ルウの血族の収穫祭⑧~余興~
2021.3/15 更新分 1/2
すべての料理を少しずつ食したサティ・レイ=ルウは、それから10分ほどの時間を俺たちと語らったのち、また身を休めることになった。
コタ=ルウもその場に居残って、ティト・ミン婆さんやルディ=ルウとともに寝所に消えていく。それらの背中を見送ってから、俺たちはルウの本家を後にした。
「いやー、喜んでもらえてよかったね! それじゃ、あたしはまだ仕事があるから!」
「アスタにアイ=ファ、ありがとうございました。もしもジザ兄が何か言ってきたら、すぐわたしたちの誰かに声をかけてください。決してアスタたちに罪はないのだと、わたしたちから説明しますので」
お盆を抱えたララ=ルウとレイナ=ルウは、そんな言葉を残して人混みの向こうに立ち去っていった。
取り残されたメンバーの中から、モルン=ルティムがヴィナ・ルウ=リリンへと微笑みかける。
「よろしければ、ドムの家人たちに挨拶をさせていただけませんか? この先は、しばらく顔をあわせる機会もないかもしれませんから」
「あー、リミもごあいさつしたい! ……でもでも、今日はまだアイ=ファともあんまりおしゃべりしてないんだよなあ」
リミ=ルウが困ったようにもじもじし始めると、アイ=ファは優しい表情でその小さな頭に手をのせた。
「宴の終わりまで、まだまだ猶予はあろう。あとでジバ婆とも一緒に、ゆっくり語らせてもらいたく思う」
「うん、わかったー! 絶対にね! 約束だよ!」
と、リミ=ルウたちも行き先が決定して、またもや俺とアイ=ファはふたりきりとなった。
「どうしよう? いい機会だから、少し休もうか?」
「うむ。……しかし、こちらに向かってくるものがあるようだな」
アイ=ファの視線を辿ると、ふたつの大柄な人影がこちらに近づいてきていた。誰かと思えば、ガズラン=ルティムにダリ=サウティである。
「アイ=ファにアスタ、ようやく挨拶ができたな。これだけの人数では、ひと通りの相手と挨拶をするだけでひと苦労のようだ」
「はい。どうもお疲れ様です。……ガズラン=ルティムも、自由に動けるようになったのですね」
「ええ。しばらくしたら、余興の力比べが始められるようですね」
では、ついにアイ=ファの出番がやってくるということだ。
アイ=ファは金褐色の髪をかきあげつつ、小さく息をついた。
「では、私も準備をしておくか。……ダリ=サウティらは、我々に何か用事であったのだろうか?」
「いや、挨拶をさせてもらおうと思っただけなのだが。力比べに、何か準備が必要であるのか?」
「先の婚儀の日、レム=ドムが雨季の装束を纏っていたであろう? 私もそれにならうことにしたのだ」
「なるほど、そういうことか。ならば、アイ=ファが着替え終わるのを待たせてもらってもいいだろうか? ようやく会えたのに挨拶だけで別れるというのは、あまりに味気ないからな」
というわけで、俺たちはシン=ルウ家に向かうことになった。アイ=ファの着替えは荷車に積まれたままであり、それはシン=ルウ家のかたわらに保管されていたのだ。
賑やかな祝宴の場を横目に眺める格好で、広場の外周をぐるりと回り込む。かがり火の明かりも遠い薄暗がりの中、アイ=ファはひとりで荷台に潜り込み、俺たちは立ち話に興じることになった。
「今日はなんだか、これまでで一番の活気であるように思います。ガズラン=ルティムは、如何でしょうか?」
「そうですね。雨季が明けてから最初の祝宴であり、しかも力比べの新たな様式を取り入れた収穫祭であったため、普段よりもいっそう賑わっているように感じられます」
勇者の草冠をかぶったガズラン=ルティムは、穏やかな笑顔でそのように言っていた。ダリ=サウティも「そうだな」と微笑んでいる。
「俺も族長として数々の祝宴に招かれてきたが、この夜の収穫祭は指折りの熱気であろうと思う。また、ルウの血族の力比べを目にするのは、1年以上ぶりのことになるが……ルウの血族の狩人たちは、あの頃よりも遥かに強い力を身につけたようだ」
「それはきっと、アスタがもたらしてくれた数々の変化のおかげなのでしょう」
そんな風に言ってから、ガズラン=ルティムは俺の機先を制するように微笑んだ。
「わかっています。アスタの存在はあくまできっかけであり、我々は自分たちの意思で道を進んでいるのでしょう。……ですが、最初のきっかけがなければ、この道を見つけることもできなかったのです。私はこの夜にも、アスタと巡りあえた喜びを噛みしめることになりました」
「それは、俺も同様です。森辺の同胞として迎えてもらうことのできた喜びを、めいっぱい噛みしめさせてもらっていますよ」
俺が笑顔で応じると、ガズラン=ルティムもいっそう嬉しそうに微笑んでくれた。
ダリ=サウティは、横目でちらりと荷車のほうをうかがう。
「突きつめれば、アスタを森から救いだしたアイ=ファこそが、最初の功労者ということだな。正直に言って、もしも最初にアスタを見つけたのがサウティの人間であったなら……きっと問答無用で、町に追い出していただろうと思うぞ」
「そうなのでしょうね。アイ=ファも最初は、それぐらいの剣幕だったように思います」
「では何故、そうならなかったのだろうか?」
思わぬところで追及を受けてしまい、俺は「えーと」と考え込むことになった。
「それはですね……俺があまりに途方に暮れていたものだから、見捨てるには忍びないと考えてくれたのではないでしょうか」
「では、アイ=ファの情けの深さこそが、森辺に変革をもたらしたということだな」
そう言って、ダリ=サウティも愉快そうに微笑んだ。
「ガズラン=ルティムも言っていた通り、我々は自分の意思でこの道を進んでいる。しかしやっぱり、最初の一歩を踏み出したアイ=ファと、その決断をさせたアスタの存在は、かけがえのないものだと思っているぞ。面と向かってこのようなことを言ってもアイ=ファは渋い顔をするだけであろうから、アスタだけでも聞き届けておいてもらおう」
「承知しました。おふたりにそんな風に言っていただけるのは、光栄の限りです」
ガズラン=ルティムにダリ=サウティのコンビというのは、ありそうであまりない組み合わせだ。これだけゆったりとした安心感をもたらしてくれるコンビというのは、森辺でも随一なのではないかと思われた。
そのとき――「馬鹿を抜かすな!」という落雷のごとき怒声が、広場のほうから響きわたってきた。
俺たちは顔を見合わせて、何歩か広場のほうに近づいてみることにする。怒声の主はドンダ=ルウであり、それと向かい合っているのはどこかの氏族の若き男衆であった。
「でも、俺は納得いきません! これだけの力を持つドンダ=ルウが、勇者の座を得られないなんて……このたび取り組んだ新たな力比べは、どこか間違っているのだと思います!」
若き狩人はドンダ=ルウの怒気に怯んだ様子もなく、そのように言いたてた。
人々はざわざわとざわめきながら、そんな両者の様子を見守っている。それに気づいたドンダ=ルウは意外にあっさりと怒気をおさめて、「ふん」と下顎の髭をまさぐった。
「あまりに馬鹿げた言葉を聞かされたもんだから、つい我を失っちまったな。……騒がせてしまって、悪かった。気にせず、祝宴を楽しんでもらいたい」
「いや、そういうわけにもいかんだろう」
と、人垣の中から大柄な人影が進み出てくる。それは全身古傷だらけの、ディグド=ルウに他ならなかった。
「最近はめっきり荒ぶることも少なくなっていた族長ドンダ=ルウが、我を失うほどの怒りにとらわれたのだ。それを放って祝宴を楽しめる血族など、ひとりとして存在すまい。いったい何があったのか、つぶさに聞かせてもらいたく思うぞ」
ディグド=ルウは薄笑いを浮かべていたが、その飢えた狼じみた目は射るように若き男衆を見据えていた。
すると人垣から、慌てふためいた様子で新たな人影が出現する。それは、ムファの家長であった。
「い、いったい何事だ? 俺の子が、何かドンダ=ルウに無礼でも働いてしまったのだろうか?」
「ふん……今後の力比べに関しては、眷族の家長を集めて取り決めることになっていた。それをこの場で取り沙汰しても、手間が増えるだけなのだがな」
そんな風に言いながら、ドンダ=ルウは事情を説明した。俺たちが耳にした通りの内容である。それを聞き届けたムファの家長は、「ああ……」と嘆息をこぼした。
「俺の子は、ドンダ=ルウとダン=ルティムの強さに心から敬服していたのだ。それでこのたびはどちらも闘技で勇者になれなかったものだから、ついそのような言葉を吐いてしまったのだろう。俺からよく言い聞かせておくので、どうか許してもらいたく思う」
「待て待て。家長たるお前に言いつけられれば、そこの男衆も大人しく口をつぐむのだろうがな。どうせならば、この場でその不平を打ち砕いてやればいいのではないか?」
笑いを含んだ声で言いながら、ディグド=ルウはドンダ=ルウに向きなおった。
「その言葉を聞かされて、ドンダ=ルウは怒ったのだろう? どうして怒ったのか、それを説明してやればいい。さすれば、筋違いの不平など木っ端微塵に砕かれようよ」
ドンダ=ルウはしばらく黙りこくっていたが、このままでは埒が明かないと考えたのだろう。やがて、重々しい声音で語り始めた。
「……今日の闘技の力比べで、ダン=ルティムは俺に負け、俺はジザに負けた。これまでの力比べにおいては8名の勇者が定められていたが、祝福を受けていたのは最後に勝ち残ったひとりだけだ。ならばどの道、俺やダン=ルティムが祝福を授かることにはならなかったはずだ」
「ですから、それがおかしいのではないかと……ダン=ルティムはまだしも、荷運びの勇者として祝福されることになりました。しかし、それと同じぐらいの力を持つドンダ=ルウが、勇士などという座に甘んじるというのは……」
「いずれの勝負においても、俺は負けていた。俺の強さに敬服するなどと言いながら、貴様はまるで俺に恥をかかせたいかのようだな」
ドンダ=ルウが、にやりと笑う。
しかしそれは、難敵を前にしたときに浮かべるあの勇猛な笑みとは、いささか趣が異なるようだった。
「しかし、俺が負けたというのはまぎれもない事実なのだから、俺はべつだん恥とも思っておらん。力比べの勝利は誇りだが、敗北が恥となることはない。それこそが、力比べの習わしであろうが?」
「で、ですが……」
「まだわからんのか? 勇者として祝福されるのは、ひとたびも負けなかった狩人にこそ相応しい。それがこれまではたったひとりであったのが、5名にまで増えたのだ。そして俺は、その5名が勇者に相応しい人間だと信じているし、自分がそこに含まれていないことを喜ばしく思っている」
「よ、喜ばしい? どうして、喜ばしいのですか?」
「若い貴様にはわからんか。ムファの家長よ、父たる身として、貴様が語ってやれ」
ムファの家長はひとつうなずき、若者のそばまで歩み寄った。
その顔は緊迫していたが、どこか優しげでもあるように感じられる。
「子を持つ親は、子が自分を上回ることを何より望んでいるのだ。そうでなければ、安心して血族の行く末を託すこともままならんからな。お前など、ドンダ=ルウはおろかこの俺さえも打ち負かすことができていないではないか? それでは、あまりに頼りなかろう」
そこに、ガハハという豪快な笑い声が響きわたった。振り返るまでもなく、ダン=ルティムの登場である。
「まったくだな! 俺やドンダ=ルウなど、もう10年もすれば狩人として働くことも難しくなってくるのだぞ! こんな年をくった人間をありがたがって、いったい何になるというのだ? お前さんはまず、自分が勇者になれなかったことを口惜しく思い、奮起するべきであろうな!」
「ダン=ルティム……あなたもそのようにお考えなのですか?」
「当たり前だ! 北の集落では、お前よりも年若いディック=ドムが闘技の勇者となったのだぞ! ディック=ドムの父親が生きていたならば、涙を流して喜んだろうさ!」
ダン=ルティムは呵々大笑して、広場の中央に向きなおった。
「若き狩人たちは、聞くがいい! いつまでも、俺たちなどをのさばらせておくな! 俺やドンダ=ルウやギラン=リリンのように年をくった人間がいつまでも勇者の座にのさばっておっては、いかんのだ! 10年後には自分たちが一族を導くのだという気概をもって、修練と仕事に励むがいい!」
「まったくだな。よくもそうまで、他者の誇りなどを気にかけていられるものだ」
と、ディグド=ルウも言葉を重ねた。
「ムファの男衆よ。お前はまず、自分の誇りと一族の命運こそを気にかけろ。たとえお前が長兄でなかろうとも、伴侶を娶れば一家の長であるのだ。お前が不甲斐なければ、家族が飢えるのだぞ? 俺たちが何のために修練をして、強き力を求めているのか。何のために、その力を母なる森に示しているのか。そいつをよくよく考えなおすことだ」
「……わかった。俺は確かに長兄ならぬ身であるし、いまだ子供も生していない。それでも狩人としての誇りを胸に生きてきたつもりであったのだが……どこかで、覚悟が足りていなかったのかもしれん」
そうしてムファの若き男衆は、ドンダ=ルウに向かって深々と頭を垂れた。
「きっと俺の言葉はドンダ=ルウばかりでなく、今日の勇者や勇士となった人間をも蔑ろにしていたのでしょう。どうかお許しください」
「許すも許さんもない。己の心情をさらしたからこそ、間違いに気づくこともできたのだろう。……詫びるべきは、祝宴の場で声を荒らげた俺のほうであろうな」
「まったくだ! 今日は酒が過ぎてしまったのではないか? まあ、気持ちは痛いほどわかるがな!」
「置きやがれ」と、ドンダ=ルウはダン=ルティムの太鼓腹に手の甲を打ち当てた。
それから、広場にたたずむ血族や客人らを振り返る。
「話は終わりだ! これより、力比べの余興を始める! 余計な騒ぎで水を差された分、ぞんぶんに余興を楽しむがいい!」
まだいくぶん微妙な空気であった広場が、そのひと言でわっと沸き立った。
気の早い男衆らが広場の中央に進み出て、取っ組み合いを始める。それを尻目に、ディグド=ルウがこちらに近づいてきた。
「このような場所にいたのだな、ファの家のアスタよ。家長のアイ=ファは、どこに隠したのだ?」
「あ、アイ=ファでしたら力比べに備えて、着替えの最中です」
「それは何よりだ。ならば、一番乗りで挑ませてもらおう」
そうしてディグド=ルウは、飢えた狼のような目で俺を見下ろしてきた。
「ところで……あのやきうどんとかいう料理は、お前たちが作りあげたものなのだな?」
「あ、はい。お気に召しましたか?」
「召した。俺はぎばかつやらーめんと同じぐらい、美味く感じたな」
と――ふいにディグド=ルウが、古傷だらけの顔で笑み崩れた。
大きな古傷のせいで目もとや鼻筋までもが歪んでしまって、どれだけ笑っても恐ろしげな面相であるのだが――そうでなければ、ずいぶん無邪気に見えるのではないかと思わせるような笑顔だ。
「城下町の料理というのも、まあ悪くはなかったがな。俺はあんまり、ごちゃごちゃした味を好かん。やきうどんやらおこのみやきやら……そうそう、ろーるけーきとかいう菓子も美味かったな。ワッチやアマンサといった果実も、俺の口には合うようだ」
「ディ、ディグド=ルウは料理にお詳しいのですね。男衆でそこまで料理や食材の名前をわきまえているお人は、珍しいように思います」
「ふん。俺は祝宴でも家で寝転がっていることが多かったからな。そうしたら、宴料理を口にするぐらいしか楽しみがなかったのだ」
同じ表情のまま、ディグド=ルウはそのように言いたてた。
「だから、美味なる料理というものを森辺にもたらしてくれたお前には、感謝している。お前が現れる前の宴料理など、普段よりも数多くの野菜をぶちこんだだけのポイタン汁と、血抜きもしていない肉ばかりであったからな。お前のおかげで、俺はこれまで以上に満ち足りた思いを授かることがかなったのだ」
「そうでしたか……今までご縁がありませんでしたけれど、自分の知らないところでディグド=ルウに喜んでもらえていたなら、嬉しく思います」
俺はようやくディグド=ルウの前で、心から笑うことができた。
ディグド=ルウは「ふふん」と鼻を鳴らしながら、ガズラン=ルティムとダリ=サウティのほうに向きなおる。
「さ、余興の力比べだぞ。まさか、黙って見ているつもりではなかろうな?」
「いえ。私は誰かに挑まれるまで、見物を楽しむつもりでしたが――」
「だったら、俺が挑んでやる。族長ダリ=サウティは、どうだ?」
「そうだな。俺もそれなりに果実酒を口にしてしまったが……まあ、それこそが余興なのだろうな」
「ああ。余興の力比べで勝とうが負けようが、誇りにも恥にもならん。ただ楽しめばよかろうよ」
そんな言葉を交わしていると、ようやくアイ=ファが戻ってきた。
その姿に、ディグド=ルウは「ほう」と目を見開く。
「何やら、別人のような有り様だな。男そのものというには、顔立ちが美麗に過ぎるが……男衆でもレイの家長のように、美麗な顔をしたやつはいるからな」
「……それでも私は女衆であるから、美麗などという言葉で褒めそやすのは不相応であろう」
そのように答えるアイ=ファは、確かに男衆のような凛々しさであった。何故ならば、アイ=ファは長袖の上衣ばかりでなく、南の民が好むような細身の脚衣までをも身につけていたのだ。
その脚衣は俺が宿場町で買いつけたものであり、アイ=ファの指示通り安値のものを選んだのであるが。纏う人間が美々しければ、立派に見えてしまうものであるのだろう。
それにアイ=ファは上衣の下で胸あてを二重に、しかもぎゅうぎゅうに巻きつけているはずであった。それで胸もとが平らになっているために、いっそう凛々しい殿方のように見えてしまうのであった。
「ずいぶん念入りなことだ。北の集落の流儀にあわせて、肌を隠すようにしたという話であったが……そうまで装束を着込んでいると、相手につかまれ放題ではないか?」
「大事ない。それで痛い目を見るのは、おそらく相手のほうであろうからな」
アイ=ファが何を語っているのか、俺にはいまひとつ理解が及ばなかった。
ディグド=ルウも、うろんげに眉をひそめている。
「それは、確かなことであるのか? 俺も相手の装束をつかむことを得意にしているので、あまりお前の不利になってしまうようでは興醒めなのだが」
「不利にはならん。実際に手を合わせれば、お前にも理解できるだろうと思うぞ」
「ならば、理解させてもらおうか」
ディグド=ルウは元来の、野獣めいた笑みを浮かべた。
「俺はこの日を、待ちに待っていたからな。ずいぶん酒もくらってしまったが、お前の力量を測るのに不自由はない。さっそく、始めさせてもらいたく思うぞ」
「承知した。……アスタよ、あまりひとりであちこち動くのではないぞ?」
「うん。ここからアイ=ファたちの勇姿を拝見させてもらうよ」
そうしてアイ=ファとディグド=ルウが連れ立って広場のほうに出向いていくと、あちこちから歓声が巻き起こった。
「ディグド=ルウというのは、変わったお人ですね。でも、悪い人じゃないみたいで、よかったです」
「ええ。ディグド=ルウは誰よりも強さを渇望していますが……それは若くして父親を失ったがために、家族を飢えさせまいという思いがつのったゆえなのでしょう。それであれだけの力を手に入れたのですから、私は彼に敬服しています」
俺たちがそんな言葉を交わしている間に、アイ=ファとディグド=ルウは空いたスペースで向かい合っていた。
かつてルウの力比べで勇者の座を勝ち取ったアイ=ファと、本日の勇士であるディグド=ルウである。多くの人々は、この一戦に熱い眼差しを向けているようであった。
「余興であるから、取り仕切る人間もおらん。好きにかかってくるがいい」
「うむ。こちらはいつでもかまわんぞ」
アイ=ファは普段通りの、泰然としたたたずまいであった。
いっぽうディグド=ルウはぎらぎらと双眸を燃やしながら、いくぶん腰を沈めている。
ディグド=ルウはさまざまな戦法を備え持っているので、どのように動くのかもわからない。それでアイ=ファも慎重になっているのかと思ったが――あにはからんや、先に動いたのはアイ=ファであった。
大きく踏み込んだアイ=ファの腕が、相手の胸もとにのばされる。
ディグド=ルウはその過程で、横合いからアイ=ファの腕をつかみ取った。凄まじいまでの、反応速度だ。
そして――次の瞬間、アイ=ファが相手につかまれた腕の下をくぐるようにして、一回転した。ギラン=リリンが棒引きの勝負で見せたのと、同じような動きだ。
それはまるでダンスを踊っているように優美な動きであったが、アイ=ファが元の姿勢に戻る頃には、その腕をつかんでいたディグド=ルウが横合いにひっくり返っていた。
大歓声が巻き起こり、ディグド=ルウは猛然と起き上がる。
「な、なんだ、今のは? 腕がねじれて、倒れるしかなかったぞ!」
「装束に、指がからんだのだろう。だから、私の有利にしかならんと言ったのだ」
アイ=ファはあっけらかんとしているが、そんな簡単な話であるとは思えない。もともと柔よく剛を制すの戦法を得意にしていたアイ=ファであるからこそ成し遂げられる、妙技であるのだろう。
何はともあれ、アイ=ファの勝利である。いかに余興といえども、力比べであれだけの激戦を繰り広げてきたディグド=ルウが一瞬で負けてしまったものだから、見物人たちの盛り上がりも大変なものであった。
ディグド=ルウはすぐさま再戦を申し込んだようだが、そうはさせじと他の男衆らがわらわらと進み出る。その中には、ディガやドッドもまぎれているようだった。
「やはりアイ=ファというのは、尋常でない力を持っているようですね。べつだんあの姿で何かの修練に取り組んでいたわけではないのでしょう?」
ガズラン=ルティムがそのように問うてきたので、俺は「はい」とうなずいてみせた。
「俺が家を空けている間に、ひとりで何かしていたかもしれませんけれど。誰かを家に呼びつけたりはしていないはずです」
「本当に、大した技量です。アイ=ファはもともと相手の力を受け流す技に優れていたので、それを応用しているのでしょう」
そうして俺たちが感心していると、ディグド=ルウだけがこちらに舞い戻ってきた。
「いや、完全にしてやられたわ! 次の順番が回ってくるまで、ガズラン=ルティムに相手を願いたく思う!」
「挑まれたなら、拒むわけにもいきませんね。冠を誰かに預けますので、少々お待ちください」
「おお、俺も首飾りを預けておくべきか。お前ももはや、不意打ちであっさり倒れることもなかろうからな」
そう言って、ディグド=ルウは俺に向きなおってきた。
「たったふたりの家人しかないくせに、どちらも大したやつだ。家長の強さを誇りに思えよ、ファの家のアスタ」
「はい。ぞんぶんに噛みしめています」
俺が笑うと、ディグド=ルウも笑った。あの、どこか無邪気に思えなくもない笑顔だ。
そうしてふたりが姿を消すと、俺はダリ=サウティとふたりきりになった。
しかし相手がダリ=サウティであれば、気詰まりなことはまったくない。この場を借りて、次の逗留の日取りでも話し合うべきであろうかと、俺が口を開きかけたとき――広場の外周を回りながら、大柄な人影がこちらに近づいてきた。
「ここにいたか。少しいいだろうか、アスタよ?」
それは、草冠と首飾りをつけたジザ=ルウであった。
その糸のように細い目が、俺からダリ=サウティへと転じられる。
「申し訳ないのだが、アスタに少々こみいった話がある。長い時間はかからないので、アスタをお借りしてよろしいだろうか?」
「俺のことは気にしなくていい。この後は、ディグド=ルウに力比べを挑まれそうなところだからな」
ダリ=サウティが鷹揚にうなずくと、ジザ=ルウは「いたみいる」と一礼した。
そしてあらためて、俺のほうを見つめてくる。
その顔は、いつも通り穏やかそのもので、まるで微笑んでいるかのようであったが――やっぱり俺には、その内に隠された心情を見て取ることもできなかった。