雨のお茶会③~試食~
2021.1/28 更新分 1/1
「それでは、試食を始めていただきましょう」
貴婦人方と同じ順番で、まずはトゥール=ディンの『トライプのクリームパフェ』が供されることになる。
本来はのちほど別室で試食をする予定であったので、そちらの品は未完成の状態で保管されていた。ホイップクリームは時間が経つと空気が抜けてしまうため、供する直前に盛りつけなければならないのだ。
というわけで、俺とトゥール=ディンは貴婦人方の目の前で、『トライプのクリームパフェ』の最後の仕上げを披露することになった。
容器に保管しておいたプレーンとトライプのクリームを、城下町で買い求めたホイッパーにて泡立てて、それを硝子のシャンパングラスめいた杯に盛りつける。最後にチョコとトライプのソースを手製の絞り器でデコレイトして、ラマンパの実の欠片を振りかければ完成だ。
「お待たせしました。どうぞお召し上がりください」
俺とトゥール=ディンは小姓にまじって、出来立てのクリームパフェを配膳してみせた。
初の味見となるのは、城下町の料理人たる4名のみである。ロイとシリィ=ロウはまずその絢爛なる仕上がりをじっくり観察してから、銀の匙ですくったスポンジケーキやクリームを口に運び――そして、そろって硬直することになった。
が、その菓子がひと口だけで把握しきれないことは、最初から明らかにされている。両者は口をつぐんだまま、底に沈んだチャッチ餅やメレスのフレークなどの味わいを入念に確認していった。
その末に、ロイが嘆息をこぼしつつ発言する。
「これは……素晴らしい完成度であるかと思われます。ひとつひとつの具材の味わいが完成されていますし、それでいて、どれをどのように組み合わせても調和が崩れない……このように少ない量でもさまざまな楽しみ方のできる工夫が、秀逸です。心から驚かされてしまいました」
「ああ、さすがに的確な寸評ね。わたくしたちの感じたことを、そのまま言葉で表してくれたかのようだわ」
そんな風に言ってから、エウリフィアはくすりと笑った。
「それで、ダイアはいつになったら食べ始めるのかしら? それはまだ最初の菓子であるのよ」
「はい……こちらの菓子の美しさを、まずは目で楽しませていただきたく存じます」
ダイアは硝子の器を持ち上げて、それをさまざまな角度から検分していた。初孫を迎えた老婆のように、福々しい笑顔となっている。
「わたくしであれば、もっとさまざまな色合いを凝らしてみたくなるところでありますけれど……白と朱色と黄色味がかった色彩で統一されたこの姿も、十分に美しく感じられます。こちらは、酒杯でございますね? 硝子の酒杯に、このような使い道があったとは……わたくしも、心から感服いたしました」
「まあ。まだあなたは、ひと口も食べていないじゃない」
いよいよ愉快そうに微笑んでから、エウリフィアは「あら?」と小首を傾げた。
「どうしたのかしら? トゥール=ディンも、まだ口にしていないようだけれど」
「あ、はい。わたしはいつでも、自分の家で作ることができますので……こちらの菓子は、オディフィアに差し上げてもかまわないでしょうか?」
オディフィアが椅子の上で、ぴょこんと背筋をのばした。
エウリフィアは、また「まあ」と目を細める。
「きっとオディフィアが、羨ましそうに菓子を見ていたのね。これで余分に菓子を食べたら、さすがに食べすぎなのじゃないかしら」
「え」と、オディフィアがかすかに目を見開いた。彼女にとっては珍しいぐらいの感情表現である。そしてその所作以上に、灰色の瞳が深い悲しみをたたえていた。
エウリフィアは眉を下げて微笑みながら、愛娘のやわらかそうな髪を撫でる。
「そんな悲しそうな目で見られると、心が痛んでしまうわ。……それじゃあ余分に食べた分は、きちんと身体を動かすのよ? あとで一緒に、舞踏の稽古でもすることにしましょう」
「うん。……かあさま、ありがとう。トゥール=ディンも、ありがとう」
「いえ。オディフィアに食べていただけたら、わたしも嬉しいです」
小姓の手によって、トゥール=ディンのクリームパフェがオディフィアのもとに届けられる。オディフィアは、もはや天使の羽を生やしてそのまま飛びたってしまいそうな浮かれようであった。――とはいえ、その小さなお顔は完全無欠の無表情であったのだが。
「あとは、ニコラね。あなたは今でも森辺の集落に通っているそうだけれど、こちらの菓子は味見をしたことがあったのかしら?」
「いいえ。トゥール=ディン様が修練をされている姿は拝見しておりますし、何度か具材の味見をさせていただいたこともありましたが、完成品を食べさせていただいたのは本日が初めてとなります。試作品の完成度も素晴らしいものでありましたが、それがこれほどの見事な菓子に仕上げられるとは……わたしなどの想像を遥かに凌駕しておりました」
「私、同じ気持ちです。これだけの具材、調和させる、トゥール=ディンの手際、驚嘆です。トゥール=ディン、作りあげる菓子、いずれも美味ですが、『トライプのクリームパフェ』、随一、思われます」
すかさず、プラティカも言葉を重ねる。ニコラが森辺を訪れる際は、彼女もぴったりと同行しているのだ。
「そして、こちらの菓子、可能性、無限大です。こちら、トライプ、主体としていますが、すべての果実、主体にすること、可能なのです。アマンサ、ワッチ、アロウ、ラマム、ミンミ、シール……ジェノス、扱える果実、限っても、これだけの種類なのです。もちろん、それら、すべて完成させる、大変な労苦でしょうが、トゥール=ディンであれば、成し遂げるでしょう。それら、想像するだけで、私、目眩、覚えるかのようです」
「ああ……そういえば、以前にオディフィアに作ってくれた菓子には、その果実すら使われていなかったものね」
エウリフィアがそのように応じると、プラティカはこらえかねたように目を見開いた。それから、慌ててまぶたの位置をもとに戻す。
「果実、使わない、了解です。確かに、チョコソースのみでも、こちら、美味でしょう。トゥール=ディン、そうして、基本の味、構築してから、『トライプのクリームパフェ』、挑んだのですね。道理、通っています。トゥール=ディン、正しき道、選んでいるため、上達、早いのでしょう。私、見習いたい、思います」
「プラティカも、語りたい言葉が胸に溜まってしまっているご様子ね。いっそ、外交官殿に通訳をお願いしたらいいのじゃないかしら?」
「いえ。貴き方、お願いする、不遜ですし、私、西の言葉、上達、願っています」
「そうですか」と、フェルメスは可憐に微笑んだ。
「僕は決して不遜とは思いませんし、プラティカのお力になれるのでしたら、光栄です。必要なときは、いつでも声をおかけください」
プラティカは恭しげに一礼し、他の人々に発言の場を譲るように口を閉ざした。
そこで、ようやくクリームパフェを食べ終えたダイアが発言する。
「こちらは絢爛なる外見に負けないぐらい、美味なる味わいでございました。古きの時代には、同じ皿にさまざまな果実を盛り合わせて、蜜をかけて食するという作法が流行したと聞き及んだ覚えがございますが、それをさらに発展させたら、このような菓子が生まれるのでございましょうかねえ。そこにフワノの焼き菓子やメレスの不可思議な菓子まで織り込まれているのですから、赤子が大人に育つほどの発展であるのでしょうけれど……とにかく、感服いたしました」
「あら、あなたがそこまで言葉を重ねるのは珍しいわね、ダイア。それほどに心を揺さぶられたということかしら?」
「はい。まずこの絢爛な外見には心を動かさずにいられませんし……他の料理人の方々がこの菓子の存在を知ったのなら、たちまち城下町に流行するのではないでしょうか? さきほど外交官様が仰っていました通り、こちらはまさしく貴き方々に相応しき菓子なのではないかと思えてしかたがありません」
「ええ、そうかもしれないわね」
エウリフィアはにっこりと微笑みながら、愛娘の髪を撫でた。
オディフィアは円卓の下で小さな足を揺らしながら、『トライプのクリームパフェ』を大事そうに食している。なんだかそれは、神様に隠れてつまみ食いをしている天使のような愛くるしさであった。
「それじゃあ、次は……シリィ=ロウの菓子だったわね」
小姓たちが、新たな皿を届けてくれる。ビスケットサンドのような丸い焼き菓子が、ちょこんと3枚だ。
シリィ=ロウは背筋をのばしながら、平静に努めた声で発言する。
「こうして目前に迎えてみますと……確かにわたしの菓子は、外見が簡素に過ぎるようです。外見を飾るのはダイアの作法であり、わたしは味の向上だけを追求したく思っていますが……貴き方々にお喜びいただくには、やはり外見の絢爛さも重要であるのでしょう」
「そうですねえ。でも、あなたの菓子も遜色ないぐらい美味でしたわ」
リッティアがころころとした顔に柔和な微笑をたたえつつ、そのように応じていた。シリィ=ロウはそちらに一礼してから、鋭く細めた目で俺たちを見回してくる。
「どうぞお召し上がりください。重ねて言いますが、どうか忌憚なきご意見を」
俺たちはめいめいシリィ=ロウにうなずき返しながら、皿の上に手をのばした。
フワノの生地は、やはりビスケットのように硬めであるようだ。口に入れると、さくりと小気味好い食感とともに、生地は細かく砕けていった。
その内側に隠されていたのは、とても繊細な甘みである。
とりたててトライプの風味は感じられないが、さまざまな果実が使われているのだろう。酸味もわずかに感じられるが、それは甘みの引き立て役であるようだ。表に出ているのはリンゴに似たラマムとモモに似たミンミであり、香ばしく焼きあげられたフワノの生地と相まって、優しいせせらぎのような味わいが口から咽喉へと流れていった。
「繊細ですね。自分にはとうてい、こんな味わいは組み立てられそうにありません。とても美味しいです」
俺は心からの賛辞を届けてみせたが、シリィ=ロウの眼光に変わりはなかった。
「そちらは3枚それぞれに異なる味わいを施しています。よろしければ、すべての味を見てからご意見をお聞かせください」
「承知しました。……すみません、お茶をいただけますか?」
この繊細なる味わいをしっかり味わえるように、俺は砂糖をいれないアロウの茶で舌をリセットすることにした。
そうして2枚目の菓子を食してみると、そこには抹茶めいた渋さが加えられていた。果実の甘さは奥に引っ込み、あまり覚えのないまろやかな風味が前面に表れている。それが、ほのかな渋味といい具合に調和しているようだった。
(よくわからないけど、この2枚目のやつにトライプが使われているのかな)
再びお茶で口内を洗って、3枚目の菓子を口にする。
こちらは、カロン乳の風味が濃厚であった。それに、乾酪も使われているのだろう。ミルクとチーズのような味わいが強く、そこに若干の酸味も感じられる。これも判然とはしなかったが、ベリー系の酸味であるようだから、きっとアロウかアマンサが使われているのだろう。
「いやあ、どれも美味しかったです。トライプは、こちらの1枚に使われているのでしょうか?」
俺がそのように評すると、シリィ=ロウはわずかに目をすがめた。
「いえ。3枚のいずれにも、トライプを使っています。どの菓子も、トライプの存在を基調にしているつもりです」
「あ、そうだったのですか。マイムやマルフィラ=ナハムであれば、きっと見逃すこともなかったのでしょうね」
「……アスタのお気に止まらないほど、トライプが役に立っていなかったということでしょうか?」
「いえいえ。どの菓子もあまり覚えのない味わいであったので、それを生み出すのにトライプは欠かせない食材であったのでしょう。トライプの存在を言い当てることができなくても、みんな美味でありましたよ」
シリィ=ロウはいくぶん焦れったそうな顔になりながら、トゥール=ディンとリミ=ルウのほうに視線を巡らせた。
「おふたりは、どうでしょう? やはり、物足りなかったでしょうか?」
「いえ、いずれも美味でした。わたしもトライプというのは、ちょっと渋味のある1枚からしか感じ取れませんでしたけれど……」
「リミもそうかなー。でも、みーんな美味しかったよ! 乾酪の風味のするやつが、一番好きな感じだったー!」
シリィ=ロウはなおも納得がいかない様子で、視線を巡らせる。
それを受け止めたのは、ダイアであった。
「本当に繊細な味の組み立てで、さすがはヴァルカス殿のお弟子さんですねえ。いったいどれだけ細やかに心を砕けば、これほどの味を組み立てることができるのか……わたくしは、すっかり感服してしまいました」
「……やはり、トライプの存在は希薄であったでしょうか?」
「そうですねえ。アスタ殿の仰る通り、きっとトライプの存在なくして組み立てられる味わいではないのでしょうけれど……いずれがトライプの味だと判ずることはできなかったように思います」
シリィ=ロウが唇を噛んで黙り込んでしまうと、メリムは不思議そうに「どうされたのですか?」と声をあげた。
「確かにわたくしも、そちらの菓子からトライプの味を感ずることはできませんでした。でも、他の方々の菓子に負けないぐらい、美味であったように思います」
「ありがとうございます。……ですがわたしは昨年から、トライプをどのように菓子へと転用するか、自分なりに趣向を凝らしたつもりでありました。それでトライプの存在が感じられないというのは……どこかに不手際があったように感じられてしまうのです」
すると、無言であったニコラが礼儀正しく不愛想な声で発言した。
「本日は、トライプを主体にするべしというお言葉があったわけではないのでしょう? それでしたら、べつだん気にかける必要はないように思います」
「それはそうなのかもしれませんが……」
「それに、如何なる食材を使っているのかもわからないぐらい細工を凝らすというのが、ヴァルカス様の基本的な作法であられるのでしょう? かつてゲルドのアルヴァッハ様も、それを物足りなく感じることがなくもないと仰っていたようですが、決してヴァルカス様の作法を否定しようというお気持ちではないのだと思います。ただ、ご自身の持ち込まれた食材の味が明瞭に感じられればいっそう嬉しい心地になると、そういう意味合いであったのではないでしょうか?」
「それはもちろん、わたしもそのように考えていますけれど――」
と、シリィ=ロウはうろんげにニコラを振り返った。
「……お待ちください。それは先日の送別の祝宴において語られたお言葉であるはずです。あなたは侍女として働いていたのですから、それをお聞きになる機会などなかったはずではないですか?」
「はい。後日、プラティカ様からおうかがいいたしました。森辺におもむくと、プラティカ様と語らう機会もずいぶん増えますので」
同じ調子で、ニコラはそのように言葉を重ねた。
「何にせよ、あなたの菓子は素晴らしい出来栄えでありました。また、ジェノスにおいてはこの上なく喜ばれる味わいではないかと思えるほどです。……それが森辺の方々の作法とかけ離れていたとしても、気に病む必要はないのではないでしょうか?」
「わ、わたしは別に、そのようなことを気に病んでいたわけでは――」
「でしたら、差し出口でした。心よりお詫びを申し上げます。……わたし自身、森辺の方々の手際に心を奪われるあまり、師たるヤン様の教えをないがしろにしかねない心持ちになりかけたことがあったもので、つい余計な口を叩いてしまいました」
シリィ=ロウは、愕然とした様子で身体をのけぞらした。
そうしてロイのほうを振り返り、何か言いかけてから、思いなおした様子で首を振る。
「……失礼いたしました。長きの時間を取らせてしまい、申し訳ありません。どうか、試食をお続けください」
「そう。それじゃあ次は、リミ=ルウの菓子ね」
リミ=ルウの菓子は、2種の蒸し饅頭だ。
こちらもまた、文句なしの美味しさである。ダイアなどは、満面の笑みで息をついていた。
「こちらは何だか、心の温かくなるような味わいでございますねえ。わたくしには決して食べ慣れない味わいであるはずなのに……どこかひさびさに親の作る料理でも口にしたような心地になってしまいます」
「えへへ。ありがとー!」と、リミ=ルウはちょっぴり気恥ずかしそうに笑顔を返していた。
甘い菓子をこよなく愛するリミ=ルウであるが、その念頭にあるのはジバ婆さんの存在であるのだ。大好きなジバ婆さんと喜びを分かち合いたいという思いが、こういう優しい味わいを生み出すのかもしれなかった。
「僕もその菓子は、大好きだよ! もしも味比べをしてたら、迷いに迷ってその菓子に星をつけてただろうしねー!」
と、ディアルもひさびさに元気いっぱいの声をあげる。
「ほんと、家族に食べさせてあげたいぐらいだよ! でも、さすがに半月もかかるんじゃあ、持って帰ることも無理だからなあ」
「あ、ディアルはもうすぐ故郷に帰っちゃうんだっけ? だったら、リミが作り方を教えてあげよっか?」
「いやー、無理だよ! 僕、厨に立ったことなんてないもん! 子供の頃から、ずっと商売の勉強だったからさあ」
「ふーん?」と、リミ=ルウは小首を傾げた。
「それなら、故郷の家族に作ってもらったら? トライプは無理だけど、ブレの実は干してあるから何ヶ月も腐らないはずだよー。普通のあんこを使ったおまんじゅうだったら、誰でも作れるんじゃない?」
「ええ? そんな作り方、僕に覚えられるわけないじゃん!」
「ディアルは、文字を書けるんでしょ? それなら、きっと大丈夫だよー。ゲルドの人たちも、そうやってだいふくもちの作り方を故郷の人たちに伝えてたんだから!」
にこにこと笑いながら、リミ=ルウはそのように言葉を重ねた。
「普通のおまんじゅうなら、だいふくもちより簡単だしね! あと、ブレの実を買って帰らなくても、タウの豆で似たような菓子は作れるはずだよー。新しい菓子の作り方を覚えられたら、ディアルの家族も喜ぶんじゃない?」
ディアルは情報処理が追いついていない様子で、あわあわとしてしまっていた。本日は女の子らしいドレス姿なので、なんとも愛らしい限りである。
「俺も、リミ=ルウに賛成かな。この饅頭っていうのはフワノの生地を焼くんじゃなくって蒸してるだけだから、何も難しいことじゃないよ。あとはブレの実やタウの豆にこだわらなくっても、お好みで甘い具材を詰め込めば、それで立派な菓子の完成さ」
「そ、そうなのかなあ? やっぱり僕には、大変さがわからないんだけど……」
「かまど仕事をしてる人なら、ちっとも大変じゃないってことがわかるんじゃないかな」
「なんだよー! 僕のこと、馬鹿にしてんの?」
「馬鹿にするわけないじゃないか。ファの家だって、俺がかまど仕事を引き受けてるんだから」
そう言って、俺は隣の卓のディアルに笑いかけてみせた。
「まあ、そのあたりのことは後で話そうか。まだダイアの菓子が残ってるからね」
ダイアもまた、手間を惜しまずにニコラやロイの分まで試食用の菓子を準備してくれていたのだ。
それが手もとに届けられると、リミ=ルウは「わーい!」と無邪気な声をあげた。
「本物の花みたい! やっぱりダイアってすごいよねー!」
「恐縮です。お味のほうも気に入っていただけたら、ありがたい限りですねえ」
今回も、ダイアの菓子はミゾラの花の形状に仕立てられていた。
ハイビスカスを思わせる大きな花弁は鮮やかなオレンジ色で、そこに深いグリーンの茎と葉が添えられている。花弁はクリームのようにやわらかい質感で、葉や茎をそれに絡めて食するという作法であった。
貴婦人方は突き匙というフォークを使ってこちらを食していたので、俺たちもそれにならうことにする。
茎は1本、葉は2枚だ。まずは葉の1枚に突き匙を差し込むと、カステラを思わせるふんわりとした質感が伝わってきた。これは、フワノを使った焼き菓子であるようだ。
その葉にオレンジ色の花弁をたっぷり絡めて、口に運ぶ。
とたんに、まろやかな甘みが口いっぱいに広がった。
これは確かに、トライプの風味と甘みである。ただそこに、さまざまな風味と甘みが重ねられていた。その中で際立っているのは、土臭さすれすれの香ばしさと苦みである。
(……だから、『大地の花』であるわけか)
これはきっと、香草が使われているのだろう。土臭さを思わせる香ばしい風味をこうまで端的に表すには、香草こそが最適であるはずだ。ターメリックに似た香草や、ギギの葉――なんなら、ゲルドから持ち込まれたミャンツやブケラなども使われているのかもしれなかった。
そしてまた驚かされたのは、茎である。
深い緑に染めあげられたその茎は、内側に淡い灰褐色の素肌を隠し持っており――それ自体が、強い甘みと大地の風味を有している。それは、ゴボウに似たレギィの蜜漬けであったのだった。
「……あなたはトライプばかりでなく、レギィをも菓子に使っていたのですね」
シリィ=ロウが低い声で問い質すと、ダイアは「ええ」とやわらかく微笑んだ。
「レギィはもともと、菓子に使っておりました。レギィというのは、木の枝に似た見た目をしているでしょう? 植物を模した菓子や料理には、重宝するのでございます」
「……これこそ、雨季にしか味わえない菓子と呼ぶのに相応しい存在なのでしょうね」
シリィ=ロウはまぶたを閉ざし、懸命に感情を抑え込んでいるようだった。
「わたしは決して、ヴァルカスの作法を否定したりはいたしません。ヴァルカスこそ、わたしにとってはかけがえのない師匠であり、生涯の目標であるのです。ただ……雨季の食材を楽しむために、その味わいを前面に押し出すというのは、ひとつの大きな魅力であるのでしょう。それを、痛感いたしました」
「ヴァルカス殿の作法を学んだあなたがたは、それをどれだけ自分の料理に取り入れるか、それを選ぶことがかなうのです。それはきっと、あなたがたにかけがえのない力を与えてくれるのでございましょう」
ダイアがゆったりとした調子でそのように応じると、ロイは「ふふん」と鼻を鳴らした。貴婦人方の前であっても、それをこらえることができなかったようだ。
「ですが師匠は、自分たちを追いてどんどん先に進んでしまっています。それを追いかけながら自分なりに手を広げるというのは、なかなか至難の業であるようですよ」
「想像するだに、苦難の道でございますねえ。そのような道を選べることこそ、お若き方々の特権であるのでございましょう」
「……きっとあなたもそうやって、ご自分のお立場を確立されたのでしょうね」
「どうでございましょう……わたくしは、若き頃から無精者でしたので……」
それはきっと、ダイアのつつましさから生じた軽口であるのだろう。俺が知る限りでも、ダイアがそれほど平坦な道を歩いてきたとは思えないところであった。
「やっぱりあなたがたの言葉を聞くのは楽しいわ。それを余興あつかいするなんて、失礼きわまりないのでしょうけれど……あなたがたの熱情や心意気が、わたくしたちの胸を高鳴らせてくれるのよ」
エウリフィアは、そんな風に言っていた。
その顔には、とても清涼な微笑みがたたえられている。
「それじゃあ後は、一刻ばかりおしゃべりを楽しませてもらおうかしら。みんな、お好きな席にどうぞ」
「え? それは、わたしたちにも向けられたお言葉なのでしょうか?」
シリィ=ロウがいぶかしげに問い返すと、エウリフィアは「もちろんよ」とまた微笑んだ。
「森辺の方々をお招きした茶会では、これが通例となっているの。みんなそれを楽しみにしているのだから、あなたがたもおつきあいをお願いね」
「はあ……それはまあ……下りの二の刻までは、時間をお預けする契約となっておりますので……」
シリィ=ロウは不本意そうであったが、それは森辺の一行にとっても待ちかまえていたひとときであった。特にトゥール=ディンとオディフィアにとっては、心置きなく交流を深められる希少な機会であるのだ。
俺としては口数の少ないリフレイアが心配なところであるし、ダイアやメリムやリッティアとも親睦を深めさせていただきたい。それに、初の参加となるゼイ=ディンにも、さまざまな相手と絆を結んでいただきたいところだ。
そうして俺たちは、壁の外の天候などとは関係なく、とてもゆったりとしていて満ち足りた時間を過ごすことになったのだった。