南の使節団の再来④~ささやかな試練~
2021.4/1 更新分 1/1
「まずは、味見をお願いいたします」
デルシェア姫の言葉に従って、まずは青黴の混入された青乾酪が届けられてきた。
料理人の過半数はなんとか感情を押し殺しながら、届けられた小皿を見下ろしている。デルシェア姫やその父君たるダカルマス殿下はにこにこと無邪気に笑っているばかりであるが、それがまた強烈なプレッシャーになってしまっているのだろう。
ここはブルーチーズを食した経験のある俺やボズルが先陣を切るべきかと思われたが――誰よりも早くその青乾酪を口にしたのは、ヴァルカスであった。
「なるほど、これは独特の風味です。ゲルドから買いつけたギャマの乾酪と同様に、使いこなすには長きの時間がかかるかと思われますが……他の食材には似たところのない風味でありますため、さまざまな活用法が期待できることでしょう」
「そう、ゲルドの乾酪というのも強烈な風味でしたね! ですがあちらは王都においても、数多くの人々に好まれていました。強烈な風味を有する食材というのは、最初の違和感を乗り越えるとそのまま強烈な魅力に転じるのでしょうね」
デルシェア姫は、あくまで屈託がない。その笑顔を横目に青乾酪をいただいた俺は、内心で「なるほど」とひとりごちることになった。
確かにこれは、ゴルゴンゾーラチーズに通ずる風味である。何か見知った存在にたとえようとすると、洗っていない雑巾だとか、使い古した靴下だとか、ロクでもないものばかり連想してしまうのであるが――きっとクセになる風味なのだろうなと理解することはできた。
それに、俺が知るゴルゴンゾーラチーズよりは遥かにまろやかな味わいであり、強い酸味の裏にミルキーな甘みが感じられた。それを好ましいと感じるか気色悪いと感じるかは、まあ人それぞれであろう。
「あの、これはやっぱり、カロンの乳で作られた乾酪なのでしょうか?」
俺の問いかけに、デルシェア姫は「はい」と笑顔でうなずいた。
「ジャガルにおいて乳が加工されるのは、カロンのみとなります。ギャマという獣の乳で青乾酪をこしらえたなら、さらに強烈な風味が得られそうなところですね」
俺はまた、ひとりで納得する。カロンの乳の乾酪というのは、もともと水牛の乳から作られるモッツァレラチーズを思わせるまろやかな味わいであるのだ。それで俺の知るゴルゴンゾーラチーズよりは、なめらかな味わいになっているということなのだろう。
「ああ、懐かしい味わいですな。ママリアの果実酒が恋しくなるところであります。……ただしやっぱり風味が強いので、料理に使うには入念な研究が必要になるところでありましょうな」
ボズルは笑顔で、そのように言いたてていた。
それ以外で笑顔を保っているのは、おそらくダイアひとりである。他の人々は何とか失礼のないようにと、泣きそうな顔で味見を果たしているようであった。
そんな人々を見回しながら、デルシェア姫とその父君は満面の笑みである。苦しみ悶える人々を眺めて楽しんでいるわけではなく、いずれ彼らにもこの食材の素晴らしさが理解できることだろう――と、寛大な気持ちで見守っているように思えた。
「それでは最後に、ボナの根となりますね」
デルシェア姫が、最後のクロッシュに手をかけた。
淡い水色をしたボナの根が、細かくすりおろされている。これはケルの根と同じように干されてはいないらしく、いかにも瑞々しい外見をしていた。
新たに準備された小皿には、ほんのひとつまみずつがのせられていく。数ある香草と同様に、少量でも強い風味を有しているのだろう。
ただし、香りのほうはさほどでもない。あるいは、青乾酪の影響でいささか嗅覚が鈍くなっているのだろうか。小皿におもいきり鼻を近づけてみても、わずかに鼻を刺すような刺激が得られたばかりであった。
果たして、それで多くの人々が油断してしまったのか――
俺がそれを口にする前から、あちこちから悲鳴まじりの声があがって、とんでもない騒ぎになってしまった。
「み、水! 水をこちらに!」
「痛い痛い痛い! わ、わたしにも、水を!」
「鼻が! 鼻がどうにかなってしまいそうです!」
俺はほとんど呆然となって、その場を見回すことになった。
おおよそはいい年齢をした料理人の人々が、比喩ではなく涙をこぼしながら悲鳴をあげている。また、それらの騒ぎの隙間から、ぼろぼろと泣きながらロイに取りすがっているシリィ=ロウの姿も垣間見えた。
(そんなに強烈な風味なのか)
香りや見た目の確認にじっくりと時間をかけていたメンバーは、先陣を切った人々の尊い犠牲によって、安全な道を辿ることができた。もともと豆粒ぐらいの大きさしか配られていなかったボナの根のすりおろしを、さらに小分けにしておそるおそる口に運ぶ。
瞬間――鮮烈な辛みが、口から鼻へと抜けていった。
青乾酪で鈍化していた俺の嗅覚が、果てしない懐かしさとともに蘇る。俺は苦痛とは異なる意味で、涙をこぼしそうになってしまった。
(これは……ワサビそっくりじゃないか!)
俺は残されていた分も口に運び、さらなる郷愁の思いを噛みしめることにした。
いかなる香草とも趣の異なる、鼻が痛くなるような辛み――それにこの清涼な風味も、ワサビにそっくりだ。俺はもう、その場で快哉をあげたくなるような心地であった。
「……アスタ様は、お気に召したのでしょうか?」
気づくと、デルシェア姫が笑顔で俺を見つめていた。
瞬間的に無防備な顔をさらしてしまっていたであろう俺は、若干の気恥ずかしさとともに「はい」と答えてみせる。
「これは、素晴らしい食材だと思います。自分の料理でも、ぜひ使わせていただきたいところですね」
「わたしも、同じ気持ちです。シムにもセルヴァにも、このような風味と辛みを持つ香草は他に存在しないように思います」
と、横からヴァルカスも声をあげてくる。
同じ喜びを分かち合うべくそちらを振り返った俺は、思わずぎょっとしてしまう。ヴァルカスはぼんやりとした面持ちのまま、ぽろぽろと涙をこぼしてしまっていたのだ。
「失礼。こちらの辛みは目や鼻をひどく刺激するようです。使用する際には、入念に分量を吟味する必要がありましょう」
「素敵ですわ。ボナの素晴らしさをご理解いただけて、心より嬉しく思います」
デルシェア姫は、輝くような笑顔で俺とヴァルカスを見比べていた。
そこに、野太い高笑いが響きわたる。笑っているのは、ここまでずっとコメントを差し控えていたダカルマス殿下であった。
「最初の味見でボナの素晴らしさを見抜くとは、やはりそちらのおふたりは評判通りの料理人であるようですな! 遠路はるばる、ジェノスまでおもむいてきた甲斐があったというものです!」
それは、びっくりするほどの胴間声であった。背丈などは160センチもなさそうな小兵であるのに、凄まじい声量だ。
「他の方々はボナの辛さにのたうち回っておるようですが、青乾酪と同様に、いずれはボナの素晴らしさをご理解いただけることでしょう! 期待しておりますぞ、マルスタイン殿!」
「ええ。ジャガルの新たな食材を使ってどのような料理が仕上げられるのか、わたしも今から胸が弾むばかりです」
マルスタインは持ち前の社交性を発揮して、ダカルマス殿下に応対している。ちなみに貴き人々は香草の味見まではしないので、涙を流さずに済んでいるのだ。
それにしても、気になるのはダカルマス殿下のお人柄であった。
(ダン=ルティムばりの豪快さだけど、言葉づかいも丁寧だし、まったく嫌な感じはしないな。確かにこれは、あけっぴろげで正直なお人なんだろう)
ただ、その横に並ぶロブロスやフォルタの表情が、いくぶん俺の心にひっかかっていた。ロブロスはずっと苦い面持ちであり、フォルタはずっと感情を押し殺している様子であるのだ。それは何だか、いかにも王家の人々の扱いに困っているような態度に見えてならなかった。
(ジャガルの上流社会だと、こういう豪快な人は珍しいのかな? 俺なんかは、むしろ親しみやすいぐらいだけど)
だけどまあ、俺はまだダカルマス殿下と直接口をきいたこともない立場であるのだ。また、たとえ親しみやすい相手でも、この御仁はこれまででもっとも身分の高い存在であるということを忘れてはならなかった。
「では、吟味の会はここまでですな。デルシェア姫、解説役をありがとうございました」
ポルアースがそのように宣言すると、デルシェア姫はまた貴婦人らしい仕草で一礼して、父親のもとに引き下がった。
「これまでの食材と同じように、研究で扱う分の代価はこちらで肩代わりさせていただくからね。ジェノスの城下町にこれらの食材の素晴らしさを普及できるように、尽力をお願いするよ」
食材はすでに別室に準備されているとのことで、料理人の人々はぞろぞろと厨を出ていこうとする。
俺もそれに続こうとしたが、案の定というべきか、途中で呼び止められることになった。
「ああ、さきほどデルシェア姫に名前を呼ばれた4名は、しばらくこちらに居残ってもらえるかな? ちょっと折り入って話があるのでね」
名前を呼ばれた4名とは、俺とヴァルカスとボズルとダイアのことだ。
ヴァルカスはロイたちに食材の受け取りを指示してから、こちらに歩を進めてきた。
他の料理人たちが退室すると、ポルアースは壁際に並んだアイ=ファとダリ=サウティに呼びかける。
「そちらのおふたりも、こちらにどうぞ。ダカルマス殿下が森辺の人々にご挨拶をしたいと仰っているのでね」
武官の姿をした両名も、それぞれ対照的な表情でこちらに近づいてくる。
それと相対するなり、王族の父娘は同時に声を張り上げた。
「うむ! 実に雄々しい姿ですな! 森辺の狩人が名うての剣士であるという評判も、これで得心することができましたぞ!」
「そちらの御方は、とても凛々しくていらっしゃるのね。青い瞳と金色の髪が、素敵だわ」
ダリ=サウティはゆったりと微笑みながら、アイ=ファは厳しく引き締まった面持ちで、それぞれ一礼する。
この場でも進行役を受け持つらしいポルアースが、王家の人々に両名を紹介した。
「こちらは森辺の三族長のひとり、ダリ=サウティ殿。こちらはアスタ殿のご家族であるファの家のアイ=ファ殿で……彼女はれっきとした女性なのですが、狩人という身分から武官の装束を纏ってもらっております」
「えっ! こちらの御方は、女性なのですか!?」
デルシェア姫は愕然とした様子で身をのけぞらせてから、さきほどよりも無邪気な笑みを浮かべた。
「こんなに美麗な面立ちをした殿方がおられるのかと、わたくしは勘違いしてしまっていたのですが……でも、女性なら女性でそんなに凛々しくていらっしゃることが、余計に得難く思えてしまいますわ。とても素敵です」
アイ=ファはやはり無言のまま、礼を返すばかりであった。
ポルアースは満足そうにうなずいてから、あらためて俺たちの姿を見回してくる。
「君たちに居残ってもらったのは、他でもない。急な話で申し訳ないのだけれども……これから4人で、僕たちの軽食をこしらえてもらいたいのだよ」
「軽食でございますか」と、ダイアが柔和な笑顔で応じた。
「貴き方々のお言葉とあれば、否やはございません。どのような軽食をお求めでございましょうか?」
「内容は、ゲルドの食材を使ったものでお願いするよ。ジャガルの王都の方々は、それを携えてお帰りになられるわけだからね。ゲルドの食材でどれだけ素晴らしい料理を作れるものか、君たちにその一端を披露してもらいたいのだよ」
俺は思わず、その場に居揃った面々を見回してしまった。
ジャガルの王族たるダカルマス殿下に、デルシェア姫。使節団のメンバーである、ロブロス、フォルタ、書記官。ジェノスの側からは、マルスタイン、メルフリード、エウリフィア、ポルアース、外務官、リフレイア、トルスト。そして、西の王都の外交官フェルメスで、総勢は13名だ。
すると、優美に微笑んだフェルメスが初めて発言した。
「僕のことは、人数に入れずともけっこうです。ただ、もしも獣肉を使わない献立であったなら、ひと口だけでも味わわせていただきたく思いますが……僕ひとりのために献立の内容を制限する必要はありません」
「うん。それでもけっこうな人数になってしまうけれど、あくまで軽食に過ぎないからね。5種もの料理があるならば、ひとり頭の分量はごくわずかで済むだろう?」
「5種?」と、ヴァルカスが小首を傾げた。
ポルアースは、「ああ」と微笑した。
「そうそう、肝心なことを言っていなかったね。このたびは、デルシェア姫も料理を準備してくださるのだよ。ゲルドではなく、南の王都の食材を主体にした料理だね」
デルシェア姫は、俺たちに向かってにっこりと微笑んだ。
「あとは君たちにも、おたがいの料理を味見してもらいたい。さっき下りの五の刻の半の鐘が鳴ったから、中天までは一刻半だね。ちょっと慌ただしいけれど、どうかお願いするよ」
「では、弟子たちを呼び戻すことも許されるのでしょうか?」
ヴァルカスの言葉に、ポルアースは初めて申し訳なさそうな顔をした。
「いや、今日のところはお弟子を使わずに料理を準備してほしいんだ。君が単身でどれだけの料理を準備できるか、それを示してもらえるかな?」
「承知いたしました。ボズルもまた、自身の料理を準備するということですね?」
「うん、そういうことだね」
ボズルはいくぶん眉を下げていたが、それでも異を唱えようとはしなかった。
というか、いずれの人々もこの唐突な申し出をごくあっさりと受け入れてしまっている。もしかすると、貴き方々を相手に商売をしていると、こんな無茶振りも日常茶飯事なのかもしれなかった。
「では、どうかよろしくお願いするよ。僕たちは、食堂で待たせてもらうからね」
ポルアースのほうも多くは語らず、さっさと食堂を出ていこうとする。
普段の彼であれば陽気な態度を保持しつつも、もっと料理人たちの苦労をねぎらいそうな場面であるのだが――どう考えても、これは王家の客人たちが言い出した余興であるのだろう。それではポルアースが下手にへりくだると、王家の客人たちの面目を潰すことになってしまうわけであった。
(まあ、ポルアースたちにはさんざん世話になってるからな。俺も頑張らせていただくか)
俺がそんな風に考えたとき、ダカルマス殿下が「ロデ!」と声を張り上げた。
いったい何の呪文かと思ったら、その声に呼ばれてひとりの兵士が駆け寄ってくる。それは、彼の名前であったのだ。
護衛役として厨に立ち並んでいた、ジャガルの兵士のひとりである。とんがり頭の兜と鎖かたびらを纏ったその人物は、やはり小兵なれども頑健な体格をしており、そしてずいぶん若いようだった。何故ならば、その顔にいっさい髭をたくわえていなかったのだ。
彼を呼びつけたダカルマス殿下は、そのままマルスタインと談笑をしながら厨を出ていってしまう。あらかじめ、この場に居残るデルシェア姫の警護をするように言いつけられていたのだろう。他のジャガルの兵士たちも、ダカルマス殿下を追って退室していった。
「……そちらの方々も、厨に居残るのですね」
と、ロデなる若きジャガルの兵士が、底光りする目でアイ=ファとダリ=サウティをねめつけた。
「デルシェア姫。こちらの方々がよからぬ行いに及んだ場合、わたしひとりではあらがうすべもございません。と、言うよりも……こちらの方々を取り押さえるには、20名からの兵が必要になるかと思われますが」
「何を言ってるんだよ! 森辺の民はそんな野蛮な一族じゃないって、ロブロス様が言ってたろ? 護衛なんて形だけなんだから、取り押さえることなんて考えなくていいってば!」
聞き覚えのある声で、聞き覚えのない言葉が放たれた。
俺が啞然としていると、デルシェア姫がにこにこと笑いながら舌を出す。
「あ、父様たちがいなくなったから、あたしも気楽にやらせてもらうね。貴族の前だとかしこまらないといけないから、まったく面倒だよねえ」
それは、ディアルを凌駕する豹変っぷりであった。
ディアルはディアルで男の子っぽい口調であるが、彼女はそれよりもさらに乱暴な口調であったのだ。その勇ましさは、ユーミ以上であるようにさえ思えてしまった。
「で、どうしよっか? 料理の献立は、どういう風に分配する?」
本性を剥き出しにしたデルシェア姫がそのように言いたてると、ヴァルカスがまたぼんやりと小首を傾げた。
「献立の分配とは? 我々は、それぞれ独自に料理を作りあげるのでしょう?」
「だからさー、それで全員が汁物料理とか出しちゃったら、興醒めじゃん! 手の内を明かす必要はないけど、料理の系統ぐらいは分けるべきでしょ?」
「なるほど……わたしは一刻半という限られた時間でありますと、献立がきわめて限定されてしまいます。よろしければ、生鮮の魚を使った前菜を担当させていただきたく思います」
「うん、了解! あんたたちは?」
俺はまだ、デルシェア姫の豹変に頭が追いつかずにいる。姿かたちは同じままで、無邪気な表情にも変わりはないのだが、彼女はまるで別人のように成り果てていたのだ。
そうして俺がまごまごしている間に、ダイアが「そうですねぇ」と発言した。
「よろしければ、わたくしはフワノと果実を使った菓子を準備したく思います」
「わたしはカロンの肉を使った、焼き物料理でしょうかな。煮込み料理や汁物料理を作るには、仕込みの時間が足りませんので」
ボズルがそのように答えると、残るは俺ひとりであった。
デルシェア姫はにこにこと笑いながら、跳ねるような足取りで俺の前に立つ。
「じゃ、あんたは? 煮込みか汁物だといい感じにまとまると思うんだけど、どう?」
「いや、自分は……別にどっちでもかまわないですけど……」
彼女の背丈は150センチ足らずであったので、俺よりも頭ひとつ分は小さい。が、その小さな身体にはディアルにも負けないほどの生命力が渦巻いているように感じられた。
いちいちディアルを引き合いに出してしまうのは、やはり容姿に似た点が多いためである。特にそのエメラルドグリーンをした明るい眼差しは、ディアルの姉妹であるかのようにそっくりであった。
「なんか、ふにゃふにゃしてるなー! だったらあたしが汁物料理にしちゃうけど、それでいいの?」
「え、ええ。かまいません。……ええと、残るのは煮込み料理でしたっけ?」
「そーだよ! あんたには期待してるんだから、しゃっきりしてよねー!」
デルシェア姫の小さな手の平が、俺の背中をおもいきり引っぱたいてきた。
アイ=ファは思わず足を踏み出しかけたが、苦笑っぽい表情をしたダリ=サウティに止められる。
そしてそのそばに陣取っていたロデなる若き兵士も、アイ=ファの動きに反応して足を踏み出しかけていた。
(なんだかちょっと、様子が変わってきちゃったな)
ロブロスたちは、王家の人々に手を焼いているようだ――というリフレイアの言葉が、大きな実感をともなって俺のもとに舞い降りてきた。いきなり軽食の準備を申しつけられたかと思ったら、デルシェア姫の豹変を見せつけられて、俺は情緒がどうにかなってしまいそうである。
(まあいいや。何にせよ、料理で手抜きはできないからな)
そうして俺はひさびさに、単身で料理を準備することになった。
もちろんファの家ではひとりで晩餐を準備するのが日常であるが、ここは城下町の厨だ。現在ギバ肉は在庫切れであるようだし、自前の調理器具を使うこともかなわない。このような環境で料理をこしらえるのは、それこそリフレイアにさらわれたとき以来であるように思えた。
(でも、そうか。この料理は、リフレイアやトルストにも食べてもらえるんだもんな。あと、ロブロスやフォルタもか)
俺はすみやかに、頭を切り替えることにした。
やっぱり料理というものは、食べさせたい相手がいてこそのものであるのだ。宿場町での商売のように不特定多数を相手にする場合でも、俺の中では「屋台に来てくれる人たちのために」というモチベーションで料理を準備しているのである。
初めて出会ったダカルマス殿下やデルシェア姫のことは、このさい置いておこう。食堂で待つおおよその人々は、俺にとって大事な存在であるのだ。そういった人々に喜んでもらえるようにという思いを胸に、俺は料理を手掛けることにした。
厨には、たちまち芳しい香りがたちこめる。
5名の料理人たちは申し合わせたように、離れた場所で作業を始めていた。もとよりこの厨は、学校の教室をふたつぶちぬいたぐらいの、とてつもない規模を誇っているのだ。作業をするのが5名であれば、おたがいの邪魔をするのが難しいほどであった。
「……アスタよ、少しいいだろうか?」
と、俺が調理に励んでいると、アイ=ファがそっと忍び寄ってきた。
「うん。時間がないんで、作業しながらでいいかな?」
「それでかまわん。……やはり、リフレイアの言葉に間違いはなかったようだ。お前も決して、油断するのではないぞ」
「うん? それは王家の方々についてだよな? リフレイアは、心底からのらくらしてるって評価じゃなかったっけ?」
デルシェア姫も離れた場所で調理に励んでいるので、こちらの会話を盗み聞きされる恐れはない。また、護衛役のロデも姫君に近い位置でひっそりと息をひそめていた。
「確かに色々と驚かされたりはしたけど、そんなに心配はいらないんじゃないのかな。アイ=ファには、あのお人らが悪人であるように思えるのか?」
「いや。きっと善良であるのだろうとは思う。しかし、悪気がないからこそ厄介という面もあろう」
それはまあ、わからなくもない論である。
デルシェア姫とダカルマス殿下は、底抜けに明るくて大らかであり、そしてそこはかとなく厄介そうな香りを漂わせていた。
「そうか。きっと悪気がないからこそ、ポルアースたちもこういう提案をあっさり受け入れたんだろうしな。だけどまあ、これぐらいの苦労だったらどうってことはないよ」
「……苦労が、これだけで終わるならな」
そんな不吉な言葉を残して、アイ=ファは壁際に戻っていった。
端的に言って、アイ=ファはデルシェア姫のようなタイプが苦手であるのだろう。アイ=ファを凛々しいと褒めそやし、俺を平手で引っぱたくようなタイプが、アイ=ファの好みに合致するわけがないのだ。
今のところ、俺は判断を保留したく思っている。
ディアルやダン=ルティムを連想させるあの父娘が、ジェノスや俺たちにとってどのような存在に落ち着くのか。まずはこの突然の食事会の顛末とともに見届けたいところであった。