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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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④川辺の死闘

「おい! どうした、アイ=ファ!?」


 片膝立ちになりながら、俺は岩ごしに呼びかける。

 これでもし、ただ足を滑らせただけでした、なんていうオチであったら本当に殺されかねないので、むやみに動くことはできない。


 しかし、返事は返ってこなかった。

 ただ、バシャバシャと激しく水のはねる音だけが、いささかならず不吉な感じで木霊する。


「おい! そっちを見るからな! 何でもないのなら、3秒以内に返事をしてくれ!」


「秒」とか理解できるのかなと危ぶみつつ、俺は続けてそう呼びかけた。

 しかし、やっぱり返事はない。

 心臓の痛くなるような焦燥感に耐えながら、それでも俺は3秒を数えた。


「いち……にい……さん!」


 立ち上がり、川を見る。

 そこには――誰もいなかった。


 ただ。

 ちょっと離れた岩場には、見覚えのある布の束と、大小の刀が転がっており。


 そして。

 そのすぐそばの水面が、派手に波打って水しぶきを飛散させていた。


 俺は革マントを放りだし、背をもたれていた岩を乗りこえて、すぐさまそちらに走り寄る。

 それと同時に、水面からアイ=ファの顔が出現した。

 苦しげに歪んだ、アイ=ファの顔が。


「アイ=ファ!」


 空気を求めてあえぐアイ=ファの口に、川の水が容赦なくなだれこむ。

 立てば腰ぐらいまでしかなさそうな深さであるのに、アイ=ファはそれ以上水面から身体を出すことができなくなっているようだった。


「何してんだよ! ほら、つかまれ!」


 岩場の上から、俺は右手を差しのべた。

 狂ったようにもがきながら、アイ=ファの目が、力なく俺を見る。


「ちか……づくな……」


 細くかすれた、アイ=ファの声。

 その身体が、じわじわと下流に流されていく。


「ふざけんな! つかまれよ、おい!」


 こうなったら、しかたがない。

 俺は水面に右足を突っ込んで、流されないように踏ん張りながら、アイ=ファの身体をひっつかんでやろうと腕を伸ばした。


 その指先が、アイ=ファの肩のなめらかな皮膚に触れかけた、瞬間。

 異様な物体が、俺の右腕にしゅるんと巻きついてきた。


「うわあっ!?」


 とたんに、右腕に激痛が走り抜ける。

 めりめりと、骨のきしむ音が聞こえた。

 俺の右腕に巻きついたその物体が、ものすごい怪力で絞めあげてきやがったのだ。


 俺の腕と同じぐらいの太さをして。

 青黒い鱗に包まれた、異様な物体。

 それは、大蛇の尻尾であった。


 そうと認識した瞬間、アイ=ファが「ううっ」と苦しげにうめいた。

 ひときわ激しく、川の水が飛散して。

 アイ=ファの両腕が、水面の上に突き出される。


 その指先には、大蛇の首が握られていた。

 ラグビーボールぐらいはありそうな鎌首が、アイ=ファに向かって牙を剥いている。


 アイ=ファは、水中でこの大蛇と格闘していたのだ。


「この野郎……!」


 右腕の痛みに耐えながら、俺はいっそう足を踏ん張った。

 昨日傷めた足首がズキリとうずいたが、そんなものにはかまっていられない。

 骨も砕けんばかりの怪力だが、放そうとしないなら、上等だ。このまま水中から引きずりだしてやる。

 川の流れなどゆるやかなものだし、アイ=ファの体重なんてたかが知れているのだから、やってやれないことはない。

 というか、死んでもやりとげてみせる。


「おらあっ!」


 気合い一閃、渾身の力を込めて右腕を引き寄せると、大蛇に巻きつかれたアイ=ファの身体が、川のへりまで近づいてきた。

 俺は右足を川から引き抜き、左腕で大蛇の首をロックする。


「ぬうう……りゃああ……っ!」


 後はもう、重量挙げの要領だ。

 まあ、重量挙げなんて未経験だけどな。


「……くそったれえっ!」


 もう一度、全身の力を振り絞る。

 それでようやく、アイ=ファの身体を岩の上に引きずりあげることができた。


「くぅ……っ」とアイ=ファがか細い声をもらす。

 一糸まとわぬアイ=ファの裸身に、大蛇の身体が何重にも巻きついていた。


 胸もとと、腹と、右足にからみつき、それで余ったぶんが肩のあたりまで伸びて、俺の右腕に巻きついているのだ。

 その胴体の一番太い部分なんて、俺の腿ぐらいはあるだろう。

 太さも、長さも、尋常でないサイズである。

 よく見れば、その青黒い鱗のあちこちが裂けたり破れたりしており、この大蛇めももともと痛手を負っていた様子だが、そうでなければとっくにアイ=ファの全身の骨は砕かれてしまっていたのかもしれない。


「よし! その手を離すなよ、アイ=ファ!」


 俺は手近な岩ころをひっつかみ、大蛇の頭部にそいつを叩きつけた。

 ぬめぬめと照り輝く鱗の身体が、びくりと痙攣する。

 蛇に痛覚がない、なんてのは迷信らしいからな。殴られれば、普通に痛いはずだ。


 アイ=ファが空中で固定してくれている大蛇の頭部に、さらに何度も岩塊を振り下ろす。

 その5発目あたりで赤い血がしぶき、それと同時に、「ああっ!」とアイ=ファが悲鳴をあげた。

 俺の右腕も、みしりときしむ。


「くそっ! 収縮すんな! 弛緩しろ!」


 固定されているとはいえ空中にある頭部では、どうもダメージが拡散されてしまうらしい。

 だったら、腹だ!

 地面と接触している部分を狙って、おもいきり振り下ろす。

 めしゃりと肉の潰れる嫌な感触が、岩を伝ってはっきりと感じられた。


「…………ッ!」


 大蛇の拘束が、しゅるしゅると解けていく。

 俺の腕からも、アイ=ファの身体からも。

 俺はすかさずアイ=ファの身体を抱きあげて、逃げていこうとする大蛇の胴体を川のほうに蹴り飛ばした。

 どぷんと重い音をたてて、大蛇は川底に沈んでいく。

 それがゆるゆると下流に流されていく姿を確認してから、俺はアイ=ファに「おい!」と呼びかけた。


「しっかりしろ! 大丈夫か? 頼むから死なないでくれ、アイ=ファ!」


 その身体をもう一度岩場に横たえてから、むきだしの肩を強くゆさぶる。

 アイ=ファは弱々しくうめき、口から大量の水を吐いた。

 ふだんは結いあげている金褐色の長い髪が、その顔や胸もとにべったりと張りついている。

 まるで別人のように弱り果ててしまったアイ=ファは、固くまぶたを閉ざしたまま、俺の手の甲に爪を立ててきた。


「苦しいのか? まだ水を飲んでるんじゃないのか?」


 力を失ったアイ=ファの身体を横に向けて、ちょっと強めに背中を叩いてやると、さらに大量の水が吐きだされた。


「う……アス……タ……?」


「大丈夫か? あのヘビ野郎は川に落としてやったからな! もう心配はいらないぞ?」


 まだ焦点の定まっていない青色の瞳が、ぼんやりと俺を見る。

 なんて弱々しい表情だ。

 だけど、生きている。


 俺は、アイ=ファの身体を引き起こして、そのほっそりとした身体を両腕で抱きすくめてしまった。

 後から思えば、大蛇の拘束から逃れたばかりのアイ=ファに何てことをしてしまったのだと反省することしきりだが、さすがに俺も我を失ってしまっていたらしい。


「よかった……あんまり心配させないでくれよ……」


 たちまち俺の身体もずぶ濡れになってしまったが、そんなことはどうでも良かった。

 しかし。

 アイ=ファの腕が、思いもよらぬ強さで、俺の胸もとを押し返してきた。


「はなせ……その腕を、放せ!」


「え?」


 驚いた拍子に、腕がゆるむ。

 それと同時に、胸もとを突き飛ばされた。

 俺は、ぺたりと尻もちをついてしまう。


「ど、どうしたんだよ?」


 アイ=ファの瞳が、火のように燃えていた。

 その指先が、足もとに転がっていた蛮刀の柄をひっつかむ。


「な、何だよ? いったい何がどうしたってんだ?」


 その変貌ぷりに度肝を抜かれる俺の目の前で、アイ=ファは蛮刀を革鞘から抜き放った。

 ついさっきまで病気の子どもみたいに弱々しかったその顔に、まぎれもない殺気がみなぎっている。


 俺は何か、アイ=ファに対して禁忌を犯してしまったのだろうか?

 不慮の事態とはいえ、その裸身を目にしてしまったからか?

 うっかりその身体を抱きしめてしまったからか?


(まあ……それがそれほどの罪だっていうんなら、しかたないか)


 あまりに色々なことが起きすぎて、俺も思考がついてきていないのかもしれない。

 ただ、アイ=ファが死ぬ姿を見るぐらいなら、アイ=ファに殺されるほうがまだましだよな、とか、そんな阿呆なことぐらいしか考えられなかった。


 裸身で、片膝をついたまま、アイ=ファが蛮刀を正眼にかまえる。

 何故か刃ではなく背のほうが俺に向けられていたが、まあ、こんな分厚い刀身だったら峰打ちでも撲殺されてしまうだろう。


 俺は、アイ=ファの瞳を見つめた。

 しかし。

 アイ=ファの瞳は、俺を見つめてはいなかった。


 青い火のように燃えるその瞳は、俺ではなく、俺の背後の空間に向けられているようだった。


 ブルルルル……と、重々しい排気音のような音色が、思いも寄らぬ至近距離から、伝わってくる。


 俺の背後に――何かが、いるのだ。


「てやあっ!」


 アイ=ファの口から、裂帛の気合いがほとばしる。

 蛮刀が、虚空に銀の軌跡を描いた。


 そして。

 俺は、何かに圧し潰された。


「……ぐえ」


 ものすごい重量を持つ何かが、ものすごい勢いで俺の頭上に降ってきたのだ。

 それは、固くて、ごわごわしていて、それでもって、無茶苦茶に動物臭かった。


「ふう」と息をつき、アイ=ファがぺたりと座りこむ。

 ざんばらに垂れた金褐色の髪の隙間から、青い瞳がいつもの感じで俺をにらみつけてきた。


「ひとつの災難を退けたからといって気を抜くな。そんなざまでは、とうてい森辺では生きていけないぞ」


 素っ裸のままなのに、ずいぶんと偉そうだ。

 だけどまあ、俺にもようやく事態を把握することができた。


(……もうちょっとだけでいいから、弱ったままでいてほしかったなあ。こん畜生め)


 そんなことを内心でつぶやきながら、俺は頭蓋骨を叩き割られてビクビクと痙攣するギバの巨体を、頭の上から押しのけたのだった。

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