③四日目~暴食の徒~
2014.10/7 更新分 1/1
2014.10/16 一部文章を修正。ストーリー上に変更はありません。
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「うわあ」と頼りなげな声をあげて、若者のひとりがその場にへたりこんだ。
他の者たちは、顔面蒼白で後ずさる。
その若者たちを蹴散らしてしまいそうな勢いで、スン本家の末弟ミダ=スンは、俺の屋台につかみかかってきた。
俺に、ではない。
俺の屋台に、である。
屋根を支える柱を1本ずつ握りこみ、ぶはーっ、ぶはーっと荒い息をつく。
そしてミダ=スンは、「……何をしてるの……?」と、甲高い声で問うてきた。
「すごくいい匂い……ねえ、何をしてるの……?」
甲高くて、舌足らずな、まるで小さな子どものような声である。
石畳にへたりこんだ若者が、「ひいっ」と弱々しい悲鳴をあげる。
それぐらい――不気味でおぞましいミダ=スンだった。
顔も胴体も腕も足も、肉風船のように膨張している。言ってみればそれだけなのだが、なまじ上背があるばかりに、まるで化け物のように見えてしまうのだ。
二の腕などは、ヴィナ=ルウの腰回りぐらいの太さがあるだろう。
その巨体を支える両足は、ゾウのように太く、短い。
胴体などは完全にまん丸で、どこからが胸でどこまでが腹なのかも判然としない。
いちおうその巨体に巻きつけているのは、渦巻き模様の森辺の装束であるが――たぶん、既婚の女衆が纏う一枚布を2、3枚ほどつなぎ合わせた代物なのだろう。
ギバの毛皮の長マントは、腰のあたりまでにしか届いていない。
そして、その胸もとに狩人の誇りたるギバの牙や角は見当たらず、腰には、巨大な棍棒が下げられている。
見れば見るほど、奇っ怪な風貌だ。
それに――やっぱりこれほどまでに人間離れして見えてしまうのは、その顔つきのせいなのだろうか。
その顔も、不自然なぐらいに膨れきっており、目鼻や口などは顔の中心に集まってしまっている。
頭は見事に禿げあがっており、耳の周りに黒っぽいもしゃもしゃとしたものがわずかにへばりついているばかりだ。
それでいて、表情はどことなく幼げなのである。
幼げというよりは、赤ん坊じみている――いや、動物じみていると言うべきか。
目も、鼻も、口も、小さい。
目などはほとんど肉厚のまぶたにふさがれかけてしまっているし、鼻なんて、ほとんど隆起もなくただ双つの穴が黒く空いているばかりである。
唇は分厚いが、やはりとりたてて大きいわけでもない。
顔のサイズは常人の倍ぐらいはありそうなのに、目鼻などのパーツは小さくて、縮尺が狂っているように見えてしまう。
そんな生ける肉塊が、荒い息をつきながら、屋台の柱をわしづかみにして、その小さな瞳を爛々と輝かせているのである。
明るい昼間に見るその異形は、いっそうの驚愕と戦慄を俺の心に喚起してくれた。
「ねえ……ミダはお腹が空いてきちゃったよ……すごくいい匂いだね……?」
みしみしと、屋台の柱が軋んでいく。
その不吉な音色によって、俺はようやく我を取り戻すことができた。
「な――何をするんですか! 屋台を壊すつもりですか、あなたは!?」
「ミダは……お腹が空いちゃったんだよ……?」
ミダ=スンは、不満そうに俺を見下ろしてきた。
オランウータンかローランドゴリラあたりの大動物と対峙させられているような気分である。
反射的に大声をあげてしまった俺は、胸に手を置いて呼吸を整えた。
冷静に――とにかく冷静に対処しなければならない。
「何をやっているか、というご質問でしたね。ご覧の通り、俺はここで料理を売る商売をしているのです。……ただ、お話を続ける前に、その手を放していただけますか? このままでは、屋台が壊れてしまいます」
スン家の人間が現れたら、どう対処するべきか。
それはもちろん、ガズラン=ルティムやドンダ=ルウとも、さんざん検討し尽くされていた。
とにかく、都の法に従わせろ。
それに逆らうようなら、衛兵を呼べ。
間違っても、こちらから都の法や森辺の掟に反するような行動を取って、スン家の暴虐な行動に正当性を与えてはいけない。
それが、基本方針だった。
そして、料理に関しても、あちらが望むなら食べさせてやればいい、とも言われていた。
下手に逆らえば向こうに暴れる理由を与えることになってしまうので、あくまでも他の人々と対等に扱うように、と。
「しかし、この段階でスン家に精肉加工の技術を知られてしまっても良いのでしょうか?」という問いにも、「問題ない」という答えが返ってきた。
ガズラン=ルティムが怖れているのは、あくまで小さな氏族に精肉加工の技術を知られることであるのだ。
まだ肉を銅貨に換えられぬ段階でその技術を知ってしまっても、力のない氏族の心に混乱や堕落を招くだけであろう、というのが彼の考えだった。
ただし、スン家から小さな氏族にその知識がもたらされる可能性もなくはないので、情報の公開は「血抜き」までに留めるべきであろう、とも言われていた。
血抜きの技術だけでは、胴体の肉までを適切に処理することは難しい。それで今まで通りギバの足だけを食べていれば、生活に大きな影響を与えることもないだろう、と。
「そして、最後に残る懸念としては、肉を銅貨に換えられるようになった際、それが都とスン家の取り引きになってしまっては、また富を独占されてしまう、ということですが。それに関してはルウとルティムが目を光らせますので、どうぞアスタはアスタの仕事を成し遂げてください」
最後にガズラン=ルティムは、力強い声でそう言ってくれた。
そんな危険性も存在したのだなと、俺はガズラン=ルティムの慧眼に感服したばかりである。
それらの内容を頭の中で反芻しながら、俺はミダ=スンの巨体を見上げやった。
「俺の言っていることがわかりますか? もしもあなたが俺の料理を求めてくれているのならば、銅貨が必要になります。……そして、この屋台は町から借りているものなのですから、これを壊せば、あなたが償いの銅貨を支払うことになってしまいます。だから、その手を放してください」
噛んで含めるように、俺はそう言った。
ミダ=スンは、動物のように感情の読めない顔で俺を見下ろしている。
(こいつはたぶん……ただ暴虐なだけの兄貴たちとは、タイプが違うと思うんだけど……)
それではどのようなタイプなのか、と問われてしまうと説明が難しいのだが。悪逆な人間なのではなく、善悪の区別がついていない人間なのではないのかと、俺には思えてしまうのだ。
だから、こちらさえ言葉を間違えなければ、そうそう乱暴な振る舞いには及ばない……と、思いたいところである。
「……銅貨は、テイ=スンが持ってるんだよ……?」
不満そうにつぶやきながら、それでもミダ=スンはそのイモムシのような指先を柱から放してくれた。
額の冷や汗をぬぐいながら、俺は「そうですか」と応じてみせる。
「そのテイ=スンとやらは、今どちらに? ご一緒に町まで下りてこられたのですか?」
「……うん……」
「それではいったい、その方はどちらに行ってしまわれたのでしょう?」
「……わかんない……さっきまでは一緒だったんだけど……」
何だろう。聞き分けのない子どもと話しているような気分である。
「……いい匂いがしたから、ミダは急いで走ってきたんだよ……ねえ、いい匂いだね……?」
そういえば昔日の祝宴においても、このミダ=スンという男は周りの状況などそっちのけで料理の匂いに反応していた覚えがある。
ここはひとまず試食分の肉を与えてやりすごすか、と俺が木皿に手を伸ばしかけたとき――その人物が、現れた。
「……どうされたのですか、ミダ=スン?」
けっこう年配の、五十路ぐらいに見える森辺の男衆である。
狩人の装束を纏ったその男が、何の気配もなく肉塊の背後から出現した。
とたんにミダ=スンが、ぶはーっと息を吐く。
「テイ=スン! ……ミダはね、とってもお腹が空いちゃったんだよ……?」
「そうですか」と、その人物が俺とヴィナ=ルウに目線を向けてくる。
一見は、これといっておかしなところのない森辺の民だった。
灰色の髪を後ろになでつけて、同じ色合いの髭を口もとにたくわえた、年配だがなかなか端整な顔立ちの御仁である。
背丈はほどほどだが、森辺の男衆に相応な逞しい体格をしている。
ギバの毛皮の長マントに、渦巻き模様の布の服、胸に輝く狩人の誇り、大小ひとそろいの鋼の刀――という狩人の装束にもおかしなところはない。
しかし、何だろう?
至極まっとうな格好をしているのに、何か大きな違和感も感じられてしまう。
黒みがかった目に、力がない。
泥人形のように、表情が死んでいる。
頑健そうな体格をしているのに、生気や迫力が感じられない。
こんなに覇気のない森辺の男衆を目にするのは、俺も初めてかもしれなかった。
「……この料理は、銅貨何枚ですか?」と、低い声でその男――テイ=スンが、そう尋ねてきた。
「赤の銅貨が2枚です。……お買い上げですか?」
「はい」
「こ、こちらの木皿の肉で味を確かめていただくこともできますが」
「いえ。不要です」
至極尋常な受け答えである。
その尋常さが、また薄気味悪い。
値段を聞くよりも、先に問い質すことはないのだろうか?
森辺の装束を纏った俺が、森辺の女衆たるヴィナ=ルウと、宿場町で店などを開いているのだが。その件に関して、何か疑問や意見などはないのだろうか?
……どうやら、ないらしい。
テイ=スンは、何の感慨もなさそうにかたわらの肉塊を振り仰いだ。
「ミダ=スン。いくつ買われますか?」
「……ミダは、いっぱいいっぱい食べたいんだよ……?」
「家長から預かった銅貨は白が1枚です。ここですべてを使ってしまったら、後は何も買えなくなってしまいますが」
「……でも、ミダは、いっぱいいっぱい食べたいんだよ……?」
「そうですか」と、また俺に向きなおり、白の銅貨をかちゃりと置く。
「それでは、5つお願いします」
「わかりました。……でも、こちらのお客様がお先に買われたので、少々お待ちくださいね」
そのお客様たる西の民の少女ユーミは、まだ顔面蒼白のまま、がたがたと震えてしまっていた。
若者たちも、それは同様である。
俺は溜息を噛み殺しつつ、火鉢に薪を追加して屋台にセットした。
ヴィナ=ルウは、ずっと同じ目つきのまま、ふたりのスン家をにらみすえている。
(何なんだろうな、いったい……このテイ=スンっていう親父さんも、得体の知れなさではミダ=スンに負けてないぞ)
この年齢でミダ=スンにへりくだっているということは、きっと分家の男衆なのだろう。
しかし、分家とはいえ年配の男衆が若者にへりくだる姿というのは、少なくともルウの集落で見かけたことはない。ジザ=ルウやダルム=ルウやルド=ルウに対して、分家の男衆たちはもちろん相応の敬意や礼儀は払いつつ、あくまで対等の存在として見なしていたように思う。
ルウ家とスン家の、どちらが森辺の民として相応しい有り様なのか?
それを断ずる材料など、俺は持ち合わせていないのだが。ただひたすらに、俺はテイ=スンという人物が薄気味悪くてしかたがなかった。
「……うわあ……美味しそうだよ、美味しそうだよ、テイ=スン……」
肉を焼く匂いに興奮したミダ=スンが、テイ=スンの肩に手を置いてぐわんぐわん揺さぶる、
ぐわんぐわん揺さぶられながら、テイ=スンは静かに「そうですね」と、つぶやいた。
東の民よりも、感情が読めない。
いや――
この男に、感情など存在するのだろうか?
(カミュアのおっさんは――やっぱり高見の見物を決めこんでいるのかな)
是非ともそうであってほしい。
これ以上わけのわからない人間に登場されてしまっては、俺の処理機能もパンクしてしまいそうだった。
「はい。お待たせいたしました」
完成した『ミャームー焼き』を、ユーミなる少女に差し出してみせる。
少女は、ミダ=スンに目線を縛りつけられたまま、半ば無意識のように商品を受け取った。
それから次の完成品をテイ=スンに手渡すと、流れ作業でそれはミダ=スンへと渡っていく。
「……うわあ……」と、その小さな目はいっそう爛々と輝き始めていた。
そして。
顔のサイズに比しては小さく見えていた口が、これでもかというぐらいに大きく開帳されていく。
といっても、その咽喉もとは胸の肉にうずまってしまっているために、下顎を下げることは不可能なようである。
そんなわけで、頭を後ろに倒すことによって、ミダ=スンはその口を大きく広げていた。
そんなに大きく広げたら、顎の骨が外れたあげくに、口の端がぶちぶちと裂けてしまうのではないか――と、俺がこっそり肩をすぼめたタイミングで、『ミャームー焼き』が口の中に投下される。
一口で、ぺろりだ。
ちょっとした悪夢のような光景である。
その後も4つの商品がテイ=スンを介してミダ=スンの手に渡っていき、あっというまに5個の『ミャームー焼き』がこの世から消え失せた。
「……美味しい……すごく美味しいよ……?」
「ありがとうございます」と、俺はかろうじて笑うことができた。
代価をいただけば、お客はお客。たとえ憎きスン家の人間でも――ここは平等に扱うべきであろう。
「……テイ=スン……ミダはもっと食べたいよ……?」
「しかし、銅貨はもう使い果たしてしまいました」
「……でも……ミダはもっともっと食べたいんだよ……?」
「家長からいただける銅貨は月に白1枚のみです。また次の月までお待ちください」
お小遣いは、月に1回か!
申し訳ないが、俺は内心でおもいきり安堵させていただいた。
たとえ本人に悪気はないとしても、ミダ=スンに毎日通われては、他の客足に影響が出てしまう。
気の毒な少女ユーミなどは、せっかくお買い上げいただいたのに、自分が何を手にしているかもわかっていない様子で、ずっと立ちつくしているままなのである。
「……ミダは、もっともっと食べたいんだよ……?」
「それでは、また来月に参りましょう」と、感情もへったくれもない声で言いながら、最後にテイ=スンが俺たちに目礼をしてくる。
「失礼いたしました。それでは」
「は、はい。お買い上げありがとうございます」
そうしてミダ=スンは、テイ=スンに背中を押されるような格好で、北の果てへと去っていった。
そういえば、スン家の集落はけっこう北側に存在するという話であったから、そちら側に別のルートが存在するのかもしれない。
それはそれでいいとしても……しかし、彼らはミダ=スンの間食のためだけに宿場町に下りてきたのだろうか?
まったくもって、理解し難いスン家である。
大きな騒ぎにならなくて良かったと安堵する反面、俺は肩透かしというもおろかしい激烈な虚脱感を抱え込むことになってしまった。
(本当に何なんだよ、あいつらは……)
どうしてギバ肉がこんなに美味いのだ!……と問われるどころか、これが何の肉かと問われることすらなかったのだ。
俺がファの家の居候だということを知っているのかもわからない。
ヴィナ=ルウがルウ家の人間だと理解しているのかもわからない。
何もかもがわからない。
俺は溜めるに溜めまくっていた溜息をつこうと試みたが、ヴィナ=ルウに「はあぁぁ……」と先を越されてしまった。
そしてそのまま地面にへたりこんでしまったヴィナ=ルウが、震える指先で俺の腰あてを握ってくる。
「勘弁してよぉ……どうしてよりにもよって、末弟なんかが下りてくるのぉ……? ううぅ……吐いちゃいそう……」
「ど、どうしたんですか? しっかりしてください、ヴィナ=ルウ!」
「しっかりなんて、できないわよぉ……わたし、あの末弟だけは、我慢できないのぉ……あのぶよぶよと膨れた身体を見てるだけで、気持ち悪くなっちゃうのよぉ……」
「そうなんですか? まるで男衆みたいに凛々しいお顔をしておりましたけども」
「それはだって、スン家なんかに情けない姿は見せられないでしょぉ……? ああぁ、気持ち悪い……」
「……えらいですね。さすがはルウ家の女衆です」
心の底からそう思いつつ、俺はしみじみと息をつく。
すると、「な……何だったの、今の化け物は……?」と、ユーミなる少女が呆然とした声でつぶやいた。
「森辺の民のお客様ですね。すみません、お騒がせしてしまって」
俺が呼びかけると、少女はびくりと肩を震わせた。
それから、ようやく正気を取り戻してきた目で、俺の顔を見つめやってくる。
「あんた……そんな細っこいのに、度胸あるんだね? こいつらは、がたがた震えるばっかりで何もできなかったのに」
「ふ、震えてなんかねえよ! お前こそ、今にも泣きそうな顔をしてたじゃねえか!」
と、へたりこんでしまっていた若者が、顔を真っ赤にして立ち上がった。
それでようやく自失していた他のメンバーも、我を取り戻せたご様子である。
「俺は以前にあの方を見かけたことがあったんです。初めて見たら、それはびっくりしちゃいますよね」
俺は何とか笑顔をこしらえて、その場をとりなすことにした。
「さあ、どうぞお召し上がりください。あんまり冷めると味が落ちてしまいますので」
「ああ、うん……」と、俺の顔を見つめたまま、娘さんは『ミャームー焼き』にかじりついた。
その目が、あらためて驚きに見開かれる。
「うわ、美味しいなあ……ねえ、これって本当にギバの肉なの? カロンよりも美味しいぐらいなんだけど」
「はい。正真正銘、ギバの肉ですよ。お気に召したのなら、幸いです」
「うん。……すごく美味しい」と、少女が上目づかいになる。
「あの……さっきはごめんね? あんたの店を馬鹿にするようなことばっかり言っちゃって……」
「え? いえいえ。このジェノスにおけるギバの扱いはわきまえておりますので。……それでも今日は、皆さんに食べてもらうことができて、とても嬉しいです」
ここぞとばかりに、俺は笑顔を振りまいた。
すると。
『ミャームー焼き』をかじっていた娘さんも、突然にこりと笑い返してくれた。
けっこうきつめの顔立ちをしているが、笑うとずいぶん無邪気そうな顔になる。
「何だよ、お前! 森辺の男なんかに色目を使うなよ! そんな真似してっと森の中にさらわれちまうぞ!?」
と、さっきまでへたりこんでいた若者が、また荒っぽい声をあげた。
ユーミという少女は、不愉快そうにそちらをにらみつける。
「馬っ鹿じゃないの? 何でもかんでもそういう話に結びつけるんじゃないよ。あたしはただ、美味しいものを美味しいって言ってるだけじゃん」
そうそう、まったくその通り。
だからヴィナ=ルウも、そんな冷ややかな目つきで俺をにらみつけないでいただきたい。
「で? あんたたちは、けっきょく買わないの? 何だかんだ言って、ギバとか森辺の民が怖いんでしょ? だったら最初から近づかなきゃいいじゃん。格好ばかりつけようとして、馬鹿みたいだね!」
「何だと? お前だって、森辺の民が町で商売をするなんて馬鹿げてるとか言ってたじゃねえか!」
「だってギバの肉がこんなに美味しいなんて知らなかったんだもん! ……それに、あたしが嫌いなのは、無法者の森辺の民だよ」
と、その目がちらりと俺を見る。
「こう言っちゃ何だけど、こんな細っこいにいさんに大した悪さができるとも思えないし。そもそもこの人は森辺の民ですらないじゃん」
そんなに細っこいかなあと内心でしょんぼりしつつ、それでも俺は笑ってみせる。
「森辺の民といっても色々ですよ。怖い人もいれば優しい人もいます。そして、町の人たちに悪さをするような森辺の民なんて、ほんのひと握りなんだろうと、俺は信じています」
「そ、それじゃあさっきの化け物は何なんだよ! あれだって森辺の民なんだろう!?」
あんな御仁は、森辺でも唯一無二の存在であると思われます――と、俺が答えかけたとき。
「……何を騒いでるんだ、お前さんたちは?」と、新たなる人物が闖入してきた。
ちょっと強面の、ジャガルの民だ。
「客じゃないなら、とっとと失せろ。このにいさんの商売を邪魔したら、俺が許さんぞ?」
「な、何だよ? 関係ねえやつは引っ込んでろ!」
「それはこっちの台詞だってんだ。客じゃないなら、お前さんこそ引っ込んでろ」
ぶっきらぼうに言い捨ててから、俺に向きなおる。
とたんに、その顔が笑みくずれた。
「こんな時間まで店を開けていることもあるんだな! 今日は朝から仕事だったんで、お前さんの料理にはありつけないなとあきらめてたんだよ」
「ありがとうございます。今日はまだ10食分以上ありますし、これが順調にさばけるようなら、明日からは屋台をふたつに増やそうと思っておりますよ」
うっすらとだが、見覚えがある。
たぶん、昨日の朝一番に来てくれたお客さんのひとりであろう。
シム人ほどではないものの、やっぱりどことなく風貌の似ているジャガル人なので、確かにそうであるとは言い切れないのだが。
しかし、何にせよ、そのお客さんは嬉しそうに笑ってくれていた。
「これから中天だってのに、10食やそこらで収まるもんか! それなら明日からはずっとこの時間までやってるってことだな。そいつは大喜びする連中が山ほどいるぜ?」
「あ、だけど今日売ってるのは昨日までと違う料理なんです。良かったらこちらで味見をしてみてください」
と、俺は新たな爪楊枝を試食用の木皿に置いたのだが、ジャガルのお客さんは「いいよいいよ」と手を振った。
「もう、匂いを嗅いだだけで美味そうじゃないか。とっとと作ってくれ。銅貨は何枚だ?」
「2枚です」
「安いな! こっちにとっちゃあ嬉しい話だが、それじゃあ他の料理屋が商売にならんだろ」
と、豪放に笑ってから、西の民の若者たちをじろりとにらみつける。
「お前さんたちは、どうせギバなど怖くて食えんのだろう? だったら邪魔だからとっとと失せろ。そんなにギバが怖いんだったら、大人しくキミュスやカロンでも食っていればいいだろうが?」
「こ、怖くなんかねえって言ってんだろ! 余所者がでかい顔をしてんじゃねえよ!」
「馬鹿を抜かすな。余所者でできあがってるのが宿場町だろうが? 余所者がいなかったら、お前さんたちは誰を相手に商売をするつもりだ? ……というか、お前さんだって他所の町からこのジェノスに移り住んできた人間なんじゃないのか?」
面倒くさそうに言いながら、そのジャガル人は小蝿でも払うように手を振った。
「まあ、何でもいい。西の民が怖がって手を出さないなら、俺たちが全部たいらげてやるよ。にいさん、とっとと作ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
俺は別にその問答に聞き入っていたわけではなく、単に鉄鍋が温まるのを待っていただけだった。
そろそろ頃合いかな、と刻んでおいたアリアを投じようとすると――眉を吊り上げていた若者が、ぴしゃんと銅貨を叩きつけてきた。
「おい! 俺にもひとつよこせ! 別にギバなんざ怖くも何ともねえんだよ!」
すると、後ろで固まっていた若者たちの中からも、ひとりだけおずおずと進み出てきた。
何かちょっと言いたげな目つきをしながら、無言で銅貨を差し出してくる。
「ふん。しかし銅貨を先に出したのは俺だからな」と、ジャガル人が怖い顔をした。
「大丈夫ですよ! 3名様分、すぐにできますので、少々お待ちくださいませ」
「あ……ねえ、あたしにももうひとつ作ってよ?」
と、すでに完食した娘さんまでもが銅貨を差し出してくる。
「何でだよ!? そうまでして森辺の男に気に入られたいのか!?」
「そうじゃないったら! 母さんのところに持ってってやるんだよ! 食べさせた後にギバ肉だって教えたらどんな顔するか見てみたいじゃん」
おやおや。ずいぶんと意地悪なことを考える娘さんだ。
しかし、外見はどことなく不良がかって見えるのに、母親に軽食を持っていってあげるのだなとか考えると、少し微笑ましいように感じられなくもない。
「ありがとうございます」と応じながら、俺は4名分のアリアを投じた。
そして、ギバ肉をも投じた頃合いで、若者のひとりがこっそりと声をかけてくる。
2番目に銅貨を差し出してきた、何か言いたげな顔をしていた若者だ。
「俺、さっきの化け物みたいなやつ、知ってるよ。月に1回ぐらい町に下りてきて、ああやって屋台のものを食って帰るんだ。……それで口に合わないと、屋台を無茶苦茶にぶっ壊しちまうらしい」
「そ、そんなことをしたら、衛兵が黙っていないでしょう?」
「ああ。だけど、最後には城の人間が出てきて、丸くおさめちまうんだよ。森辺の民にへそを曲げられたら、また田畑をギバに無茶苦茶にされちまうからな」
忌々しそうに言い捨ててから、俺とヴィナ=ルウの姿を見比べる。
「俺は別にギバなんて怖くないけどよ。そういう連中を何とかしない限り、あんたたちが本当の意味でジェノスの民に受け容れられることはないと思うぜ?」
「……ありがとうございます。肝に命じておきます」
それでもこの若者も、俺の料理を買ってくれたのだ。
俺の力でスン家をどうこうなどはできないが――俺は俺のやり方で戦うしかないだろう。
そうして西の若者たちに3個、南の民に1個の『ミャームー焼き』を受け渡し、残りは11食となった。
太陽はじわじわと中天に近づき、それとともに人通りも増えていく。
それ以降は西の民がまともに近づいてくることはなかったが、南や東の民たちはぱらぱらと姿を現してくれた。
それらのほとんどは一見のお客さんであったようで、中には、たった今ジェノスを訪れた人々なども少なくはないようだった。
「今はいいや」「またそのうちにな」と、味見もせずに引き返す人や、味見をした上で感想もなく立ち去っていく人も少なくはなかったが――それでも、半数以上の人々は『ミャームー焼き』を購入してくれた。
そうして、5名連れのシム人の団体が全員購入を決めてくれたおかげもあり、70食を準備した本日の料理も、中天をわずかに越えた頃合いには、みごと完売の運びとなったのだった。
20食から50食をさばければ上等である、というこの宿場町で。
70食の料理を、完売させることができたのだ。
そして、そのうちのおよそ1割は、西の民のお客さんだった。
ミダ=スンの登場だけはイレギュラーであったが、それでも俺はこれまでとは比べ物にならないほどの達成感を噛みしめることができた。
「――これで心置きなく、明日から屋台を増やせますよ」
後片付けをしながら俺がそう述べると、ヴィナ=ルウは少し曇った面持ちで「そうねぇ……」と応じてきた。
「だけど、スン家の末弟が気になるわぁ……アスタ、あの太っちょにさらわれたりしないでねぇ……?」
「さらわれる? 俺がですか?」
「そうよぉ……もっとアスタの料理が食べたいから、アスタをさらってやろうとか、いかにもあの太っちょが考えつきそうなことじゃなぁい……?」
「……そのときは全力で逃げさせていただきます。幸い、足だけは俺のほうが速そうなので」
「うん、もしも帰り道とかであいつが追いかけてきたりしたら、アスタはひとりで逃げてねぇ……荷物は、何とかしてわたしが持ち帰るからぁ……」
確かにそんな段取りを考えておく必要もあるのかもしれなかった。
あのミダ=スンという男にルウ家の威光など理解できなそうだし、そもそもヴィナ=ルウをルウ家の人間と認識しているかもあやしいところであるのだから。
「ああぁ、気持ち悪い……あの赤ん坊みたいな顔つきとか声とか、本当に耐えられないわよぉ……アスタ、あいつが何歳なのか知ってるぅ……?」
「いえ。あまり知りたくないので言わなくていいです」
「……あいつ、あれでルドより年下なのよぉ……?」
「言わないでいいですったら!」
何だか背筋が寒くなってきた。
それに――俺には、ミダ=スンと同じぐらい、あのテイ=スンという男も薄気味悪く感じられてしまう。
好きとか嫌いとかいう話ではない。
ただひたすらに不気味であるのだ。
「明日からは、いっそう身の回りに気をつけましょうねぇ……?」
「そうですね」
これだけ派手なことをやらかしているのだから、いつまでもスン家の目をくらませるとは思っていなかった。
ディガ=スンやドッド=スンばかりでなく、やはりスン家の人間は全員、要注意だ。
薄氷を踏むような戦いだが、とにかく力を振り絞ってやろう。
そんな思いを新たにしつつ、俺はヴィナ=ルウとともに屋台を押しながら、人通りの増えてきた石の街道に足を踏み出した。