ドムとルティムの婚儀の日②~入場~
2021.2/19 更新分 1/1
婚儀が行われる日没まで、俺たちはドムの集落でのんびりと過ごすことになった。
狩人たちの力比べや、女衆のかまど仕事を見物させてもらったり、幼子たちの面倒を見ている女衆らと交流を深めさせてもらったり――その中にはアマ・ミン=ルティムや、ラウ=レイの2番目の姉も含まれている。彼女はルティム分家に嫁いだ身であり、乳飲み子を含む二児の母であったのだ。
それに、かまど小屋で働く女衆の中には、もちろんツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムや、ふだん屋台の商売を手伝っている若い女衆もいた。力比べに興じている男衆の中には、ガズラン=ルティムの弟や、ディガやドッドや、荷運びで勇士となったドム分家の家長などもそろっている。
気づけば俺も、ルティムやドムにそれだけ見知った相手ができていたのだ。
そんな人々と今日の喜びを分かち合えるというのは、心よりありがたい話であった。
そうしてゆったりと時間は流れすぎ――いつしか太陽は、西の果てに没しかけている。
その頃になって、ようやくゲオル=ザザとジーンの家長、それにお供の女衆が到着した。早くから到着していた俺たちとあわせて、本日の客人はこれですべてである。
「おう、そちらはすでに顔をそろえていたか。婚儀の場に血族ならぬ人間が居座っているというのは、収穫祭以上に奇妙な気分だな」
そんな風に言ってから、ゲオル=ザザはにやりと笑った。
「とはいえ、今日は俺たちも同じ立場か。これはあくまで、ドムとルティムの間にのみ紡がれる血の縁であるのだからな」
「そうです。わたしたちはドムの血族ではなく、族長筋ザザの人間として、この行いを見届けるために出向いているのですよ」
スフィラ=ザザが厳しい面持ちで応じると、ゲオル=ザザは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「そうは言っても、ディック=ドムが俺たちの血族であることに変わりはない。ルウの者たちも、それは同じことだな」
「ああ。だから親父も、俺をこの場によこしたんだろうしな。親父の目になって婚儀のさまを見届けつつ、せいいっぱい祝福してやるさ」
ルド=ルウは笑顔で、そんな風に応じていた。
そうしていよいよ太陽が見えなくなりかけると、薄暗い広場の中央にふたつの大柄な人影が進み出た。ガズラン=ルティムと、ドム分家の家長である。
「婚姻の儀を始める前に、この夜の客人たちを紹介しておきたく思う。おおよその相手とは日の高いうちに顔をあわせていようが、しかと見知ってもらいたい」
そのように語り出したのは、ドム分家の家長のほうである。やはりこの場は、嫁を迎えるドム家の取り仕切りとなるのだろう。
その声に招かれて、俺たちも広場に中央に寄り集まる。
ダリ=サウティ。ヴェラの次姉。フォウ分家の次兄。
ゲオル=ザザ。スフィラ=ザザ。ジーンの家長。ジーンの末妹。
ジバ婆さん。ルド=ルウ。ララ=ルウ。
そして、俺とアイ=ファで、総勢は12名だ。
ちなみに客人たる女衆は、宴衣装を纏っていなかった。近年のルウの婚儀では客人にも宴衣装を許していたが、この場では北の集落の習わしが取り入れられたとのことである。まあ、むやみに血族ならぬ相手との婚儀を推奨するわけにはいかないだろうから、それも妥当な判断であろう。
ただし、ドムとルティムの未婚の女衆は、宴衣装を纏っている。
彼女たちは、この夜から血族となるのだ。もちろんドムとルティムでばかり婚儀をあげていたら、他の血族との縁が薄らいでしまうところであるが――しかし名目上、もはやドムとルティムの間の婚儀を妨げる理由は存在しない。そこはひとりひとりが節度を守り、家長としっかり相談しながら、今後の婚儀の相手を見定める他なかった。
ドムとルティムの人々は、左右に分かれて立ち並んでいる。人数はルティムのほうがやや多く、総勢は50名ていどだろう。幼子の面倒を見ている女衆や、現在は席を外している花嫁たちを含めても、両家の総勢は60名弱だと聞いていた。
その中には、5歳を超えたばかりの幼子や、ごくわずかにだがご老人なども含まれている。いずれも大柄なドムの狩人たち、それに負けないぐらい立派なルティムの狩人たち、花や骨の飾り物をつけたドムの娘たち、銀や宝石の飾り物をつけたルティムの娘たち――誰もが厳粛な表情を浮かべつつ、その目には今日という日を迎えられた喜びがたたえられているように思えた。
「では、婚姻の儀を開始する。……儀式の火を」
宴衣装の女衆らが、同時にいくつかの火種を薪の塔に投じた。
真紅の炎が、赤々と燃えあがる。それと同時に、ドムの人々が重々しい詠唱を唱え始めた。
やはり婚儀の場にあっても、北の集落では詠唱を唱えるものであるのだ。
そしてドムの男衆らは、ギバの大腿骨などを打ち鳴らしている。収穫祭でもぞんぶんに味わわされた、厳粛にして幻想的なる様相であった。
ルティムの人々らは、そんな様相をただ静かに見守っている。
このたびは、まだ同じ行いには及ばないらしい。今後、再びドムとルティムで婚儀の話が持ち上がったならば、あらためてどのように振る舞うべきかが論じられるのだろう。森辺で初めてとなるこの夜の行いは、何もかもが手探りであるのだ。
そうしてしばらくすると、ドム本家の玄関が開かれて、花婿と花嫁が登場した。
先導するのは――なんと、宴衣装のツヴァイ=ルティムに、狩人の衣を纏ったレム=ドムである。もともと血族ではなかったツヴァイ=ルティムと女狩人のレム=ドムがその役を担うというのは、何やらルティムとドムの持つ数奇な運命というものを暗示しているように思えてならなかった。
それはともかくとして、本日の主役たちだ。
アイ=ファとララ=ルウにはさまれた俺は、何か不思議な夢でも見ているような心地でその姿を見守ることになった。
ディック=ドムは、その鍛えぬかれた巨体に花婿の装束を纏っている。
それはドムの狩人に相応しい、勇壮きわまりない姿であった。
ディック=ドムは腰から上が裸身であり、その上に狩人の衣を羽織っているばかりであったのだが――そこに、ギバの骨でさまざまな装飾が施されていたのである。
肩のあたりなどは、まるで甲冑の肩当てのように、ギバの肋骨が何本も重ねられている。鋭い肋骨が放射状に組み合わされたそのさまは、大輪の花にも似ていた。
頭にギバの頭骨をかぶり、胸もとに牙と爪の首飾りを垂らしているのは普段通りであるが、さらに腰には肋骨や脛骨を数珠繋ぎにしたベルトが巻かれている。なおかつ、腰に巻いているのもギバの毛皮であったため、花婿の宴衣装というのはすべてがギバの毛皮と骨で構築されていたのだった。
そうしてモルン=ルティムはというと、こちらもギバの毛皮と骨がまんべんなく使われている。
その身に纏っているのは、おそらく雨除けの外套と同じ手法で作られた衣装だ。首から足もとまでひとつながりになった長衣のような形状で、そこに赤や緑で渦巻き模様が染めあげられている。いかにモルン=ルティムが小柄であっても、よほど巨大なギバでなければこれほどの毛皮は取れないはずであった。
その上に、骨の飾りが散りばめられているのだが、こちらはその骨にも染色が施されていた。やはり赤や緑が主体であり、遠目にも、きわめて細かい柄であることが見て取れる。そうして色鮮やかに仕立てられた肋骨が何本も繋げられて、肩や腰や胸もとに垂らされていたのだった。
そしてモルン=ルティムは、褐色の長い髪をほどいている。そこを飾るのは天然の花飾りであり、その上から玉虫色のヴェールをかぶり、草冠で固定していた。
いつも陽気なモルン=ルティムは、そのヴェールの向こう側でそっと目を伏せている。
しかしその厳かなる表情には、内心の喜びが隠しようもなくにじんでいた。
いっぽうディック=ドムは、彫像のように無表情だ。その黒い瞳は、まるで戦いに臨むかのように激しく燃えている。
おそらくは――緊張しているのだろう。
婚儀の約定を交わすとき、ディック=ドムは驚くほどやわらかい表情を見せていたのだ。それが現在は婚儀に臨むにあたって、どうしようもなく緊迫してしまっているようであった。
しかし俺は、満ち足りた思いでその姿を見守ることができた。
婚儀の場で緊張することなど、俺の感覚では当たり前だ。かつてはチム=スドラだって、婚儀の場で同じような姿をさらしていたはずであった。
何より俺には、ふたりの姿がとても自然であるように思えた。
40センチぐらいも身長差のある両名が、横に並んでゆっくりと歩いている。その姿が、とてもしっくりと目に馴染んでいたのである。
ギバの色彩である花婿と、赤と緑の色彩である花嫁が、俺たちの前を通りすぎて、儀式の火に近づいていく。
やがてツヴァイ=ルティムとレム=ドムは左右に分かれて、花婿と花嫁に道を譲った。
モルン=ルティムはガズラン=ルティムの隣に、ディック=ドムは分家の家長の隣に、それぞれ立ち並ぶ。するとツヴァイ=ルティムとレム=ドムもそれをはさむようにして左右に並んだ。
詠唱はいくぶん静まったが、まだ止められてはいない。
そんな中、分家の家長がまた重々しい声を発した。
「ドムの家長、ディック=ドム。ルティムの家長の妹たる、モルン=ルティム。本日この夜に、両者はおたがいを伴侶とする。母なる森と血族たちよ、その誓いに偽りなきことを見届けたまえ」
ディック=ドムとモルン=ルティムはそれぞれ一礼してから、儀式の火の裏側へと回り込んだ。その場所に、大きなやぐらが建てられていたのだ。
ふたりを追いかけたツヴァイ=ルティムとレム=ドムが、ともにやぐらの階段をのぼっていく。そうして天辺に準備されていた燭台に火が灯されると、ふたりの姿が暗い天空を背景にぼうっと浮かびあがった。
うねるような詠唱と相まって、また幻惑的な心地に襲われる。
なんだか、すべてが夢のような光景であった。
いや――むしろ、いつか夢で見た光景が、ふっと目の前に浮かび上がったような心地とでも言うべきであろうか。それはまったく見知らぬ幻想的な光景でありながら、どこか郷愁にも似た感覚を刺激してやまなかったのだった。
「……では、婚儀をあげる両名に、1名ずつ祝福を」
やぐらから下りたばかりのレム=ドムが、あらためて階段をのぼっていった。血の近い血族から、牙や角の祝福を1本ずつ捧げていくのだ。
レム=ドムの後には、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ラー=ルティム、オウラ=ルティム、ツヴァイ=ルティムが続く。あとはまたドム家に舞い戻り、幼子の面倒を見ている女衆らも交代で呼び寄せられてから、ルティムの分家の人々へと順番が回された。
その後が、12名の客人たちだ。
ジバ婆さんは、ルド=ルウの腕に抱かれてやぐらをのぼっていく。そうして族長筋の人々がすべて祝福を終えるのを待ってから、アイ=ファと俺も階段に足をかけた。
まずは家長たるアイ=ファがお祝いの言葉とともに祝福を授け、俺がその後に続く。
ディック=ドムは相変わらずの硬い無表情、モルン=ルティムはこらえかねたように微笑みをたたえていた。
「ああ、ありがとうございます、アスタ。アスタともこの日の喜びを分かち合うことがかなって、わたしは心から嬉しく思っています」
「それは、こっちの台詞だよ。末永く幸せにね、モルン=ルティム」
実のところ、俺はそうまで彼女と深いご縁を有していたわけではない。彼女が屋台の商売を手伝い始めたのはアマ・ミン=ルティムのご懐妊が伝えられてからであったし、その頃にはもうルウとファでくっきり仕事も分けられていたのだ。
だが――出会った時期は、かなり古い。ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀の際には軽く挨拶をしたぐらいであったが、その後に俺とアイ=ファは一夜だけルティムの客人となったことがあったのだ。
あれは俺が、宿場町で屋台を出すべきか思い悩んでいた時期である。その相談をするためにガズラン=ルティムのもとを訪れたところ、帰りそびれて寝床のお世話をしてもらうことになったのだった。
よってそれは、俺が森辺を訪れてひと月ていどの時期ということになる。
ならばそれは、指折りで古い時期に知り合ったと言えるはずであった。
その後は家長会議の晩餐を準備する場において、彼女が父親にも負けない気迫で怒る姿を目にすることになった。スンの女衆が食材を無駄にしても無頓着であったため、森辺の民らしい清廉さで激しい怒りにとらわれてしまったのだ。彼女が怒る姿を見たのは、あれが最初で最後であったことだろう。
その後は――俺の誘拐騒ぎからトゥラン伯爵家にまつわる騒乱が終結するまで、俺とアイ=ファはルウの集落に留まっていた。その時期に彼女とアマ・ミン=ルティムは熱心にルウ家へと通って、かまど仕事の手ほどきを受けていた。両名はそのまま交互に宿泊もしていたので、あの頃がもっともモルン=ルティムと顔をあわせる時間が多かったはずだ。
それ以降は、あまり親交を深める機会も訪れなかった。
屋台の商売ではそれほど接点もなかったし、それに彼女は北の集落で手ほどきをするために一時離脱したりもしていた。そうしてディック=ドムへの想いを打ち明けた1年ほど前からは、ずっと北の集落に逗留していたのだ。
もちろんルウ家の祝宴などでは里帰りをしていたので、俺もたびたび顔をあわせていたものの、俺にとってのモルン=ルティムというのは「大事な友たちのご家族」というものであったように思う。
しかしそれでも、俺はずっとモルン=ルティムの応援をしてきたつもりだ。
その想いが報われればいいと――ディック=ドムのように立派な男衆にはモルン=ルティムのように立派な女衆が相応しいのではないかと、ずっとそのように念じていたのだった。
そして俺は、モルン=ルティムの強靭さと健気さに心を打たれてもいた。
おたがいが族長筋の眷族であり、通常であれば婚儀など決して許されない間柄でありながら、自分の想いをすべての人々に打ち明けたその強靭さと、そうせざるを得ないぐらい思い詰めていた健気さに、俺は敬服していたのである。
その想いが、森辺の習わしすら、くつがえしたのだ。
その道筋を立てたのは兄たるガズラン=ルティムであったとしても、まずそれはモルン=ルティムの勇気ある行動がなければ議論のテーブルにさえ上げられることもなかったはずであった。
だから俺はモルン=ルティムのことを敬服しており、モルン=ルティムのことが大好きであった。
そんな思いを込めながら、俺は「おめでとう」と祝福の牙を渡してみせた。
「あとでまた、ゆっくり話をさせておくれよ。……ディック=ドムも、おめでとうございます」
何か、「うぐ」とか「むぬ」とかいう、くぐもった声が返ってきた。
俺がきょとんと見返すと、ディック=ドムは大きな手の平で口もとをふさいでしまう。
「……すまん。上手く口が回らんのだ。祝福の言葉、心から感謝している」
「はい。それでは、またのちほど」
緊張の極みにある花婿に笑いかけてから、俺はやぐらの階段を下った。
その姿を見届けてから、分家の家長がまた声を張り上げる。
「では、婚儀の祝宴を開始する! ディック=ドムとモルン=ルティムに祝福を!」
70名足らずとは思えないほどの勢いで、「祝福を!」の声が唱和された。
女衆らの多くは、簡易かまどへと引き下がっていく。たとえトゥール=ディンの力を借りなくとも、そこにはドムとルティムの女衆が心を尽くした宴料理が準備されているはずであった。
「客人らは、敷物でくつろいでもらいたい。ドムとルティムからも、何名かの家人を付き添わせよう」
そんな風に述べてから、分家の家長はガズラン=ルティムに向きなおった。
「……ルウとファに関しては、そちらに任せるべきであろうな。案内を願いたい」
「承知しました。こちらにどうぞ」
ここはドムの集落なれど、ガズラン=ルティムたちも決して客人ではなく、ともに客人をもてなす側であるのだ。そんなガズラン=ルティムの案内で敷物のほうに招かれると、そこにはすでにダン=ルティムとラー=ルティムが陣取っていた。
「おお、待っていたぞ! さあ、ゆるりとくつろぐがいい!」
ダン=ルティムは、いつもの調子で豪快に笑っていた。
が、その顔には今もなお大粒の涙がこぼれ落ちている。ダン=ルティムはこう見えて、名うての感激屋さんなのである。
「おめでとうねえ、ダン=ルティム……あたしも胸がいっぱいだよ……」
ルド=ルウの手で敷物に座らされたジバ婆さんがそのように呼びかけると、ダン=ルティムは「うむ!」と大きくうなずいた。その弾みに、ぽたぽたと涙が敷物にしみを作る。
「モルンが想い人と結ばれたのだから、これほどめでたきことはない! これで俺の子は全員が、すべて愛する伴侶を授かることになったのだ! あとは一刻も早く、赤子の顔を拝ませてもらうばかりだな!」
「気の早いことだねえ……今はこの喜びをぞんぶんに噛みしめるといいよ……」
「もちろん、噛みしめまくっておるぞ! ああ、アスタたちも座ってくれ! すぐに宴料理が届けられようからな!」
ジバ婆さん、ルド=ルウ、ララ=ルウに続いて、俺とアイ=ファも腰を下ろさせていただく。ダン=ルティムとラー=ルティムのかたわらにはガズラン=ルティムが腰を下ろして、とうていドムの集落とは思えない顔ぶれになってしまった。
そこに、「お邪魔するわよ」という声が響きわたる。振り返るまでもなく、レム=ドムである。
「古馴染みばかりで固まるのも何だから、わたしもご一緒させていただくわ」
「ふーん? レム=ドムだって、古馴染みじゃねーか?」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。まあ、ドムの家人の中ではそうなのかもしれないわね」
レム=ドムは嫣然と微笑みながら、ちゃっかりアイ=ファの隣に陣取った。
「ともあれ、ようやくディックの腰が落ち着いたんで、わたしもひと安心よ。ここまで来るのに、ずいぶん長い時間を費やしてしまったものね」
「それを言うなら、お前のほうこそ悩みの種だろ。何せ、婚儀もあげずに狩人の仕事を果たすって決めちまったんだからなー。ディック=ドムのほうが、よっぽど頭を悩ませてるはずだぜー?」
レム=ドムとルド=ルウが、気安く軽口を交換する。そういえば、この中で真っ先にレム=ドムとご縁を紡いだのは、おそらくルド=ルウであったのだった。
「最長老も、お疲れ様。ドムの集落は如何かしら?」
「ああ、立派な集落だねえ……家人もみんな力にあふれていて、ちょっと昔を思い出してしまったよ……」
すると、ガズラン=ルティムに手渡された手拭いで顔面をごしごしとぬぐっていたダン=ルティムが、「ふむ!」と大きなうなり声をあげた。
「俺も前々から思っていたが、ドムの集落というのは本当に立派だな! 家人はルティムより少ないはずなのに、広場の大きさなどは比較にもならぬほどだ!」
「ドムはそれだけ、力のある氏族であったということでしょう。かつてはザザよりも家人が多かったという話なのですからね」
ガズラン=ルティムがそのように答えると、レム=ドムがうろんげに振り返った。
「それって事あるたびに聞かされる話だけど、本当のことなのかしら? ザザなんて、ジーンと家を分けるほど家人が多かったのよ? ドムにそれ以上の家人がいたなんて、なかなか信じられない話だわ」
「むろん私も、この目で確かめたわけではありませんが――」
と、ガズラン=ルティムは穏やかな表情でジバ婆さんのほうを見た。
ララ=ルウに寄り添われたジバ婆さんは、「そうだねえ……」と目を細める。
「少なくとも、あたしたちがこの森辺に移り住んできた頃には……ザザよりもドムのほうが大きい氏族であったはずだよ……それからガゼとリーマが滅んで、スンに族長筋が移された頃には……もうザザと同じぐらいの人数になっていたかもしれないねえ……」
「そうなのね。ドムというのは、どうしてそうまで力を失うことになってしまったのかしら? ルウやスンはともかくとして、気性の似通っているはずのザザとそうまで差のついてしまったことが、わたしには解せないのよね」
「どうだろうねえ……黒き森とモルガの森で、何か違いがあったのかもしれないけれど……」
と、今度はジバ婆さんがガズラン=ルティムのほうに視線を送った。
ガズラン=ルティムは穏やかな表情のまま、「そうですね」と思案する。
「モルガの森辺に移り住んでから、ドムの力が弱まったというのなら……それは、ヴァムダの黒猿とギバの相違が関わっているのかもしれません。ドムの狩人は黒猿を狩るのが得手であった反面、ギバとは相性が悪かった、ということなのではないでしょうか?」
「ああ……狩人でないあたしにはよくわからないけど、そういう面はあるのかもしれないねえ……黒猿は木の上を自由に行き来するって話だったから、地を駆けるギバとはずいぶん勝手が違うんだろうしねえ……」
レム=ドムは、苦笑をこらえているような面持ちでジバ婆さんとガズラン=ルティムの姿を見比べた。
「あらためて思ったけど、あなたたちは家族のように似た部分があるみたいね。たしか最長老とガズラン=ルティムは、ルウ本家のお人らと同じだけの血の縁を持っているという話だったかしら?」
「はい。私の祖母とルド=ルウらの祖父が兄妹であったため、最長老から受け継いだ血の濃さに変わりはないはずです」
「となると、モルン=ルティムも同じだけの血を継いでるってわけよね。最長老の聡明さがドムの血に入ることを、心から得難く思ってしまうわ」
「ふふん。モルン=ルティムがどれだけ賢いかなんて、この1年ぐらいでもう思い知らされてるんじゃないの?」
ララ=ルウが口をはさむと、レム=ドムは「それもそうね」と不敵に笑った。
「それじゃあお次は、ドムの強き血をルティムに捧げるべきかしら。わたしは婚儀をあげられない身だから、他の女衆がルティムの男衆を見初めるように祈るばかりね」
「ルティムの家長としてあまり軽々しい言葉は口にできませんが、私もドムとは絆を深めさせてもらいたく思っています」
この場に集っているのはみんなよく見知った面々であるが、俺はなんだかずいぶん新鮮な心地であった。
すると、なかなか鋭い洞察力を持っているレム=ドムが、アイ=ファごしに俺を見やってくる。
「なあに? 何か言いたげな顔をしているわね」
「いや、レム=ドムがみんなと親しげに喋ってるのが、なんだか新鮮でさ。そういえばレム=ドムも、一時期はルウの集落に逗留してたんだもんね」
「ほんの数日限りであったけれどね。すぐにディックを怒らせてしまったから」
と、レム=ドムは無邪気さと妖艶さの入り混じった顔で、くすくすと笑う。
「それに、ディックとモルン=ルティムの話が持ち上がってからは、ルティムの人らと顔をあわせる機会も増えていたし……案外、この中で一番ご縁を深める機会が少なかったのは、長老ラー=ルティムということになるのかしら? わたしやディックがルティムの本家にお邪魔したときぐらいしか、顔をあわせる機会もなかったものね」
「うむ。儂も最長老ジバ=ルウと同様に、ドムの集落におもむけたことを得難く思っている」
鷹のような目を炯々と光らせながら、ラー=ルティムはそのように応じていた。息子さんと同じく禿頭で、白い豊かな顎髭を胸もとまで垂らした、痩身のご老人だ。かつてジバ婆さんの娘を娶ったのは、このラー=ルティムになるわけである。
「今日という日を迎えられたのは、本人たちばかりでなく、おぬしやダンやガズランたちも力を尽くした結果であろう。これから血族となる相手にこのような言葉をかけるのは不相応であるやもしれんが……我が孫たるモルンのために尽力してくれたこと、心よりありがたく思っている」
「あなたはディックやドムの男衆らと気が合いそうよね。これからは、もっと頻繁に絆を深めさせてもらいたく思うわ」
レム=ドムがそのように答えたとき、いくつかの人影が近づいてきた。宴衣装を纏った女衆たちである。
「お待たせいたしました。宴料理をどうぞ」
料理をのせた大皿と、取り分け用の小皿が並べられていく。最初に供されたのは、『ギバ・カツ』を始めとする数々の揚げ物たちであった。
ドムの女衆は以前からトゥール=ディンに手ほどきを受けていたし、本日はレイナ=ルウに鍛えられたルティムの女衆らも調理に加わっている。先日の収穫祭に劣らない宴料理が準備されていることを、俺は日中の見学で確認させてもらっていた。
「おお、ぎばかつか! やはり北の集落においても、祝宴といえばぎばかつなのだな!」
「えーと……あ、これはめんちかつだね。今、ジバ婆の分を取り分けるから」
「こいつは、くりーむころっけか。普通のころっけはどれだろうな?」
もともと華やいでいたその場が、宴料理の登場でいっそう華やいだ。
儀式の火の向こうにそびえるやぐらでは、ディック=ドムとモルン=ルティムの姿がぼんやりと照らし出されている。あちらのふたりとも、早くこの喜びを分かち合いたいところであった。