料理人の交流会③~得難き光景~
2021.2/1 更新分 1/1
・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
それからシリィ=ロウの料理が完成するまでの一刻の間、レイナ=ルウとロイによってそれぞれギバ肉の香味焼きが仕上げられることになった。
ロイの言っていた「思いつきの料理」というのは、ギバの香味焼きであったのだ。ならばレイナ=ルウも最近になって新たな香味焼きを完成させたところであったので、おたがいにそれを披露しようという話に落ち着いたわけである。
「そっちはゲルドから買いつけた香草を3種も使ってるんだな。こりゃあ目新しさではかなわねえや」
ロイはそのように語らっていたが、それなりに自信ありげな様子である。
そんなロイが香味焼きに選んだのは、マスタードに似たサルファルと、クミンに似た辛みを持つ果実、それにナツメグに似た風味の香草であった。
「サルファルは、熱を通すと辛みが飛んでしまうのですよね。辛みは別の香草で補い、サルファルの風味を活かそうということでしょうか?」
自分の香草を調合しながら、レイナ=ルウはそのように問うていた。サルファルの風味を活かした料理というのは、かつてプラティカもお披露目してくれていたのだ。
ロイは「そうだな」と応じつつ、おもむろに片手鍋を取り上げた。
「ただ、サルファルをあれこれいじり回しているうちに、面白い使い方を見つけてな。サルファルは水で練らないで、レテンの油で熱を通すんだよ」
「水で練らずに? ……その時点で、わたしたちには未知なる扱い方であるようです」
サルファルはもともと味も香りも希薄な香草であり、これを粉末状にして水で練り上げることによって、強い辛みとマスタードめいた風味が生まれる。ただし、熱を通すと辛みが消えてしまうという、なかなか不可思議な香草であったのだ。
ロイは片手鍋にサルファルのパウダーとレテンの油を投じ、それをかまどの火にかけた。
とたんに、馴染みのある香りが匂いたつ。マスタードに似た、サルファルの香りだ。ただし、油で炒められているためか、水で練ったサルファルよりも香ばしい香りであった。
「で、こいつに塩と残りの香草を加えてから、ギバの肉を焼きあげる。簡単なもんだろ? ゆくゆくは他の調味料も加えていっぱしの料理に仕上げるつもりだけど、これだけでもまあそんなに悪くない味なんだよ」
「そうですね。どのような味わいになるのか、とても楽しみです」
焼いているのは、バラ肉だ。サルファルはマスタードよりもオレンジがかった色合いをしているので、その色彩が肉にも絡みついていた。
クミンやナツメグに似た香草のパウダーも加えられているので、いよいよ香り高くなっていく。スパイシーな揚げ料理を食したばかりだというのに、俺は食欲をそそられてやまなかった。
「これで完成だ。できれば、アイ=ファにも食べさせてやりたかったな」
アイ=ファはさきほどの料理を食した後、家に戻ってしまっていた。今頃は狩りの仕事に備えつつ、ファの家の人間ならぬ家人たちとぞんぶんにたわむれている頃合いであろう。
焼きあげられたギバ肉は、ひと口サイズで切り分けられて、その場の人々に回されていく。その味わいは――なかなかのものであった。
「これは確かに、美味ですね」
レイナ=ルウも、素直な驚きの表情でそう言っていた。
確かに、美味である。サルファルの香ばしさを増した風味とナツメグに似た香草の風味が実にマッチしており、クミンに似た香草の辛みが味の決め手となっている。まったく複雑なこともない、シンプルで力強い味わいであった。
「ただ、肉の味わいが少しだけぼやけてしまっているような……塩は後から加えるのではなく、肉に馴染ませておくべきではないでしょうか?」
レイナ=ルウがそのように進言すると、ロイはいくぶんうろんげな顔になってから、「ああ」と手を打った。
「それは、あれだよ。森辺から買いつけられたギバ肉ってのは、すぐに塩漬けで保存されるからさ。城下町で使うギバ肉は、最初から塩で下味がつけられてるようなもんなんだ」
「ああ、なるほど。森辺ではピコの葉に漬けられているので、塩気が足りなくなってしまうわけですね」
「そうそう。あとから塩を加えたのは、ちょいと味を調えるだけのもんだから――」
と、自分の分を口に入れたロイが、ぎょっとしたように目を剥いた。
「あれ……なんだか店で試したときと、ずいぶん味が違ってるな。風味はいいけど、辛みが強くて……ああ、こいつはピコの葉の風味か。塩気が足りない分、ピコの葉が効いちまってるんだな」
「そうなのですか? ピコの葉の風味はちょうどいいように思いますが」
「うん。もうちょい辛みを抑えて、塩気を足したらばっちりだな。てことは、城下町で作るときは、ピコの葉で下味を加えとくべきか。こいつは思わぬ発見だよ」
ロイは、嬉しさと苦笑の入り混じったような顔で笑っていた。
レイナ=ルウもつられたように笑いながら、自分の調理に取りかかる。
「こちらは香草の粉をまぶしたギバ肉を、ホボイの油で焼きあげます。ロイの作ってくださった香味焼きにも引けは取らないと思いますので、食べてみてください」
「そいつは謙虚な言いようだな。むしろ、おっかなくなっちまうよ」
レイナ=ルウとロイは、ずいぶん自然体であるように感じられた。出会った当初はロイのほうが、しばらくしてからはレイナ=ルウのほうが、相手の存在を強く意識して、ずいぶんギクシャクしていたように思うのだが、なんだかすっかり気の置けない友人といった雰囲気だ。
(レイナ=ルウはちょっと、ロイとシリィ=ロウの親しげな様子に戸惑ってるような雰囲気もあったしな。そういう気持ちが解消されたなら、何よりだ)
そんな風に考えながら、何気なく室内の様子を見回した俺は、そこにシリィ=ロウの仏頂面を発見して「あれれ」と思ってしまった。シリィ=ロウはずっと鍋の面倒を見ているし、ロイの料理に感想を伝える立場でもなかったので、しばらく会話の輪から外れていたのだ。
それはそれとして、シリィ=ロウがちょっとすねているように見えてしまうのは、俺の邪推であるのだろうか。ロイとレイナ=ルウは浮ついた様子もなく、むしろ料理人としての向上心といったものを架け橋として、至極健全な関係性を紡いでいるように見受けられるのだが――人の心とは、ままならないものであった。
(だったらまあ、シリィ=ロウも一緒に仲良くなってほしいところだな)
そういえば、今日はシリィ=ロウに何かと心をかけてくれるシーラ=ルウが不在であるのだ。ここは俺がひと肌ぬぐべきかと、おせっかい精神を発動させようとしたとき、それより早くもリミ=ルウがシリィ=ロウのもとにちょこちょこと駆け寄っていった。
「はい、シリィ=ロウのぶん! きっと美味しいと思うから、食べてみてー!」
「……はい、ありがとうございます」
シリィ=ロウは仏頂面のまま、しかし罪なき幼子に憤懣をぶつけることなく、レイナ=ルウの香味焼きを口にした。
すると、同じものを口にしたユン=スドラも、逆の側からシリィ=ロウに近づいていく。
「いかがですか? ゲルドから買いつけた香草の風味が、とても素晴らしい味わいを生み出しているように思うのですが」
「……そうですね。申し分ない味わいであるかと思います。レイナ=ルウは、香草の扱いに長けているようですね」
「はい。アスタやミケルからも助言をいただきつつ、長きの時間をかけて、これだけの料理を作りあげたのだそうです。ロイやシリィ=ロウもそうですが、料理にかける熱情というものが、やはり余人とは違っているのでしょう」
ユン=スドラは、いつもの調子でにこにこと笑っている。その朗らかさに面食らった様子でシリィ=ロウが眉を下げていると、その背後からプラティカまでもが近づいてきた。
「確かに、完成度、素晴らしいです。アルヴァッハ様、感服、間違いないでしょう。また、ロイの香味焼き、十全の仕上がり、気になります。ゲルドの香草、使われていませんが、そのようなこと、関わりなく、素晴らしい完成度、望めるように思います」
「え、ええ。そうであるといいのですが」
「そして、シリィ=ロウの野菜料理、気になります。中天、間もなくかと思いますが、進捗、いかがですか?」
「も、もうしばしお待ちください。こちらの料理は、熱の通し方が肝要なものですから……」
「なんか、不思議な匂いだよねー! でも、すっごく美味しそー! これはお肉を使ったりしないの?」
三方向から囲まれて、シリィ=ロウもすっかり泡を食ってしまっているようだ。
が、いささかならず頑迷な面のあるシリィ=ロウには、これぐらい積極的なほうが効果的であろう。彼女はきっと、自分で思っているよりも人をひきつける魅力を携えているはずであった。
そうして四半刻ほどが経過して、ついにシリィ=ロウの料理が完成する。
ネェノンとチャッチとチャンの、煮込み料理である。
じっくり煮込まれた野菜たちは、濃い褐色の煮汁の中で、かろうじて原型を保っている。それを大きな平皿に取り出したシリィ=ロウは、ひとつの野菜を四等分に切り分けて小皿に移したのち、まずは鉄鍋に残された煮汁をまぶし、さらに後掛けのソースを上からとろりと振りかけた。
「お待たせしました。こちらがわたしの考案した、3種の野菜の煮込み料理です」
肉は、いっさい使われていない。ただ、キミュスの骨ガラで出汁が取られたのみである。
調味料も香草もふんだんに使われているので、味の予想をつけることは難しい。ただ、香りのほうはそれなりに複雑で、何に似ているとも言い難かった。とりあえず、イラやシシの効果でそれなり以上の辛みを有していることだろう。
俺はまず、もっとも罪のなさそうなチャッチから手をつけてみた。
もともとが握り拳ほどのサイズで、それが4等分にされているのだから、サイズとしてはふた口ていどだ。見るからにやわらかそうであったので、木匙で崩してから煮汁とソースをたっぷりからめて、口に運んでみると――やはり、複雑な味わいが口内に広がった。
しかし、複雑ではあるものの、食べにくいことはない。
煮汁は辛くてコクがあり、ミソやタウ油がなめらかな香ばしさや塩気を担っている。そこに、後掛けのソースで使われているラマムやミンミがふくよかな甘みを添えていた。
そしてそちらのソースには、ネェノンの皮のみじん切りも加えられているのだ。
ネェノンの皮はもともと1ミリていどの薄さであったし、それが細かく刻まれている。しかしまた、軽く煮込んだだけであるので、ほのかな歯ごたえが残されていた。それが、チャッチのやわらかさと対照の妙を演出しているのだ。
チャッチの皮のすりおろしは、いったいどのような役目を果たしているのか。俺にはいまひとつ判然としなかったが、チャッチの皮はけっこうな渋みを持っているので、あのようにわずかな量でもかき消されることはないだろう。これはあくまでイメージであるが、軽く熱を通しただけの果実のソースが、ずいぶん引き締まった味であるように感じられた。
(ロイの料理の荒々しさとはまったく違う、しっかり統制の取れた味わいだな)
続けて、ネェノンとチャッチを食してみる。
ネェノンは、きわめて豊かな甘みが引き出されていた。それにこれこそ、ソースで使われている表皮のみじん切りと対照的である。同じ食材がまったく異なる食感と味わいをもたらしてくれるというのは、なかなか楽しい体験であった。
ズッキーニに似たチャンには、とりわけ煮汁の味わいが強くしみこんでいる。これまではあまり感じられなかったママリア酢の酸味も顕著で、いっそうの複雑な味わいだ。
繊細――というよりは、どこか流麗な味わいであった。
けっこうな種類の香草を使っているのに、これまでに食べてきた揚げ物や香味焼きのような強い刺激は感じられない。イラやシシの辛みはソースの甘みや野菜の味で緩和され、そこにさまざまな風味がからみついている。流麗で、優雅で、とても気品のある味わいであるように感じられてならなかった。
「……こちら、宮廷料理、相応しい味わいです。城下町、高く評価されるでしょう」
プラティカは、そのように語らっていた。
そのかたわらで、ニコラも大きくうなずいている。
「ジェノスの城下町においては、一種けばけばしいぐらいの料理がもてはやされているように思います。こちらの料理は、それをさらに洗練させたような……きわめて複雑な味わいでありながら、とてもたおやかであるように感じられます」
「はい。このたおやかさ、ダイアの料理、通じるように思います。ならば、アスタの料理、通ずるもの、存在するのでしょう」
するとシリィ=ロウが、とてもけげんそうに「え?」と声をあげた。
「お待ちください、プラティカ。その仰りようですと、まるでアスタとダイアの料理に通ずるものがあるように聞こえてしまうのですが……おふたりの作法は、ずいぶん掛け離れているはずですよね?」
「はい。ですが、食したときの心持ち、多少ながら、通ずるもの、あるのです。味、絢爛でありながら、心、優しく包まれる心地です」
「心が優しく包まれる……申し訳ありません。わたしには、いささか理解の及ばない話であるようです」
「そうですか。しかし、シリィ=ロウの料理、同じもの、わずかに感じます。シリィ=ロウ、すでに、森辺の料理、影響、受けているのではないでしょうか?」
その言葉には、シリィ=ロウも口をへの字にすることになった。
「わたしは森辺の作法を学ぶために来訪いたしましたが、自分の知らぬうちに影響を受けているというのは、ちょっと……決して失礼な意味ではく、心外であるように思います」
「そうですか。では、影響でなく、元来の資質でしょうか。ダイアとて、森辺の料理、食する前から、作法、完成させていたので、影響、関係ないはずです。シリィ=ロウ、優しい心情、たおやかな気質、料理、反映されているのでしょう」
「……わたしをからかっているわけではないのですよね?」
「はい。優しい、たおやか、賛辞です」
プラティカは真剣そのものであったので、シリィ=ロウは赤面しつつ撤退することになった。
すると、そちらのやりとりが終わるのを待っていたレイナ=ルウが進み出る。
「ともあれ、こちらの料理は素晴らしい完成度であるかと思われます。いかにも城下町の料理らしい複雑な味わいであるのに、とても食べやすくて……シリィ=ロウのそういう手際には、昔から感服させられていました」
「こ、今度はなんですか? できればわたしもロイのように、厳しい意見をいただきたいのですが」
「シリィ=ロウは以前から、わたしの兄や弟たちが不満なく食せるような料理を手掛けていたでしょう? ギバ肉を使わずしてそのようなことができるのかと、わたしは心から驚かされていたのです」
そう言って、レイナ=ルウはにこりと微笑んだ。勉強会への熱意はそのままに、彼女も持ち前の明朗さがよみがえってきたようだ。
「それに、こちらの料理に対する厳しい意見というものは、あまり思いつかないようです。わたしは野菜の料理を披露していただきたいという要望を出しましたので、肉が使われていないのは当然のことですし……肉の料理と一緒に出されることを想定すれば、なおさら文句のつけようがありません」
「そうですね。わたしもレイナ=ルウと同じ気持ちです。とても美味で、心から満足することができました」
ユン=スドラもレイナ=ルウに負けない明るい笑顔で、そのように言いたてる。
善意と好意の波状攻撃に辟易した様子で、シリィ=ロウはマルフィラ=ナハムに向きなおった。
「では、マルフィラ=ナハムはいかがでしょう? 足りない味や余分な味などを感じていましたら、ぜひ教えていただきたく思います」
「い、い、いえ、とりたててそういったものは思いつきませんでした。わ、わたしなどは食材の組み合わせ方に感心するばかりで、自分の料理になんとか取り入れられないものかと、そのような心持ちになってしまっています」
「……そうしてあなたは、貪欲に自分の腕を磨いていかれるわけですね」
シリィ=ロウの目に、不屈の闘争心が燃えあがったようだった。
「承知しました。それでは次こそ、あなたの手際を拝見させていただきたく思います」
そこで、戸板が外から叩かれた。
顔を出したのは、アイ=ファである。頭にはバンダナのような布を巻き、雨よけの外套は狩人の衣にあらためられている。
「では、私は狩人の仕事を果たしてくる。決しておかしな騒ぎを起こさぬようにな」
「うん、もちろん。無事な帰りを待ってるよ」
アイ=ファが仕事に出向くということは、ついに中天に至ったということだ。楽しい合同勉強会も、いよいよ折り返し地点である。
次のターンは森辺のかまど番であったので、マルフィラ=ナハムはオリジナルの煮込み料理を、俺は最近開発した『マロマロ仕立ての担々麺』をお披露目することになった。
ロイたちはいまだゲルドから買いつけた食材も手つかずであるという話であったが、ヴァルカスのこしらえる試作品を毎日のようにいただいているので、食材の味はぞんぶんにわきまえている。そんなふたりをして、『マロマロ仕立ての担々麺』は「素晴らしい完成度である」と言わしめることができた。
また、俺がラー油を開発するためにかけた時間と熱情をお伝えすると、いささか呆れながらも賞賛してくれた。香草の風味を油に移すという作法は、城下町の料理人たる彼らの好奇心を大いにくすぐったようである。
そして、マルフィラ=ナハムの料理に関しては、もはや言うまでもないだろう。彼らはその料理がきっかけとなって、森辺の作法を学びたいという心境に至ることになったのだ。
だからまあ、その味に文句がなかったのは当然として、ふたりはマルフィラ=ナハムの手際そのものにも強く感銘を受けたようだった。
マルフィラ=ナハムは鋭敏な味覚を有しているばかりでなく、手先が器用で腕力にも秀でている。なおかつ、計算や文字の読み書きが得手であることからもわかる通り、頭の回転もきわめて速い。生まれ素性など関係なく、ひとりの人間として極めて高いスペックの持ち主であったのだ。
マルフィラ=ナハムのそういった才覚は、直接的な関係はなさそうな場面でも如実に表れるものであるのだろう。しかも彼女は、俺のもとで手ほどきをされるようになってから、いまだ1年も経ってはいないのだ。それでいて、調理の手際はレイナ=ルウにも負けないぐらいであるのだから、ロイたちが驚嘆するのも無理からぬところであった。
「俺はあんまり、才能だの何だのってのを取り沙汰するのは好きじゃねえんだけど……あんたはまぎれもなく、天才の部類だろう。料理の修業を始めた頃に、あんたみたいなやつが横にいたら、俺はあっけなく挫折しちまってたかもしれねえな」
マルフィラ=ナハムの調理中、ロイなどは溜息まじりにそんなことを言っていた。
「あんたと出会ったのが、今でよかったよ。……いや、今でもかなわない部分は山ほどあるんだけどさ。変に腐ったりはせずに、あんたの存在を励みにさせてもらおうと思うよ」
「と、と、とんでもありません。わ、わたしなどはもう、本当に至らないばかりの人間ですので……」
などと怒涛の勢いで目を泳がせながら、調理の手は機械のように正確なマルフィラ=ナハムである。
シリィ=ロウはめらめらと両目を燃やしつつ、感情を抑制した声で言った。
「早咲きの花は、枯れるのも早い……などという格言を聞き及んだことがありますが、どうかあなたは慢心せず、そのお力を真っ直ぐにおのばしください、マルフィラ=ナハム。わたしもあなたの存在を心に深く刻みつけて、それを励みにさせていただきたく思います」
プラティカやニコラは無言であったが、きっとロイたちと同じ心情であるのだろう。その意気込みは、やはり鋭い眼差しにしっかりと表れていた。ついでに言うならば、レイナ=ルウもそれに近い心情であったのかもしれない。
そうして二刻ほどの時間が過ぎたならば、再びロイたちのターンである。
今度はちょっと趣向を変えて、この場で新たなギバ料理に挑んでもらうことにした。
町で買いつけるギバ肉というのは高級食材の部類であるので、ふたりもなかなか研究が進んでいないという話であったのだ。ならば、ふたりがもともと備えている肉料理のレシピをギバ肉に応用できるかどうか、それを試行錯誤してもらえば、おたがいに有益であろうという判断であった。
ロイはカロン乳を使った汁物料理で、シリィ=ロウは焼き物料理にチャレンジする。うまくいったら、それを本日の晩餐で供してみようという算段だ。かまど番よりは武骨な舌を持っているであろうアイ=ファにご満足いただける料理を準備できるかという、そんな意味合いも含まれていた。
「……でしたら、森辺の方々もご遠慮なく助言をくださらないでしょうか?」
シリィ=ロウがそんな風に言ってくれたので、俺たちも一緒に頭をひねることになった。
森辺のかまど番と城下町の料理人が、協力し合って料理を作りあげようというのだ。これこそ、前代未聞の椿事であるはずだった。
「なんだか、楽しいね! マイムやミケルと一緒に料理を作ってるみたい!」
「……ルウ家の方々は、毎日のようにそうして調理を手掛けておられるのですね。それは、上達するのが当然です。ですが……」
と、シリィ=ロウは厳しい眼差しでリミ=ルウとレイナ=ルウの顔を見比べた。
「……森辺には、ミケルばかりでなくアスタもおられます。ふたりは遠からぬ作法を身につけおられるのでしょうが、それでも同一ではありません。異なる師から同時に学んで、混乱を招くようなことはないのでしょうか?」
「今のところ、そういった心情を抱えたことはありません。アスタとヴァルカスの作法を同時に取り入れようとしたロイやマルフィラ=ナハムに比べれば、よほど苦労は少ないのではないでしょうか?」
レイナ=ルウは、きりりと引き締まった面持ちでそのように答えていた。
ユン=スドラの手を借りてギバ肉の下ごしらえをしていたロイは、「ははん」と鼻を鳴らす。
「マルフィラ=ナハムと並べられちまうと、さすがに恐縮しちまうね。俺の料理の完成度なんて、マルフィラ=ナハムの足もとにも及ばないだろう?」
「いえ。ロイの料理もこの数ヶ月間で、格段に完成されたように思います。さきほどリミやトゥール=ディンも、ぎばかつと半分ずつ出されれば不満はない、と言っていたでしょう? それはもはや、ぎばかつに匹敵するぐらいの魅力を有しつつある、ということなのではないでしょうか?」
「そいつはつまり、ぎばかつに一歩及ばないってこったろう? 人様の作法を真似ておいてその仕上がりじゃあ、お話にならねえよ」
ロイは気安く笑っていたが、レイナ=ルウは不満そうにその笑顔をにらみつけていた。
すると、ロイのかたわらで作業に励んでいたユン=スドラが、「うーん」と可愛らしく声をあげる。
「それはきっと、比べられるのがぎばかつであるからなのでしょうね。さきほども申し上げた通り、森辺の民にとってぎばかつというのはちょっと特別な料理であるのです。これが普通の煮込み料理や汁物料理であったなら、アスタのもたらしてくれたギバ料理と遜色のない出来栄えであると評されていたように思います」
「そうかい。だったらこの汁物料理でもって、アスタの料理を超えたいところだな」
合同勉強会も終盤に差し掛かり、ロイとシリィ=ロウもずいぶんこの場の空気に馴染んできたように感じられた。
いや、もしかしたらそれは、こうして同じ料理を手掛けている恩恵なのだろうか。前代未聞の椿事であるはずなのに、森辺と城下町の人々がともに仕事に励んでいる姿が、ずいぶん自然に見えてしまった。
(でも、何もおかしな話じゃないよな。俺たちは、同じジェノスの民なんだから)
それほど遠くない昔日においては、森辺の狩人と町の兵士たちが同じ敵を相手取って、刀をふるう事態に至った。あれこそ、そうせざるを得ない状況に追い込まれての緊急的な措置であったが――だけどやっぱり、同じ目的のために手を携えるというのは、絆を深めるためにもっとも有効な手段なのではないかと思えてならなかった。
そしてこのたびは、緊急でも何でもない。ただひたすら美味しい料理を作りあげたいと願う人々が寄り集まって、能動的に手を取り合っているのだ。
アイ=ファやダリ=サウティには、今のこの光景こそ見届けてほしかったなあと、俺はそんな感慨を噛みしめながら、シリィ=ロウの調理を手伝うことになった。