ルウの血族の収穫祭⑦~喜びの分かち合い~
2021.3/14 更新分 1/1
・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
2軒の分家を巡って菓子を届けたのち、俺たちはまた祝宴の場に戻ることになった。
リミ=ルウとターラはまだ仕事が残されているとのことで、てけてけと姿を消していく。10歳となった少女たちは、これまで以上に元気いっぱいに祝宴を満喫しているようだった。
「それじゃあ俺たちも、かまど巡りを再開させるか。……でも、アイ=ファは大丈夫か?」
「うむ? 何がだ?」
「いや、アイ=ファはラウ=レイの母さんを見ると、自分の母親のことを思い出しちゃうんだろ? それでコタ=ルウのああいう姿を見ると、余計にこう……居たたまれない気分になっちゃうんじゃないかと思ってさ」
アイ=ファは剥き出しの肩で、俺の肩を小突いてきた。
そしてさりげなく、ほんの一瞬だけ俺の手をぎゅっと握っていく。
「お前などは、私よりも早くに母親を失っているのであろうが? それで私ばかりを案ずる理由はあるまい」
「いや、俺は別にラウ=レイの母さんを見ても、自分の母親を思い出したりはしないからさ」
「……私には、お前がいる。だから、何も案ずることはない」
そう言って、アイ=ファはこっそり幸福そうな微笑を垣間見せてくれた。
俺も心からの笑顔を返してから、「よし!」と広場に向きなおる。
「それじゃあ、出発だな。腹のほうもまだ六分目ぐらいだし、ルウ家自慢の宴料理をいただくことにするか」
勇躍、俺たちは手近なかまどに突撃することにした。
かまどの周囲にはおおよそ敷物が敷かれて、歓談の場が作られている。かまどに近づく手前で、その敷物の人々に呼びかけられることになった。
「あ、アスタにアイ=ファじゃん! 祝宴が始まってからは、すっかり別行動だったね! よかったら、こっちにおいでよー!」
それは、ユーミであった。敷物でご一緒しているのは、いずれも森辺の老若男女である。もっとも見知った相手としては、マイムが笑顔で会釈をしてくれていた。
「うん、了解。料理をもらったら、そっちにお邪魔するね」
そうしてかまどに向かってみると、そこで働いているのはミケルとバルシャであった。きっとマイムとは交代で働いているのだろう。
「お疲れ様です。こちらはミケルたちの料理だったんですね」
「やあ、アスタにアイ=ファ。よかったら、食べていきなよ」
森辺の装束を纏ったバルシャが、高い位置から陽気に笑いかけてくる。
いっぽうミケルはむっつりとした仏頂面のまま、俺たちのために料理を取り分けてくれた。ミケルとマイムが中心になって作りあげた、汁物料理である。
こちらの料理はカロン乳仕立ててで、ギバ肉ばかりでなくアマエビに似たマロールや貝の乾物なども使われている。レイナ=ルウも似たような趣向の料理を屋台で出していたが、それともまた一風異なる魅力を持つ、素晴らしい出来栄えの料理であった。
「ありがとうございます。……ジーダは勇士の座を獲得して、すごかったですね。おふたりも、鼻が高いでしょう?」
「ふふん。最近は、なかなか闘技で勝つのも難しくなってきたみたいだからねえ。的当ての力比べが加えられたのは、何より幸いだったろうよ」
唐獅子のように厳つい顔に誇らしげな微笑をたたえつつ、バルシャがアイ=ファを振り返る。
「でも、あいつも負けん気が強いからね。闘技や棒引きでも結果を出せるように、アイ=ファのところにでも押しかけかねない勢いさ」
「なに? どうして私なのだ?」
「そりゃあ、ラウ=レイがアイ=ファに手ほどきされて、あれだけの力を身につけたからだろうさ。きっとこの後も、余興の力比べで勝負を挑んでくるだろうと思うよ」
「余興であれば、いっこうにかまわんが……ファの家は近々サウティの血族を迎える約定があるため、しばらくは遠慮を願いたい」
「そうかい。ま、休息の期間はそんな真似もしないだろうから、また追々にね」
そうして嘆息を噛み殺すアイ=ファとともに、俺は敷物へと舞い戻った。
ユーミにマイムという組み合わせはいささか物珍しくも感じられるが、かつてはおたがいに町からの客人として森辺に招かれていた身であるのだ。また、屋台の常連客であったユーミは、マイムともぞんぶんに絆を深めているはずであった。
「やあやあ、待ってたよ! この料理、ほんとに美味しいよねー! シリィ=ロウたちの料理も、負けてなかったけどさ!」
「あ、そっちももう食べたんだね」
「あったりまえじゃん! 真っ先にいただいたよ! そんでもって、しばらくはそっちのかまどに居座ってたんだけどね。シリィ=ロウが邪魔そうにしてたから、その後はあちこちうろついて、ようやくここで腰を落ち着けたってわけ」
ユーミも、心から楽しげな様子であった。
また、周囲の人々もとても和やかな面持ちでユーミを囲んでいる。俺が親密にしているような相手は見当たらなかったが、ユーミは祝宴や交流会や復活祭といった数々のイベントを経て、俺以上に交流の輪を広げていそうなところであった。
「いまはね、マイムから森辺での生活について聞いてたの。あたしは、その……そういうことを、よく知っておかないといけない立場だろうからさ」
「なるほど。だから、あえての単独行動なのかな?」
「違うよ! アイ=ファ、アスタを引っぱたいてもいい?」
「いや。私が仕置きをしておくので、それで勘弁願いたい」
と、アイ=ファは優しく俺の頭を引っぱたいてくれた。
ユーミはほんのり顔を赤くしながら、「やーい」とはやしたててくる。
「今日の祝宴に招かれてるような連中だったら、あたしだって今さら気を使ったりしないよ! アスタって、たまに意地悪なこと言うよねー!」
「ごめんごめん。いつも強気なユーミが照れくさそうにするのが可愛らしくって……あいて」
「ざまーみろ! ……あたしだって真剣なんだから、そんな茶化さないでよ」
「うん、ごめんごめん。マイムたちも元は町の住人だったから、ユーミにとっては何より参考になるだろうしね」
ユーミもいずれ、森辺に嫁入りするかもしれない。それに備えて、あれこれ覚悟を固めているさなかであるのだろう。俺も茶化すつもりはなかったのだが、ついつい祝宴の熱気にあてられてしまっていたのだ。
「でも、わたしは家族ごと家人に迎えられた身ですので、ユーミの参考になるかはわかりません。たとえ森辺がどれだけ素晴らしい場所であっても、家族のもとを離れて嫁いでくるというのは、とても心細いことなのでしょうね」
「嫁いでくる」のひと言でユーミはいっそう顔を赤くしていたが、マイムはとても真剣な面持ちであったので、その頭を引っぱたいたりはしなかった。
「うん、まあ、森辺が素晴らしい場所だってことは、あたしだってわかってるんだよ。問題は、あたしなんかに森辺の生活がつとまるかってことだから……」
「あんただったら、なんの心配もいらないと思うけどねえ」
と、年配の女衆が口をはさむと、同じく年配の男衆も「そうだなあ」と考え深げに言った。
「あんたはいかにも町の人間らしい気性をしているように思うけど……もしも俺の息子が嫁に迎えたいとか言い出しても、むやみに反対したりはしないだろうと思うよ」
「ほんとにー? 森辺のお人らは優しいから、あたしに気を使ってくれてるんじゃない?」
「気を使っても、虚言を吐いたりはしない。うん、こういう話を疑ってかかるのも、町の人間らしい気質なんだろうな。しかしべつだん、腹は立たんよ」
そう言って、男衆は土瓶の果実酒をあおった。
「それに俺たちは、すでにマイムたちを血族として迎えた身だからな。あんたのことも、1年以上前から祝宴に招いていたし……今さら忌避することはない」
「そうそう。あんたが気持ちのいい娘さんだってことは、みんなもう十分にわかっているからねえ」
ユーミはいっそう照れ臭そうに笑いながら、「ありがとう」と応じた。
「森辺のお人らにそんな風に言ってもらえるのは、光栄でたまらないよ。あたしなんて、町でも性悪で通ってるぐらいだからさ」
「それを言ったら、俺たちだって蛮族として恐れられていたからな。もちろん町には気に食わない人間だって大勢いるんだろうが、それをひとくくりにするのは間違ったことであると、俺たちは学ばされることになった。大事なのは、どこで生まれ育ったかではなく、どのような人間であるかということなのだろう」
そう言って、その男衆は俺のほうにも笑いかけてきた。
他人事のようにユーミを茶化していた俺であるが、森辺で真っ先に迎え入れられた町の人間というのは、俺が第1号であったのだ。俺は恐縮しながら笑顔を返し、アイ=ファはひっそりと満足げに目もとをゆるめていた。
それからしばらく談笑を楽しんで、俺とアイ=ファはかまど巡りを再開する。
その道中で、また物珍しい一団を発見した。ドムとルティムの人々と、テリア=マスおよびレビという組み合わせである。
「どうも。レビたちは、ここにいたんだね」
「ああ。モルン・ルティム=ドムたちを、あらためてお祝いしてたんだよ」
彼らがくつろいでいたのは、かつて青空食堂で使っていた丸太の座席であった。購入してから1年半近くが経過して、それらもだいぶん傷み始めていたが、まだ焚きつけにするのは早いと判じられていたのだ。
それにしても、ドムとルティムの人々が交流を温めている場にレビとテリア=マスが参入しているというのは、なかなか愉快な取り合わせであった。繊細な気性をしたテリア=マスも、とりたててドムの狩人たちの迫力に気圧されたりはしていないようだ。
その場に居揃っているのはディック=ドムとレム=ドムとモルン・ルティム=ドムに、分家の男女が1名ずつ。それにルティムからは、ラー=ルティムにオウラ=ルティムにツヴァイ=ルティムという、これもなかなか異色の顔ぶれであった。
「わたしたちもさきほどかまど仕事が交代の刻限となったので、こちらに参じました。それまでは、分家の方々がお相手をしていたのですよ」
と、オウラ=ルティムがそのように説明してくれた。相変わらずの、穏やかで落ち着いた面持ちだ。
「そしてかまどで働いている間は、ずっとディガやドッドらと語らっていました。ミダ=ルウが勇士となる姿を見届けて、ずいぶん感服していたようですね」
「フン。自分たちはいまだに見習い狩人の身なんだから、内心では悔しくて仕方ないだろうサ」
ツヴァイ=ルティムがいつもの調子で悪態をつくと、ディック=ドムはけげんそうに首を傾げた。
「しかしドッドは見習いの身でありながら、こちらの力比べで勇士となっている。また、勇士になれなかったことを嘆いていたディガもその苦しみを乗り越えて修練と仕事に励んでいるので、今さら口惜しく思うことはなかろう」
「ああもう、こんな軽口に理詰めで追い込んでくるんじゃないヨ! 冗談のわからない家長さんだネ!」
「冗談口であったか。ならば、大事ない」
ディック=ドムが生真面目に答えると、モルン・ルティム=ドムはくすくすと笑う。ツヴァイ=ルティムがケンケンわめいてもまったく動じないディック=ドムの姿は、俺の目から見ても微笑ましかった。
そして、そんなドム家の若き夫妻を見やるテリア=マスは、どこかうっとりした面持ちになっている。もしかしたら、新婚夫婦の幸福そうな空気をおすそ分けしてもらっているのかもしれなかった。
(そういえば、テリア=マスはレビのことを憎からず思ってるんだもんな)
いっぽうレビは陽気に笑いながら、丸太の卓に並べられた料理をかきこんでいる。こちらはこちらで、何やらレム=ドムと意気投合している様子であった。
「しばらくしたら、余興の力比べってのが始められるんだろう? あんたも参加するのかい?」
「ええ。そのつもりで、装束の準備もしているのだけれどね。頑固な誰かさんが、客人は身をつつしむべきだって言いたてているのよ」
そう言って、レム=ドムはアイ=ファに流し目をくれてきた。
「ね、アイ=ファも力比べに加わるのでしょう? 婚儀の祝宴の日に、そう言っていたはずよね?」
「うむ。ドンダ=ルウらはそれを許したし、私もすでに何名かの狩人から申し入れをされているしな」
「ほら、見なさい。同じ客人のアイ=ファが加わるんだから、わたしにだって資格はあるでしょう? 意地悪を言わないで、どうか了承をちょうだいよ」
と、レム=ドムは家長たる兄の肩を荒っぽく揺さぶった。
ディック=ドムは考え深げな眼差しになりながら、ラー=ルティムに向きなおる。
「長き時を生きる長老ラー=ルティムに、知恵をお借りしたい。俺はドムの家長として、どのように振る舞うべきであろうか?」
「そうさな……レム=ドムの言葉にも、理はあるように思う。おぬしは他の狩人たちにも、力比べに加わることを許したのであろう?」
「うむ。とりわけディガやドッドには得難い経験であるかと思い、それを許した」
「そしてこの場では、女衆たるアイ=ファも力比べに加わるという。これでレム=ドムにだけ我慢を強いるというのは、いささか気の毒であるやもしれんな」
目つきや口調は厳しいが、人間味にあふれたラー=ルティムの裁決であった。
レム=ドムは、いくぶん芝居がかった様子でラー=ルティムに一礼する。
「聡明なる長老ラー=ルティムと血の縁を紡げたことを、心より喜ばしく思うわ。どうかこれからも、頑迷な兄を導いてあげてね」
「おぬしに狩人となることを許したディック=ドムを、頑迷と呼ぶことはできまい。おぬしもドム本家の家人として、家長を大いに見習うべきであろうと思うぞ」
「お言葉のままに」と、レム=ドムは白い歯をこぼした。
ドムとルティムの間にも、着々と確かな絆が結ばれているようだ。モルン・ルティム=ドムもそれを喜ぶかのように、ずっとにこにこと笑っていた。
そこに、「あー、いたいた!」という元気な声が響きわたる。
振り返ると、お盆を掲げた宴衣装のララ=ルウが立ちはだかっていた。
「アイ=ファにアスタ! サティ・レイが、やっと起きたの。これから料理を届けるんだけど、一緒にいかない?」
「うん。それなら、是非。……すいません。またのちほど、ゆっくり語らせてください」
そうして俺とアイ=ファが腰をあげると、ララ=ルウはモルン・ルティム=ドムのほうにも目をやった。
「モルン・ルティム=ドムも、まだサティ・レイと顔をあわせてないでしょ? 一緒に来てくれたら嬉しいんだけど、どうかな?」
「ええ、もちろん。……申し訳ありません、ディック。しばし席を外してもよろしいでしょうか?」
「うむ。俺たちが総出で押しかけては迷惑であろうから、ドムの代表として挨拶をしてきてもらいたい」
とても厳粛な声音を発しつつ、ディック=ドムの眼差しは優しげだ。
モルン・ルティム=ドムは幸福そうに微笑みながら、「はい」とうなずいた。
そうして俺たちは早々に離席して、ルウ本家を目指す。
そのすぐ手前で、やはりお盆を掲げたレイナ=ルウと出くわした。
「ああ、アスタたちも見つかったんだね。ララ、ありがとう」
「うん! これだけ人が多いと、目当ての相手を捜すのもひと苦労だよねー!」
レイナ=ルウたちは両手がふさがっていたので、許可をもらったのちに俺が戸板を開けてみせる。
土間の向こうの広間には、すでにそれなりの人数が集まっていた。
「来た来たー! サティ・レイ、あっちも今日の宴料理だよー!」
元気な声をあげたのは、リミ=ルウだ。ターラとはいったんお別れしたようで、そのかたわらにはヴィナ・ルウ=リリンが座している。
その向こう側に、ティト・ミン婆さんに付き添われたサティ・レイ=ルウが座っていた。草籠では赤子のルディ=ルウがすやすやと眠り、その逆側にちょこんと控えているのは――コタ=ルウだ。
「あはは。本家の家人が半分ぐらいそろっちゃったね!」
「ええ……この前もお邪魔したばかりなのに、なんだか懐かしく感じられるわぁ……」
車座の中央には、すでにいくつかの木皿が置かれていた。おそらくはリミ=ルウたちが運んできたのであろう、料理と菓子の木皿だ。
そしてレイナ=ルウたちの手によって、新たな木皿が並べられていく。その数に、サティ・レイ=ルウは「まあ」と目を見張った。
「すいぶんたくさん運んできてくれたのね。申し訳ないけれど……わたしひとりでは、とうてい食べきれないわ」
「いいのいいの! あたしたちだって、まだ食べ足りないからさ!」
確かにその場には、とうてい1名分では収まらないような量の料理が持ち込まれていた。すべては大皿に盛りつけられて、取り分け用の小皿までもが準備されているのだから、最初からの目論見通りなわけである。
すべての料理が置かれるのを待って、俺とアイ=ファも座らせていただく。
するとサティ・レイ=ルウが、申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「祝宴のさなかに、わざわざありがとうございます。わたしなどにはかまわず、どうぞ祝宴をお楽しみください」
「はい。今も楽しんでいるつもりです」
サティ・レイ=ルウは、半月前と変わりないようだった。表情は明るいが、頬の肉がわずかにこけている。回復も悪化もしていない、といった様相だ。
そんなサティ・レイ=ルウに、モルン・ルティム=ドムがにっこりと微笑みかける。
「おひさしぶりです、サティ・レイ=ルウ。わたしも無事、ドムに嫁入りすることがかないました」
「ええ。祝福が遅くなってしまって、申し訳ありません。……髪も装束も、とてもお似合いです」
「こちらこそ、祝福が遅くなってしまいました。……そちらが、ルディ=ルウですね」
草籠のほうを覗き込んでから、モルン・ルティム=ドムはまた微笑む。
「とても立派で、とても可愛いお子ですね。サティ・レイ=ルウのように聡明でジザ=ルウのように強い人間に育つことでしょう」
「ありがとう。……ジザのように頑固で、わたしのように気ままな人間に育たなければいいのだけれど」
「あはは。それでも、本家の家人っぽいじゃん」
ララ=ルウが、明るい声音で相槌を打つ。
ようやくサティ・レイ=ルウが目を覚まして、誰もが喜びにひたっているのだ。ヴィナ・ルウ=リリンもレイナ=ルウも、リミ=ルウもティト・ミン婆さんも、みんな笑顔でサティ・レイ=ルウの姿を見守っている。
そして、コタ=ルウは――懸命に気持ちを抑えながら、ただ小さな手で母親の装束をぎゅっと握りしめていた。
「……あのさ。今さらだけど、俺たちはお邪魔じゃないかな?」
俺がそのように囁きかけると、レイナ=ルウは笑ったまま眉を吊りあげた。
「何を仰っているのですか。アスタには、この場にいてもらわないと困ります」
俺はもともとサティ・レイ=ルウに挨拶をするつもりであったが、レイナ=ルウはそれよりも早くから俺に同席を望んでくれていたのだ。俺とレイナ=ルウは、最初からこの夜の共犯者であったのだった。
「それじゃあ、食事にしましょう。せっかくの宴料理が冷めてしまいますからね」
そうしてレイナ=ルウは意気揚々と、大皿の料理を取り分けていった。
それを見守っていたサティ・レイ=ルウが、途中で「あら……?」と声をあげる。
「ねえ、レイナ。これが……今日の宴料理なの?」
「うん、そうだよ。どれも立派な料理でしょう? わたしたちだけじゃなく、アスタたちも力を尽くしてくれたからね」
その場には、8種もの料理や菓子が持ち込まれていた。
俺が準備した、チヂミ風のお好み焼きと、焼きうどん。
レイナ=ルウたちが準備した、ギバ骨ラーメンとケチャップ・シャスカ。および、ミソ仕立てのモツ鍋とチャッチ餅。
トゥール=ディンが取り仕切り役を果たした、ロールケーキ。
そして、ボズルの準備したギバ肉の包み焼きである。
「だけど、なんだか……宴料理らしくない献立であるように思えてしまうのだけれど……」
「そんなことないよ。ただ、宴料理の中でもサティ・レイが食べられそうなものを運んできただけだから」
そう言って、レイナ=ルウは俺のほうを指し示してきた。
「サティ・レイが大好きなポイタンやシャスカの料理には、できるだけ香草や乳や乾酪を使わないようにして、他の料理でふんだんに使ってるの。アスタと一緒に、頑張って考えたんだよ」
「そう……だったの?」
「うん。サティ・レイとも、今日の喜びを分かち合いたかったから」
そう、そういう目論見でもって、レイナ=ルウは俺に協力を申し入れてきたのである。もちろん俺はすぐさま了承して、レイナ=ルウとともに宴料理の献立を考案してみせたのだった。
ケチャップ・シャスカには腸詰肉を使用しており、そこにはわずかに香草も使われていたが、決して母乳に香りが移るほどではないだろう。もともとサティ・レイ=ルウはオムライスを好んでいたという話であったので、これは真っ先に選ばれることとなった。
俺が準備したチヂミ風のお好み焼きも、ソースにマロマロのチット漬けを使っていたが、あくまで隠し味ていどのものだ。むしろ、しばらくは香草の料理を楽しめないのだから、身体に悪い影響が出ない範囲でその風味を味わってほしかった。
焼きうどんやギバ骨ラーメンには、もともと香草も使われていない。そしてどちらも、サティ・レイ=ルウが好む炭水化物が主体の料理であった。
ギバのモツ鍋は、以上のラインナップを鑑みて、足りない野菜の滋養を取ってもらうための献立だ。
そしてボズルの料理というのは、たまたま香草の要素が少ない料理であったため、この場に加えることがかなった。しかも、サティ・レイ=ルウ好みの生地が使われていたというのは、僥倖と呼ぶしかないだろう。
チャッチ餅とロールケーキは、アマンサとワッチを使ったものをそれぞれ準備している。ロールケーキのほうは多少なりともカロン乳や乳脂などが使われていたが、ロイたちにお知恵を拝借したところ、城下町でもそうまでそれらの食材が避けられることはないと聞き及び、この場に運んだ次第であった。
「もう……わたしがそんなにポイタンやシャスカの料理を好んでいると思われているのかと思うと……なんだか、気恥ずかしくなってしまうわ」
そんな風に言いながら、サティ・レイ=ルウはやわらかく微笑んでくれていた。
その鼻先に、ララ=ルウが「はい」とギバ骨ラーメンを差し出す。
「早く食べないと、冷めちゃうからね! でも、無理していっぺんに食べないでね? できるだけ色んな料理を口にしたほうが、みんなと喜びを分かち合えるだろうからさ!」
「ええ……広場では、すべての血族が同じ料理を口にしているのよね?」
「うん! 外に出ることができなくても、同じ喜びは分かち合えるんだよ!」
木皿を受け取ったサティ・レイ=ルウは、ギバ骨ラーメンをひと口すすった。
「美味しいわ……らーめんを口にするのは、数ヶ月ぶりですものね……」
「うん! それはあたしらも一緒だけどね! やっぱ、らーめんは美味しいよねー!」
さすがにギバ骨ラーメンは、サティ・レイ=ルウの分だけが準備されている。リミ=ルウはにこにこと笑いながら、小皿に取り分けたケチャップ・シャスカを口にした。
「おいしー! 卵でくるまなくても、けちゃっぷしゃすかはおいしーよね! サティ・レイも、食べてみてー!」
「ありがとう。……らーめんは脂が強いから、このひと口でやめておいたほうがよさそうだわ」
「うん、そっか! だったら残りは、コタにあげちゃえば?」
一心に母親の姿を見上げていたコタ=ルウは、きょとんとした顔でリミ=ルウを振り返った。そしてサティ・レイ=ルウも、どこか似たような眼差しでリミ=ルウのほうを見る。
「でも、コタはまだ3歳よ? 菓子の他には、宴料理を口にすることも許されていないでしょう?」
「でも、ちっちゃい子たちの今日の晩餐は、このもつなべだよー? だったら別に、一緒じゃない?」
「うん、そうだね」と同意したのは、レイナ=ルウであった。
「最近の祝宴では、宴料理の中から幼子たちにも食べられそうなものを選んで、それを晩餐にしてるからね。ドンダ父さんも、それでかまわないって言ってくれたからさ」
「でも……他の幼子たちは、もつなべしか口にしていないのでしょう? コタにだけ、他の宴料理を食べさせるというのは……」
すると、無言で様子をうかがっていたヴィナ・ルウ=リリンも発言した。
「今日のコタは、そのもつなべもほとんど口にしていなかったわよぉ……あなたのことが心配で、食事が咽喉を通らなかったみたいねぇ……」
サティ・レイ=ルウは眉尻を下げて、我が子のほうに視線を転じた。
コタ=ルウは、上目遣いにそれを見返す。
「コタはとても苦しんでいたのだから、こっそりあなたと喜びを分かち合うことぐらい、許してあげればいいのじゃないかしら……?」
「そーだよ! さっきだって、コタはおかしを食べてなかったしね!」
「もしもジザ兄が怒ったら、あたしたちがなだめるよ。だから、心配いらないって!」
「わたしも、そう思う。森辺の習わしは大事だけど、それは民が幸福に生きるために作られたものでしょう? こんなことで、母なる森の怒りには触れないはずだよ」
4姉妹が口をそろえてそのように言いたてると、最後にティト・ミン婆さんが笑顔で言葉を添えた。
「この場で家人を導くのは、先代家長の伴侶であるわたしのはずだよね。わたしが許すから、コタにも料理を食べさせておあげ」
サティ・レイ=ルウはそっと目を伏せてから、ギバ骨ラーメンの木皿をコタ=ルウに差し出した。
それをちゅるちゅるとすすったコタ=ルウは――ぽろりと涙をこぼしながら、笑顔で母親の姿を見上げた。
「かあ、らーめん、おいしいね」
「ええ……すごく美味しいわね」
サティ・レイ=ルウもひっそりと微笑みながら、息子の頭を優しく撫でた。
コタ=ルウはぽろぽろと涙をこぼしながら、残りの麺もすすりあげる。
その後は、俺たちも多めに準備した料理をともに口にすることになった。
サティ・レイ=ルウはまだ本調子でないので、ほとんどひと口ずつぐらいしかそれらの料理を口にすることができない。しかしそれでも、自分にだけ準備された雑炊やおじやを口にするよりは、遥かに幸福なはずだった。
「この料理は、すごく不思議な味……これが、城下町の料理なのね?」
「うん。ボズルが作ってくれたんだよ。サティ・レイの口にも合うんじゃないのかな」
「ええ、美味しいわ……でも、不思議な味……コタも食べてみる?」
「うん」とうなずいたコタ=ルウは、黒フワノの生地にさくりと歯を立てた。
それから、「うーん」と小首を傾げる。
「おいしいけど……コタは、らーめんとかうどんがすき」
「そう。人にはそれぞれ好ましい料理があるからね」
俺はコタ=ルウが、こうして母親と言葉を交わす姿を見るのも、ほとんど初めてのことだった。もともと寡黙なのか、それとも客人の前では遠慮が出るのか、コタ=ルウが口をきく姿そのものを、あまり目にする機会がなかったのだ。
(でも、3歳だったらこれぐらい喋れるのが普通だよな。これを機に、俺とももっとおしゃべりしてくれたら嬉しいんだけどな)
俺がそんな風に考えていると、コタ=ルウがこちらにくりんと向きなおってきた。
その母親に似た黒に近い青色の目が、俺の顔をじっと見つめてくる。それからコタ=ルウはやおら立ち上がり、俺のほうにとことこと近づいてきた。
「どうしたんだい、コタ=ルウ?」
「……りょうり、アスタとレイナがかんがえたの?」
「うん。考えたのは、俺とレイナ=ルウかな。それをみんなで作りあげたんだよ」
コタ=ルウはひとつうなずくと、小さなお手々を自分の首の後ろ側に回した。
そうして、3本の角や牙の下げられた首飾りを取り外すと、そのうちの1本を俺のほうに差し出してくる。
俺は、なんだか――ものすごい不意打ちをくらった気分であった。
「これを……俺にくれるのかい?」
「うん。しゅくふく。……みんながアスタをしゅくふくしたとき、コタはまだあかちゃんだったから」
俺は大いに惑乱しながら、その場にいる人々を見回すことになった。
その中から、レイナ=ルウが穏やかに微笑みかけてくる。
「わたしたちがアスタに祝福を捧げたことは、リミやルドがコタに聞かせていました。あの頃のコタはまだ1歳で、今のルディのように草籠で眠っていましたものね」
「うん、そっか。……俺はこれを受け取ってもいいのかなあ?」
「それは、アスタとコタが決めることだと思います」
俺は、目の前のコタ=ルウに向きなおった。
俺のほうは座っているのに、目線の高さはほとんど変わらない。まだ少しだけ涙をにじませているコタ=ルウは、はにかむように口をほころばせた。
「おいしいりょうりをつくってくれたから、しゅくふく。……アスタ、ありがとう」
「……こちらこそ、ありがとう」
俺は、コタ=ルウからの祝福を受け取った。
俺の首には、まだルウの人々から授かった祝福の牙が、そのまま下げられている。それが今日、ついに12本に増えたのだった。