ルウの血族の収穫祭⑥~交流~
2021.3/13 更新分 1/1
しばらくボズルたちとも語らったのち、俺とアイ=ファは勇士の敷物に移動することにした。
そちらはそちらで、大変な騒ぎである。まずはラウ=レイのもとにおもむいてみると、そこにはベンとカーゴ、ディガにドッドという風変わりなコンビが居合わせていた。
「おお、アスタにアイ=ファ! ようやく来たのか! ずいぶん待たせてくれるではないか!」
ラウ=レイは、すでにずいぶん酒が進んでいる様子である。かたわらにヤミル=レイを侍らせて、心から上機嫌の様子だ。
そして、ディガとドッドが陣取っている理由がよくわかった。その場にはヤミル=レイと、それに勇士たるミダ=ルウも顔をそろえていたのだった。
「アイ=ファにアスタ……ミダも、お話したかったんだよ……?」
大きな首飾りをかけられたミダ=ルウも、幸福そうにぷるぷると頬肉を揺らしていた。
それと向かい合うディガとドッドも笑顔であるが、ディガのほうは目もとを赤くしてしまっている。きっと涙もろいディガは、ミダ=ルウの勇躍に感極まることになったのだろう。
「よ、あっちも賑やかだったな。俺たちも挨拶に行きたいんだけど、ラウ=レイがなかなか離してくれなくてよ」
ベンが陽気に言いたてると、ラウ=レイがそちらに顔を突き出した。
「お前らがいなくなってしまったら、酒をくらうのも俺ばかりになってしまうではないか! どうせアスタやアイ=ファも酒を口にしないのだろうから、もう少し居残っておけ!」
「はいはい。横暴な家長さんで、ヤミル=レイの苦労が偲ばれるね」
そういえば、ベンとカーゴは以前の祝宴でもラウ=レイたちと気安く過ごしていたのだ。その後、宿場町における交流において、いっそう絆は深められたはずであった。
「客人たちにわたしの苦労を理解してもらえて、幸いだわ。わたしはそろそろ仕事に戻らせてもらおうかしら」
「仕事など自分たちにまかせておけと、俺の姉たちが言っていたではないか! いいからお前は、客人と俺の相手をしろ! ディガやドッドやミダ=ルウも、まだまだお前と語り足りなそうにしているぞ!」
ラウ=レイの姉たちは、また今回もヤミル=レイと仕事をともにしていたようだ。宴衣装のヤミル=レイは、妖艶なる姿で憂いげに息をついていた。
勇士は他にも6名存在するが、そちらはそちらでそれぞれの家族や客人らと楽しく語らっているようだ。とりあえず、俺とアイ=ファはこの場にお邪魔させてもらうことにした。
「ラウ=レイもミダ=ルウもおめでとう。ルウの血族で勇士の座を授かるって、本当にすごいことだよね」
「うむ! 俺も力を尽くしたのだが、けっきょく荷運びでしか勇士の座を得られなかった! これはまた、アイ=ファに手ほどきを願うしかなかろうな!」
「……ルウの血族にはこれだけの狩人が居揃っているのだから、私などの力は必要あるまい」
「そんなことはないぞ! アイ=ファは棒引きや木登りも得意にしておるのだろう? それに闘技とて、やはりその力は卓越しているのだからな! 今日はたっぷり酒を飲んでしまったので、日をあらためて勝負をお願いしたく思うぞ!」
すると、果実酒でほんのり目もとを染めたカーゴが、笑顔でアイ=ファに向きなおった。
「他の連中からも、アイ=ファがすげえって話はさんざん聞かされてるんだよな。自分らの収穫祭では、闘技の勇者だってんだろう? それに、ルウの力比べでも、最後の4人まで勝ち残ったんだって?」
「それはもう、2年近くも昔の話となる。いまさら取り沙汰する甲斐もあるまい」
「いやあ、アイ=ファなんてまだまだ若いんだから、年をくったらそのぶん力が上がるぐらいだろ。本当にすげえよなあ」
他者からの賞賛があまり得意でないアイ=ファは、ただ目礼を返していた。
すると、こちらはシラフであるらしいドッドがそっと顔を寄せてくる。
「さっきから、あっちのディグド=ルウとかいうやつが、アイ=ファとやりあうのが楽しみだって息巻いてるんだよ。あいつと何か、そういう約定でも交わしてるのか?」
「約定を交わしたわけではないのだが……ドンダ=ルウやジザ=ルウも余興で力比べを行うことを許したのだと聞いている。ならば、頑なに拒むことは難しかろうな」
「そうか。だったら、俺もお願いできねえかなあ? 北の集落では、棒引きの勝負しか許されなかったからよ。アイ=ファがどれだけすごい狩人なのか、そいつを闘技の力比べでも味わってみてえんだ」
長めの髪をオールバックにしたドッドは、その狛犬のように厳つい顔にとても真剣な表情を浮かべていた。
「俺なんて、闘技の腕はからっきしだけどさ。そんなに身体も大きくないアイ=ファがどんな風に強いのか、ずっと気になってたんだ。面倒だろうけど、どうにか了承してくれねえか?」
「……お前は私と同程度の背丈であるようだが、肉づきのほうは比較にもならん。私から学べることなど、そう多くはないように思えるが」
「でも、北の集落は力でねじ伏せる狩人がほとんどなんだ。アイ=ファは、そうじゃねえんだろう? だから、アイ=ファから学びてえんだよ」
「……了承した」と、アイ=ファは目で微笑んだ。
「そのように真剣な眼差しで乞われては、拒むこともできん。ディグド=ルウやラウ=レイにもそういった態度が見られれば幸いなのだがな」
「ありがとう。感謝するよ」
ドッドは、子どものように笑み崩れた。
すると、その向こう側からディガも顔を突き出してくる。
「だ、だったら俺もお願いするよ。アイ=ファと勝負できる機会なんて、この先もそうそうないんだからな」
「お前は昔、アイ=ファを襲おうとしてぶん投げられてんだろ? だったら、もういいじゃねえか」
「な、なんだよぉ。ひでえこと言うなよぉ」
と、ディガは焦った顔でドッドの分厚い肩を揺さぶった。
こちらの内緒話は聞こえていなかろうが、ミダ=ルウはとても満ち足りた眼差しでかつての兄たちの姿を見守っている。そっぽを向いているヤミル=レイも、きっと要所では流し目をくれているのだろうと思われた。
「お前たちは、何をこそこそと語らっておるのだ? このような場でこそこそするのは、不相応だぞ!」
ラウ=レイはぷんすかとしながら、また土瓶の果実酒をあおった。
「お前らもさっさと一人前になって、酒を飲めるようになれ! まったく、面白みのないやつらだ!」
「あなたはひとりで飲みすぎなのよ。大して強くもないくせに、いつになったら加減を覚えるのかしら」
「あはは……ヤミル=レイに比べたら、誰だって弱くなっちゃうんだよ……?」
ミダ=ルウは巨体を揺するようにして、幼子のような笑い声を絞り出した。
なんとも微笑ましい心地を抱かされながら、俺はそちらを振り仰ぐ。
「そういえば、ミダ=ルウもお酒を飲まないんだね。お酒はあんまり口に合わないのかな?」
「うん……お酒の味は嫌いじゃないんだけど……お酒を飲むと料理の美味しさがぼやけちゃうから、飲まないようにしてるんだよ……?」
「なるほど。お酒と料理はおたがいの魅力を引き立て合う効果もあるらしいけど、それよりも舌の感覚が鈍っちゃうことが気になるってことなのかな」
「うん……? お酒を飲むと料理を美味しく感じる人もいるってことなのかな……?」
「そうみたいだよ。俺も飲まないから、よくわからないんだけどね。俺たちももっと年齢を重ねたら、わかるようになるのかな」
そんな何気ない言葉を交わしているだけで、心の弾んでしまう俺であった。
普段にはなかなかありえない顔ぶれで料理を囲み、ただ語らう。それが、しみじみと幸福であるのだ。だいぶん城下町の祝宴にも慣れてきた俺であるが、このゆったりと心を満たされていくような感覚は、やはり森辺の祝宴ならではのものであった。
そうしてしばらくたわいもない会話を楽しんでいると、また別の一団が敷物にやってきたようだった。
そしてさらに、ユン=スドラたち4名も姿を現した。半分の料理をさばいたら中休みを入れる手はずになっていたのだ。レイ=マトゥアの手によって引っ張り出されたマルフィラ=ナハムは、ふにゃふにゃ笑いながらミダ=ルウに一礼した。
「ミ、ミ、ミダ=ルウ、本日はおめでとうございます。う、う、噂で聞いていた通りの、素晴らしい力であったと思います」
「うん、ありがとうだよ……ひさしぶりにマルフィラ=ナハムに会えて、ミダも嬉しいんだよ……?」
「あ、あ、ありがとうございます」と嬉しそうに目を細めてから、マルフィラ=ナハムはあたふたとラウ=レイにも頭を下げた。
「あっ! ラ、ラ、ラウ=レイもおめでとうございます! そ、そのようにほっそりしているのに荷運びで勇士になれるなんて、本当にすごいと思います!」
「うむ! お前たちも、ゆっくりしていくがいい! ……とはいえ、この場もいささか窮屈になってきたようだな」
すると、ヤミル=レイが待ちかまえていたように声をあげた。
「だったらいい加減、わたしたちはこの場を退くべきでしょうね。今日の宴には200名近い人間が集められているのだから、同じ相手とばかり語らっているのは不相応であるはずよ」
「そうだなあ。俺たちも、まだ勇者の人らに挨拶をしてないからよ」
と、ベンとカーゴが立ち上がった。
さらにヤミル=レイが腰を上げても、まだいささか窮屈そうである。ここはいったん総入れ替えをするべきかと、俺やアイ=ファやディガたちも腰を上げることにした。
「まだまだ祝宴は始まったばかりだからね。あとでいくらでも、ゆっくり語らう時間はあるはずだよ」
「うむ、了承した! ディガにドッドよ、お前たちはツヴァイ=ルティムたちとも語らってくるといいぞ!」
と、けっこうな勢いで酔いどれつつ、ディガたちを気にかけているラウ=レイである。ルウの血族でも指折りで短絡的な気質でありながら、やはり根っこは人情に厚いのだ。
そうしてがっぽりと空いたスペースには、ユン=スドラたちが腰を下ろす。その中で、トゥール=ディンがヤミル=レイのすらりとした姿を見上げた。
「ヤミル=レイも、行ってしまうのですね。……あとでゆっくり語らせていただけますか?」
「わたしなんて、しょっちゅう屋台で顔をあわせているじゃない。もっとこの時間を大切したらどうかしら?」
「は、はい。大切に思うからこそ、ヤミル=レイとも語らせていただきたく思います」
トゥール=ディンはおずおずと微笑み、ヤミル=レイは肩をすくめた。
「あなたも酔狂な人間ね。とにかくわたしは、怠けていたぶん働いてくることにするわ」
そうして俺とアイ=ファは、ひとまず自由の身となった。
他の勇士たち――ドンダ=ルウにダルム=ルウ、シン=ルウにジーダ、ディグド=ルウにジィ=マァムといった面々は、新たに押し寄せてきた人々のお相手で忙しそうだ。すでに勇者への挨拶を終えている俺たちは、しばらくかまどを巡ることにさせていただいた。
「最近は敷物に腰を落ち着けることが多かったから、かまどを巡るのもひさびさに感じられちゃうな。……まあそれ以前に、雨季の間は祝宴そのものがなかったんだけどさ」
「うむ」と応じるアイ=ファは、どこかやわらかい眼差しになっていた。
敷物を離れても周囲に人があふれかえっていることに変わりはないが、それでも俺とふたりになれたことを喜んでいるような――そんな風に思えてならない眼差しである。
(それが俺の勘違いだったら、笑っちゃうけどな)
だけどそれはもしかしたら、俺の気持ちの裏返しなのかもしれなかった。
ラウ=レイたちと語らっているのは、心から楽しかった。しかしああいう場において、アイ=ファは口が重くなる。余人と離れてアイ=ファとふたりきりになると、今度はまた別種の幸福感が俺の胸を満たしていくのだった。
「あ、そういえば、まだジバ婆さんにも挨拶をしてなかったな。まずはそっちにお邪魔しようか?」
「いや。さきほどジバ婆が車椅子という器具で移動している姿が見えた。広場を巡れば、いずれ顔をあわせることもあろう」
「そっか。それじゃあ、適当にぶらつくか」
アイ=ファとともにあれる幸福を噛みしめながら、俺は熱気に包まれた広場を闊歩した。
過半数の人々はあちこちに腰を落ち着けており、残りの人々はかまど仕事に励んだり、あとは俺たちのように広場を散策している。そうして手近なかまどに向かってみると、そこには他のかまどより多くの人々が群がっていた。
まずはどういった料理を出しているのかと、裏のほうから回ってみると――そこで働いているのは、白装束の2名に他ならなかった。
「お疲れ様です、ロイ、シリィ=ロウ。ずっと休まずに働いているのですか?」
「よう。どこかでいったん区切りをつけろって助言をいただいたんだけど、かまどの前から人がいなくならないもんでね」
首からかけた手拭いで額の汗をぬぐいつつ、ロイはそのように言いたてた。ずっと煮え立つ油の前に立っているのだから、他のかまど番たちよりも流している汗は多いことだろう。
その隣では、鉄板と向かい合ったシリィ=ロウが一心にギバ肉を焼き上げている。その横顔は、真剣そのものであった。
「それだけ料理が好評ってことですね。俺もいただきましたけど、どちらも素晴らしい出来栄えでしたよ」
「ふん。それでも、ボズルにはかなわねえけどな。やっぱ肉の扱いでは、なかなかあの人にはかなわねえや」
そんな風に語りながら、ロイはどこか誇らしげな様子であった。
すると、逆の側からほっそりとした人影が回り込んできた。宴衣装ではなく一枚布の装束を纏った、シーラ=ルウである。
「お疲れ様です。もうそれなりの時間が過ぎたように思いますが、おふたりはまだ休まれないのですか?」
「ああ。どうにも切れ目が見つけられなくてね」
「そうですか。みなさんの料理は素晴らしい出来栄えでしたので、祝宴の終わり際でも口にできたら、いっそう喜ばれるかと思います。おふたりもお疲れでしょうから、どうぞご遠慮なくお休みください」
そう言って、シーラ=ルウはかまどの前に居並んでいる人々に向きなおった。
「またのちほどにもこちらの料理を楽しめるように、いったん休息を入れたく思います。いま焼きあげている分までで、ひとまず休ませていただけるでしょうか?」
「承知したよ。お客人らにも、あたしらの料理を楽しんでもらわないといけないしね」
人々は文句の声をあげることもなく、すうっと波が引くように立ち去っていった。
最前列に居残っていた数名だけが出来立ての料理を手にして、そちらもすみやかに立ち去っていく。とたんにシリィ=ロウがぐらりと倒れかかったので、アイ=ファが横からそれを支えた。
「大丈夫か? いささか気を張りすぎたようだな」
「も、申し訳ありません。ちょっと目眩がしてしまったもので……」
「まずは、水を飲め。アスタ、かまどの火の始末を」
「了解」と、俺はかまどの薪を外にかき出した。
その間に姿を消したシーラ=ルウが、水を汲んだ杯を手に戻ってくる。手近な敷物の端に腰を下ろしたシリィ=ロウは「ありがとうございます……」と頭を下げてから、むさぼるように水を飲んだ。
「今日はただでさえ、朝から気を張りっぱなしだったからな。もうちっと、早めに休憩を入れるべきだったよ」
申し訳なさそうに言いながら、ロイはシリィ=ロウのかたわらに膝をついた。
「大丈夫か? きついようだったら、後半はボズルに代わってもらいな」
「何を仰っているのですか。たとえ同輩であろうとも、自分の料理の責任をまかせることなどできません」
シリィ=ロウは人心地がついた様子で、いつも通りのきりっとした目をロイに突きつけた。
すると、シーラ=ルウも逆の側に腰を下ろして、シリィ=ロウに微笑みかける。
「シリィ=ロウがルウの血族のために力を尽くしてくださっていることを、得難く思います。でも、どうか無理はなさらないでくださいね」
「無理などしていません。これは、わたしが果たさなくてはならない仕事であるのです」
同じ目つきでシーラ=ルウを振り返ったシリィ=ロウは、そこに慈愛あふれる笑顔を見出して、力なく目を伏せてしまう。
「わたしは、その……こういう気性ですし、弁も立ちませんので……森辺の方々とどれだけ言葉を交わそうとも、さしたる交流は望めないのです。それでしたら、力を尽くして美味なる料理を供したほうが……よほど喜んでいただけるでしょう?」
「シリィ=ロウが美味なる料理を準備してくださることも、こうして言葉を交わしてくださることも、わたしは同じぐらい得難く思います」
優しい声音で言いながら、シーラ=ルウはシリィ=ロウの手に自分の手を重ねた。
「それにわたしは、しばらく城下町におもむけない身となってしまいましたので……こうしてシリィ=ロウと同じ場で過ごせることを、何より嬉しく思います」
「え? ど、どうして城下町に来られなくなってしまったのですか?」
「……子供が、できてしまったのです」
シーラ=ルウは、晴れやかな中に少しだけ気恥ずかしさをにじませた表情で、そのように答えた。
シリィ=ロウは目を上げて、そんなシーラ=ルウのことをきょとんと見返す。
「え……こ、子供が? あなたが、子を身ごもった、と……?」
「はい。それで、荷車に乗ることはしばらく差し控えることになりました」
シリィ=ロウは、しばらく無言でシーラ=ルウを見つめ続け――
やがて、その目からぽろりとひとしずくの涙を流した。
「あ、あれ? も、申し訳ありません! きょ、今日は朝から、ずっと気が昂っていたもので……!」
「何も詫びる必要などありません。わたしなどのことで、シリィ=ロウが涙を流してくださるのなら……それも、何より嬉しく思います」
シリィ=ロウは大慌てで目もとをぬぐってから、あらためてシーラ=ルウの笑顔を見つめ返した。
「か、身体は大丈夫なのですか? お子を身ごもったのなら、しっかり休まないと……!」
「大丈夫です。産まれるのは、まだまだ先の話ですので。ご案じくださって、ありがとうございます」
シリィ=ロウは深々と息をついてから、その手に重ねられたシーラ=ルウの手を握りしめた。
「と、取り乱してしまって、申し訳ありません。あまりに予想外のお言葉であったので……でも、そうですよね。あなたは婚儀をあげられたのですものね。あなたを城下町にお迎えできないのは、とても残念なことですが……でも、そんなことを言っても詮無きことです。どうか身をいたわって、元気なお子を産んでください」
とても熱心に語らうシリィ=ロウの姿を見届けてから、隣のロイが腰を上げて、俺に囁きかけてきた。
「なんか感極まって、素直な顔が出ちまってるな。いつもああいう顔を見せてりゃ、人とぶつかることもないだろうによ」
「どっちも、シリィ=ロウの素顔なんでしょう。俺はどっちも、好ましく思いますよ」
すると、こちらに背を向けて語らっていた敷物の人々が、ひょいっと振り返ってきた。
「おお、誰かと思ったら、あんたたちか! ようやく仕事が終わったのかい? それじゃあこっちで、一緒に飲もうや!」
それは名も知れぬ、たしかミンあたりの男衆であった。敷物には、おもに壮年の男女が群れ集っている様子である。ぞんぶんに酒気が回っているようで、誰もが陽気な笑顔であった。
たちまちシリィ=ロウが委縮してしまいそうになると、ロイはナイト役の仕事を果たした。
「まだ仕事が残ってるもんで、酒は飲めないんだ。それでよかったら、しばらくご一緒させてもらるかい?」
「おう、なんでもかまわねえよ。料理もどっさり持ってきたんで、好きなだけ食ってくれ」
シリィ=ロウが目を泳がせると、シーラ=ルウが「大丈夫ですよ」と微笑みかけた。
「みんな、わたしの血族です。そして誰もが、シリィ=ロウたちの料理に喜びを覚えています。どうか喜びを分かち合って、絆を深めさせてください」
シリィ=ロウはシーラ=ルウのほうを振り返ると、やがて子供のようにこくりとうなずいた。
そうしてシリィ=ロウたちが敷物の中央に招かれていく姿を見届けながら、俺とアイ=ファは離脱する。
するとそこに、また小さな人影がてけてけと近づいてきた。
「あ、アイ=ファにアスタだー! おかし食べる?」
それは、木箱を抱えたリミ=ルウとターラであった。リミ=ルウは二段、ターラは一段の木箱を抱えている。
「やあ。そっちはもう菓子を出すんだね」
「うん! あんまり遅くなると、ちっちゃい子たちが眠くなっちゃうからねー!」
リミ=ルウもまだまだ小さいのだが、それでも女衆の装束を纏った10歳の身であるのだ。きっとこれから、家で休んでいる5歳未満の幼子たちに菓子を届けるのだろう。
「そういえば、アマ・ミン=ルティムにもまだご挨拶をしてなかったな。俺たちもご一緒させてもらおうか?」
「そうだな」と応じつつ、アイ=ファはリミ=ルウの抱えていた木箱の上の段を持ち上げた。リミ=ルウは「ありがとー!」と満面に笑みを広げる。
「そういえば、サティ・レイ=ルウはまだ目を覚まさないのかな?」
道中で俺が問いかけると、リミ=ルウは変わらぬ笑顔のまま「うん!」とうなずいた。
「サティ・レイが起きたら、一緒についてる誰かがレイナ姉に教えてくれるはずだよー! そうしたら、宴料理を持っていってあげるの!」
「そっか。そのときは、俺たちもご一緒させてもらいたいな」
「うん! サティ・レイも、アスタやアイ=ファに会いたがってるしねー!」
それが本当なら、幸いな限りである。
やがて到着した分家の母屋には、びっくりするぐらいたくさんの幼子たちが待ち受けていた。
「わーい、おかしだー!」という朗らかな声が響きわたると、面倒を見ていた女衆のひとりが「静かにね」とたしなめる。
「赤ん坊たちは眠ってるんだから、あまり大きな声を出すんじゃないよ。……あら、ファの家のおふたりはひさしぶりだね」
短く切りそろえた金褐色の髪が、燭台の光に照らし出されている。それは以前の祝宴で面識を得た、ラウ=レイの母親に他ならなかった。
「あ、どうもおひさしぶりです。また幼子たちの面倒を見られていたのですか?」
「それはまあ、4人も孫たちがいるわけだしね」
水色の目を細めながら、ふくよかな唇に白い歯をこぼす。相変わらず、4人の子と4人の孫を持つ身とは思えぬほど、若々しくて端麗な姿をしたラウ=レイの母親であった。
そんなラウ=レイの母君と向かい合ったアイ=ファは、ちょっとかしこまった顔になってしまう。何故だかアイ=ファは、この人物と相対すると自分の母親のことを連想してしまうそうなのだ。
そんなアイ=ファに向かって、ラウ=レイの母親はにっこりと笑いかけた。
「さ、よかったら入っておくれよ。他の女衆も、あんたがたに挨拶をしたいだろうからさ」
その場には、馴染みの深い人々が居揃っていた。アマ・ミン=ルティムにラウ=レイの2番目の姉、リリン分家の女衆、そして、ヴィナ・ルウ=リリンである。
「あれ、ヴィナ・ルウ=リリンもこちらだったんですか」
「うん……わたしも幼子の扱いに慣れておかないといけないしねぇ……」
ヴィナ・ルウ=リリンは、さきほどのシーラ=ルウと似た表情で微笑んでいた。
そのかたわらでは、リリン分家の女衆が微笑んでいる。ヴィナ・ルウ=リリンが婚儀をあげる際に身ごもっていた彼女は、この数ヶ月で無事に第二子を出産していた。
「リリンだけでも5名の幼子がいるのですから、扱いなどは嫌でも慣れてしまうことでしょう。むしろ、元気に動けるうちに祝宴を楽しむべきではないかしら?」
分家の女衆が笑顔でそのように呼びかけると、ヴィナ・ルウ=リリンは「ううん……」とゆっくり首を振った。
「どうせ伴侶は遠い空の下だし……今は幼子たちの笑い声や泣き声に包まれていたいのよぉ……そうすると、なんだか……心から幸福な気分にひたれてしまうの……」
「そう。わたしもあなたがそばにいてくれたら、とても心強いわ」
そんな風に語らうヴィナ・ルウ=リリンたちの姿を見ているだけで、俺は何だか胸が詰まってしまいそうだった。
しかし、ここで涙などを流してしまったらアイ=ファに叱られてしまうので、視線を別の方向に向けることにする。
「アマ・ミン=ルティムも、お疲れ様です。ガズラン=ルティムもダン=ルティムも見事勇者の座について、誇らしい限りですね」
「はい。きっとこのゼディアスも、強い子になってくれることでしょう」
アマ・ミン=ルティムもにこやかに微笑みながら、我が子の眠る草籠をそっと右手で揺らしていた。
そのかたわらでは、ルティム分家の家人であるラウ=レイの姉がのんびりと笑っている。
「やっぱりわたしの伴侶は、勇者にも勇士にもなれなかったねぇ。まあ、あれだけの狩人が居揃ってたら、それも当然なんだろうけどさぁ」
「はい。本当にルウの血族にはすごい力を持った狩人がたくさんいて、俺もあらためて感服させられました」
「うんうん。あんな中でラウが勇士になれたことのほうが、驚かされちゃったよぉ。よりにもよって、荷運びの勇士だしねぇ」
彼女はルティムの家に嫁いでも、ラウ=レイのファーストネームだけを呼んでいる。きっとそれぐらい親密で、なおかつ大らかな姉弟関係であったのだろう。
そうして俺たちが語らっている間にも、幼子たちは木箱の菓子を幸福そうに頬張っている。《銀の壺》の送別会でも感じたことだが、ルウの祝宴ではこの幼子たちの集められた家においても、俺はやたらと胸を満たされてしまうのだった。
「ほら、コタ。ワッチを使った、ちゃっちもちだよ。コタは、このお菓子が大好きだったでしょ?」
と――そんな中、リミ=ルウとターラは広間の隅っこに引っ込んでいたコタ=ルウのもとに菓子を届けていた。
俺もなんとなく気になって、そちらのほうに足を向けてみる。ようやく3歳となったコタ=ルウは、壁にもたれてぽつねんと膝を抱えてしまっていた。
「……かあは、まだおきないの?」
コタ=ルウが、小さな声でリミ=ルウに問いかけた。「かあ」とは、母さんのことだろう。チャッチ餅の木皿を手にしたリミ=ルウは、いくぶん眉を下げながら「うん」とうなずいた。
「サティ・レイが起きたら、誰かが知らせてくれるはずだからね。そうしたら、コタも一緒に行こう? それまで、お菓子を食べて待ってるといいよ」
「……コタは、かあといっしょにたべる」
コタ=ルウは気丈に振る舞っていたが、明らかに気落ちしてしまっていた。
しかし、半月以上も母親が臥せっていたら、それも当然の話だろう。俺はなんだか胸の中をかき回されてしまい、口を出さずにいられなかった。
「コタ=ルウ。今日は母さんの好きな料理がたくさんあるからね。それを食べたら、きっと母さんは元気になるよ」
「……かあ、げんきになる?」
おそらく、俺とコタ=ルウが正面から口をきくのは、これが初めてであるはずであった。
俺は精一杯の思いを込めて、「うん」とうなずいてみせる。
「元気になるよ。コタ=ルウの母さんは、とても強い人だからね。だから、あとほんのちょっとの辛抱だよ」
コタ=ルウは、「うん」と小さくうなずいた。
どれだけ気落ちしていても、決して涙を流したりはしない。コタ=ルウもまた、父や母に負けないぐらい強い子供であったのだった。
俺のかたわらでは、アイ=ファも心配そうにコタ=ルウを見つめている。
俺とアイ=ファは、それぞれ幼い頃に母親を亡くした身であったのだ。
俺の母親もアイ=ファの母親ももともと身体が強くなかったため、若くして身罷ることになってしまった。だけど、サティ・レイ=ルウなら――猛きルウの血族であるサティ・レイ=ルウなら、コタ=ルウをそんな悲しい目にあわせることなく、また元気な姿を見せてくれるはずだった。