第六十九話
ひかり――。
光の繭。
光のヴェール。
光の蕾。
ファルシコーネの目にはそう見えた。そう表現するしかないモノ。
二人を包み、守るように光は広がり、また収縮する。
眩しくは感じたが、眼を灼くような鋭い光ではない。優しい色をした光。
こんな表現があるのかは分からないが、最もしっくりする言い方をするならば、守る色をした光、だ。
あの光は守っている。
――何を?
トマリかもしれない。
ルナーかもしれない。
それとも、もっと別の――あるいは、あらゆるすべてを?
光は重なる。
幾重にも、幾重にも、幾重にも、幾重にも幾重にも幾重にも幾重にも幾重にも……。
そして胎動のように、光は増したり減じたりする。
そのリズムに合わせて、空間に満ちる『力』は溢れるように増していく。
異能の力のないファルシコーネですら違和感を感じるほどに、濃密になっていく。
俯きがちなトマリの表情は読みづらい。だが、どこか自失しているように見える。意識だけここにはないような。
焦点の合わない水色の瞳は、うっすらと光を放っている。深く透明な湖の底から光を投げかけるような。
力が満ちるに従って、その遠い水色の光は強さを増し、瞳の色も透明度を増していく。
そのなかで、唇だけはずっと動き続けている。
聖句を唱えるように、伝承を紡ぐように、歌を唄うように――。
その唇を読もうにも、異国の言葉のようで、全く分からない。
ヒト――いや、言葉を持つすべてのモノに分からぬ言葉であるかのような。
息を継ぐ様子すら見せずに、絶えず唱えている。
「―――……」
言葉が出ない。
何を言ってもこの空間を壊しそうで、崩しそうで。
だから、ただ見守る。
トマリの唇の動きは、唐突に止まる。
訝しんだ次の瞬間、トマリの頬を透明な雫が滑り落ちた。まるで、瞳の中にある湖の水が零れてしまったかのように見えた。
「―――ッ!」
あれは、涙だ。
トマリの涙。
だが、ファルシコーネは初めて会ったときから、一度たりともトマリの涙など見たことがなかった。
涙を見せなかったのはファルシコーネ自身も同じかもしれないが、トマリの涙はそれとは違う気がした。
ヒトとして涙は当然存在する。
感情の揺らぎによるものや、欠伸をしたときなどの生理的なもの。
だから、いつ誰が涙を不意に見せたとしても、驚きは当然あろうが、ここまでの衝撃は無いはずだ。
つまり、ファルシコーネは、トマリは生理的にすら涙を持たない、そう思っていたのだ。もちろんそれは、無意識的にである。
そして、その何気ない思いこそが、自分とトマリを隔てていた。
口でなんと言ってもやはりファルシコーネは、トマリはなんでもできる強く完璧な存在であると、思いこんでいたのだ。
だが、ファルシコーネ自身がそれに気付くことはなかった。
透明な雫は、幾筋もトマリの頬を滑っていく。
表情の失せていたトマリに、変化があらわれ始める。
少しだけ顔を持ち上げて、信じられない、といった面持ちで自らの顎から滴り落ちた涙を見つめる。
戸惑いながらルナーを見、その頬に落ちた自らの涙を見、それを何度か繰り返した。
そして軽く口を開き、叫びたいのに声が出ないような、そんな様子で戦慄いた。
そして、今度こそ、声にならない叫びを発した。
「―――……ッッ!!!」
感情のままに、声のかわりに力を溢れさせて。
叫びに形はなかった。
ただひたすらに獰猛で、溢れる力は怒濤のようで。
そして、
――光が爆発した。
収縮していた光――力は、ことごとくが爆砕し、その空間に散り散りになった。粉々になった。微塵になった。
そして、その散った勢いのままに弧を描いて、すべてがルナーに吸い込まれていった。
光は、一切が部屋から消え失せた。
嵐が去ったような部屋は、必要以上にしんと静まり返っている。
誰も口をきこうとしない。あるいは、できないのか。
トマリはルナーを抱きかかえたまま、空いた手でそっとルナーの頬に触れた。
頬に触れた手は、ゆっくりと、慈しむように頬を撫でた。
撫でた手はいったんルナーを離れ、今度は額に置かれる。
そしてまたその額を撫でていく。額から髪へ移り、何度も何度も、烏玉の短い髪を、梳くように撫でていく。
一瞬の油断で壊れてしまう、華奢なガラス細工を扱うように、そっと触れていく。
そしてぽつりと呟いた。どこまでも、限りなく優しい声で。
「………ルナー?」
声に応えるように、ゆっくりと閉じられていたまぶたは開いた。
黒曜石の瞳が、ゆっくりと姿を現す。
一対の宝石は、やがて目の前にある、同じ一対の水色の石に焦点を結んだ。その石は、もう光を発していなかった。
眠そうな顔で、ぼんやりとした表情で、だがはっきりと、その名を呼んだ。
「……トマリ」
この前『請負屋トマリ』の総読者数(アクセス数)が5000に達しました。
これが多いのか少ないのかは、比較対象がないのでよく分かりませんけども、私としては快挙(?)です。
ありがとうございます。
これからもどうかお願いします。