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異世界料理道  作者: EDA
第五章 宿場町のギバ肉料理店
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宿場町のギバ肉料理店(中)①四日目~朝一番~

2014.10/5 更新分 1/1 2015.10/3 誤字を修正

 営業日、4日目。

 いつも通り屋台を借り受けにいくと、親父さんは不在で、娘さんが応対してくれた。


 ご尊顔は初めて拝見したが、俺と同じぐらいの年頃の娘さんである。肌の色が黄褐色より象牙色に近かったので、もしかしたら、奥方は生粋のジェノス民ではないのかもしれない。


 まあこの娘さんは気の毒なぐらいヴィナ=ルウに対して怯えてしまっていたので、余計な口は叩かず、早々に露店区域に向かうことにした。


 すると。

 いつものスペースに、人だかりができていた。


 いやーな予感を抱えこみつつ屋台を押していくと、それに気づいた人々が、さーっと左右に分かれていく。


 それで、半ば予想通りの情景を視界に収めることができた。


 黒い肌をしたシム人の集団と、白い肌をしたジャガル人の集団が数メートルの距離を置いて対峙する、不穏きわまりない情景だ。


 昨日の朝一番よりも人数が多い。それぞれが15名以上もいそうな団体様である。


 きっと、《銀の壺》と建築屋のメンバーが、昨日の轍は踏むまいと早々に駆けつけてきたのだろう。ジャガルの側には見覚えのある顔がちらほらあったし、シムの側にはフードつきマントの装束が多く見受けられる。


 で、それらの人々は左右に分かれて立ち並んでおり、その真ん中には、槍を携えた2名の衛兵と《キミュスの尻尾亭》のご主人が審判役のように立ちはだかっている。


「……やっと来たか」と《キミュスの尻尾亭》のご主人、ミラノ=マスが険悪に言い捨てた。


「おい。きちんと段取り通りに仕込んできたんだろうな?」


「はい。最初は20名様分、その後に、もう20様分。それがなくなったら、別の料理を30名様分、仕込んできました」


『ギバ・バーガー』が40食、『ギバ肉のミャームー焼き』が30食、合計で70食である。


 この宿場町で、50食以上の軽食が売れることは、そうそうない。

 だけど、自分で定めた営業終了時間、中天と日没のど真ん中までにこの70食が売れてしまっても、もう驚きはすまい、という覚悟を俺は固めていた。ポイタンを焼く手間がなかったら、もっと大量に準備したかったぐらいである。


 昨日の時点で、俺は中天を迎える前に、40食の『ギバ・バーガー』を完売してしまっているのだ。もう、他の店の売り上げはあてにならない。ギバ肉の料理という珍しさも手伝って、俺の店は破格の売り上げを叩きだしてしまっている、という計算のもとに、今後は戦っていくべきであろう。


 ただし、それとはまったく逆の結末で、この朝一番の猛ラッシュを乗り越えた後はロクに売れない、という可能性も残っている。


本当に、先の見えない戦いだ。


「とりあえず、40名様以上はいないようで安心しました。これならこの場にいる方々には全員同じ商品をお売りすることができますね。……後半の20個を仕上げるのには少し時間がかかってしまうので、その旨をお客様がたに説明しておいていただけますか?」


 このあたりの段取りは、昨日のうちに親父さんとも打ち合わせ済みである。


 親父さんは、「ふん!」と忌々しげに鼻を鳴らしてから、お客さんたちのほうに戻っていった。


「それじゃあ、ヴィナ=ルウは火の番をお願いしますね」


「はぁい」と応じるヴィナ=ルウは、本日もご機嫌のご様子だ。

 昨日の大騒ぎもひっくるめて、彼女はこの状況を面白がっている節がある。こんちくしょうと思わないこともないが、反面、そうして楽しそうに振る舞ってくれる姿には、ちょっと心を癒されてしまう。


「あら、果実酒のいい匂い……それが新しい料理なのぉ?」


「そうですよ。『ギバ・バーガー』が完売できたら、またこいつを試食してみてください」


 そう答えながら、俺は重い皮袋を引っ張りあげた。

 昨日の内に購入しておいた、本来は果実酒などを運搬するための大きな皮袋である。ヴィナ=ルウが余ったタラパソースを運搬するために購入したのと同じ商品だ。


 中にはもちろん、漬け汁に漬かったギバのバラ肉および肩ロースが仕込んである。

 肉はおよそ6キロ分、果実酒は1本まるごとで1リットルほどである。

 その中の漬け汁を残して、肉だけを新品の皮袋に移動させる。

 漬ける時間は1時間ほどが理想値であったので、ファの家からの移動時間で、ちょうどぴったりであったのだ。


 その後は、『ギバ・バーガー』用のティノとアリアを刻みながら、鍋が煮えるのを待つ。


「ん……なんか、いつもと匂いが違うみたいだけどぉ……?」


「ああ、ミャームーっていう香草を少しだけ入れてみたんですよ。今日はお試しでほんのちょっぴりしか入れなかったんですけど、やっぱりわかりますか」


「すごくいい匂い……ああ、またお腹が空いてきちゃったなぁ……」


 やはり、トマトのようなタラパとニンニクのようなミャームーの組み合わせは、相当な破壊力だと思う。


 心なし、ジャガルの側の集団がざわめき始めている気がした。

 それに――じわじわと人数が増えてきている気もする。


「すごいわねぇ。町中のジャガル人とシム人が集まってきちゃってるんじゃない……?」


「本当にありがたいことですね。……でも、これ以上増えると『ギバ・バーガー』は速攻で売り切れちゃいそうだなあ」


 本日、よほどの大惨敗を喫しない限り、明日からは屋台を増やして、ふたつの商品を同時に売りさばく計画である。

 だからせめて今日だけは騒ぎにならないようにと、俺は心中で強く祈っておくことにした。


「そろそろいいかな? ……よし、それでは最初の20個を販売いたします!」


 俺がそう宣言すると、まずはジャガルの民たちがずらりと屋台の前に押しかけてきた。

 その先頭に立っていたのは、建築屋の副リーダーと思われる、大柄で壮年の男性、アルダス氏である。


「……おい。昨日はあんな騒ぎになっちまって悪かったな?」


「いえいえ。元をただせば、満足な数を準備できなかったこちらの不備ですから」


「ああそうだ。こんな美味いものが40人分で足りるはずはないんだから、そいつはお前さんの不手際だ」


 むすっとした顔で言いながら、それでも少し申し訳なさそうな目つきもしている。


「……だけど、お前さんが宿場町を追い出されるようなことにならなくて良かったよ。騒ぎを起こしたのは俺たちなのに、どうしてお前さんが罰せられなくてはならないんだ?」


「それは……森辺の民だから、なのでしょうかね」


『ギバ・バーガー』をこさえながら俺が応じると、アルダスはいっそう不機嫌そうな顔になった。


「森辺の民は、南方神ジャガルを捨てた一族だ。南の年寄りどもが森辺の民を裏切りの一族と罵るのは理解できるが、西方神セルヴァの民として森辺の民を受け入れた西の民がお前さんたちを蔑むのは理解できん。森辺の民がギバを狩らなければ、このジェノスだってこれほど栄えることはできなかったろうにな」


 それはまったく、同意見である。

 しかし、この状況でお客さんと論議を交わすこともできないので、俺は完成した『ギバ・バーガー』を差し出すことにした。


 今まで仏頂面を決めこんでいた厳つい顔に、喜びの表情がじんわりとにじんでくる。


「なあ、お前さんはどうしても夜までは働けないのか? 俺は晩餐でもお前さんの料理が食べたいんだよ」


「うーん、それはちょっと難しいんですよねえ……宿屋でもギバの肉を扱えるようになったら良いんですけど」


 俺はそろりと触手を伸ばしてみたが、アルダスは残念そうに首を振るばかりだった。


「ギバの肉というより、お前さんの腕がいいんだろう。どうもあの日からおやっさんの機嫌が悪くってな。俺らがこの美味い料理の話で盛り上がってるのが気に食わないらしい。お前さんがカロンやキミュスの肉を使ってくれたら、たぶんおやっさんは仕事を放り出してでも飛んでくると思うぞ?」


「それは光栄です。……あの、昨日もお話した通り、今日の昼からは新しい料理を売りに出しますので、いずれまたおやっさんに試食をお願いできないかと伝えていただけませんか?」


「ふうん? わかった。伝えておいてやるよ」


 そんな風に話し込んでいたら、後ろのお客さんに「おい、まだなのか?」と、せっつかれてしまった。


 後はもう、ひたすらに『ギバ・バーガー』を仕上げていく。

「試食をさせろ」とせがむ者もいないので、20食の『ギバ・バーガー』は次々と数を減じていき、ジャガルのお客さん全員分と、シムのお客さん2、3名分で、あっさり尽きることになってしまった。


「すみません! 次の20個を仕上げますので、少々お待ちください!」


 行き道にドーラの親父さんから購入したふたつのタラパを切り刻み、鉄鍋の中に投入していく。


「アスタ、火を強めるのよねぇ……?」


「はい! お願いします!」


 答えながら、俺は果実酒の土瓶を2本取り上げ、その内の軽いほうを、よく振ってから鉄鍋に注ぎ込んだ。

 中身は、家で炒めてきたアリアのみじん切りと、内容量4分の1の果実酒である。


 もう片方の土瓶の中身は、水だ。

 煮詰まりすぎてしまったら、これで水分を補充する。


 そうこうしているうちに、ジャガルの民があらかた姿を消したため、衛兵たちとミラノ=マスも、やれやれとばかりに帰っていった。

 物見高そうに見物していた人々も、それですみやかに解散していく。

 残されたのは、東の民のみだ。


「うふふ……何だか、ルティムの祝宴を思い出すわねぇ……?」


「ああ、この慌ただしさは、確かにそうですね」


「わたし、かまどの番は得意でもないし、好きでもないんだけどぉ……アスタと一緒なら、全然苦にならないのよねぇ……」


 それは光栄であります。

 それに、ヴィナ=ルウはべつだん艶っぽい目つきをしているわけでもなく、普通に楽しそうな顔をしていた。

 仕事に取り組んでいるときのヴィナ=ルウは、まったく苦手な感じがしない。このまま穏便な関係性が構築できれば何よりなのだが――まあ、油断だけはしないでおこう。


「よし。オッケーかな」


 ほんの少しだけ水を加えて、ピコの葉と岩塩で味を整える。

 そして、第3の皮袋から、表面だけを焼いたパテを引っ張りだした。


 昨日の帰り道、ミャームーとともに、この大きな皮袋を3枚購入したのである。


 1枚は『ミャームー焼き』の肉を汁に漬けるため、もう1枚は漬け終わった肉を保管するため、そして最後の1枚が、この焼いたパテの運搬用だ。


 この皮袋は白銅貨1・5枚のお値段なのでけっこうな出費になってしまったが。口が大きくて便利だし、もともと果実酒などを運搬するためのものなので、食品に匂いが移らないような加工も施されている。この便利なアイテムと出会えたからこそ、俺はミャームー焼きを屋台で出す決断を下すことができたのだった。


 ちなみに昨日までは、鉄鍋の蓋と同じように、ゴムノキモドキと布を重ねた包みに入れて、焼いたパテを持ち込んでいたのだが。やっぱり布には少なからず油が滲みだしてしまっていた。

 それがあまりに不本意だったので、パテの運搬用にも購入した次第である。


 これらの経費を無駄にしないためにも、この商売は失敗できない。


「大変お待たせしました! 次の20個を販売いたします!」


 俺の声に、シムのお客さんたちがすうっと近づいてくる。

 まずは、《銀の壺》ではない個人のお客さんたちだった。


 どうやら皮のフードつきマントを愛用する人々が多いらしい東の民であるが、もうちょっと軽装の人たちも少なくはない。そういった人々は、みんな少し森辺の民にも似た綺麗な渦巻き模様の布の服を着ており、石を連ねた装飾品を身につけて、そして腰には細身の短剣を下げている。


 何となく――俺には、ジャガルよりもシムの人々のほうが、森辺の民には人種が近いように感じられた。

 その装束ばかりでなく、あまり感情を現さない静かな立ち振る舞いが、森辺の男衆を連想させるのだろうか。


 ただし、森辺の男衆には猛々しいタイプも多いし、骨格ももっとしっかりしている。肌の色も、もっとクリーミーなチョコレート色だ。

 ただ――シン=ルウのように寡黙なタイプとは、けっこう共通点が多いように見受けられる。


 そんなことを考えているうちに、12個ほどの『ギバ・バーガー』が売れていった。


 あっというまに、残りは8個だ。


 しかも、皮マントを着た10名ばかりの一団が、少し離れたところでじっと屋台のほうをうかがっている。


 はて、あの一団が《銀の壺》ではないのかしらんと思っていると、その内のひとりがフードを外しながら近づいてきた。


 そこから現れたのは案の定、白銀の長い髪である。

《銀の壺》の団長、シュミラル――何とかかんとかだ。


「ギバ。まだ売り切れないですか?」


「いえ。この料理の残りは8個になってしまいました。昨日もお話した通り、その後は別のギバ料理を売る予定です」


「8個……」と、シュミラルはもの思わしげな目つきをする。

 そうして仲間たちのもとに戻ると、今度はその中から5名のメンバーが近づいてきた。


 無言のまま銅貨を置かれたので、俺は「ありがとうございます」と5名分の『ギバ・バーガー』をこしらえる。


「残り、3個ですか」と、またシュミラルがやってきた。


「はい。どうなさいますか?」


「……待ちます」


「はい?」


「新しい料理、食べたいです。5人、仕事ある、あきらめました。私と4人、待ちます」


「そうですか。でも、明日は同じ料理を朝から売りたいなと考えているのですが」


「明日、待てない。今日、待ちます」


 今ひとつ心情が読み取れない。

 明日は用事があって食べに来れない、ということなのだろうか……とか考えていたら、シュミラルよりも背の高い人影がふわりと近づいてきた。


「それじゃあ、俺たちが買わせていただこうかなあ。アスタ、2人分お願いするよ」


 カミュア=ヨシュである。

 これぐらいの唐突さではもう驚けない耐性がついてしまった。


「毎度ありがとうございます。……昨日は売り切れになってしまって申し訳ありませんでした」


「本当だよ! 昨日はしかたなく別の店で軽食を買ったんだけど、物足りなくてまるで食べた心地がしなかった! 新しい献立というのも大いに興味をそそられるが、それは明日の楽しみに取っておこう」


 昨日の顛末は、屋台を返しに行った際、カミュアにも伝えてある。

 このおっさんはたいそう驚いた顔をしていたが、きっと物陰からすべて見通していたのだろうなと、俺は推測している。


「はい。2名様分、お待たせいたしました」


「ありがとう! それではこの後も頑張ってね!」


 最後にシュミラルへ会釈をしてから、カミュアはすみやかに立ち去っていった。

 いちおう商売の邪魔をしないように、という配慮であるのか。仕事中はあまり絡んでこないカミュアである。


「……あの人物、知り合いですか?」


「え? ああ、はい。不本意ながら、知り合いです」


「そうですか。……髪の色、北の民。肌の色、西の民。不思議です」


 なるほど。この世界の人々にとっては、カミュアが西と北の混血であるということは、その外見からも推測できてしまうものなのか。


 しかし、ただのお客さんであるこの人物にカミュアの個人情報をもらすのは良くないことだろう。だから俺は、「そうですね」と適当に相槌を打つに留めた。


「……そして、心は東の民、似ています。あの人物、気持ち、考え、見えません」


 と、シュミラルはまたもの思わしげな目つきをする。


「笑っている。なのに、気持ち、見えない。……不思議です」


 やはり、「そうですね」としか答えようがなかった。

 確かに俺は、このシュミラルという人物の気持ちも、カミュアの気持ちも読み取ることはできそうにない。


 それはともかくとして、残存数1個のまま複数連れのお客さんを迎えてしまうのは危険に感じられたので、もう次の料理の準備に取りかかってしまおうかな――と思ったところに、ジャガル人のお客さんが単身で飛びこんできた。


「おい! まだ売り切れてないか!?」


「はい。ちょうど最後の1個です」


「ああ、助かった! 今日は寝坊をしちまってな! あやうく食いっぱぐれるところだった!」


 あまり見覚えはなかったが、昨日も来てくれたお客さんなのだろう。俺は「毎度ありがとうございます」と愛想よく応じながら、最後のパテで『ギバ・バーガー』をこしらえた。


 ほくほく顔のお客さんを見送って――『ギバ・バーガー』は、完売だ。

 やっぱり1時間もかかっていない。

 まったくもって、恐ろしいばかりの売れ行きである。


「よし。それではタラパソースを皮袋に移しましょう。……って、さすがに少しは冷まさないとまずいかな」


「うん……今日もいっぱい残ったわねぇ……」


 嬉しそうなヴィナ=ルウを横目に、俺は「ふーむ」と考えこむ。


「それにしても、あまりに短時間で売れてしまうから、ソースも全然煮詰まってないですねえ。これを明日用に使い回したら、けっこう材料費を節約できそうなんだよなあ……」


「え……」と、ヴィナ=ルウが泣きそうな顔をする。

 その表情のあまりの悲愴さに、俺は思わず吹き出してしまった。


「冗談です。タラパは煮込んでも2日ぐらいはもつそうですが、肉汁も混ざっちゃってるし、今夜のうちに食べちゃったほうが無難ですよ。どうぞお持ち帰りくださいませ」


「アスタって……ほんとに意地悪ねぇ……」


 ヴィナ=ルウが、ぷうっと頬をふくらませた。

 この人は、すねると唇をとがらせるのではなく、こうするのか。


「……可憐ですね」と、シュミラルがつぶやいた。


「え? 何か仰っしゃいましたか?」


「可憐です。そして、美しいです」


 そんなことを言いながらも、ちっとも表情の動かない東の民である。


 ヴィナ=ルウは、彼女にしては温かみのない微笑を浮かべて、「どぉもぉ」とか、おざなりな返事を返すばかりだった。

 異性からの賞賛の言葉などは聞き飽きているヴィナ=ルウなのかもしれない。


 そんなこんなで、5分ばかりも鉄鍋を冷ましてからタラパソースを皮袋に移した後は、いよいよ『ギバ肉のミャームー焼き』の作製だった。


 作製は、肉を焼くだけだから簡単なものである。

 ただし、『ギバ・バーガー』と違って、どれぐらい作り置きをしておくべきか、という問題は残った。


(まあ、ざっと見たところ、しばらく人通りは増える様子もないし、とりあえずは人数分と試食分だけでいいか)


 まずはスライスしたアリアを炒めて、漬け汁のしみたギバ肉を1キロていどの見当で投入する。


 それだけで、ミャームーと果実酒とそしてギバ肉の焼ける匂いが、爆発的に広がった。

 通行人のいないのが惜しいところだ。

 このメニューは、タラパソース以上に人々の嗅覚を刺激してくれることだろう。


 シュミラルも、無表情なまま「ミャームー、いい香りです」とつぶやいている。


 炒め終わったら、いったん木皿へ。

 そして、煮詰めた漬け汁をたっぷりからめつつ、千切りのティノとともにポイタンで巻いていく。


「あ、ヴィナ=ルウ、鉢を外に出しておいてもらえますか?」


「はぁい」


 客足が止まったときは、こうして火鉢を取り除かないと、鉄鍋の内側が焦げてしまう。このあたりが『ギバ・バーガー』と比べると少し手間だったが、そのぶん薪の消費は抑えられるので、どっこいどっこいか。


 炭火とかが使えれば理想的なんだがなあとか考えながら、俺は5名分の『ミャームー焼き』をこしらえた。

 あまった肉は、試食用だ。


「お待たせいたしました。こちらの料理も銅貨の赤が2枚となります」


 やはり無言でうなずきながら、シュミラルを筆頭とする5名が銅貨を差し出してくる。試食も、不要であるらしい。


 そうして彼らは、お行儀よく『ミャームー焼き』をかじり始めたが――お味のほどは、どうなのだろう。


 こういうとき、感情が読み取れないのは、非常に不便である。


「……美味でした」


 そうですか。


「明日から、順番で食べます」


 ん? それは1日おきに『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』を交互に購入していただける、という意味なのだろうか。


 だとしたら――今日は本当に、『ミャームー焼き』の味を確かめるためだけに居残ったのかもしれない。


 俺は無意識のうちに笑顔になってしまい、シュミラルは、穏やかな目つきで首をうなずかせた。


「楽しみです。明日また来ます」


「はい! ありがとうございます!」


「……アスタ、ひとつ聞いて良いですか?」


「はい?」


「彼女、アスタ、嫁ですか?」


 彼女というのは、もちろんヴィナ=ルウのことであろう。

 ヴィナ=ルウは、にっこりと微笑んで俺の腕にまとわりついてきた。


「それは、秘密でぇす……」


「そうですか。失礼しました」


 と、シュミラルは、ほんの少しだけ口もとに感情を漂わせた。

 とても静かに、とても穏やかに、そしてちょっぴりだけ切なそうに――銀髪のシムの若者は、うっすら微笑んだのだった。

 そうしてフードをかぶりなおし、4名の仲間たちとともに去っていく。


「毎度ありがとうございましたあ」とその背に声をかけながら、俺はヴィナ=ルウの腕を振りほどいた。


「ちょっと! ヴィナ=ルウ、こういうのはあまり良くないと思いますよ?」


「だってぇ……東の人間なんかに好かれたって、迷惑なだけじゃなぁい……? それとも、色気を振りまいておいたほうが良かったぁ……?」


 そんなもんは、最初から無秩序に振りまきまくっているヴィナ=ルウである。


 だけどまあ……お客さんに対しては、こうやって穏便にあしらうしかないのかと、俺はちょっと息をつく。


「それにしても、すごいわねぇ……まだ店を開けたばかりなのに、もう昨日よりもたくさん売れちゃったんでしょぉ……?」


「そうですね。まあ、昨日はばらけていたお客さんが一気に集中したって感じですけど」


 そうしてそれが終わってしまえば、ぱたりと人通りが絶えてしまう。

 何とも両極端な話である。


「何にせよ、『ミャームー焼き』の残りは、25食分です。こいつがよっぽど売れ残らない限りは、昨日お話した作戦を決行しようと思います」


「屋台をふたつに増やすのねぇ……? ドンダ父さんには、きちんと伝えておいたわよぉ……」


 それは、宿場町までの行き道で聞いていた。

 ただし、誰を貸し出すかはまだ決まっていないらしい。


「今日の朝、ドンダ父さんとミーア・レイ母さんが話し合って決めるんだってよぉ……たぶん、本家からひとり、分家からひとりって感じになるんじゃないかしらぁ……」


「あ、分家からも貸していただけるんですか」


「そりゃあねぇ。本家から3人は貸せないでしょぉ……」


 と、ヴィナ=ルウが小さく息をつく。


「あぁ……アスタと2人きりの仕事も、今日までかもしれないのねぇ……とっても幸せな4日間だったわぁ……」


「べ、別に他の人がいたっていいじゃないですか?」


「だってぇ……本家からは、レイナが選ばれそうじゃない……?」


 そこのところは、すでに覚悟を固めていた。

 その新たな2名にも鉄鍋を運搬してもらわなくてはならない、と考えれば、人選はおのずと限られてくるのだ。


 まず、幼いリミ=ルウとティト・ミン婆さんでは、ちょっと厳しいだろう。完全に不可能なわけではないが、あえて彼女たちにそのような重労働をまかせるとは思えない。


 そして、サティ・レイ=ルウには、コタ=ルウの世話がある。

 ミーア・レイ母さんは、女衆のたばね役である。


 となると――候補は、レイナ=ルウとララ=ルウの2名しかいない。

 そして今回は、最低1名、あるていどかまど番を得意とする女衆を貸していただきたい、という要望を伝えてしまっているのだから、これはもう自分からレイナ=ルウを指名してしまっているようなものである。


 ヴィナ=ルウとは、予想よりもはるかにいい感じで、仕事をまっとうすることができている。

 願わくば、レイナ=ルウともこのように穏便な関係性を構築したいところだ。


「……もうすぐ本家の誰かが、宿場町に下りてくるから。そのときに、誰が手伝いに選ばれたか教えてくれるはずよぉ……?」


「え? 買い出しは明日じゃありませんでしたっけ?」


「うん。だけど、わたしからも頼んでおいた用事があったから、1日早めて、今日買い出しに来てもらうのぉ……」


 用事?


 いったい何のご用事ですか?と問おうとしたら、その前に「あらぁ……」と先を越されてしまった。


「もう来たわぁ……ずいぶん早い到着ねぇ……」


 ヴィナ=ルウの目線を追うと、そこには確かに意外な組み合わせの2人が見えた。


 いや、片方は別に意外でも何でもなかったのだが――


 賑やかな南の方角から真っ直ぐこちらに向かってきたのは、ルウ本家の次姉と次兄たちだった。

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