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俺は英雄と旅をした

作者: 七転八

「さあ勇者よ!」


 気付けばそこにいて


「聖剣に選ばれし英雄よ!」


 大仰に突き付けられた宣告は


「襲い来る闇を祓いたまえ!」


 呆けるほど理不尽で


「さあ、勇者よ!」


 何をしたわけでもないのに救われた顔をして


「聖剣を掲げよ!」


 やらなきゃいけないような気がして


「どうぞ、救世主様」


 目の前に捧げられた布に巻かれた重い塊を受け取り


「おおっ、聖衣がっ!解かれてゆく…っ!」


 紺塗りの鞘から夕暮れ色に輝く刀身を覗かせ


「これぞ、正しく伝説の救済の光…っ」


 その抜き身の剣を頭上に上げ


「ちょおおっとまっったああああああああああああ!!!」


 突如視界がぶれ、吐き気を伴う浮遊感


「なっ…」


 大理石の床を滑り、目映い光りに衝突物を見上げると、


「これは…いったい…?」


 朝焼けの眩さを頭上に掲げ、無邪気な笑顔を聖剣に向ける男がいた。


「これが聖剣…。神々の闘いに終止符を打つ為に精製され天と地を分けた一閃の光、陽光…!」


 光を放つ細やかな金髪に澄んだ海のような瞳、王族も見劣りするような美貌を持った男が絵画よろしく聖剣を掲げていた。


―――――俺は英雄と旅をした。








 魔の伝承はお伽噺に紡がれている。

 曰く逃げ切れば生き、闘えば死に、追われると死に、怯えに止まると死ぬ。

 英雄譚よりも多い事からも如何に恐怖とされているかが知れるだろう。

 数百年前に封じられた「魔」が再び吹き出した。

 「魔」とは闇、恐怖の霧、絶望の足音、呑み込むもの、生物を破壊者へ変えるモノ。

 それに触れられたものは沸々と変貌していく、「魔」物へと。

 それは石であったり、木であったり、獣であったり、人であったり、はたまた、

 村で、

 あったり。








 店先に倒れていた少年をベッドに寝かせ、酒場を執り仕切る妻のアリスの声を聴きながら額に濡れ布巾を乗せる。

 ノータスは不衛生ぎみに生えたあご髭をさすると少年を見、一体どんな状況に陥っているのかを探る。少年の身を案じる、というのもあるが、もし厄介が店に強いては自分達に起こるならば路地に放り出さなければいけない。

 身なりはシャツとズボン、染めは粗い。何度も転んだのか擦りきれ土や草に汚れている。客に知らされた時は全身土まみれと言っていいほど汚れていた。今は全身拭って多少汚れはおとしたが、綺麗とは言いがたい。

 歳は10歳くらいだろうか、けして独り立ちはしていない年頃だ。身売りかとも思ったが売られたとしてはこの服装はおかしい。

 売られたならもう少し良い服を着せられるはずだ。売り人でなく商人に着せられるものだ。

 ならば一体?

 盗賊に拉致という可能性もあるが近隣でここ数年盗賊の情報はない、そもそも飢饉が起こるような情勢でもないの。食いはぐれ堕ちることは有ろうが人をさらうより楽に食料を手に入れる手段などいくらでもある。

 盗賊が流れてきたと言うのであれば、何かしらの動きがあるはずなのだ、急に湧き出ることなどない。

 何かしらの理由があってどこかの集落から逃げてきた、と言うことは分かる。しかしその何故かの部分が分からないのだ。

 この時点でノータスが「魔」という可能性に気づかなかったと言うのは当然だったのだろう。

 彼の生きてきた40年、数百年前に封じられた「魔」に直に逢う事など無く、父、祖父も必然的に「魔」と逢う事など無かった。

 「魔」とは既におとぎ話の中だけの事象となってしまっていたのである。

 だからこそノータスは明日少年が起きた後警護詰所へ出向いて、警護兵と話を訊こう。そう考え異常なほど汗を流す少年の体を拭うとアリスに一人に任せた酒場へ戻った。

 そして翌日、早朝日の出る前に戸を激しくノックした警護兵に叩き起こされたノータスは同じく眠りから引き起こされたのだろうすすり上げる少年の嗚咽と共にその報告を聞いた。




 曰く、山を10ほど越えた集落が「魔」に呑まれた、と。

 「魔」が近くにまで迫って来ていると。

 おとぎ話が絵本の中から飛び出すような、ある種滑稽な悪夢が口を開けた。


ーーーーー


 森に沿う道を行く幌馬車が砂ぼこりをたてる。車を轢く二頭の馬は既に疲労困憊し足を止めたら最後動けなくなるのではないかという程消耗しきって勢いに任せてただ足を動かせている。

 普段ならこんな荒々しく扱ったりはしない、大事な商売道具なのだ。特に細々と旅商をする身にとっては命の次に大事と言っても過言ではない。

 なぜ彼が大事な馬を酷使してまで馬車を走らせるのか、命の次に大事な物を二の次にする訳は、命の危機に他ならない。

 しかし彼も暦年の旅商、命の危機は何度も潜り抜けてきた、治安が良いと言っても護衛も雇っていた。ある程度の危機なら馬を傷付けず切り抜けられた。

 そんな彼が脇目もふらず逃げる後方に「それ」はいた。

 姿形こそ見慣れた山犬のそれだが、問題はそこではない。まず、大きさがおかしいのだ。前方を逃げる幌馬車の全長よりも少しだけ、大きいのだ。ーーー少しだけ大きいと聞けば、その脅威は感じにくいが、その口は人を丸のみにしても余るといえば伝わるだろうか。

 大きさだけではない、むしろその巨躯よりもイシツナ特徴がある。纏う霧である。

 黒い霧、黒塵舞う体、「魔」に呑まれた果て、魔物

 赤く煌々と目を光らせる魔物は、遠く動くものを見つけ残っていた野生の本能に基づいて幌馬車を追い始めた。魔の持つ破壊衝動と混濁した本能は遥か遠くの幌馬車を食いちぎる事に全霊をもって挑んだ。

 馬が怯えていることに警戒を浮かべた商人が遠くの視界の一点に異質を見つけ逃げ出すのと同時、魔物は走り出した。

 なんで、こんな目に、と自問しながら、後ろを振り返りもせず恐怖に逃げ惑う商人の馬車の尻に、魔物の鼻先が触れるのではないかと言う程に距離が詰まり、そのあぎとを開いたとき、ぴしりと亀裂の音が響いた。

 馬車を走らせる車輪が、激しい衝撃と磨耗に耐えきれなくなった車輪が、内から崩れるように砕けた。道とは言ったが舗装されている筈もなく長年人が馬が車が通り、草さえ生えなくなっただけの土の道である。

 凹凸激しい固い道を無理に走り続けたのだ。焼き固めているとはいえ木製の車は余りにも脆かった。

 横転、そして崩落、辛うじて道を走っていた幌馬車が道を外れ滑走する。

 馬車を牽引していた馬もろとも転んだ馬車は慣性に従い草の上を逆に馬を引きずる。

 二頭のうち一頭は其に因って完全に使い物にはならなくなった。歩けるようになっても二度と走れはしないだろう。

 幸いとも言えるのはもう一頭が、横転した衝撃で壊れた牽引部分から抜け出し、草原を駆けていった事だろうか。

 直後に迫っていた魔物は馬車が崩れると同時に巨体を以てして跳躍、巻き込みを免れた。直撃を負っても「魔」に強化された体には傷はほぼつかないだろうが元は意識を持った獣、鋭い本能にこれも「魔」の強化が施されている。

 要らぬ傷は避けるに限る。魔物はそう直感した。

 着地と同時に制止をかけながら足を緩め木っ端と化した幌馬車に近づいていく。

 残骸の中から這い出せずにいる商人にはその姿は仕留めた獲物の息を止めようとする狩人の姿に見えた。

 逃げ出そうにも体にのし掛かる木材を除ける力も恐怖で抜け出して既に諦念の表情を浮かべている。

 お伽噺の存在に追いかけられた挙げ句、牙に刺されて、若しくは爪に裂かれて、

 死ぬのだろう。

 いざとなり、思い浮かぶのが恋人や家族では無く馴染みの客達の顔だと言うのだから涙もでない、苦い笑いがうっすらと浮かぶ。いや、元々そんなもの初めからいないのだから仕方がない。

 思えば商売商売の人生で家族を作ろうともしなかった。

 馴染みの店の娘は優しかったろうか。

 明確な死の実感があった。魔物の鼻が臭いを嗅ぐように顔の近くをさ迷う。灰塵の霧が視界を覆うと湿った音に魔物の口が開いたことを悟る。

 絶望の闇に。


「裂空滅殺爆雷脚ぅおおおりぁあ!!」


 光が射した。

 輝く色を持ち深い瞳を持つ英雄が魔物を弾き飛ばし降り立った。


「世に蔓延る世界の歪みと混沌の産み落とした災厄め、この俺ウェリスタ・ヴェン・ウルヴァス・タルメインズが成敗してくれよう!」


 唖然とする商人を放って魔物に見栄を張るウェリスタ・ヴェン・ウルヴァス・タルメインズに、挑発を受けた魔物は蹴られた左頬から血を流しながらウェリスタ・ヴェン・ウルヴァス・タルメインズを睨み付け低く唸る。

 まるで英雄劇の一演を見せられているような気分に陥った。命の危機は去った、心から思えたのだ。


「ウェルー!前は確かウェリスタ・ベラス・アルファス・ルア・アインズだったぞー」


 そして英雄劇を現実に引き戻す気の抜けた声が商人の意識に割り込む。

 それを受けて、英雄は叫ぶ。振り返らず、腰に提げた剣へ手を置きながら叫ぶ。


「それは仮の名前だっ!!今の俺はウェリスタ・ヴェリス・ウルファズ・ラウリンズだっ!!」


 名乗りと共に剣を引き抜く。

 刀身から溢れる光は正しく聖光、闇を切り裂く破魔の力


「あーじゃいいやそれで、ウェル!そこの人の手当てしなきゃいけないから…」


 危機感の無い声が響く。


「やるなら、向こうでやれっ!」

「合点!」


 即応した英雄は跳び出し、懐に潜り込むと再び魔物を蹴り飛ばす。

 迅雷、ともすれば軌跡を描くことも出来ぬ程速かった。魔物が避けることのできない程に。

 先程よりも高く宙舞う魔物は空中で体制を建て直し着地した。傷も深くはないよう思える。蹴り上げられる瞬間、自ら跳躍することによって衝撃を緩和したのだろう。

 その事に好戦的に笑う英雄と、心を憎悪で満たすように唸る巨躯の魔物。

 自らの怪我さえ忘れ、対向を見つめる商人の肩に手が置かれ、初めて振り返る。


「魅入るのは分かるけど、今はあなたの怪我が大事ですよ」

 

 苦笑を浮かべて商人の傍にしゃがみこんでいたのは黒目黒髪、うっすらと茶色がかっているので「魔」に侵されてはいないのだろうが、異質な色の青年だった。

 いつの間にか商人の下半身からは瓦礫が撤去され、ズボンも脱がされ、左太ももの付け根には止血の布が巻かれ、両方の脚に添え木がされていた。丁寧にも傷口は洗い流されている。

 処置の間にも相当痛みがあるはずだが全く気がつかないとは一体どうしたのだろう、と訝しげにみると、青年はまた苦笑すると、言う。


「あの馬鹿に魅了されてたんですよ。あいつの英雄劇にね」


 これだから英雄様は、と呆れたように魔物と殺しあいを楽しんでいる英雄、ウェリスタ・・・と、言った、だろうか、名前は鮮明ではないのだが黒の青年はウェルと呼んだ英雄を見つめる。

 魔物の爪を剣で捌き、過ぎた足を一閃、魔物は霧を吐き絶望へ落とそうとするが剣閃に祓われる。

 そしてまた魅いられている事に気付き、頭を振って青年を見る。なるほど、魅せられていたのだ。他のものなど目に入らないほどに。

 青年の後ろで心配げに商人の顔を見る馬は難を逃れた二頭の片割れだ。

 救われたのか、と今度こそ息を吐くと後ろからウェルの声が凛と響く。


「これで終わりだっ!!」


 振り向くと前足と後ろ足を片方ずつ飛ばし腹を見せた魔物にウェルが深く沈み込むように構えをとっていた。

 下げた刀身を跳ね上げるように袈裟斬りに斬り上げ


「絶界」


 勢いをそのままに回転し


「十字」


 真横に魔物を両断するように


「二閃っ!!!」


 斬撃。

 それで勝負は決した。




―――――




「お疲れ 」


 魔物が霧散し消えた後、青年が帰って来たウェル、本名は謎だが、に声をかける。


「あぁハヤト、今回も苦しい闘いだった。ウェリスタ・ウェン・スリボルタの胸に永遠に刻まれる闘いになるだろう」

「あ、そう、それよりこの人を車にのせるの手伝って」

「…車?」


 大破したはず、と思い馬を見ると、損壊の少なかった部位を繋げて、上に布を重ねただけの小さな荷車が出来ていた。車というより、それはソリだろうと思う。

 二人に肩と足を持ち上げられ、車、もといソリに寝かせられる。

 少し動く度に痛みが走るが、助かったのだ…と思うとそんな些細なことはどうでも良いように思える。


「ひとまず、近くの集落まで行きますのでそのまま休んでいてください」


 と言う青年の人好きの良さそうな笑みに頷くと体の力を徐々に抜いていく。そして、いつの間にか微睡みの波に揺られていった。


―――――


 目が覚めると、ベッドの上にいた。

 上身を起こそうとして脚の痛みに倒れこむ。傷口には包帯が巻かれ両足も固く布で固められて既に処置がされていた。

 ベッドの傍らには椅子が一脚置いてあり、誰かが看病してくれいたのだろうかと思い、黒の青年を思い出す。

 今更ではあるが記憶にこびりついた恐怖に全身に震え、生きていることに喜びを感じた。嬉しい、というのも商売道具全て失ったこの状況では似つかわしくないが、命こそ救われたのだ悲観していられない。

 あの黒髪の青年はウェルという英雄の、従者なのだろうか、主従としては馴れ馴れしい様子だったが。


「あ、起きたんですね」


 思いを馳せている中そう言い部屋に入ってきたのは、その黒髪の青年だった。


―――――


 地図を確認しながら馬を小走りに進行させる。

 大きな傷のある脚の付け根を縛ったままだと鬱血して最悪壊死しかねない、数時間おきに緩めて血を流してはいるがそもそも血を流しすぎている。碌に体を休められない状況が続けば脚は諦めてもらうしかない。


「おいハヤト、見えたぞ!」


 と夜道を夜光石で照らしながら前方を行くウェルが叫ぶ。

 夜目の効かないハヤトにはまだ見えないが身体能力が異様に高い奴のことだ、間違いないだろう。

 治安もよく旅商が好んで廻るこの近辺は地図の出来も良い。そう謳っていた商人の言葉に嘘は無かったようだ。

 山犬の魔物を仏した後、丸一日半かけてハヤトはひとつの村に到着した。

寝静まった集落を馬とソリの音が響き、朝も近い頃だったせいだろう、民家の戸から人が顔を覗かせた。

 ハヤトは素早く馬をとめ、その男性に近付き村長の場所を聞いた。道をまっすぐいったつきあたりの家だよ。と教えられた通り進み、道の途切れた所の家の戸を叩いた。

 警戒もあったのだろう、案内して付いてきてくれた先程の男性に礼を言う。夜光石のカンテラなんて高価なものを持つ人間がこんな田舎にどうしたのだろうという疑問は後ろのソリに乗せている商人が押し止めてくれたようだ。

 叩いた戸の向こうでゆったりとした様子で音が動く。戸を開けた老人に起こしてしまった非礼を詫びて怪我人の旨を伝える。


「すみません!怪我人がいるんです!ベッドと布をお貸し願えないでしょうか」

「一刻を争うんだ、早くしてくれっ」


 ウェルが急かすように言い、老人は後ろのソリを見ると跳ねるように動いた。


「ベッドはひとつ余っとりますが、それで布はすぐ持ってきますんで」


 馴れない言葉遣いなのだろう、やや不明瞭になりながらも了承を得て、ソリに敷いた布ごと商人を二人で持ち上げベッドに運ぶと止血帯を外し持ってきてくれた布で圧迫する。

 案内してくれた男性が機転を利かせ村の医者役を任されている男性が直ぐに駆けつけてくれた。

 そして、彼が昏倒したまま半日、様子を見に来たハヤトは商人の目が覚めていることを確認すると声をかけた。


「あ、起きたんですね。」


 こちらを見ると直ぐに何か思い至ったように会釈する商人は覚醒してすぐというわけでは無いらしく、はっきりと意識をもっているようだ。


「あ、あぁ、助けてくれてありがとう。商品を失った旅商の身では満足に謝礼も出来ないが」


「いえ、大丈夫ですよ。商品のいくつか無事だったものは僕の馬に乗せて持ってきましたし、僕たちの目的はあの魔物でしたしね」


 そういうと商人は目を丸くして固まってしまった。

 まあ、失ったと思っていた財産が戻ってきたのだ、驚くのも無理はない。


「君たちは、いったい…」

「英雄、らしいですよ」


 言葉に首を傾げる商人にハヤトは自分達の旅の目的を告げる。

 「魔」を再び鎮めるために旅をしているのだ、と。

 怪訝そうな顔で凍結した商人に、そりゃそうなるなあ、と苦笑すると、朝食ができていることを伝える。


「こういう話をするのはウェルの方が上手いですし」


 彼の着替えを看病に使っていた椅子の上に置き、支度ができたら呼んでください。と言い部屋の外に出る。

 この世界の人達は日本より露出が多い、と言うとかなり語弊があるが開放的である。裸体に対する恥じらいが少ないと言えば良いのだろうか、ともかく着替えを人に見られる事に嫌悪を感じる人も少ないのだが、どうも目の前で着替えられるとこちらが恥ずかしくなってしまう。

 そそくさと出ていくハヤトは変に写るだろうが、そこは既に諦めている。

 それはそうと、これからのことを考えなくてはいけない。

 現時点で確認されている危険性の高い「魔」のうちの一つ、西部の「町呑み」

 もとは町を一つ呑みこんだ「魔」だが今は拡大しその近辺を魔境と化していると聴く。山犬の魔物もそこから派生したものだろう。つまり、町を呑みこんだ「魔」が迫っているのだ。

 「魔」は魔物が出現した場所に現れる場合が多い。多い、ほぼ確実に現れると言ってもいい。

 魔、についてハヤトは耕作機のような印象を持っている。

 つまりは、通った後は魔で耕かされた闇の地が広がっているという印象だ。

 実際魔にのまれた地は歪んだ生物だけが生まれるという。植物でさえ歪んだ生物として生まれる。 

 大抵がうさぎ程度から民家程の大きさで、町を呑むような大きな「魔」は稀だ。

 その危険な史上類を見ない程巨大な「魔」が近くに来ている。早急に行動に移すべきか…。

 まだ見ぬ巨大な敵影に少し焦りを滲ませ、ハヤトは頭を捻る。


「よぉ、まーた考え事かハヤト?」

「おっすウェル、飯は食ったのか」

「…お前だんだん母ちゃんみたいになってきたな」

「うるせえよ、この前は深淵の森とかいうとこで賢者の拾われたとか言ってたくせに、おまえに母はいないんだろ?」

「…いらん細かいとこまで覚えやがって」


 軽口を叩き廊下ですれ違う。このあとウェルは村の外へ訓練しに行くのだろう。王催武術会優勝武闘者、要するに公的に国で一番の猛者と言うところの彼は天性の才と才を最大限に扱う技術、それらの研鑽で異様の強さを誇っている。


「行くなら声かけろよ」


 背中に響いた声に思わず笑みがこぼれる。予想より早い魔の侵攻、侵食という方が正しいか、に焦りが浮かんでいる事を見透かしての言だ。目線を辿り心情を読み取る。「全てを見通す万理感破の瞳」だの言っているが、いってしまえばそれは、一流剣士の技に違いないと確信している。そういうものが実在しているというのは、冗談じゃないとは思うが、しかしアイツの性能から見るとあっても不思議ではない。

 奴が話上手なのは相手の考えを読み取りうまく意識を誘導しているからだろう。ウェルはよく戦闘の術を日常に生かしている。無意識にではあるが、無意識であることに才と言うものを感じる。

 あの妄言癖がなければ引く手数多だろうに。と内心呪いを込めながら朝食を取りに行く。商人の朝食として小麦の粥を持ち、再び部屋に戻る。

 商人がベッドに座ったので、ハヤトはベッド脇の椅子に座り粥の杯を渡す


「ありがとうございます」

「いえ、僕はほとんど何もしてないですし、この村の人達のお陰ですよ」


 少なめの粥を胃に入れた商人に礼を言われ、首をふり否定する。


「…それで、どうするんですか」

「あいつと一緒に魔界に踏み込みますよ」


 商人の慮るような視線に対して苦笑しながら答える。これまで何度も同じような話をしてきたが此方の心配をしてくれた人は初めてで、いい人なんだな、と痛感する。

 旅商よりどこか町で商店を開いた方が本人に合っているのではないかと思う。


「魔界、ですか」


 魔界、というのは「魔」に侵された領域、つまり「魔」が領域と言えるほど拡大しているということだ。


「僕が回っていた町村も呑みこまれたん、ですかね」


 商人が逃げてきた方向にハヤトは向かっている、ということはそういうことになる。商人が旅立った後に魔が侵食してきた、ということで、逃げてくる人がいない、ということは殆ど浸食から逃げられずにいるということだろう。


「って言っても、魔界外で魔物の量が多くないですから、まだ助けられる人たちも多いと思います。」

「でも、魔に侵された人は助けられないんじゃ…」


 ハヤトの言葉に首を傾けながら商人は尋ねる。


「それでも抗う奴がいるならそいつ等を助けるのが救世主なんだよ。」


 そう言いながらウェルが扉を開けながら部屋に入ってきた。井戸ででも行水してきたのだろうか、髪が湿気ている。


「盗み聞きか」

「聞こえたんだよ」


 訝しげに睨みあげるが、確かに人よりも身体能力が軒並み高いのであながち聞こえただけと言うのも間違っていないのかもしれない。


「まあそういうことです。」


 こっ恥ずかしい台詞の後に何を言おうか迷った挙句そのまま肯定することにした。


「そうだ、おっさん」


 ウェルが思い出したように言葉を切る。


「おっさんの馬、片方はちゃんと走れそうだ。ただ、もう一頭はだめだった。放り出されたところで死んでたよ」

「…そうか、一頭助かったのでも幸運ですね、この命あるだけでもとんだ拾い物なんですから」


 恐らく、既に予想は付いていたんだろう、そこまで落ち込む様子はない。


「俺らが曳いてきた馬おっさんに任すから、売るなり使うなり好きに使ってくれ」

「いいのか…?」

「いやいや心配してくれたお礼だよ、基本的に邪念にされてきたから嬉しいんだよ」


 俯いて額にしわを寄せている商人に馬は村の馬屋に繋いでいることを告げると部屋から出た。


―――――


「空気が淀んできた」


 ハヤトが鼻を鳴らす。


「魔がはびこる領域に入りつつあるということか」


 ウェルはそう返しつつ腰に提げた聖剣の柄を確かめるように握る。ウェルはハヤト程魔に敏感では無いにしても何となく気味の悪い感覚がある。ハヤトはモヤモヤする、というがウェルが体の感覚が鈍って感じる。

 差異は表現の違いなのか、魔が及ぼす影響の差なのかは分からないが、ハヤトはウェルと比較して明らかに魔に対して抵抗があるということはこれまでの旅の中で確信している。

 しかし、既に魔の気配が感じられる、ということは


「急ごう、報告で聞いたより大分浸食が進んでいるようだ。」


 ウェルはそう言い、急ぎ足をさらに急がせる。


―――――


 唐突だった。

 唐突に光が歪んだ。

 薄暗い空に覆われた瞬間世界が「魔」に飲まれたのだ、と本能で悟った。

 魔が近くに出たと聞いた後、すぐさま逃げる準備を固めた、長年共に生きた酒場を放り出す事に膝を何度も拳を落として耐えて、逃げようとした途端、件の少年が泣き始めた。

 泣いた、というよりそれは獣の咆哮に似たもので、少年は自分を抱きかかえ抑えて叫んでいた。

 そして、唐突に「魔」に呑まれた。

 「魔物だ」と誰かが言った。

 「魔物だ」と言った者の指差すのは、蹲り頭を抱え慟哭する少年だった。

 誰もが少年から後ずさりする中、一番近くにいたノータスはアリスが腕を引っ張るのも気に留めず、少年が何に怯え続けていたのかを、理解した。

 少年から立ち上がる煙はまさしく、彼が怯えていたのであろう魔だと。

 背中から黒い霧の翼を吐き出しつつ苦しみ続けている少年は、黒い灰を漂わせながら地面に涙を落としている魔物は、自分自身に怯えていたのだと、理解した。誰かが近づくと抱きすくみ怯えた目を向けて、何かを求めるように目を向けて、自分を抑えていたのだろう。

 何故か、その背中を守りたて、竦んだ足を微かに踏み出す。その音に微かに少年は体を震わすと、


「・・・ぁ、」


 一言、詰めていた息を吐き出すように音を発し、ただそれだけで叫び声が周りを満たした。恐慌し硬直していた集団が、誰ともなしに、叫び逃げ出した。

 「魔」に呑まれた物は、皆侵される。

 阿鼻叫喚を描いたような混乱の中、ノータスもアリスを連れ人ごみに釣られるように少年から走って、逃げた。

 背後から聞こえた微かな声に従うように、



―――――



「逃げて」


 絞り出した声は届いたのか、届かなかったのか、あの優しい人は逃げて行ってしまった。

 あの太い腕も心配してくれた顔も大事そうに連れている奥さんも壊したかったのに、逃してしまった。

 少年の心が破壊の衝動と後悔で塗り固められていく。追いかけろと、追い詰めろと、叩き潰せと、少年の心に「魔」が差す。

 既に元の体は黒いそれに覆われ、化け物の体に成った少年はそれでもまだ自らの額に両手を押し付け呻いて自分を御しようと静かに足掻いていた。少年の脳裏にあるのは目の前で起きた光景、魔に呑まれた世界で起きた惨劇、

 母が父を殺した。

 優しい母が振り上げた剛腕は少年の頭に振り下ろされる前に父の体を砕いた。

 父に逃がされ、そしてどうやってか魔界を逃げ出した少年は、殺される恐怖から解放され、殺す恐怖に囚われた。 

 暗い路地から明るい場所に連れて行かれ、眩しい笑顔を向けられ、両親に似たやり取りをしていた二人に怯えて目を合わせられずに、言葉を交わすこともなく、それでも、どうにか自分から逃げてほしくて、拒絶して、やっと言えた言葉が“逃げて“だった事に、どうしようもなく切なくなる。

 どれくらい押さえ続けていたのか、それでも抑えきれずに、爪は壁を裂き、足は石畳を砕き、尾は瓦礫を吹き飛ばす。


 そして、


「聞くなら聞け!我が名は暁光の英雄!ウェリストリア・ヴァン・スェーブル!」


 眩むほどの輝きを湛えた剣士が腰の剣を抜き放つ。少年には見えていないが、それでも声を聴いた。その名前を確と聞いた。


「救いに来た」


 常闇に不適な笑みを浮かべて言い放った。


―――――


「うわ、やばそうなのがいる」

 

 魔の影響を受けないハヤトは、遠くにその影を見つけ呻く。

 くすんだ鱗に粉塵を纏う翼、爬虫類に似た体格と前頭骨が突き出たような二対の角、黒で統べられたそれは魔物だと示している。西洋のドラゴンの風貌を見せる魔物は絵画に見る竜とは違い、地を這う爬虫類と違い、破壊に特化していた。尾に生えた杭のような棘もあるが最も特徴的な部位は、その両腕だ。

 虚弱なドラゴンの腕ではなく胴の半分近くある剛腕を有していた。少年が最も恐れ、嫌悪し、最も愛した母に似た腕が、父を殺した腕を。


「なんだありゃ」

「人間が魔に侵されたみたい、魔との親和性が高いとああなるっぽいかな」

「人…だったのか、あれが」

「助けるよ」


 ウェルがその一言に驚いてハヤトを見る。

 言いたいことは”助けられるのか“だろう。いままで助けてこれた人は皆あそこまで魔に侵食されていなかった。


「大丈夫、あの()はまだ抗ってる。まだ救い出せるかもしれない」


「…分かった」


 小さく頷くとウェルは二度深呼吸をし、先の魔物に言葉を投げる。超人的な声量は100Mは先の魔物にも優に轟く。聞けるのであれば聞けと、救われたいのであれば救おうと。




―――――




 ノータスには弟がいた。27年前に死んだ。

 少年を助けた時は当たり前に“めんどそうな奴がいるな”と邪険に思った、思いながら当然のように助けていた。“面倒事を引き込んだ”そう思いながら放り出そうとは微塵も思うことはなかった。

 今思えば不自然な行動だ。アリスが何も言わず看病に付き合ってくれたのは、知っていたんだろうと思う。周りの人間が魔に侵され、少しずつ魔物へと変貌していく中、あの少年の事を思い出す。

 「魔」が急速にここら一帯を魔界に引き込んだ原因は明らかに少年にあるのだろう。

 「魔」が山を越えた村を呑みこんだ、と聞いたとき、ノータスは少年と「魔」が関係しているのだと分かった。

 それでも彼を見捨てなかった理由。ノータスは弟と少年を重ねていた。病に倒れ治療の仕様もなく衰弱していく弟と「魔」に怯え衰弱していた少年を重ねていたのだ。

 あの少年は、もう、自らを抑えていた両手を解き誰かに、何かに、叩きつけているのだろうか。

 徐々に破壊音が重なっていく中、少年を案じた時、一際大きな音が響いた。大木を地面に叩きつけたような打撲音。咄嗟に振り向いた潰された家屋の上に、黒い巨体が舞い上がっていた。

 布が端から焦げ付いていくような怒りと後悔をノータスは振りきれずにいた。


―――――


 救いにきた、と言い放った次の瞬間、ウェルは大地を蹴り、数歩で100Mを渡り呆然とする竜の魔物の下腹部へ柄頭の一撃を入れ足りないと察し速度が殺がれる前に脚を跳ね上げまた下腹部へ蹴撃を加える。


「いきなり何してんだ!!!」

「悠長に近づいてザックリやられちゃ意味ねえだろ!!」


 宙に舞う竜へ意識を向けながら声を荒げる。荒事はほぼウェルが担っているとはいえもっと警戒心を持っていて欲しい。しかし当の本人は、


「そんときゃどうにかして逃げるわ!!」


 などと、ほざいている。兵士と真面に訓練も出来ない奴がどうやってあれの一撃を躱すというのか、今もこうして意識にほぼ無かったはずの攻撃をいなされているのに。 

 そもそもウェルが放った攻撃は体を少し浮かべるだけの力だったはずだ、が、竜は壊されたとはいえ二階建の家屋を越え飛び上がっている。山犬がしたように自らが後退し跳躍し衝撃をいなしたのだ。

 意識外の一撃目は上手く決まったがすぐさま放った二撃目は手ごたえもほぼ無く、竜の翼と脚力による跳躍を助けたような物だ。

 あの魔物は今まで闘ってきたどんな魔物よりも強い、元になった人間の親和性の強さが計り知れる。

 安全に浄化するには動きを鎮めなければ、出来るはずもない。

 どうせ後で叱られるのだろうが、叱りかえしてやればいい。

 竜の翼はその巨体を宙に留めておける物ではなく、二・三羽ばたかせると後方へと着地した。着地時の衝撃緩和に屈んでいた竜の首が上げられ、敵意をぎらつかせる両眼がウェルを射止める。

 首の下が粟立つのを感じウェルが先手必勝と駆け抜けようと身を屈める一瞬、竜の(アギト)が開かれ、口腔内に魔の塵が集まり、一閃、ウェルへ肉薄する。

 黒の奔流に竦んだ足を咄嗟に踏み込み後方へ飛びほんの瞬間を稼ぎ、聖剣を盾に受け止める。 

 聖剣が弾かずに掻き消している、ということは魔素を圧縮して放出しているのか。


「魔塵閃、いい響きだ」


 高揚した言葉を転がし、半身で斜に受け止めていた剣をそのままに。

 魔素の放出は一秒も足らずに収まったが、初動もほぼ無く放たれたということは、またすぐ放てるはず。距離を置いての戦いは圧倒的に不利だ。

 そう判断し、魔塵閃に即対応出来る様剣を体の前に構え、今度こそ前へ踏込み駆け出す。

 瞬間放たれる魔塵閃に聖剣を合わせ掻き消し、竜へと迫る。


―――――


 周辺で、無事な人を探し、廃屋だらけの町を走る。

 この状況で、人が取る行動は、ひとまずその場から出来るだけ遠くへ離れる、竦んだ足を引きずり何処かに隠れる、呆然とさまよう、様々あるが、魔の影響を受け始めると周りを破壊し始める。

 破壊行為をし始めると、余程分からない場所に隠れていない限りすぐ発見できる。

 ハヤトが探すのは魔の影響を受け始めた人間だ。隠れた人間、離れた人間を探すのは労力がかかりすぎる。

 見つけた時にだけ合流し安全を確保する。魔に侵され始めた人を優先的に探し、侵食進行を抑えなければいけない。

 だが、周辺に人の気配が全くないのだ。

 魔物に侵され、暴れる魔物さえいない。それどころか周辺地形への魔素の影響そのものも弱いように見える。

 これは…、

 魔が去った後の街と交錯する中、瓦礫の向こう、誰かの影が見えた。


―――――


 ノータスは思いに駆られ来た道を逆走していた。

 アリスは置いてくるつもりだったのだが、後ろについてくる。単に弟への思いを捨てられない、という我儘なのに自ら付いてきてくれた、その事にこの状況でも笑みが零れた。こんなことになるならアリスの両親の言う通り城下町で暮らすんだった、と後悔に思いをはせる。

 瓦礫を越えながら今も轟音が響く箇所へ走る。しかし、おとぎ話そのままに街が崩壊していくのは壮観ともいえる。少し前まで普通に暮らしていた街がまるで数年前住む者がなくなった街のように崩落している。いや自然に崩落したとは思えない崩落具合だ。

 そんなふうに現実逃避しながらあの子の元へ走る。

 そして前方に人影が見えた。こちらに大手を振っているみたいだが、ここらにいた人間はもうとっくに逃げ出している。かすかに聞こえる声は人間のものだ、というか魔物が人の声を発さないかすら知る由もないのだが、明らかに敵意のない声が聞こえてくる。

 「おーい!」とこちらから声を掛ける。返事もせずに近づいて魔物だと勘違いされて攻撃されるかもしれないと思い、同じように手を振る。近づいた人影は、黒い髪をした青年だった。


「魔物じゃ…ないよな?」

「違…違いますよ…」


 数歩離れたところで恐る恐る尋ねるが息切れを起こしながら否定される。随分と疲れているようだが、まさかあの魔物が暴れている所から逃げてきたのだろうか。


「あんた、あの魔物から逃げてきたのか?」

「逃げてきたとは少し違いますけど、概ねそうです。無事な人を見つけようと思って」


 膝に手を付き息を整えながら答える青年は慌てているようすではない、ただ単に疲れているように見える。

 錯乱状態になって危機感が吹っ飛んでしまっているのはこちらも同じだが、それにして無防備すぎる。まるでこの状況に慣れきっているようだ。


「すみません、この中じゃ息苦しくって」


 いまだ肩で息をする青年は訝しげな視線に気づいたのか申し訳なさそうに苦笑している。


「この中って…」

「魔界の事です、体質的に合わないみたいで」

「なんだか、花粉症みたいな言い方だね」

「アリスそっちじゃないだろ、この状況に慣れきってるこいつの様子を不思議に思えよ」

「そういえば、そうだね」


 はぁ、とため息をついて再び青年に向き尋ねる。


「君は一体誰なんだ?」


 ようやく息を整え終わった青年は

 

「ハヤトって言います、まあ職業柄こういう状況に慣れてると言いますか、魔払師、みたいなことやってます。おとぎ話の救世主って通じますかね」

「ああ、救世主…そう、救世主」


 自分でも驚くほどその言葉がすとんと胸に落ちるのが分かった。なんというか、こんな状況下にいるなら絵本で親しんだ存在であるなら何でも来いと言えそうだ。同時に、救世主に付くもう一つの伝説が頭に浮かぶ。


「それだったら魔を祓う聖剣があるんじゃないの?」

「ああ、それだったらあっちに…」


 アリスの問いにハヤトが振り返り指差した方を見、三人とも硬直した。

 

 ハヤトが指差した方向から、まさに今黒い巨体が砲弾のように飛来していた。


―――――


 ハヤトが二人を引っ張り射線から外すと彼らを掠めるように通過した竜は廃屋を飛び散らかせながらその体を止めた。

 疲弊しているのだろう、先ほどまで振り回していた腕を地につけ四足でどうにか身体を支えている。だが、眼光は衰えない。

 一睨、魔素が踊る、そして本能的に剣を盾にし、


「・・・ッあ」


 喉を押しとおるような声を残して、ウェルは吹き飛んだ。

 距離もあった事と疲労していることに油断していた。なんとか聖剣で防いだもののその剣は弾き飛ばされて竜の足もとに転がっている。そして、そこにはハヤトと二人もいる。

 急加速に霞む視界でも明確に周囲をとらえていたが、瓦礫の山に背中から突込み、一瞬意識が飛びそうになるがそれでも、持ちこたえる。手足に力は入らないがそれでも、意識をはなすことは出来ない。

 憧れた勇者伝説の一幕を見逃すわけにはいかない、と憎たらしげに微笑む。


―――――




 何が起こったのか、黒い巨大な魔物が飛んできて、それを黒色の青年に引っ張られ崩れるように躱した後、飛んできた高貴という言葉がふさわしい風貌の少年が降り立ち、二人が目くばせした瞬間、貴族の坊ちゃんが遠くの瓦礫に叩きつけられ、今、目の前に、魔物がそびえている。

 その事に行き付き、漸く恐怖がせりあがってきた。

 左腕にアリスが寄り添うのが分かった。震えているのはアリスかノータスか。アリスの様子を確かめようとも、天に吼える魔物から一瞬であろうと目を離せない、離したら最後粉々の肉片に変わる、という恐怖。

 咆哮を止めた魔物が不意に目の前にいるノータス達に目線をおろし、その胴ほどもある剛腕を振りおろし、黄昏の陽光が視界を染める。

 地が裂ける様な強大な咆哮、慟哭が響き轟く。

 いつのまにかハヤテの手に中にある聖剣の柔らかな光が、魔物の鱗を砕き溶かしていく。

 不思議と、ノータス達の体にずっとあった気怠さも消えていく。

 魔物の嘆きも徐々に、徐々に、小さくなっていき、遂に、その巨躯は地面へと伏した。


―――――


 考えていた。

 どうして壊したいのか。

 やけに楽しそうに剣を振り回すお兄さんと闘っているときは分かりやすかった。

 痛いから壊したいんだ、と。

 でも、今は痛くない。ただゆっくりとした眠気の中で思いが響いてくる。

 壊そう、打ちのめそう、吹き飛ばそう、崩落させよう、ぶち抜こう、穿き散らかそう、かみ砕こう、

 絶えず流れ込んでくる思いは休もうとする体を休ませることなく掻き立てる。

 考えていた。

 なぜ、何の為に、壊すのか。

 考えて、考えて、そうやって、ようやく、やってきた眠気は誰かが僕にくれたもので、なら、その人の為に壊すことが出来たら、そう、思った。

 伏せた身体を、体を軋ませ、仰向けに転がる。

 見慣れた小さな腕は、異形の形に変わって、そこにある。

 腕は大きく、消えそうな息の中でも力を感じた。

 記憶は鮮明に蘇り、“僕“がだれか、分かっていた。

 それでもきっと破壊する衝動は抑えきれない。だから、僕は願い、空に伸ばした腕を振り下ろした。

 自らに振り下ろした腕は、軟らかく、それでも確りと誰かの手に受け止められた。


―――――


 空に手を伸ばす竜は、憧憬と郷愁と諦観をない交ぜにした目で腕を眺めていた。

 まるで自分のようで、まるで周りを憎み切っているようで、回復しきらない身体を引きずるように、ウェルは竜のそばへ寄る。間近に居ても、こちらに気付く様子の無い竜は光を宿す澄んだ瞳を潤ませ、目を閉じ、腕を更に引いた。

 質量と速度と筋力、重ね合わせた腕は、それでも傷だらけのウェルの腕によって受け止められた。


「生きろよ」


 驚く様子もなくひび割れた鱗に涙を注ぐ竜が聞こえているのか、聞こえていないのか、分からないが、ウェルは瞼を薄く閉じると呟いた。


「きっと忘れられない程心躍る光景が待っているんだ」


 直ぐ近くで橙の光が燃え上がり、自嘲気味に笑みを浮かべる。


――――― 


 吹き飛ばされたウェルが聖剣を手放したのは、ここからはハヤトの領分だ。ということなんだろう。

 ウェルに限ってはあれ程の衝撃も数分体が動かない程度でしかないだろう。遠くでゆっくりと身体を起こしているのを一瞥すると弾き飛ばされた聖剣を拾い上げる。

 羽が舞うような温もりが伝わる。

 ウェルを弾き飛ばした反動か、動いていなかった竜がノータスとアリスに向き変える。二人は恐怖と魔界の影響で動けないでいる。頭上に振り上げられる腕にハヤトは祈るように掌を聖剣の柄を挟んで重ね合わせる。

 心を光で満たす。

 聖剣の力は、斬り払う力ではなく、包み祓う力。

 闇を掃う朝日の光ではなく、優しく夜へ誘う微睡む夕闇の光。


「おやすみ」


 声はさえずる様に、闇を照らしていく。

 絶望が掻き消されていく。


――――― 


 聞こえた声。

 生きろよ、という声

 おやすみ、という声

 おかえり、という誰かの声


「おはよう」という誰かの言葉。


「おはよう…ございます」朦朧とした頭でそれでも返した言葉は、ひどく平和で、目の前には前掛けをした、妙齢の女性が驚いた後、微笑みかけてきた。


「待っててね、すぐスープ温めてくるからね」


 そういうとアリスは部屋から出ていく。呆然と部屋を眺める、壁には放り出されたように荷が固められている。日用品が小分けに詰められているように見えるがその横には砕けた木材が置かれている。部屋の壁際だけが倉庫の風貌を醸し出しているおかしな部屋を見渡し、唯一ある窓から外を覗くと、外は煉瓦の屋根が連なっていた。

 屋根の隙間から見える道に人が行き来している。石畳の通りに露店が開き、笑い声や喧しい音が鳴り響いている。

 ばたばたと、背後で慌しい音がなる。扉の向こう、だれかが戸を開けようとしてぶつかったらしい。弾けるように開かれた戸の奥には、大きく笑みを浮かべた男性がいた。

 しろい前掛けをしたまま、職場からそのまま来たんだろうか、と簡単に考えられる格好をしたノータスは、息を切らせて、肩を揺らして、困ったように視線を泳がせた。


「あ、と…俺が誰かわかるか?」

「…はい」


 ノータスさんですよね、と答えると喜色を輝かせると同時に更に困ったように眉をしかめる、という器用な表情表現をすると、口を開く。


「覚えてるか…?」

「…はい」


 覚えていた。鮮明に思い出せた。起きた瞬間から覚えていた。それでも向き合えていた。心は穏やかに凪いでいた。


「覚えてます。でも大丈夫なんです」


 殺そうとしたこと、壊そうとしたこと。覚えていて、悔いて、自己嫌悪して、それでもはっきりと頭は澄んでいる。刺青の様に肩口から黒く染まる両腕を見つめ、笑う。


「そうか」


 そうか、と何度か繰り返すと、今度こそ、満面の笑みを浮かべてノータスは言う。


「おはよう」


――――― 


 厨房にいた同じ宿で厄介になっている人が気を利かせたのか、仕事をほっぽり出して飛んできたノータスの尻を蹴飛ばして部屋から退散させると、アリスはスープを男の子に渡す。

 ここはどこなんですか、と訊く少年の問いに答える為、ここに至る道程を語る。

 ハヤトという青年に少年を救われたという事。魔界が祓われてアリスとノータスは少年を連れて領主の城下町に逃げるよう彼らに言われた事。その途中、魔物に襲われて英雄に助けられたという商人と出会ったこと。何とか城下町についた事。4人共アリスの親戚の宿屋で厄介になっている事。それからひと月すぎている事そして少年の中の魔は消えておらず、聖剣の力で制御しているという事。


「その腕は戻らないけれど、想像もできない程辛い事だってあるだろうけど、きっと大丈夫です。」


 ハヤトが別れ際に残した言葉、思ってくれる人がいるから。と言った言葉。きっと彼はノータスが自分の弟への贖罪という自己満足とも言える感情で動いていた、なんて分からないだろう。分かっていてもきっと同じことを言うのだろう。とアリスは思う。

 彼はそういう人間なんだろう、と、思う。


「ありがとうございます」


 話終わり、考えに浸っていたアリスを少年の声が引き戻した。


「ありがとうございます」


 繰り返した少年は、気まずそうに質問を口にした。


「僕は、これからどうすればいいんでしょう」


 悲しみにもくれず、恐れて一人閉じこもる事もなく首を傾げる少年に、アリスはここで暮らして、アリスを叔母と考えて、面倒を見る、と、説明して、この状況であっても遠慮しかねない少年にどう説得するかを考え、息を吸い込んだ所で、ふと気づく。


「そうね、まあひとまず…」


 起きたら真っ先に訊こうと、思っていた事を忘れていた。


「貴方の名前を教えてもらえるかしら?」


――――― 


 魔界が一つ残らず消え去り、世界に魔が満ちてから、即ち、世界が救われてから幾年たった。

 街角で吟遊詩人は歌う、英雄たちの噺を。

 見目麗しい一騎当千無敵の英雄を、呪い子と貶され魔の腕で人を助ける旅の少年を、愛馬と共に各地を回り魔に閉ざされた道を開く旅商を。自国の為に身を削る王子や恋人の仇と魔をおう少女や涙を流して人を癒す神官や。

 それを聴く人々は思いを馳せる、歴史に残す事を禁じられた救世主を。

 人々は聖剣と消え、魔物を産み落とした救世主をこう語る。


―――――彼は英雄と旅をした、と。


読了ありがとうございます。


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宣伝になりますが連載している悠々自適もよろしくお願いします。

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