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異世界料理道  作者: EDA
第五十九章 慶祝の季節
1014/1681

ドムとルティムの婚儀の日④~二つの舞~

2021.2/21 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 それから半刻ぐらいの間、俺たちは宴料理を味わいながら、客人同士で親睦を深めることになった。

 ザザの姉弟が姿を消すと、今度はルド=ルウたちがやってきたので、そちらと合流する。涙を止められないヴェラの次姉と発奮しきったフォウの次兄の姿を目にすると、ララ=ルウはこっそり満足そうに微笑んでいた。


「お待たせしたわね、客人がた。どうぞぞんぶんに、ディックたちを祝福してやってちょうだい」


 半刻ていどが過ぎたならば、レム=ドムによって敷物に招かれる。

 そちらでは、婚儀の衣装を纏った両名が料理の山に囲まれていた。


「客人たちにも、苦労をかけた。とうてい俺たちだけでは食べきれないので、どうか手伝ってもらいたい」


 そのように語るディック=ドムは、普段通りの沈着さを取り戻していた。

 しかし、いつも熾火のように燃えている黒い目は、とても穏やかな光をたたえている。ヴェールを纏ったモルン・ルティム=ドムも、幸せそうに微笑んでいた。


「あらためて、おめでとうねえ……ふたりとも、立派だったよ……」


 アイ=ファとララ=ルウにはさまれたジバ婆さんが、ふたりにも負けないぐらい幸福そうに微笑みながら、そのようにお祝いの言葉をかけた。

 モルン・ルティム=ドムは同じ表情のままうなずき、ディック=ドムはいくぶん表情を引き締める。


「最長老ジバ=ルウの孫の子たるモルン・ルティムに必ずや幸福な生を与えると、ここに約束する。どうかこれからも長きを生きて、その姿を見守ってもらいたい」


「あんたはとっくに、モルン・ルティム=ドムを幸せにしてくれているよ……あたしのことなんて気にかける必要はないから、どうかふたりで幸せな生を築いておくれ……」


 北の集落の人々は、誰もがジバ婆さんに敬意を抱いてくれているようだった。

 それを嬉しく思いながら、俺も「おめでとうございます」と声をかけてみせる。


「俺もファの家で、おふたりの幸福な生を祈っています。そうそう顔をあわせる機会はないかもしれませんけど どうかお幸せに」


 すると、ディック=ドムの表情がまた少し変化した。

 これは、どういう表情であるのだろう。何か不思議なものでも見るような目で見られているような心地だ。


「思えば……ファの家とは、前々から奇妙な縁で結ばれていたな。もとより、悪縁で始まった間柄ではあるのだが……」


「そうですね」と答えつつ、俺も懐かしい記憶を呼び起こされていた。

 モルン・ルティム=ドムがスンの女衆に激怒していた、あの日――俺は、家長会議の場で初めてディック=ドムと顔をあわせたのだ。


 あの頃は、ディック=ドムという名前も知らされていなかった。ただ、ギバの頭骨をかぶっていたのは彼とお供の狩人だけであったし、ザザやジーンに比べるとずいぶん若い家長だな――と、それなりの強さで印象に残されていたのである。


 次に再会したのは、やはりディガとドッドが脱走した日であろう。ファの家に逃げ込んできたふたりの身柄を渡す渡さないで、戸板ごしに押し問答することになったのだ。あのときのディック=ドムの怒号の恐ろしさといったら、今でも忘れられないほどであった。


(でもあれも、ザッツ=スンたちがファの家を襲うんじゃないかって心配して駆けつけてくれたんだもんな。それはドムの誇りを守るための行いだったんだろうけど……だけどやっぱり、ディック=ドムの信義の厚さがあってのことなんじゃないだろうか)


 それからしばらくは交流を深める機会もなく――ひと月以上の時を経て、俺たちはともに城下町へと乗り込むことになった。サイクレウスたちとの、対決の日である。俺がディック=ドムの名を知ったのは、たしかあの日であったはずだ。


 あの日のディック=ドムは、ダン=ルティムとともに警護の役目を負っていた。そうしてルティムの女衆らは、ルウの集落で男衆らの帰りを待つことになり――それでディック=ドムらが帰りがけに立ち寄った際、モルン・ルティム=ドムと初めて出会うことになったのだと、俺はそんな風に聞かされていた。俺がディック=ドムの名を知った日に、モルン・ルティム=ドムはディック=ドムを見初めることになったわけである。


 しかしその後も、俺はディック=ドムと交流を深める機会が得られなかった。とにかくファの家と北の集落では距離がありすぎたし、おたがいに用事もなかったのだから当然であろう。

 そこでレム=ドムが狩人になりたいと言い出す騒ぎが勃発し、俺とアイ=ファはようやくディック=ドムと再会する機会を得られたのだった。


「そう考えると……本当に我々は、悪縁でばかり繋がっていたように思えてしまうな」


 俺と同じ想念にひたっていたのか、アイ=ファがそんな風に言いだした。

 しかしその青い瞳は、とても穏やかな光をたたえている。


「ディガやドッドを庇い立てする我々のことも、レム=ドムに力を添えようとする我々のことも、ディック=ドムには腹立たしく思えてならなかったことであろう。しかしディック=ドムは、レム=ドムの行く末を私との力比べに託してくれた。あの頃にも伝えたかとは思うが、ディック=ドムのように立派な狩人が私などを信頼してくれたことを、誇らしく思っている」


「お前は、信頼に値する人間であろうからな。ディガやドッドに関しては……あのように取り乱した姿を見せてしまったことを、恥ずかしく思っている」


「何も恥じることはない。あれはザッツ=スンに、集落を燃やされた直後であったのであろう? ならば、怒りにとらわれて当然であろうよ」


 おたがいに落ち着いた表情で、ただ眼差しだけはやわらかく、ふたりはそんな風に言葉を交わし合った。

 その姿に、ジバ婆さんが声をあげる。


「なんだか……アイ=ファとディック=ドムは、少し似た部分があるようだねえ……もっと近くに住んでいたら、もっと早くに絆を深められたんじゃないかって……そんな風に思えてきたよ……」


「俺たちが? それは意外な言葉を聞かされるものだが……アイ=ファに似ていると評されるならば、それは光栄な話であろう」


「それは、こちらの台詞だな。むしろ、申し訳なく思えるほどだ」


 そんな風に答えるふたりの姿を、ジバ婆さんはひどく透徹した瞳で見比べていた。


「アイ=ファはあたしの大事な友だからねえ……それに似ているディック=ドムのことも、とても好ましく思えるよ……ただ……アイ=ファはちょっと危うい部分もあったから……もしもそんなところまで似ているとしたら、それを支えるのはあんたの役目だよ、モルン・ルティム=ドム……」


「はい。アスタのように、ですね?」


 モルン・ルティム=ドムは玉虫色のヴェールの向こうで、にこりと微笑んだ。

 アイ=ファはちょっとすねたような目つきで、ジバ婆さんを見やっている。


「とにかく、おめでたいよねー! これでドムとルティムは、血族になれたんだからさ!」


 と、ララ=ルウの朗らかな声が、いくぶん厳粛になりかけていたその場の空気を粉砕した。


「血の縁を結んだのはドムとルティムだけでも、ルティムはルウの血族だし、ドムはザザの血族だし、今後はもっとルウとザザの血族同士でも仲良くしていきたいところだよね!」


「うむ。そうなれば幸いと思っているが。ただどうしても、ルウとザザでは家も遠いからな」


 ディック=ドムもララ=ルウの朗らかさを歓迎するように言葉を返した。おそらく、この両名が口をきく姿を拝見するのは、俺にとって初めてのことだろう。


「さっきドムのお人に聞いたんだけど、北の集落とディンやリッドで家人を貸し合うんでしょ? そうしたら、ディンやリッドで預かる北の人らにも屋台を手伝ってもらったりしたらいいんじゃない?」


「屋台? とは、ディンの家で出している屋台のことであろうか?」


「うん! 別にルウやファの屋台でもいいけど、まずはディンやリッドと絆を深めるべきなんだろうしさ。でも、そうやって一緒に宿場町で商売してたら、ルウやファとも絆を深められるんじゃないかなあ」


「うむ……屋台の商売についてなど、俺にはさっぱりわからないので、なんとも答えようがないのだが……」


 と、ディック=ドムはかたわらの伴侶を振り返った。

 座っていても身長差が激しいので、モルン・ルティム=ドムはそちらを見上げながら楽しげに微笑む。


「わたしもずいぶん屋台の商売から離れている身となりますが、ララ=ルウの言葉は正しいように思います。まずは族長グラフ=ザザにご相談するべきではないでしょうか?」


「そうだな。のちほど、ゲオル=ザザに伝えておこう」


 そうしてふたりが見つめ合うと、そこには収穫祭の夜を思わせる温かい空気が生まれた。

 ディック=ドムはあの夜ほど表情をやわらげているわけではないが、そのぶん眼差しの優しさが増している。もうモルン・ルティム=ドムの前で心を隠したり偽ったりする必要はないのだ、と――そんな喜びを噛みしめているような雰囲気であった。


「ふたりはこれから、森辺における新たな婚儀の指針となるのであろうからな。俺も族長として、その姿を見守らせてもらいたく思うぞ」


 ダリ=サウティがそのように語らうと、ずっとうずうずとしていたフォウの次兄が身を乗り出した。


「ディ、ディック=ドム。俺は、あなたを見習いたいと思っている。初めて顔をあわせた人間にこのような言葉を告げられても、迷惑なだけであろうが……どうか俺にも、ふたりの行く末をしかと見守らせてもらいたい」


「うむ? ……ああ、そちらも血族ならぬ相手との婚儀を願っているという話であったな」


「ああ、そうだ。ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムが覚悟をもって道を切り開いていなければ、俺もその道を辿ることはできなかった。ただ恩恵に授かるばかりでなく、俺もともに力を尽くしたいと思っている」


 ダリ=サウティをはさんだ向こう側では、ヴェラの次姉がもじもじと身をよじっている。さすがに涙は止められているが、まだまだ平常心ではないようだ。すましたお顔で家長たる兄をやりこめていた姿とは、まるで別人のような可愛らしさであった。


「それは得難きことであろうが……しかし、俺に見習うべき点などあるまい。お前が見習うべきは、モルン・ルティムのみであるように思うぞ」


「いや、そんなことはない。確かに最初の一歩を踏み出したのはモルン・ルティム=ドムなのであろうが、それを受け止めたのはディック=ドムであるはずだ。森辺の習わしをくつがえそうというガズラン=ルティムの提案に臆せず、モルン・ルティム=ドムをドムの集落に迎え入れた、その覚悟や勇気に俺は敬服している」


「すまんが……いささか、気恥ずかしく思う」


 と、ディック=ドムは大きな手の平で口もとを覆ってしまう。

 ダリ=サウティは「すまんな」と苦笑してフォウの次兄をたしなめた。


「気負うのはけっこうだが、ディック=ドムらに気苦労を負わせるものではない。ディック=ドムらは、森辺の習わしをくつがえすために婚儀をあげたわけではないのだからな。この夜は、ただ婚儀がつつがなく終えられたことを祝福するべきであろう」


「も、申し訳ありません。どうにも、気持ちが昂ってしまっているもので……」


「お前はじきに、18歳となるのであろう? ならば、ディック=ドムとは1歳しか変わらぬのだ。まずは、ディック=ドムの沈着さを見習うべきであろうな」


「えっ! ディック=ドムは、まだ19歳なのか!?」


「いや。生誕の日は白の月なので、まだ18歳だが」


 フォウの次兄は、俺が1年ほども前に味わわされた衝撃に打ちのめされた様子であった。


「18歳とは……想像だにしていなかった……やはりドムという立派な氏族で本家の家長をつとめていれば、それほどの風格が備わるものなのだろうか……」


「生まれは、そうまで関係あるまい。ファなどはフォウよりも小さき氏族であるはずだ」


「ああ、確かに……アイ=ファもまだ、19歳になったばかりなのだな?」


「うむ。家長は家長たらんと振る舞うために、おのずと風格が備わる面もあろう。……しかし、それがすべてではあるまい。ディック=ドムはたとえ分家の家人であろうとも、立派な人間であったろうと思う」


 そんな風に答えてから、アイ=ファは目だけでフォウの男衆に笑いかけた。


「そして、ディック=ドムが沈着であるのは、ドムの家風でもあろう。フォウにはフォウの気風があり、私はそれを好ましく思っている。ディック=ドムを見習うのはけっこうだが、無理に感情を隠したりするのではないぞ?」


「で、では、どのように見習えばいいのだろうか?」


「知らん。バードゥ=フォウにでも聞くがいい」


 アイ=ファのそっけない物言いに、ララ=ルウやダリ=サウティが笑い声をあげた。ヴェラの次姉もくすくすと笑っていたのは、幸いだ。きっと彼女も、フォウの次兄に風格などは求めていないのだろう。

 すると、にこにこ微笑んでいたモルン・ルティム=ドムがふっとルド=ルウを振り返った。


「ルド=ルウはさっきから食べてばかりだね。何か話すことはないの?」


「んー? 他の連中が喋りたそうにしてるしなー。俺はまだ腹が全然満たされてねーから、ちょうどいいだろ」


「もう、相変わらずだね、ルド=ルウは」


 モルン・ルティム=ドムとルド=ルウは、幼馴染の顔で笑い合った。彼女たちは、きっとドムの兄妹とザザの姉弟のような関係であるのだろう。


「……ルド=ルウにも、俺は深く感謝している。最初にモルン・ルティムの背中を押してくれたのは、お前なのだろう?」


 ディック=ドムがいくぶん神妙な口調でそのように告げると、ルド=ルウは「んー?」と首を傾げた。


「なんの話かわかんねーな。俺は背中を押した覚えなんてねーぜ?」


「しかしお前は、俺という人間を見定めるために、ドムの集落を訪れたのであろう? モルン・ルティムから、そう聞いている」


「そいつは、俺自身のためだよ。モルン=ルティムは――あ、いや、モルン・ルティム=ドムは、俺の大事な血族だからな。大事な血族の想い人がどんな人間なのか、自分の目で見定めたくなっただけのことさ」


 そう言って、ルド=ルウはにっと白い歯をこぼした。


「頑張ったのは本人で、俺は横から見守ってただけだ。感謝なんて必要ねーから、モルン・ルティム=ドムを大事にしてやってくれよ」


「承知した。決してお前の信頼を裏切らぬと、ここに約束しよう」


 そうしてディック=ドムは、またモルン・ルティム=ドムと見つめ合った。

 多くの人々に見守られながら、彼らは今日という日を迎えることがかなったのだ。あとはもう、ふたりが幸せにさえなってくれれば、誰もが満足であるはずであった。


「お楽しみのところ、失礼するわね。客人たちには直接関係ないけど、そろそろ女衆の舞が始められるようよ」


 と、どこからともなく出現したレム=ドムが、そのように告げてきた。

 新たな料理に手をつけていたルド=ルウが、「ふーん」と気安く応じる。


「もうそんな刻限なのか。レム=ドムは舞を見せねーの?」


「見せるわけないじゃない。婚儀をあげる気がないんだから」


「もったいねーな。レム=ドムだったら、格好よく踊れるだろうによ」


「格好よく? ……ああ、ルウの祝宴では若い娘だけじゃなく、誰でも気軽に舞を見せるのだったわね。だけど今日は婚儀の祝宴なのだから、客人たちには遠慮してもらうわよ」


 レム=ドムがそのように語っている間に、ギバの骨を打ち鳴らす声が聞こえてきた。

 宴衣装を纏った若い娘たちが儀式の火を囲んでおり、ギバの骨を携えた男衆がそれをさらに外側から取り囲んでいる。ドムの血族のみであるので、女衆はほんの数名だ。


 男衆らは奇妙な調子でギバの骨を打ち鳴らし、また重々しい詠唱を唱え始める。さらに、収穫祭でも使われた革張りの太鼓が、バスドラムのようにドン、ドン、と重低音を響かせた。


 それにあわせて、女衆らがゆったりと踊り始める。

 やはり他の氏族と同じように、きっちりと型が決められているわけではないらしい。それぞれの女衆が思い思いに手足を動かして、儀式の火に褐色の肌と玉虫色のヴェールを輝かせている。ただ、誰もが太鼓と骨のリズムにあわせているので、全員でひとつのダンスを完成させているような一体感が感じられた。


 ドムの女衆には、長身の人間が多い。そのせいか、その舞もとても力強く、優美に感じられた。

 じょじょに打楽器のテンポが上げられていくと、女衆の動きも激しくなっていく。

 気づけばその動きは、乱舞する炎のような激しさになっていた。

 やはり体格に優れているためか、凄まじいまでの躍動感である。森辺の民としての強靭な生命力が、他の氏族の舞よりもありありと現出させられていた。


 しばらくすると、テンポがゆったりと落とされていく。

 しかしそれは、また高波がせり上がるようにして、熱気と躍動を取り戻した。


 他の祝宴で目にする舞よりも、たっぷりと時間がかけられている。

 女衆の身には汗が浮き上がり、それがまたいっそうの輝きを生み出した。

 生きていることの喜びや、森の子として生まれることのできた誇りや――それにどこか、葛藤や煩悶などといった激情まで表されているように感じられる。見果てぬ何かを追い求めているような、たとえようもない苦悶に身をよじっているような――とにかく彼女たちは、その内に渦巻く激情をすべて吐露しているように見えてしまった。


 それこそが、求婚の舞であるのだろうか。

 自分のすべてをさらけだした上で、それを誰かに受け止めてもらいたいと、悲痛に訴えかけているような――俺たちなどは数メートルばかりも離れたところから見守っているのに、その迫力が咽喉もとにまで迫るかのようだった。


 そうして何度かの脈動を繰り返したのち、詠唱や打楽器の音色が下げられていく。

 その音が完全に消え去るまで、女衆らはゆるゆると動き続け、そして、音の消失とともに深く身を折った。


 太鼓が乱打され、男衆らは歓声を張りあげる。その際には、ドムとルティムの区別もないようだった。


「うむ。何から何まで、北の集落では毛色が異なっているな。俺は、もっと早くに北の集落を訪れるべきだったのかもしれん」


 歓声の中、ダリ=サウティがそのようにつぶやくと、ジバ婆さんも感じ入った様子で「そうだねえ……」と応じた。


「あたしもなんだか……若い頃を思い出しちまったよ……昔はみんなあんな風に、舞を見せていたのかもしれないねえ……」


「どうかしらね」と、レム=ドムが笑いを含んだ声をあげる。


「言わせてもらうと、この祝宴の舞ってやつも、ここ最近でいささか様変わりしたように思うわよ。80年も前から、ずっとこんな調子ではなかったということでしょうね」


「おや……そうなのかい……?」


「ええ。昔はもっと……そうね、もっと苦しげな様子が先に立っていたように思うわ。今よりも、苦しい生活を送っていたからじゃないかしら」


「ああ……それならやっぱり、昔のまんまなのかもしれないよ……いや、昔の力を取り戻したっていうべきなのかねえ……」


「昔の力? 森辺の民は、昔のほうが力を持っていたのかしら?」


「そりゃあそうさ……モルガの森辺にやってきた頃は、民の数も千人はいたはずなんだからねえ……それが、百人減って、二百人減って……森の恵みで腹を満たすことも許されずに、得体の知れない町の人間たちから見慣れない品を買い求めて……少しずつ、力を失っていったんだと思うよ……」


 ジバ婆さんは、またひどく透き通った目で儀式の火のほうを見つめながら、そんな風に語らった。


「肉体の力は、強くなったかもしれない……弱い人間なんてのは、モルガに辿り着く前に魂を返しちまったし……ギバみたいに恐ろしい獣を相手にしていたんだから、そこでも弱い人間が生き抜くことはできなかったんだろうさ……あとには強い人間だけが残されて、肉体の力はどんどん強くなっていった……」


「そのぶん、心を蝕まれたということだな。その最たる氏族が、スン家であったわけだ。悪辣なる貴族と交わることで、スン家は毒に蝕まれた。そして、町の人間を忌避していた俺たちも、いつしか間違った道を辿り、少しずつ心を蝕まれていくことになった」


 ダリ=サウティが、静かな声でそのように応じる。


「しかし俺たちは、正しい道を取り戻したと信じている。町の人間は敵ではなく、同じ神々の子だと認めることで、ようやく力を取り戻せたのではないだろうか?」


「ああ……そうかもしれないねえ……」


 ジバ婆さんの目が、ダリ=サウティではなく俺を見つめた。

 何も言葉を発さないままに、その澄んだ瞳が「ありがとうねえ……」と告げてくれている。


「よーし! それじゃあお次は、ルティムの番だな!」


 と、ルド=ルウが元気いっぱいに立ち上がった。

 神妙な面持ちでジバ婆さんたちの言葉を聞いていたレム=ドムが、うろんげにそちらを振り返る。


「確かに次はルティムの番でしょうけど、あなたは関係ないでしょう?」


「固いこと言うなよ。ルティムの連中は、まだこいつの修練が足りてねーからよ」


 と、ルド=ルウが狩人の衣の隠しポケットから横笛を取り出した。

 レム=ドムは、「ああ」と苦笑する。


「そういうことね。まあいいわ。あなたが一緒に踊ったりしなければ、目をつぶってあげるわよ」


「笛を吹きながら踊るなんて、そんな器用な真似はできねーよ。旅芸人の連中じゃねーんだからさ」


 そうしてルド=ルウは、ルティムの男衆らのほうに駆けだしていった。

 元来、ルウの血族においては、骨の鳴り物と草笛でもって、舞の伴奏を受け持っていた。それがこの近年で、横笛も加えられることになったのである。


 ルティムの若い女衆らも、笑顔で儀式の火の周りに集まっている。こちらも未婚の女衆というのは、ごく数名だ。

 だけどきっと彼女たちならば、ドムの女衆とはまったく異なる魅力を有した舞を見せてくれることだろう。そうしてそれぞれの魅力があわされることによって、今後はさらに魅力的な舞が生み出されるのではないだろうか。


「さて。どんな舞になるのか、楽しみだな」


 俺がそのように笑いかけると、アイ=ファの青い目がとても冷ややかに見返してきた。


「楽しみか。……これは、求婚の舞であるのだが」


「え? いやいや、まさか、そんな意味じゃないって。それぐらいは、わかるだろう?」


「求婚の舞が楽しみであるという言葉に、他の意味など存在するのであろうか?」


 そんな風に言ってから、アイ=ファはぷっと吹き出した。


「そのように取り乱すな。そういう部分は、成長していないのだな」


「ええ? 俺をかついだのか? なんて意地悪な真似をするんだよ」


「お前が考えなしの言葉を口走るからだ、うつけ者め」


 アイ=ファは満足そうに微笑みながら、広場の中央へと視線を戻した。

 そのすべすべのほっぺたをつついてくれようかと思案しつつ、俺もそちらに向きなおる。


(……次にアイ=ファの宴衣装を見られるのは、いったいいつなんだろうな)


 間もなくルウの収穫祭であるが、アイ=ファは婚儀の祝宴でしか宴衣装を纏わないと決めている。そして今回は主催者の側から遠慮を願いたいという申し入れがあったため、俺が生誕の日に贈った首飾りの装飾も出番はなしであったのだ。

 もちろんアイ=ファは宴衣装を纏ったところで、求婚の舞など踊るはずもないのだが。その姿だけで、俺はどのような舞よりも激しく心を魅了されてしまうのだった。


 俺がそんな益体もないことを考えている間に、ルド=ルウやルティムの男衆らが横笛と草笛を吹き鳴らし始めた。

 宴衣装を纏ったルティムの女衆らは、それにあわせてゆるゆると踊り始める。


 横目でこっそり確認してみると、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムは肌が触れる寸前まで寄り添いながら、幸福そうに女衆らの舞を見ていた。

 求婚の舞を終えたならば、祝宴の終わりも目前である。

 しかしまた、ふたりの幸福な生活はここからスタートされるのだ。


 どうぞ末永くお幸せに――と、俺は心の中で祝福の言葉を繰り返しつつ、儀式の火に照らし出される壮麗なる光景に目を戻すことにした。

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