ルウの血族の収穫祭⑨~それぞれの覚悟~
2021.3/15 更新分 2/2
・本日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
ジザ=ルウに導かれて、俺はまたシン=ルウ家のほうに歩を進めることになった。
シン=ルウ家では幼子を預かったりもしていないので、そのあたりは薄暗いし静まりかえっている。ただ、広場のほうからは絶え間なく歓声が伝えられているし、夜目のきく狩人であれば俺たちの姿を視認することもできるはずであった。
「……祝宴のさなかに、申し訳ない。どうしても、この夜の間に語らっておきたかったのだ」
普段通りの穏やかな声で、ジザ=ルウはそのように言いたてた。
べつだん、圧迫感を覚えたりもしない。ただ、ジザ=ルウというのはまったく内心が読めない御仁であるし、それに俺は――こうしてジザ=ルウに呼びつけられる心当たりも、しっかり備え持っていた。
「さきほどまで、俺はサティ・レイのもとにおもむいていたのだ」
ジザ=ルウは、俺が予期していた通りの言葉を口にした。
俺は背筋をのばしつつ、「はい」と応じてみせる。
「その場にいたティト・ミンからも、話は聞いた。……貴方とレイナはサティ・レイの身を念頭に置いた上で、宴料理の内容を取り決めたそうだな」
「はい。もちろんそれで祝宴に不相応な献立になってしまわないように、細心の注意を払ったつもりですが」
「うむ。貴方がおこのみやきとやきうどんを選んだことに関しては、若干の違和感を覚えることになったが……レイナたちは、かれーや香味焼きやカロン乳の汁物料理といったものも準備していた。決してサティ・レイただひとりのために、祝宴の準備をおろそかにしたわけではないのだろう。それは、俺も理解している」
糸のように細い目が、俺のことをじっと見つめている。
もしかしたら、俺がジザ=ルウとふたりきりで語らうというのは、人生で初めてのことであっただろうか? 遥かなる昔日、ジザ=ルウに厳しい言葉を伝えられたときも、俺の周囲にはアイ=ファやルド=ルウといった人々がともにいてくれたのだ。
俺のような人間は、石の都で暮らすべきであるように思う。
異国人でありながら、森辺を内側から動かす力を持つ俺のような人間は、得体の知れないカミュア=ヨシュよりも危険な存在であるように思う。
アイ=ファがダルム=ルウへの嫁入りを断っていなければ――ジバ婆さんとリミ=ルウがアイ=ファと出会っていなければ――いっそ、俺とアイ=ファが出会っていなければ――森辺の秩序が乱されることにもならなかった。
ジザ=ルウは、かつてそのように語らっていたのだ。
そのときと同じぐらいの緊張感を、俺は強いられてしまっていた。
「ただ、ひとつ……俺は次代の族長を担う身として、看過できないことがある」
ジザ=ルウはまったく内心の読めない穏やかな声で、そのように言葉を重ねた。
「貴方たちは、俺の子たるコタ=ルウに宴料理を食べさせていた。それは森辺の習わしにそぐわない行為であると、貴方たちもわきまえていたはずだ」
「……はい。わきまえていました」
「5歳に満たない幼子でも、最近は宴料理の一部が与えられていた。それは、幼子たちのために別なる料理を準備するのは、むしろ大変な手間であると見なされたためだ。また、それとは別に、菓子だけは幼子の分まで準備されることになった。そのていどの喜びを分け与えても、ルウの血族の秩序が乱されることはないと、族長ドンダ=ルウがそのように判じたためだ。俺はルウの血族のひとりとして、族長ドンダ=ルウの言葉に納得し、それに従っている」
コタ=ルウやドンダ=ルウの名を氏つきで呼ぶというのは、ジザ=ルウがそれだけあらたまった気持ちでいるという証だ。
その重みを噛みしめながら、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「しかし、この夜は……族長の判断も仰がずに、コタ=ルウへと宴料理を分け与えた。それはどのように考えても、コタ=ルウだけに対する肩入れであっただろう。他の幼子たちには、それらの宴料理も分け与えてはいないのだからな」
「はい。その通りだと思います」
「……コタ=ルウは、ルウ本家の長兄である俺の子であり、そして長兄だ。俺が若くして魂を返さぬ限り、いずれ族長の座はコタ=ルウへと受け継がれる。それだけの立場を背負っているからこそ、コタ=ルウは潔白であらねばならない。……俺は、そのように考えている」
不可視の圧迫感は生じていなかったが、ジザ=ルウの言葉は非常な重みをともなって、俺の肩にのしかかってきた。
「むろん、それを許したのはルウの家人たちであり、貴方に責任が生じる話ではない」
「いえ。その場には俺もいたのですから、責任逃れをするつもりはありません」
「そうだろう。俺もそのように思っている」
いきなりカウンターパンチをくらったような心地で、俺は思わずよろめいてしまった。
しかしその場に踏み留まり、ジザ=ルウの言葉をしっかりと聞く。
「この夜において、貴方は罪に問われるような行いに手を染めてはいない。献立の考案を願ったのも、コタ=ルウに宴料理を分け与える許しを与えたのも、すべてルウの家人であったのだ。しかし……2年前であれば、ルウの家人が森辺の習わしをないがしろにすることもなかっただろう。貴方が森辺に現れて、さまざまな変革を行ったからこそ、多くの人間がそれに感化されたのだ。貴方の存在が、森辺を変えた……それは、まぎれもない事実であろうと思う」
つい先刻はガズラン=ルティムやダリ=サウティからも語られていたその言葉が、今度はまったく異なる意味をともなって、俺の胸に突き刺さってくる。
だけど俺は、同じだけの覚悟でもって「はい」とうなずいてみせた。
「貴方はやはり、危険な存在だ。貴方のもたらしたものは、あまりに大きく……それゆえに、誰もが無関心ではいられない。そこに大きな喜びがともなっているからこそ、誰もがそのうねりに呑み込まれていく。俺の家族までもがそのうねりに呑み込まれて、この夜に森辺の習わしをないがしろにした。やはり貴方は誰よりも危険で、誰よりも脅威的な存在であるのだ、アスタよ」
「はい。仰ることはわかります。ただ、以前にもお話しした通り……森辺の民であれば、決して道を間違えたりはしないと思います。俺がどんな風に振る舞っても、森辺の民ぐらい清廉で強靭な存在であれば、決して道を間違えたりはしないと……そんな風に信じているから、俺も自分で正しいと思った道を迷わずに突き進もうと決断できたんです」
「では、この夜に行いに関しても、間違ってはいないと?」
「俺は、そう思っています。俺はみなさんと一緒にサティ・レイ=ルウやコタ=ルウを元気づけてあげたかったし、他にも同じような立場の人たちがいたら、同じように振る舞っていました。今日のことは、コタ=ルウだけを特別扱いしたわけではなく、今後もコタ=ルウと同じような立場に陥った人がいたら、同じように扱うべきではないかと……そんな風に思っていました」
「…………」
「ジザ=ルウの仰る通り、ドンダ=ルウには事前に話を通しておくべきだったのでしょう。ただ、コタ=ルウがその場にいたのは、俺たちにとっても想定外であったので……そこまで頭を回すことができませんでした。そこは、反省します。ですからどうか、レイナ=ルウたちを叱らないであげてください」
「……いま俺が話しているのは、貴方自身であるのだが」
「でも、レイナ=ルウたちは俺に感化されたというお話なのでしょう? それに、俺はいいんです。たとえ森辺の家人と認められた身であっても、ルウの血族ではないのですから。でも、レイナ=ルウたちは……サティ・レイ=ルウとコタ=ルウのために、一生懸命だったんです。それを、家族であるジザ=ルウに叱責されてしまうというのは……あまりに居たたまれません」
俺は懸命に言いつのったが、ジザ=ルウの表情に変わるところはない。
そしてジザ=ルウは、変わらぬ口調のまま言い継いだ。
「俺は、次代の族長だ。父よりも先に魂を返さない限り、俺が次代の族長となることは決定されている。よって俺は、現在の族長たちと変わらぬ厳しさで、森辺の行く末を見定めなければならない。貴方にも、どうかそのことを理解してもらいたい」
「はい。それは、理解しているつもりです」
「そうか。……では、次の話に移らせてもらおう」
ジザ=ルウが、ずいっと俺のほうに進み出てきた。
反射的に後ずさろうとした俺は、ほとんど殴られる覚悟でその場に踏みとどまってみせる。
そんな俺の鼻先に、ジザ=ルウがぐっと右手を突き出してきた。
その大きな手の平にのせられていたのは――1本の、ギバの牙である。
「ファの家のアスタ。貴方は美味なる料理でもって、俺の伴侶と子にかけがえのない安らぎを与えてくれた。その行いを、祝福させてもらいたく思う」
俺は、ぽかんとしてしまった。
「え……だけどあの、俺の行いに腹を立てていたのでは……?」
「腹を立てていたのではなく、次代の族長として貴方の存在を危険なものであると見なしていた。その心情に、偽るところはない」
やはり変わらぬ口調のまま、ジザ=ルウはそのように言いたてた。
「しかし……それとは別に、俺はサティ・レイの伴侶であり、コタの親である。ふたりはいま、これまでで一番の苦しい時期にあるだろう。それに安らぎを与えてくれた貴方には、心から感謝している。ルウ本家の長兄ジザ=ルウではなく、伴侶と子を持つひとりの人間として、貴方を祝福させてもらいたい」
不意打ちに継ぐ不意打ちで、俺は神経がどうにかなってしまいそうだった。
俺は半分自失したまま、ジザ=ルウの手の平から白い牙をつまみあげる。
「あ、ありがとうございます。本当に……いただいてしまっても、いいのですね?」
「うむ」とうなずき、ジザ=ルウは身を引いた。
「アスタよ。貴方の行いは、俺が見守っている。だから貴方は、心のままに振る舞うがいい」
「え? それはどういう……?」
「貴方が道を間違えたなら、この俺が処断する。もしも貴方が、森辺を滅ぼすような存在であったなら……それよりも先に、俺が貴方を斬り捨てよう」
微笑みを浮かべているような顔で、ジザ=ルウはそう言った。
「だから、何も案ずる必要はない。貴方のせいで森辺が滅ぶような事態には、決して至らないのだ。そのように念じて、今後も心正しく生きてもらいたく思う」
それだけ言って、ジザ=ルウはきびすを返した。
が、三歩と進まぬうちに足を止めて、顔だけでこちらを振り返ってくる。
「……アスタよ。貴方はこれで、13本目の祝福を手にしたということなのだろうな?」
「え、ええ。そういうことになりますね」
「では、あと1本か」
「あと1本?」と、俺は小首を傾げることになった。
ジザ=ルウは――俺に横顔を見せたまま、くすりと笑い声をたてる。
「ルディだ」
そうして今度こそ、ジザ=ルウはその場から立ち去っていった。
俺はずいぶん長いこと、その場に立ち尽くしていたように思う。
そんな俺を我に返らせてくれたのは、光り輝く広場から駆けつけてきたアイ=ファであった。
「アスタよ! いつまでそのように呆けておるのだ? ジザ=ルウに、何かよからぬ真似をされたのではなかろうな?」
アイ=ファは水をかぶったように汗だくであり、なめらかな頬や下顎からしずくをしたたらせていた。
「い、いや、俺は大丈夫だけど……アイ=ファこそ、大丈夫か?」
「やはりこのような格好では、普段の倍以上も体力を削られてしまうようだ。甲冑などを纏っていたシン=ルウらの苦労が偲ばれるな」
胸もとの留め具を外してばたばたとあおぎながら、アイ=ファはそのように言いたてた。
「それで、そちらはどうしたのだ? ジザ=ルウとは、何を語らっておったのだ?」
「う、うん。俺とジザ=ルウが語らってたって、ダリ=サウティにでも聞いたのか?」
「たわけ。お前たちの姿は、広場からも見えていた。それでジザ=ルウは立ち去ったのにお前はいつまでも呆けているから、様子を見にきたのではないか」
力比べに興じながら、アイ=ファはしっかり俺の挙動を見守ってくれていたのだ。
俺が思わず笑ってしまうと、アイ=ファは瞬時に眉を逆立てた。
「何を笑っておるのだ? 人を心配させおって!」
「ごめんごめん。アイ=ファはそうやって、ずっと俺を見守っててくれたんだよな」
そして、ジザ=ルウも――この2年ほどの間、ずっと俺のことを見守ってくれていたのだろう。あの、糸のように細い目で。
「実はな、ついにジザ=ルウから祝福を授かることになったんだよ」
「ほう、そうか!」
「それでな、俺が森辺の毒になるようだったら、斬り捨てるってさ」
「……ほう、そうか」
「そうそう。そんな感じに、俺もあれこれ心を揺さぶられてしまったわけだよ」
アイ=ファは仏頂面になってしまったが、俺はようやく晴れやかな心地を授かることができた。
あれほど厳格なジザ=ルウが、心のままに生きよと言ってくれたのだ。もしもの事態に至ったら、自分が手を汚してでも止めてみせるので、心のままに生きてみせよ、と――
(ジザ=ルウは、それだけの覚悟で俺のことを見守っててくれたんだ)
そんな思いを胸に、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
アイ=ファはますますうろんげに、可愛く唇をとがらせてしまう。
「どうして斬り捨てるなどと言われながら、お前はそのような顔で笑っておるのだ?」
「色々と複雑なんだよ。明日の夜にでもまとめて説明するから、アイ=ファもこの気持ちを分かち合ってくれ」
「……そのように笑えるのなら、悪い気持ちではないのであろうな」
アイ=ファも唇を定位置に戻して、ふっと微笑んだ。
「そして、お前をそのような気持ちにさせたジザ=ルウも、決して悪い気持ちではないのだろう。ジザ=ルウがこのようにめでたき日に気分を害していたのなら、あまりに気の毒であるからな」
「うん。ジザ=ルウにとっては、初めて父親を倒して勇者になれた日なんだもんな」
サティ・レイ=ルウもコタ=ルウも、自分の目でその姿を見届けてはいない。
だけどきっと、誰よりも強くその喜びを分かち合うことができるのだろう。ジザ=ルウが幸福であるのなら、サティ・レイ=ルウもコタ=ルウも同じだけの幸福を授かれるはずであった。
俺は自分の首飾りを外して、そこに13本目の祝福を通した。
そこに14本目の祝福を通せるかどうかは、今後の俺の行い次第だ。
ジザ=ルウが大いなる覚悟で見守ってくれているならば、俺も同じだけの覚悟で道を進んでいきたい。
そんな風に思いながら、俺はもういっぺんアイ=ファに笑いかけてみせた。
アイ=ファもまた、優しく微笑みながら俺のことを見つめてくれていた。
広場のほうからは、まだまだ冷めやる気配もない熱気と歓声が伝わってきている。
俺はあらためて、今日という日の喜びを胸に刻むことがかなったのだった。