表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第五十九章 慶祝の季節
1013/1679

ドムとルティムの婚儀の日③~誓約の儀~

2021.2/20 更新分 1/1

 俺たちが宴料理に舌鼓を打っていると、また新たな人影がこちらに近づいてきた。誰かと思えば、ドッドである。


「なあ、ルティムの家長。ずっと同じ相手とばかり語らってるのも何だから、こっちの人間と場所を交換してみたらどうかって話があがってるんだけど、どうかな?」


「承知しました。私たちが移動すればいいのでしょうか?」


「ああ。客人たちに手間をかけさせるのは、申し訳ないからってよ」


 と、ドッドは狛犬のような顔ではにかむように笑っていた。昼下がりにも挨拶させてもらっていたが、そのときから彼やその兄はたいそう嬉しそうな顔をしてくれていたのだ。


 そういったわけで、ルティムの面々はダリ=サウティらの陣取る敷物へと移動していった。代わりにやってきたのは、ディガとドッドとドム分家の家長である。


「レム=ドムよ。お前もあちらに移るべきではないだろうか?」


 分家の家長がそのように呼びかけると、レム=ドムは少し悩むような顔をした。


「わたしはまだ、アイ=ファとも最長老とも喋り足りていないんだけど……まあいいわ。わたしは客人ばかりでなく、ルティムの人らとも絆を深めるべきなのでしょうからね」


「うむ。とりわけ本家の人間同士は、絆を深めるべきであろう。どちらも同じ家に住む家人同士が血の縁を結んだのだからな」


「ふふん。モルン=ルティムはもう1年ぐらいも、ドムの集落で過ごしていたけれどね」


 そんな捨て台詞を残しつつも、レム=ドムは素直に席を移動していった。

 ディック=ドムに次ぐような大男である分家の家長は、ディガやドッドとともにどかりと座り込む。


「それでは、失礼する。客人というものにはまったく慣れていないのだが、何か不自由はなかっただろうか?」


「いや、まったく。料理は美味いし、言うことはねーよ」


 ルド=ルウが、陽気な笑顔で応対する。


「あんたも、立派な狩人だな。たしか、荷運びの勇者なんだろ? 最長老の世話があったんで力比べには加われなかったけど、ルウの収穫祭ではぜひ挑ませてもらいてーもんだな」


「ふむ。ルウの収穫祭においても、祝宴の余興で力比べを行うものなのであろうか? ルティムの者たちは、そのように語ってはいなかったように思うが」


「これまでは、あんまりな。でも、こっちの分家の家長もやたらと熱くなってたから、きっと親父たちも許してくれるだろうと思うぜー」


 それはきっと、あのディグド=ルウという狩人のことであるのだろう。ルウの血族の収穫祭も、もはや目前に迫っているのだ。そしてその日は先日のお返しとして、ドムの人々も招待されていたのだった。


「勇猛で知られるルウの血族の力比べを、俺も楽しみにしている。……その日は、ファの者たちも招かれるという話であったか?」


「うむ。先日ついに、参席を許されることになった」


「そうか。……以前の収穫祭では、俺もファの家長にはまったくかなわなかったからな」


 と、分家の家長の瞳に、ちろりと闘争心の火が燃えた。彼も彼で、猛きドムの狩人であるのだ。


「それって、棒引きの勝負だったんだよなー? アイ=ファは闘技でも強いぜー。何せ、あのダン=ルティムと互角にやりあえたんだからよ」


「それも聞いている。正直なところ、俺は余人の力量を測るのが不得手であるので、まったく信じられなかったのだ。……収穫祭の余興で、さんざん負かされるまではな」


「あー、アイ=ファは棒引きもつえーもんな。ていうか、荷運び以外はみんなつえーもん。こんな細っこいのに、大したもんだよ」


 そうしてひとしきり語らってから、分家の家長はやおら居住まいを正した。


「……つい力比べの話に興じてしまい、申し訳ない。最長老も、不自由なく過ごせているだろうか?」


「ああ、もちろんさ……ドムの人らと絆を深めることができて、嬉しく思ってるよ……」


 分家の家長は底光りする目で、ジバ婆さんの笑顔をじっと見据えた。

 その末に、ふっと息をつく。


「ドムの家には年老いた人間が少ないので、最長老ほど齢を重ねた人間を目にしたのは初めてのこととなる。そして俺は、余人の力量を測るのを不得手にしているが……最長老には、強き生命の力を感じるように思う」


「ふーん? ジバ婆に棒引きなんてさせたら、どっかに飛んでいっちまいそうだけどなー」


「そういう意味ではない。若き人間にも劣らぬ意志や心の力が感じられるということだ」


 あくまでも実直そうな語り口で、分家の家長はそのように言い継いだ。


「それもまた、ルウの強さの表れであるのだろう。誰よりも長きの生を生きる最長老に、敬服の念を捧げたく思っている」


「あたしなんて長く生きてるだけの、老いぼれさ……なんて言うと、家族や友に叱られちまうんだけどねえ……」


「だったら、そんなこと言わないの。さっきだってレム=ドムが、ジバ婆のこと褒めてたじゃん」


 ララ=ルウが口をはさむと、アイ=ファも無言のまま大きくうなずいた。

 ジバ婆さんは、とても幸福そうに微笑んでいる。


「女衆らはかまど仕事にかかりきりなので、俺たちのように愛想のない人間しか相手できないことを申し訳なく思う。……お前たちも、何か語らうがいい」


「あ、ああ。語らいたいことは、山ほどあるんだけどさ」


 ディガは気恥ずかしそうに笑いながら、俺たちの姿をおずおずと見回してきた。最終的に、その目はジバ婆さんに据えられる。


「さ、最長老が元気そうでよかったよ。この前ついに、87回目の生誕の日を迎えたってんだろう? 本当にすげえよなあ」


「ああ。それに、モルン=ルティムが最長老の孫の子だって聞いて、俺はびっくりしちまったよ。だからモルン=ルティムは、あんなに優しくて賢いんだろうな」


 以前はこの両名も、ルウの集落でジバ婆さんと相対することになったのだ。

 ジバ婆さんは、それこそ孫でも見るような目でディガたちを見返した。


「あんたたちも元気そうだねえ……あんたたちも、ルウの収穫祭に来てくれるのかい……?」


「あ、ああ。本当は氏ももらっていない俺たちが出向くなんて筋違いなんだけど……」


「ミダ=ルウの力を見届けることは何かの糧になるだろうって、家長たちが許してくれたんだ。ありがてえ話だよ」


「そうかい……そいつはますます、収穫祭が楽しみだねえ……」


 ジバ婆さんがそんな風に答えると、ディガとドッドはたちまち目もとを潤ませてしまった。以前にジバ婆さんと対面したときも、ふたりはその優しい言葉と眼差しに涙することになったのだ。


「こちらの収穫祭ではルティムの家人を10名招いていたので、こちらからも同じ人数が招かれることになった。身をつつしみ、ルウの収穫祭の様相を見届けたく思っている」


 と、最後は分家の家長が慇懃に締めくくる。きっとドムは勇猛なばかりでなく、習わしを重んじるゆえに礼儀正しいのだろう。まだまだ例となる相手は少ないのだが、ザザやジーンとはいささか気質が異なるように思えるのだ。


 そしてそこに、新たな料理が届けられる。このたびは、マロマロのチット漬けや魚醤を使った、ピリ辛の炒め物であった。

 ギバのバラ肉に、アリア、オンダ、マ・プラ、ネェノン、ブナシメジモドキなどが使われており、ミャームーやケルの根で香り高く仕上げられている。力強くて、食欲をそそるひと品だ。


「……こちらは、向こうの敷物でも食することになった。ルティムの女衆らの手ほどきとともに作りあげた料理となる。この料理に、ゲルドという土地から買いつけた食材が使われているのだな?」


「はい。具材ではなく、調味料で使われておりますね」


 料理が出てきて、ようやく俺の喋る番が回ってきた。

 が、分家の家長は「ちょうみりょう……」とうろんげにしている。


「調味料というのは、タウ油やミソなどのことです。それらは北の集落でも使われていたでしょう?」


「ああ、なるほど。だからこれほどに、馴染みのない味になっているのだな。タウ油やミソといったものを使われた際にも、ひどく驚かされたものだ」


「はい。味を調えるのが調味料の役割ですからね。こちらの料理はお気に召しませんでしたか?」


「いや、美味だった。トゥール=ディンに願えば、こちらの料理も自分たちで作りあげることがかなうようになるのだろうか?」


「はい。似たような料理は、いくらでも。トゥール=ディンも新しい食材の作り方はぞんぶんに学んでおりますので」


 レイナ=ルウの直伝であるこちらの料理も、申し分のない味わいであった。もともとが俺の伝授した回鍋肉などが原型であるので、俺にとっては馴染み深い味だ。


「しかし、トゥール=ディンを北の集落に招くことができるのも、せいぜい月に1度や2度のことだ。それに、トゥール=ディンにばかり苦労をかけるのは忍びないという話があがっている。……と、ザザの者たちに聞いているだろうか?」


「いえ、初耳です」


「そうか。すでに北の集落には知れ渡った話であるので、俺が話しても問題はあるまい。近いうちにディンやリッドと家人を貸し合い、かまど仕事の手ほどきを願う算段であるのだ。さすれば、こちらの人間がファの家におもむく機会も生まれようから、その際にはよろしく願いたい」


「ああ、そういうことでしたら、喜んで。北の集落の方々と絆を深められるなら、俺もありがたく思います」


 俺が心からの笑顔を返すと、分家の家長はまたうろんげな目つきになった。


「先の収穫祭でも感じたことだが……お前はずいぶん変わったようだな、ファの家のアスタよ」


「え、そうでしょうか? いったいどの時期と比べてのことでしょう?」


「俺がお前と相まみえたことは、1度きりしかあるまい。こやつらがドムの集落からファの家に逃げ出した際のことだ」


 この不意打ちに、ディガは料理を咽喉に詰まらせそうになっていた。


「な、なんだよ? 頼むから、あまりおかしな話は引っ張り出さねえでくれよ?」


「おかしな話ではなく、お前たちが犯した罪の話だ。お前たちはかつての族長ザッツ=スンにあらがうことがかなわず、テイ=スンとともにドムの集落を逃げ出した。そうしてファの家が襲われるのではないかと案じた俺たちが、その場に駆けつけることになったのだ」


「ああ……もちろん、覚えています。そうか、あのときにあなたもファの家に駆けつけてくださったのですね」


「うむ。あの夜のお前は、ただの町の人間にしか見えなかった。どうしてこのような人間を家人に迎えたのかと、ファの家長に腹が立ってならなかったほどだ」


 アイ=ファは沈着な面持ちで、その言葉を聞いている。もちろん文脈からして、現在の彼に憤懣の気持ちがないことは歴然としていた。


「しかし、今のお前は……見てくれこそ異なるものの、まぎれもなく森辺の民であるように感じられる。目の光……なのであろうかな。強く、光に満ちた目だ」


「ありがとうございます。あなたのように立派なドムの狩人にそんな風に言ってもらえたら、光栄です」


 そうして俺がかしこまっていると、ルド=ルウが「なるほどなー」と声をあげた。


「アスタは昔っから、ここぞってときには狩人みてーな目つきになってたけどよ。普段は、へにゃへにゃしてたもんな。なんか、すっげー懐かしいや」


「ふむ。では、アスタもあれからすぐに成長を遂げていたのであろうか?」


「どうだろーな。人間なんて、そんないきなり変わるもんじゃねーだろ。この2年ぐらいで、ちっとずつ成長していったんじゃねーの? しょっちゅう顔をあわせてると、そういうのもわかんねーよ」


「2年か……あれからもう、それほどの歳月が過ぎていたのだな」


 分家の家長は、感じ入った様子でそのようにつぶやいた。


「それは確かに、人間が成長するのに十分な時間であろう。ちょうど見習いの狩人が一人前になるだけの時間であるしな」


「あー。ってことは、ディガやドッドもドムの家人になって、そろそろ2年になるってことか?」


「い、いや、狩人としての修練を始めてからは、まだ1年と8ヶ月とかのはずだよ。貴族連中との騒ぎが収まるまでは、俺たちもずっと見張られてる身だったからよ」


 いくぶんおどおどとしながら、ディガがそのように返答した。ジバ婆さんの前で過去の罪を取り沙汰されて、いささか心を乱してしまったようだ。


「へー。1年と8ヶ月か。ずいぶんこまかいところまで覚えてんだな」


「そりゃあそうさ。2年が経つまでにまともな力をつけられるのかって、俺たちはずっと思い悩んでたんだからよ」


 と、ディガよりは心を乱していなそうなドッドが、そのように答えた。


「最初の何ヶ月かは、どうせこのまま森に朽ちるんだろうってあきらめきってたけど……今なら、他の見習いたちに負けてねえって自信を持つことができたんだ。あと4ヶ月が経つ前に、なんとか自分の手でギバを仕留めてみせるよ」


「ふーん。ま、お前らも見習いの狩人としては上出来な部類だろうしな。いつかその頭にギバの骨をかぶせられる日を楽しみにしておくよ」


 そう言って、ルド=ルウは陽気に白い歯をこぼした。ディガとドッドも、つられたように笑っている。

 そこに今度は、レム=ドムが近づいてきた。


「ねえ、そろそろ燭台の火が消えそうよ」


「そうか。承知した。……では、誓約の儀を執り行おうと思う。客人らも、儀式の火の前に集まってもらいたい」


 頭上を振り仰ぐと、やぐらに準備された燭台の火が消えかかっていた。それが、次なる儀式に移行する合図であったのだ。

 広場のあちこちに散っていた人々は儀式の火の前に寄り集まり、レム=ドムとツヴァイ=ルティムがやぐらの上に花婿と花嫁を迎えに行く。


 そういえば、婚儀をあげる両名がこうしてしばしの時間をふたりきりで過ごすというのはルウの習わしと同一であったが、それを迎えに行くのは年配の女衆であったように記憶している。この場ではドムとルティムの習わしがあれこれ入り混じっているのだと、俺はあらためて思い知らされることになった。


 やぐらを下りた両名は、若き付添人たちとともに儀式の火を迂回して、俺たちの前に立ち並んだ。

 ルウの祝宴であれば、ここで特別な宴料理が出されるところだが――かまど番ではなく、ガズラン=ルティムが両名の前に進み出た。


 モルン=ルティムはツヴァイ=ルティムとレム=ドムに導かれて、ふたりから距離を取る。

 儀式の火を背景に、ディック=ドムとガズラン=ルティムが向き合った。それと同時に、ドムの人々がまた重々しい詠唱を唱え始める。


 いったい何が行われるのかと、俺が目を凝らしていると――やおら、ディック=ドムがガズラン=ルティムにつかみかかった。

 ガズラン=ルティムは驚いた様子もなく、相手の腕と肩に手をかける。

 しかしガズラン=ルティムは無抵抗のまま、その場に押し倒されてしまった。


 動物のうなり声じみた詠唱が渦巻く中、ガズラン=ルティムはゆっくりと起き上がって後ずさっていく。

 すると今度は、モルン=ルティムとレム=ドムが儀式の火の前に進み出た。


 さきほどのディック=ドムたちと同じように、両者はその場で向かい合う。

 モルン=ルティムは胸の前で両手を交差しながら、レム=ドムの前に深く頭を垂れた。

 レム=ドムは彼女らしい堂々とした手つきで、モルン=ルティムの頭から草冠を外してしまう。しかし、留め具を失ったヴェールが風に飛んでしまう前に、そこにはレム=ドムが隠し持っていた花の冠がかぶせられることになった。


 レム=ドムはその手に残された草冠を高く掲げると、それを儀式の火に放り入れる。

 腹の底に響くような詠唱がいっそう重々しく響きわたり、それにも負けない声で分家の家長が声を張り上げた。


「ドムとルティムは、両名がおたがいの伴侶となることを認めた! この夜より、モルン=ルティムはモルン・ルティム=ドムとなり、この地で生きていくこととなる! 母なる森と、すべての血族よ! ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムに、さらなる祝福を!」


 詠唱は荒々しくうねることで、分家の家長の宣言に応じていた。

 そしてそこに、巨大な何かが接近してくる。それはゴヌモキの葉を敷き詰めた板の上にのせられた、ギバの丸焼きであった。広場の片隅で、ずっとそれは炙り焼きにされていたのだ。


 狩人たちの手によってそれが儀式の火の前に下ろされると、ルティムの女衆らが楚々とした足取りで近づいて、そこから背中の肉を切り分けた。

 木皿にのせられたその肉は、ツヴァイ=ルティムとレム=ドムを経由して、花嫁と花婿に届けられる。それが今宵の、特別な宴料理であったのだ。


 ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムはその木皿を一回高く掲げてから、ギバの肉を口にした。

 詠唱が止められて、代わりに歓声があげられる。

 花嫁を見下ろすディック=ドムは、初めてその顔に笑みを浮かべたようだった。


「誓約の儀は、以上となる! 伴侶となったふたりに、宴料理を!」


 ふたりは大勢の家人に囲まれながら、敷物へと導かれていった。

 おたがいの本家の家人たちも、そちらに引っ張られていく。ようやく厳粛なる儀式が終わり、同じ場所で喜びを分かち合う刻限となったのだ。


「いやあ、無事に式が終わってよかったなあ。……あの、ディック=ドムとガズラン=ルティムが組み合ってたのは、どういう儀式だったんだろう?」


「察するに、ルティムがこの婚儀を許すかどうかを示す儀式であったのであろう。もしも婚儀を許さないとあれば、ガズラン=ルティムがディック=ドムを倒していたのではなかろうかな」


「じゃあ花嫁のほうも、婚儀を許されない場合は花の冠をもらえないってことかな? ここまで儀式を進められた後に破断なんてことになったら、とうてい耐えられないだろうなあ」


「それだけ北の集落においては、婚儀の正しさを厳しく見定めようという習わしであるのであろう」


 そんな風に言いながら、アイ=ファが俺の顔を覗き込んできた。

 その誰よりも秀麗な面に、ふっと優しげな微笑みがたたえられる。


「……今日は涙を流しておらぬようだな」


「え? ああ、うん。もちろん胸の中は感動でいっぱいだけどな」


「それでいいのだ。余人の婚儀で涙を流す理由はない」


「そんなこと言って、アイ=ファだってリミ=ルウの婚儀ではぽろぽろ泣いちゃうかもしれないぞ?」


 そうして俺がアイ=ファに足を蹴られたとき、いくつかの人影が近づいてきた。ダリ=サウティと、お供の2名だ。


「さしあたって、儀式は終了したようだな。俺たちは、しばらく身を引いておくべきであろう」


「うむ。まずは血族らが喜びを分かち合うべきであろうからな」


 そんな風に答えてから、アイ=ファはうろんげに首を傾げた。


「ところで、ヴェラの次姉はどうしてしまったのだ? どこか調子でも崩してしまったのであろうか?」


 彼女はダリ=サウティの大きな身体に、半分その身を隠していたのだ。

 そうしてダリ=サウティの陰から聞こえてきた「いえ」という返事は、完全に涙声になってしまっていた。


「おふたりの幸せそうな姿を目にしていたら、涙が止まらなくなってしまって……申し訳ありません。すぐに気を落ち着かせますので……」


「いや、我々に詫びる必要はないように思うが」


 そう言って、アイ=ファはフォウの次兄のほうに目をやった。

 こちらはこちらで、子供みたいに頬を火照らせてしまっている。俺たちの視線に気づくと、彼は激情に震える声で言った。


「ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムの覚悟は、しっかり見届けさせてもらった。お、俺も彼らに恥じるところのないよう、力を振り絞りたく思う」


「そのような言葉を聞かされても、アイ=ファとアスタは返す言葉も見つからぬだろう。それは、フォウとヴェラの問題であるのだからな」


 ダリ=サウティがゆったりと微笑みながら口をはさむと、フォウの次兄は「はい!」とそちらに向きなおった。


「お、俺は何を為すべきなのでしょう? どうか道をお示しください、族長ダリ=サウティ!」


「そうだな。まずはお前たちもモルン・ルティム=ドムにならって、おたがいの集落に逗留を願うべきではないだろうか? さすがに1年とまでは言わぬが、そうしておたがいが血族に相応しい人間かどうかを見定めてもらうべきであろう」


「おたがいが、ですか? あちらでは、嫁となるモルン・ルティム=ドムだけがドムの集落に逗留していたようですが……」


「それはディック=ドムが、本家の家長という立場であったためであろう。分家の次兄であるお前には、何の不都合もあるまい。……それとも、ヴェラの集落で過ごすのは気が進まぬか?」


「いえ! それで俺の真情が伝えられるのでしたら、いくらでも!」


 フォウの次兄は激情のぶつけどころに困るぐらい、発奮している様子であった。

 そしてヴェラの次姉はぽろぽろと涙を流しつつ、そんな彼のことをじっと見つめている。


 どうやら彼らがこの場に出向いてきたのも、決して無駄足にはならなかったようだ。

 俺がそんな風に考えていると、ダリ=サウティが笑顔で俺たちに向きなおってきた。


「しかし、それは俺たちがファの家に逗留を願うのとは、まったく別の話であるからな。ルウの収穫祭が終わるまでは身をつつしもうかと思うが、その後はまたよろしく頼むぞ、アイ=ファにアスタよ」


「うむ。それが約定であったからな」


 アイ=ファは凛然とした面持ちで、そのように答えていた。

 まさかその影でアイ=ファが俺に添い寝を求めていたなどとは、誰にも想像はつくまい――などと考えていたら、またもやアイ=ファに足を蹴られてしまった。


「な、なんだよ? 俺は何も言っていないぞ」


「……お前が何を考えているかなど、私にはお見通しだ」


 アイ=ファは凛々しい表情をキープしながら、目もとだけで笑っていた。

 すると今度は、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザの姉弟コンビが近づいてくる。


「ああ、やはりお前たちも身を引いていたか。しばらくすれば血族らも気が済むであろうから、しばらくは宴料理でも喰らっているがいい」


「うむ。そちらはまぎれもなく血族であるのだから、いささかもどかしいところであろうな」


 ダリ=サウティがそのように応じると、ゲオル=ザザはにやりと笑いながら「べつだん」と肩をすくめた。


「時間などいくらでもあるのだからな。あとで嫌というほど祝福してやるさ。その前に、まずはこちらも心を落ち着けるべきであろうよ」


 その言葉に、スフィラ=ザザがべしんと弟の背中を叩いた。

 見れば、スフィラ=ザザも目のふちを赤くしてしまっている。涙は綺麗にぬぐわれた後のようだ。


「ディック=ドムはわたしたちにとって、もっとも近しい血族であったのです。それがようやく婚儀をあげられたというのに、あなたはどうしてそのように浮ついていられるのですか?」


「めでたき日であるからこそ、心が浮き立つのではないか。めでたき日に涙をこぼす人間の心情こそ、俺にはさっぱり理解できぬな」


 なんだか、俺とアイ=ファにも似たやりとりである。異なるのは、泣いている側がべしべしと相手を叩いているところであった。


 ザザの姉弟とドムの兄妹は、おおよそ同世代であったのだ。そういえば、ディック=ドムはスフィラ=ザザと、レム=ドムはゲオル=ザザと婚儀をあげるのではないか、などという話も持ち上がっていたと聞いている。それぐらい、仲のよい幼馴染であったのだろう。


「あちらでは、ジーンの家長まで涙をこぼしておったしな。あれだけの力を持つ狩人がうかうかと涙をこぼすなど、俺には信じ難いほどだ」


「ジーンの家長はディック=ドムらの父親と深き絆を深めていたのですから、何もおかしなことはありません。きっと、早くに父を亡くしたディック=ドムのことを、我が子のように慈しんでいたのでしょう。わたしたちの父たる族長グラフとて、それは同じことのはずです」


「ふん。だったら俺たちは俺たちで、祝いの宴を開くべきであろうな」


 陽気な顔で、ゲオル=ザザはそのように言いたてた。


「何せこの場には、ザザとジーンの人間がふたりずつしか招かれておらんのだ。これではとうてい、用が足りるまい。モルン=ルティム――いや、モルン・ルティム=ドムのほうは、どうせ間もなく収穫祭ですべての血族と顔をあわせられるのだしな。こちらでは、ディック=ドムを祝ってやろうではないか」


「それは……きっと誰もが望むところであるのでしょうが……ですがこれは、ドムとルティムの間にだけ繋がれた血の縁であるのですよ?」


「相手が誰であろうと、関係ない。俺たちの大事な血族たるディック=ドムが婚儀をあげたのだから、それはめでたきことであろうが? それを祝うことが罪であるなどとは、決して思えんな」


 そんな風に言いながら、ゲオル=ザザは俺たちに向きなおってきた。


「まあ、すべてを決めるのは族長たちだが……その際には、客人を招くつもりなどないからな。血族ならぬ人間は、家で大人しくしておいてもらおう」


「うむ。お前にしては、妙案であるように思えるぞ」


 アイ=ファが珍しくも冗談めいた口調で言うと、ゲオル=ザザは「抜かせ」と笑った。

 やっぱりアイ=ファもゲオル=ザザも、十分に心を浮き立たせているのだ。

 そしてそれは、俺も同じことであった。

 敷物のほうを振り返ると、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムは大事な家人たちに囲まれながら、人生でただ一度しか訪れない喜びの日を全身で味わっているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 破断ではなく破談ではないてしょうか。
[気になる点] 誤り:破断 正:破談
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ