料理人の交流会②~切磋琢磨~
2021.1/30 更新分 1/1 ・1/31 誤字を修正
「はい、これで完成です」
約束の二刻で、俺たちは料理を完成させることができた。
いや、砂時計で確認したところ、まだ一刻半も経過してはいないようだ。それでもただ目的の料理を作りあげるだけであったら、もっと早く作業は完了していたに違いない。調理の過程をひとつひとつ丁寧に説明しつつ、合間には数々の質問に受け答えしながら作業をしていたため、これだけの時間が必要になったわけである。まあ、それこそが合同勉強会の醍醐味であることだろう。
そんなわけで最初に準備されたのは、『ギバ・カレーピラフ』と、『アロウのクリームパフェ』であった。
『ギバ・カレーピラフ』はけっこう前にレシピを完成させていたが、城下町の人々にお出ししたことはなかったように記憶している。生のシャスカをいきなり鍋で炒めるという調理法は、ロイたちに期待通りの驚きをもたらすことがかなったようだった。
具材はシンプルに、ギバの腸詰肉とアリア、ズッキーニのごときチャンのみとする。それらの具材と生のシャスカを炒めたならば、キミュス骨の出汁とカレーのスパイスを投入し、水気がなくなるまで煮込んだのちに、しばらく蒸らして完成だ。
「ぎばかれーには、まだこれほど幅広い使い道が残されていたのですね……どうです、ロイ。わたしがぎばかれーの調理を拝見したいという要望を出していなければ、この料理の存在を知らぬまま帰ることになっていたのですよ?」
「お前だって仰天してるくせに、偉そうな口を叩くなよ。だいたい、俺の要望がなかったら、普通のぎばかれーが出されてたんじゃねえか?」
どうも両名は森辺の民に失礼がないようにと思うあまりに、身内への風当たりが強くなっているように感じられた。
俺にできるのは、「まあまあ」と仲裁することだけである。
「ともあれ、味見をお願いいたします。タラパが売っていたら、加えておきたいところだったのですけれどね。シールの果汁なんかをかけてみても、けっこう悪くないのですよ」
「ぎばかれーに、シールの果汁を? ……なるほど、ぎばかれーに不足しがちな酸味をそれで補おうということですか」
「べつだん無理に酸味を加えようという考えはないのですが、この料理にはさっぱりとした酸味がよく合うように思うのですよね」
ともあれ、食べてもらわなくては始まらない。俺はユン=スドラの手を借りて、味見用の料理を小皿に取り分けていった。
「ダリ=サウティも、よろしければどうぞ。腹の足しにもならないような、ささやかな量ですが」
「ふむ。フォウの集落に置いてきた者たちに文句を言われてしまいそうだが、そんなありがたい申し出を断ることはできんな」
見物人のダリ=サウティも、笑顔で木皿を受け取ってくれた。本日はこの後も山のような試食が控えているために、本当にささやかな分量である。
そのささやかな分量を、ロイたちは真剣きわまりない面持ちで入念に味わっていた。
「当たり前の話だけど、煮汁に仕立てた普段のぎばかれーとは、まったく違う食べ心地だな。シャスカも最初に炒めてるもんだから、香ばしくて歯ごたえが強いし……味そのものはぎばかれーと同じなのに、まったく違う料理みたいだ」
「実際、異なる料理であるのでしょう。そもそもシャスカの取り扱い方からして異なっているのですから、その時点で同じ料理と言えるはずがありません。それは、鉄板で焼きあげたフワノと蒸し焼きにしたフワノを同じ料理と言い張るほどの暴論であるはずです」
そんな風に言ってから、シリィ=ロウが鋭い眼差しを俺に向けてきた。
「アスタ。シャスカを最初に炒めるという工程は、この歯ごたえを得るために取り入れているのでしょうか? それとも、シャスカが必要以上に香草の味を取り入れてしまわないようにするための配慮なのでしょうか?」
「どちらかというと、前者ですね。なんだったら、普通に仕上げたシャスカを冷ましてから、香草の粉で炒めるという調理法でも、似たような味わいを目指せるかと思いますが……やっぱり、食感はそれなりに違ってくると思います」
「なるほど」と、シリィ=ロウは沈思した。
その隙に、さきほどからしきりに身を揺すっていたプラティカが発言する。
「アスタ、こちらの料理、感服です。アルヴァッハ様、こちらの料理、食したこと、あるのでしょうか?」
「たしか、なかったかと思います。俺もそこまで頻繁に作る料理ではないのですよね」
「そうですか。……私もまた、『ギバ・カレー』の多様さ、打ちのめされました。『ギバ・カレー』、調理法、何種類、存在するのでしょう?」
「調理法の種類ですか。出汁の割合を多くして汁物料理に仕上げたり、饅頭の具材にしてみたり……あとは、細長く仕上げたフワノの生地を、カレーと一緒に炒めたりもしてみましたね」
すると、物思いにふけっていたシリィ=ロウが、ふっと顔を上げた。
「アスタは以前、かれーそばという料理を味見させてくれましたね。あれもかれーに出汁を加えた料理であったかと思いますが……このたびは、かれーのために調合した香草の粉を、そのまま使っておりました。他にもこういった使い方を試みておられるのでしょうか?」
「香草の粉を、そのままですか? うーん、どうだろう……あ、香草の粉を使った調味液をギバ肉の炙り焼きに塗り重ねるという使い方なら、したことがありますよ。あれなんかは、ヴァルカスの作るギレブスの炙り焼きから着想を得たのです」
それは遥かなる昔日、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの婚儀のために準備した、祝いの料理であった。
俺がしみじみと追憶に浸っていると、シリィ=ロウが「そうですか」と物思わしげな声を発する。
「それもまた、極めて興味の尽きない使い方かと思いますが……もっと手軽に、フワノやポイタンの生地に練り込んだりという調理法などは存在しないのでしょうか? それとも、望むような結果が得られないために取りやめたのでしょうか?」
俺は思わず、きょとんとしてしまった。
シリィ=ロウは、いくぶん焦れったそうな面持ちになってしまう。
「調合した香草をそのまま他の料理に転用できるというのなら、まず真っ先に思いつく使用法ではありませんか? こうしてシャスカとともに煮込んで味をしみこませるという手法を完成させておきながら、フワノやポイタンの生地に練り混むという手法を試してもいないというのは、いささかならず理解に苦しみます」
「そう……なのでしょうかね。俺はまったく、考えつきもしませんでした。たぶん、故郷でそういう料理に巡りあったことがなかったからだと思います」
「俺だって、そんなやり口は思いつかなかったよ。フワノの生地にそんな強い味付けをするのは、ジェノスでだって一般的じゃねえだろう?」
ロイがそのように声をあげたが、シリィ=ロウの表情に変わりはなかった。
「それを言うなら、アスタの作る料理はそのほとんどがジェノスの一般的な作法からかけ離れています。また、ヴァルカスだってそのような常識にとらわれなかったからこそ、あれだけ数々の目新しい料理を考案することがかなったのでしょう。一般的な作法などという概念は、今のわたしたちにとって目を曇らせるだけの存在なのではないでしょうか?」
「わかったわかった。別に文句をつけてるわけじゃねえから、そんなカリカリすんなって。……アスタは、どう思う?」
「はい。目から鱗が落ちた気分です。うまくいくかはわかりませんが、成功したら目新しい料理を考案できそうですね。……ありがとうございます、シリィ=ロウ」
シリィ=ロウは虚を突かれた様子で、慌ただしく目をそらしてしまった。
「わ、わたしはそれほど奇抜な話をしたわけではありません。調合した香草をそのまま転用するという作法があったのなら、真っ先に思いついて然りだと思います」
「ええ。やっぱり俺も、固定観念にとらわれていたのでしょうね。シリィ=ロウたちを森辺にお招きした甲斐があったというものです」
ということで、俺たちは次なる試食に取りかかることにした。
トゥール=ディンの取り仕切りで作製された、『アロウのクリームパフェ』である。
ただし、こんな序盤から胃袋を満たすわけにはいかないので、準備されたのはアロウのペーストが使われたソースとクリームとスポンジケーキのみである。が、それは甘党のリミ=ルウやユン=スドラをはしゃがせるだけの完成度を備えていた。
「おいしー! トライプのやつに負けないぐらい、おいしーね!」
「はい。これでくりーむぱふぇを作りあげたら、どれほど素晴らしい菓子になるか……想像しただけで、胸が躍ってしまいますね」
そして、森辺のかまど番ならぬ4名は、やはり恐ろしいぐらい真剣な面持ちになってしまっている。
「アロウを菓子に使うのは、城下町でももっともありふれた作法です。これらもひとつひとつの具材としては、それほど目新しくもないように思いますが……」
「ああ。だけど、この前の茶会と同じように盛りつけられたら、遜色ないぐらいの出来栄えだろうな。こいつはダイアも言ってた通り、他の料理人たちが知ったら一気に城下町で流行しそうだ」
トゥール=ディンは、恐縮しきった様子で小さくなっていた。
が、ロイたちの言葉を心から嬉しく思っているのだろう。『アロウのクリームパフェ』もいずれはオディフィアに供するつもりであるのだから、トゥール=ディンは限界いっぱいまで完成度を上げたいと願っているのだ。
「だいたいこいつは、他の具材との組み合わせ方が秀逸なんだよな。あれはやっぱり、アスタが考案したものなんだろう?」
「そうですね。でも、口で言うのは簡単ですし、俺は故郷で見知った菓子の内容を伝えただけですから。それを見事に再現できたのは、トゥール=ディンの手腕です」
「い、いえ。わたしなんて、アスタの考えをなぞっているばかりですから……何もそんな、偉そうなことは言えません」
そうしてその後は、プラティカやニコラからもトゥール=ディンへと賛辞が送られることになった。
それらを見届けたあたりで、ダリ=サウティが「さて」と声をあげる。
「俺はそろそろ、フォウの集落に戻ることにしよう。余計な手間を取らせてしまって、申し訳なかったな」
「とんでもありません。またいつでもおいでください。……と、アイ=ファも言ってくれるはずです」
「そうであることを願おう。……では、ロイとシリィ=ロウも、また。ふたりの料理を味見できないのは残念だが、今日のところは失礼する」
ロイとシリィ=ロウも丁寧にお辞儀をして、ダリ=サウティを見送ってくれた。
それから、ロイのほうが「ふう」と息をつく。
「べつだん強面ってわけじゃねえけど、やっぱり族長ともなると迫力が違うよな。その気になりゃあ、俺なんざ片手でひねられちまうんだろうしよ」
「あなたが失礼な真似をしない限り、乱暴な真似をされることなどありえないでしょう。あの御方は、あなたよりもよほど礼節をわきまえているように思います」
「へーえ。お前はああいうのが好みだったのか。残念だけど、あのお人は伴侶がいるはずだぜ?」
「そ、そういう部分が礼節をわきまえていないというのです!」
ロイとシリィ=ロウも、だんだん普段の調子が出てきたようだった。
そのタイミングで、今度はふたりが手際を披露する順番となる。
「こちらは一刻半ぐらいで片付いたみたいですね。時間にゆとりができましたので、どうぞじっくりとお願いいたします」
「承知しました。わたしたちは、どのような料理を作りあげるべきでしょう?」
俺が視線を巡らせると、闘志満々のレイナ=ルウが挙手をした。
「シリィ=ロウには、野菜料理の手際を拝見させてもらいたく思います。ロイは……以前に作っていただけたものの他にも、森辺の作法を取り入れた料理は存在するのでしょうか?」
「いや。この場で出せるほどの料理は考案できてねえよ。何せ最近は、仕事のほうで手一杯なもんでね。……ただ、香草を使った揚げ物料理は、以前よりもマシになったはずだ」
「それは是非、味見をさせていただきたく思います。……アスタはどのようにお考えでしょうか?」
「うん。俺にも、異存はないよ」
ということで、ついに調理の時間であった。
両名は、それぞれ調理器具を収めた革の鞄を持参している。それぐらい、本気で調理に取り組もうという意気込みであったのだ。彼らに先んじて、ニコラはたびたび菓子作りの手際を見せてくれていたが――それにしても、城下町の料理人が森辺のかまどで調理をするというのは、歴史的快挙であるように感じられた。
「食材も、お好きなものをお好きなだけお使いください。雨季で販売を取りやめられている野菜以外は、おおよそそろっているはずです」
「余所の領地から届けられるタラパやプラなどは買いつけておられないのですね。……ではまず、食材を吟味させていただきます」
雨はずいぶん小ぶりになっていたので、俺たちは駆け足で食料庫に向かうことにした。
棚や木箱に収められた野菜や香草を、ふたりは入念に吟味していく。俺なんかはドーラの親父さんやミシル婆さんの店で売られている商品の品質を信用しているので、並べられている野菜を手当たり次第に購入しているばかりであるが、彼らはまず朝の市場で食材の吟味をするところから、その日の仕事が始められるのだろう。
「ロイはギバ肉を使うのですよね。部位はどうしますか?」
「ああ。背中の肉をお願いするよ」
「承知しました。シリィ=ロウも、何か肉類は必要でしょうか?」
「いいえ。……あ、キミュスの骨が残されているのでしたら、足の骨を2本だけ分けていただきたく思います」
「足の骨ですね。了解です」
選別された食材は、マルフィラ=ナハムの手も借りてかまどの間へと移動させる。その行き道で、アイ=ファが解体部屋からひょこりと顔を覗かせた。
「こちらの仕事は完了したので、私もしばし見物させてもらおうかと思うが、どうだ?」
「うん、もちろん。試食はちょっと、時間ぎりぎりになっちゃうかな」
「大事ない。客人らの料理は、晩餐で口にできれば十分であろう」
というわけで、今度はアイ=ファが見物人として加わることになった。
そんなアイ=ファに、昼前の軽食として『ギバ・カレーピラフ』をお届けする。ものの3分でそれをたいらげたアイ=ファは、ロイたちの手際よりもかまどの間に集結した人々の様相をくまなく見届けようとしているように感じられた。
ともあれ、ロイとシリィ=ロウの調理である。
ロイのほうは香草の調合から取りかかり、そちらにはとりたてて変わった手法も見受けられなかったので、自然に俺たちの目はシリィ=ロウに集中した。
キミュスの足の骨は少量の水と2種の香草で煮込まれて、その間に開始されたのは野菜の下ごしらえだ。
シリィ=ロウが自前の調理刀でネェノンの表皮を剥き始めると、レイナ=ルウが驚きの声をあげた。
「仕事のさなかに、失礼いたします。シリィ=ロウは、ネェノンの表皮を削いでしまうのですか? わたしたちは、せいぜいシィマぐらいしか皮を削ぐこともないのですが……」
「ネェノンは、表皮でも問題なく食することがかないます。ただ、やはり実の内側とは味わいや食感が異なりますため、別の具材としてもちいる機会が多いように思います」
ネェノンはニンジンに似た味わいで、形状はカブに似ている。その表皮をするすると剥いていくシリィ=ロウの手際に、レイナ=ルウらは驚かされていたのだった。
このジェノスで売られている野菜はおおよそ表皮ごと食せるので、調理刀で皮を剥くといったらせいぜいシィマぐらいしか存在しないのだ。俺も初めてシィマの皮をかつら剥きにした際は、レイナ=ルウたちをたいそう驚かせていたものであった。
それからレイナ=ルウを筆頭とするかまど番たちの精鋭は、誰もがシィマの皮剥きを体得していたのだが――ネェノンのように小さくて、なおかつ表皮のやわらかい野菜の皮剥きを行うのは、いささか勝手が異なることだろう。
ネェノンの次は、チャッチだ。
チャッチは柑橘類のような表皮に包まれており、これは手で簡単に剥くことができる。ただしシリィ=ロウはその表皮を捨てようとはせず、木皿の上に保管した。
「……鉄串をお借りいたします」
シリィ=ロウは、皮を剥いたネェノンとチャッチ、それにズッキーニのごときチャンを鉄串で刺し貫いた。チャンは黒いピンポン球のような形状をしているので、少しずつ大きさの異なる3種の丸っこい野菜がまるで串団子のように仕上げられていった。10名分の試食として、準備された野菜は3個ずつである。
それでお次はどうするかというと、シリィ=ロウは3本の野菜串を直火で炙り焼きにし始めた。
これはなかなか、先の読めない展開である。いったいどのような料理が完成されるのか、この段階では想像することも難しかった。
鉄串の根もとを織布でくるんでかまどの火にかけるシリィ=ロウの横顔は、真剣そのものだ。
おそらく、焦げ目がつかないように細心の注意を払っているのだろう。そうして5分間ほど野菜の表面を均等に炙ってから、シリィ=ロウはようやく身を起こした。
「次は、煮汁の作製です」
シリィ=ロウの鞄には、金属製の計量カップも準備されていた。それを使って、食材を鉄鍋に取り分けていく。
使用されたのは、タウ油、ミソ、赤と白のママリア酢、レテンの油、ケルの根といったラインナップであった。
そしてそこに、細かく挽いた香草も加えられていく。イラの葉、ナフアの葉、シシの実、そしてレモングラスのような香草だ。それららももちろん、専用の匙で念入りに分量が計られていた。
「骨の出汁を取るのに、もう少々の時間がかかります。その間に、後掛けの調味液を作製いたします」
そこでシリィ=ロウは、さきほど取り分けておいたネェノンとチャッチの皮を別々に刻み始めた。
チャッチの皮は干すと茶の原料になるが、そのままでは渋くてとうてい口にはできない。いったいどうするのかと思いきや、シリィ=ロウは刻んだ皮を木皿に戻して、さらにすりこぎでペースト状になるまで潰してしまった。
さらにシリィ=ロウは、リンゴのごときラマムとモモのごときミンミもすり潰し始める。それらはネェノンのみじん切りとともに片手鍋へと投じられて、ひとつまみずつの砂糖と塩、それにシナモンのように甘い香りのする香草が少量だけ加えられた。
それらの食材を火にかけて、軽く煮立ったところでチャッチの皮のペーストを小さじ一杯分ほど加える。
匙を使って味見をしたシリィ=ロウは、さらに小さじ半分だけペーストを加え、ひと煮立ちさせて味見をしてから、片手鍋を火から遠ざけた。
「骨の出汁が取れるまで、もう四半刻はかかるかと思われます。それまでどうぞ、ロイの手際をお見守りください」
ロイの手際も、もちろん合間にちらちらと拝見していた。細かく調合をした5種の香草は、ミソとタウ油と白ママリア酢で練りあげられている。それを見守るレイナ=ルウの目は、鋭かった。
「以前に味見をさせていただいた料理では、それらの調味料も使われていませんでしたね。どのような仕上がりになるのか、とても楽しみです」
「ああ。ご期待に沿えれば、幸いだよ」
不敵に笑いながら、ロイは俺のほうを振り返ってきた。
「ところで、俺の料理はせいぜい一刻ていどで完成しちまうんだよな。残りの時間はどうするべきだ?」
「そうですね。もうひと品準備してもらえたらありがたい限りですが、ちょっと図々しいでしょうか?」
「そっちだって同じだけの時間をかけてくれてるんだから、図々しいことはねえだろ。それじゃあ、思いつきの料理でもお披露目してみせるか」
しかしまずは、最初の料理を仕上げてもらうべきであろう。香草のペーストを完成させたロイは、次に後掛けの調味液を作り始めた。
「以前の料理には、そちらも存在しませんでしたね。それほどさまざまな味を重ねて調和させようというのは、大変な苦労であったはずです」
またレイナ=ルウが声をあげると、ロイは手を動かしながら「そうだな」と答えた。
「師匠から出される山のような課題をこなしながら、ちまちまと手を進めていったんだ。しかも最近では師匠の分まで外の仕事を受け持ってるもんだから、いくら時間があっても足りねえよ」
「師匠の分まで? ……ああ、ヴァルカスはまだゲルドの食材にかかりきりなのですね」
「ああ。4種の香草ってのがまずかったな。そいつをこれまでの香草の組み合わせにどう盛り込んでいくべきかって、いまだに四苦八苦してるよ。店に客を入れるのなんて10日にいっぺんぐらいに絞っちまって、外の仕事はみんな俺たちに丸投げだ。俺たちがそいつを引き受けなかったら、食材を仕入れる銅貨だって確保できなかったろうな」
「……ロイ。自分の店の懐事情などを余人に明かすのは、あまりに恥知らずな行いなのではないでしょうか?」
たちまちシリィ=ロウが尖った声をぶつけてきたので、ロイは「はいはい」と肩をすくめた。
「ま、あれぐらいの執念がなきゃあ、あんな料理は作れないのかもしれねえけどよ。いつか身体をぶっ壊しちまうんじゃないかって、シリィ=ロウなんかは戦々恐々さ」
「ロイ!」
「わかったって。こっちの下ごしらえは完了だな」
ロイが完成させたのは、酸味と甘みを強調したソースであった。ベースとなるのはレモンのごときシールの果汁で、そこに白ママリアの酢や砂糖やミンミの果汁が加えられている。
「こっちはもう、衣をまぶして揚げるだけだぞ。そっちのほうはどうなんだ?」
「骨の出汁が仕上がりましたので、こちらも後は煮込むばかりです」
シリィ=ロウはさきほど準備した煮汁の食材に、キミュス骨の出汁を加えて煮込み始めた。それが沸騰したならば、まずは串から外したチャッチを投じる。
「あとは一刻ほど煮込みながら、ネェノンとチャンも順次追加していきます。その間に、ロイの料理の味見をおすすめください」
ということで、ロイの料理を完成させることになった。
ラマムの果汁と砂糖に漬けていたギバのロースに香草ベースのペーストをまぶして、その上からフワノ粉と干した焼きフワノの粉――つまりはパン粉の代用品で包んでいく。それを、ホボイの油で揚げるのだ。
「アイ=ファも、狩りの仕事まではまだ間があるんだろう? よければ、ひと切れだけでも味見してくれよ」
「うむ。それはありがたい申し出だが……私などに食べさせるよりも、かまど番により多く食べさせたほうが、実になるのではなかろうかな」
「そんなことねえって。同じ人間にふた切れ食べてもらったって、得るものなんざねえだろう。あんただって以前の料理を食ってるから、感想を聞かせてもらいたいんだよ」
「であれば、遠慮なくいただこう」
そんな言葉を交わしている間に、ロイの料理は完成した。
ふんだんに香草を使用した、ギバ肉の揚げ物料理――ヴァルカスの香草の扱い方と俺の『ギバ・カツ』から着想を得た、ロイのオリジナル料理である。
前回は肉と衣の間に香草をはさんでいたが、今回は香草のペーストを溶き卵の代わりに使用しているので、その暗緑色の色彩がうっすらと透けている。それをざくざくと切り分けたのちに、シールの果汁をベースにした透明のソースを掛けて、完成だ。
「香りは、素晴らしいですね。香草ばかりでなく、ミソやタウ油の香ばしい香りが入り混じって、いっそう食欲をそそられます」
厳格なる表情で言いながら、レイナ=ルウがその料理を口にした。
俺たちも、熱が逃げないうちにとそれを食させていただく。
フワノの衣がさくりとした心地好い食感で、その下からギバ肉の豊かな味わいと香草の強い風味が一気に広がった。
相変わらずの、荒々しい味わいだ。
ヴァルカスの作る料理というのも、さまざまな味わいが危うい均衡でぴんと張り詰めているのだが――ロイの場合は、さらに力ずくで味を調和させている感が強い。特に今回は後掛けのソースで甘酸っぱさも加えられたため、その印象がさらに強まったようだった。
辛みと甘みと酸味と香ばしさ、それにギバ肉の強い味わいが、物凄い勢いで綱引きをしているかのようだ。いまにも縄が千切れてしまいそうな荒々しさであるが、そんな不協和が訪れる寸前で、料理は咽喉を通りすぎていく。それでようやく「美味しい」という言葉を口にすることができる、本当にぎりぎりの調和であるのだった。
「以前にいただいた料理よりも、さらに美味しいです。それに、なんというか……失敗を恐れない気概みたいなものが、ひしひしと感じられますね」
「はい。私、同感です。こちらの料理、きわめて意欲的です。乱暴な味わい、むしろ魅力です」
プラティカも、気合のこもった声でそのように評していた。
レイナ=ルウは、それよりもさらに厳しい面持ちになっている。
「確かに、美味です。美味と言わざるを得ないような迫力を感じます。ものすごく乱暴な味わいで、いまにも調和が崩れてしまいそうなのですが……ぎりぎりのところで踏みとどまっているような力強さを感じます」
「はは。未熟な部分を強い味付けでごまかしてるってところかな」
「いえ、そうではありません。むしろ、そのようなごまかしからはもっとも縁遠い料理であるかと思います」
強い口調で反論してから、レイナ=ルウはふっと眼差しをやわらげた。
「とにかく、美味です。それにわたしは、ヴァルカスの料理ともアスタの料理とも異なる魅力を、この料理から感じます。むしろ、この乱暴さが失われてしまったら、少々物足りなくなってしまうかもしれません」
「そいつは、味を洗練させるなって話なのかな? なかなか難しい注文をつけてくれるじゃねえか」
そのように答えるロイも、どこか穏やかな眼差しになっていた。
それから気を取りなおしたように、その場にいる全員を見回してくる。
「もちろん俺も、これで完成したと思ってるわけじゃねえんだ。もしも何か意見をもらえたら、すごくありがたい。アイ=ファも森辺の狩人らしく、気に食わない部分をあげつらってくれねえかな?」
「そう言われても、この料理を気に食わないとは思わんな。あえて言うならば、森辺で作られるぎばかつには及ばない、といったところであろうか」
「うんうん。そいつはやっぱり、複雑な味わいがお気に召さないってことなのかな? それとも他に、何か理由があるんだろうか?」
ロイがしつこく食い下がると、その熱意に応えたく思ったのか、アイ=ファは「そうだな……」と鋭い面持ちで思案した。
「ぎばかつと比べて評するならば……どこか、ギバの風味が足りていないように感じられるのだ。ギバの存在をこの身に取り入れているという、あの得も言われぬ満足感が、この料理には欠けているように感じられるな」
「んー、そいつはどういうこったろうな。香草の味がきつくて、ギバ肉の味を殺しちまってるってことなのかな」
「いや。森辺においてもそこまでギバの存在が感じられるのは、ぎばかつとぎばこつらーめんぐらいのものであろう。理由は、かまど番にでも聞くがいい」
ロイが視線を巡らせると、たまたま近い場所にいたユン=スドラがそれに答えた。
「それはおそらく、こちらの料理にギバのらーどが使われていないゆえなのでしょう。アイ=ファの仰る通り、森辺においてはぎばかつとぎばこつらーめんを好む人間が多いかと思いますが、それはギバのラードやギバの骨の出汁がもたらす風味ゆえであるのだと思われます」
「ふむ。ギバのらーどってのは、ギバの脂のことだよな? 森辺の祝宴なんかでも、ぎばかつはギバの脂で揚げられてたもんな。……でも、ギバの脂ってのは町で売りに出してねえんだろう? そいつを売りに出す予定はないのか?」
ロイの視線が向けられてきたので、俺は「そうですね」と答えてみせた。
「ギバの脂はけっこう大量に手に入るのですけれど、燭台の火を灯すのにも使われたりしているので、それほど余らないのですよね」
「そんな立派な食材を灯りに使っちまうなんて、もったいない話だな! ギバの脂を売りさばけば、その銅貨で灯りの油を買えるんじゃねえか?」
そうは言っても、一朝一夕にどうにかできる話ではないだろう。また、《銀星堂》のメンバーほど熱心な料理人でなければ、ギバのラードをそうまで欲するかは難しいところであるように思えた。
「まあ、ここでわちゃわちゃ言ってても始まらねえか。……それじゃあ、他のお人らはどうだろう? なんでも遠慮なく意見を聞かせてくれ」
「リミは美味しいと思ったよー! これだけ食べてるとぎばかつが欲しくなっちゃうけど、晩餐とかで半分ずつ出してくれたら、ぎばかつだけが出されるよりも嬉しいかもー」
「わ、わたしもそんな風に思います。わたしたちにとって、ぎばかつというのはちょっと特別な料理であるかと思うのですが……こちらの料理は、むしろぎばかつとは異なる魅力にあふれているように思うのです」
「特別な料理、か。そうだなあ。もともとのぎばかつに対抗するんじゃなく、別の魅力を引き出すってほうが、この料理には相応しいのかもしれねえな。……ありがとうよ、リミ=ルウ、トゥール=ディン」
これでいちおう、森辺の民はただひとりを除いて全員が感想を述べたことになる。
よってロイは、その最後のひとりへと目を向けることになった。
「あんたはどうだい、マルフィラ=ナハム? あんたぐらい鋭い舌を持っていたら、あれこれ文句をつけたくなるんじゃねえのか?」
「も、も、文句なんて、とんでもないことです。た、ただ……わ、わたしであれば、違う食材を試してみたくなってしまうかもしれません」
「違う食材? たとえば?」
「た、た、たとえば……シ、シールのそーすではミンミの甘みがぶつかっているように感じられてしまったので、別の果実を試してみるとか……あ、いえ! ほ、本当に思いつきですので、真に受けないでいただきたく思います!」
「だからといって、聞き流す気にもなれねえな。あんただったら、どの果実を試してみようって思うんだい?」
「わ、わ、わたしであれば、ワッチでしょうか。ワ、ワッチは少しシールに似た部分があるので、とても自然に味がまとまるように思えてしまったのです。そ、その場合は砂糖の量を控えたり、いっそ使うのを取りやめたりしてもいいかもしれませんが……あ、あくまで思いつきですよ?」
「ワッチか……」と、ロイは嘆息した。
「俺はまだ、ゲルドの食材なんてまったく手が回ってねえんだよ。だけど、ワッチなあ……確かにあいつはシールに似た酸味を持ってるし、他の果実とは違う甘みを持ってるよな。ラマムやミンミなんかよりは、よっぽど上手く調和するように思えてきたよ」
「ほ、ほ、本当に、思いつきに過ぎないのですが……こ、こちらの料理は十分に美味でしたし……」
「そういう思いつきを全部試してみないことには、とうてい完成なんて望めねえからな。ありがとうよ、マルフィラ=ナハム。ワッチだけじゃなくアマンサやメレスでも、あれこれ試してみようって気になったよ」
ロイはマルフィラ=ナハムの才覚に怯むことなく、そのように言葉を返していた。
少し離れた場所で鉄鍋の中身を攪拌しつつ、シリィ=ロウはじっとマルフィラ=ナハムの姿をうかがっている。やはりこの中では一番の新参でありながら、マルフィラ=ナハムはロイたちにとって看過できない存在であるのだろう。
しかしまた、マルフィラ=ナハムだけを特別視している様子はない。鋭い味覚というのは料理人にとってとてつもないアドバンテージであろうが、それですべてが決まるわけではないのだ。人の才能を羨んでいる時間があるのなら、その分の熱情を修練に注ぎ込むべきであろうと思われた。
(この土地よりも文明の進んだ世界からやってきた俺なんて、それ以上のアドバンテージを持ってるんだろうしな)
だが、俺だってそんな境遇に寄りかかっていたら、すぐに腕を錆びつかせてしまうことになるだろう。天賦の才能を持ち合わせているヴァルカスやマイムやマルフィラ=ナハムであっても、才能の上にあぐらをかいている人間などはひとりとして存在しないはずであった。