逃げる。
ざくり。
一歩足を踏み出した時から、彼女が後を追いかけてきているのは分かっていた。
けれど私は歩調を緩めることなく、雪景色の校庭を歩き続けた。「教授―――…!」とか叫んでいるが、さらりと無視する。
この地域には雪が少ない。これだけ積もったのは何年ぶりだったか。
そんなことを考えながら、まだ学生たちが登校してくる前の、人気のない校庭に真新しい足跡をつけていく。
我ながら子供じみた考えだが、久々の雪に、真っ先に自分の足跡をつけたかった。舞い上がっているわけじゃない。ただの、しょうもない、執着心からだ。
「無視しないでくださいよ――…っ」
だんだんと、彼女の声が近づいてくる。
それでも私は聞こえない振りをして、少し、歩調を早めた。
おそらく彼女は研究途中の実験の結果をひっさげてやってくる。独自に編み出した論文には、何か新しい発見が記されているかもしれない。
―――…それが恐い。
笑ってもいい。何をいい年をした男が、と。
ざくり。
ざくり、ざくり、ざくり……。
「教ー授ってば!」
がしっ、と肩を掴まれて、私は足を止める。
あぁ…、振り返った先で、私の足跡の上に、彼女の足跡が重なっている。
とうとう足元では、二人分の足跡が並んでしまった。
息を切らして、グラフや資料を突きつけてくる彼女には、彼女に呼ばれるたびにびくびくと心を震わせている私のことなど、知る由もないのだろう。
「なんで逃げるんですか!」
「……追いかけてくるからだ」
いつか、追い越される気がするからだ。