたい」
重々しい声音とともに、ひとりの人物が部屋に踏み入ってくる。
なんとそれは、使節団の団長たるロブロスであった。
「ロブロスか。いったいどうされたのだ?」
ダリ=サウティも立ち上がりつつ、けげんそうにロブロスを出迎えた。ロブロスとてかなりの地位にある貴族であるのに、このたびは護衛役の兵士も引き連れていなかったのだ。
「其方たちには、ひとこと告げておきたかった。……この先もデルシェア姫が何かと手数をかけるやもしれんが、どうか容赦を願いたい」
おそろしいほどのしかめっ面で、ロブロスはそのように言いたてた。
それに鋭く反応したのは、やはりアイ=ファである。
「手数とは? あれなる姫君は、何かよからぬたくらみでも抱いているのであろうか?」
「いや。ただデルシェア姫は、美味なる料理を作りあげることに尋常ならぬ熱意を抱いておられる。とりわけ、森辺の料理人というものに強い関心を抱いてしまっているし……その責は吾輩やフォルタにあるのであろうから、ひとこと忠告しておきたかったのだ」
「ふむ。あなたがたがアスタたちの技量を褒めそやしたがために、あの姫君の関心をかきたててしまったということか」
「吾輩どもは、節度をもって職務にあたっていた。決して公の場で、むやみに其方たちの技量を褒めそやしたわけではないのだ。そのような真似に及べば、ダカルマス殿下やデルシェア姫がジェノスへの同行を願いかねないと案じておったからな」
そう言って、ロブロスはいっそう苦々しげな顔になってしまう。
「しかし、デルシェア姫は……吾輩の伴侶や娘などから、そういった話を聞き出してしまったものと思われる。フォルタに至っては、酒場で部下の者たちに語らっていた言葉を盗み聞きされたとしか思えないなどと申しておったな。……其方たちも、すでに姫君の本性を垣間見ているのであろう?」
「本性とは、あのいささか荒っぽい立ち居振る舞いのことであろうか?」
「うむ……さきほどの食事会でも語られていた通り、ダカルマス殿下は古きの時代から市井の料理人を屋敷に集めておられた。そういった者たちと交流を重ねることで、姫君もいささか奔放な立ち居振る舞いを覚えてしまわれたのであろう」
ロブロスは、こらえかねたように溜息をついた。
「その奔放さが、また其方たちに何か手数をかけさせるやもしれん。無論、デルシェア姫に悪意はないし、かなう限りはその要望に応えてもらいたく思うが……いらぬ手数をかけさせてしまうことは、事前に詫びさせてもらいたく思う」
「何もあなたが詫びる必要はない。もしもデルシェア姫が我々に手数をかけるならば、それは本人の責任であろう」
そのように答えたのは、アイ=ファではなくダリ=サウティであった。
その顔には、普段通りの穏やかな微笑がたたえられている。
「それに、よほどの無茶な申し出でない限り、森辺のかまど番らがそれを迷惑に思うことはなかろう。ただしこちらも王族などというものと相対するのは初めてのこととなるので、何か知らず内に非礼を働いてしまうやもしれん。その際には、あなたに力添えを願えるであろうか?」
「無論。西と南の安息のために、吾輩も力を尽くす所存である」
そうしてロブロスは、最後に俺の顔をぎろりとねめつけてきた。
「……さきほどの食事会においても、姫君は其方の料理にもっとも感服されたようだ。そう考えれば、吾輩どもの落ち度がなくともけっきょくはデルシェア姫の関心をかきたてていたのやもしれんな」
「そうですか。色々と複雑な面はありますけれども……自分の料理を気に入っていただけたことは、光栄に思います」
俺としては、そんな風に答えるしかなかった。
ロブロスは「では」と言い捨てて、さっさと部屋を出ていってしまう。その背中を見送ってから、ダリ=サウティは俺たちに微笑みかけてきた。
「わざわざ人の目をはばかってまで、俺たちのもとを訪ねてくれたのであろうな。なんともありがたい限りではないか」
「そうですね。ロブロスこそ、信用に価する御方だと思います」
それに彼は、伴侶や娘さんの前で俺たちのことを褒めそやしてくれていたのだろう。それを想像すると、俺は何だか胸が温かくなってしまった。
「ともあれ、王子や姫君といったものたちがアスタに働きかけるには、間にジェノスの貴族や森辺の族長をはさむことになる。ファの家だけに苦労を背負わせはしないと約束するので案ずるなよ、アイ=ファ」
「うむ。……族長ダリ=サウティの気づかいをありがたく思う」
ロブロスとの密会を経て、アイ=ファはますます難しい顔になってしまっていた。
そんな愛しき我が家長殿に、俺は「大丈夫だよ」と笑いかけてみせる。
「アルヴァッハたちとだって、うまくやれたじゃないか。あのお人らが美味なる食事に夢中だっていうんなら、きっときちんと絆を深めることができるさ」
「うむ。……お前の身には決して危険など近づけぬので、そちらは心置きなく仕事に励むがいい」
アイ=ファがそのように応じると、ダリ=サウティが小さく笑い声をあげた。
「アイ=ファとアスタは、おたがいのことを心配してばかりだな。家族とは、かくありたいものだ」
アイ=ファはわずかに頬を染めながら、ダリ=サウティをうらめしげにねめつけた。アイ=ファがダリ=サウティをにらみつけるのは、なかなか珍しいことだ。
俺は俺でひそかに羞恥心を噛みしめていると、再び扉がノックされた。
「お待たせいたしました……他の方々はジェノス城に戻られましたので、またしばしお時間を頂戴できるでしょうか……?」
今度こそ、リフレイアの使いであるシフォン=チェルだ。
俺たちは、彼女の案内で再び二階の一室に招かれることになった。
「お疲れ様。思わぬところでアスタの料理を口にすることができて、わたしは幸運だったわ。でもやっぱり、アスタたちはまた面倒な仕事を任されてしまったわね」
俺たちが着席するなり、リフレイアはそのように言いたてた。ずっとお行儀よく取りすましていたその顔にも、また安らかな喜びの表情がにじんでいる。
「それにあのデルシェア姫というのは、ずいぶんアスタにご執心のようね。あなたがたが退室した後も、あの姫君はずっとアスタのことばかり語らっていたわよ」
「やはり、そうなのか」と、アイ=ファが身を乗り出した。
その真剣きわまりない面持ちに、リフレイアはくすりと笑う。
「ごめんなさい。アイ=ファを心配させるつもりではなかったのだけれど……でも、そういう話は知らないよりも知っておいたほうがいいでしょう?」
「無論だ。もっと詳しく話を聞かせてもらえれば、ありがたく思う」
「べつに詳しく話すほどの内容ではないのだけれど……やっぱり城下町の民ですらないアスタがこれほどの技量を持っていることに、いたく感心している様子だったわね。あとは、トゥール=ディンやリミ=ルウの菓子にもご執心のようよ。試食会とやらでは、まず間違いなく彼女たちも招集されるでしょうね」
「他には? 何か厄介そうな話を持ち出してきそうな様子は見られなかっただろうか?」
「どうかしら。まああのおふたりだったら、森辺の祝宴に招待するべしなんて言い出しかねないかもしれないわね。森辺の祝宴の様相にも、興味津々だったみたいだし――」
そこまで言いかけて、リフレアイは何かをいぶかるように眉をひそめた。
「どうしたのだ?」と、アイ=ファはいっそう身を乗り出す。いい加減に、その引き締まったおしりが椅子から落ちてしまいそうである。
「いえ。あのお人たちは最初から、ジェノスの貴族が森辺の祝宴に招かれていたこともご存じであったのよね。ジェノス侯やポルアースなんかが、そんな話をうかうかともらすわけはないように思うのだけれど……」
「ああ。それはもしかしたら、ロブロスのほうからもれたのかもしれないね。ロブロスだったら、ゲルドの貴人とジェノスの貴族が森辺の祝宴に招かれたことも知ってるだろうからさ」
そしてデルシェア姫は、そういった情報を収集する手腕も備え持っているようなのだ。
リフレイアは「なるほどね」と肩をすくめた。
「そういうことなら、納得がいくわ。……とにかくまあ、デルシェア姫はヴァルカスやダイアよりも、森辺の料理人にご執心の様子よ。それでもわたしのようにアスタをさらったりはしないでしょうから、そんなに心配する必要はないのじゃないかしらね」
「……本当に、そこまでの用心は不要なのであろうか?」
「あら、アイ=ファはそこまで心配していたの? 大丈夫よ。貴き身分にある人間が、人をさらうだなんて……そんな馬鹿な真似をするのは、自分のことも他者のことも顧みない大馬鹿の人間だけなのだから」
そう言って、リフレイアはとても大人びた微笑をたたえた。
「かつてのわたしや父様や忌まわしい叔父上みたいに魂の腐った人間なんて、そうそういないのよ。最初に出会った貴族がこんな悪辣な人間ばかりであったから、アイ=ファはそのように心配してしまうのでしょうね」
「何もリフレイアが、そうまで自分を卑下することはあるまい?」
ダリ=サウティが穏やかな声で口をはさむと、リフレイアは「いいのよ」とやわらかく目を細める。
「わたしや父様が悪辣であったのは、本当のことですもの。その毒気にあてられていた、サンジュラやムスルもね。……そんな中でも清純な心を残していられたのは、きっとシフォン=チェルただひとりなんだわ」
「いえ……わたくしはただ、ものを感じる心を失っていただけのことですので……」
シフォン=チェルもまた、優しげに微笑みながら主人の姿を見つめていた。
リフレイアはそちらにゆったりうなずきかけてから、俺たちのほうに向きなおる。
「わたしは森辺のお人らに迷惑をかけるばっかりで、まだ何の御恩も返せてはいないわ。また明日からはサンジュラに宿場町まで出向いてもらうつもりだから、何か困ったことがあったらいつでも声をかけてちょうだいね」
「……南の王家の者たちにからむ話でも、リフレイアを頼ることは許されるのであろうか?」
アイ=ファが引き締まった面持ちで問い返すと、リフレイアは「もちろんよ」とのびかけの髪をかきあげた。
「むしろその件があったから、このように申し出ているのよ。普段はべつだん、わたしを頼るような話なんてないでしょうしね。……きっとポルアースやメルフリードなんかは王家の方々のお相手をするので手一杯でしょうから、わたしのほうがお役に立てるかもしれないわよ」
「そのような事態に陥らないことを祈るばかりだが……リフレイアの親切には、深く感謝する」
そんな風に言ってから、アイ=ファはいくぶん眉を下げた。
「そして、こちらの心配事ばかり口にしてしまって、申し訳なく思っている。決してシフォン=チェルらのことを二の次にしているつもりはないのだが……」
「そんなのは、いいのよ。わたしがひとりではしゃいでるだけなんだから。……あなたは優しいわね、アイ=ファ」
人から褒めそやされることを苦手にしているアイ=ファであるが、このたびばかりは落ち着いた面持ちでリフレイアの言葉を聞いていた。それぐらい、リフレイアの言葉にはしみじみとした真情が込められていたのだ。
そうしてその後は一刻ばかりも、シフォン=チェルたちも交えて和やかな時間を送ることになったわけであった。
◇
俺たちが森辺に帰りついたのは、下りの二の刻の半ごろである。
ギルルの荷車がルウの集落に到着すると、そこでは大勢の狩人によって力比べの修練が繰り広げられていた。ルウの血族は、休息の期間の真っ只中であったのだ。
「よー、やっと戻ったのかよ。ずいぶん遅い帰りだったなー」
木陰でひと休みしていたルド=ルウが、いつもの笑顔で呼びかけてくる。いったいどれだけの修練に励んでいたのか、脱いだ上衣を枝にひっかけて、汗だくの上半身を人目にさらしていた。
「屋台の連中より遅くなるとは思わなかったぜ。なんか面倒な話でもあったのかー?」
「まったく面倒がなかったとは言えまいな。色々と入り組んでいるので、まずはドンダ=ルウに聞いてもらいたく思うが……ドンダ=ルウは、家であろうか?」
「いや。親父なら、あっちで棒引きの修練だな」
ルド=ルウの視線を目で追うと、なんとそこではドンダ=ルウとダン=ルティムの怪獣大決戦が行われていた。ずいぶん人数が多いと思ったら、眷族の男衆まで集まっていたのだ。
「おお、アイ=ファではないか! ようやく城下町から戻ったのか!」
と、別の方角からラウ=レイが駆け寄ってくる。その後ろには、シン=ルウとジーダも追従していた。
「今日はもう、狩人の仕事も休むのであろう? ならば、闘技の修練につきあってもらいたい!」
「いや、私はそのようなつもりでルウの集落に立ち寄ったわけではないのだが……」
「しかし明日からは、またサウティの連中と森に入るのであろう? ならば今日ぐらい、俺たちにつきあってくれてもいいではないか!」
駄々っ子のように言いたてるラウ=レイの背後では、シン=ルウとジーダもじっとアイ=ファのことを見つめている。そちらは何だか、聞き分けのいい猟犬がおねだりをしているような眼差しだ。アイ=ファはむしろ、そんなシン=ルウたちの様子に当惑したようだった。
「何なのだ? 祝宴でも、さんざん余興の力比べを行ったばかりではないか。あれからまだ幾日も経ってはおるまい?」
「しかし俺たちは、どうやってもディグド=ルウに勝てんのだ! ここ数日の修練でも、あやつに勝てたのはジザ=ルウとダン=ルティムとガズラン=ルティムのみだ! あやつよりも小さな人間がどのようにすれば勝てるのか、アイ=ファに手ほどきを願いたく思う!」
そうしてラウ=レイがわめきたてていると、また別の一団が迫り寄ってきた。今度はジィ=マァムとディム=ルティムを含む顔ぶれだ。
「アイ=ファ、戻ったのか。よければ、俺たちにも挑ませてもらいたい」
「闘技の力比べを終えたら、弓の腕も見せてはもらえないだろうか? アイ=ファは弓の腕も秀でているのであろう?」
アイ=ファは溜息をこらえつつ、ダリ=サウティを振り返った。
「私もドンダ=ルウと語らっておきたかったのだが……その役目は、ダリ=サウティに任せてもいいだろうか?」
「もとより、そのつもりであったからな。アイ=ファは存分に、修練に励むがいい」
本日、ヴェラの家長とドーンの長兄はフォウの狩り場で仕事に励んでいるため、アイ=ファとダリ=サウティは手空きなのである。アイ=ファはくびれた腰に手をやりながら、ラウ=レイを筆頭とする狩人たちをじろりと見回した。
「……闘技の力比べを望むならば、雨季の装束を準備せよ。どれだけ汗で汚そうとも、文句は言わせんぞ」
「ならば、俺の装束を持ってこよう。こちらの無理を聞いてもらい、ありがたく思っている」
そんな風に応じたのは、シン=ルウであった。確かにこの中でもっとも体格が近いのは、シン=ルウであろう。そしてその切れ長の目には、申し訳なさと同じぐらい喜びの光が宿されていた。
(アイ=ファは狩人としてもモテモテだなあ)
俺がそんな感慨を噛みしめていると、アイ=ファが横目でねめつけてきた。
「お前は、新しき食材の吟味であろうが? 女衆らも心配していようから、とっとと行ってやるがいい」
「うん、了解。それじゃあ、また後でな」
俺は愛しき家長に別れを告げて、ひとり本家のかまど小屋を目指すことにした。
修練のお邪魔にならないように、ギルルの手綱を引きながら広場の外周をてくてくと歩く。すると、同じ場所でランニングをしていたミダ=ルウが地響きをたてて追いついてきた。
「アスタ……帰りが……遅いから……心配……してたんだよ……?」
俺の隣で歩調をゆるめたミダ=ルウが、息もきれぎれに呼びかけてくる。ミダ=ルウはルド=ルウに劣らず汗だくで、着ているものもぐっしょり濡れそぼってしまっていた。
「やあ、ミダ=ルウ。心配してくれてありがとう。色々と予想外なことはあったけど、何も危ないことはなかったよ」
「うん……アスタが……無事で……よかったんだよ……?」
「すごい汗だね。ミダ=ルウは、闘技や棒引きじゃなくって走る修練を頑張ってたのかな?」
「うん……ミダはまだ……走るのが苦手だから……闘技よりも……こっちの修練のほうが大事だって……みんなに言われたんだよ……?」
そうしてミダ=ルウは頬肉をぷるぷると震わせてから、またギバのように突進し始めた。
走るのが苦手といっても、あくまで森辺の狩人としてはの話である。普通はあれだけの巨体であったら、ランニングをするだけで膝を痛めてしまいそうなところであった。
(休息の期間だっていうのに、みんなすごい頑張りようだな)
しかしここ数日でこのような修練のさまを見かけたのは、これが初めてのことだ。きっと家族と過ごす時間を大事にしながら、短期集中で修練に励んでいるのだろう。その熱意と節度には、頭の下がる思いであった。
そんなこんなで、ようやくかまど小屋である。
俺がその脇でギルルを荷車から解放していると、窓から覗き見をしたらしい女衆らが怒涛の勢いで飛び出してきた。
「アスタ! お帰りをお待ちしていました!」
「ずいぶん遅いお帰りでしたね! 何か危ういことでもあったのでしょうか?」
ルウの血族ばかりでなく、トゥール=ディンやユン=スドラたちも入り混じっている。今日はこの場で新しい食材のお披露目をする予定であったので、主要メンバーはみんなで待ちかまえていたのだ。
それにしても、誰も彼もが安堵と喜びの表情を浮かべてくれている。俺は自分がまぎれもなく森辺の同胞なのだという思いを再認識させられて、なんだか涙をこぼしてしまいそうだった。
「ありがとう。何も危ういことはなかったよ。南の王都の食材も、しっかり持ち帰ってきたからね」
「では、サウティの女衆らも呼んできますね。人数が多かったため、彼女たちは別の家で修練に励んでいたのです」
レイ=マトゥアが、朗らかな笑みを残して駆け去っていく。
他の女衆らは、笑顔で荷下ろしを手伝ってくれた。試食会を申しつけられた4名の料理人は、他よりも多量の食材を持ち帰ることが許されたのだ。
そうしてにこにこと木箱を運んでいたリミ=ルウが、「あれ?」と目を丸くした。
「どうしたの、コタ? ひとりでお外を歩いたら危ないよー?」
振り返ると、小さなコタ=ルウがとてとてとこちらに近づいてくるところであった。その後から、困ったように微笑むティト・ミン婆さんが追いかけてくる。どうやら保護者の手を振り切って、こちらに駆けだしてきたようだ。
そして――コタ=ルウは、俺の足もとに取りすがってきたのだった。
「アスタ、おかえり。……あぶないこと、なかった?」
こんな幼いコタ=ルウまでもが、俺の身を案じてくれていたのだ。
今度こそ涙をこぼしそうになってしまった俺はなんとかそれをこらえながら、膝を折ってコタ=ルウに笑いかけてみせた。
「危ないことはなかったよ。心配してくれてありがとうね、コタ=ルウ。……母さんの様子はどうかな?」
「うん。げんき。きのうも、いっぱいたべてた」
サティ・レイ=ルウの容態はようやく回復の傾向に向かいだしたのだと、俺もそのように聞いている。それを心から喜ぶように、コタ=ルウは口をほころばせた。
「おこのみやき、おいしいって。コタと、はんぶんこしたの。ルディもはやくたべられるといいねって」
「そっか。ルディ=ルウもコタ=ルウぐらい大きくなったら、一緒に食べられるもんね」
「うん」とうなずきながら、コタ=ルウはしっかり俺の胴衣の裾を握りしめている。
ティト・ミン婆さんは優しく微笑みながら、コタ=ルウの小さな頭をそっと撫でた。
「さ、アスタの元気な姿を見て、安心したろ? アスタはこれからお仕事だから、邪魔をしちゃいけないよ」
「うん……かえるとき、おはなしできる?」
「うん。仕事が終わったら、またお話しようね」
コタ=ルウははにかむような笑顔を残して、ティト・ミン婆さんとともに母屋へ戻っていった。
リミ=ルウは木箱を抱えたまま、「あはは」と笑う。
「コタもやっとアスタと仲良くなれたみたいだね! リミもしょっちゅう、アスタのこと聞かれてるしねー!」
「いや、これ以上俺の涙腺を刺激しないでおくれよ」
冗談めかして言いながら、俺もその場に立ち上がってみせた。
そうしてこそっと目もとをぬぐう姿をアイ=ファに見られなかったのは、幸いである。
そうして俺はさまざまな思いに心を満たされながら、かまど小屋に向かうことになったのだった。




