雨のお茶会②~絢爛~
2021.1/27 更新分 1/1
作業開始から、およそ一刻後。中天の鐘が鳴ると同時に、俺たちは作りあげた菓子を貴婦人方にお届けすることができた。
厨の見学を願っていたオディフィアとメリムも、最初の半刻ぐらいで茶会の席に戻っている。菓子というのは見栄えも大事であるため、完成の瞬間まで厨で見届けるのは無粋であるという判断であるのだろう。ただひとり、プラティカだけは当然のような顔をして最後まで居残り、俺たちと一緒に茶会の席に戻ることになった。
「ああ、待ちわびていたわ。プラティカは、どうぞそちらにお座りになってね」
円卓では、若干の席替えが為されていた。リフレイアとディアルがエウリフィアたちの席に移り、リッティアとメリムがフェルメスのお相手をしていた様子だ。プラティカは一礼して、貴婦人のごとき美麗なフェルメスの隣に腰を下ろした。
「それではさっそく、菓子を味わわせていただきたく思うけれど……その前に、ひとついいかしら? 今日は新しい余興を試させてもらいたく思っているの」
嫣然と微笑みながら、エウリフィアがそのように言いたてた。
「そちらに卓がひとつ余っているでしょう? わたくしたちが菓子を食べ終えたら、それを作りあげたあなたがたもそちらの席で試食をしていただけないかしら?」
「貴き方々と同じ場で、試食を? それは礼を失する行いになりませんでしょうか?」
シリィ=ロウがうろんげに問い返すと、エウリフィアは「そうね」といっそう楽しそうに微笑んだ。
「でも、ゲルドの貴人にまつわる晩餐会などでは、あなたたちもそうして席を同じくしていたでしょう? ああいった場で聞かせてもらった料理の寸評が、とても興味深かったのよ。あなたがたがおたがいの菓子を食べあって、どのような感想を抱くものなのか、それを聞かせていただきたいの」
「そうですか。本日の茶会の主人であられるエウリフィアがそのように仰るのでしたら、異存はありません」
シリィ=ロウはあっさりと引き下がり、ダイアのほうにも異存はない様子だ。
もちろん俺にも異存はないのだが、ただ一点だけ心残りが存在する。いささか迷ったが、それを正直に打ち明けさせてもらうことにした。
「あの、今日の自分はリミ=ルウたちの手伝いに過ぎませんので、差し出口をきく立場ではないのですが……別室では、自分たちと一緒に試食をするために、ニコラとロイが控えているのです。そちらは、どのように取り計らうべきでしょうか?」
「あら、そうなの。それなら、そのおふたりもこちらに招いてしまえばいいのじゃない?」
エウリフィアがそのように応じると、メリムが屈託なく微笑みながら発言した。
「ニコラというのは、わたくしどもの屋敷の料理長の弟子という身分になります。本日の菓子作りにはまったく関わっていない立場となるのですが、同じ場で試食をすることをお許しいただけるのでしょうか?」
「ええ。何か問題でもあるのかしら?」
「いえ。お許しいただけるのなら、とても嬉しく思います。ニコラはわたくしどもから見ても、それは熱心に調理の修練に取り組んでおりますので」
「それでは、この場に参じていただきましょう」
シェイラが部屋を出ていき、ニコラとロイを連れて舞い戻ってきた。そうして両名が感謝の言葉を伝えて、ようやく実食の開始である。
「それじゃあ今日も、1種類ずつ味わわせていただこうかしら。順番はどうしましょうね」
すると、珍しくもトゥール=ディンが自ら発言を求めた。
「あの、わたしの菓子は時間が経つと味が落ちてしまいますため、最初にお出ししてもよろしいでしょうか?」
「まあ」と声をあげたのは、リッティアであった。もちろん非難がましい調子ではなく、好意的な感嘆の声である。
「かつての味比べで一番の星を集めたトゥール=ディンの菓子を真っ先にいただけるなんて、なんとも贅沢な趣向ですわね。なんだかとても胸が弾んでしまうわ」
「そうね。それじゃあ、トゥール=ディンの菓子からいただきましょう」
「ありがとうございます」と一礼して、トゥール=ディンが小姓のほうを振り返った。小姓はひとつうなずいて、ワゴンに積まれた菓子からトゥール=ディンの作を盆に移動させる。
そうしてトゥール=ディンの準備した菓子が卓に届けられるだけで、その場には華やかな声が舞い踊った。
そんな中、エウリフィアはどこか感慨深そうに微笑んでいる。
「これは……あの日、オディフィアのために準備してくれたものに新たな細工を凝らした菓子であるようね」
「はい。トライプを使った、くりーむぱふぇという菓子です」
その菓子は、透明の硝子の杯に盛りつけられている。その美しさが、貴婦人方に歓声をあげさせたのだった。
トゥール=ディンは以前にも、心身の調子を崩してしまったオディフィアに『チョコレート・パフェ』を届けている。今回は、そこにトライプで彩りを加えたひと品であった。
カボチャに似たトライプをどのように活用するか、トゥール=ディンとリミ=ルウはこのたびの雨季でもさんざん頭を悩ませることになった。その成果が、こちらの『トライプのクリームパフェ』には凝縮されているのだ。
まず、トゥール=ディンの作るパフェというものは、5つの要素で構成されている。メレスを加工したフレーク、チャッチ餅、フワノとポイタンのスポンジケーキ、生クリーム、そして果実やチョコのソースである。このたびは、フレークとチャッチ餅を除く3つの要素でトライプが使われていた。
すべての基本となるトライプのペーストは、カロンの乳でじっくりと煮込んだトライプを溶き崩し、布で濾して余分な繊維を取り除くことで完成する。ここにさまざまな調味料を加えて、さらに加工していくのである。
もっとも強い甘みが必要となるソースは、砂糖と蜜と乳脂と塩を加えた上で、さらに熱を通して仕上げる。
生クリームのほうは香りを重視するために、隠し味の塩だけが加えられて、一緒に練り上げられていた。甘みは生クリームのほうに加えられた砂糖と、トライプがもともと持っている味わいで構築することになる。
スポンジケーキは、生地を練るためのカロン乳にトライプのペーストを添加する。
いずれも言葉にするのは簡単であるが、トライプの味と香りをベストの形で活かすには、その分量などを忍耐強く研究し尽くす必要があった。
なおかつ、生クリームとスポンジケーキはプレーンのものも準備されており、ソースもトライプとチョコの2種である。
本日は4種もの菓子が披露されるため、こちらの『トライプのクリームパフェ』は小ぶりなシャンパングラスていどの杯に盛りつけられたささやかなサイズであるのだが、その中にそれほどさまざまな具材が盛り込まれているのだった。
グラスの底にはメレスのフレークを敷き詰め、その上にチャッチ餅を重ね、2種のスポンジケーキを盛った上に、2種のクリームと2種のソースで飾りたてる。グラスは透明の硝子であるため、その内容がすべてあらわにされているのだ。それは貴婦人方も、嬌声をあげようというものであった。
「すごいねー! ジェノスでは華やかな菓子や料理をさんざん見せつけられてきたけど、こんなに豪華な菓子は初めてかも!」
と、ディアルが元気いっぱいに声をあげていた。本日はフェルメスも同席しているが、無礼講の姿勢をつらぬく構えであるようだ。
メリムやリッティアもしきりに感嘆の声をあげており、オディフィアなどはもう恒星のように灰色の瞳をきらめかせている。トゥール=ディンの菓子には誰よりも性急なオディフィアさえもが、まずはその華やかな外見に心を奪われている様子であった。
「……よければ、お召し上がりください。時間が経つと、くりーむが潰れてしまいますので」
トゥール=ディンがうながすと、貴婦人方はようよう銀色の匙を取った。
そうして真っ先に声をあげたのは、意外なことにフェルメスである。
「これは美味ですね……美味な上に、豪奢で絢爛です。アルヴァッハ殿が同席していたならば、寸評のお言葉が止まらなかったのではないでしょうか」
「……はい。異論、ありません」
厳しい声で、プラティカがそのように応じていた。紫色の瞳は、それこそ獲物を狙う狩人のように爛々と輝いている。
「味、外見、どちらも絢爛です。私、驚き、禁じ得ません」
「ええ。絢爛な菓子といえばダイアですが、彼女はジェノス城の料理長でありますからね。どれほど優れた腕を持っていようとも、市井の料理人に過ぎないトゥール=ディンがこれほど絢爛な菓子を供してくるとは、あまりに想像の外でした。これこそ貴族の菓子と呼ぶに相応しい豪奢さでありましょう」
そうしてフェルメスは、貴公子を誘惑する悪い貴婦人のような流し目を俺にくれてきた。
「こちらもやはり、アスタの考案したものを、トゥール=ディンが自分なりに完成させたという菓子であるのでしょうか?」
「ええ、そうですね。その認識で間違いはないかと思います」
「なるほど……これはあくまで好奇心でうかがうのですが、アスタは本当に市井の料理人であったのでしょうか?」
「ええ、もちろんです。以前にもお話ししました通り、自分は大衆向けの食堂の見習い料理人に過ぎない身分でありましたよ」
「なるほど。それではやはりアスタの故郷というのは、庶民の生活水準が極めて高かったということなのでしょうね」
フェルメスはそれほど俺の故郷に関してはこだわっていない様子であったので、これは本人の言っている通り、ささやかな好奇心を満たすための発言であったのだろう。
が、やっぱりアイ=ファは内心の不機嫌さを押し隠すように厳しい表情を保持している。フェルメスと正しき絆を結ぶには、なかなか時間のかかりそうなところであった。
そんな外野の思惑もどこ吹く風で、オディフィアは幸福そうに匙を動かしている。小さな唇はあっという間にクリームまみれになってしまっているが、エウリフィアにそれを拭き清める間隙を与えることなく、熱心に手と口を動かしていた。
(うーん。トゥール=ディンの菓子を食べるオディフィアが幸福そうなのは毎度のことだけど……今日はまた、ひときわ幸福そうだなあ)
そういえば、オディフィアのお見舞いから戻ってきたトゥール=ディンも、「オディフィアはちょこれーとぱふぇをとても幸せそうに食べてくれました」と、幸福そうに語っていたものである。もしかしたらオディフィアは、そのときの思い出とともに『トライプのクリームパフェ』の味を噛みしめているのかもしれなかった。
しかしまた、シャンパングラスていどのサイズではすぐに食べ終えてしまう。ほんの数十秒で『トライプのクリームパフェ』を完食したオディフィアは、しばらくその余韻を楽しむかのようにまぶたを閉ざして、本物のフランス人形のように動作を停止してしまった。
その隙に、エウリフィアはようやく織布でもって愛娘の口もとを拭き清める。
トゥール=ディンがはにかむように微笑みながら「如何でしたか?」と問いかけると、オディフィアはスイッチを入れられたかのようにぱちりとまぶたを開いた。
「すごくすごくおいしかった。……おなかいっぱいになるまで、このおかしをたべたかった」
「でも今日は、4種類の菓子を味わうための茶会ですからね。トゥール=ディンには、またいずれ菓子を作っていただきなさい」
オディフィアは「うん」と素直にうなずいて、トゥール=ディンをじっと見つめた。
トゥール=ディンも、オディフィアと同じぐらい幸福そうな眼差しでそれを見つめ返している。また、エウリフィアやゼイ=ディンがそれを温かい目で見守っているものだから、なんだか得も言われぬ親密な空気が形成されていた。
ゲルドの送別会でも抱いた感慨であるが、メルフリードの一家とディンの父娘はオディフィアのお見舞いを契機として、ぐんと距離が縮まったようだ。もちろんそれは、誰にとっても幸いな結果であるはずだった。
「では、次はどなたの菓子をいただきましょうねえ」
リッティアが控え目な声でうながすと、シリィ=ロウが決然たる様子で進み出た。
「森辺と城下町ではトライプを扱う作法にも違いがありましょうから、交互にお出しするほうがお楽しみいただけることでしょう。ここは若輩者たるわたしの菓子から味わっていただきたく思います」
たとえ卓越した腕を持つトゥール=ディンの直後でも厭いはしないという、そんな覚悟がシリィ=ロウの言葉には込められているように感じられた。
小姓たちは空になった器を下げて、新たな皿を配膳していく。うきうきとした顔でその様子を見守っていたメリムが、ふっと不思議そうに小首を傾げた。
「そういえば、今日は森辺の方々ばかりでなく、シリィ=ロウやダイアもトライプを菓子に使っているそうですね。トライプを菓子に使うというのは、城下町であまり聞かない作法であるように思うのですが……《銀星堂》においては、以前からトライプを菓子に使っていたのでしょうか?」
「いえ。トライプは料理に使われておりましたので、その作法を菓子作りに転用した次第です」
シリィ=ロウが準備したのは、平たい生地で具材をはさんだ、ビスケットのような菓子であった。形は円く、1枚の直径は5センチていどで、それが3枚ずつそれぞれの皿にのせられている。
外見は、何もおかしなところのない菓子だ。
それを口にした貴婦人方は、誰もが満足そうな微笑みをたたえていた。
「こちらも美味ですわ。さすがはヴァルカスのお弟子ですわね」
「ええ。とても簡素な見た目であるのに、とても不思議な味わいで……このような味わいは、初めて口にした心地よ」
なんとも好奇心をかきたてられるコメントである。これは、試食の時間が楽しみなところであった。
そこでエウリフィアが、俺たちの斜め後方に控えているロイへと視線を巡らせる。
「そういえば、今日はあくまでシリィ=ロウが取り仕切るという話であったのよね。あなたはアスタと同じように、シリィ=ロウの手伝いに徹していたのかしら?」
「はい。お言葉の通りでございます、侯爵夫人」
ロイがいくぶん緊張した面持ちで一礼すると、エウリフィアは「そう」と微笑んだ。
「あなたは見事な菓子によって、ヴァルカスに弟子入りを認められたのですものね。いずれはあなたにも、茶会の厨を預かってほしく思っているわ」
「過分なご期待、光栄に存じます。先達たるシリィ=ロウにはまだまだ及ばない若輩者ですが、お声のかかる日を心待ちにしております」
貴き方々の前では、あくまで謙虚なロイである。
俺にしてみても、彼らのそれぞれの料理や菓子を早く味わってみたいところであった。
「それでは次は、リミ=ルウの菓子になるわけね。こちらも楽しみだわ」
エウリフィアの言葉に応じて、小姓たちが速やかに配膳をする。
リミ=ルウが準備したのは、トライプを使った2種の蒸し饅頭であった。
「こちらも見た目は、とても簡素ね。でも、ころころしていて可愛らしいわ」
饅頭は、片方が白くて、もう片方がオレンジがかっている。言うまでもなく、後者は生地にトライプのペーストが練り込まれているのだ。トライプは俺の知るカボチャよりもやや赤みが強いため、そのぶん見た目の華やかさが増すようだった。
「本当はシャスカを使って大福餅にしたかったんだけど、そっちはあんまりうまくいかなかったから、フワノとポイタンを使っておまんじゅうにしてみたの! ……です!」
リミ=ルウが慌てて付け加えると、エウリフィアがくすりと笑った。
「リミ=ルウ、無理をして言葉を改めなくてもいいと、以前に伝えたでしょう? ディアルもそうして自然に語らってくれているのだから、あなたも普段通りでいいのじゃないかしら?」
「うん……でも、王都の人もしつれーだとか思ったりしない?」
リミ=ルウが心配そうな目を向けると、フェルメスは可憐な微笑みでそれに応じた。
「誠実さとは、言葉のみではなく態度で示されるものでありましょう。森辺の方々は誰もが清廉な気性をしているために、いささか粗野な言葉づかいでも相手を不快にさせたりはしないのだと思います。……リミ=ルウのご家族も、貴族に言葉づかいを咎められたりしていないでしょう?」
「そっか、そういえばそうだったね! ……でも、リミはまだ9歳で、一人前じゃないんだけど、いいのかなあ?」
「リミ=ルウは、こうして茶会の厨を預かっています。少なくとも、この場においては一人前の料理人と見なされていることでしょう」
「えへへ。ありがとう!」と、リミ=ルウは無邪気に笑顔をこしらえた。
すると、ずっと静かにしていたリフレイアが、いきなり「いいかしら?」と発言する。
「わたしは堅苦しい場でない限り、アスタに気安い言葉を使うようにお願いしているのよね。それも外交官殿の前では失礼にあたらないのかしら?」
「もちろんです。無理に割り込んだ僕などに気兼ねする必要はありません」
「……森辺の民アスタはトゥラン伯爵家の当主に粗野な振る舞い有り、なんて調書に書かれることもないのかしら?」
「そのように些末なことまで記載していたら、調書は持ち歩くことも困難なほどの厚みになってしまいましょう」
「そう」と肩をすくめてから、リフレイアは目をすがめて俺を見やってきた。
「アスタ、そういうことだから。どうぞ気兼ねなくね」
「え、ああ、はい……気兼ねなくと言われても、なかなか難しいところなのですが……」
「こちらがいいと言っているのだから、遠慮は無用よ」
そんな一幕を経て、リミ=ルウの菓子の実食であった。
小さな饅頭を口の中に放り入れたディアルは、「うわあ」と瞳を輝かせる。
「これも美味しいね! トライプって、菓子に合うんだなあ」
「ええ、本当に。もともと美味であった菓子に、トライプがさらなる彩りを加えている心地ね」
エウリフィアも満足そうな表情で、隣のオディフィアも透明の尻尾を元気に振りたてている様子である。そういえば、シリィ=ロウの菓子を食べているときのディアルとオディフィアは、いささか反応が鈍かったように感じられた。
ともあれ、リミ=ルウの菓子の完成度に関しては、俺も十二分にわきまえている。見た目は簡素でも、味わいそのものはトゥール=ディンの菓子に負けていないはずであった。
トライプを練り込んだ生地のほうには、生クリームとブレの実のつぶあんが詰め込まれている。カボチャに似たトライプの風味はブレの実のあんことも相性がいいため、まったく文句のない味わいだ。それにこちらも、トライプの風味を活かすために何度となく試作を繰り返していた。
いっぽうプレーンの生地のほうには、甘く仕上げたトライプの餡が包まれている。カロン乳で煮込んだトライプのペーストに砂糖と蜜とフワノ粉を投じて、とろりとした質感に仕上げた極上の餡である。
さらなるひと工夫として、そこにはラマムの実のみじん切りが加えられていた。ラマムというのはリンゴに似た味わいであり、俺であったらトライプと組み合わせようなどとは考えつかなかったことだろう。マルフィラ=ナハムにトライプと果実の相性を示唆されて、リミ=ルウが独自に開発したアイディアとなる。これがまた、なかなか意外性をはらんだアクセントになっていたのだった。
「食材、配合、絶妙です。リミ=ルウ、手際、見事です」
プラティカがそのように評すると、リミ=ルウは「ありがとー!」と笑み崩れた。そんな幼き友人を、アイ=ファはひそかに誇らしげな眼差しで見守っている。
そうして大トリは、いよいよダイアであった。
ダイアの菓子を口にするのは、闘技会の祝賀会以来であろう。味だけでなく見た目にもこだわるダイアであるので、いったいどのような菓子が準備されたのか、期待がつのるところであった。
「わたくしも、これまでトライプを菓子に使うことはなかったのですが……昨年の雨季に森辺の方々が見事な菓子を作りあげたのだと聞き及び、わたくしも挑んでみたくなった次第です」
そんなダイアの説明とともに、銀色のクロッシュをかぶせられた皿が貴婦人方のもとに届けられていく。
その下から現れたのは――やはりというべきなのか、一輪の花であった。花弁の色は、鮮やかなオレンジ色である。
「綺麗ですわね。やはりこちらの花弁にトライプを使っているのかしら?」
リッティアの問いかける声に、ダイアは「ええ」とやわらかい笑顔でうなずく。
「わたくしはひそかに、『大地の花』と称しております。お気に召しませば幸いに存じます」
ダイアの手際はこの場にいる全員がわきまえていたため、その外見だけで驚く人間は存在しなかった。
が――いざその菓子を口に運んだ人間は、その多くが驚きの声をもらすことになった。
「これは、不思議な味わいですわね……大地の花……まさしく、そのお名前の通りのような……」
「ええ。力強いのに、繊細で……いったいどうしたら、このような味わいを生み出せるのでしょうね」
メリムとリッティアは、そのように評していた。リフレイアとディアルも驚きの表情で、プラティカは鋭く目を細めている。エウリフィアとオディフィアだけはすでにその菓子を見知っていたようで、ただ満足そうに突き匙を動かしていた。
「これは確かに美味ですし、それ以上に幻想的な心地を抱かされます。何か、神話やおとぎ話に登場するこの世ならぬ菓子を口にしているような心地です」
フェルメスも、うっとりとした面持ちでそのように語らっていた。
「僕はダイアのそういう面に、もっとも心をひかれます。あなたはきっと芸術家として生きても、大成したのでしょうね」
「過分なお言葉、光栄に存じます」
ダイアは、普段通りの柔和さで微笑んでいる。気さくで大らかな女性でありつつ、どこか達観した老女のような雰囲気を持つ人物であるのだ。確かにダイアであれば、この不可思議な雰囲気を保持したまま、見事な絵画や彫刻を生み出せそうなところであった。
「本当に、どれも素晴らしい出来栄えであったわ。ダイアがいたので味比べの余興は控えることになってしまったけれど、もしもそれを行っていたら、誰が一番多くの星を手にしていたのでしょうね」
あくまでも冗談めいた口調で、エウリフィアはそのように語らっていた。
料理人たちの尊厳を守りたいかのように、他の貴婦人たちはお行儀のよい微笑や当たりさわりのない相槌でそれに応じている。そんな中、フェルメスはゆったりと微笑みながら少し踏み込んだ発言をした。
「僕個人は、ダイアの菓子に心を躍らされました。ですが、味比べの余興ではトゥール=ディンが勝利していたのではないでしょうか? リミ=ルウやシリィ=ロウの菓子も遜色ない味わいでしたが、そこに絢爛なる見た目をも備え持ったトゥール=ディンの菓子が、誰よりも多くの星を集めるのではないかと思われます」
「ああ、それはそうかもしれませんわね。でも、いざ味比べを行ったら、誰に星を入れるべきかさんざん迷ってしまいそうだわ」
エウリフィアは、さらりとフェルメスの言葉を受け流す。こんなやりとりも、貴族にとっては通常運転の社交であるのだろう。シリィ=ロウも気分を害した様子もなく、落ち着いた面持ちでそれらの言葉を聞いていた。
「それじゃあ次は、料理人たちの寸評を楽しませていただきましょう。どのような言葉が飛び出すのか、楽しみなところだわ」
小姓たちの案内で、俺たちも空いていた円卓に着席することになった。ロイとニコラを合わせると7名の人数であるために、いささか窮屈でないことはなかったが、おたがいの肘をぶつけ合ったりするほどではないようだ。
「……どうぞ忌憚なき寸評をお願いいたします」
と、席につくなりシリィ=ロウが深々と頭を下げてきた。
どうも今日のシリィ=ロウは、よく言えば沈着であるし、悪く言えばよそよそしいように感じられてしまう。まもなくファの家の世話になるのだからと身をつつしんでいるのかもしれないが、それはそれで彼女らしくないように思えてならなかった。
「どうした? シリィ=ロウがいつになくかしこまってるから、落ち着かねえのか?」
と、意外な目ざとさでもって、ロイがこっそり囁きかけてくる。貴婦人方には聞こえないように、低くひそめられた声だ。
「べつだん気にする必要はねえよ。ただこいつは、この前の祝宴でアスタたちに泣き顔をさらしたことを恥ずかしがってるだけだから……いててててッ!」
貴婦人方には聞こえなくとも、隣のシリィ=ロウには聞こえていたのだろう。そして、両者の隣に座していた俺の目には、シリィ=ロウの指先がロイの太腿をしたたかにつねりあげているさまが垣間見えてしまった。
「まあ、驚いた。ロイはいったいどうされたのかしら?」
「申し訳ありません。ロイは自分の椅子で自分の足を踏みつけてしまったようです。不調法な弟弟子に代わって、お詫びを申しあげます」
すました顔で、シリィ=ロウがそんな風に応じていた。
が、その顔ははっきりと赤くなり、決して俺と視線が合わないように目をそらしている。そういう態度は、シリィ=ロウらしいと言えなくもなかった。
そんなささやかなハプニングを経て、俺たちは待望の試食会を開始することに相成ったのだった。